第12話  戦士たち

                  一

 割れた電灯が不規則に点滅していた。白い壁に挟まれた細く長い廊下には、白煙と金属の焦げた臭い、そして血の臭いが漂っている。

 コンクリート製の階段を登ると、その先には細い廊下が真っ直ぐに伸びていた。蛍光灯に照らされた廊下は、幅が二メートル程度しかなく、左右の白い壁には一枚の窓もドアも無い。その狭く長い廊下の先は角に突き当たっていて、その角は右に直角に曲がっている。曲がり角には白煙が漂っていた。その角を曲がると、その先も同じく幅の狭い、長い廊下が続いている。その廊下は、やはり左右の白壁には窓もドアも無かった。廊下の途中では、コードにぶら下がった蛍光灯が、空気の流れに乗って漂う白煙の中で不規則に点滅を繰り返している。不快に明暗を転ずる廊下の床には、三人の男が横たわっていた。

 曲がり角の付近に溜まっていた白霧を切り開いて、鮮やかな青の人影が姿を現した。顔面を防弾マスクで覆い、その上に暗視ゴーグルを装着して、体に密着した紺碧の戦闘服の上にコバルト・ブルーの鎧を纏った彼らは、最新式のマシンガンを据銃したまま、一列になって進んで行く。同じリズムと歩幅で前進する三人の兵士の後ろから、濃紺の制服姿の女が歩いて行った。鞄を提げたその若い女は、廊下の先で横たわる男たちを見据え、険しい顔をしていた。先頭の兵士が垂れ下がった蛍光灯を避けて進んで行く。その後ろを進む、背中に四角い大きな背嚢を背負った大柄な兵士が点滅する蛍光灯を掴み、コードを引き千切って廊下の隅に放り投げた。破裂音と共に割れた蛍光灯のガラスが飛び散る。その後ろの長い黒髪の女兵士は、床に散らばったガラスの破片を踏みながら前進した。最後尾の制服の女もガラス片を踏みながら前に進み、床に横たわるトレンチコートの男の横で立ち止まった。その少し先にいた黒髪の女兵士が速度を落とす。先頭の兵士は前方で倒れているスーツ姿の男に銃口を向けたまま停止した。左手で拳を握り、肘を直角に曲げて後方の二人に見せる。大柄な兵士が停止し、うつ伏せて倒れている白髪の老人の前に移動した。黒髪の女兵士も、トレンチコートの男とその横で腰を下ろしている制服姿の女の前に移動する。先頭の兵士はマシンガンを肩で構えたまま素早く前進すると、その先の床に倒れているスーツ姿の男の手から銀色のリボールバー型の拳銃を蹴り払った。拳銃は床の上を滑っていき、廊下の突き当りの金属製のドアに当たって音を鳴らす。先頭の兵士は床のスーツ姿の男に銃口を向けたまま、その横に屈み、左手で男の喉元に触れ、脈を確認した。顔に大きな刀傷があるその男は、もう片方の目を見開いたまま絶命していた。手を離した兵士は、マシンガンの銃口を上に向けて振り向く。彼は暗視ゴーグルを外して言った。

「クリア。敵を排除。負傷者の救護にかかれ」

 後方の二人の兵士たちは暗視ゴーグルを外しながら振り返ると、その下の防弾マスクも外しながら、それぞれの足下に倒れている男たちの横に素早く屈み、脈を確認した。

 トレンチコートの男の喉元に手を当てていた綾少尉は、防弾マスクを外しながら戻ってくる宇城大尉に叫んだ。

「大尉! まだ、息があります!」

 トレンチコートの男を隔てて座っていた制服姿の外村美歩は、胸を押さえて安堵の息を漏らした。綾少尉はマシンガンを肩に掛けると、急いで太腿の横の救命キット・ボックスを外し、床の上で蓋を開ける。

 スーツ姿の老人の横で腰を下ろし、血に染まった白い手袋の下を握って脈をとっていた山本少尉も叫んだ。

「こっちの爺さんも生きているが、重症です! 脈も弱い!」

 宇城大尉は深刻な顔で老人の横に移動し、綾と背中合わせに腰を下ろした。

 山本少尉は背中の大きなランドパックを床に下ろすと、その横にマシンガンを立て掛ける。

 小さな冷蔵庫のようなランドパックの扉を開けて中を漁っている山本に宇城大尉が尋ねた。

「傷は」

 山本少尉はランドパックの中から救命具を取り出しながら答えた。

「背中に六発ほど食らっています」

 それを聞いて、外村美歩が腰を上げた。トレンチコートの男の頭の上を壁に沿って移動し、老人の頭の横に来ると、両手で口を覆う。

 宇城大尉が尋ねた。

「誰だ。知ってるのか」

「光絵会長の執事の小杉さんよ。どうして、ここに……」

「くそ。民間人か。――出血が少ない。助けるぞ!」

 宇城大尉は顔を顰め、自分の腿の救命キットを外すと、肩からペンライトを外して口に咥え、床を照らしながら救命キットを広げる。

 外村美歩は宇城の横に腰を下ろした。

 山本少尉は止血テープと癒着剤の袋を宇城に渡し、小杉の体を抱えて彼の背中を宇城の方に向けた。すると山本少尉は、小杉の下に不恰好な大型の銃器らしき物かあるのに気付き、それを取り出して、壁際に置いた。その不恰好な銃器を見た外村美歩が眉間に皺を寄せる。

「それ……量子銃じゃないかしら」

 山本少尉は一瞬、宇城と顔を見合わせると、その銃を老人から少し遠ざけて置き直してから言った。

「どういう事なんだ? なんで、この爺さんが持ってるんです?」

 外村美歩が言った。

「たぶん、ここに保管してあったから、移動させようとしたのかも。あの男に奪われないように」

 外村美歩は顎で、廊下の奥の骸を指した。

 山本少尉は老人の体を横に立てて、背中を宇城に向けながら呟いた。

「あの刀傷野郎、この銃を奪おうとして、年寄りに六発も撃ち込みやがったのか……」

 宇城大尉は刀傷の男の骸を一瞬だけ睨みつけると、小杉の上着を脱がしながら、背後の綾に尋ねた。

「綾、そっちはどうだ」

 片膝を立てて、注射器の針先から薬剤を押し出しながら、綾少尉が答えた。

「出血はありませんが、意識を失っています。アドレナリンを打ちます」

 綾少尉は腕まくりをしたトレンチコートの腕に注射針を近づけた。

 止血テープの袋を噛み切った宇城大尉は、綾に言う。

「その前に、銃創を確認しろ。弾が貫けているかも知れん」

 綾少尉は男に注射をしながら答える。

「確認しました。被弾していますが、負傷はしてません。大丈夫です」

 それを聞いた宇城大尉は、口に咥えたペンライトで小杉の背中の傷口を照らしながら、一瞬、向こう側の山本の顔を見た。

 山本少尉が口を引き垂れて、両眉を上げる。

 宇城と外村の背後で、トレンチコートの男が激しく咳込んだ。

 少し振り向いて、男が意識を戻した事を確認した外村美歩は、安心して前を向きなおすと、力なく垂れた小杉の首を支え、彼の頭を膝の上に載せた。

 注射器を仕舞っている綾の前で、トレンチコートの男はムクリと起き上がった。

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……なんだよ、あの世でも咳込むのか……」

 横を見ると、コバルト・ブルーの鎧を着た美しい黒髪の女が、床で何かを片付けている。

 男は目を擦りながら言った。

「んん……天使も今風だな。意外にも青でコーディネートか。まあ、そんな事は、どうでもいい。――あの、すみません。着いて早々で悪いんだが、こっちの世界でも、探偵業はできるのか。それと、生きている人間に憑依するには、どうすればいいんだ。あるいは、こう、お化けになって目の前に現れるには……」

 太腿の横に救命キット・ボックスを戻した綾少尉は、溜め息を付きながら前髪をかき上げる。

「天使がマシンガンを持ってる訳ないでしょ」

 綾少尉は肩に掛けたマシンガンを軽く叩いて見せた。

 男は怪訝な顔で綾のマシンガンを見つめていた。



                  二

 宇城大尉は左右の手に止血テープと癒着剤を持ったまま、ワイシャツをはぐった小杉の背中の傷口を覗き込んでいたが、顔を離すと、一旦、それらを床に置いた。

「ちくしょう。良く見えないな。山本、ライトを消せ」

 山本少尉は小杉の背中を照らしていたライトを消した。

 宇城大尉は腰に提げた暗視ゴーグルを装着して、再び小杉の傷口を覗き込む。指で傷口を開き、内部を覗いた。銃創から赤黒い血が染み出てくる。

「くそ。弾が深く入り込んでるな。しかも、たぶんこれは、内部拡散型のホロウ・ポイント弾だ」

 ホロウ・ポイント弾は弾頭先端に穴を開けた弾丸で、被弾対象に衝突した際に先端が四方に広がり、大きなダメージを与える特殊弾丸である。刀傷の男は、更にそれを加工して、人体内で拡散し、体内を一層激しく損傷させる弾丸にしていた。

 山本少尉が眉間に皺を寄せる。

「人への使用が禁止されてる弾じゃないですか。あの下衆野郎……」

 外村美歩も顔を曇らせる。

「じゃあ、助かる見込みは……」

 宇城大尉は傷口を指で開きながら言った。

「いや、大丈夫かもしれん。この爺さん、随分と人工マテリアル臓器を入れているようだ」

「人造臓器ですか? どおりで六発も食らったのに生きているはずだ」

「ああ。損傷は激しいが、臓器自体は動いているみたいだ。人造臓器は、多少は丈夫に出来ているらしいからな。肺が血で一杯になる前に病院に運べれば、助かるかもしれん」

「でも、呼吸をしてないわ。意識を戻させて呼吸させないと、脳が死んでしまう」

「脈も随分と弱いですよ。心停止する一歩手前って感じです。体内で相当に出血してるんじゃないですか」

「たぶんな。山本、呼吸補助器具とAEDを出してくれ。肺に酸素を送るんだ。こっちは、背中の銃創を塞ぐ」

 宇城大尉は、癒着剤を傷口に塗っていくと、傷口を塞ぎ、止血テープを貼っていった。

 山本少尉は急いでランドパックの中を漁る。

 外村美歩は膝の上の老人の顔を見つめたまま、首に手を添えて脈を確認した。

 その背後で、トレンチコートの男は目頭を押さえていた。

「くうう……頭がズキズキするぜ。ああ、死んだと思った。どうなってんだ」

 綾少尉は少しだけ口角を上げて見せ、甲冑の上から自分の左胸を軽く叩いてから、その手で男の左胸を指差した。

 男はそれを見て、自分のワイシャツの左胸のポケットに手を入れた。ワイシャツの胸ポケットにも、その上のヨレヨレのジャケットの胸の位置にも、そして、その上の衝撃拡散ワックスでコーティングされた少しカパカパのトレンチコートにも、黒こげた穴が一つずつ開いていた。

 彼は胸のポケットから唐草模様の薄い箱を取り出した。幼馴染から貰ったウェアフォンだ。防弾素材を使用した高い強度が売りのフルメタルジャケット・シリーズ。その超合金製の新型ウェアフォンには、唐草模様のイミテーション・バッテリーパックの部分に、潰れた鉛の弾頭がしっかりと突き刺さっていた。

 綾少尉は、立ち上がりながら男にウインクして片笑んだ。

「運がよかったわね」

 男は被弾したウェアフォンをまじまじと見ながら、言った。

「ああ、あいつが超合金製のイミテーション・バッテリーパックに替えておいてくれて助かったぜ。ホント、岩崎に感謝、感謝……って、あんたら何者だ?」

 綾少尉は最新式の小型マシンガンを体の前で抱え直すと、少し誇らしげな顔で言った。

「国防軍」

「そうか。俺は、浜田圭二。探偵だ。裏の世界じゃ、人は俺をダーティー・ハマーと言うが、そんな事は、どうでもいい」

「知ってる」

 綾少尉は、そっぽを向いて答えた。

 浜田圭二は、キョトンとした顔で言った。

「え? 知ってるの?」

 そして、辺りを見回しながら、綾少尉に早口で尋ねた。

「そうだ、あの野郎は、どうなったんだ。刀傷の男は」

「刀傷の男?」

 綾少尉は一度だけ廊下の奥に視線を向けると、再び浜田に視線を戻して、肩越しに親指の廊下の先を指しながら、軽い調子で答えた。

「死んだわ。やっつけた」

 浜田圭二は壁に手をついて立ち上がった。綾少尉が肩を貸す。浜田圭二は大きく深呼吸してから、廊下の奥を見た。刀傷の男は天井を睨んだまま息絶えている。刀傷の男は、この兵士たちと撃ち合って死んだのだ。自分が最後に聞いた銃声と足音が、その時のものだったと理解した浜田圭二は、溜め息を吐いて首を左右に振ると、もう一度深く息を吐いた。

 すると、その前で外村美歩が取り乱した声を発した。

「脈が止まったわ。心停止してる」

 山本少尉が慌ててAEDのコードの端を宇城に渡し、もう一本のコードの端を持って、小杉の脇の下を探った。宇城大尉は受け取ったコードの端のパットを小杉の右肩の前に付けながら、背後の綾に指示を発した。

「綾少尉、ヘリに戻ってパイロットを連れて来い。この人を大至急、病院に運んでもらいたい」

「了解」

 そう返答した綾少尉は、すぐに体の向きを変え、マシンガンを肩の高さで構えると、来た方角へ向けて、そのまま腰を落して早足で前進をはじめた。突き当りの曲がり角の手前で立ち止まると、左の壁に身を寄せて、角から一瞬だけ頭を出して先を確認してから、その直角に曲がった先の廊下へと、左に素早く消えていった。

 山本少尉は、老人に繋がった二本のコードをランドパックの中の心肺蘇生装置に接続しながら、一度振り向いて、曲がり角に目を遣った。綾少尉の長い黒髪が一瞬だけ見えて角に消えた。

「よし、山本、いいぞ」

 老人への電極シートの取り付けを終えた宇城大尉から、指示が飛んだ。

 山本少尉は、再び、ランドパックの中に視線を戻すと、中の機械を操作して言った。

「スイッチを入れます。離れて」

 宇城大尉は老人から後ろの方に一歩下がった。

 外村美歩は、力なく項垂れた老人の頭部を、そっと床に置くと、座ったまま一歩後ろに引いてから、捲れたタイトスカートの裾を膝の下まで直した。

 山本少尉がスイッチを入れる。老人の体に一瞬だけ白光が走り、その体が少しだけ跳ね上がった。その後、すぐに宇城と外村が老人に近寄り、外村がその胸部に耳を当て心拍の有無を調べた。胸元から頭を離した外村が、悲しげに首を左右に振ると、それを見た宇城大尉は落胆して項垂れた。すると、トレンチコートを脱ぎ捨てながら、浜田圭二が宇城大尉を押しのけて老人の胸の上に跨り、自分の両手を重ねると、そのまま老人の胸を繰り返し押した。そして、すぐさま胸元に耳を当てた。暫く耳を当てていた浜田圭二が言った。

