第5話 人の噂も七十五日
あの母子連れ、このよつ葉園に来るべき必然性が、何かあるのだろうか?
・・・・・・
平成の始まったその年、プロ野球日本シリーズでは大波乱が起きた。
31年前に西鉄ライオンズ相手に3連勝のあと4連敗した巨人軍は、この年、3連敗した後4連勝して日本一に輝いた。
相手となった近鉄バファローズの監督は、31年前の日本シリーズ第7戦で最終打者の巨人宮本敏雄の打ったセカンドフライを捕ってウイニングンボールとした元西鉄ライオンズの仰木彬氏。巨人軍の監督は、かつての主戦投手で悲運のエースと言われた慶應ボーイの藤田元司氏であった。
翻って、こちらは岡山市内の養護施設・よつ葉園。
その熱狂冷めやらぬ11月初旬から12月にかけて、幽霊の目撃情報は再び現れたものの、年も終わりに近づいた頃には、ほとんど出なくなった。
彼女たちがどこに行ったのかは、わからない。
そんな事件があったことは、時折誰かによって思い出されることこそあっても、年が明けた頃には、すっかりその話も出なくなっていた。
昭和天皇の崩御で幕を開けた1989年。
この頃から、日本で言う「昭和」の遺物が、少しずつ、しかし確実に、崩壊していくこととなる。それは日本だけではない。世界中が、日本の「改元」に呼応していくかのように、劇的に変化していったのである。
その年の暮れ、バルカンの帝王と呼ばれたルーマニアのチャウシェスク政権が、崩壊。かのチャウシェスク氏は、若き兵士たちの銃撃によって、妻とともに銃殺刑に処せられた。それに先立ち、東西分割されたドイツではベルリンの壁が崩壊。2度にわたる「敗戦」を経験したドイツは、これを機に再統一に向かって進み始めていた。
その動きは決して止まることなく、やがて、社会主義国の総本山であったソビエト連邦が崩壊。その周辺諸国も、独立や分裂を繰り返して今に至っている。
もっとも、新生ロシアは今もって、社会主義国時代、いやいや、帝政ロシア時代からの体質を脱皮できないまま、今に至っているように思える識者も少なからずいるであろうが、その話は、ここでは置いておこう。
当時大学生だった米河清治少年は、昭和の時代、当たり前に思えていたことが、この頃から音を立てて崩壊していくのを、半田山のふもとのO大学キャンパスで、否応なく感じつつ、学生時代を送っていた。
彼は、一般教養の第一外国語・英語の講義で、英文の時事ニュースを読まされた。ベルリンの壁崩壊時の記事である。東側からやってきた人に対して、西側の人が、まずはビールで乾杯だと言ってビールを渡し、ともに乾杯したというエピソードを、今だに忘れもしないと言っている。
そんな彼、当時から酒飲みになる兆候はあったが、50代になった今も、毎日のように酒を飲んでいる。その日最初に飲む酒は、必ずと言っていいほど、ビールであるとのこと。とりあえずではなく、信念を持って注文し、飲んでいるそうな。
よつ葉園という養護施設が、彼の住む津島町にかつてあったことを知っている地元の人は、まだまだ多かった。彼はその地にいたことを隠すことはなかった。しかし、彼と話した人のほとんどが、そのよつ葉園の悪口を言うことはなかった。それは、創立時からの園長各位の努力のたまものであることを、彼はよく聞かされていた。
彼はよつ葉園の園長に就任していた大槻和男氏から、移転後の状況を聞かされていた。ただ、移転後のよつ葉園を訪れたことはそれまで一度もなかった。しかし、時折自宅兼学習塾を訪れる大槻園長より、その幽霊騒動の話を聞かされた。彼もまた、大槻氏同様、そんな「非科学的」なことに興味を示すクチではない。しかし、大槻氏の話を聞くにつけ、それはどうやら、ただ事でもないような予感を抱いていたという。
確実に記録に残される日本シリーズならまだしも、これまで述べてきた「幽霊=お化け」のような怪談話(?)は、よつ葉園という場所であれどこであれ、何らかの公式記録に残るような話では、そもそもない。
人の噂も七十五日というが、翌1990年の2月も半ばを過ぎた頃には、幽霊がらみの話題はよつ葉園からはすっかり影を潜めた。
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