第一章 二

 踏み均された道を行き、響く馬蹄の音、お世辞にも心地良い揺れとは言えないが、車内に入る暖かい風と一帯を埋め尽くす緑の匂いが微睡みから深い眠りへと誘う。

 「いい風だ。」

 ふと夢見心地に吐いた言葉が車窓から逃げていく。

 帝国からの道のりは遠く、こうして馬車に揺られているのも早数日。激化する戦争から遠のくため道を急いだが、国境を越えたこの国は、隣国の殺伐とした雰囲気とは大きく違い穏やかだ。目指すは大国エルキラの首都、貿易の中心地であり大勢の人や物が行き交う、大きな都市では珍しく治安が良いと噂の場所だ。

 「旦那、見えてきましたぜ」

 背中越しに話す御者の大きな声で目が覚め、車窓から体を覗かせてみると、未だ遠くではあるが、高い防壁が見える。強い風が真白い髪を吹き上げる。

 「はは、やっとか。」

 白皙はくせきの男は、寝起きに少し上気した頬ではにかみながら声高に言った。



 街に入り、笑顔の眩しい御者のおやじと別れる。日が高く昇る時間帯、活気溢れる人の群れは大路地から延びる細い道にまでも続いてる。

 あてもなく彷徨っているからだろうか、露店の店主や買い物袋を抱えた母娘らからの視線が刺さる。店に入るでも、外に陳列された商品を物色するでもなくうろうろとしているのだ、目立って仕方ないのは当然だ。

 静かに、なるべく目立たないように退散しようと歩を進めたそんな折、服の裾を引かれる感触。

 「おにーさん、迷子?」

 おっと失敬な、と振り向くと赤髪の少女が笑顔でこちらを覗き込むように見ていた。

 成人前であろう身軽そうな体躯に髪と同じ紅玉のように綺麗な眼をした女の子は、好気的な表情を浮かばせ澄んだ瞳でこちらを見つめる。人の往来の激しい道中に少女が一人、見たところスラムの出ではないことは分かるが、少し危機感を持ったほうが良い、なんて脳内分析をしていると、

 「おにーさんもしかして変な人??」

 掴んだ裾を離し、両手で肩を抱きこみ二、三後退ると妙ちくりんな事を言い出した。

 軽く咳払い、膝を折って目線を合わせる。

 「嬢ちゃん、迷子かい?飴ちゃんいる??」

 決まった。少し警戒されていようと万面に笑顔を貼り付け、かつ女の子を落とすための最終兵器飴ちゃん。この戦法で攻略し損なったことはない。というのは本人談だが、言葉面だけでみると不審者側であることは間違いない。

 「ふふ、なんか笑った顔がおばあちゃんみたい。変な人だけど、悪い人じゃないみたいだね。」

 肩をすくめて笑う少女はそう言うと近づいて、花のような笑顔を咲かせる。

 いいのかそれで、と自分で言ってはおきながらも心配になる。これは無事に家まで届けないと、なんて急な使命感に駆られるのは必然で摂理だ。そう言葉をかけようとするが、軽く手を打つ音に遮られてしまう。

 「困ってる?そうだ、この街の案内してあげる。あたしミリア、この辺は詳しいからおまかせあれ。迷子のおにーさんのお名前は?」

 あのね、迷子じゃないんだよ、なんて相槌は快活な語調と素敵な笑顔に吹き飛ばされ、虚空に吐き出された。

 「ダンだ。ダンおにいちゃんでも、ダンにいさんでも好きなように呼んでくれ。」

 決め顔の自称おにいさんは、先ほどのおばあちゃん笑顔を向け語り掛ける。若干引いてる気がしないでもないが気にするほど小さい男じゃあない。

 「ね、分かった。じゃあ早速行こ、時間がもったいない。」

 そう明るく言って返すと、変わってしっかりと手を引いて歩きだす。笑顔は変わらずに導く足取りは踊り手のようで、楽しそうだ。小走りの少女と手を引かれる白髪の男。街歩く人々の眼にどう映っているのか、全ては分からないが少なくとも悪くはないだろう。

