産声

 かつてはプレハブで“診療所”という趣だった場所は、今では鉄筋コンクリートの地下一階、地上三階建ての立派な“病院”に生まれ変わっている。病院を上から見ると横に長い凹の形をしていて、横長の建物ふたつが入院棟と感染症対策も可能な隔離病棟、それを繋ぐ短い建物が受付と手術を行う場所になっている。医療関係はスポンサーも多く、異界なのに東京の有名病院に負けないくらいの最新設備が揃っている。そんな病院の処置室に、しらべは運び込まれた。


「詩はっ! 音川村長の容態はっ!?」


 勢いのあまりカウンターにぶつかりそうになりながら、受付をしていた顔見知りのおばあさん――たしか、去年の移民団で村に来た青木さん――に詰め寄った。


「あら、桜さん。戻ったのね」

「あ、あのっ! 村長が運び込まれたって聞いたんですけど!」

「大丈夫だから、落ち着いて。今、先生方がちゃぁんと対応していますからね」


 そう言って青木さんは、目の前の端末を器用に操作し、マイクに向かって話し始めた。


「受付に阿佐見様がいらっしゃいました」


 しばらくすると、奥から看護師長の尾崎さんが現れた。尾崎さんは、尾崎農業チーム長の奥さんだ。


「桜さん、こちらへどうぞ。みなさんも」


 尾崎さんの指示で、私とヴァレリーズさん、途中で合流した田山さんが、病院の奥へと入っていく。グ・エンとゴダは、自衛隊員にお願いして宿泊施設に案内してもらった。


「詩は、大丈夫なんですか?」


 歩きながら、尾崎さんの背中に問いかける。


「それは……」

「あぁぁ、アサミさん!」


 尾崎さんの返事を聞く前に、私を呼ぶ声が聞こえた。ダニー君だ。彼は、処置室の前で待っていたらしい。


「アサミさん、彼女が急に倒れて、ボクはもう、どうしていいか!」

「落ち着いて、ダニー君。迫田さん、状況を教えてください」


 私は、ダニー君の後ろにいた迫田さんに聞いた。


「例の二人の受入体勢について打ち合わせしていたんだが、音川さんが急に具合が悪くなってね。今、巳谷先生と産科の水原先生が見てくれているよ。予定より少し早いようだね。

これは気休めかも知れないが、魔導宮から来られた方々も別室で精霊に祈りを捧げてくれている。魔法が必要な状況になったら、手伝ってもらう予定だ。あぁ、ヴァレリーズ師、貴方にも手伝ってもらいたい」

「もちろん、私にできることがあれば」


 私たちが異界ここに来る以前から、妊娠・出産は当然あったわけで。確かな統計があるわけじゃないけれど、医療技術を魔法でカバーしていたのかも知れない。でもヴァレリーズさんは、巳谷先生から衛生管理の基礎知識についてレクチャーを受けているから、信仰に頼るだけじゃない。最近は、医療に使えるような魔法の構築も検討しているとかで、魔導宮の人たちにも教えて王国の医療に利用しているそうだ。役に立ってくれる、はず。


「倒れてから、どのくらい?」

「二時間程度かな。日本あちらのご両親にも連絡を頼んでいます。すぐに異界こちらへ来ることはできないかも知れませんが……」

「そう、私にできることは……」


 こんな時、当事者とお医者様以外は祈って待つしかない。私は、手を握りしめ、詩と彼女のお腹の中にいる小さな命の安全を祈った。


□□□


 それは、フラッと現れた。


「彼女たちのために、祈りの詩を」


 吟遊詩人ニブラムはいつものように、前触れもなく忽然と私たちの前に現れた。ちらっと時計を見ると、病院ここについてから二時間経っていた。

 ぽろん、とニブラムの指が弦を弾くと、たおやかな音が五月の風のように廊下を駆け抜けた。重苦しい雰囲気が、少し晴れたような気がする。ゆっくりとした旋律にのって、温かい声が広がっていく――。



