第3話

人は死んだ後、どうなるのだろう? 天国に行くのだろうか? 地獄へ行くのだろうか? 死後の世界なんて存在しないのだろうか? もし存在するとしたなら、それはどういうものなのだろう? それは、どんなところなのだろうか? 想像もつかないけれど、ただ一つ言えることがあるとすれば、そこには光があって、暖かくて、綺麗な場所だということ。

さて、そろそろこの辺りで終わりにしましょうか。今回はちょっと長かったかな(ようやく終わるんだな……)。

最後にもう一度、言いたいことを言わせてもらいますね(嫌な予感……)。

ぼくはこれまで、たくさんの人と出会いました。そして、いろいろな話をしました。ぼくは今の生活がとても気に入っているので、これが変わるようなことが起こってしまうと嫌だなって思っています。もちろん、そうならないように努力するつもりではありますけど。

皆さんも、ぼくと同じ気持ちであるならばいいですね。

さて、今回は何を話せばよいのかしら?(は?) えーっと、そうだわ、この間、面白い話を聞いたんです。とある国のお坊さんの話なんですけど……って言っても、もちろんフィクションなんだけどね(笑)((笑)じゃねーよ)。

そのお坊さんは、生まれてからずっと、ある山奥の村に住んでいました。彼はそこで一生を終えようと思っていたのです。ところがある日、彼の住む村に、一人の旅人が訪れました。その人は旅の途中、道に迷ってしまって困っていたらしいです。そして、たまたま通りかかった彼に道を尋ねたというわけ。

その旅人の話を聞いて、お坊さんはとても驚きました。なぜなら、彼が訪れた村は、もう何十年も前になくなってしまった場所だったから。そして、その時になって初めて、お坊さんは自分が住んでいる村のことについて知ったのでした。

そして、二人は仲良くなり、一緒に暮らすようになりました。最初はお互いに戸惑うことばかりだったけれど、次第に打ち解け合い、やがて、かけがえのないパートナーとなりました。

ある日のことです。いつものように二人で散歩をしていると、目の前に大きな湖が見えてきました。その湖の水面は鏡面のような輝きを放っており、太陽の光を受けてキラキラと輝いていました。

その光景を見た瞬間、彼女は思わずこう言いました。

「きれいな花には棘がある」という言葉があるが、それは本当にその通りだと思う。美しい薔薇にもトゲはあるし、綺麗な花ほど、その美しさを維持するために多くの努力をしているに違いない」と。

そしてそれは、ぼくら人間の生き方についても同じことが言えると思うのだ。人は誰もが自分のことを特別だと思っている。他人よりも優れていると思っている。そして、その思い込みが、時に大きな悲劇を引き起こすこともある。

例えば、昔、天才と呼ばれた人がいたとする。彼は、その頭脳の明晰さと、芸術的センスの高さ故に、様々な分野で活躍した。しかし、その彼の才能は、やがて衰え始めてしまった。

そこで、人々は言う。ああ、やっぱりあの人は天才だったのだね。と。そして、同時にこう思うのだ。やはり凡人に天才の真似事は無理なのだと。果たしてそうなのだろうか? 確かに、世の中には生まれつきの才能を持った人もいるかもしれない。しかし、全ての人がそうであるとは限らないのではないか? そして、努力次第では、どんなことでもできるようになるのではなかろうか? もし、そうならば……。

さて、このエッセイのタイトルを見て頂くと分かる通り、今回のテーマは"自己啓発本"である。そして、今年に入って、ぼくは自己啓発系の本を立て続けに読んだ。そして、それらの本の中には、非常に興味深い内容のものが数多くあった。

まず、最初に手をつけたのは、やはりこのエッセイ集の続きを書くことだった。しかし、それは、以前考えていたよりも遥かに大変な作業であった。ぼくは、これまでの人生において、常に何かしらの問題に直面してきたし、その都度どうにかこうにか乗り越えてきたのだが、今回の問題はかなり厄介なものだった。というのも、ぼくは、この文章を書き始める前に、自分の内面を整理する必要があったのだ。しかし、これといって特別な理由もなく、突然そう思ったのである。そして、とりあえずやってみることにした。その結果……大変だった。

このエッセイでは、ぼくという人間の内的世界をできるだけ客観的な視点で捉えようとしてきたつもりだった。そして、ぼく自身のことをもっと深く知ろうと考えた。その結果、ぼくは、自分の内面世界と外部の世界との繋がり方についての新たな視点を得ることができたと思う。それは、これまで経験したことのないような新鮮な驚きだった。そして、それは同時に、ぼくがそれまで漠然と感じていた違和感の正体を突き止めることにも繋がった。

