第一章 三
エルキラ王国。人間以外の他種族への理解と平等な考えを持ち、世界で極々珍しい奴隷廃止国であることから、様々な種族が暮らすとても豊かな、五百年以上の歴史を持つ古い大国である。広大で安全な土地が広がるこの国を治めるエルキラ王は、代々名君と評判高い。軍事の目面でも非常に優秀であり、エルキラに攻め込まんとする国が存在しないほどの抑止力がある。
そんな強国であるにも関わらず、一介の冒険者に依頼が回ってくるということは、公に出来ない、それもおそらく身内関係の問題なのだ。
「王命か。」
ダンの言葉に黙って頷く。ミロク自身断りたいほどの依頼なのであろう、しかしそれは叶わない。王命の無視、それはつまり死を意味する。
「その前に、なぜ俺なんだ?」
率直な疑問として、失敗の許されない依頼をなぜ自分なんかに。つい半刻前にあったばかりの、得体の知れない浮浪者である自分を推薦するのはなぜか。何を知っている。
頭を巡る疑問の解を問うと、不的な笑みを浮かべたミロクは口を開いた。
「悪人狩り、今はそんな通り名で呼ばれているらしいな。」
今は。含んだ言い方に引っかかるが、本意じゃあないがなと相槌を打つ。すると彼女は予期せぬ言葉を発した。
「ダン・ルガルゼーナ。捨てた名か?」
瞬間、空気が裂ける音がする。まぎれもなく幻聴ではあるがそれほどまでの威圧感。あふれるような冷や汗と、詰まる空気に息を飲む。
「どこでそれを。」
先ほどまでの穏やかな表情は、鉄のような冷たい表情に殺される。虚ろに笑い問いかけるのは別人のようで、恐怖が応接室を覆い始めた。
「す、すまない。人伝に聞いたことがあってな。無神経だった、忘れてくれ。」
苦渋に染まった表情で言うミロクの言葉に、悪いことをしたと我に返る。弛緩した空気に、ふうーと長い溜息を吐いた彼女の顔には安堵の表情が戻った。
「いや驚いただけだ、すまない。」
今度はダンが頭を下げる。驚いてあれだけの威圧感を出されては堪ったものでは無い。ミロクは二度と先ほどのことは口にしないと誓った。
「依頼の件、受けよう」
しばしの沈黙、破ったのは瞑想していたダン。
「本当か、」
突然の言葉に彼女は思わず立ち上がる。今すぐ手を高らかに挙げて、大いに喜びたいが、ぐっと我慢し腰を下ろす。
「ああ、ただし条件がある。」
依頼を受けてもらえるのであれば、どんな報酬でっも用意する気であったミロクは、なんでも来いと構えた。褒美金はいくらでもというが、金はいらないと断られる。
「報酬は、王から直接頂きたい。」
それは、、私の一存では決められないな。と返すが、交渉も条件のうちだと流されてしまう。またもや大きくため息を吐いたミロクは困り顔で下を向いた。
「早速か。」
依頼を受けることが決定したからには足踏みしている理由はないと、ミロクは浮足立って応接室を飛び出した。
裏口からギルドを出た二人は、城への道を行く。活気づく街の民は君主の抱える悩みなど露知らず、朗らかに暮らしている。
「ギルド長として数十年この国を見てきた、大きな戦争もなく平和な毎日が続いている。良し悪しは分からんが、民の危機感は薄れている。そんな中王族にもしものことがあったら、考えたくはないがな。」
半歩前を歩くミロクは立ち止まり、こちらを振り向く。辺りを走り回る子供は楽し気に、反面彼女は悲し気な笑顔で言った。
「お前いったい、いくつなんだ。」
つぶやいたこちらを鬼のような顔で睨む。すぐにあきれるように息を吐くと、
「全く、空気を読むということを知らないのかね。」
そう言うと何も言わず先に行ってしまう。数歩進んで振り返ると、早く来いと手招きした。並んで歩き始めると、軽く横っ腹を小突かれる。先に見える城への道程はまだ少し遠い。
円状に
感慨深く呆けているのは城門、守衛前。二人は身分確認のために足止められていた。
「ギルド長のミロク様ですね、確認が取れました、どうぞ中へ。そちらの方は、」
若い守衛がダンを見る。
「風貌は怪しげだが、王に害をなすような輩では無い。案ずるな。」
怪しい、少し引っ掛かりは覚えるが良しとしよう。
