第181話 去り行く者

 エノキ社員の体にこれまでよりもさらに巨大な光が届き始めた。

 女神たちの力の貸与が始まったのだ。


 人間が制御するには余りにも強大な力をその身に受けた武光は、とある予感を抱いていた。

 予感ではなく、経験則から導き出された合理的な結論と表現した方が正確だろうか。


「どうやら、私の使うキノコの異能はこれが最後のようですね。これまで、この世界に転生してきてから絶えず感じていた、手のひらから湧き上がる菌床栽培感が、私の中から薄れていくのを感じます。そうですか。覚悟はしておりましたが、いざその時を悟ると、いささか寂しいものですね……」


 菌床きんしょう栽培感とは、一体。


 なお、キノコの栽培は一般的に大きく二通りに分けられ、原木栽培と菌床栽培が存在する。

 原木栽培は天然の木にキノコの種菌をぶち込む方法で、収穫までに2年ほどかかり、収穫できる機会も春と秋の2回しかない。


 対して菌床栽培は予め栄養素の整った細かい木材を固めたブロック状のものに種菌を植え付ける方法。

 1年を通して安定した収穫が可能であり、日本国内のキノコ農家の9割以上がこちらの方法を採用している。


 つまり、武光の手のひらは菌床。

 それが霧散していく感覚を彼は味わっていた。


 そして考えを改めた。


「私は感傷的になって何を申していたのでしょうか。手からキノコが生えない状態こそ、健全。むしろスッキリするというもの。何の未練もありませんでした」



 敏腕営業マンに情はない。

 あるのはただ、利益を追求する心構えだけなのだ。



「仕上げと参りましょう!! お力を借ります! 女神の皆様!! はぁぁぁ!!」


 巨大な雷が上空へと打ち上がっていく。

 リンさんも紫茸で似たような事をしていたが、あちらが花火だとした場合、こちらはこの世の終わりの天変地異にしか見えない。


 だが、その雷も巨大消滅球のほんの一部を削り取っただけで、球体に呑み込まれていく。


「あはははは! 無駄な労力ですね! 営業マンは無駄な事をしないのでは?」

「ええ。おっしゃる通りです。私は無駄な行動が嫌いです。ゆえに、意味のある行動しかとりません。はぁぁぁぁぁぁ!!」


 突き出した左手から、豚の化身が顕現される。

 「ふごぉぉぉぉぉ!!」と猛る豚さんは天高く昇り、巨大消滅球に喰らいつく。


 豚は何でも食べる。

 これは食欲の比喩としての豚だが、フゴリーヌさんの冠する豚はエネルギーだろうが魔力だろうが、消滅の力だろうがモグモグと食べ進めていく。


 結構な勢いで消滅球の面積が減っていくのを見て、ゼステルも黙ってはいられない。


「まったく! フゴリーヌの力はとても愉快です!! このように楽しい力を扱えるなんて、羨ましいですよ!! ですが、消えなさい!!」


 出力をさらに上げた消滅魔法の前に、豚さんが塗りつぶされる。


「エルミナ様。あれを見られよ」

「むぅー。レンブラントさん、おっぱいは小さいのが好きなタイプですかぁ? 別にいいですけどぉー? でも言っておきますけど! それって少数派ですからね!! おっぱいはおっきい方がお得なんですからっ!!」


「……私にツッコミを求めても無駄ですぞ? ゼステルの体が崩れ始めました」

「ふぎゃっ!! ちょっと怖いんですけどっ!! どーゆうことですかぁ!?」


「消滅魔法に力を注ぎ過ぎ、肉体の維持ができなくなりつつあるのです」

「チャンスじゃないですかぁ! じゃ、このまま待っていれば勝ちですよ! やったぁ!!」


「いえ。その前に我らが消えます。ゼステルも消えるでしょうが、何も残りませぬ」

「ガーン!! それじゃ意味ないですよぉ! 武光さん! 頑張れー!! おっぱいが応援してますよぉー!!」


 エノキ社員は少しだけ眉間にしわを寄せる。

 集中力が乱されたらしい。


「まだまだ私も未熟です。こちらはいかがでしょうか! くっ……!! つぁぁぁぁ!!」


 ベルさんの強欲の魔力波。

 彼女が蓄積させていた欲望貯金の魔力ごと武光に貸与されているので、その威力は絶大。


 いかに消滅魔法とは言え、消し去る対象の魔力が大きければ必要となる魔力量も比例して上がる。

 ゼステルは嬉しそうに口元を歪めた。


「あははははは! ベル! あなたはいつも楽しそうでした! 何をしても感情表現が豊かで!! そんな姿を見ているのもまた、楽しいものでしたよ!! 消えてしまえ!!」


 ゼステルの左腕と右足が塵のように変化し、サラサラと宙に舞う。

 だが、消滅球の降下は止まらない。


「終わりですか! キノコ男!!」

「いえ! まだ1つ残っておりますよ!!」


 エルミナさんがおっぱいを震わせた。

 出番の気配を察知したらしい。


「あっ! あーっ!! わたしですかぁ!? ですよね!! トドメはキノコ魔法!! やー! 困っちゃいますねぇー!! またエルミナ伝説が増えちゃうじゃないですかぁー!!」