風よ 木々を揺らす風よ

護っておくれ 新たな命の灯火を

お前が触れるだけで消えそうな

小さな 小さな その灯火を

消さぬように 絶やさぬように


水よ せせらぎを流れる水よ

励ましておくれ 小さき命の煌めきを

お前が映す朝の光にも似た

爽やかで 明るい その光を

消さないように 隠さぬように


大地よ 命育む大地よ

支えておくれ 希望の輝きを

お前が慈しむ者たちと同じく

いつか 共に歩む日を夢見て


世界は お前を待っている

たとえ道の先に困難が 苦しみが待っているとしても

生きる喜び 分かち合える喜びが

お前と手を取り合い 前に進む時を待っている



 ニブラムの詩は続いた。


□□□


「エイメリオの生まれた時を思い出す」


 ヴァレリーズさんはそういって、ダニー君を励ましていた。


「あの時も大変だったが、彼女も彼女の母も無事だったよ」

「オールト師、ボクにできることはあるのでしょうか?」

「男は待つしかできないよ。待ちながら精霊に祈る。そして、子供が生まれた後には精霊に感謝を捧げ、がんばった妻をいたわることだ」


 ダニー君だけじゃない。私たちみんな、祈って待つしかない。それがなんとも歯がゆい。


「阿佐見さん、少し休まれた方がいいですよ。空いている病室を仮眠室として借りましたから」

「ありがとう、迫田さん。でも、ここで待ちたいの」

「……そうですか。でも無理はしないで」

「えぇ」


 そして、指の間から零れ落ちる砂のように、時が私たちを残して過ぎていく――。

 …………

 ……

 …


 ……遠くで泣き声が聞こえた。


 処置室のドアが開いて、緑色の手術着に身を包んだ巳谷先生が現れた。


「おぉ、こんなに大勢で待っていたのかい」

「先生! 妻は、彼女はっ! 子供はっ! 無事なんですかっ!」

「おいおい、ダニーくん、落ち着きなさい。母子共に無事だから、安心しなさい」

「あぁぁ、ありがとうございます! で、どっちですか!」


 子供の性別は、ふたりとも敢えて聞かなかったそうだ。


「女の子だよ」

「おんなのこ……娘、娘なんですね!」


 ダニー君は、床に膝を付きその場で泣き始めた。私も安心したせいか、緊張の糸が切れて倒れそうになってしまった。


「「!」」


 迫田さんとヴァレリーズさんが、両側から支えてくれたので、みっともない格好にならずにすんだ。


「あ、ありがとうございます」


 イケメンふたりに挟まれてちょっと恥ずかしいけれど、おかげで涙を堪えることができた。


「妻には、子供にはいつ、会えますかっ!?」

「音川村長の方は、もう少しだけ、がまんしてくれ。子供は……すぐに会えるよ」


 巳谷先生の言葉通り、詩とダニー君の子供とは、すぐに会えた。でも、保育器に入った状態だ。


「一時は危ない状態だったけれど、今はもう大丈夫。しばらくは保育器に入っていなければならないけれどね」

「この子がボクの……ボクとシラベさんの子供……」


 保育器に入った小さな嬰児みどりごを、ダニー君がケースに齧り付くようにして愛おしそうに見ている。その様子を見て、その場にいた全員が、ほっこりしたムードになった。考えてみれば、この子は私たちの世界と異界この世界の間に生まれた最初の子供なのだ。この子の未来のためにも、私たちは二つの世界を平和にする義務がある。そんな気がした。


□□□


 蓬莱村は、にわかに活気づいていていた。

 もちろん、村に新しい命が誕生したからだ。これまでにも、何人か村の中で生まれている。が、それは異界こちらに移住してきた日本人同士の間で生まれた子供だ。しかし、村長の子供は事情がちがう。日本人である音川詩と異界人であるダニエール・ジョイラントとの間に生まれた子供だ。ふたつの世界の架け橋となるべく運命付けられた子、と言っても間違いではないだろう。もちろん、私もうれしい。


 ダニー君はもちろん、院内で待機していた私や迫田さんは、結局夜を明かしてしまったため、それぞれの寝所で身体を休めることになった。村を運営する主要なメンバーがそんなことになったので、村の活動も休止中……とはならなかった。


「これは、祝うしかないんじゃないか?」


 誰が言い出したのかは分からないが、新たな生命の誕生を祝って宴会が企画された。実のところ、村では娯楽が少ない。日本あちらから映画のソフトは持ち込まれていて、月に何度か上映会が行われていたりするけれど、太陽光発電などに依存している村で、貴重な電力はほとんどが生産に回されている。だから、娯楽と言えば、野外で行われるイベントが多くなる。でも昨年秋の収穫祭は、帝国との和平交渉やその後の内乱騒ぎで規模が縮小され、その後も議員の視察団が起こしたドタバタで、宴会らしい宴会が開催できなかった。要するに、どんなことでもいいから言い訳にして宴会をしたいという村人の、言葉には出さないけれど共通認識が成せるわざ。もはやごうだ。

 

 蓬莱村の宴会は、居酒屋でやる忘年会などとは趣が違う。狭い日本とは違い、ここには広大な土地がある。そこを利用して野外で料理したり、相撲をとったり、歌を歌ったり。一言で言えば、“祭り”なのだ。


