そして、悲劇的で残酷な……
「釣りの……指導?」
必殺技、忍法オウム返し。
ちなみにこれを使うと「ちゃんと人の話聞いてろよ」と怒られることがよくある。
だが、目の前の少女は怒ったふうでもなく、ニッコリと笑って頷いた。
「オッス! よろしくお願いしまっす!」
「つまりそれは……釣りを教えてほしいってこと?」
「オッス! おっしゃる通りであります!」
ここらで平静を取り戻したオレは、あらためて目の前の女の子を観察する。
背はあまり高くない。たぶん百五十台半ばといったところ。
パッチリとした瞳の大きな目はボール遊びをせがむ子犬みたいだし、小さいがすっきりした
しかもスカートから伸びた脚がまた秀逸。肉感的だがムダな脂肪がついている感じではなく、言ってみれば競泳選手のそれのような健康美に溢れていた。
ひとくちに言ってかわいい子だ。
ふたくちに言ってもかなりの美少女で差し支えない。
しかし、何より特筆すべきなのはその胸。
何ですか、それ。バレーボールでも入ってんですかというくらいの見事な
タイトなシルエットのジャケットを内部から押し上げるそのさまは、いやが上にもその恵まれた弾力性を思わせる。
見事です、神様。
今こそ造物主たるあなたの栄光をここに讃えましょう。
「オッス。あの……?」
女の子の戸惑ったような声に、慌てて胸に釘付けになっていた視線をそらす。
「ど、どうでしょうか。ご指導、お願いできますか?」
「ん? ああ、そうだな……」
その時のオレの心の中では、
高校生の男子にとって、量りにかけられるのがこの二つのみならば結果は明白だろう。
本当にこの二つだけならば、だ。
だけどオレはその時忘れていたんだ。
手間とともに、この子の先ほどの奇行と、その言葉遣いが匂わせるリスクを加算すべきだということを。
「まあ、どうしてもというなら教えないこともないけど」
「オ、オッス! ありがとうございます!」
片手を突き上げ、ピョンピョン
「だけどさ」
オレはこのシチュエーションで真っ先に思い浮かぶ疑問を口にした。
「キミみたいな女の子が、なんでまた釣りなんかを覚えたいわけ?」
正直言って釣りなんて、高校生の女の子が興味を持つジャンルとはとうてい思えない。
暑いし、寒いし、汚れるし。しかもミミズやゴカイ、イソメといった、一般的には女性から毛嫌いされる生き物をエサとして使う。
確かに最近じゃCSの釣り専門チャンネルなんかで、若いオネーサンが「釣りガール」とか称して魚を釣ってるのを見かける。だがあんなものは所詮、視聴率稼ぎの客寄せパンダに過ぎないだろう。
現実には女性の釣り人口など、フェラーリの登録台数とどちらが多いか、というくらいなものに違いない。
実際この女の子も、その問いに困ったような顔をしてモジモジしはじめた。
「オ、オッス。それはっすね……」
そう言いながら、女の子が頬を赤らめるのをオレの目は見逃さなかった。
「あ、憧れの先輩がいるフィッシング部に入りたいからっす」
オレのやる気ゲージがいきなり九割くらい減した。
実際のところ、九割五分は減した。
なんだよ、青春恋愛絵巻のワンシーンかよ。
ついさっきまでの自分を見事なまでに棚上げし、内心でふてくされまくる。
はっきり言おう。他人の恋愛沙汰の手伝いくらい気乗りしないものはこの世にない。
彼女いない歴が年齢に等しいこのオレが、なにが悲しくて女の子が他人のモノになる手伝いをせにゃならんのか……。なんかそれ、日々せっせと現金輸送車を運転する貧乏な警備員にも似た悲しさがある。
「ふーん。キミの学校、フィッシング部とかあるんだあ。スゴいねー、どこの学校?」
女の子に好きな男がいると分かって、こちらのモチベーションはダダ下がり。だが、面と向かってそう言うワケにはいかない。
オレは現実から逃避するように、当たり
「オッス! セイワであります。一年D組、
おっそろしく元気いっぱいな自己紹介が返ってきた。昭和の暴走族かね、キミは?
それにしても、セイワ?
なんか聞いたことがあるような気はするけど、あまり印象がない。おおかた中途半端なレベルの私立かなんかだろう。
正直言ってオレ、極端に有名なトップ進学校か、自分の学校に近い偏差値のところしかはっきり名前を覚えてない。
ちなみにオレが通う明林経済大学付属高校は、某有名予備校の模試における合格ボーダー偏差値が四十一だ。一説には、分数の掛け算と“I love you”の和訳さえできれば合格すると言われている。ちなみに“I love you”の訳は「今夜は月が綺麗ですね」でも正解だそうだ。もう、死んでもいいわ。ホント。
「師匠のその制服は、明経大付属ですね。……二年生ですか」
森川と名乗った少女が、オレの胸元の襟章を見つめる。
「お名前は? 師匠のお名前はなんていうんっすか?」
「
はっきり言って、もはや投げやりといってよかった。
そのせいでほぼ無意識に返事をしたが、この時点で盛大なる個人情報開示であることに気づいたのは後になってからだった。
「オッス! ステキなお名前っすね、師匠」
「ねえ。さっきからちょっと気になってたんだけど、その『オッス』とかって……」
「ああ、これはあんまり気にしないでくださいっす。小さいころからのクセなんで」
「クセ?」
照れたように舌をペロリと出す森川さんとやらに、またしても忍法オウム返し。
「オッス。私の家、空手の道場やってるのでそのせいっす……」
空手の道場。
家が、空手の道場。
それはつまり、お父さんが空手の道場主ってことですよね。師範とかで、ものすごく空手が強いってことですよね。素手で
いや、それだけじゃない。お父さんがそんなだったら、きっと……。
「家が空手の道場っていうと、もしかしてキミも?」
「オッス!
危なかった。先に聞いといてよかった。
ヘタに機嫌を損ねたりしたらタダじゃすまないんじゃね、これ。
いくら見た目がかわいいといっても、すでに好きな男がいて、しかも家が道場のカラテガール。
メリットがまったくない。関わるべきじゃなかったかも。
この上は、なんとかお茶を濁して前言撤回できないものか。
「それで師匠、釣りのご指導はいつからして頂けるっすか?」
いきなり逃げ道をふさがれた。
もしや腹のうちを読まれたか? こいつ、実は見た目で男を釣って手玉に取る狡猾な清楚系ビッチか? なんだよ、釣りを教える必要ねえじゃん。むしろオレより
「そうだな。キミの適性とかを見ながらカリキュラムを組もうかなー。ちょっと時間が欲しいから、また日をあらためてね」
「オッス! 了解っす。それではまた後日!」
焦りのあまり思わず口走った出まかせに、なぜか森川という女の子は疑いすら抱かず納得したらしい。
そして自分のママチャリに意気揚々とまたがると、「それでは師匠、今日はこれで失礼するっす!」と言い残し、風のように下流側に向かって走り去って行った。
取り残されたオレは一人ボーゼン。
だが、すぐにあの女の子がこっちの連絡先すら確認せずに去って行ったことに思い至る。
それが意味するところを噛みしめて、オレはホッと胸をなで下ろした。
よかった。
取りあえず面倒ごとを回避できた。
それにしてもあの森川って子、狡猾なビッチどころか、まるきりアタマがお花畑なんじゃなかろうか。
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