一念は海を渡る
日本の方は余り影響がない(とは言えないけれど、予算内でなんとか対策の目処がついた)けれど、実際に侵攻される可能性がある帝国はいろいろと慌ただしく。また、王国の方も
「帝国にも調整官を置いて欲しい」
「人選は進んでいるようだが、皇帝がな」
「
仮にも帝国の代表をアレ呼ばわりは不敬罪に当たるかも知れないが、もう、私の中で彼の評価は固まっているのだった。そんな私の言葉にも、ヴァレリーズさんは眉ひとつ動かさなくなった。もう慣れた?
「自分がやると言って聞かないらしい」
「はァ……やれやれ、ですね」
肩をすくめる顔文字があったら、貼っておきたい。
私とヴァレリーズさん、それにグ・エンは、今、テシュバートの商店街を歩いている。たまたまスケジュールの都合が良かったので、私がグ・エンを蓬莱村まで連れて行くことになったのよ。もちろん、陸路でだけど。
グ・エンが、村に行く前に買い物をしたいといったので、私と、私と同じようにたまたまテシュバートに来ていたヴァレリーズさんがお供についてきたというわけ。何しろ大陸に名が轟く大魔導士が一緒なら、こんなに安心なことはない。
テシュバートの南に広がる商店街は、賑わいを見せていた。商店街と言っても私たちが計画して作ったものじゃなく、基地の周りに自然発生的にできたものなので、帝国風の店もあれば王国風の店もある。なぜか、遠藤さんに任せたアイスクリーム店の支店まである。店も雑多なら、人々も雑多だ。
グ・エンのお目当ては、装飾品らしい。彼女の故郷にも装飾品はあるが、帝国風のものとはだいぶ意匠が異なるらしい。彼女はこれまでにも数回外出(もちろん女性自衛官と一緒に)して、目星は付けているらしい。なお、費用は日本政府持ち。情報提供の見返りという名目だ。
そもそも、なぜ彼女を日本が保護するのかといえば、保護の意味合いが大きい。帝国も王国も、日本のやり方は尊重してくれているので、拷問による自白の強要なんてことはしないと思うけれど、帝国だって王国だって一枚岩じゃない。どこかのバカが彼女を攫って暴力的な手段で情報を得ようとしたり、ガ=ダルガとの交渉材料にしたりしないとも限らない。現時点では、蓬莱村が一番安全ということになる。
個人的にも、彼女を知ることで戦争を回避する糸口が見つかるのではないかと、期待している部分もある。
グ・エンは、お目当ての宝飾店でデザインが似た首飾りと手甲を選んだ。手甲といっても戦いで使うようなものではなく、船の上で使うものらしい。漁師さんのゴム手袋みたいなもの? と思ったら違うらしい。
「手を護ることもできるし、ここをこう動かしてやると……ほら、魚の血抜きやうろこ取りにも使えるのよ」
手甲は腕の肘近くまでを覆うもので、その内側を展開すると小型のナイフみたいな器具を握り込むことができるようになっている。いや、これもう立派な武器でしょ。
「でも、それ
「いいの。これはいつか再会できた時に渡すつもりのものだから」
そうか。
「故郷でも、漁業は盛んなの?」
「えぇ。私の氏族は港町を中心に統治しているから。私自身はあまり海には出ないんだけどね」
そうなんだ。あまり海に出ないのに、帝国まで知らせようとしたのね。
「私も、海で魚釣りした経験はないなぁ」
「サクラが魚釣り? それは十分に気をつけないとね。なにしろ南方には、漁師を攻撃してくる魚もいるらしいからな」
どんな魚よ……って、ヴァレリーズさん、笑っているってことは、さては冗談ね。と思っていたら、グ・エンが笑いながら言った。
「そうそう、中でも闘魚は人と同じくらいの大きさで、好戦的な魚なのよねぇ」
いるんだ、そんなの。今度海に出たときには気をつけようっと。
□□□
グ・エンの買い物が終わった後も、通りをブラブラと散策していた。こうやって、ゆっくりと見て歩く機会が中々とれなかったから、売っているものを見るだけでもなんだか楽しい。
しばらくヴァレリーズさんについて歩いていたら、気づいた時には路地裏のようなところに入っていた。近道なのかしら?