 眠い目を擦りながら、私が外に出た時には、宴会――いや、祭りの準備はちゃくちゃくと進んで、今更止めろと言っても引き返せない状況になっていた。その行動力には呆れたけれど、中止させるような野暮なことはしない。というか、それどころではなかった。子供の誕生を聞きつけてやってきたヴェルセン王国国王夫妻の相手をしなければならなかったからだ。


「陛下、よろしいのでしょうか? まつりごとを放っておいて」

「我が息子、ドーネリアスが一手に引き受けてくれておる。我は明日引退しても、国はちゃんと機能するぞ」

「ドーネリアス様も、皇太子として立派になられたということですね」

「あぁ。後は妃じゃな。なかなか良い妃候補が見つからぬ……時に、サクラ。お主――」

「あっ、陛下申し訳ありません。呼ばれたので少し席を外します」


 剣呑、剣呑。その場を逃げ出した私は、コロコロと走り回る小さな機械を見つけた。


「ルート、あなたも来ていたの?」


 車輪での走行が気に入っているらしい。ルートはまだ二輪形態のままだ。


「サクラ。テシュバートで連絡を受けてね、ついさっき到着したところだ。出産に立ち会うことができなかったのは残念だよ。炭素系有機生物きみたちがどのようにして増殖がどのようなものか、私のセンサーで記録しておきたかったのだがね」

「あー、それはいささか面倒なことになるわ。人間わたしたちのナイーブな部分だから。話題に出すときにも慎重にね。人によっては、怒る人もいるから」


異界こちら日本わたしたちが構築したネットワーク上の記録は、あらかた目を通した(彼の場合はセンサーを通したというべき?)彼だったが、ネット上にはない情報もあるのだ。特に、人と人との営みに関しては。以前しつこく聞かれて、赤面しながらも注意した経緯がある。


「ふむ。プライバシーの侵害になりかねないということか? 生殖行動と同様に?」

「そこ! そういうところよ、ルート。人前では話しにくいこともあるのよ」

「ふむ。納得はしかねるが、理解はした」

「私もあなたたちがどんな風にするのか、少し聞いてみたい気がするけれど、敢えて聞かないわ。それがマナー、エチケットってことだもの」


 なかなかに難しい。そう言いながら、ルートは人混みに紛れるように走って行った。あの分では、別の人に聞きに行ったに違いない。たぶん迫田さんね。ご愁傷さま。


「いやぁ~、やっぱり日本のビールは美味うまいのぅ」

「ブロア師、飲みすぎですよ。そんなに飛ばすと、身体に悪いですよ」

「何を言う! きーちゃん、お主も飲め飲め」

「ひーちゃんって……やっぱり、もう酔っていますね」

「まだまだじゃ! まだ焼酎も日本酒も飲んで折らんぞー! どんどん持ってこーい」

「あんた、今日の観測はどうするんだよ……」


 天文台のブロア師ときざはしの会話が聞こえる。異界この世界の住人としては高齢であるブロア師は、天体を自由に観測できる環境と日本から持ち込まれる食料(主にアルコール)のお陰か、以前にも増して元気だ。桜は、アルコール中毒にならなければいいがと心配しているのだが、実は、日本から呼び寄せた階の家族に元気づけられている部分も大きい。彼らもまた、新しい家族なのだ。


