第26話 中年男、幽霊母子に自らの作家像を語る


 ところで米河さん、あなたは、小説の続編を書かれていますね? 何か最近、小説に限らず、文章を書くうえで気づかれたことは、ありますか?


 30代にかかって間もないぐらいの風貌の母親が、中年作家に尋ねる。

 その質問に対して、彼はよどみなく答えていく。


 はい。

 小説に限らず、随筆と申しますか、期間を決めて日記風のルポのようなものも書いております。あの永野さんのお眼鏡にかなうだけの文章になっているかどうか、そのあたりの確信は持てませんけれど。これにつきましては、ひとつ面白い例えを思いつきまして、それについて申し上げましょう。

 野球、特にプロ野球においてはですね、この数年来、「試合を作る」という表現が多く見られるようになりました。要するに、先発投手が極端に点数をとられてチームの勝ち目をなくすことなく、勝てる要素を残して規定回数の5回以上を投げて次の投手につないでいくケースをそのように言っておるようです。

 そこにヒントを得ましてね、私共の仕事といたしましても、それをもとに申すならば、ストーリーというか、話を作る、という表現がぴったりなのではないかなと、そんなこと思いましてね。そう考えたら、結構、楽に物語やエッセイと申しますか、随筆でも、わりに楽に書けるようになりましたね。


 もっとも、野球と違って小説などの文章を書く場合、人にあとは任せOKということで済むというわけではないところが違いますけれども、その代わり、試合中に、その日のうちに、といった制約がかかるとは限らない。

 むしろ、そんな制約がかからない分、後に改めて読み直して加筆修正をしていくことで完成度を上げていけます。

 そこは、ある意味、野球ほど厳しくないところかもしれません。

 とにもかくにも、結論を出すのはそうそう急がねばならないことばかりじゃない。

 もちろん、切羽詰まって書かざるを得ないこともありますけれど、それに備えて予め「話を作って」おけば、その期限に向けてきちんと消化していけばいいわけです。

 芸術家というのは締切り間際になってようやくとか、締切オーバーしてなお、などという芸術肌といいますか、傍から見ればデタラメ以外の何物でもないようなことをやって、それこそが芸術だと思って、思わせて余りある人たちもいらっしゃったようですけど、私は、小説を書くと言ってもこれは仕事であり、受注生産のようなものであると捉えておりますので、あくまでも仕事と言いますか、ビジネスの一環ということで、商品生産をしているものと考えて、そういう形で処理しております。


 プロ野球選手や指導者が野球を「仕事」としてやっているのと同じ感覚で、私、文章を書いておるのです。もちろん今私の述べたことが文筆業としてあるべき姿であるとか、それがすべてであるなどというつもりは、ありませんけどね。

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