「よし、いいぞ。脈が戻った」

 老人が小さく咳き込んだ。外村美歩は胸を撫で下ろす。宇城大尉は頬を膨らませて、息を大きく吐いた。

 浜田圭二は長い足を回して、老人の胸の上から退くと、山本の隣に座り、力なく下がった老人の肩を抱きかかえて言った。

「おい、爺さん。しっかりしろ。大丈夫か」

「小杉さん。しっかりして」

 外村の呼びかけに、瀕死の小杉正宗は笑顔を作って応え、震える手を持ち上げると、廊下の奥を指差して言った。

「あの先の部屋に、完成品が保管されている。『ノア零一』だ。それを使いなさい」

 宇城大尉が尋ねた。

「完成品?」

 蒼白の顔面を震わせながら、小杉正宗は白い口髭と共に唇を動かした。

「ええ。あなた方に伝えなければと思い、多少の無理をしました。撃たれたのは初めてではないが、何度経験しても、やはり、痛いものですな……」

 小杉正宗は、彼を抱きかかえていた浜田に向けて軽くウインクすると、一度だけ大きく唾を飲み込み、力を振り絞りながら話し始めた。

「別の部屋に保管されている機体、『ノア零二』は、量産型ノアの試作機……あれでは駄目なのです。既製品に改造を重ねただけの駄作だ。あのコックピットの神経感知型システムは、作戦中に不具合を引き起こしかねない。完成品の『ノア零一』は、コックピットを手動制御中心のものに入れ替えてあります。――他にも……この事態に対応するために、いくつかの改良を施したオリジナルの機体です。――あの機体でなければ……この事態には……」

 小杉正宗は、大きく咳き込んで、吐血した。続いて口から赤色の泡を吹き始め、白目を剥きながら激しく痙攣した。そして、枯れた高い音の空気音を短く発すると、そのまま意識を失った。

「くそ。気管挿管するぞ。器具は無いか」

 小杉の首に手を当てて脈を確かめながら、浜田圭二が叫んだ。

 山本少尉は慌ててランドパックの中を漁った。

「これか」

 山本に手渡された器具を確認して持ち変えた浜田圭二は、仰向けの小杉の首を、自分の腿の上に乗せると、外村から受け取ったライトで小杉の口の中を照らした。そして、右手で小杉の頭部を支えながら、細い管状の金属器具を小杉の喉の奥にゆっくりと挿入した。それを終えると同時に、浜田圭二は手際良く、小杉の口に管の固定用器具を装着すると、続いて山本から受け取った小型の人工呼吸機から伸びたホースの先端を、左手で素早く、その固定用器具の穴に差込んで接続した。次に、テンポ良く伸ばした反対の手で白いテープを外村から受け取ると、その端を噛んで引き伸ばし、それを使って人工呼吸機を小杉の胸元に貼り付けて固定した。彼のあまりの手際の良さに、傍らに居た外村美歩と宇城大尉は驚き、顔を見合わせた。浜田圭二は、今度は丁寧に白いテープを小杉の顎の周りに一周させ、口に差し込んだ呼吸器が外れないようにしっかりと固定して、その処置を終えた。

 額の汗をスーツの袖で拭いながら、浜田圭二はゆっくりと立ち上がった。

 彼と同時に、銃を握って立ち上がった宇城大尉が、浜田に言った。

「見事なものだ。何処で学んだ」

 浜田圭二は、山本少尉に引けをとらぬ程の長身を折り曲げて、外村が拾って差し出したトレンチコートを受け取ると、胸に開いた黒焦げた穴を気にしながらそれを羽織り、襟を整えた。

「防災隊だ。大抵の民間人は防災隊の門を一度はくぐっているからな。みんな、この位の事なら、普通に出来るぜ」

 防災隊には所属した経験が無かった宇城大尉であったが、納得したように頷いた。

 浜田圭二は、床に転がった古いハットを拾い上げ、表面の埃を払っていたが、ふと何かに気付いて、顔を上げた。そして、目の前の女性を指差して、言った。

「あれ? 美歩ちゃん。何やってるんだ、こんなところで」

 外村美歩は、動きを止めたまま顔だけ浜田に向けて、口をあけたまま彼の顔を凝視した。彼女は、少し呆気にとられているようだった。

 山本少尉は、床に片膝を立てて座ったまま、散乱した救命道具を手早くランドパックの中に仕舞い込んでいたが、その手を止めて、やはり呆れたように言った。

「おいおい、今頃かよ。探偵さん、何やってんだよ。頼むぜ。余計な仕事を増やさないでくれよ。どうして俺たちから逃げたんだ。あんたのせいで、俺たちだけ仲間とは別行動するよう、増田局長から言われちまったんだぞ」

 宇城大尉が山本を制止した。

「まあ、そう言うな。彼のおかげで、探索していた目的ポイントに辿り着くことが出来たんだ。それに、ターゲットも倒せた。ツーポイントをまとめてゲットじゃないか。良しとしようぜ」

 山本少尉は憮然とした表情で救命道具をランドパックの中に仕舞い終えると、それを重そうに背負って、ゆっくりと立ち上がった。

 浜田圭二は、周りの三人の軍人の顔をキョロキョロと見回すと、外村の方を向いて、彼女に尋ねた。

「これ、どういう事なんだ? 美歩ちゃん。こいつら、増田局長さんの部下の兵隊さんたちなのか。なんで、美歩ちゃんが一緒なんだ?」

 外村美歩は、ニコリと微笑んでいた。



                  三

 怪訝な顔をして見せる浜田圭二に、外村美歩は落ち着いた様子で話した。

「私はね、十七師団の阿部大佐を逮捕するために、ここにやって来たの。彼らはそのバックアップ」

「バックアップ? 美歩ちゃんの護衛か? 美歩ちゃん、そんなに偉くなったの?」

「ううん。彼らを含む特務偵察部隊が、ここに潜んでいる田爪健三の身柄を確保するために、このGIESCOに潜入して捜索活動をしているのよ」

 浜田圭二は手に握ったハットのツバを整えながら、大きく息を吐いた。

「はあ……。田爪健三かあ。やっぱり、あの野郎、生きて日本に帰ってきていたんだな。思ったとおりだぜ。しかも、ここに居るとは……」

「ええ。それで、この人たちは、その任務の傍ら、並行して、私の任務の支援もしてくれているの。阿部大佐も田爪を狙っているはずだから」

「ついでに、あんたの救助もな」

 宇城大尉が付け足した。山本少尉がさらに付け足す。

「増田局長から、手を引けって言われてたんだろ? なんで、こんなヤバイ所に潜入したんだ。しかも、素手で。馬鹿か、あんた」

 浜田圭二は、ハットを握り締め、少しムッとした顔で答えた。

「そんな言い方するなよ。俺だって、『深紅の旅団レッド・ブリッグ』の連中より先に『パンドラE』を手に入れないとマズいことになると思って、決死の思いで潜入してきたんだからよ。ひでえじゃねえか」

 山本少尉は眉をハの字にして、浜田に言った。

「増田局長はな、あんたの事を心配して、オムナクト・ヘリまで出して、あんたを警護させていたんだぞ。レーザー信号発信機付の車まで、あんたに与えてな。それなのに、行方をくらましやがって。あんたの探索っていう余計なミッションのせいで、俺たちだけ部隊の中間達とは別行動になっちまったじゃねえか。世話を焼かせるなよ」

「そいつは、悪うござんしたね」

 浜田圭二は口を尖らせながら、頭の上に荒っぽくハットを乗せた。それを見て、外村美歩はクスリと笑った。そして、浜田に言う。

「これでようやく、浜田のオジさんに、恩返しが出来たわね」

 浜田圭二は、少し照れくさそうに笑いながら、外村に答えた。

「前に美歩ちゃんと美歩ちゃんのお母さんを助けたのは、俺だけじゃないよ。それに、これは、やり過ぎだ。逆に俺の方に借りができちまった。――しかし、まあ、こんなに立派になって。驚いたぜ」

 浜田圭二は制服姿の外村を見るのは初めてではなかったが、実際に兵士たちを引き連れて戦闘の現場に立つ彼女を目の当たりにして、改めて外村の姿を上から下まで確認した。

 外村美歩は宇城と一度目を合わせると、少し笑って、浜田に言った。

「実はね、この方たちも、あの時、私と母を助けてくれた兵士さん達なの」

「え、そうなのか?」

 宇城大尉は、口角を上げたまま頷いて、言った。

「さっき仲間を呼びに行った綾少尉も、そうだ。あの作戦は、俺たちの選抜テストも兼ねていたんだ。だから、ここにいる全員が、あんたの事を知っている」

 宇城の後方に立っていた山本少尉が、太い指で浜田を指差しながら言った。

「あんたを助けたのは、これで二度目だからな。感謝してくれよ」

「マジか……」

 浜田圭二は口を開けたまま固まっていた。

 宇城大尉が、今度は真剣な顔で浜田に言った。

「あんたのお父さんの死には、あの作戦に関与した俺たちにも責任がある。あの時、俺たちがこの刀傷の殺し屋を倒してさえいれば、お父さんを死なせずに済んだはずだ。この殺し屋がASKIT事件で姿を臭わせた時に、局長が真っ先に俺達を動かしたのも、そういった思いが俺たちの中にずっと有ったからなんだ。今回、あんたの調査で、この男が事件に絡んでいると聞いて、局長はあんたの探索に俺たちを当ててくれた。正直、こいつを倒せて、せいせいしたよ」

 すると、山本少尉が大きな手で浜田の肩を叩いて、言った。

「ここ数日、あんたがコイツを、何度もギリギリまで追い詰めていた事は聞いている。何の武器も持たずに、凄腕の殺し屋を追い込むとは、さすがは『ダーティー・ハマー』さんだ。部隊の他の仲間も、皆、あんたを尊敬しているよ。本当だ」

 怪訝な顔をしている浜田に外村美歩が言った。

「だから皆、オジさんの救出を、この複雑なミッションの中に組み込んでくれたの」

 外村の発言から、自分の救出という追加の作戦が、単に増田一人の指示によるものではなく、外村の要望にもよるものだったと察した浜田圭二は、感謝の気持ちでいっぱいになり、少し熱くなった目頭を押さえて下を向いた。しかし、すぐにその手を離して顔を上げると、山本少尉に言った。

「でも、さっきのお姉ちゃん兵士さんは、そんな感じじゃなかったぞ。思いっきり、ドヤ顔してたし」

 山本少尉は人差し指の先で頬を掻きながら、浜田から目を逸らして答えた。

「ああ、それはだな、あいつは、よく言う『天才』って奴でな、ちょっと変わってるというか、なんというか……」

 浜田圭二は首を捻ると、話題を次に進めた。

「まあ、とにかく、これが複雑なミッションなんだとすると、何か他に特別な任務があるみたいだな。憲法上の問題から、あんたら軍隊が直接に民間の宗教団体の調査が出来なくて、増田局長の個人的依頼という名目で俺に真明教を調査させた事は、俺にも十分に理解できるぜ。だが、公開するために『パンドラE』を探していた真明教よりも先に、しかも、同じ軍隊なのに、『深紅の旅団レッド・ブリッグ』よりも先に、偵察部隊であるあんたらが『パンドラE』を入手しようとしているという事は、その先に何か重要なミッションがあるからなんだろ? 田爪の確保も『パンドラE』の回収も、サブ・ミッションでしかない。違うか?」

 身振り手振りを交えて力説する浜田の前で、三人の軍人たちは互いに顔を見合わせた。そして、一瞬の沈黙の後、意を決したように、宇城大尉が浜田に言った。

「我々がこの作戦を計画し実行できているのも、あんたからの情報があってのことだ。こういう事態になった以上、こちらの目的も話しておく必要があるな。大佐、いいですね」

 外村美歩は黙って頷く。

 宇城大尉が厳しい顔を浜田に向けた。

「我々は、AB〇一八をシャット・ダウンさせ、その後、完全に破壊する事を目的としている。あの生体コンピュータは、人類にとって危険過ぎる」

 浜田圭二は、頷きながら答えた。

「うーん。それは、よーく分かるぜ。あれは、かなりヤバイ。語尾は上げてくれ。だが、本当に奴をシャット・ダウンなんて出来るのか?」

 山本少尉が力強く答えた。

「出来ない時は、直接、破壊するのさ」

 浜田圭二は首を傾げる。

「でも、それじゃ、IMUTAもおじゃんになっちまうだろ」

 外村美歩大佐が浜田に言った。

「だから、ここで田爪健三を探しているの。彼の協力を得て、IMUTAを安全に離脱させるために。AB〇一八とIMUTAを接続したのは、彼と高橋だから。知ってのとおり、高橋は死んだわ。だから、今、協力を期待できるのは、田爪健三しかいない」

 宇城大尉は、眉間に皺を寄せて言った。

「だが、その前に我々の作戦を阻止しようとする敵がはだかっている。その敵は相当に手強い。あの阿部大佐だ。それに、AB〇一八の予測演算機能も、驚異的だ。この二者と戦うには、細心の注意が必要になる。また、敵は国防軍の内部にも潜んでいて、我々の行動を監視している。どの理由からも、作戦遂行の極秘性は担保されなければならなかった」

 山本少尉が口を挟んだ。

「今日はみんなで、休日のふりまでしてたんだぜ。まあ、綾はマジだったけど……」

 浜田圭二が真剣な顔で言った。

「軍内部の敵って言うと、やっぱり、『深紅の旅団レッド・ブリッグ』の関係者か」

 外村美歩大佐が首を横に振った。

「いいえ。本当の内敵は『ネオ・アスキット』という新組織よ。ASKITの残党が中心メンバーで、連中は国家の転覆を狙っているらしいの。でも、おそらく『深紅の旅団レッド・ブリッグ』は、奴らとは別に動いている。彼らは、その手足として利用されているか、逆に彼らが『ネオ・アスキット』を利用しているか。いずれにしても、この二者が別々の集団で、且つ、別々の目的の実現のために結託しているという事は前提とした方がいい」

 浜田圭二は、外村美歩に言った。

「それなら、阿部大佐の逮捕は、組織の全容解明と『深紅の旅団レッド・ブリッグ』の再制御、反乱の抑止に繋がるって事か」

「ええ。だけど私には、そんな事は関係ないわ。これは純粋な法執行。彼が軍規に違反している事は明らかだから。私はそう考えて、彼の逮捕手続に踏み切ったの。でも、国防軍の上層部は、未だに阿部大佐を生かして『深紅の旅団レッド・ブリッグ』を利用しようとしているわ」