「あぁぁっ! 阿佐見さんっ! こんなところにいた、もう、探しましたよ」


 声のした方を向くと、ひょろっとしたスーツ姿の青年が立っていた。音川と同じく国交省から出向中の北村だった。


「あら、北村クンじゃない」

「あら、じゃないですよ、もぅ。音川さんが不在なんだから、阿佐見さんが仕切ってもらわないと」

「ふふ。そうね。で、何か用?」

「あぁぁっ、そうだった!」


 そう聞かれて、北村は慌ててメモを取り出した。


「え~っと、音川さんのご両親が異界こちらにいらっしゃいました」

「良かった。来られたのね」


 音川の両親は音楽家で、世界を飛び回っている。そんな両親の元に生まれて、どうして国交省の官僚になったのか、桜には不思議だった。


「今、上岡一佐が病院の方へご案内しています」

「そう。後で私もご挨拶に行くわ。それから?」

「はい。日本国政府と異界局、DIMOからお祝いの言葉と祝いの品が届いています」

「私が行くとき届ければいい?」

「いえ、すでに手配して病室の方に」


 北村は、官僚としては優秀なのだ。優秀であるが故、詩には秘書の様に使われているのだが、本人も本気では嫌がっていないので、これもまた適材適所だ。


「あと、テレビ局と新聞社から取材依頼が届いています。阿佐見さんの許可があれば、一時滞在で異界こちらまで来るそうですが」

「却下」

「へ?」


 桜の返事が意外なものだったのだろう。北村はあっけにとられた表情を浮かべた。


「全部、断って」

「でも、それは……」

「いいから、全部断って。今日は身内のお祭り。北村クンももう仕事は止めて、詩の子供が誕生したことを祝ってあげて」

「いいんですか?」

「もちろん」


 では、と北村は頭を下げたあと、くるりと背を向け宴会をしている輪の中へと、スーツを脱ぎながら飛び込んでいった。素直な性格なのである。官僚としては、出世しないタイプだが。


 明け方から準備が始まった宴会、改め祭りは、なんとか日が暮れる前に大方の準備を終えたようだ。もう、あちらこちらで乾杯の音が聞こえる。

普段は静かな村も、今日ばかりは大騒ぎだ。古くからいる人も新しく来た人も、日本人も異界人も、生まれた場所や世界が違っても、こうして笑い合える。それは、ひとつの理想郷の姿なのかも知れない。


 ふと空を見上げた。沈みつつある太陽が、空を赤く染め上げ、東側からは夜を告げるかのような濃紺が広がりつつあった。もう、何度も見た風景。日本あちらでも異界こちらでも、吹く風は違っても風景に違いはあまりない。たぶん、明日もあさっても、半年後も同じような風景が現れるのだろう。

 詩の子は、この風景を見て育つのだ。どのような子に育つのだろう。そして、いつか自分も子供を産むのだろうか? 自分の事ながら、まったく想像もできないわ。


 詩の子供だけじゃない。村で生まれた子、これから生まれてくる子供のためにも、平和で安全な世界にしなくちゃいけない。そのためにも、まずは鋭気を養わないと。

 私は、すでに騒ぎが始まっている輪の中へ、足を踏み出した。


□□□


二日後。


 私は病院に、詩を見舞った。詩は、最近きっちりとアップにしていることが多かった黒く長い髪を下ろしていて、窓から差し込む陽光に照らされたその姿が、とても慈愛に満ちた美しさで。私はドアの前に立ったまま、しばらく眺めていた。


「桜、突っ立って何してんのよ。見舞いに来たなら、早く入って」

「あ、え? うん。これ、お見舞いね」

「うわ。ありがとう」


 ちょっと多すぎたかな? でも、村の人たちだけじゃなく、王国や帝国の人たちから託された分もあるしね。それに、すでに病室は、花で一杯だったし。なんだか分からない、木彫りの像もあるわね。なんなの、これ?


「ベルガラム村からの贈り物よ。貴女の領地じゃない」


 あぁ、何ヶ月か前から作っているって言ってたあれか。


「私ね、以前はあまりプレゼントとか興味がなかったのだけれど、今はね、こうやっていろんな人が想いを伝えてくれているのが、とってもうれしいの」

「へぇ。なんか、詩がお母さんみたいな顔している。いや、もうお母さんなんだけど」


 ふふっと笑う顔も、なんだか丸くなったような気がする。


「で、名前は決めたの?」

「えぇ。日本名は音川律。こちらではエルナ・ジョイラント。だから、エルナ・律になるのかな?」


 エルナという名は、ヴェルセン王国のエルスラ王妃からいただいたそうだ。


「そっか。エルナ・律ちゃんのためにも、頑張らなきゃね」

「それなんだけどねぇ。ほら、私しばらく仕事できないでしょ? 良い機会だから、村長を辞退しようと思うの」

「え? 育休制度あるじゃない。大丈夫よ、周りのみんながサポートするから」

「そうじゃなくて」


 苦笑いしながら、しばらくの間を置いて詩は話し出した。


「私が村長になったのは、日本政府の意向によるものよ。だから、私は本当に村の人たちが選んだ人が村長になるべきと思っているの。そのために、関係部署には色々根回ししてきたの。蓬莱村だって、地方自治体だからね。だから、私が村長を辞めて、選挙をするの。蓬莱村最初の村長選挙よ」


 詩、そんなこと考えていたんだ。


「本当の意味での、蓬莱村の自治はまだ少し先になるかも知れないけれど、まずは自分たちで首長を選ぶところから始めないとね。“ザ・ホール”がいつまでも開いているとは、限らないしね」


□□□


 およそ四ヶ月後に行われた村長選挙では、詩が圧倒的な支持を受けて村長に再任した。


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