例えば、このエッセイの前半部分を読んでもらうと分かる通り、ぼくは、自分自身の体験や思想に基づいて自分のことを書いているはずなのに、何故か、自分の書いた文章が自分のものではないように感じられることがある。それは、ぼく自身について語っているのではなく、誰か他の人について書いているのではないか? といった奇妙な錯覚に陥ってしまうからだ。これは、非常に不思議な感覚だった。何故なら、ぼくが今まで読んできた書物の中には、自分のことを他人であるかのように客観的に書き記したものがあるのだから。例えば、ニーチェの有名な著作の一つである〈ツァラトゥストラ〉の冒頭部分はまさにそんな感じだし、他にも、例えば、ジョージ・オーウェルの〈1984年〉とか、トマス・ホッブスの〈リヴァイアサン〉とかにも、ぼく自身が経験してきたことが書かれているような気がする。ぼくはこれまで、自分なりの考えに基づいて、この世界を眺めてきたつもりだったし、また、そうしなければならないと思っていた。しかし、実際はどうだろうか? ぼくは、自分の人生を振り返ってみて、ぼく自身のことしか語っていないじゃないか! と気づいたのだ。つまり、ぼくは、自分が何を考えて生きてきて、その結果、今のような状況になっているのか? ということについて、ほとんど知らなかった。

ぼくは、ぼくのことをよく知らなければならない。そして、ぼくのことを語る時、ぼくは、ぼく以外の人間のことも語る必要があるのだ。これは、ぼくの友達の話なんだけど、彼は以前、すごく辛い経験をしたことがあるらしい。それは、その人にとってはとても大きな出来事だったわけなのだけれど、しかし、その体験自体は彼にとってそれほど重要ではなかったようだ。というのも、その人は、その体験をしたことによって、それまで漠然としていた自分の人生の目的のようなものを見つけたような気がするからだそうだ。つまり、その人が本当に求めていたのは、辛い過去を乗り越えることではなくて、辛い過去の中にこそ本当の自分を見出すことだったらしい。でも、ぼくの場合、それがどういうものになるのか全く分からない。ただ、それでもいいと思う。なぜなら、ぼくの人生はまだ始まったばかりなんだから。ぼくはこれからも、ゆっくりと時間をかけて成長していくのだろう。

この世の中には、不思議なことがたくさんありますね~。ぼくは、昔からずっと不思議だな~と思っていたことがあるのですが、最近になって、その謎を解くためのヒントのようなものが、少しずつ分かってきたような気がします。例えば、こういうこと。

・ 人間の心は、どこまでを意識と呼んでいいのだろうか?

・ 人間が想像できることは、必ず実現する。

・ 人間は誰でも、他人の心を理解できる。

・ 人間は、他の生物よりも進化した特別な生き物である。

・ 人間は、他の生物より優れた知能を持っている。

これらのことを、どう考えてみればよいのでしょうか? そして、これらが真実だとしたら、ぼくらは何を知れば満足できるのでしょう?……というか、これって、かなり重要なことじゃないですか? うーん…… まだ分からないことだらけですけど。

さて、ここで一つ質問。あなたは、自分が何者か分かりますか?(え、俺に聞いてるの?)……なんていうのは、ちょっと変な質問ですね(聞いてないのか……)。普通は、そんなこと考えることもないでしょうしね。

では逆に考えてみましょう。自分が何者であるかということは、どうやって知るのでしょうか? まぁ、生まれた時に親から名前をもらったりして……とかですか? それも一つの方法かもしれませんけど、でも、そんなのはごくごく一部の例に過ぎないと思いますよ。名前だけで判断するのは無理だと思うのです。

つまり、ぼくらの本当の年齢は誰も知らない。そして、ぼくらも本当の年齢を自覚することができない。そして、ぼくらは本当の自分を知りたいとも思わない。だって、知ったところで意味が無いから。そして、ぼくらは自分という存在を他人に押しつけようとする。そして、ぼくらは自分が正しいと思い込んでいる。

さて、ここから先は、ぼくの考えなんだけど、みんなもちょっと考えてみて欲しい。もし、ぼくが自分の人生における全ての出来事を記憶していたとしたらどうだろう? そして、自分が経験してきた人生の全てを客観的に観察することができたなら? そうすると、そこには、それぞれの人の個性だとか、性格の違いみたいなものは無くなってしまって、ただ単純に一人の人間の人生を追体験することになる。

それはそれで興味深いかもしれないけど、なんだかつまらない気がしない?……まぁ、こればっかりは実際にやってみないと分からないかな。とりあえず、ぼくはこのことについて考えるのをやめることにした。なぜなら、これ以上考えたところで答えなんて出ないと思うから。

