第二章 肉食
「おっはようございまーす!!ダンさん!!」
快活な声は朝の寝ぼけ眼を開かせる。部屋の戸を叩く音に体を起こし、少女へ軽く挨拶を返すと窓から外を覗く。眩しい日の光を遮るものは無く、快晴の空は平和を運ぶ。そんな普段と変わらない世界はいつも通りに動いている、ただそんな中にふとした違和感が。ざわざわと喧騒には昨日とは違う、どことなく漂う不吉な風が道行く人の間をすり抜ける。
「おはよう、ミリア。」
香花亭の食堂は朝食をとる人がちらほらと見える。テーブルの間を小走りに回り食事を運ぶミリアは、朝から仕事の手伝いに勤しんでいる。
「ダンさん!すぐに朝食運ぶから座っててね。」
奥の席に座って待つ。運ばれてきた朝食は少し硬めのパンに肉野菜のスープ、今朝採れたばかりの野菜で作ったサラダと新鮮な山牛のミルク。簡素な見た目に香る香ばしい匂いは食欲をそそる。
「外が騒がしいな、良くない雰囲気だ。」
ミリアに尋ねる、朝食をとる他の冒険者も何やらそわそわとして落ち着きがない。
「うん、実は昨日の夜ね、、」
疲れた体を休めるため香花亭へと戻ったダンは、静かに眠りについた。城では王女様の回復祝いが盛大に行われ、城中に活気が戻っていた。例年より寒い風が吹いたっ今夜、静かなこの街で事件が起こった。
中央通りから外れた閑静な路地裏、女性の変死体が見つかった。顔の損傷が激しく、身元の分別が出来ない彼女は、本来持つべきものを体に有していなかった。
目玉だ、鼻も耳も、顔を形容するほとんどが彼女の顔には無かったのだ。雑に抉られ、切り取られた場所は乾いた血液がべっとりと張り付いていた。凄惨な現場から見つかったのは犯人と思われる足跡、それに、
「それに僅かな唾液。ミリア厨房に行ってなさい。」
話ながら青ざめていくミリアを奥から出てきたレオンが遮り、中へと連れていく。
「すまんな、まさかそこまで酷な話だとは、」
ダンは頬を掻きながら気まずい顔でレオンへ顔を向けた。溜息をついて対面に座った彼は、どこか疲れた顔で話す
「今朝はどこもその話で持ちきりだ。普通なら見つかるはずのない人の唾液っつう異常な証拠が、この事件を大きくしてる。」
平和で穏やかな街で起きた猟奇的な殺人事件。犯人は何が目的で、顔の一部を奪い去ったのか、そして不可解に残された人間の唾液。
「ギルドに行ってみるよ、話はそれからだ。」
あいつなら何か知っているだろう、ダンは昨日をともにした彼女を思い出した。
混乱の渦は流れを速め、やがて大きくなる。全てを飲み込む巨大で深いそれは中心には、怪物が口を開けて待っている。そんなことは露知らず、彼はギルドへの歩みを進めるのだった。
「ん?おお、昨日ぶりだな悪人狩りのダンナ!」
ギルドの扉を開けると見覚えのある大弓と背格好の男が大きな声で出迎える。
受付のテーブルに寄り掛かる、狩人のディノックは片手を掲げ格好つけた。
「ディノック、だったな。丁度いい話がある。」
横の酒場で話そうと目線をやり、二人は場所を移した。
「話っつうのは例の食人事件、だろ?」
テーブルの上には酒の入ったジョッキが二つ、ディノックは椅子に着くや否や頼んだ酒を豪快に煽る。一気に飲み干したそれを勢いよく置くと、悪戯に笑った。
「食人?犯人は人を喰らう偏食家なのか?」
確かに現場に残された唾液は、人の肉を喰らったという証拠にはなるが、如何せん情報が少なすぎる。
彼の反応から見て、冒険者の中でもその話で持ちきりなのだろう、しかし手間が省けて丁度いい。ダンは今のところ知り得た情報をディノックに話すと、再度酒を頼むディノック。こいつは朝から何杯飲む気なんだか。
「ん-わりぃが俺が知ってんのもそんなところだ。だが一つお前さんが持ってない情報を持っている。ここだけの話だ、居たんだとよ。昨夜の事件の目撃者が。」
体を寄せ小声で話す、誰もが知ることではないのが明らかだ。興味深いそれの続きを促すが、含み顔で笑う彼は手を擦り付けてこちらを伺う。なるほど、情報には対価。そういうことだろう。
「それで、いくら欲しい?」
溜息に混ぜて言うダンは小さい麻袋を取り出す。
「へへ!話が早くて助かるぜダンナ。」
頭を下げて差し出した両手に銀貨を落とす。それを見て口を開けたディノックは小声で枚数を数えた。
「八、九、ってお、おい。これ銀貨が十枚もあるじゃねえか!」
