第12話

「あ、神様。話は終わりですか?」

「ああ、この恋愛の話は終わりだよ。もう1つ話をしなきゃ恋愛運アップさせられないよ」

「はぁ……」

次の話はこれだ。

これは禅の言葉なんだけど、いや、禅の言葉だったかな?まあ聞いてくれ。おれはね、禅の言葉だと思ったんだ。そうじゃなくて、この言葉は仏教語だったと思うんだ。

でもねえ、「超自然」っていう言葉をどう翻訳するか、むつかしいんだよな。日本語だと……「非科学」とか?うーん、何か変だよな。英語では……やっぱり、超能力って訳すべきか。いや、そんなはずはないんだ! 禅は超能力のことなんて言ってないんだからな。禅では、ただ、心を静めることによって自然に悟ることができるんだって、言っているんだよ。それならね、おれは禅には心がないなんて言うつもりは毛頭ないんだ。あるんだよ、もちろん。でも、悟るのに必要なのは心のありようであって、心の働き方じゃない。

それにね、悟りには二通りあるんだ。一つは、仏さまの教えを聞いて、そのとおりに生きる方法、もう一つは、自分の内に向かってひたすら瞑想する方法。どっちにしても、心の持ちようが変わることではあるけれど、その中身が違う。前者は外からの刺激に対して反応するだけのものでしかないけれど、後者は自分自身の内面を見つめて、そこにあるものを見つけ出す作業なんだ。

だから、悟りを開いた人は、それまで自分が信じていたものとは違う世界が見えてくる。その世界の見方を他人に説明することは難しいし、理解してもらうこともできない。なぜなら、それは、自分の中にあって自分でしか感じられないものだからだ。それを、どうやって人に説明しろっていうんだ? いや、待ってくれよ。説明しなくちゃいけないってことはないんだ。ただ、ぼくはそういう世界を見ているってことだ。

そして、ぼくはそういう世界で生きているんだ。でも、やっぱり、この世の中には、ぼくの言っているようなことは、けっして起こらないんだよ。つまり、ぼくはぼくの宗教観に従って行動しているだけなんだよ。それなのに、まわりにいる人たちは、ぼくのことを『宗教家だ』『宗教狂いだ』って言ってる。まあ、そう言われても仕方がないとは思うけどねえ。宗教っていうのは、人間の心に宿っているものなんだから、宗教家の心の中に宗教観があって当然じゃないか。それなのに、ぼくは、他人の宗教観を否定する権利なんか持っていないと思うんだよね。

ぼくは、自分の信仰を持ってるけど、その信仰は、他の人から強制されるようなものじゃない。ぼくの信仰は、ぼくの心の奥底にあるものだし、ぼく自身にしかわからない。他人にわかるはずはないんだ。そして、ぼくは、自分の信仰を信じている限り、他の人の信仰を否定できないと思う。だから、ぼくは、自分の信仰を人に押し付けたりはしないし、他人の信仰を否定しようとも思ってはいない。でも、もしぼくの信仰を信じてくれない人がいても、ぼくは全然かまわないんだ。ぼくは自分で自分の信仰を守っていく自信があるし、その信仰はぼくの生命の一部になっているんだからね。それに、ぼくは別に、ぼくの信仰を押し付けるつもりもないし、押し付けられることも嫌なんだ。

ところが、ぼくは押し付けられてしまった。しかも、相手は同じクラスの女の子だ。ぼくはこの子が苦手だった。いつも何かにつけてぼくに突っかかってくる。ぼくは、なるべくなら彼女と関わり合いになりたくなかった。ところが、彼女はぼくの信仰に興味を持ったらしく、ぼくにつきまとうようになった。そして、ぼくにしつこく質問してくる。

ぼくは困った。彼女にどう説明したらよいものか、わからなくなったのだ。ぼくは彼女を突き放すつもりで、

「ぼくの考えていることなんて、誰にもわかりっこないよ」

と答えた。すると、彼は、

「そんなことは、知ってる」

と、つまらなそうに言って、立ち去ったのだ。だが、その言葉が、ぼくにはひどく印象的だった。なぜなら、この言葉は、ぼくが「究極の心理」だと信じているものに、ぴったり一致していたからだ。この世の中には、「究極の心理」というものが存在するに違いない。そして、それは人間の心の中に宿っていて、肉体が滅んでも永遠に存続するものだ。……と、ぼくは信じている。いや、信じているというよりも、それを信じたいと願っている。なぜならば、ぼくはそうしたものを信じていたいからなのだ。ぼくは信じたい。ぼくは信じたい。信じさせてほしい。どうか信じさせてくれないか。お願いだよ! 信じたいんだ! 信じたいんだ! ぼくは信じたいんだ!「信じたい」という気持ちが、ぼくにとっては「真実」であり「真理」なのである。ぼくは、自分の信じる「真理」を証明したい。自分の力で証明してみせたい。だから、自分の頭で考えてみる。自分の力の及ぶ限りのところまで、自分の力を尽くして考えてみる。たとえそれが失敗に終ったとしても、ぼくはけっこう満足できるだろう。自分の全存在を賭けて賭けて賭けぬいたのだから。