「つまり、美歩ちゃんが阿部大佐を逮捕する事には反対と言う訳か。じゃあ、あんたらの部隊は、自分たちで勝手に動いているのか?」

 宇城大尉は、首を横に振って答えた。

「いや、我々の部隊は、辛島総理の直接命令で極秘に動いている。この作戦の性質上、完全に極秘で行動しなければならなかったんだが、総理直属に極秘で編成されている幕僚作戦会議にも、我々の行動は知らされてはいない。我々は、この作戦が軍にもAB〇一八にも知られないよう、今日は休暇という形で時間を過ごして、カモフラージュしていた。それほどの極秘作戦なんだ。そこへ、軍規監視局から阿部大佐逮捕の支援要請がきた。実戦で想定している敵が十七師団、つまり『深紅の旅団レッド・ブリッグ』である以上、阿部大佐の逮捕支援は、我々の作戦遂行と重なる。そこで、ここで外村大佐と合流して、阿部大佐と田爪健三を探す事にしたんだ。そして、その障壁となる刀傷の殺し屋の排除、および、先に潜入した勇敢な探偵の救出が、今日の作戦に追加された。そういう事だ」

 浜田圭二は、宇城大尉から顔を逸らして廊下の奥の暗がりを見ると、自分の腰を叩きながら、宇城に尋ねた。

「じゃ何か、やっぱり、俺の睨んだとおり、この先の部屋に『パンドラE』が隠してあるのか?」

 外村美歩大佐が首を横に振って言った。

「いいえ。『パンドラE』は、もう、ここには無いわ。今は別の場所よ」

 浜田圭二は、腰を叩く手を止めて、そのままの姿勢で外村を見ていたが、大きく溜め息を吐くと、さらに言った。

「マジで。なんだよ、結局、無駄足じゃねえか。でも、その情報は誰から得たんだ?」

「光絵会長よ。おそらく会長は、この刀傷の殺し屋がここに『パンドラE』を捜しに来ることを察知して、場所を移したのかもしれないわね。でも、彼女は田爪健三がこのGIESCOの中に居ると言っていたわ。我々は、彼をここから連れ出して、AB〇一八の施設に向かう予定になっているの。私の読みでは、阿部大佐はAB〇一八の施設に居る。だから、そこへ行って、この人たちは田爪健三と共に任務を遂行し、私は阿部大佐を逮捕する」

 浜田圭二は腰の左右を両手で支えながら、腰を回して言った。

「なるほどね。でも、その任務っていうのは、もしかして、『パンドラE』をAB〇一八に繋いじゃうってものじゃないのか?」

 宇城大尉が答えた。

「そうだ。AB〇一八に『パンドラE』を接続し、奴をシャットダウンさせる。その隙に、田爪の協力を得てIMUTAを離脱させた後、火器でAB〇一八を破壊し、除去する」

 浜田圭二は前屈をしながら聞いていたが、上半身を立て直すと、呆れたように首を傾けて言った。

「そっか。一応、確認だが、『パンドラE』って、例のバイオ・ドライブの事だろ? 永山ちゃんが過去に送っちまった。その中身の確認は、大丈夫なのかよ」

 宇城大尉は真顔で答えた。

「我々が得た情報では、『パンドラE』を使えば、AB〇一八を制御する事が可能だと聞いている。十七師団の奴らも、その為に『パンドラE』を狙っているようだ。我々は、それが奴らの手に渡る事を阻止しなければならん」

 浜田圭二は、再び腰を叩きながら言った。

「ま、阻止するのは賛成だが、AB〇一八に繋ぐのは、せめて、田爪健三に中身を確認してからにしろよ。元祖パンドラちゃんみたいに、バチ被りしちゃうぜ」

 外村美歩が口を挟んだ。

「だから、彼の身柄が十七師団に渡る前に、彼を見つけ出そうと、皆で探しているのよ。それに、この作戦には、どうしても田爪健三の協力が必要になるわ」

 浜田圭二は、少し大げさに溜め息を吐いてから、言った。

「はあ。おめでたいねえ。そう簡単に、田爪が協力するかね」

 山本少尉は、少し声を低めて言った。

「協力させるさ。どんな手を使ってもな」

 浜田圭二は、顎を引いて下を見て、トレンチコートの胸に開いた穴の周りの焦げた布を指先で払いながら、言った。

「さすがは、軍人さんだ。頼もしいこと。でもな、そうやって、あんたらに協力する事が田爪の計画だったら、どうするんだよ。『パンドラE』とかいうバイオ・ドライブを、AB〇一八に接続する事が奴の狙いだったら。バイオ・ドライブが安全だっていう保障は、何もないじゃないか」

「光絵会長は、『パンドラE』を接続して、AB〇一八からIMUTAを安全に離脱させるためには、田爪健三の技術が必要だと言っていたわ。という事は、『パンドラE』は、AB〇一八を停止させる事が出来るツールなのよ。それに、会長は、安全に田爪をAB〇一八まで移動させるために、我々に兵器まで提供すると……」

「だからって、信用するのかよ。考えてみろよ、美歩ちゃん。俺が調べた感じじゃ、南正覚は『パンドラE』を奪って、世間に公表しようとしていたんだぞ。それなのに、AB〇一八からは命を狙われなかった。という事はだ、それがAB〇一八にとって都合がいい事だからだろう。南が本当にどうしたいのかは、奴に聞いてみないと分からねえが、公表するつもりだとしたら、方法はネットだろ。中身をネット上に公表する為には、どちらにしても『パンドラE』をAB〇一八に接続しないといけないからな。それをAB〇一八が阻止しないって事は、AB〇一八が『パンドラE』の接続を望んでいるからじゃないのか。つまり、それはAB〇一八にとって都合がいい。だとすると、これ、AB〇一八が仕掛けた罠なんじゃないか」

 外村美歩は、一度宇城の目を見てから、再び浜田に視線を戻し、彼に言った。

「いえ。オジさんの推理は間違えているわ。南正覚は、もう殺された」

「え? あの爺さんが? いつ」

 宇城大尉が説明した。

「今朝だ。正午になる少し前に車が発見された。我々も先ほど情報を得たばかりだ。確認はとれていない。だが、警察からの情報では、使用された凶器は田爪健三の量子銃である可能性が極めて高いという事だ」

「なんだって? 量子銃で? くそ! 俺がちゃんと尾行していれば……」

 外村美歩は壁際に置かれた不恰好な銃を見つめながら言った。

「その量子銃が、なぜここに在るのか分からないけど、使用された物は、ASKITの拠点島から軍が押収した物か、誰かが別に作った物かもしれない。それがネオ・アスキットや十七師団なら大事だわ。それに、いずれにしても、AB〇一八にとって『パンドラE』を公表しようとした南正覚は、障害だったと言う事。だから、除去した。そうだとしたら、『パンドラE』は、やはりAB〇一八にとって、ボトルネックになるモノである可能性が高い。私は、そう思うわ。だったら、この作戦を実行する意味は、大いにあると思うの」

 外村美歩の発言に、宇城大尉が補足した。

「仮にもし、『パンドラE』が危険なモノで、その接続により状況が悪化しそうなら、最後の手段に出るだけだ。奴に接近さえ出来れば、あとは物理的手段で稼働中のAB〇一八を破壊して、シャットダウンする事が出来る。その場合は、IMUTAの完全停止も避けられんが、仕方あるまい」

 浜田圭二は、左胸のコートの穴から右手の人差し指を出して動かしながら、言った。

「なるほどね。力技で強制終了ですか。軍人さんらしいね。でもさ、現場に『深紅の旅団レッド・プリッグ』の奴らが居たら、どうするんだよ。簡単にAB〇一八を破壊は出来ないじゃないか。あいつら、あんたらとは逆の事を考えているんだろ。田爪健三を使って、AB〇一八を制御して、自分たちの手中に収めようとしている。あのアジア最強の部隊が立ちはだかったら、さすがにあんた達でも苦戦するんじゃないか」

 浜田の指摘に、宇城は苦笑いした。

「かもな。簡単に倒せる敵ではない。しかも、装備では彼らの方が完全に我々を上回っている。苦戦は承知の上だ。だが、我々もただの一平卒ではない。AB〇一八の施設には、それなりの装備と人員で向かい、敵の裏を掻いて慎重に潜入するつもりだ」

 浜田圭二は、今度は不安そうに尋ねた。

「そんなのん気な事を言っていて、いいのかよ。その前に、ここからどうやって出るんだ? 田爪健三を連れて、また、俺が通ってきたあの細いケーブル用の地下道でも通っていくのか。あんたと美歩ちゃんはともかく、そっちのデカイのは、通れないだろ。それに、移動用の台車みたいなのも、一人分しかないし。どうするんだよ」

 山本少尉は、またムッとした表情で言った。

「ヘリで移動するに決まってるだろ。だから、急いでるんじゃないか。この爺さんも病院に運ばないといけない。とにかく、敵と鉢合わせする前に、ここから出るんだよ。ったく、誰のせいで時間くったと思っているんだ」

 浜田圭二は口を尖らせて反論した。

「鉢合わせする前って、もう、囲まれているじゃねえか。外の『紅深の旅団』の連中も、いつまでも狭い民間のトラックの中で我慢している訳ないだろ。もう、とっくに中に入って来ているはずだ。そいつらの間を通って、どうやってヘリまで行くんだよ」

「民間のトラック?」

 外村美歩が宇城大尉と顔を見合わせた。

 山本少尉は慌ててマシンガンの弾倉を抜いて、残量を確認しながら言った。

「おいおい、早く言えよ。どおりで、さっきから、仲間からの連絡が無いと思っていたんだ」

 山本少尉に続いて、耳のイヤホンを指先で押さえながら、宇城大尉が言った。

「くそ。通信が遮断されている。敵がステルス波ジャミングを仕掛けているのかもしれん。探偵さん、そのトラックは何台くらい来ていたんだ」

「いや、悪かったよ。とっくに知ってるものだと、思ったもんだからさ……」

「何台くらいだ」

 苛立ったように尋ねた宇城大尉に、浜田はすぐに答えた。

「ええと、葉路原丘公園から見た感じだと、コンテナ・トラックが十五、六台に、荷台にシートを被せた重機運搬用のトラックが十台前後ってところだな。あ、公園にも監視兵がいて、下のトラックとレーザー通信をしていたぞ。それから、南北幹線道路を北上していたトラックも何台か見た。どれも全部、ライトを消していたよ」

 山本少尉が吐き捨てるように言った。

「くそ。移動中のヘリからの目視で、分からないはずだぜ。偽装して、あの渋滞に紛れていたとはな」

 宇城大尉は山本少尉に手で合図を送ると、喉に貼り付けた無線のマイクで綾少尉を呼び続けた。

 山本少尉は、指示された通り、マシンガンを構えて暗い廊下を奥へと進んでいった。



                  四

 外灯に照らされた緑の芝を大粒の雨が叩いていた。その庭園は、昭憲田池の辺に建っているGIESCOの八つの巨大ビルの下に、池と反対側の位置に西へと広がっている。芝で覆われた平らな庭は遠くまで続いていて、端は斜面になって下っていた。その斜面は、土留めの代わりにコンクリート製の階段作りになっている。階段の下には並木道が南北に走っていて、その道から各ビルの正面玄関前のロータリーの所まで、芝の庭園を貫く形で一直線に、アスファルトを敷いた幅の広い道路が延びていた。各ビルの前まで続くそれらの道路は、斜面の階段と階段の間の部分で緩やかなスロープになっていて、そこから玄関前のロータリーまでは、かなり長い距離があった。その左右に広がる広い芝の庭園は、ビルごとにイチョウやサクラなどの季節の木々で区切られている。それらの木々と長いアスファルトの道路の間の芝の上には、その道路に沿って五十メートル間隔で警備用のロボットが四機ずつ据え置かれていた。豪雨に打たれながら静止している巨大なロボットたちは、設置にあたり「警備用」として国に届け出られたものであったが、それらはいずれもGIESCOが開発した軍事用ロボットで、通常は海軍の巡洋艦の甲板に設置するものだった。肩に二門の大型の砲筒を備え、腕には中距離射撃用の大型ライフルと接近射撃用のマシンガンを装備していて、攻撃力も破壊力も共に戦車に匹敵する。重心の低い二足歩行型戦闘用ロボットたちは、全てビルを背にして西の斜面方角を向いていた。降り注ぐ雨を気にすることなく、ただ黙ってそこに立っている。

 すると、その内の一機の頭部に供えられた動体感知カメラの横の小さなランプが赤く点滅した。ロボットは頭部を左右に細かく動かすと、腕の銃器の角度をそれに合わせて左右に振る。静止していた他のロボットたちも呼応するように一斉に動き出した。雨水を溜めた芝から鋼鉄の足を上げ、ゆっくりと踏み出す。彼らは互いに赤外線通信を繰り返し、芝を削りながら悠然と歩き始めた。察知した敵の位置から計算した最適の対応を導き出した彼らは、広い芝の庭園の上にスムーズに散開し、迎撃態勢をとる。位置に着いたそれぞれのロボットたちは、適切な防衛体勢を整えていった。そして、一斉に、雨飛沫で白く浮き立つ庭園の先の地平線に、機体に備え付けられた全ての銃器の銃口を向けた。夜の庭園は沈黙し、雨音だけが鳴り響いている。ロボットの銃器の先端から水滴が滴り落ちる。カメラのレンズに付いた雨粒が彼らの視界を狂わせた。ロボットたちは視界を補正し、銃口を向けた庭園の端の芝の切れ目を水平に映し直す。

 突如、その芝の地平線の上の各所で閃光が走り、芝と奥の景色の境を白く覆って判別できなくした。その横に伸びた白光の帯の中から、無数のロケット弾が赤い炎を噴きながら飛び出してきて、ロボットに向かって突進する。ほとんどのロボットはそれを撃ち落したが、数機は被弾し、破壊された。雨の中に炎が広がり、庭園を赤茶色に照らす。雨に押されて落ちながら流れる黒煙がロボットたちの視界を遮った。その黒煙を衝き抜けて、斜面の下から、斜面と同じ角度で斜めに、無数の赤い光線が天に延びた。それらは、徐々に角度を倒して水平に近づいてくる。水飛沫で白くぼやけた庭園の端の斜面の下から一斉に、横一列に並んだ赤い人影が姿を現した。照準用の細く赤いレーザー光線が、それらの赤い人影から真っ直ぐに延びている。彼らは皆、深紅の超合金製の鎧と鉄仮面と兜で全身を覆っていて、まるでロボットのような出立ちであった。腰の横には大きな銃器を両腕で提げて構えている。彼らが歩調を合わせて斜面の階段を上ってくると、ロボット達は一斉に威嚇射撃を開始した。赤い装甲兵たちの足下に銃弾が撃ち込まれ、土を舞い上がらせる。赤い装甲兵たちは立ち止まることなく、ロボット達のボディに照準のレーザー光線を当てたまま、定速で進攻してくる。標的との間合いを詰めた彼らは、一斉に射撃を開始した。強烈な威力の銃撃を体で受け止めたロボットたちは、体から火花を散らしながら、両腕の機関砲とライフルを連射して、反撃を開始する。ロボットの機関砲射撃は超合金製の硬い鎧で銃弾を受け止める深紅の旅団レッド・ブリッグの赤い装甲歩兵たちを押し戻していく。装甲歩兵たちのある者は倒れ、ある者はその場に踏みとどまりながら攻撃を続けた。片膝を芝の上に付いて座った後方の赤い兵士が、肩にロケット・ランチャーを構え、前の兵士がロボットの銃撃に倒れるとすぐに、ロケット弾を発射した。懸命に攻撃を続ける赤い装甲兵の間を炎の塊が飛び進み、ロボットにぶつかって炸裂する。ロボットは光の玉を抱えて後ろに倒れたが、暫くすると、上半身を起こして、再び銃撃を開始した。同時に、背中に折り畳んでいた補助用の足を地面に伸ばして、それを使って一気に立ち上がる。三脚で立ったロボットは、そのまま上半身を水平に左右に回しながら、両腕の機関砲の先から炎を噴かせ続けた。