案内されるがまま謁見の間へと向かう。優美な庭に綺麗な装飾品の数々、あまりきょろきょろするな、と彼女に叱られてしまったので大人しく後を付いて行く。
「陛下の御前です、くれぐれも失礼の無いように。」
謁見の間の重い扉が開く。足元に敷かれた赤い絨毯は直線に延び、大きな窓から入る日の光に照らされる。ミロクに続きゆっくりと歩く。数段上の王座の前に悠然と立つ、ひげを蓄えた老人。威厳ある顔つきに、年齢に見合わない屈強な体格。隣には帯剣を許された近衛の戦士に、片眼鏡をかけた男性は、謁見する二人をレンズ越しに見据える。
「おお、待っておったぞキサナ。」
ひげを撫ぜながら目を見開く老人は、現エルキラ国王その人。待ち兼ねたと言わんばかりに足早に階段を下ると、跪こうとするのを制するとミロクの眼前に迫る。
「キサナ、お前のあだ名か?」
ささやき声でダンは彼女に尋ねるが、家名だと小声で怒られる。
「お待たせして申し訳ございません、陛下。これ以上にない、最適な者を連れてまいりました。」
そう言ってダンの背中を押し出すミロク。渋々名乗ろうとしたダンだが、眼を見開いたエルキラ王が制する。
「名乗らずとも分かるわい。救国の英雄と称えられたお主が、今じゃ悪党退治か。」
救国の英雄、その言葉は場を凍り付かせるには十分すぎた。
「陛下お言葉ですが、救国の英雄が存在したのは三百余年も過去の話、信用に値するとは到底、救国の英雄は既に歴史の海へと溶けた過去の存在です!」
話を遮るように割り込んだのは後方に控え、たった今まで黙っていた近衛の戦士。筋骨隆々な肉体は武骨な鎧を盛り上げる。
しかしこの男の言うことは全く持ってその通り。三百年以上前、国の命運を分けた血戦で現エルキラを勝利に導いた戦士がまさに、救国の英雄である。
「お前の言いたいことは分かるぞ、グラヘム。」
しかしな、と一考するように間をおいて重く言葉を発する。
「救国の英雄の名は、ダン・ルガルゼーナ。王家に代々伝わる史実によるかの偉大な戦士は、不老不死の身体を持った最強の男だった。もちろんのこと、比喩や誇張では無い。」
この話を既知のミロクでさえ半信半疑であったため、王から告げられた言葉に表情が強張る。
「今回の依頼、私の愛する家族に関する問題だ。はっきりさせておきたい。」
そう言ったエルキラ王の顔は意外にも疑いの色が濃い、真実は自分の目で見たものにこそ存在すると言わんばかりの力強い眼は、民を、家族を愛する善き王の眼だ。
この男を騙すほど隠したい過去ではない。伏せた目を上げ、言の葉を紡いだ。
「不老不死、か。俺にとってはこんなもの幾度と無く俺を蝕む、忌々しい呪いに過ぎない。ルガルゼーナは、この地に葬った忘却されるべき名だ。あの時の戦争は血が流れすぎた。称賛も敬意も喝采も全て、大勢の仲間や民の血に濡れている。」
追憶する遠い日は、お互いの正義のために命が雨のように、地面へと降り注いでいた。
「あの日だけじゃあない、死ねないというものは辛いもんだ。見送ることしかできないからな。はは、」
自分を嘲るように笑うダンの
そんな顔もするのか。後ろからふと伸ばした手を押さえつけるミロクは息を飲む。それは彼の生きる世界には入れない事を知り、悟っているから。出会って数刻の合間に動いた感情は恋情とは言えない微かなもの。
「ダン・ルガルゼーナはもう死んだ。依頼を受けるのは悪人狩りなんて呼ばれてる、英雄なんて程遠い男だ。それでも良いか?」
気持ちが撫でつけられるには丁度いい時間が過ぎた、王に問う。
「我が半生、十分に生きた。悪魔に魂を売る覚悟をしていたのに比べたら、悪人狩りなど安いものだ。」
悪魔のほうがマシだったかもな。軽口の中交わされる握手は固い。王への態度に対して静かに怒る近衛の戦士に、それを抑えるギルド長。一度も言葉を発さずに静かにほほ笑む片眼鏡の老人らを連れ、王と悪人狩りは問題の現況へと足を向けた。
灰の蛇はうねり、命を這う。
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