ところが、世の中には、ぼくのように自分の「真理」を信じようとはせず、ただひたすら他人の言葉を鵜呑みにする人間がいるのだ。こういう人間は、言葉の解釈も自分の都合のいいようにしてしまうから、とんでもない間違いを犯してしまうこともある。たとえば、先日起こったあの事件の場合、ぼくは、被害者である少女達の信仰について述べたけど、あれは「彼女達が犯人に対して、ある意味で絶対的な信頼を抱いていたのではないか」という意味ではない。あれは単に、「犯人は彼女達を殺すつもりだったのに、それを思い留まった」ということを述べたにすぎない。そして、ぼくは、その理由について、次のような説明を付け加えている。

「彼女達は、犯人が自分の命を奪うつもりだと信じて疑わなかったはずだが、その確信は彼女達の信仰から来ているのであり、その信仰は、彼女達の肉体の死によって消え去ってしまうものなのだ。だから、たとえ犯人に殺されても、自分の信仰を失うことはないだろうと考えていたはずである。したがって、彼女達は、自分の信仰を守るために犯人に殺されることを、むしろ喜んで受け入れたのである。」

つまり、この文章では、彼女達の信仰心の強さが強調されており、それ故に彼女達は犯人たちの前で自殺することさえできたのではないかと推測できる。しかし、この解釈は間違っている。なぜならば、彼女達に信仰があったとしても、それが信仰として意識されていたとはかぎらないからである。信仰というのは、あくまで人間の精神の中に宿っているものであり、肉身が死んだ後まで存続するものではない。従って、もし彼女達が本当に自分の信仰を信じていたならば、犯人に殺されたくらいで「自分の信仰を守ることができた」などと考えるはずがないのである。彼女達にとっては、信仰よりも大切なものがあったのであって、信仰を失ったわけではなかったのだ。

つまり、「彼女達は、自分の信仰を守っていた」のではなく、彼女達は信仰を捨てなかっただけの話なのであり、したがって、彼女達は信仰を捨てて自殺したわけではない。そして、信仰を捨てなかったことによって、彼女達は信仰を守り通すことができたのであった。つまり、彼女達にとっては、信仰も愛と同様に、それ自体では何ら特別な価値を持たなかったということである。信仰を守れなかった彼女達は「信仰」という言葉を使わないのは、これが理由である。そして、この「彼女達は、自分の信仰を守って死んだ」という解釈は、おそらく正しいだろう。だが、その解釈は「彼女達は死んでしまった」という事実の方に重点が置かれている。しかし、彼女達は死んではいない。彼女達の魂は、今もなお生き続けているはずである。つまり、彼女達の信仰は死後の世界まで持ち越されたのだ。

しかし、彼女の宗教観について語る前に、私はどうしても言っておかなければならないことがある。それは、私の宗教観についてだ。私にとって宗教とは、何か? その問いに対する答えは、一言で言うならば「科学」ということになるだろう。「宗教は宗教だ!」とか「宗教は哲学の一部だ!」というような考え方は、どうにも納得できないし、受け入れることも難しい。それは、宗教というものの持っている性格と、科学の性格との間に大きな隔たりがあるからだ。

まず第一に、宗教は、何かしら神的なものへの接近を願う心の表われだと言えるでしょう。仏教は仏陀への帰依。キリスト教はイエス・キリストへの信仰。神道は天地万物に対する畏敬の念。このように、宗教には何らかの対象を求める心があるのです。

第二に、神は絶対者であるから、人間は神の前では平等である――という考え方もあります。これなどは、むしろ人間中心主義の最たるものでしょう。人間がいくら偉くなっても、結局は神の前には平伏すしかない。この論理は、人間に優越感を与えます。「おれは神よりも強いんだぞ」などと豪語する人間もいるようです。しかし、そんなことはあり得ない。なぜならば、人間に神を超える力を与えるということは、人間に対して神の権威を否定することになるからです。

第三に、人間には本来自由意志があり、その自由な選択によって、善悪の判断を下すことができるという考え。これも、人間中心主義の極致と言えましょう。

第四に、人間には固有の価値基準というものがあって、それに従って行動するべきだ、という考え方。つまり、人間は社会規範を守るべきであるとか、他人の幸福のために尽くすのが当然だとか、そういうことでしょう。

第五に、人間の心は白紙の状態であり、そこに自分の意思を刻印することによって、初めて個性が生まれる、という考え方。

第六に、人間の行動はすべて無意識的なものであり、意識的に判断するものではない、という考え方。

第七に、人間の理性は本能的欲求の充足を目的とするものであり、そのために自己保存しようとするものである、という考え。

第八に、人間にとって善悪の判断とは、それ自体として存在するものではなく、他のさまざまな行為によって与えられる評価である、という見方。

第九に、人間にとって自由意志とは、人間が自由に選択できる環境を与えられたときにはじめて生じるものであって、生まれつき備わっているわけではない、という説。

第十に、人間は生まれたときから死ぬまで、自分の肉体を支配している自然法則に従うほかはなく、それに逆らうこともできない、という考え方。

第十一に、人間は、肉体の死とともに消滅し、その記憶も、その思い出もすべて消滅する、という考え方。

第十二に、人間にとって死とは何かということは、実は誰も知らないのだ、という考え。

第十三に、人間にとって生きることは、何か目的があって生きているのではなく、ただ生存本能に従っているだけなのだ、という意見。

第十四に、人間の心の中には、目に見えない霊という存在があり、その霊は人間の精神活動に直接関与している、という説。

第十五に、人間の精神には、その精神の働きによって、善悪を判断する力がある、という説。

第十六に、人間には、自分が見たものを見たままに信じるほかに、他人の言葉を信じたり、他人の行動を信じたりする能力がある、という説がある。第十七に、人間は、自分の肉体が滅びても、自分の記憶は消滅せずに残る、という説。