「……後を付けられている」
「えっ?」
「振り向かないで。気が付かない振りをするんだ」
付けられている? 全然分からなけど、ヴァレリーズさんの冗談……じゃないよね? いや、冗談じゃない。ヴァレリーズさんは、小さい声で詠唱を始めている。
「……
私が気配に気が付いたのは、黒い影がよぎったからだった。ヴァレリーズさんは、躊躇なく魔法を発動した。魔法の連続発動、さすが四層六位の魔法使い! 壁を利用して上空から私たちを襲おうとした襲撃者は、ヴァレリーズさんが作り出した風の壁に阻まれ、怯んだところを空気のハンマーで地面に叩きつけられた。起き上がろうとしたが、そこは地面がぬかるみ、身体の自由を奪う泥の罠だった。
「くっ……!」
「動くなっ!」
逃れようとする襲撃者をヴァレリーズさんが一喝した。
「動けば、風の刃がお前の喉を掻ききるぞ」
襲撃者が動きを止めた。ヴァレリーズさんの脅しが効いたようだ。さて、私たちを襲うなんてどこの人? 何が目的かしら。今のところ、王国にも帝国にも私を襲っても利益はないし、まして高位の魔法使いであるヴァレリーズさんを狙うのも考えられない。となると、目的はグ・エンか。私は、彼女を背中に庇うように立った。同時に、左腕の
援軍は十分もすれば到着するだろう。少し余裕が襲撃者を観察した。黒い布で覆われた顔から覗く瞳は、力強い光を放っている。服装は帝国の漁民風だけど、着慣れている感じがしない。服から覗く肌は、漁師さんたちと同じように筋肉質だけど。
「覆面を取れ、ゆっくりとだ」
ヴァレリーズさんの言葉に従って、襲撃者がゆっくりと顔を覆っていた布をとった。あれ? 確かに色黒で漁師に見えないこともないけれど、帝国の人と言うより……。
「ゴダ!」
グ・エンが私の背後から飛び出して、襲撃者の下に駆け寄った。
「グ・エン! あぶないから下がって!」
「サクラ! ゴダよ、ゴダなのっ!」
え? お知り合い?
□□□
テシュバート基地には、魔法の影響を受けにくいコンクリート(蓬莱村で使っているアレの改良版)で四方を囲った部屋がある。もちろん、敵対的な魔法使い対策として念のために作ったもの。使うことがなければいいなーと思っていたけれど。
今、その部屋の中央に置かれた椅子には、一人の青年が座っていた。拘束はしていない。グ・エンに頼まれちゃったからねぇ。保安担当の自衛官には文句を言われたけれど、いざとなればヴァレリーズさんもいるしね。
『姓名と所属を』
「ゴダ。ルールーのゴダ。」
そう答える青年の様子を、私たちは別室からモニターしていた。何もない部屋で声がしたときには、彼――ゴダと名乗る彼も驚いていたが、今は落ち着いて見える。グ・エンの声を聞かせたのが良かったかな? 尋問が始まった今、彼女は奥の部屋で待機してもらっている。
「ルールーというのは氏族の名前で、グ・エンの氏族ディナに従属している氏族だそうです」
グ・エンから聞き出した情報を、私は尋問官に伝えた。彼女はコクリと頷いて、再び尋問を始めた。
「我々を襲おうとしたのは、なぜ?」
『お嬢様を救い出すためだ』
「いきなり襲ったのはどうして?」
『お嬢様を救い出すためだ』
やれやれ。
「彼女は我々が保護している。危険はない」
『嘘だ! 帝国とは戦争になる。そうなればグ・エンは殺される』
「彼女は話し合うために来たと言った。君もまず話し合いから始めるべきではなかったのか?」
『グ・エンは優しい。だから戦いを好まない。だが、帝国は違う。この間も自分たちの中で戦っていたではないか。そんな連中に、話が通じるとは思えない』
あれ? ウルジュワーンが叛乱を起こしたこと、この子知っているのね。どうやって知ったのか。こりゃ、
「我々は帝国ではない。日本国である」
『ニホン? 聞いたことがない。下手な嘘をつくな。それより、
内戦の情報は伝わっているのに、
「彼女と会えるかどうかは、君次第だ。どうか協力して欲しい」
『……』
口が堅そうだなと思った青年は、尋問官の巧みな誘導によって少しずつだけれと話し始めた。それによると、彼はグ・エンを追い掛けてここに来たらしい。基地内にグ・エンがいることを知って数日前から張り込んでいたが、今日外出したのを見て好機ととらえ(本人曰く)救出しようとしたのだという。筋は通っているわね。
