サタデーナイトは矛盾談義
第15話 サタデーナイトの訪問客
2020(令和2)年5月2日(土)夜 米河清治邸
こんばんは!
土曜日の夜、もう少しで日付が変わる頃合い。
子どもが来るはずのないアパートのドアの向こうから、子どもの声が響く。
作家として執筆作業にいそしむ米河清治氏は、近く出版が決まっている小説の校正中。この日彼は、朝から新型コロナウイルスに伴う特別定額給付金の支給申請をはじめ、各種の給付金や補助金などを調査していた。
しかし、何でまたこんなところにこんな時間に、子どもが・・・?
ドアを開けたら、玄関先には、昭和50年代と思える服装の若い女性と5歳ぐらいの少年が立っている。
「御免下さい、米河さん。お忙しいところ、大変申し訳ありません。ちょっとばかり、失礼してもよろしいでしょうか?」
母親と思しき女性が、丁寧にあいさつする。
「ええ、まあ、どうぞ。私も年で、朝は早く起きられますが、夜は結構、早くに寝入ってしまうものでして。今日も、先ほどから3時間ほど寝入っておって、つい先ほど起き出して、30分ほどこうして仕事にいそしんでおります」
ここで、息子のほうが言葉をつないでいく。
「年、ねぇ。50歳のおっさんが、日曜日の朝はプリキュアを観る、ついては、携帯の電波を切っている。ぼくらが生きていた頃には考えもつかない大人がこうして出来上がってしまったのも、ねぇ。これが現代っ子の行きつくところかぁ・・・」
この5歳の少年は、なぜか、巨人の帽子をかぶっている。
確かにこの中年男性が小学校に入って間もない頃、巨人軍は長嶋茂雄が引退して監督になり、長らく彼の同僚だった王貞治は世界の本塁打王として子どもたちの憧れと尊敬を一身に引受けた。
赤バットの川上哲治以来、巨人軍は少年らの人気を一身に背負うスター選手を欠くことなく供給してきた。今でこそ阪神ファンの米河氏も、王選手にあこがれていた少年の一人だった。
「じゃあ、お邪魔しますね」
母親と息子は、彼が仕事用に借りているワンルームのアパートに入ってきた。
米河氏がこの母子に会ったのは、初めてではない。平成になって間もない頃、当時住んでいた叔父の経営する学習塾兼用の住居で何度か出会い、かれこれ話していた。
あのときの2人は、それこそ戦前、1940年代の母子らしき格好だったのだが、今日はどういうわけか、子どもの頃、それこそ、よつ葉園にいた頃に街中で見かけていた人たちのような格好をしてやってきた。
母子は、アパートに置かれている学習塾や学校などで使う椅子に腰かけた。
対する米河氏は、20年来使っていた肘掛椅子が壊れたのを機に、昨年秋に買ったメッシュ製の肘掛椅子に腰かける。この椅子は、彼が仕事用で購入したもの。目の前の机は、学習塾用のもの。
その上には、本やパソコンとともに、バーボンのボトルとグラスが置かれている。
ビールのジョッキもあるが、それには水がなみなみと注がれている。
本人いわく、それは就寝中の水分補給のための水だとのこと。
「バーボンのボトル・・・。ま、勝手にしやがれ、ってことかな?」
「ジュリー(沢田研二)みたいに、格好よく歌いたいですね(苦笑)」
「何がジュリーだ。近所迷惑だからやめなよ。第一お世辞にも似合わないぞ(笑)」
少年が呆れながら言うのを、中年男は涼しい顔でやり過ごす。
「御無沙汰しています。米河さん、あなたもいいお年を召されましたね」
まだ両親とも生まれていなかった1945年6月にこの世を去っているはずの母親にそう言われるというのも、何だか、変な感じがしないでもない。なお、この母子の命日は6月29日。岡山空襲の日である。ちなみに米河氏の母方の祖母の命日も、同じ日。ただしこちらは、2012年に90歳を超えての大往生であったという。
「ええ、生きていれば年は取ります。昨年9月で満50歳です。私の父方の祖母は数えで51、満年齢で50になる前に癌で病死しておりますから、私はもう、祖母の年齢を超えて生きています。これで少しは、祖母に孝行できたかなと・・・」
酒を飲みつつも、しんみりとしたことを、淡々と、作家は述べていく。
母子は、それを黙って聞いている。
次に口を開いたのは、息子のほうだった。
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