第十八に、人間が信じている宗教は、その宗教の神とはまったく関係のないものである、という説。

第十九に、すべての宗教は、人間の心を迷わせるためのものだ、という説。第二十に、宗教は、人間にとって、何か役にたつものであり得るかどうか、という問題。

第二十一に、人間にとって役に立つのは、科学だけである、という説。

第二十二に、人間にとって役に立つのは、哲学だけである、という説。

第二十三に、人間は、自分の肉体が滅びても、自分の記憶は消滅せずに残る、という説。

第二十四に、人間は、自分が見たものを見たままに信じるほかに、他人の言葉を信じたり、他人の行動を信じたりする能力がある、という説がある。

第二十五に、人間は、自分の精神が滅んでも、自分の心は消えない、という説。

第二十六に、人間は、自分の心が滅んでも、自分の感情は失われない、という説もある。

第二十七に、人間にとって一番大切なことは、自分自身を愛することである、という説。

第二十八に、人間にとって一番大切なのは、愛することではなくて、信じることだ、という説がある。

第二十九に、人間が信じることができるのは、自分が見たものを見たままに信じるほかに、他人の言葉を信じたり、他人の行動を信じたりする能力がある、という説がある。

第三十に、人間にとって一番大切なのは、自分の精神が滅んでも、自分の心は消えない、という説。

第三十一に、人間にとって一番大切なのは、自分の身体が滅びても、自分の肉体は滅びない、という説。

第三十二に、究極の心理は言語表現で言い表わすことはできず、思慮分別を超越したものであり、したがって、それが存在するか否かは、誰も知らない。

第三十三に、しかし、もし存在するならば、それは人間の精神の中に宿っており、しかも、その精神は、人間の生命活動が終わったときに消滅するのではなく、永遠に存続するものである。

第三十四に、つまり、この世に存在するすべてのものは、人間の精神の中に宿っているものによって形作られており、その形は永遠不変である。この意味で、人間は不死だと言える。

第三十五に、人間が人間として存在している限り、この世のすべては、決して無に帰することはない。

第三十六に、よって、この世は絶対不壊の法則に支配されている。

第三十七に、永遠の生命の源泉とは、人間の精神そのものなのだ。

第三十八に、ゆえに、この世界は『現実』ではなく『真実』である。……こんな意味のことを言っているんだな。つまり、究極的な真理は、われわれの心の中にあるのだ、ということだ。

しかし、これって、よく考えると変だよね。だって、人間の精神の中にあったら、それは肉体が滅んでも永遠に存在し続けるものだっていうんなら、なぜ人間は死ななきゃならないんだい? 肉体があるからこそ、心が存在するんじゃないか。ということは、肉体があるから、心を想像することができるんじゃないか。だとしたら、逆に言えば、もし人間に魂があるとすれば、人間には肉体がないはずじゃないか。……こうなると、もう禅問答の世界に逆戻りしちゃうわけだが、しかし、ぼくはこういう考え方は好きじゃない。それにしても、「永遠なるもの」という言葉が出てくるたびに、つい考え込んでしまうのは、やっぱりぼくの信仰の問題なんだろうな。

この話を書いたのは、二月の末ごろだと思う。三月に雪の降ることはめずらしくないが、こんなに降った年は初めてだった。おかげで仕事が山のように溜まって大変だったけれど、まあ、それはそれとして、こうして読み返しているうちに思いあたることがある。一昨日あたり、新聞を見ていて、あの〈死体遺棄事件〉を思い出したのである。この二つの事件は、どこか似ていはしないか……。

というのはね――。第一の事件で被害者となった女性というのは三十歳でOLだったのだが、彼女には親友がいた。名前はMさんといって、彼女は被害者のY子さんの小学校時代の同級生なのだ。

Mさんは、Y子さんとは中学も高校も同じクラスだったという。ところが、二人は仲がよくて、いつも一緒に遊んでいた。ところが、ある日、Mさんは急にY子さんと口をきかなくなってしまった。

「どうしたんだろう? あんなに仲よしだったのに……」と、クラスの女の子たちは不思議に思ったという。そして、その理由は、じきに明らかになったのだ。

Y子さんは、中学校を卒業したあと、ある私立の女子高に入学したのである。ところが、入学式の当日、彼女はその高校の校長先生に呼ばれて、いきなりこう言われたという。

「あなたは、来週からこの学校に来る生徒ではありません。明日は、あなたの家の近くの別の学校に転校するのです」

実は、この学校の校長先生というのが、その昔、Y子さんのお父さんが勤めていた会社の社長の娘であった。それで、社長の命令によって、Y子さんをスパイに仕立てあげることにしたのだという。その目的は、ライバル会社の秘密を探ることであった。そのために、Y子さんはある女の子と一緒になって、その子のふりをして同じ学校に入学したのである。もちろん、その女の子というのは、社長の実の娘である。そして、この二人の女の子は、互いに互いの身代わりとなって、一生懸命勉強し、友達もたくさん作って、楽しい高校生活を送っていたのだが、ある時突然、その秘密はばれてしまった。そこで、二人は別々に別々の学校に追いやられることになったのである。Y子さんは言った。