問題は、本当に彼が彼女を助けようとしているのかということと、どうやって帝国領まで来たのかということだ。前者は、様子を見るしかないけれど、後者に関しては聞き出しておかなければならない。私の差し出したメモを見て、尋問官は頷き通話ボタンを押した。
『ここまで来た方法を教えて』
「それは……船で」
『もっと具体的に話してくれないと、我々はあなたを信用することができないし、信用できない人間をグ・エンに会わせるわけにはいかない』
「ガ=ダルガから船で帝国領の島まで渡った。そこからは、帝国の船で
『一人、ってことはないわよね?』
「全部で六名だ。あいつらとは島で別れた」
つまり、ガ=ダルガ側は帝国にスパイを潜り込ませている訳だ。後で似顔絵を憑くって、エバさんに渡そう。
その後も尋問は続いた。彼と一緒に来た連中は、やはりスパイらしい。帝国人に外見が似ている人間が選ばれるらしい。
彼の出自など、事前にグ・エンから聞いていたことと整合性がとれているし、グ・エンの乗った船が途中で難破し、私たちが助けたことを伝えたら驚いていたから、正直に話してくれているのだろう。ただ、従属氏族とか言っていたけれど、それだけで彼女を追って海を渡るなんて、ちょっと信じられないのよねぇ。
聴取の様子は蓬莱村にも送って、上岡一佐に意見を求めたら、一佐も私と同じように南方から来た青年を信じてもいいだろうという結論になった。ヴァレリーズさんも「構わない」と言ってくれたので、彼を彼女に引き合わせることにした。今後も保安対策は取るけど、ね。
□□□
「ゴダ!」
「お嬢様!」
グ・エンは、彼の姿を見るなりその名前を呼んで、彼の下に駆け寄った。ゴダもまた、彼女の無事を確かめるように、彼女の顔を見て安堵の表情を浮かべた。
「どうして……残って父や母を護ってくれるよう頼んだでしょう?」
「旦那様方は、私の兄弟が命をかけてお守りしております。私はどうしても――」
「――だからといって、あなたが危険を冒す必要はないんです!」
「私は、お嬢様を護ると誓いましたから」
「バカ……」
えーっと。
完全に二人の世界にはいってんなー。おばさん、歯の根元がムズムズしちゃう。
「離ればなれになった恋人同士が、再会を喜びながらも素直になりきれない。うん、いいねぇ。若い人の特権だよ、調整官」
いつのまにか隣に現れた豊崎先生が、私の心を読んだかのように呟いた。
「そうですね。アレを見せられたら、彼らの言っていることも信じられますね」
グ・エンもゴダも、嘘は言っていないと思うし、戦争を回避したいという気持ちも確かなのだろう。けれど、穿った見方をすればそれが
「あの、サクラ、お願いがあるのですが」
「なに?」
「街で購入した、あの手甲をゴダに付けさせたいのです」
あーなるほど。最初から彼へのプレゼントのつもりで買っていたのね。
「いいわよ。ただ、ナイフは外させてもらうわよ?」
「はい、構いません。ありがとうございます」
グ・エンはそういうと、再びゴダの所へ戻っていった。
□□□
テシュバートから蓬莱村へは、私とグ・エンのほかにゴダ、ヴァレリーズさん、陸自隊員数名と、以外に大所帯になってしまった。
陸路で立ち寄る村には、エネルギーステーションを作らせてもらっている。太陽光発電を蓄電するほか、水を電気分解して水素を貯蔵している施設だ。余剰電気は、その村で使ってもらっている。魔法が当たり前にある世界なので、電気の使い道は私たちが寄付した街灯とか製粉機とかそんなもので、大した役には立っていないように思う。街灯は魔石より安く付くらしいけど。ある意味、魔法が参入障壁になっているわけ。日本政府も無理強いするつもりはないけどね。
村のステーションで補給しながら、無事に蓬莱村へ帰ってきた。やっぱりほっとする。と思ったら、帰還早々に事件が待っていた。
「村長が、音川さんが救急搬送されました!」
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