第12話 社会性という武器の功罪

「大槻先生、お休みのところ、失礼いたします」


 ふと目の前を見ると、あの母子が立っていた。あのときと同じ30歳前後の母親が、頭を下げて丁寧にあいさつする。以前は和服姿だったが、今日は洋装だ。時代遅れ感もあるが、小奇麗な品のある服。あのよつ葉園にいた、誰かの服装に似ていなくもない。


「園長のお仕事、長い間、お疲れ様でした」

 ほろ酔いの中、感慨深いものを感じながら、彼は母親に頭を下げた。

「酒を飲みながらで、失礼いたしております。お心遣い、ありがとうございます」

 彼もまた、かしこまって彼女に頭を下げた。


「和男君、おつかれさま!」

 今度は、あの少年。今日は、「国民服」を着ている。声は、子どものままだ。

「ありがとう、兄ちゃん・・・」

 国民服の少年は、懐かしい人の名前を出した。

「よつ葉園にいた、新橋先生に会ってきた。亡くなられてもう3年になるでしょ?」

「そうだね。あの人、結婚して山上さんになっていたけどな、若い頃は、仕事をよく教わったよ。あの人のおかげで、うちの息子らの世話も、男なりにしっかりできたからね。わしも、40年前の「イクメン」なんだけど、なぁ・・・」

「ま、そうだね。でも、園長になって、ぼくが見ても変わったように思えた。悪い方に変わったって人もいるけど、ぼくは、悪い方だとばかりは思わないけどね。そうだそうだ、山上先生が辞める前、園長室でひと悶着やらかしちゃったでしょ」

「やらかしたかもしれんけど、あれは、どんな職場でも、代替わりの前後にはよくある話ですよ。確かに、山上先生とは、退職してもらうときに、ひと悶着やりあった。あのときは、私なりに信念をもって、言いたいことは言わせてもらったのよ!」

「そうか。同じ立場だったら、やっぱりぼくも、同じような対応をしただろうね。5歳でこちらの世界に来てしまったのは、ある意味幸せだったかも。それこそ、国鉄なんかに就職して、分割民営化で大量の退職者を募る仕事を管理局でさせられたらと思うと、ね・・・」

 少年は、あちらの世界で出会った元よつ葉園関係者らのことを伝えてくれた。


 そうか!

 母親の服装、山上さん、旧姓新橋敬子元保母の服装とそっくりではないか。

 

 召されているお洋服ですが、山上先生を思い出しますね。

 長生きされて、本当によかった。

 滋賀県から来られた高尾さんと、くすのき学園から来た梶川君は、力のある方々ですから致し方ないにしても、山崎君や尾沢君には、逃げられたような形になりましたな。

 あれも、若気の至りでした。山崎君があの時、園長室で言っていた「人間性」という言葉に復讐されたのかなと思うことも、近年ではありましてね・・・。


 ひとしきりしゃべって、彼は、バーボンのグラスを口にした。

 グラスがテーブルに置かれ、さらに氷と酒が注ぎ足された。

 その状況を見計らって、母親が、ゆっくりと話をつないだ。


 復讐、ですか・・・。

 そのあたりの経緯も陰ながら拝見しておりましたけど、それはある程度あたっているかもしれませんね。

 現に、米河君もそのあたりの経緯を伝え聞いていて、同じようなことを言っていました。

 でも彼は、さすがに現代っ子といいますか、大槻さんの離婚については、婚姻の自由が日本国憲法で認められている以上、法的にはもとより道徳的な面からも、その経緯であれば当事者はともかく、第三者が非難すべき性質のものとはいえませんとおっしゃっていましたね。

 彼もあなたと同じく、社会性を武器に世を渡っている方ですから、山崎さんとは真逆のところもおありですけど、存外、山崎さんのお考えと似ているところも見受けられますが、どうでしょう。


 大槻氏、そのような話になるであろうことは、予測がついていたようである。

 バーボンを口に含みつつ、思うところを、さらに、述べていく。


 そうですね・・・。

 これが昔なら、周りの人間があれこれと話のネタにしたところでしょうが、そういう会話、めっきり少なくなりました。清々する半面、寂しさも感じないわけではありません。

 もっとも、米河君や大宮さんは、O大の法学部で学ばれただけあって、事実をもとに適正かつ適切な表現を相手に繰出し、対応されます。

 彼らは確かに立派ですし、その点についてはいささかうらやましいと思う半面、何か人間的なものが排除されているような気も、しなくはないです。

 近年の個人情報が云々というのもまさに、その流れから来たものですね。

 そういえば山崎君も、O大の工学部に1期で合格しているにもかかわらず、岡山を出たいと言って2期で合格したT商工大に進んだ人ですから、やっぱり、相通じるものを持っていますね、彼も、また・・・。

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