「わたしには、まだ信じられませんわ。あのK子が、こんなに早く死んでしまうなんて。でも、きっと何かの間違いですわ。あの子は、ほんとうにいい子だったんですもの」

「うん、私も同じ気持ちだ。だが、残念なことに、あの子には持病があった。心臓病という病気だ。しかも、あの子の場合はかなり重いほうだったのだ。それに、あの子はもともと体が弱かった。だから、もう助かる見込みはないと判断したんだよ」

「そんな! いくら何でも早すぎます。あの子はまだ十歳なんですよ!」

「それがどうしたというんだね。わたしはただ、あの子をうちの子として育てると言っているだけだ。何の問題もないではないか」

「問題ならあります! だって、あの子は……」

「だってもあさってもないだろう。君は、自分の子がかわいくないのか? それとも、君は自分の子供さえ愛せない人間なのか?」

「…………」

「あの子のことはあきらめてくれ。わたしはあの子に充分な治療を受けさせてきたつもりだし、あの子もそれを望んでいた。そして、その結果がこれなのだ。仕方あるまい」

「そんな……」

「君はまだ若い。これからいくらでもやり直すことができる。それに君には、結婚を約束している女性がいるだろう。その女性のことも忘れちゃいかんぞ」

「わかりました。でも、最後に一つだけお願いしたいことがあります」

「なんだね?」

「あの子の名前をつけてください。せめてそれだけは、あなたの口から伝えてやってください」

「名前は君が決めなさい」

「わたしがですか? わたしが決めるんですか? わたしがあの子の名付け親になっていいのでしょうか? あの子の名前は、あなたがつけてくださると思っていたのに」

「名前なんてどうだっていいじゃないか」

「よくありません! だって、それは一生の問題ですよ。もし、わたしが名前をつけてしまったら、あなたがつけた名前が、あの子に受け継がれてしまうんですよ」

「それはそうだが……でも、君は『君が決めたら』って言ってくれたじゃないか」

「それはそうですけど……」

「じゃあ、それで決まりだ」

「……わかりました。では、そうします」

「そうしてくれ」

「でも、あの子が女の子だったらよかったのに……」

「そんなこと言われても困る。男の子の名前をつけるわけにはいかないじゃないか」

「それはそうだけど……」

「それにしても、君の名前はきれいだと思うよ」

「ありがとうございます。わたしも、この名前が好きですわ」

「じゃ、ぼくは帰るからね」

「さようなら」

「お休みなさい」

そう言って出て行こうとする彼を、少女の声が呼び止めた。

「あなたも、神様がいらっしゃいますよ」

その男は、少し驚いた様子でふり返ったが、微笑しながら答えた。

「ありがとうございます。実は私も信じています」

「そうですか」

そう言う彼女の口許もかすかにほころんでいる。その笑顔を見て彼は満足そうにうなずく。そのまま、二人の会話はしばらく途切れて――だが。

「そうそう」

思い出したように男が口をひらいた。

「『超自然』とか『神秘』という言葉はよく使われますが、この二つは本質的には同じものだと思うんですよ。だって、科学だって『自然の法則を発見する』という意味では『超自然的』なものだし、芸術だって『自然の法則を表現する』という意味からすれば同じことだからね。ぼくが『神の存在証明』という言葉を使わなかったのは、そういう意味なんです」

「そうですか」

少女は少し首を傾げてから微笑を浮かべてうなずく。

「ええ、そうですよ」

男は満足そうにうなずき返す。

「しかし、ぼくの説には重大な欠点があるんだ。つまり、この世の中には、ぼくの説では説明できないものがたくさんあるってことなんだ。たとえば、この世界には、ぼくの知らない法則がいくらでもあるし、ぼくの理解を超えた力もいっぱいある。そして、そんな力は、まだほんの一部しか発見されていないものなんだ。もし、そのほんの一部の力だけでも解明できたとしたら……」

「あなたは、その力をどう利用するつもりですか?」

「そりゃあ、利用するとも。そんな力が実在することがわかったら、誰だってそれを利用したいと考えるのは当然じゃないか。ところが、ぼくは今まで一度もそんな力に出合ったことがないし、出合う望みもない。そこで、せめてこの世の中に、そんな力を持つ人間がいることだけは証明したいと思ってるんだよ」

「それが、あなたの説の欠陥だとおっしゃるんですか?」

「そうだよ。つまり、ぼくは神様の存在を信じているけれど、ぼくの説では、その神さまは人間の姿をとって地上に現れることはないんだ。つまり、ぼくの言う神さまとは、人間の心の中にある神さまのことなんだ。そして、ぼくは、その神さまのことをできるだけ正確に知りたいと思うんだ。それで、ぼくはいろいろな宗教の書物を読みあさってみた。でも、残念なことに、ぼくが知りたかったことは何一つ書かれていなかった。だから、ぼくは自分で調べることにしたんだ」

「でも、あなたも知ってるとおり、宗教というのはどれもこれも似たり寄ったりですよ」

「そうかもしれない。でも、宗教というのは、もともと同じところから出発しているはずなんだよ。その出発点は同じでも、長い年月の間にさまざまな変化があった。だから、そこには共通性はあっても異質性があるんだ。そこで、ぼくは、この共通性の中から、ぼく自身が納得できるような事実を探し出せばいいと思ったんだ」

