第一章 九
帰路での会話は少ない。聞きたいことはあるはずなのに、如何せん重い口は開かない。主な要因としては先ほどの戦いももちろんだが、それ以上にダンが片手に髪の毛を鷲掴みにしている大蛇女の生首だ。しかもそれはまだ息をしている。
「い、痛い痛い。髪が抜けてしまう、」
時折悲し気に呟く頭だけの老蛇、もう蛇とは呼べないその姿は哀れに思えてしまう。黙って歩き続けるダンに痺れを切らしたグラヘムがついに口を開いた。
「本当に王女様はご無事なんだろうな、何かあったらただじゃあ済まないぞ!」
静かな怒りを向ける。それは当然異体同値の呪いの存在は、術者を殺すことが出来ない事こそが今回の最も厄介な要因であったのだ。メリゴールが死んでいないとはいえ、先ほど何の説明もなしに振るわれた一撃は、不安を煽るには大きすぎた。
「そうだった、すまない。異体同値の呪いはもう無くなったから安心しろ。まあ正確にはこいつと姫様の繋がりを断ち切ったわけだ。」
メリゴールを掲げて軽く言う。呪いだけを打ち消す、そんなことは聞いたことは無い。仮にそれが可能であったとしても問題は、
「それでは蛇女が生きている説明にはなっていない、まさかそいつまで不死の身体を持っている、なんて言わないだろう?」
グラヘムはメリゴールを指差す、可哀そうに髪を掴まれた彼女は射殺すように視線を向ける。実際、ミロクと二人では勝ち目が薄い戦いであったのだ、こうして見下されていることは彼女にとって屈辱以外の何ものでもない。
「こいつが?ははっ、冗談だろ。」
嘲笑を浮かべメリゴールと目を合わせる。なぁ、と笑うダンにばつが悪そうに眼を反らした彼女は悔しさを露わにした。
「俺の右刀、肉斬り罪を断つが断絶するのは、名前の通り対象の罪過。不殺の刃は決して命を奪わない。代わりに与えるのは、死ぬことの出来ない不自由さ。」
説明しながら足を止めたダンから、すっと笑みが消える。力を抜いた右手指からメリゴールの髪の毛がすり抜ける。生首の間抜けた声が聞こえ、次の瞬間それは地面へと落下した。
「ぅべえあ!!」
顔面を地に付けた彼女がわーわーと叫んでいるが、土を噛みくぐもった声は伝わらない。
「苦しいか、痛みは感じているか。だがこんなものでは無い、14の少女が味わった苦悩や悲嘆は小さな体に内包するには度が過ぎている。」
みしみしと踏みつける足元から、骨が軋む音に苦痛の唸りが鳴る。怒りは静かに、しかし明確に籠る。誰かのために感情を揺らすなど久しく忘れたものだった。
「楽ではない、許否を問う立場にいない俺の仕事はお前に呪いを解かせれば済む。だが、ここにいるグラヘムや国王、国民達はお前を許すことは無い。」
転がして顔を空に向ける。汚れた顔で歯ぎしりするメリゴールは何か言いたげに口を動かすが、手のない彼女は土を拭うことすらできない。
ダンは無造作に首を拾い、再び歩を進めた。
「殿下、ご無事ですか!」
城に着くや否や、心配と焦燥に駆られグラヘムは真っ先に庭園へと向かう。勢いよく扉を開くと片眼鏡をかけた、帰路に聞いた話だが名をベートという老人が唇に指をあて、お静かにと小声で呟く。ベッド脇には眠るロゼルージュの手を優しく
「おお、戻ったか!」
せっかくベートが沈めたにも関わらず、興奮した王は大きな声で三人の帰りを迎えた。
「皆さんご無事で何よりです。」
その後王の声に目を覚ましたロゼルージュを加え、留守の三人に事の顛末を話す。
ミロクとグラヘムから聞かされるそれはとても信ずることが出来ないような内容ではあったが、二人自身の未だ半信半疑という表情が紛れもない事実であったことを告げていた。
