第8話 旧制高等学校と新制大学の狭間に
そう言えば、昨年でしたか、こちらのよつ葉園から、第六高等学校に進学されたお子さんがいらっしゃると、お聞きしましたが・・・。
母親は、突如、学制改革で既に閉校されている旧制高等学校の名前を出してきた。
第六高等学校。旧制の高等学校で、現在の新制O大学の前身である。
自分の息子たちの世代には、確かに、O大学に通っている元入所児童が2名いる。
だが彼らは、第六高等学校に進学し、学んでいるわけではない。
大槻園長は、ふと、山崎良三指導員が自分に報告してきたことを思い出した。
山崎指導員は、自転車で街中の下宿に帰っていくZ青年に向かって、今横に座っている男の子が、がんばれと声をかけたところを見かけたと言っていた。
実は彼も、共通一次実施前の国立大学入試で一期校だったO大の工学部に合格していたにもかかわらず、都会に出たいと言って、二期校のT商工大に合格し、そちらに進んだという人物である。
大槻園長は、かの母親の質問に、少し間をおいて回答した。
あなたはご存知かわからないが、戦後の学制改革によって、第六高等学校はすでに閉校されてなくなっております。新制の国立O大学が、その後身です。
確かに、Z君という元園児は、かつて専検と呼ばれていた試験の後身の大検、正式には大学入学資格検定といいますが、それに合格して、O大に進んでおります。彼は昼間仕事をしながら、夜大学に通っています。
それからもう一人、小6までよつ葉園が津島町にいた時にいた米河清治君という子もおりまして、彼は、津島町の叔父宅に引取られ、そこから中高一貫校の私立津島中高を経て、O大の法学部に現役合格しています。
どちらも、法学部に進学しておりまして、ちょうど今2年生です。
関西圏の大学関係者間の言うところの、「2回生」ということになりますな。
母親は、微笑をたたえつつ、大槻園長の話を聞いていた。
「そうでしたか・・・。Z君は今、高等学校ではなく大学に通っているのですね。それから、米河君という子も。数年前でしたか、第六高等学校のあった場所でZ君を見かけたことがあると、この子が申しておりましたが、彼は当時、高等学校に通っていたことになるのでしょうかか?」
母親の疑問に、大槻園長は丁寧に答えていく。
ええ。確かに彼は、高等学校に通っておりました。
そちらは、旧制の中学になるところです。
あの地には、旧制岡山一中の後身の新制の県立A高校と、旧制夜間中で定時制のU高校が来ています。鉄筋校舎はA高校、古い木造校舎は、定時制のU高校が、それぞれ使っております。
この度の法改正で、定時制高校は在籍3年でも卒業できる道が開かれましたが、彼のいた当時は、4年行かないと卒業できないシステムでした。
彼はそのU高校に籍を置いて大検と大学受験の勉強にとことん力を入れましてね、O大学に3年間で合格してこの地を去っていきました。
今彼を支援できるシステムは、この社会ではあまりにお粗末ですが、私なりにできることはしてやろうと思って、現にやっております。
じつのところ、こちらができる限りのことをいくらしてやっても、彼からは感謝されないかもしれません。さすがに本人は当たり前のこととまでは思っていないでしょうが、感謝しろなどと言えたものでは、到底ない。
特に、これまでのこのよつ葉園の彼に対する対応を改めて思い出すほどに、それは私も、至らなさ過ぎて申し訳なかったところも多々あったと、思っております。
それでも、この仕事をしている以上、やるべきことはやらなければなりません。
彼の在園時の本園の私を含めた職員の対応を考えれば、なおのことです。
第一、こちらから恩着せがましく感謝を求めるものでもありませんからね。
大槻園長は、淡々と、自らのなすべき職務上の使命を語っていった。
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