「なるほどねえ。すると、あなたの説によると、その神さまは人間の心の中にいるものなんですね?」

「そうさ! それなら、その神さまは、人間の心の中にあって、その人間にだけ見えるんだ」

「その神さまが人間に語りかけるときは、どういうふうにして話しかけてくるんですか?」

「うーん、言葉によることもあるし、そうでない場合もあるね。言葉によっても、テレパシーみたいな形でも話してくるよ」

「あなたはその神さまと会話ができるわけですか?」

「うん。ぼくにはできるよ。でも、その神さまとぼくとは、対等の関係なんだ。ぼくはその神さまに命令はできないし、神さまもぼくの命令を聞く必要はない。ただ、お互いに相手の心を読むことができるというわけだね」

「すると、神は人間の心に宿っていて、人間の心を読めるわけですね」

「そういうことだね。神さまっていうのは、人間の心の中に住んでいるものなんだよ」

「じゃあ、人間は神さまに話しかけたり、話を聞き取ったりするんですね」

「そうだよ。ただし、神さまは人間の話を聞いてくれるとは限らないけどね」

「どういうふうにして、人間と話してくれるんでしょう?」

「いろいろあるよ。たとえば、人間の言葉で言うと、神さまは人間の心に宿っていて、人間の心を読めるわけだね。そして、神さまは相手の心を読んで返事をする。相手も自分の心に宿っている神さまに呼びかけるからね。これを『会話』と呼ぶ人もいる。あるいは『対話』と呼ぶこともある。それから、神さまは人間に語りかけることもできる。その方法は、人間によってさまざまに考えられているようだね。もっとも、たいていの場合は、人間のほうが一方的に話しつづけるんだけれどね」

「すると、神は人間の心の中に住んでいて、人間の言葉を理解できるってことになりますよね」

「そうだよ」

「でも、人間が神様に話しかけることってできないんですか?」

「できるよ。でも、人間は神に話しかけてはいけないことになっているんだ」

「それは、どうしてですか?」

「うーん……。それを説明するためには、まず、人間の心の中の神さまのことを話さなくてはならないね」

「はい」

「人間にはね、みんなそれぞれに、自分の中に神さまがいるんだ。人間っていうのは、自分が知っていることは何でもわかるけれど、自分の知らないことやわからないことについては、全然わかっていないものなんだ。わかることと、わからないことの間に、大きな隔たりがあるんだよ」

「わかりました。それで、その神様は、どういうものなんでしょうか」

「それは、人間によって違っていて、それぞれ個性があるものだから、同じものは存在しないんだ。ただ、どの人間にも共通しているところがあって、それが『言葉』なんだよ」

「言葉で、ですか」

「うん。例えば、人間は『愛』という言葉を知っているよね?」

「はい。知っています」

「でも、本当の意味は知らないと思うんだ。たとえば、君は誰かを愛したことはあるかい?」

「あります」

「その相手と結婚したいと願ったり、あるいは結婚した後も一緒に暮らして行きたいと望んだことはあるかい?」

「ありません。そんなことを考えてもみませんでした」

「それはね、君が無意識のうちに、その人の愛を信じていたからなんだ」

「愛を信じているんですか? わたしが? 信じられません」

「信じるとか信じないとか、そういう問題じゃないよ。君が信じていなくても、相手の方は君を愛している。その証拠に君は彼女の部屋にいたじゃないか」

「はい……」

「そして、彼女は君を愛しているということを、隠そうともしていなかった。それは彼女が君に対して正直だったということだ。君も彼女に嘘をつくことなく、真実を語ったらどうだね? それとも、君は彼女を騙して自分のものにしようとしたのかね?」

「違います! そんなつもりはありません!」

「それなら、君が彼女といっしょにいる理由はないじゃないか。それなのに、君は彼女の部屋に居続けている。君には彼女の部屋を出るだけの理由があったはずなんだがね。君にはそれが何かわかっているはずだ。それを言ってみたまえ」

「…………」

「そうやって黙っているということは、君にはやはり彼女と一緒にいる理由があるわけだ」

「ちがいます!」

「そうかね? じゃあ、君が彼女に好意を抱いているからじゃないのかね? 君も知ってのとおり、彼女は君に対して、とても正直な態度をとっている。彼女があんなに自分に素直になれたのは、君がいるからだ。君がいたからこそ、彼女は本当の自分をさらけ出すことができたのだ。君は彼女のそんな態度を見て、彼女を愛するようになったのではないのかね? そして、君は彼女といっしょにいることによって、彼女のように生きたいと願うようになったのではないのか?」

「違います! そんなことはありません!僕は……」

「まあまあ。君はきっとそう言うと思ったよ」

「それなら、どうしてこんなふうにして僕を引き止めるんですか?」

「ぼくはね、君と彼女との間に、何か特別なものがあるのではないかと思うんだよ」

「何か特別なもの?」

「そう。ぼくはね、この前もそう思ったのだが、君たちはきっとどこか似ているんじゃないかと思うのだ」

「似てるって、どこがですか? 僕はあんな女とは全然ちがいますよ」

「まあ、そう言うだろうと思ったよ。だがね、君たちはとてもよく似ていると思うのだよ」

「そんなことはありません。僕と彼女は、まるっきり正反対の人間ですよ」

「そうかね? それなら、君と彼女が似ていると思う理由を教えてあげよう」

「お願いします」

「いいかね。まず第一に、君と彼女には、とてもよく似たところがある。それは、君も彼女も、自分の心の中に宿っているものを他人に見せないという点だ。君は彼女の前では、いつも冷静な顔をしている。ところが、君は彼女がいないときには、まるで別人のように感情的になったりする。君が彼女のことで怒ったり泣いたりするのは、たいてい彼女がそばにいるときだ。そうだろう? 君は彼女と一緒のときだけ、本当の自分をさらけ出しているんだよ」