 激しく降り注ぐ雨の中を、光の筋や炎の塊が凄まじい勢いで前後左右に飛び交う。至る所で爆音が響き、土煙が舞い、炎が立ち上がった。地響きがビルを揺らし、銃弾と爆風がビルの壁面の分厚い窓ガラスを粉砕していく。爆発により根ごと掘り返されたサクラの木が宙を舞い、ロボットの上に落下した。ロボットはその木を払いのけ、目の前の赤い装甲具の兵士に腕の先の機関砲を向けると、自動的に銃弾を浴びせた。強烈な銃撃を受けた数名の赤い装甲兵が宙に浮き、庭園の向こうの斜面の下まで吹き飛ばされていく。その斜面の下から低いエンジン音が鳴り響き、大地の芝が土ごと小刻みに揺れた。揺れは次第に大きくなり、やがて斜面の縁から赤色の太い砲筒の先端がゆっくりと姿を現した。それを感知した近くのロボットがそこに向かって集中砲火を浴びせたが、赤い中型戦車はそれらの弾丸を撥ね返しながら前進してくる。前面の装甲板に猛烈に火花を散らしつつも、それを押し返すように、ゆっくりと、階段を崩しながら斜面を上がる。ロボットは肩の砲筒にロケット砲弾を装填してその戦車に照準を合わせた。芝の上まで上がりきった戦車は、深紅の車体を水平に戻すと、素早く砲塔を動かして、そのロボットに向けた。反動で若干後ろに下がった赤い戦車の砲筒の先から、一瞬だけ、そのロボットまで黄色い炎の線が走ると、至近距離から砲弾を撃ち込まれたロボットは、上半身を木っ端微塵に四方に散らして爆発し、破壊された。道路沿いで赤い装甲兵に銃弾を浴びせていた他のロボットたちは、算出された撃退優先順位に従って、一斉に戦車の方に体の向きを変える。すると今度は、ビルの前のロータリーから伸びている道路の先のスロープを、赤い装甲車が勢いよく上ってきて、そのままビルに向けて突進していった。水飛沫を左右に巻き上げながら進むその深紅の装甲車は、屋根の上の二門の機関砲で左右に射撃を続けながら、飛沫と火花を散らして、長い道路をロータリーに向けて猛進する。ロボットたちは再度、体の向きを変え、装甲車を追って機関砲を撃ち始めた。そのロボットの背中に、戦車からの砲撃が注がれる。炎と黒煙を昇らせる下半身だけのロボットの残骸の横を、赤い装甲兵たちが連射砲を撃ちながら前進していった。一方、赤い装甲車は、後方の戦車と歩兵からの援護射撃の中を猛スピードで直進すると、勢いそのままにロータリーの中央の池の淵壁を踏み潰して、池の中に飛び込んだ。装甲車は池の水を左右に押し飛ばすと、そのまま直進し、その先の淵壁も薙ぎ倒して、さらに前進した。ビルの玄関に設置されていたガラス製の回転扉の部分に突っ込み、周囲の強化ガラス製の壁ごと無茶苦茶に破壊して、そのビル内に突入していく。広いエントランスの中央で車体を反転させて急停止した赤い装甲車は、射撃を止め、車体の側面のスライド式のドアを開けた。中から赤い装甲具に身を包んだ十数人の歩兵が雪崩を打って降りてくる。速やかに隊列を組んだ彼らは、腰の横に抱えた大きな機関砲を撃ちながら、ビルの奥へと進攻していった。四人一組の班に分かれた彼らは、それぞれ発砲音と機械音を鳴らしながら、ビルの通路へと消えていった。



                  五

 他の円筒状のガラス張りのビルにも同じように深紅の装甲車が突入していき、各ビルの内部に赤い機械化歩兵の分隊を次々と送り込んでいく。ロボットたちからの攻撃によってロータリーの前で横転した装甲車もあったが、その中からも、無傷の赤い装甲歩兵たちが出てきて、飛び交う弾丸の中を躊躇することなく前進し、所定のビルの中へと入っていった。

 降りしきる雨の中、八つのビルの前に広がった十六の芝の広場の上では、至る所で閃光が走り、発砲音が鳴り響いた。時折、火柱と黒煙が交互に上がり、土砂が宙を舞わせる。散発的な小規模の爆発が大地を揺らし、その振動は、二号棟の地下深くに居る浜田たちにも伝わった。天井から微かに響いてくる爆音と振動を感じ取った外村美歩が、眉間に皺を寄せて、早口で言った。

「十七師団の攻撃が始まったわ。小杉さんを何とかしないと。オジさん、人手が足りないの。手伝ってくれる?」

 浜田圭二は、ゆっくりと落ち着いて答えた。

「そりゃあ、勿論だぜ。命を救ってもらった上に、親の敵まで倒してもらったんだ。このまま帰ったんじゃ、申し訳ないぜ。ていうか、帰れないし」

 宇城大尉が叫んだ。

「くそ。綾から応答が無い!」

 そしてすぐに、喉のマイクに指先を当てて、レーザー通信無線で山本少尉に確認する。

「山本、さっき爺さんが言っていたマシンは有ったか」

 廊下の奥の突き当たりにある鉄製のドアを開けて中を覗いた山本少尉が、無線で答えた。

『有りました』

 喉のマイクに手を当てたまま、宇城大尉は山本少尉と浜田圭二に続けて指示を出す。

「よし。戻って来い。おい、探偵さん。この爺さんを奥の部屋まで運んでくれ」

「わかったぜ」

 浜田圭二は、意識を失っている小杉を抱え上げた。そこへ、山本少尉が戻ってきた。

「綾は? 探しに行かないと! 敵に捕まったのかもしれ……」

 宇城大尉は狼狽する山本を制止して、人差し指で自分の耳を指した。

 山本少尉も外村美歩も浜田圭二も動きを止め、宇城大尉と同じく、聴覚に集中する。

 宇城大尉は、先ほど自分たちが進んできた廊下の角に顔を向けた。彼の視線の先の、細い廊下の曲がり角の向こうから、小刻みな複数の足音が聞こえる。

 二人の兵士は、素早く反応した。

 宇城大尉は前に出て片膝を突き、もう片方の足を前に出して立てた。マシンガンを肩に当てて構え、銃身の側面に顔を添えて照準を廊下の突き当たりの角に当てる。その後方では、山本少尉が少しだけ腰を落として立ったまま据銃し、高い位置から宇城と同じ位置を狙った。

 足音は次第に大きくなってきた。宇城大尉は集中し、足音を聞き分けると、左手を小銃の前のグリップから放して、後ろの山本に、三本の指を立てて見せた。山本は肘に力を入れて、マシンガンを構え直す。

 足音は大きくなり、角の手前まで迫ってきた。その時、宇城と山本のイヤホンに通信が入った。

『敵襲です。仲間が角を曲がります!』

 綾少尉の声だった。息が切れている。

 角から繋ぎ服を着た若い男が飛び出した。

「うわああ、来ましたあ! 大尉いい! 敵ですう。敵い!」

 見習いパイロットの下村剛だった。続いて、繋ぎ服の上に革ジャンを羽織った中年の男が、肩を上げて飛び出してきた。男は立ち止まって後ろを振り向いたが、頭を下げて、直ぐにこちらに走り出した。そして、短い腕を精一杯に伸ばして必死に左右に振りながら、こちらで銃を構えている宇城大尉と山本少尉に向けて叫んだ。

「違う、違う。撃つな! 味方だ。外村ちゃんの専属パイロットの山口だ、山口。十七師団の奴らが来たぞ。あいつらマジで撃ってきやがった。ヤバイ!」

 キャップを押さえながら、角から蟹股で走って来る山口健士の後ろで銃声が鳴り響いた。同時に、横方向に水平な閃光が何本も走ると、右の側壁が打撃音と粉塵を散らした。角を曲がった先から、連続する銃声と共に、肩に構えたマシンガンの銃口から炎を噴かせながら後退してくる綾少尉が姿を現した。それを見た山本少尉が駆け出していく。

 宇城大尉は振り向いて外村に叫んだ。

「美歩、奥の部屋に入れ。ここは危険だ!」

 綾の援護に駆けつけた山本少尉は、大きな体を角の手前の左の壁に隠したまま、前と後ろのグリップを握ったマシンガンを角から突き出して撃った。そのまま、マシンガンの側面のパネルに映った曲がり角の先の映像を見ながら、弾倉が空になるまで射撃を続ける。その隙にマシンガンの弾倉を素早く引き抜いて新たな弾倉を装填した綾少尉は、角に立ったまま、再び、視線の先に伸びる廊下の奥にいる敵に向けて射撃を始めた。今度は正確に丁寧に、一発ずつ弾丸を撃ち込んでいく。

 引き金を引きながら、綾少尉が叫んだ。

「外は赤蟻どもで真っ赤よ! あいつら、いつの間にやって来たのよ」

 壁際に身を隠して急いで弾倉を入れ替えながら、山本少尉が答えた。

「奴ら民間のトラックに偽装して、外の渋滞に紛れて接近して来たみたいだ。探偵さんの話じゃ、コンテナ・トラック十五、六台分らしい。という事は、歩兵だけで三百人近くは来てるぞ。いや、その倍はいるかもしれん!」

 山本少尉は角から半身を乗り出して、再びマシンガンの連射を始めた。その後ろから綾少尉が、単発モードに切り替えたマシンガンでこまめに撃ちながら、嘆くように言った。

「冗談でしょ。こっちの部隊の十倍以上じゃない! もう! せっかくの休暇だったのに!」

 曲がり角の先の廊下の突き当たりにある下り階段の途中に陣取っていた四名の赤い敵兵は、山本の猛撃と綾の正確な射撃に前進を阻まれ、弾を避けながらの不規則な発砲を続けていた。しかし、山本や綾が放つ弾丸が、自分達が装着している超合金の鎧を貫通する事は無いということが分かると、今度は、飛んでくる弾を避ける事もせず、平然と跳ね返しながら、一段ずつ前に階段を登り始めた。

 綾少尉が叫んだ。

「山本! 奴らのアーマースーツは、こっちの弾を跳ね返す! 撃っても効かない!」

「知ってるよ、クソ!」

 そう叫んだ山本少尉は、撃ち終えたマシンガンを後方に投げ捨てると、射撃を続けている綾少尉の腕を掴み、こちら側に引き込んだ。同時に、腰から取り外した手榴弾を角をから廊下の先の敵に向けて投げ込む。アイスホッケーのパックのような形をした手榴弾は廊下の上を滑って行き、その先の階段を数段ほど転がり落ちて、敵の赤い兵士たちの足下で停止した。その手榴弾を挟んで階段の上下に二人ずつ位置していた赤い兵士たちは、一斉に手榴弾から離れたが、その中の一人の兵士が逆に手榴弾の上に飛び込んで覆いかぶさった。次の瞬間、手榴弾は爆発し、覆いかぶさった兵士の体が宙に浮いて、下の踊り場の床に落下した。周囲で伏せていた三人の赤い兵士たちは一斉に立ち上がり、状況を確認する。崩れ落ちて寸断された階段の上の方には二名、下の方の踊り場には覆いかぶさった兵士と、もう一人の赤い兵士がいた。その兵士は、うつ伏せのまま動かない兵士に駆け寄る。身を投じて皆の盾となったその兵士は鋼鉄の鎧の肩や腰の間接部分からは不規則に火花を散らして倒れていたが、やがて、黒く焦げてクレーター状に凹んだ胸を押さえながら、ヨロヨロと立ち上がった。駆け寄った兵士が肩を貸して支えると、二人は、そのまま階段を下りていった。

 寸断された階段の上の方から仲間の無事を確認した二人の赤い兵士は、直ぐに振り向いて、大型の銃を腰の横で重そうに構えたまま前進した。間接の動きを補助するモーターの音と金属の摩擦音、低く鈍い足音を響かせながら、細く長い廊下を突き当たりの角に向かって前進して行く。角に達した二人の兵士は、躊躇する事なく右に角を曲がり、その先の廊下を塞ぐように並び立つと、すぐに猛烈な銃撃を開始した。彼らの鉄仮面から見える視界には、外の風景に重ねて様々なデータが映し出されている。長く伸びた廊下の先には、閉じられた鋼鉄製のドアがあったが、彼らには、そのドアが白い点線で囲まれて強調表示されて見えていて、その左下には、ドアまでの距離がデジタル調の数字で小さく表示されていた。自分達が撃ち込んだ弾丸が着弾した各箇所の上に、白いマル印が一瞬だけ示され、そのドアの向こうに熱反応がある事を示すマークまでもが、ドアの手前に表示されている。

 前進する彼らが射撃しながら探索を続けると、廊下の途中に横たわっている刀傷の男を白い点線が囲んだ。その横に死体を示す文字が表示される。連射を終えた二人の赤い兵士たちは、顔を見合わせ、互いの透明スクリーンから見える、突き当りのドアまでの間の景色に、敵の存在を示す表示が現われていないことを確認すると、無数の弾丸がめり込んだその鋼鉄製のドアを目掛けて速度を上げて前進を開始した。彼らは、鋼鉄のブーツで割れた蛍光灯の破片や散らばった薬きょうを踏みつけながら、斜めに前後する位置を保って前進していく。廊下を半分ほど進むと、前の一人が刀傷の男の遺体の足の上を跨いで、奥へと進んでいった。その後から次の兵士が遺体の頭の上を跨ごうとした時、彼の画像に、生体反応を示す矢印が斜め下を向いて表示された。彼が矢印の示す方向に視界を動かすと、刀傷の男の遺体が横に転がり、その下から、床に寝転んだまま、こちらにグロッグ〇三八・マークⅡの銃口を向けた綾少尉が現われた。綾少尉は素早く引き金を引く。彼女の右手に握られていた漆黒のグロッグ〇三八・マークⅡの銃口から発射された一発の弾丸は、空気を切り裂いて直進すると、赤い装甲兵の喉の繋ぎ目の隙間から入り、鈍い音を放って首の後ろへと抜けた。その兵士は左手で喉を押さえながら、右手に握っていた大型の銃を綾に向ける。素早く身を起こした綾少尉は、その大型の銃の長い銃身を左手で握り押さえ、小さな体を前に出して、敵の鎧の顎の下にある呼吸口にグロッグの銃口を押し当てた。短く銃声が響き、その赤い装甲兵は鋼鉄の兜を一瞬震えさせて、直立したまま後方に倒れた。