彼は小声でダンに詰め寄る。香花亭の二人に驚かれたから少なくしたのだが、まだ多かったのか、もしくは。
「大銀貨一枚のほうが良かったか?十枚だとかさばるからな。」
「いや銀貨一枚ずつの方が使いやすいから大丈夫だ、ってそうじゃなくてだ!たかが目撃者の情報にこんなもらえねえって!」
替えてやろうかと言うダンの手を慌てて止めると、頭を抑えるディノック。どうやらこれでも多いらしい、大量にある物の扱いというのは、なかなかどうして困ってしまうものだ。
「全く、金銭感覚がくるってやがるぜ。まあいいこれは有り難くもらっておく。それで目撃者のことだが、、」
そうぼやくと十枚の銀貨を大事そうに握りしめ、懐にしまうと肝心な部分を話し始める。
「目撃者の名前はジャック。最近入ったギルド職員でな、奥で事務をしてるんだが気のいい奴だ。お、ほら丁度見えるぜ。」
そう言って受付の方に眼を向ける。ディノックが指した先には、小柄で茶髪の青年が紙束をせっせと運んでいるのが見える。ふらふらとする彼の動きは危なっかしく、力仕事は向いていない。
「本人に聞くのが一番早いだろうよ。あの話はまた今度でいいさ、またゆっくり話そうぜ。」
そう言うと彼はジョッキを煽る。俺の分も飲んでいいぞ、と言うと喜んで両手に掲げた。軽く挨拶して席を立つとジャックに近いた。
「ジャック、であってるか?少し聞きたいことがある。」
「す、すみません遅くなってしまって。ダンさん、ですよね。」
ダンが声をかけてから半刻が過ぎた。仕事が一段落するまで待ってて欲しいと言われ、再度酒場のテーブル席に腰掛ける。仕事を片付けたジャックが足早に駆け寄って頭を下げた。
「いや、仕事中に悪かったな。昨夜のことを聞かせて欲しくてな。」
腰掛けるように促すとダンはそう切り出した。向けられたジャックは深刻な顔をして昨夜の凄惨な記憶を語り始めた。
「昨日は慣れない仕事の始末に追われて帰るのが遅くなったんです。街灯の火がほとんど消え、辺りは真っ暗でした。その暗さに目が慣れてきたころ、細い道の方で女性の悲鳴がしたので近づくと、黒いが外套に身を包んだ男性が女性に覆いかぶさっているのが見えたんです。本来なら助けるべきだったのでしょうが、僕は恐怖に足が竦み声を出さないようにするのに精一杯でした。」
小さい体を震わせながら顔を青ざめるジャック。
「そのまま壁に背をあてて動けないでいると、ぐちゅぐちゅとした水音が聞こえだしました。壁から覗くと、すでに息絶えた女性の上に跨る男性が、一心不乱に何かをしているのが見えて、僅かな空の明かりにナイフが反射したのが見えました。男性は最初に眼を、次に鼻、耳の順に女性の顔から削り取っていくんです。恐ろしくてでも目を離すことは出来なかった。しばらくすると誰かの足音が聞こえその場から逃げ出しました。犯人の顔は見ていませんが、一瞬見えた口元には血が滴っていたような気がします。」
長い語りに終わりが告げられる。顔色を悪くし俯いたジャックは水を一口含んで落ち着いた。彼の話を頭で反芻し、気になったことを聞く。
「ありがとう、しかしずいぶんと詳しく覚えていたな。」
やけにはっきりとした記憶の情景は、まるで今しがた起こったことのように鮮明に語られた。昨夜のことだからはっきりと覚えていても違和感はないが、それでもだ。
「それはもちろん、忘れたくても忘れられませんよ。犯人に気づかれる覚悟で逃げ出すべきでした。」
溜息をついたジャックは後悔するように頭を掻く。落ち込んで下を向く彼は、はっ、と何かに気づいたのか急に顔を上げる。
「思い出しました!顔ではないんですが、犯人はかなり身長が高くて、屈強な体格をしていました。まあ、僕の主観でしかないんですけど、でも間違いはないと思います。」
彼は鼻息荒くそういうと、腰に手を当て自慢気な顔を浮かべた。
「なるほど大体わかった、後は自分で調べてみるよ。」
ダンはお礼にと銀貨を出そうとするが、丁寧に断られてしまう。断固として受け取らない姿勢に手を引っ込める。
「お役に立てたら幸いです!それでは僕も仕事に戻りますね。」
ジャックはそう言うと小走りに受付奥へと消えていった。ギルドの中は昨日と変わらず動いている。ダンは外に出ると、話にあった裏路地へと向かった。
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