第一章 八

 抜け殻の近くには、最近と思わわれる這いずり跡が森の奥へと続いている。沈み込んだ地面からは、思い巨体で這う姿が容易に想像できるほどだ。

 一層と暗く、影を濃くした森の中は異様に静かで動物の気配を感じられない。三人はさらに進んで行くと、草木が開けた場所に明らかに他とは違った雰囲気を放つ岩窟が目に入る。

 「ここだな。」

 足跡は蛇行しながら中へと続く。時折中から響く呻き声のような音は全員の緊張を本能的に引き出した。

 岩窟の中は深い暗闇に飲まれているかと思われたが、壁に埋まる鉱石が淡い光を放ち奥へと続いている。等間隔の光はまるで獲物を誘う罠のようで、大方この三人はふらふらと迷い込んだ虫というところか。太道を少し進むと鉱石の蒼い光とは違い、暖かいオレンジ色の光が零れてくる。

 近づくにつれ大きくなる不気味な笑い声と、ぼこぼこと湧き上がる水音。

 「ひひひひ!もうすぐだぁ、若さの輝きを、誰もが羨望するあの美貌をこの手に!ひひひ、」

 最奥の部屋に入る。篝火に囲まれた広く質素な部屋、ぽつんと火にかけられた大鍋をかき混ぜる後ろ姿は想像とは違い、黒装束に身を包む年おいた女性だった。

 「大蛇や蛇女、には妄想でも見えんな。」

 グラヘムは何度も目を擦り見直す。言いたいことは分かるが、王の話を思い出せ。ロゼルージュを誑かしたのは紛れもないこの姿。

 彼の声を聴いた聞いた老婆がこちらを振り向く。疣贅いぼのできた長鼻を垂れ下げた醜女は、一瞬顔を歪ませて細い目で睨め付けるがすぐに諂い、ににやにやと笑った。

 

 「こんな場所に要とは。貴殿ら相当な好奇心に憑りつかれているようだのぉ。」

 腰を屈め手を擦り合わせこちらへと近寄る、あまりにも自然な所作にミロクが肩を貸そうとするが、ゴッッという鈍い音を立て、ダンが岩壁の方へと蹴り飛ばした。

 「ダンんんんんっ!?」

 突然のことに驚いたミロクに咳き込むグラヘム。メキッという鈍い音が響いて、小さな老婆にしては重い音が足を伝う。

 「ゲハッ!!うえっ!げほっげほっ、はぁはぁ、」

 びちゃびちゃと血を吐き出して蹲る。キッと見開いて睨む顔には先ほどの笑みなど微塵もない。しかし、途端それを凌ぐ驚愕の表情は睨まれた蛙のようで、唇の震えが全体に広がる。

 「き、貴様ぁ!何故、なぜ、なぁぜえ!こんな所に!!!」

 声帯から絞り出したかすれ声が穴中に響く。人生最大の恐怖に立ち会ったかのうに怯える老婆は、心が凍り付いていく。

 「敬称を忘れたか、メリゴール。往時にお前が天敵と恐れ、平伏し尊敬した男だ。」

 今まで欠片も見せなかった怒気に、グラヘムとミロクは驚くと同時に、静かに、この場を侵食していく確かな殺気が身に刺さるのを感じる。

 苦し気に身を起こす老婆をダンは止めない、それはあまりの実力差うえだろうか。

 「ひ、ひひ!貴様が想像するのは過去の愚物よ!!」

 後悔しろ!!と叫ぶ老婆の身体は膨れ上がる。偽物の足から飛び出す蛇の尻尾が威嚇する。変態する怪物は天井にも届くぐらいに体を伸ばす。上半身だけで二mはあろうかという巨体が頭上から見下ろす。

 「やぁばいねこれは、!」

 三人は地面を激しく叩きつける尻尾を後ろに躱すと岩窟の入り口めがけ来た道を疾走する。

 「逃がしゃしないよぉ!!」

 手あたり次第暴れまわる大蛇女、メリゴールと呼ばれた老蛇は生き埋めにでもさせようというのか、岩壁が崩れ出す。爆音と共に崩れる岩窟からギリギリで抜け出す三人は冷や汗を拭う。

 「はぁはぁ、薄板に成るのは免れたようだな、ふぅー。」

 ミロクが息をつく。ドンッ、再び大きな音を立て重なった岩々が吹き飛び、間からにゅるりと這い出した。


 ダンとメリゴール、敵対する両者の間に流れる不吉な風に他の二人は一歩後ずさる。邪魔をしてはいけない、本能的に悟った二人は切り株に座って傍観を決め込む。

 「全員でかかってくれば良いものを。ひはは!その油断が死を招くとは微塵も考えないその眼が気に入らなかった!!!」

 蛇は小さい脳みそで過去を追う。過ぎた百年、称え続けられた名声を、この男はあっさりと捨て消えた。募る嫉妬に憎しみが心を壊した。

 「お前さえ居なければ、お前さえぇ!!すべて私に浴びせられるはずだったはず!」

 響く怒号、しかしそれを押しつぶす威圧。ひっ、と思わず漏れた怯え声は小さく、下からの圧迫は巨躯を縮こませた。

 「くだらない怨恨に支配されたお前に、救えるものはない。弁えろ。」

 ダンは静かに、右腕を上げる。

 「待て、ダン!そいつを殺せば王女様が、!」

 異体同値の呪い、彼自身が話した恐ろしい呪いがある。メリゴールを殺してはならない。腰を上げた二人だったが、ダンの微笑に抑えられる。


 ぞくぞくと寒気がする、王国最強の戦士と名高いグラヘムをも尻込みさせる。

 「安心しろ、そして魂に刻め。」

 二度と目にかかることはないかも知れないぞ、と言うダン、永久凍土のような無表情はは狩られることが決定した獲物の前には、邪悪過ぎた。


 「にくつみつ」

 ダンの言葉に共鳴した彼の右腕がドロドロと溶ける。液化した腕は地に落ちる前に霧散する。

 死を放つ、濃密な。

 霧がダンの胸の前に集まり、創造する。ドク、ドクと脈動する赤黒い血管が全身に這う。触れた物全ての生を奪うような刀身。左腕に握る刀が、ダン以外の全ての

眼を引きつけて離さない。

 音も無く振るわれた、正しくは認識の外で振るわれたであろう刀は慈悲の欠片も無くメリゴールの首を通る。ぼろっと落ちたその首は次の瞬間には、いつの間に生えたであろうダンの右手に、しかと握られてた。


 「さて、要も済んだことだ。死の淵に立たされたお姫様を救いに行くとしよう。」

 振り返る、轟音で倒れる蛇の身体を背に、何事もなかったかのように笑う。二人は戦慄に飲まれて立ちすくんだ。

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