「そんなことはないと思いますけど……」

「まあまあ、そうムキになるなって。君の気持ちはよくわかるよ。でもね、考えてごらんよ。もし君が彼女の前で猫を被っているとしたら、どうして彼女は君の前では猫を脱がないんだろうね?」

「……」

「それどころか、彼女にはもっとおかしな点がある。それは、君と二人でいるときにしか現われない性格なんだ。君以外の人間がいるときは、彼女はすごく無口になってしまうんだよ。それこそ、まるで石像になってしまったかのようにね。そして、いったん口を開けば、言葉は機関銃のようになって止まらない。君はそのことを知ってるかい?」

「いえ」

「そうだよね。知ってたら、あんなふうに、ぼくのことを話題にするはずはないもんな。でも、それが彼女の本当の姿なんだよ。そして、ぼくは知っているんだ。彼女がぼくにだけ見せる姿をね。それがどういうものなのかは、君もじきにわかるだろう。君もいつかは、ぼくのように彼女を理解する日が来るかもしれない。でも、そのときはきっと、ぼくよりもずっと彼女を理解してるはずだ。なぜなら、ぼくは彼女にとって特別な存在だからだよ」

彼は、いつも自信たっぷりだ。自分には何の問題もない、と思い込んでいる。

「あの子はちょっと変わってるけど、とても可愛い子なんだ。ぼくは彼女が好きだよ。彼女と一緒にいて、ぼくは楽しい。彼女はぼくの話をちゃんと聞いてくれるし、ぼくの話したことを理解してくれる。ぼくは、彼女と一緒だと安心できるんだ。でも、ぼくが彼女について話していると、君は決まって不機嫌になる。だから、ぼくは君には内緒にしてるんだよ」と、こんな具合にね。

そうそう、君にはぜひ知っておいてもらいたいんだが、

「あの子が変なのは、性格のせいじゃないんだ。あの子の心の中には、何かもっと大きな問題があるんだよ」

と言っていたのが、彼の母親だった。

そう言えば、この前、彼から電話があって、こんなことがあった。

「ねえ、今度うちに遊びに来ないか?」

「今度って?」

「今度の土曜日にどうかなって思ってさ」

「土曜日の午後は駄目なの。用事があるのよ。ごめんなさい。あなたの都合のいいときに誘ってちょうだい」

「そうか、残念だなあ」

「本当にごめんなさい」

「いいよ。じゃ、またね」

「ええ、またね」

次の彼女は、その言葉を聞いていなかった。

「ごめんなさい」

「だからいいってば」

「ごめんなさい!」

「だから、いいって言ってるじゃないか」

「許してくれるまで謝ります!」

「…………」

「だから、あなたが許してくれなくても、わたしは一生懸命に生きていきます!」

「……」

「この先、何度、同じ失敗をしてもいいんです!」

「……」

「いいえ! 二度と失敗しません! 絶対にしません! 絶対に失敗しない女になります! 今すぐなります! 今すぐに!」

「……」

「この世のあらゆる罪も、わたしだけは許します!」

「……」

「わたしは神を信じます! 信じます! 信じます!」

「……」

「わたしには信じられます! 信じます! 信じます!」

「……信じているんです! 信じます! 信じます!」

「………………信じてないの」

「信じているよ」

「本当に信じているんです!」

「疑う余地はない」

「絶対に信じます! 信じます! 信じます!」

「信じてるって、言うんでしょうか?」

こんな風に信じちゃってますって断言すると、「こいつ大丈夫なのかな? 変なことに巻き込まれてないのかな? 騙されてないのかな?」と思ってしまう。

これが普通だと思う。わたしだって、もしこの人たちが詐欺師に騙されていたとしたら、すごく心配してしまうだろうから。それなのに、この人たちは……。そう、この人たちは、本気で言っているんだ。それが信じられなくて……いいんだろうか??? いいのかもしれない……いいんだ。信じる者は救われるっていうもんね。きっといいんだよね?「信じる」っていう言葉には、そういう力があるんだよ。でも、それにしても、こんなにもあっさりと信じてしまうなんて、ちょっと無防備すぎないかしら? と、思って、次のページを見てみた。そこには、こう書いてあった。

「究極の心理は言語表現で言い表せず、思慮分別を超越するものであることは言うまでもない。したがって、われわれ人間は、いかなる場合にも、究極的な真実に到達することはできないし、その唯一の方法は、自己を疑うことである」

……あれれ~~~。なんか、すごい自信たっぷりだ。

「いや、本当にそう思うよ。だから、ぼくはいつも言ってるように、自分が信じているものを信じてるんだ。たとえば、ぼくは、神さまの存在を信じてるけど、それは別に聖書を読んだとか、何かの宗教に入ってるとかいう理由からじゃないんだ。ぼくには神さまがいるって確信しているからなんだ。でも、君のように自分の宗教観念を持っている人は、あまりいないんじゃないかな」