 武光は両手を広げ、最後の力を振り絞る。


「消滅魔法には! 消滅魔法をぶつけるのが合理的かと愚考します!! うぉぉぉぉぉ!!!」


 マザーから貸与された消滅魔法。

 それを残った魔力総動員で放つエノキ社員。


 これはゼステルも想定していなかったらしく、彼女は最期に「あはは」と力なく、だが吹っ切れたように爽やかに笑った。


「あ、あのぉー? わたしのキノコ魔法はー? あ、レンブラントさん? あのですね、おっきいキノコをドカーンってやるヤツ! あるんですよぉー。けど、あれれ? 出て来ませんでしたねぇー? あっ、分かったぁ! これから出るんだぁ!!」

「……お気の毒な方だ」


 レンブラントは地上に落ちていくゼステルを見届けた。

 彼にとって愉悦の女神は長らく共に同じ志を目指した、紛れもない同志だった。


「聞いてますぅ? あのですねぇー! ドカーンってキノコが生えて来るんですよぉ! もぉ、おっぱいみたいにバイーンって!! すごいですよね? ねー?」


 戦いは終わる。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 数分ののち、ゼステルの周りにまだ余力のある者たちが集まる。

 ジオ総督。ソフィアさんは剣を構え、総督府からは超遠距離射撃が可能になった『花火大砲ナイトメア』を構える花火姉さんも見える。


「失礼します。皆様。もはや警戒の必要はないかと愚考する次第です」

「エノキ殿。……君、右腕が!」


「右腕1つで事が済めば実に安い取引でした。ベル様。フゴリーヌ様。お急ぎください」


 ゼステルの体は着実に塵となり消え始めている。

 2人の女神が駆けつけた。


「ゼステル! お前! ふざけんなよ! あたしがぶん殴る予定だったのに!! 欲求なくなっちゃうじゃんか!!」

「消えちゃうんだねー。あなたがやった事はさ、絶対に許されないことだよー? けどさ。わたしはゼステルとお話した時間、結構好きだったんだよねー」


 ゼステルは弱々しい声で、ハッキリと言い切った。


「あは、あははは。バカな女神たちですよ。騙されているとも知らずに。本当に、あなたたちの間抜けな顔を見るのが私の愉しみでした」


 武光は無言で左の乳首から生えている白茸を収穫すると、それをゼステルの口に突っ込んだ。


「ええええっ!? たけみちゅしゃん……!? いくらなんでも鬼畜過ぎますよぉ! わたしでも引きます!!」

「お黙りなさい。……ゼステル様。これは願いを形にするキノコ。私の出せる最期のキノコであり、あなたへの手向けのキノコでもあります。乳首からもぎ取ったのは甚だ不本意。ですが、願いを共にした事のある方たちには、言葉と言う形で遺せるものもあるかと」


 ゼステルは「ふふっ」と微笑む。


「酔狂な男ですね。こんなに楽しい人がいるのならば、もっと早く会いに来れば良かったです。レンブラント」

「ここに。恨み言ならば聞き届けよう」


「あはは。楽しかったですね。皇帝を傀儡にして、肥えた貴族たちから特権を奪い取って。とても面白かったです」

「……そうだな」


「ベル。フゴリーヌ。あなたたちは本当に馬鹿で間抜けで、救いようのないお人よしです。精々、母上に噛みついて差し上げなさい。この世界が気に入らなければ、壊してしまうのも一興ですよ。結構愉しいですから。あはは。楽しかったですね。愉しかったです。母上」

「は、はい! なんですか!? 何でも言いなさい!!」



「あなたは魔力球を植え付ける前から、結構畜生でした。全部私のせいにできると思ったら大間違いですよ」

「え゛っ!?」



 ゼステルがいよいよ本格的に肉体を維持できなくなる。

 今こそわかれめ。


 瞬きを1つした次の瞬間は、愉悦の女神が消え去った後であった。


 犯した罪の数は数えきれないが、両手で足りる程度の生きた証も遺した彼女。

 最も愉しかった瞬間はいつだったか。

 詮無き疑問も風が奪い去って行く。


 グラストルバニアにこれから吹くは、種蒔きを助ける新風だろうか。

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