 ぽつぽつと咲く笑顔を、照らすように走るミリアを見ていると、太陽に眩むようで、無意識に目を細めてしまった。


 「ほら、ダンおにいちゃん。言ってみて、ダン

 小走りを止め、歩みを止めるミリア。小さな手に込めれた力では無いような強い意志で、言葉が遮られる。

 「??」

 有無言わせぬような微笑みが顔を刺す。「ひぇぇ」

 空気とともに漏れた言葉はひどく弱弱しく二の句も震えている。

 「行きましょうか、ミリア、」

 威圧されたわけでは無い、なんとなくそう呼ばないといけない気がしただけだった。

 「もう、まったく。元気出していこ、ダンさん。」

 優しく落ち着けるような調子で、再び手を引き歩きだす。まるで姪と遊ぶために気合を入れすぎて、空回りしてしまった叔父が慰められているようで、微笑ましい。合って間もないのにも関わらず、打ち解け始めた二人は並んで歩き始めた。



 「ここはね、銅像ひろばって呼ばれているの。」

 連れてこられたのは道が収束する開けた場所。広場の真ん中で湧き上がる噴水が中心の銅像を着飾っている。この国の偉人であろうか、仰け反る馬に跨り、つるぎを高らかに掲げた男は、余程に美化されているであろう精悍せいかんな顔立ちをしている。

 「これはどんな人を表した銅像なんだ?」

 街の象徴ともなる人間だ、さぞ立派で偉大なお人だったのだろう。と水を向けるが如何せんミリアの反応は芳しくない。

 「えーっとね、むかーしにこの国を助けてくれた英雄さん、だったかな。」

 えへへ、と恥ずかしがるように口元を覆いながら言う少女は、自分の無知を許してもらえるようにか、上目配せをする。かわいい。なんて口から少し零れたが気づかれていないだろう。

 「まあこの街、いてはこの国の象徴であることは確かなんだ。これから知っていけばいい。」

 格好つけて、偉そうに言ってやる。願わくば、戦争での英雄などこれから先出ない世の中であればいいのだ。武力による制圧がどれほど惨めで醜いことであるかは身に染みて知っている。穏やかで陽気なこの日、時同じくして隣国では惨い交渉が繰り広げられている。それを知る必要はない。

 「どうしたの?」

 感慨に耽っていたところ、両手を包む温かく柔らかな感触。その体温が元の世界へと引き戻してくれる。

 「すこし休憩しよっか。」

 ミリアは笑って、噴水を背にした長椅子へと誘う。

 ああ、と相槌を打ってすぐ鼻を刺激する香ばしくとても惹かれる匂い。どうやら近くの露店で串焼きを売っているようだ。ミリアも気づいたのか羨まし気に口を開ける。眼を輝かせながら今にもよだれが垂れそうな口を抑えている。

 「食べるか。」

  その言葉を皮切りに、露店へ向かい風のように奔っていってしまった。


 「二本くださいな。」

 注文して出てきたのは、タレが太陽に反射して艶を持った串焼き。お礼の余韻も冷めないうちに二人は串へとかぶりついた。

 「ひあわへぇ。」

 口いっぱいに肉を含み、口の周りにはタレが少し。膨らんだ頬で幸せそうに目を瞑るミリアに店主もご機嫌そうだ。

 「おー、言い食べっぷりだねえ。嬢ちゃん見た客がこぞって買いに来そうだよ。ほれ、おまけにもう一本。」

 豪快に笑う店主から出来立ての串焼きを受け取り別れを告げ、ミリアを見た人々が続々と集まりだした串焼き店を後にする。


 「お腹もいっぱいになったし、他の場所を案内するね!」

 食後の休憩を挟んで、ミリアとの街中探索を再開する。服屋に雑貨屋、青果店では両手に麻袋を持った女性で賑わっている。防具や武器を取り揃えた店が並ぶ道には帯剣する冒険者らしき人々が行き交っている。ゆったりと四方を見渡しながら、ミリアに手を引かれるまま歩いていると、彼女はふと足を止めた。

 「ここがこの街のギルドだよ。」

 壮観な見た目の建物は歴史を感じさせる佇まいでこちらを見下ろす。大まかにギルドと略称されてはいるが、商人・薬師・魔法士・冒険者などに枝分かれしており、世界中に広く浸透した巨大組織である。