「でも、君がもし死んだら、君はどうするんだい?」

「もちろん、死ぬよ。でも、ぼくはそれまでに、もっとたくさんのことを学んでおきたいんだ。君みたいな宗教観念を持っている人と話をするのは、なかなか面白いからねえ」

「じゃ、君が死んだら、君の死体はどこへ行くと思う?」

「知らないよ。宇宙のどこかにあるんじゃないかい? でも、ぼくはそんなことより、この世の神秘を知りたいんだ。例えば、あの三人組の死体はどこに消えたと思う? あるいは、誰がどうやってあの三人をバラバラにしたと思う?」

「さあてね……。でも、それこそ君の考えるべき問題じゃないか」

「うん、そうだね。でも、ぼくはもうその謎が解けてしまったんだよ」

「本当に? いつの間に?」

「今朝、目が覚めてからだよ」

「まさか! いくら何でも早すぎるよ。ぼくでさえまだわからないのに」

「でも、解けちゃったんだ。昨夜、あの三人はどうやって殺されたのかって考えたら、すぐピンと来たんだ。それで、今朝になって、もう一度考えてみた。そうしたら、やっぱりそうだったよ。あの三人組は、みんなバラバラにされて捨てられていたわけだけど、そのバラバラにされた死体は、それぞれ別の場所にあったわけだ。あの三人の死体があった場所はバラバラだったけれど、死体のあった場所は同じだったんだ。そうすると、どういうことになるか? つまり、あの三人はみんな同じ場所に捨てられたけど、それぞれが別の方法で運ばれてきたということになる。それも、別々の方法でね。その三つの方法とは……」

「ちょっと待ってくれよ。君が喋っている間にコーヒーでも飲ませてくれないか」

「どうぞ」

「ありがとう。しかし、ぼくはコーヒーを飲むより、君の考えを聞きたいな」

「うん。まず第一に、あの三人の死体が発見されたのは、真夜中の三時すぎのことだった。ところが、発見されたのは山の中だけど、あの辺りには民家もたくさんあるし、道路もある。それに、あそこには、あの家以外に建物はないからねえ。そこで、ぼくはこう思ったんだ。つまり、あの三人の死体は、あの家の玄関の前に捨ててあったんじゃないかってね。そして、その時刻になると、あの家は真っ暗になる。だから、あの家の人は誰も気がつかなかったんだ。ところが、そこに死体があるということは、どこかに死体を捨てる場所があったはずだということになる。それでぼくは考えたんだよ。あの家に死体を捨ててもいいような場所はないか?……ってね」

「なるほど」

「すると、すぐに思いついたのが裏庭だった。あそこの窓は全部鎧戸になっているだろう。そして、表の扉はいつも鍵がかけられている。でも、ぼくは、あの裏の勝手口の鍵は開いているんじゃないかと思ったんだ。それでぼくは、その晩のうちに調べに行ったんだけど、やっぱり開いてたよ。ぼくは、あの三人のうちの誰かが夜中にこっそり抜け出してきて、勝手口から入ったに違いないと睨んでいたんだ。ところが、次の日になってみると、今度はあの三人の誰ひとりとして出て行った形跡がないことがわかった。そこでぼくは、これはおかしいぞと思い始めたんだ。つまり、あの三人のうちの一人か二人かは、絶対に外へ逃げ出したはずなんだ。それが見つからないということは、どう考えても不自然じゃないか。しかも、その三人はみんな殺された後だった。これでは、犯人はどこにいるんだ?……というわけさ。そこで、もう一度よく考えたんだけどね。もし犯人がいるとしたら、その犯人はあの三人の中にいたはずだ。ところが、その三人のうち二人は殺されて、あと一人は行方不明になっていた。そして、その最後の一人の消息さえつかめないとなると、その犯人は、あの三人の中ではなく、このぼく自身だということになってしまうじゃないか。つまり、ぼくは自分が犯人だと告白するより仕方がなかったんだよ。ところが、それを正直に言ってしまっては、ぼくのプライドが許さない。それで、ぼくは嘘をつくことにしたのさ。

ところが、ぼくの嘘は、自分で思ってるほどうまくはいかなかったようだ。なぜなら、あの三人のうちの誰かが外に出ていったという事実は、どうしても隠すことができなかったからだ。その事実は、ぼくの推理の前提になっているんだからね。結局、ぼくは諦めることにした。こうなったら、ぼくの嘘をほんとうにしてしまえばいいと思ったんだ。ぼくは、あの三人を全員殺した。そして、その死体をバラバラにした。つまり、三人の女の子を殺して、その三人の肉を食べてしまったというわけだ。でも、ぼくはその罪を、自分の中だけにとどめておくつもりだった。たとえそれが犯罪であっても、ぼくはぼくなりに考えた末のことなんだからね。ところが、どういうわけか、この事件は世間の耳に入ってしまった。ぼくとしては、それについて釈明するつもりはない。ただ、ぼくの信念とぼくの考えかたをわかってくれれば、それで十分だと思う」