肝心の首はどこにあるのかと聞かれたダンは、部屋の前に置いていた麻袋を持ってくる。ずっしりと重さがあるそれは動きはしないものの中からは不気味な声が聞こえてくる。袋に入れたのは、さすがに生首そのままを姫に見せるわけにはいかないという、ミロクの配慮によるものだ。
「こいつが、姫様を長く苦しめていた呪術師、名をメリゴールという。」
ダンが引っ張りだしたメリゴールには布製の猿轡が嵌められており、五月蠅い口は塞がっている。安心。
「こ奴が、我の大切な孫を、!!」
王はダンの手から奪い去らんばかりに迫るが、ミロクとグラヘムに抑えられる。すでに手も足も出ないどころか無いのだ、全てことが済んだ後煮るなり焼くなり好きにすればいい。
「これから呪いを解かせます、不随の半身も視力も徐々に回復するでしょう。」
ロゼルージュのそばに膝まづくと微笑む、メリゴールの首を落とした男とはとても思えない優しい笑顔。立ち上がると、メリゴールの轡を外し目を合わせる。余計な事をしたらどうなるか分かるか、と目で伝え、ロゼルージュに顔を向かせる。ぶつぶつと恨めし気に吐く老婆はしぶしぶ呪文を解く。
ロゼルージュの身体から蛇が薄れていく。締め付けていた悪魔は哀れに霧散し、幻聴だろうか何処からか聞こえる苦悶の鳴き声は、天井へと吸い込まれて消えていった。
「あ、ああ。」
ベッドに腰掛ける姫の眼から落ちる雫はシーツの色を変える。微かに光が戻ったその瞳はしっかりとダンの方を見ている。
「見えます、本当に少しだけですが、見えています。足の感覚も、体中の痛みも!全部、全部、、」
消え入るように泣き崩れる姫を王とグラヘムが支える。ベートは後ろを向き片眼鏡を拭く、ミロクに至っては姫よりも泣いているのではないだろうか。そんなに泣かれては困惑してしまう。
「ダン様、本当にありがとうございます!死を待つだけの日々に希望が見えました。」
エルキラ一の花は満開の笑顔を咲かせる、これから
「その顔を見ることが出来ただけでも依頼を受けた甲斐がありました。」
これまで見せたことのないような慈愛の笑顔はその場にいるすべての人間を驚かせた。思わず皆黙り込んでしまう。
「うおっほん!報酬は何でもいいとは言ったが、我の孫はやらんぞ?」
沈黙を破った王がジト目で言う。ダメか、なんて冗談めかして返すと王は焦った顔で詰め寄った。
庭園の小屋には一年ぶりの喧噪が戻った。時折涙は流れるがそれは悲しみによるものではない。ダンは外の空気を吸いに外に出ると、夜風に冷える空気が身を引き締める。寒い季節ではないがやはり少し肌寒い。
「行くのか。」
ダンの後に小屋から出てきたのは意外にもグラヘムであった。
「お前が見送りとはな。なに、この国を出るわけじゃあない、たまに顔でも拝みに来るさ。首はベッドの横に置いてある、好きに使ってくれ。」
知り合いだったとは言えそれは過去のこと。それにもはや彼女は咎人の身、かける情けは持ち合わせていない。
「報酬はどうする。陛下からは国宝の中から好きなものを、との伝言を授かっている。」
静かにこの場を去ろうとするダンの背中に声をかける。王族の命を救ったのだ、報酬を渡さないなどということはあってはならない。
「それならもうもらったよ。」
ダンは振り返ることなく手を上げて別れを告げた。長い一日の終わりが訪れる、一年を通して比較的暖かいこの国には珍しい、寒い夜だ。
城下町はいつもより静かで、灯りは少ないそんな夜更け。女の悲鳴が路地裏に響いた。
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