 前を進んでいた兵士は、後方の異変に気付き、銃を構えたまま体を反転させ後ろを向いた。すると、その兵士の背後で、無数の窪みをつけた鋼鉄のドアが開いた。その音に反応した赤い兵士が再び前を向きなおすと、開いたドアの向こうには、小型の筒状のものを脇に構えて足を踏ん張っている山本少尉が立っていた。

「こいつは、避けた方がいいぞ」

 一言そう忠告した山本少尉は、抱えた小型ロケット砲の発射ボタンを押した。

 目の前から発射されたロケット弾を鳩尾で受け止めた赤い鎧の兵士は、体を海老のように曲げたまま宙に浮き、床に伏せた綾少尉の黒髪を舞い上げながら彼女の上を通過すると、そのまま、細く長い廊下を凄まじい速度で飛ばされていった。突当りの角の壁に激突した彼は、強烈な閃光と熱風、轟音、衝撃波を放って散った。

 綾少尉が長い黒髪をかき上げながら起き上がる。振り向くと、白煙に包まれたその曲がり角は床も天井も壁も崩れ落ちていて、鉄骨の柱以外は何も残っていなかった。その向こうに焼け焦げた土の壁が見えていて、そこに幾つかの赤い鉄片が突き刺さっている。

 部屋の中に綾少尉を招き入れた山本少尉は、煙を上げている筒を投げ捨てると、悲しそうな顔で鋼鉄製のドアを静かに閉めた。

 細く長い廊下には、暗闇の中、いつまでも白煙が漂っていた。



                  六

 その巨大な地下ドックは天井も高かった。高い位置に突き出した視察室の灯は消えている。下の床には何台もの機械やボンベが置かれたままで、赤や黄色、緑などのケーブルや様々な工具が無造作に散らばっていた。しかし、床の上に引かれた白線の上には何も置かれていない。突き当たりの大きなシャッターの下から引かれているその白線は床の上を真っ直ぐに走り、屋根にバルカン砲を積んだ装甲車のような乗り物の下まで続いていた。

 外村美歩は、その鋼鉄製の黒い乗り物を見て言った。

「これが、『ノア零一』ね」

 小杉を抱えた浜田圭二が、外村に尋ねる。

「これは、何なんだ? 戦車か?」

「いいえ。ストンスロプ社が極秘に開発を進めた新型の兵員輸送機よ。陸海空すべてに対応できる汎用型輸送機。これをAB〇一八の設置されているビルまで運ばないといけないのかしら……」

「これを運ぶ?」

「そう。これで、AB〇一八を破壊することができると、光絵会長は言っていたわ」

「やっぱり、ぶっ壊すのか? じゃあ、その為に作られたものなのか。こんな地下室で、こっそり」

「ええ。おそらくストンスロプ社の光絵会長は、NNC社がバイオコンピュータAB〇一八を開発した時から、その危険性に気付いていた。だから、自社が開発した量子コンピュータIMUTAと接続するSAI五KTシステムの構想に、当初から反対していたのかもしれない。でも結局、田爪と高橋によって、二つの高性能コンピュータは接続されてしまった。だから、GIESCOはAB〇一八の監視を始めて、一方で、このような事態に対応するため、この兵員輸送機の開発を進めたのかもしれない」

「このような事態って、やっぱり、そんなに切迫してるのか」

「ええ。宇城大尉によれば、AB〇一八の処理速度が、物理的な時間の最小単位を超える速さに達するのは、まさしく『時間の問題』だそうよ。つまり、物理的限界値を超えて神の領域に達してしまう。そうなれば、人類は永遠にコンピュータの言いなり。だから、一刻も早く破壊するしかない」

 浜田圭二は、少し見栄を張って言った。

「やっぱり、思ったとおりだぜ。とは言っても、細かな仕組みまでは、俺もよく解んねえわけだが……。俺自身をネットからスタンド・アロンにしておいてよかったぜ。まあ、車は単に俺の趣味だがな。それにしても、神の領域って、そんなに、すげえのか、AB〇一八って。そんな奴を、こんなので倒せるのかよ。このマシンは、そんなに高性能なのか」

 外村美歩は、浜田圭二の三つの問いに戸惑ったが、冷静に答えた。

「そうね。すごいわ。装甲には耐核熱金属を使用。動力には量子エネルギー・エンジン、離着陸には最新式のプロペラ・スライド・システム、水中航行時にはイオン・モーターとパルス・スクリューを使用するそうよ。勿論、アンチ・レーダーの新型プラズマ・ステルス機能で、敵のレーダーに感知される事もない。ほとんど電力を使用しないから、微量電磁波を探知される事もない。電波も赤外線通信も使用しない。ネット通信による制御もね。だから、管制塔による指揮も必要としない。内部に搭載した大型コンピュータで、全て対処できるそうよ。完全自立型のスタンド・アロン・タイプね。現代の自動車や航空機、軍用の移動ツールは、そのほとんどが高次元ネットワークに接続していて、機械保守や制御などをインターネット経由のリアルタイム・メンテナンスに依存している。つまり、すべてがAB〇一八の支配下にある。でも、このノア零一なら、インターネット回線とは完全に独立しているから、敵に位置を察知されたり、ハッキングされたりする危険無しに、AB〇一八に近づく事ができる。現時点では、我々が使える唯一の移動手段よ」

「へえ……」

 大口を開けたまま、そう答えた浜田圭二は、その黒く大きな乗り物の前で小杉を抱えたまま、改めて、その機体を隅々まで観察した。そして、一言だけ付け足した。

「普通に、ガソリン・カーで移動すりゃ、いいんじゃねえか?」

 外村美歩は、浜田に抱えられた小杉に視線を送り、言った。

「そうね。でも、小杉さんは言っていたわ。この機体は、この事態に対応するためのオリジナルの機体だと。だとすると、このノア零一には、何か特別な秘密があるのかもしれないわね」

 そこへ、部屋中の哨戒を終えた宇城大尉が戻ってきた。

「大丈夫。このドックの中に敵はいない。だが、電気も内線電話も繋がらない。このビル全体の電力供給と通信手段を切断されたようだ。とりあえず今は、緊急用の自家発電機で灯だけはついているが、いつまで続くか……」

 ノア零一の後部のハッチがゆっくりと開き、タラップのついた扉が斜めに倒れてきた。

 宇城大尉は、それを見ながら呟いた。

「あの阿部大佐が、偽装戦術を使うとは。正面から堂々と行軍してくるものと考えていたが、裏をかかれたか……」

 ハッチが角度をつけて完全に開ききると、今度は前方の操縦席の横のドアがスライドして開き、中から山口健士が顔を覗かせた。

「外村ちゃん……いや、失礼しました。外村大佐」

 山口健士は、ばつが悪そうに頭を掻きながら、外村に報告した。

「このタイプなら、手動でも、なんとか操縦は出来ると思う。基本的には、旧式の戦闘ヘリと同じみたいだからな。人間が感覚で機体のバランスをとるタイプだ。ま、その方が俺にはピッタリですがね。でも、潜水艦の操縦は経験ありませんから、水中走行には自信がないですよ。それと、この、スライドする天井板に固定された前後のプロペラ。こいつは、俺だって初めて使ってみる代物だ。乗り心地には期待しないで下さいよ。いくら大佐といえども、振動についての文句は、受け付けられませんからね」

 外村美歩は、クスリと笑って、答えた。

「動かせるというだけで、十分です」

 すると、その輸送機に重ねられた二枚の屋根板が、互い違いに前後してスライドし、板の中央に開いた穴にあるプロペラが回転を始めた。

 山口健士は体を操縦席の方に戻して、隣に座っていた下村に言った。

「コラッ、下村! 勝手に触るんじゃねえ! シミュレーターじゃねえんだぞ!」

 少し離れた所に移動していた宇城大尉は高い位置の天井と壁の角を見上げながら、喉もとのマイクに手を当てて、通信をした。

「綾、どうだ。拾えたか」

 イヤホンに綾少尉の声が響いた。

『駄目です。拾えません』

「よし、分かった。気をつけて下りて来い」

『了解』

 壁際の高いハシゴに沿って、綾少尉が降下用の粘性ワイヤーで滑らかにゆっくりと下りてきた。

 外村美歩は、こちら向かって歩いて来る宇城に尋ねた。

「どうしたの?」

「高所で味方のアナログ通信の電波を拾わせたんだが、駄目みたいだ。あの高さでアナログ電波も拾えないって事は、十七師団の奴ら、よほど強力な妨害電波でジャミングしていやがる」

 深刻な顔でそう答えた宇城大尉は、再び喉のマイクに手を当てて、通信した。

「山本。そっちはどうだ」

『ばっちりです。機嫌よく、出かけていきましたよ』

「よし。全員、輸送機の前に集合だ」

 輸送機から降りて走ってきた下村剛が、前を歩く山口健士の肩を叩いて、言った。

「ねえ、師匠。あの兵隊さん、あそこで何やっているんですか」

 下村が指差した先では、床に開いた四角い穴の中から重いランドパックを放り上げ、続いて上がってくる山本少尉の頭と逞しい肩、太い腕が見えていた。

 山口健士は不機嫌そうに答えた。

「あのな、『兵隊さん』じゃねえだろ。てめえも、その『兵隊さん』だろうが! 実戦だぞ、これ。少しは緊張感を持て! だいたい、なんで、先に帰ったはずのお前が、ここに居るんだよ。宇城さん達の部隊を運んで来たら、そのまま俺のオムナクトを操縦して帰ったんじゃなかったのか。俺のヘリはどうなったんだよ」

「やられました。駐車場の上に落ちて、木っ端微塵。ボカン」

 山口健士は下村の襟首を掴み上げて、紅潮した顔を近づけて言った。

「はあ? なんだって? ボカン? てめえ、なんで命がけで守らなかった! あの機体を俺がどれだけ丹誠込めて整備してきたと思っているんだ。孫より大事にしていたんだぞ!」

「だって、師匠。十七師団の人たち、戦車やら装甲車やら、全部をインビジグラム装甲にしていたんですよ。透明になってたら、上からじゃ、とても分からないですよ。しかも、こっちが完全に上昇しきる前に、あんな距離から、五十ミリ砲を食らったんですから。脱出するのが精一杯でしたよ」

「パイロットなら、死んでも機体を守れ!……いや、死なんでもいいが……とにかく、俺のあの機体は守れ! ああ、俺がポケットマネーをどんだけ注ぎ込んだと思ってるんだ。操縦桿の本革製のグリップカバーとか、シートのフサフサの奴とか、ミニ冷蔵庫もこっそり乗せていたんだぞ。ミニ冷蔵庫。はああ。は、しまった。中のアイス! 楽しみにとっておいたのに。こんな事なら、全部、食べておくんだった。かああ」

 山口健士は、力なく床に両手をついて座り込んだ。それを見た下村は、横を歩いていた綾少尉に言った。

「少尉。師匠のこと、助けなくても良かったんじゃないですか。いっそ、あのまま、集中砲火を受けた大型輸送ヘリごと吹き飛んじゃえば……」

 涙目の山口健士は、下村に飛び掛った。

「てめえ! 聞こえたぞ。それが師匠に向かって言う言葉か。破門だ、破門!」

 横で聞いていた綾少尉が、黒髪をかき上げながら呆れ顔で言った。

「あの……今、戦闘中なんですけど、『兵隊さん』たち」

 綾少尉の横に立っていた浜田圭二が彼女の耳元に顔を近づけて、小声で尋ねる。

「軍隊って、いつも、こんな感じなのか?」

 綾少尉は、浜田から顔を離すと、困った表情のまま黙って首を何度も横に振った。

「よし。全員、聞いてくれ」

 宇城大尉がノア零一の開けられた後部ハッチの前に集まった六人に言った。

「我々は今、敵に囲まれている。田爪を捜索している他の仲間たちも、この施設のどこかで十七師団の連中と交戦しているはずだ。しかも、仲間たちとの通信は妨害されている。だから、正確な状況が判らん」

 腰に手を当てて、厳しい視線を飛ばしながら、宇城大尉は強い口調で説明した。

「はっきりしているのは、三つ。敵は陸軍最強の機械化歩兵部隊、第一七師団であるということ。敵の具体的人数は不明だが、山口中尉や下村の話と探偵さんの話を総合すれば、現時点で、この施設内にいる我々の部隊よりも、敵の数の方が遥かに多いということ。少なくとも、我々の部隊の十倍以上の数だ。そして最後は、ここに本部から我々の応援の部隊が到着するには、暫く時間がかかるということだ」

 山本少尉が鎧についた埃を払いながら、言った。

「つまり、戦力では圧倒的に不利な状況で、自力で脱出しろと」

「そうだ。しかも、仲間同士の戦闘だ。我々が敵の戦い方を知っているのと同様に、敵も我々の戦い方を知っている。それに、仲間討ちは後に禍根を残す。だから、皆殺しが鉄則だ。敵は、そのつもりで攻めてくる」

 暫く、沈黙が走った。

 すると、山口健士が手を挙げて宇城に尋ねた。

「通信できねえって言っていたが、大尉たちは通信しているじゃないですか。それで、ここにいる他の仲間のチームと連絡をとって、集合するなり、作戦を練るなり、もしくは時間を稼ぐって事は出来ないんですかい?」

 横に居た綾少尉が、喉に巻いた通信機を指差しながら答えた。

「これは、短距離用のレーザー通信機よ」

 宇城大尉が説明を続けた。

「基本的には、不可視のレーザー光線の照射で通信している。簡単に言えば、昔のテレビのリモコンのようなものだ。壁の反射を利用しても、通信範囲はせいぜい百五、六十メートル。この方式では、とても他の棟にいる味方とは連絡がとれない。だいたい、ここは地下だしな。そこで、先ほど山本少尉に、床下の配管スペースに『クリーパー』を放ってもらったところだ。上手くいけば、他の仲間の隊に連絡がつく」

 浜田圭二が、小杉を床に寝かせながら尋ねた。

「クリーパー? なんだ、そりゃ」

 宇城大尉が答えた。

「四足で動く小型の伝令用ロボットだ。這って進むので、我々はそう呼んでいる。あいつらは味方の信号を捜し求めて、自由に配水管や下水管を伝って進むし、壁や天井に穴を開けて進んだりもする。他の味方が見つけてくれれば、ここの位置と我々の状況が分かる仕組みだ。そうすれば、助けが来る。山本、何機放った」