それから間もなく、警察がぼくを訪ねてきた。

「君が、この三人を殺した犯人なんだね?」

「そうですよ」

「動機は何かね?」

「それは、あなた方が一番よく知っているはずでしょう?」

「しかし、動機がわからないと、われわれとしても逮捕するわけにいかないんだよ」

「動機なら、ちゃんとありますよ。ただ、それは、ぼくの口からは言えません。ぼくは口が堅いんです。だから、絶対に喋らないと思います。でも、ぼくの考えでは……」

この人は、前にもどこかで聞いたことのあるような言葉を口にしている。

「それじゃ、ぼくは帰らせてもらいます」

この人も、前に会ったことがある気がする。

「いいえ、まだ帰りません。ぼくは、犯人じゃありませんからね」

「でも、あなたにはアリバイがないんでしょう」

「それはそうです。でも、ぼくには犯人でない理由があるんです」

「その理由というのは何ですか?」

「それは、ぼくが被害者たちの顔を知らないからですよ」

「それはどういう意味なんでしょう」「ぼくは、彼女たちの顔も名前も知りません。だから、彼女たちを殺した犯人ではありません」

「ちょっと待ってください」

「ぼくは、彼女たちの名前も知らないし、どこに住んでいるかも知らなかった。ぼくは、彼女たちとは面識がなかったのです」

「それじゃ、あなたが犯人ではない理由にはならないわね」

「ええ、そうですね。しかし、それが理由になります。なぜならば、もしぼくが彼女たちを知っているなら、彼女を殺すはずがないからです。彼女を殺して得をする人間がいるとすれば、それは彼女を殺したいという願望を持った人間だけです」「なるほど……じゃあ、その願望を持つ人間が犯人だと言いたいのね」

「そのとおりです。そこでぼくは、その犯人を捜してみました。すると、その人物は意外なところにいたんです」

「あら、意外だったかしら?」

「ええ、とても。だって彼女は、ぼくと同じ学校に通っていたのですからね」

「同じ学校の生徒だったの? じゃあ、あなたが彼女を殺さなかったということは……」

「はい、ぼくには彼女に殺意を抱くような理由はありません。でも……」

「でも、何?」

「彼女が殺されたことは、ぼくにとって大変なショックだったんです。だからぼくは彼女を殺して、その罪を償おうとしたんです。ぼくが彼女を殺したのは、ぼくの心の中にあった神への祈りのためだと思います。それがぼくの宗教観なんです」

「なるほどねえ……それなら、あなたには彼女の殺害動機があるわけね」

「そう思います」

「すると、あなたが犯人ね。あなたには動機もアリバイもないし……」

「待って下さい! ぼくは犯人ではありません!」

「あら、まだそんなこと言ってるの?あなたには犯行が不可能だってことは、これでハッキリしたでしょう。あなたは、あの夜、ずっと私と一緒にいたじゃないの!」

「ええ、そうですね。でも、ぼくには犯行は不可能じゃありません」

「不可能よ。だって、あの部屋には鍵がかかっていたんだから」

「そうです。あのドアの鍵は内側からは簡単に開きます。ぼくも最初はそう思っていましたが……」

「そうよ。あなたの部屋のドアには、外からも内からも、どちらからでも開けられるようになっていたわ」

「いえ、そうじゃなくて、あの部屋は最初から密室になっていたんです」

「ええっ? そんなはずはないでしょう。あなたの部屋には窓があったし、しかも、その窓から外に出るには、隣の家の屋根の上を伝っていかなければならなかったのよ。とても人間業とは思えないわ」

「そのとおりです。ぼくには人間離れしたところがあって、ぼく自身はその自覚があります。でも、ぼく以外の人間にとっては普通のことです。ぼくにとって不可能なことは、他の人間にとっても不可能だと思いますか?」

「あなた、ひょっとしたら超能力者なのかしら?」

「かもしれません」

「わたし、あなたのこと……」

「待ってください」

「えっ?」

「ぼくには予知能力があるんです」

「まあ!」

「でも、その力は不完全で、未来を完全に見通すことはできません。それでも、ぼくには見えるのです。ぼくがこの部屋を出て行くと、三十分以内に誰かがこの部屋にやって来ます。その人は、この部屋の中を見回しますが、何かを捜しているわけではありません。何かを捜しているように見えるかもしれませんが、捜しているのではないのです。なぜなら、この部屋の中には何もないからです。何かを捜しているのではなくて、何かを捜しているふうに見えるから、ぼくはここへやって来たというだけのことです。この部屋には誰もいなくて、ただ窓だけが開いているという光景が見えています。ぼくはその人の顔も見えて、その人が誰なのかも知っています。その人の名前も知っていて、どこに住んでいるかも知っているし、どういう性格の持ち主かもよくわかっています。でも、ぼくはそのことを口に出して言ってはいけないのです。その人とぼくとは、お互いに知らないふりをして、初対面のように振舞わなければなりません。ぼくは、その人に話しかけてはいけないし、その人もぼくに話しかけたりしません。ぼくたちはお互いの存在を無視しなければならないのです。

その人は、ぼくのことを、ひどく憎んでいるはずです。その人を怒らせるようなことは、何ひとつしてはならないと思います。その人は、ぼくに対して、ひどい仕打ちをするでしょう。でも、ぼくは耐えなければなりません。なぜならば、ぼくにはその人に嫌われなければならない理由があるのです。その理由というのは、とても簡単なことです。その人が、わたしを愛してくれているからです」

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