ちなみに、ぼくはこれまで自分のことを、どちらかと言えば内向的なタイプだと考えていました。人見知りも激しい方だし、あまり社交的じゃないし、他人と積極的にコミュニケーションを取るのは苦手だった。でも、最近はそうでもないかもしれないと思うようになってきました。確かに人付き合いは得意ではありませんが、それでも以前よりはだいぶマシになったような気がします。これは多分、ぼくの人生観が変わったせいだと思うのです。

少し前までは、世の中は自分を中心に回っていると考えていて、他人のことなんてどうでもいいと思っていたし、また、誰かと話す時でも、相手の話を聞いているフリをして、頭の中では全く別のことを考えていたりしました。でも、今はちょっと違うんです。前よりもずっと真面目に人の話を聞こうとしているし、相手の話にも耳を傾けるようにしています。

以前、ある人から、あなたは変わったねって言われたことがあるけど、その時はピンとこなかった。でも、最近になって、やっとその意味がよく分かったような気がする。つまり、ぼくの考えが変化したのではなくて、今までの考え方だと対応できないことが増えてきたということなのだ。

ぼくは以前から、人間の意識というのは、頭の中にあるんじゃなくて、身体の中にあって、そっちの方が主体になっていると考えていた。そして、それは別に間違ってはいないと思う。だけど、最近はそれだけでは説明できないようなことも色々と出てくるようになった。

例えば、何かを考える時に、最初に考えるのは思考の中心になる部分であって、それがそのまま意識そのものなのかもしれないけど、でも、そうじゃない場合もあるようだ。例えば、ぼくは今、目の前にいるこの人のことをどう思うか? って考えたとする。すると、すぐに心の中に思い浮かぶのは、この人は面白い人だなぁとか、この人と仲良くなりたいとか、あるいは逆に嫌いだとか、そういう感情的なことばかりである。つまり、こういう時は、心の奥底では、本当にぼくが知りたかったこととは別のことを考えていたりするわけなのだ。

これは多分、人間の精神活動というものの性質上仕方のないことで、そして、だからこそ、ぼくはここにこうして書いているのだと思う。

例えば、人間は、誰かのことを考えた時、必ず相手の容姿や性格を思い描くだろう。でも、それだけじゃなくて、相手との関係性や、それによってもたらされるであろう様々な影響についても想像してしまうはずだ。それはとても大事なことだし、時には必要であると言えるだろう。

例えば、もしあなたが自分のことをあまり好きじゃないとしたら、あなたの未来は暗くなるかもしれない。逆に、あなたのことが好きだという人がたくさんいれば、あなたの人生は明るくなるに違いない。でも、人は、自分が嫌いなものをわざわざ意識したりはしない。そして、自分にとって不都合なことが起こった時に、それを他の人の責任にしてしまおうとする傾向があるようだ。つまり、人間というのは、自分が嫌だと思うものについては、なるべく見ないようにして、避けようとする傾向にあるということなのだろう。

しかし、本当にそうなのだろうか? 確かに、世の中には、自分のことを嫌っていたり、あるいは憎んでいる人もいるでしょう。でも、それと同じぐらい、いや、それ以上に多いのが、自分のことが好きで好きでたまらない人なのだ。彼らは、自分の中の矛盾する気持ちを持て余していて、それがストレスとなって、常に苦しんでいたりする。

例えば、こんな話を聞いたことがある。ある男が、いつものように夜遅くまで仕事をしていたのだが、どうしても眠くなってきてしまった。男は仮眠を取ろうと思ったものの、やはり眠れなかった。そこで、彼は仕方なく、仕事を続けることにした。しかし、いくら頑張っても全く捗らない。やがて、彼は諦めて帰宅することにした。すると、不思議なことに、その後、男の頭はスッキリしていて、今まで悩んでいたことが嘘のようだったという。

この話を聞いて、あなたは何を思い浮かべただろうか? まぁ、いろんな解釈の仕方はあると思うけど、ぼくはこの話をこう捉えてみようかな~と。

つまり、こういうことなんですよね~。例えば、もしぼくが自分のことを全く意識せずに生きていたとしたならば、ぼくの人生は、それはそれで面白いものになるかもしれない。でも、もし仮にぼくが、自分の人生の全てを知っていたとするならば、それはそれでつまらない人生になってしまうんじゃないだろうか? まあ、もちろん、そんなことはないという人もいるでしょうけど。でも、ぼくはそう思うわけですよ。

そんなことを考えながら、今日はここまでにしておきます(今度こそ終わりか?)。えーと、この前、久しぶりに昔の友達と会った時なんですけど(うあああああああ!)、彼が妙なことを言い出したんですよ。

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