「六機です。しかし、大尉、敵も馬鹿じゃない。奴らに回収されたら、逆にこちらの位置を知られてしまうんじゃないですか?」

 宇城大尉は冷静に答えた。

「いや。さすがに、この短時間じゃ、我々独自の暗号を解読することは出来んはずだ。暗号コードは、いつもの軍の仕様のものとは全く変えてあるからな」

 山口健士が頭の後ろで両手を組んで言った。

「じゃあ、助けが来るまで、ここで待つんですかい?」

「いや。このまま助けが来るのを待っていたとしても、その前に敵がここにやって来る確率の方が高い。そうなれば、この陣構えでは消耗戦になる。勝ち目はない。それに、重傷者もいる。そこで、チームを二つに分けようと思う。一つは、ここを出て、病院へ。もう一つのチームは、もともとの作戦を実行する」

 しゃがんでいた浜田圭二が、ハットを少し持ち上げて、尋ねた。

「もともとの作戦というと、このノア零一でAB〇一八のところまで行くのか。どうやって。外は深紅の旅団レッド・ブリッグの連中に囲まれちまっているんだぜ。もう一チームの方だって、どうやって病院まで行くんだ」

 宇城大尉は左腕に取り付けた端末のパネルを操作して、皆に見えるところにホログラフィー画像の図面を投影した。

「これは、この建物の敷地の図面だ。ここが、今我々が居るドックの真上の第二号棟。そして、こっちが第一号棟。南東に並んでいるのは、三号棟から八号棟だ。敵は、このラインと、このラインで陣営を張っているはずだ。下村が操縦していたオムナクト・ヘリが砲撃されたのが、この方角。そうすると、この南東から北東への方位への移動は、完全に封じられていると考えていい」

 空中に表示された半透明の図面を指差しながら、宇城大尉はテンポ良く説明を続けた。

「敵が陣取っているのは西側一帯だ。ここの東には昭憲田池。おそらくいずれ、対岸から敵の上陸部隊が攻撃を仕掛けてくるだろう。北には第一号棟。幸いにも第一号棟は、医療関連の開発を行う研究施設になっている。という事は、最新の医療機器が揃っているはずだ。ここまで移動できれば、この爺さんは何とか助かるかもしれん。渡り廊下は落とされていると仮定すれば、地表に出るか、このまま地下を移動する必要がある。少し距離があるが、この第二号棟のすぐ隣だ。行けないことはあるまい」

 宇城の説明を聞いた下村剛と浜田圭二は顔を見合わせた。

 宇城大尉は、立体表示を新首都の市街図に切り替えた。

「もう一チームのAB〇一八までの移動については、外村大佐から説明してもらう」

 外村美歩は、皆の顔を見ながら説明した。

「AB〇一八までは、神経ケーブルを格納している地下トンネルを、このノア零一を使って移動するわ。光絵会長の話では、あの巨大地下トンネルには、この輸送機が進めるだけの隙間は確保されているそうよ。それに、あのシャッターの向こう側に続いているトンネルは、そのまま数キロ先で神経ケーブルの地下トンネルに合流しているはずだから、地下トンネルへの侵入そのものも難しくないはず。そのまま進めば、AB〇一八の施設に辿り着けるはずだわ」

 綾少尉は長い黒髪をかき上げながら、溜め息を漏らした。彼女は不満そうに言う。

「情報が曖昧ですね」

 宇城大尉が言った。

「それは仕方がない。たった今、光絵会長から聞いたばかりの話だそうだからな。だが、話の内容は、我々が事前に分析していた内容とも、大方が一致している。という事は、信頼していい情報だろう。それに、ノア零一がこの大きさなら、あの地下トンネルは通れるはずだと、俺も個人的に、そう思う」

 綾少尉は少し悲しげな顔で黙って頷く。

 山本少尉が口を挟んだ。

「そんな曖昧な情報で動かなくても、AB〇一八まで行くんなら、ワープとかで行けばいいんじゃないですか? このノア零一は、田爪健三がいじっているんですよね。それなら、例のタイムマシンみたいに、AT理論を使ったワープとか、そういう機能が付いているんじゃないですか?」

 宇城大尉は、パイロットたちの方を見た。

 山口健士が答えた。

「たしかに、それらしいシステムは見て取れるが、俺はお断りだぜ。行き先の設定の仕方も分からねえし、仮に間違いなく設定できたとしても、スイッチを押した途端に、南米のジャングルに飛ばされたんじゃ、かなわんからな。それは無しだ。無し」

 宇城大尉は、山本の方に顔を向け直して、言った。

「そうなると、やはりトンネルを進むしか、手は無いな」

 浜田圭二が小杉の横にしゃがんだまま言った。

「ちょっと待てよ。その田爪健三の捜索はどうなるんだよ。奴が居ないと始まらないだろ」

 外村美歩が、険しい表情で言った。

「ここに来れば彼が居ると、光絵会長は言っていたのだけど……」

 綾少尉は眉間に皺を寄せて外村を一瞥すると、すぐに視線を逸らした。

 宇城大尉は、唇を噛みながら言った。

「まだ、ここに着いていない可能性があるということか」

 山本少尉が腕組みをする。

「だとすると、こっちから出迎えに行く必要がありますね。彼一人で移動できる状況じゃないですよ」

 宇城大尉が厳しい顔で頷く。外村美歩が呟いた。

「もう、敵に捕まってしまったのかしら……」

 それを聞いた他の兵士たちは、互いに目線を合わせ、予想外の事態への対処方法の提案を促し合った。しかし、だれからも妙案は出てこなかった。

 宇城大尉が仕切りをつけた。

「いずれにしても、我々にはこれ以上、田爪を捜索している時間はない。田爪無しで作戦続行だ」

 そう言うと、手際よく、指示を発していった。

「山口中尉はノア零一の操縦を頼む。我々三名と外村大佐が乗り込む。下村一等兵と探偵さんは、小杉さんを連れて第一号棟へ行ってくれ」

 下村剛は、不安そうに言った。

「僕たちだけですか。深紅の旅団レッド・ブリッグに見つかったら、どうすれば……」

 宇城大尉は、厳しい口調で下村に言った。

「お前も軍人だろ。しっかりしろ。あの奥に見えるドアを開けると階段がある。その先はクレーンの制御室と、あの視察室に繋がっている。その途中に、地上に抜ける非常階段に通じるドアがあった。そこを通れば、少しは安全に一号棟まで行けるはずだ。クリーパーにも、そう情報を入れた。運がよければ、我々の味方にも遭遇できるかもしれん。軍人なら何としても民間人を助け出せ。おまえに懸かっているんだ」

「そんな無茶な」

 そう言って涙目になった若い下村を見て、山本少尉は溜め息を吐く。彼は宇城に言った。

「大尉。そりゃ無理ですよ。こいつは、まだ戦闘訓練を受けていないし、戦闘どころか、戦術飛行もロクにできねえ、ただの運転士だ。ここに来る途中も、ほとんど自動操縦と神経感知型システムに頼りっきりだった奴ですよ。それに、大尉の仰るとおり、十七師団の奴ら、今回はマジですって。さっきだって、同じ国防兵の俺たちに本気で撃ってきやがった。この前のASKITの拠点島で戦った時だって、そうだったじゃないですか。本気でこっちを殺す気なんですよ。だから、もしこいつが見つかったら、瞬殺ですよ、きっと」

 山本少尉は、下村に冷ややか視線を送った。

 宇城大尉は、しゃがんでいた浜田の方を見て尋ねた。

「あんたは、どうなんだ。少しは闘えるのか」

「大尉……」

 外村美歩が宇城を制止した。

 浜田圭二は、ゆっくりと立ち上がりながら答えた。

「銃の使い方くらいなら、心得ているぜ。これでも、裏世界で生きている探偵だ」

 浜田の足下で横たわっている負傷した老人を見つめていた綾少尉が、はっと我に帰ったように宇城に言った。

「私が残ります。その方が現実的では……」

 山本が慌てて口を挟んだ。

「馬鹿言ってるんじゃねえよ。危ねえだろ! さっきの奴らと闘って分かっただろうが。奴ら、死を恐れてねえ。おまけに、見つけた相手は皆殺しにする勢いだ。あんなのがウヨウヨしてるんだぜ。お前を残せるかよ。俺が残るよ」

 宇城大尉が二人に言った。

「どちらにせよ、向かう先のAB〇一八の施設にも、十七師団の連中が待ち受けているのは確かだ。もし、阿部大佐もそこに居るとすれば、逮捕に抵抗する可能性が大きい。つまり、現地での奴らとの戦闘は避けられん。残念だが、作戦の優先順位としては、そちらが上位だ。戦力を分散する訳にはいかん」

 山本少尉が少し興奮したように返した。

「じゃあ、ガキと探偵と爺さんも一緒に乗せいけばいいじゃないですか! 少なくとも、ここに置いて行くよりはマシだ。ここで奴らに見つかったら、このメンバーじゃ、間違いなく皆殺しですよ」

 宇城大尉は悔しそうな表情で、声を荒げた。

「乗せられないんだ!」

 外村美歩が補足した。

「機体に乗せられる定員の数が少ないのよ。山口中尉、このノア零一には何人乗れるのか、説明して」

 山口健士は、悲痛な面持ちで答えた。

「操縦者も含め、最大で六名だ」

 山本少尉は振り向いて、機体を見ながら言った。

「そんな……これ、兵員輸送機なんだろ。たった六人って、どういうことだ。パイロットを除けば、五人じゃねえか。分隊一つも運べねえのかよ」

 山口健士が説明した。

「本来の基本構造は、内部に十分なスペースが空いている設計みたいだが、そこに、訳の分からん余計な機械が積んである。たぶん、量子エネルギー何とかって奴だろう。それに、積んでいる機械の重量があり過ぎる。この重さで前進できるのかも、実を言うと俺は不安を感じている。まして飛べるなんて、信じられんくらいだ」

 宇城大尉が言った。

「当初は、我々四人と田爪健三が乗り込んで、移動する計画だった。だが、今ここにいるのは八人だ。どうしても全員は乗せられん」

 綾少尉が言った。

「武器を下ろしたら? ミサイルの弾倉だけで、一つ百キロ近くの重さがある」

 宇城大尉は首を横に振る。

「いや、それは駄目だ。それでは、作戦が遂行できなくなる可能性がある。AB〇一八は、自己再生機能を備えたバイオコンピュータだ。田爪健三が見つからないとなれば、通常兵器を使って、火力で破壊するしかない。つまり、集中砲火で一気に焼き払う必要がある。場所は新首都のド真ん中だ。核兵器を使用する訳にもいかんからな。波状攻撃をしかけて、奴が再生する前に、最後に集中砲火。これしか手がない。そうなれば、どうしても一定量の弾薬が必要になる。赤軍との交戦も念頭に置けば、この積載量でも少ないかもしれん」

 山本少尉は壁の方に歩いていき、近くの機械に拳を強く打ち込んだ。

「チクショウ!」

 宇城大尉は、浜田の目を見て言った。

「残念だが、当初の作戦に沿って進めるしかない。そうすると、申し訳ないが、あんた達は、自力でここから脱出してもらわねばならん。それに、ここより危険な戦闘が予想される現場に、民間人のあんたや、怪我人を連れて行く訳にはいかない。分かってくれ」

 浜田圭二が、苦笑いしながら言った。

「なあに、気にするな。探偵に危険はつきものだぜ。俺は百戦錬磨のダーティー・ハマー。このくらいの危険には、慣れているぜ」

 外村美歩が不安そうに浜田を見つめた。綾少尉も、外村の視線を気にしながら、浜田の足元の老人を見つめた。

 宇城大尉は、一度、大きく手を叩くと、全員に檄を飛ばした。

「よし。とにかく、移動の準備だ。こうして立ち話をしていても、何も変わらない。動くぞ!」

 そして、早口で各自に指示を出した。

「中尉はノア零一を動かす準備と稼動システム全体を再チェックしてくれ。大佐は中で進攻経路を再確認するんだ。済んだら、中尉と共にナビゲート・システムに経路を入力してくれ。綾は装填弾薬類の再確認。山本は、あの大きなシャッターを開けるスイッチを探してくれ。俺は、機体周囲の確認と繋いであるケーブル類を外す。探偵さんと下村は、脱出の準備と武器の確認をしろ。よし、取り掛かれ!」

 綾少尉、外村美歩、山口健士、下村剛、浜田圭二は、それぞれの指示に従い、持ち場へと移動を始めた。



                  七

 壁の傍で立ったまま俯いていた山本少尉は、思い立ったように、床に置かれたままのランドパックに歩み寄ると、その横にしゃがみ、下村を呼び寄せた。

「下村。おまえ、防弾着は着用しているか」

「いいえ。着ていません」

 山本少尉は、床に置かれた小さな冷蔵庫ほどの大きさのランドパックの側面の蓋を開いて、下村に説明した。

「この中に、甲一一七式の防弾着か入っている。衝撃拡散式の薄い奴だが、何も着てないよりマシだ。中に三枚入っているから、あの探偵にも一枚着させるんだ。それから、このランドパックは置いていく。お前がコレを担ぐのは無理だろうから、必要なものだけ身に付けていけ」

「え? 少尉はいいんですか? これ、いろいろ使うんじゃ……」

 山本少尉は、正面を奥のシャッターの方に向けて停車しているノア零一を指差して言った。

「あの機体の中にも、大概の物は揃っている。心配するな。それから、その腰の携帯酸素ボンベと胸の救命胴衣用の圧縮ガスパックは、外しておけよ。流れ弾が当たったら、爆発するぞ」

 そう言うと、山本少尉は小型のライトや無線機、予備の小銃と弾薬などをランドパックから出して、床に並べ始めた。

 一方、ノア零一の黒い大きな車輪の横では、宇城大尉が屈んで機体の下を確認していた。その近くでは、床に寝かされた小杉正宗の隣で、浜田圭二が小杉の肩に手を回している。

 振り向いた宇城大尉は、意識のない小杉を抱え上げようとしていた浜田の傍に来て、彼に言った。

「この爺さん、随分と体が悪かったようだ。体中に人工臓器を入れまくっている。ということは、病院に行ったとしても、どうせ、そこの病院から、ここGIESCOに連絡して交換用の人工臓器を送ってもらわないといかんはずだ。棟に着いたら、人工臓器の研究をしている部屋に向かえ。それから、赤軍の奴らも、一号棟が医療研究棟である事は把握しているはずだし、あそこが破壊されたら、国中の医療機関に影響が出るとことくらいは下っ端の奴らにも理解できるはずだ。下っ端は政治理念や目的があって動いている訳じゃない。ただ命令で動いているだけだ。そして大抵、最初の索敵に駆り出される。だから、先発隊は一号棟内での戦闘には消極的になるはずだ。もし、敵に遭遇したら、戦おうとはせず、民間人である事と、怪我人がいる事を伝えるんだ。紙に書いて入り口に貼っておくのが、一番安全だ。見逃してもらえるかもしれん」