 「あたしは成人したら商人になるんだ、家の仕事を継ぐの。」

 楽しみ、とはにかんでいう華奢な少女は確かに冒険者には似合わない。その細腕で剣を振るうところを想像するのは無理がある。いや、その小さく身軽な体を生かした盗賊娘、悪くないかも。なんて想像も見抜かれたか、膨れ顔で小突かれる。

 「むー、ちょっとえっちな顔してた。」

 ぷいとむくれて、恥ずかし気にそっぽを向く少女は少し嬉しそうで、それに気づかれたことに赤面する。

 「もう、次いこ!」

 引く手の温度は高い。それでも離さないのは悪く思われていない証拠だろう。しばらく無言で通りを行く、行先を聞いても微笑んで内緒、とはぐらかすばかり。

 「ついたよ。」

 足を止めたのは、綺麗な外観、花壇には色とりどりの花が並ぶ建物の前。洒落た看板に「香花亭こうかてい」の文字。宿屋のようだ。名前の通り店先の花の匂いは疲弊した客を、魅せられた蝶の如く惹きつける。

 「ただいま、おとうさん。お客さんだよ。」

 勢いよく扉を開いたミリアは元気に挨拶する、店の奥からは野太く通る大きな声。厨房から顔を出したお父さんと呼ばれる大きな男は、ミリアとは異なり茶褐色の髪色に立派な口ひげの豪快な男だった。

 「おう、これはまたいい男を拾ってきたもんだ。俺はレオン、こいつの父親だ。」

 大きく口を開いて笑う男は、分厚い手でミリアの頭を優しく撫でる。誰もが一目見て宿屋の店主とは思わないであろう体躯に、張ったエプロンがいじめられている。

 「ダンだ。捨て犬じゃあ無い。」

 決め顔でおどけて見せる。誰に飼われるわけでもない、そして捨てられることもない、と脳内で格好つけてはみたが、

 「でも、初めて見た時は雨にぬれた子犬みたいだったよ。」

 かわいく首を傾げながら、純粋な眼で見つめるミリアは、にやけ顔を抑えてぴくぴくと口元を引きつらせる。こいつ、確信犯だ。

 「はっはっは、まあいいじゃねえか。で、うちの宿に泊まるかい?特別に安くしておくよ。」

 なるほど商売上手なことだ、街中の案内、探索に加え疲れた体を癒すために宿屋へと誘う。旦那、お宅の娘さんは強かに育っていますよ。ふとミリアに眼を向けると、えへへと舌を出して悪戯に笑う。

 「それじゃあ、これで泊まれる分だけ世話になるよ。あと、ミリアも案内ありがとうな。」

 そう言って、レオンとミリアに一枚ずつ金貨を渡す。

 「ギルドに行って良い依頼がないか、探してくる。」

 ひらひらと手を振って香花亭を出る。二人はやけに静かで、見送りはない。送り出す声を期待して格好つけた背中が、悲しげで風に吹かれて少し寒い。小さい足取りでギルドへの道を進み始めた。くぅん。



「ちょっとまって!!」

 香花亭の扉を突き破らんと慌てて飛び出してきたミリアは、そう叫ぶと全力でこちらへと疾走してくる。息を切らしながら驚愕の表情で口をパクパクさせながらもこちらの手を力強く握り、香花亭の中へと連れ戻した。

 「どうしたどうした、一旦落ち着け。」

 肩で息をするミリアと、金貨をつまんでじっと見つめるひげ面のレオンを見渡しながら諭すように声をかける。

 「そんな簡単に落ち着けませんよ!何ですかこれ!!」

 勢いよく出された両手には大事そうに乗せられた一枚の金貨。綺麗な装飾が施されている薄板は、小さいながらに重く存在感を露わにしている。

 「ミリアには案内料だ、ここまでに色々教えてもらったからな。遠慮するな。」

 今度はこちらが有無を言わせず受け取らせる。はわわと混乱していたが大事そうに握りしめると、貰うのを了承してくれた。レオンはその間もじっと金貨を眺めていた。

 依頼の待つギルドへ向かう。その先に待つ不穏な風は、未だ肌を撫ぜない。

 

 

 

 

 

 


 

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