 浜田圭二は、小杉を抱え上げて言った。

「分かった。気を使ってもらって済まないぜ。でも、俺は元防災隊員だ。戦地での民間人の救助訓練も受けている。昔を思い出して、やるだけは、やってみるぜ」

 宇城大尉は、壁の傍でランドパックの横に屈んで、隣の下村に武器や道具の説明をしていた山本少尉の大きな背中を指差して、言った。

「彼のランドパックの中に、搬送用の背負子しょいこが入っているはずだ。それを借りて使うといい。両手が空く」

 浜田圭二は、軽く頷くと、小杉を抱えたまま、宇城大尉に言った。

「美歩ちゃんをよろしくな。守ってやってくれ」

 宇城大尉は、しっかりと頷いた。浜田圭二は小杉を抱えて、山本の方に歩いていった。

 宇城大尉は、彼の背中を見送ると、再び、ノア零一の大きな車輪の隙間から、機体の下を覗き込んで、発進の邪魔になる物はないか確認していった。

 その頃、綾少尉は狭い機体の中で、天井の蓋を開けて、中を小型ライトで照らして確認していた。内壁に取り付けられたステップに乗せた右足に体重を掛けて、分厚い蓋を押し上げて閉めると、安全ロックを閉め、それを再確認してから、下に降りる。そして、直ぐ横の壁の段差の上に置いた薄型端末の画面を指で操作して、弾薬の数にチェックを入れると、前の操縦席に座っている山口に尋ねた。

「中尉。この天井裏の弾丸の装填は、ここから上に自動で送られて、チャージされるのですよね」

 操縦席のパネルに映った図面を確認していた山口は、そのままの姿勢で答えた。

「ああ、そうだ。大佐、トンネルの地図の再インストールが終わりました。ケーブルを外して下さい。それから、進攻速度は、ホントに、俺の好きに設定してもいいんですね」

 操縦席から伸びたケーブルを手元の端末から外した外村美歩が、答えた。

「ええ。中尉の経験に任せます。ここの研究者たちが事前に設定していた走行速度は、教科書どおりで、敵に予想されやすいかもしれないから」

 機内の壁に内向きに取り付けられた、奥行きの狭い椅子に腰を乗せて、膝の上で小型の端末を操作していた外村美歩の前を、綾少尉が体を横にして、外村の足を跨いで移動する。綾少尉は低い天井に手を掛けながら、コックピット・スペースに半身を出すと、もう一方の手で長い黒髪をかき上げから、山口に言った。

「飛行時にプロペラ・ルーフをスライドさせた状態で、準備弾倉を送れますか? 隣の配線パイプが下りてきて、引っかかるんじゃないかと思うんですけど」

 膝の上に広げた紙の上にペンで進攻速度の計算を書いていた山口が、振り向いて答えた。

「おお、さすが偵察隊だな。武器の分析もできるのか」

 山口中尉は一度ペンに蓋を被せ、天井に手をついて不安定な体制で答えを待っている綾少尉の方を向き直してから、言った。

「確かに、あんたの言うとおり、飛行時には弾倉が送れない。構造上の問題だな。飛行モードになると、この発射ボタンがロックされて、上の大砲は使えなくなるようになっている。隣のロケット弾、ロベルト短距離ミサイルは発射できるようだが、至近距離での命中精度は、どうかな。標的までに十分な距離が有れば問題ないはずだが、短距離だと、発射されたロケットの軌道修正システムが有効になる前に着弾距離に達しちまう。つまり、目前の敵にミサイルを撃ち込んでも、外れる可能性が高い。反動で微妙に機体がケツを振るからな。前後回転翼のヘリではよくある事だ。そうなると、空中での接近戦は、機体周囲の機関砲で、側面から狙うしかないな。後ろの搭乗者に手動で狙ってもらわんといかん」

 綾少尉は、堂々として答えた。

「じゃあ、その時は、私達が。あとで、側面機関砲の稼動チェックと照準誤差の修正をお願いします。さっき見た感じだと、ライフル・モードと連射モードの反動係数が同じ数値になっていますから、それも修正しないと」

「分かった。ライフル・モード用の弾は、超音速通鉄弾を使用して……」

「承知してます。国防軍が使用している砲弾類の中では、一番速く飛ぶ弾ですね。その分、反動と誤差が大きい。注意して使います」

 そう言うと、綾少尉は窮屈そうに身を返して、天井に手を突きながら狭い空間から上半身を後ろに戻した。

 山口健士は、再び膝の上の紙に計算を書きながら、小声で呟く。

「噂に名高い増田学校の精鋭達だ。射撃の腕は信用しとるよ」

 体を横にして、狭い機内を移動する綾少尉の足の前から、低いヒールのパンプスを履いた足を引いて退けた外村美歩が、言った。

「ごめんなさい。あなた達を巻き込んでしまって」

 機材の隙間を抜けて、搭乗用の少しだけ広い空間に出てきた綾少尉は、黒髪をかき上げながら答えた。

「いいえ。宇城大尉の命令ですから。あ、失礼しました。前を……」

 自分が跨いで通り越してきた上官の膝の上を指差しながら、綾少尉は無愛想に答えた。

 外村美歩は、綾少尉から目を逸らしたまま答えた。

「いいえ、気にしないで」

 外村美歩は、直ぐに背中を向けて後部に進んだ綾少尉に、逆に少しだけ気兼ねしながら言った。

「本来なら、大佐の私が指揮命令をする立場なのかもしれないけど、私は監察官という職務に応じて便宜上、『大佐』の階級を与えられているに過ぎないわ。戦闘経験も、作戦を指揮した経験もない。実戦では、あなた達の方が長けているのは明らか。上官風を吹かせて邪魔をするつもりはないわ。だから、私には気を使わないで」

 綾少尉は、搭乗口の近くの天井から突き出して設置されている鉄製の箱の側面の蓋を開けて中を覗いたまま、黙っていた。暫らく中を確認していた彼女は、強化プラスチック製のコバルト・ブルーの鎧に包まれた背中を外村に向けたまま、静かに言った。

「個人的な事を、お訊きしてもいいですか」

「ええ」

 外村は、小型の端末を横の壁のボックスに仕舞いながら、気軽に答えた。

 綾少尉は振り向かずに、中の機械に両手を入れたまま尋ねる。

「大尉とは、個人的なご関係で」

 外村美歩は、美しい黒髪に隠れた綾少尉の小さな背中に顔を向けると、少し不自然な間を空けて、そっと答えた。

「ええ。信頼しているわ」

 綾エリカは、配線の奥に入れていた両手の動きを止めて、もう一言だけ尋ねた。

「仕事以外でもですか」

 操縦席に座って、パネルに進攻速度の予定を入力していた山口が、少し後ろを向いた。

 小さな座席に座っていた外村美歩は、目を瞑って答えた。

「――だから、彼に協力を依頼したの。勿論、私も増田局長の門下だから、あなた達がこの事件を追っていたのは、少しは知っていたわ。だから……」

 彼女が言い終わらないうちに、綾が鉄製の蓋を激しく閉めた。金属のぶつかる音が機内に響く。操縦席の山口健士が少しだけ横に顔を向けて、狭い隙間から後ろを覗いた。

 綾エリカは両手をはたきながら、背中越しに、はっきりとした攻撃的な口調で言った。

「私なら、こんな危険な任務に、大切な人を呼んだりはしません!」

 外村美歩は、下を向いて黙っていた。

 前の操縦席から、山口健士が呼びかける。

「おおい。綾少尉、側面機関砲のチェックを始めてもいいぞ」

 背中を向けたままの綾少尉は、一度、顔の前に右手を運び、何かを拭う仕草をすると、少しだけ鼻を啜ってから答えた。

「はい。今やります」

 彼女は外村に背中を向けたまま、その向かいの壁に設置された掃射用の機関砲のグリップを握り、壁の小型の照準モニターのスイッチを入れた。

 丁度その時、後部に斜めに倒れて開いたハッチのタラップの上に、横から宇城大尉が勢い良く飛び乗ってきて、操縦席の山口に大きな声で言った。

「タイヤの方も異常はない。周囲の配線類も外して、退かしておいた。いつでも……」

 突如、強烈な爆音が、広いドックの中に響いた。狭い機内で反射的に身を屈めた宇城と綾は、即座に腰に掛けていた小型のマシンガンのグリップを握り、外の様子に目を遣った。



                  八

 彼らが入ってきた入り口の鋼鉄製のドアは、この巨大な部屋の角のところにあったはずだった。弾丸を受け止めて蜂の巣状になっていたその鋼鉄製のドアが、くの字に曲がって吹き飛び、その先の床の上に寝かされていた小杉の体の上に被さっていた。ドア板が外れた狭い入り口には白煙が立ちこめている。その中から赤い大きな人影が踏み出してきた。

 壁際で伏せていた山本少尉は、素早く立ち上がり、マシンガンをその赤い人影に向かって構えると、発砲しながら大声で叫んだ。

「敵襲! 入り口に三人!」

 山本少尉のマシンガンから放たれた銃弾を至近距離で食らった赤い鋼鉄具の三人の兵士達は、身を丸めて立ち止まったが、直ぐに体勢を立て直すと、弾丸を跳ね返しながら前に進み、握っていた大きな銃の先を山本の方に向けた。

 山本少尉は瞬時に横に転がり、床に立ててあったランドパックを盾にして、その狭い範囲に身を隠す。彼の動きを追いかけるように、連続する打撃音と白煙を散らして床の表面が粉砕されていった。銃撃の帯はランドパックの側面にたどり着くと、そこを叩いて無数の火花を散らした。

 三人の赤い兵士が、その防弾性の背嚢に向けて一斉に射撃をしていると、後方の端の方に立って撃っていた兵士の大きな銃の側面に、突如火花と衝撃が走った。彼は真横から強烈な圧力を受けて、構えていた銃器を横方向に流した。その銃の先端は、火花と銃弾を噴き放ったまま、前の赤い鎧の仲間の背中の方を向いてしまった。後方の仲間から背中を至近距離から撃たれた先頭の赤い鎧の兵士は、前に押し飛ばされ、同時に、彼を撃った赤い兵士の銃が激しく暴発し、その兵士も床に倒れた。

 ノア零一の斜めに開いた後部ハッチの上に身を倒してマシンガンを構えていた宇城大尉が言った。

「弾が恐いなら、持っている武器も防弾加工にしとくんだな。赤アリさん」

 一瞬にして、前と隣の仲間を失った残りの赤い兵士は、直ぐに宇城の方角を向いて銃を構えた。宇城大尉も直ぐに機内に身を隠した。同時に、すさまじい銃声が連続して響き、ノア零一の装甲に激しい火花が散った。ノア零一の装甲は、赤い兵士の大型銃器の発する弾丸にビクともしない。

 ノア零一の後方の搭乗口の周囲に執拗に連射する赤い兵士を、今度は山本少尉が側面から、ランドパックに身を隠して攻撃した。赤い兵士は、弾丸を受け止めながら上半身を山本少尉の方に向けると、激しく撃ち返してきた。すると、狭い入り口から、別の四名の赤い兵士たちが現われた。瞬時に状況を把握した彼らは、二人が、連射する赤い兵士と同じく、山本少尉が隠れるランドパックに向けての射撃を開始し、他の二人がノア零一の後部に向けて、ゆっくりと前身しながら猛烈な射撃を開始した。

 壁の照準モニターで外の様子を確認した綾少尉は、グリップを握り、照準を赤い兵士の一人に合わせると、一気に引き金を引いた。乾いた金属音と共に天井裏を弾倉帯が流れ、壁の中の機械部が発する連続した衝撃がグリップを伝って綾の手に伝わる。ノア零一の側面では、烈火を発した機関砲の銃身が小刻みに揺れていた。綾少尉は側面機関砲を撃ち続ける。山本少尉が隠れていた背嚢を集中的に射撃していた二人の赤い兵士が、その重い鋼鉄製の鎧ごと横に突き飛ばされ、一人は部屋の隅に飛び、もう一人は壁際に並べられた機械の一つに激突して、両者共に動かなくなった。仲間が重機関砲の強力な射撃によって薙ぎ倒された事を知った残り三人人の赤い兵士は、一瞬だけ射撃を止めたが、再び、連射しながら前進を開始し、今度は、後ろの壁に沿って歩きながら、ノア零一の後方に回り込み始めた。側面の機関砲の照準で追いかけていた綾少尉は、二人の標的のうち、後方の二人の赤い兵士に狙いをつけて、機関砲を撃つ。綾の正確な射撃を受けた赤い鎧の兵士たちは、強烈な火花と共に壁に押し付けられ、その場に崩れ落ちた。しかし、先頭の兵士は、それでも進行を続けた。機関砲のグリップを握り、機内壁に体を押し付けて目一杯に機関砲の角度を倒していた綾少尉は、その銃口を機体の後方に移動する赤い兵士に向けようとする。

 歯を喰いしばりながら綾少尉が叫んだ。

「機関砲の可動範囲から外れている! 大尉、ここからは狙えません!」

 後部ハッチの横壁に身を隠しながら、宇城大尉が射撃をしたが、その赤い鋼鉄製のアーマースーツは、それを全て弾き返した。離れた位置から、マシンガンの弾倉を入れ替えた山本少尉が側面を射撃したが、その赤い装甲兵はそれを意に止めることなく、弾き飛ばされる弾丸の衝撃に耐えながら銃撃を続けて、ノア零一の後方に向けて壁伝いにゆっくりと進んでくる。その赤い兵士は、ノア零一の後方に回り込んで、ハッチを全開にした搭乗口の正面から内部を攻撃しようと目論んでいた。

 壁に身を寄せながら射撃を続けていた宇城大尉が、操縦席の山口に叫んだ。

「やばいぞ! 中尉、ハッチを閉めろ!」

 コックピットの山口中尉が慌ててレバーを引く。斜めに倒れて開いていたハッチが角度を上げ始めた。その速度は遅い。赤い鋼鉄の鎧で全身を覆った兵士は、傷だらけの鎧から煙を立たせながら立ち止まる。彼はそのまま、山本の側面からの射撃と宇城の正面からの射撃を受け続けたが、それを無視するかのように、冷静に、抱えていた大型の銃の弾倉を入れ替え始めた。銃身に新しい弾倉を装着し終えた赤い兵士は、跳ね返る弾の火花を全身から散らしながら、再び歩き始めた。やがて、やっと半分くらいまで上がって水平に近くなったハッチの正面に来ると、ノア零一の機体内部に向けて、その大型の銃を構えた。

 横から、汚れたトレンチコートの男が鋼鉄の鎧の男に飛び掛った。浜田の体重でバランスを崩した赤い兵士は、高い天井に向けて発砲しながら、浜田と共にハッチの下に倒れる。

「オジさん!」

 外村美歩が叫んだ時、浜田を払いのけて立ち上がった赤い鎧の兵士は、大きな銃を構えて、倒れている浜田に銃口を向けていた。グリップを握り直し、発射ボタンに手を掛ける。次の瞬間、水平になったまま停止したノア零一の搭乗口のハッチが、一気に鎧の男を横から押し除けた。急激にバックしたノア零一は、後部ハッチの先に横向きに折れ曲がった兵士を掛けたまま、彼を激しく壁に押し付けた。

 開いた操縦席のドアから半身を乗り出しながら、後ろを向いてハンドルを握っていた山口中尉は、前を向いて席に座りなおすと、アクセルを踏み込んで、ゆっくりとノア零一を前進させ、元の位置に戻す。壁にめり込んでいた、折れ曲がった赤い装甲兵は、膝から崩れるように下に落ちて倒れると、そのまま動かなかった。

 起き上がった浜田圭二は、被り直したハットを指先で軽く持ち上げ、運転席の山口に合図を送った。

「ふう。危なかったぜ。助かったぜ、中尉」

 山口に礼を述べた浜田が手を上げると同時に、再び、角の入り口付近で銃声が鳴り響いた。新たな赤い鎧の兵士たちが、入り口の外からノア零一に向かって射撃してくる。激しく火花を散らすノア零一の陰に隠れた浜田に、宇城大尉が叫んだ。

「乗れ!」

 宇城大尉は搭乗口の角から敵に向かって応射する。浜田圭二は慌てて半開きの後部ハッチの上に飛び乗ると、ハットを押さえながら、身を屈めてノア零一の中に飛び込んだ。鈍い音がした。機体の中に入った浜田圭二は、出入り口付近で天井から飛び出している鉄の箱にぶつけた頭を押さえて、キャビンの隅でうずくまっていた。

 その浜田の横で、綾少尉は壁のモニターを見ながら、側面機関砲での射撃を続けていた。彼女は、苛立った声で怒鳴る。

「まったく! 次から次に!」

 綾少尉は機関砲の射撃グリップを両手で支えて握り、照準モニターを見ながら角の入り口に向けて機関砲を撃ち続けた。

 ノア零一の側面の機関砲から、扉の外れた入り口付近に向けて発射される弾丸が、数本の光の筋を作った。その筋の横で、折れ曲がって外れた鋼鉄製のドアを盾にしながら、山本少尉が、意識のない小杉正宗の背中から脇の下に手を回して担ぎ上げようとしている。

 山本少尉は壁際に置かれた機械の陰に隠れている下村に、低く太い声で怒鳴った。

「下村! 何してるんだ! さっさと反撃しろ!」

 頭を両手で覆って、大きな機械の陰に隠れていた下村剛は、震えたまま動かなかった。

 山本少尉は、叫んだ。

「下村! お前の居る所からが、一番狙いやすい! 下村一等兵!」

 ハッとした下村剛は、先ほど山本が床に並べた武器を探した。近くにあったショットガンに手を伸ばしたが、彼が拾おうとした瞬間に、その銃は敵の放った弾丸に弾き飛ばされ、床の上を遠くに滑っていった。

 曲がった鋼鉄製のドアを盾にして銃撃を防いでいた山本少尉は、彼に指示した。

「お前の横にある銃だ! それを使え!」

 下村は壁際に立て掛けてあった銃を手に取った。量子銃だった。側面のスイッチのようなものを押すと、電源が入り、銃のあちらこちらで奇妙な光が点灯した。

「早くしろ。こっちは弾切れだ! このドアも、そろそろヤバイ! 兵士なら民間人は絶対に助けろ!」

 山本少尉の言葉に意を決した下村剛は、歪な形をした銃を持ちにくそうに構えて、入り口の方を向いて立ち上がった。

 ノア零一からの機関砲攻撃により、入り口から中に進めずにいた赤い鎧の兵士たちは、壁際に一列に並んで身を隠し、そこから視界に入る標的である、外れた鋼鉄製のドアを盾にして小杉を守っている山本に向けて射撃を続けていた。先頭の兵士が大型の機関銃を置き、ロケット砲を肩に担いで少し屈んだ。体を少し前に出してノア零一に狙いを定める。その兵士の赤い鋼鉄アーマー・防具スーツが緑色に照らされた。

 兵士は慌てて後退し、自分を眩しく照らす光に向けて手をかざして遮り、発光元を探した。光源の位置を確認した彼は、後ろの兵士に指示を出し、そこを銃撃させた。下村の前の機械が激しく火花を散らす。下村剛は慌てて機械の陰に身を屈めると、涙目で山本に訴えた。

「効きません。まったく、効きませええん!」

「馬鹿! 生身の体に直接当てないと駄目なんだよ! 喉だ! 喉を狙え! やつらの鎧には、喉の下に呼吸用の隙間が出来ている。そこを狙え!」

「そんな、言われても……!」

 敵からの銃撃で激しく火花を散らす機械の陰に隠れながら、頭を手で覆っている下村を見て業を煮やした山本少尉は、足のブーツの横から戦闘用の大型ナイフを抜くと、一瞬の隙をついて、入り口の方にそれを投げて叫んだ。

「今だ! 下村!」

 細い廊下の天井に刺さった大きなナイフを反射的に見上げた赤い鎧の兵士の喉下を、緑色の光が照らした。次の瞬間、先頭の赤い鎧とその次の鎧が、抜け殻となって崩れ落ちた。先頭の兵士が握っていたロケット砲は、廊下の後ろに居た兵士達の方を向いて床に落ち、そのまま発射される。

 爆音が響き、入り口から部屋の中に、数体の赤い鎧の一部が爆風と共に吹き飛ばされてきた。山本少尉は小杉を右肩に担ぎ上げ、左手に持った鋼鉄のドア板を盾にしたまま、下村の方に走って移動すると、ドア板を投げ捨て、その左手で今度は下村の繋ぎ服の襟を掴んで、奥の方の壁際のドアに向かって走った。立ち込める白煙の中から、再び、銃声を響かせながら赤い兵士達が何人も姿を現す。山本少尉は、ドアを蹴破り、そこに下村を放り込むと、小杉を抱えたまま自分も飛び込んだ。間髪を容れず、そのドアの周囲の壁に無数の銃弾が撃ち込まれる。

 広い部屋の手前に駐車しているノア零一を発見した赤い鎧の兵士たちは、その新型兵員輸送機に向けて、一斉に集中砲火を始めた。

 側面の機関砲で反撃しながら、綾少尉が首のマイクに向けて叫ぶ。

「山本! 山本!」

 綾の隣で、もう一門の機関砲のグリップを握っていた宇城大尉が叫んだ。

「山本、応答しろ!」

 締まりかけたまま停止した搭乗口のハッチと壁の隙間から、金属製の箱と内壁の隙間に上半身を挟んで外の様子を覗いていた浜田圭二が、叫んだ。

「おいおい! 何か手に持った奴が走ってくるぞ。あれは……手榴弾だ! ここに投げ込むつもりだ!」

 機内の奥から、外村美歩が叫んだ。

「オジさん、早くハッチを閉めて!」

 走ってきていたその赤い兵士は手榴弾を投げた。浜田圭二は天井から突き出した鉄製の箱と壁の隙間から腕を伸ばすと、人間の頭一つ分ほどの隙間を上の方に空けて斜めに立ったまま停止していたハッチを、内側に力いっぱい引いて、搭乗口を完全に閉じる。空中を弧を描いて移動していた手榴弾が閉められたハッチの外壁に当たり、弾き返されて、それを投じた赤い兵士の足下に転がり、爆発した。しかし、ノア零一の狭い内部には、その音も衝撃も、ほとんど届かなかった。

 微かに聞こえた外の爆発音に混じって、ノイズ混じりの音声と仲間の声が、綾と宇城のイヤホンに響いた。

『こちら山本。下村も爺さんも無事だ』

 宇城大尉が射撃をしながら、応答した。

「山本か! 位置は何処だ。ノア零一を近くに着ける。隙を見て乗り込め!」

 直ぐにノイズ混じりの返事が来た。

『何言ってるんですか。定員オーバーになるでしょうが。もう行って下さい! 赤蟻たちは、どんどん増えてきますよ。このままじゃ、共倒れです! 爺さんは俺が、一号棟まで連れて行きます。大尉達は任務を遂行して下さい!』

 通信に綾が割って入った。

「山本! ろくな武器もないのに、どうするの! 今、助けるから、待ってて!」

 雑音に包まれた山本の声が届いた。

『馬鹿野郎! こんなに散らかってるドックの中で、どうやってそいつを、ここまで動かすんだ。それに、今そこから出たら、赤鬼たちに蜂の巣にされるぞ。来るんじゃねえ! こっちは大丈夫だ、心配するな。量子銃もあるし、下村一等兵殿もついている。ジョウさん、早く行って下さい! 敵がやっかいな武器を準備し始める前に! それと、綾だけは死なせんで下さいよ! いいですね!』

 機関砲のグリップを投げ捨てるように離した宇城大尉は、歯を強く喰いしばった。眉間に皺を寄せて苦悩する宇城の肩を浜田が叩く。それと同時に、閉めたハッチの外を砲弾が叩く音が鳴り響いた。

 宇城大尉は静かに山本に通信した。

「分かった……」

 そして、一度、外村の顔に目を遣ると、直ぐに操縦席を向いて、指示を発した。

「中尉! 出発だ!」

 綾少尉は、敵に射撃を続けながら、山本に叫んだ。

「終わったら必ず助けに行く! それまで、持ち堪えて!」

 山本から直ぐに返事が返ってきた。

『ったく。……それじゃ、モチベーションが上がらねえじゃねえか。普通、生きててね、終わったらデートに誘うわよ、とかだろうが!』

 息を切らして応答する山本の声と鉄製の階段を踏み鳴らす足音だけが聞こえていた。

『それにしても、今日は楽しかったよ。今度は二人だけで……』

 イヤホンに銃声が響いた。そして、激しいノイズ音が綾と宇城の耳に届いた。

「山本! 大丈夫か! 山本! 山本!」

 綾少尉は機関砲の射撃グリップから手を離し、必死に山本に呼びかけた。

 山本少尉の返事は無かった。激しい雑音だけが、綾と宇城のイヤホンに響いていた。

 宇城大尉は、大声で操縦席の山口に指示を発した。

「前方のシャッターをバルカン砲で撃破! この場を離脱する!」

「了解!」

 山口健士は、モニターに映った前方の風景に重ねて表示された十字型の照準を、壁に取り付けられたシャッターの中心に合わせ、グリップのスイッチを押した。

 機体の屋根に取り付けられた四門の大筒が回転して火を噴く。それと同時に、前方のシャッターに凄まじい爆発が連続して生じ、巨大なシャッターは音を立てて崩れ落ちた。

 撒き散らされた粉塵に、部屋の中に侵攻してきた赤い兵士達は視界を奪われ、一旦、攻撃を中断した。その隙に、外村たちを乗せたノア零一は崩れたシャッターの残骸を踏み越えてトンネルの中へと進んで行く。機体を撃破しようと、赤い装甲の兵士達は一斉に射撃を始めた。ノア零一の厚い装甲は彼らの発した銃弾を全て弾き返していく。高音の反射音と火花を放ちながら、漆黒の輸送機は、トンネルの中の長い下り坂を全速力で進み、その先の暗闇へと消えて行った。



                  九

 移動するノア零一の中で、浜田圭二は額を押さえていた。

「あ痛たた」

 綾少尉が浜田の前に屈む。

「見せて。血が出てる」

「このくらい平気だぜ。探偵に怪我はつきものさ」

 外村美歩が機内を見回しながら言った。

「兵員輸送用なら、どこかに救急医療処置用の器材が……」

「持ってます」

 綾少尉は太腿の横から救命キット・ボックスを外すと、中から消毒液を染み込ましたシートを取り出した。

「少しだけ切れてる。腫れてもいるけど、痛む?」

「いやいや、このくらいは、どおってこと……痛い!」

 綾少尉は浜田の額を消毒シートで湿らせると、その上から大きめの絆創膏を貼った。外村美歩が浜田に言う。

「さっきは、助かったわ。やっぱり、オジさんは、勇敢ね」

 処置をしてくれた綾に御辞儀をした浜田圭二は、ハットを被り直し、その綾の顔を一瞥した。綾少尉は下を向き、黙って床の上の救命キットを片付けている。浜田圭二は外村の顔を見ながら言った。

「ああ……いや。それより……」

 山本少尉たちの事を気に掛けて、浜田圭二は落ち着かなかった。

 外村美歩も眉を寄せる。

「無事だと良いけど……」

 綾少尉は太腿の横に救命キット・ボックスを戻して言った。

「無事よ……生きてる。絶対に」

 浜田圭二は黙って綾の顔を見つめる。

 綾少尉は険しい顔で側面機関砲のモニターの前に立ち、残弾数を確認し始めた。浜田も外村も、何も言えなかった。外村の横に黙って立っていた宇城大尉は、静かに息を吐く。歯を喰いしばった彼は、振り向いて狭い通路からコックピットへと移動した。

「くそ。狭いな……」

 天井に手を付きながら狭い通路から体を抜いた宇城に、操縦席の山口中尉が言った。

「大尉、そこ、気をつけてください。天井か低くなっていますから」

 補助席に座った宇城大尉は、山口に尋ねる。

「どうだ。新型マシンの操縦の方は」

「どうだも、こうだも無いですよ。ストンスロプ社も、よくまあ、こんなモノを軍に納入しようとしたもんだ。衛星にリンクもしていないし、通信設備も備えない。一応、コンピュータは積んであるようですが、制御システムと直接に連動してはいない。操縦システムは全てマニュアルの手動式。予め進行速度を入力しておかないと、自機の位置も把握できない。予定通り行くわけ無いんですがね。この位置表示は、当になりませんな。それに、本当は軍用の他の乗り物のように、パイロットの反射神経に直接反応する神経感知型システムの方が、戦闘に際しても有利なはずなんですがね」

 宇城大尉は山口の前のメインパネルの計器類を見回しながら言った。

「でも、こっちの方が、中尉には好みなんだろ?」

「まあ、そうですがね。でも、こんな代物を軍に入れても、乗りこなせるパイロットは居やしないと思いますよ。何だかんだ言って、そこそこに素質がある下村でも、神経感知システム無しの完全手動操縦の訓練は、基礎レベルしかやっていませんでしたからね。俺がいろいろ教えてやって、ようやっと中の上レベルまで上達したんですから」

 宇城大尉は神妙な面持ちで頭を下げた。

「――あんたの部下まで、巻き込んでしまった。すまん……」

 山口中尉は後ろに向けて手を一振りする。

「なあに。そう簡単に死にはしませんよ。あの馬鹿、この俺の弟子ですからね。それに、山本少尉もついている。下村の奴、ヒヨッコの癖しやがって、調子に乗って一人でヘリなんか飛ばすから、こうなるだ。まだまだ、これから教えることが山ほど有りますからね。あんなところで死にやがったら、ただじゃおかねえ。……」

 山口中尉は歯を喰いしばり、ハンドルを握る手に力を入れる。

 宇城影介は、ただ黙っている事しかできなかった。空元気を出しながら、山口中尉が宇城に言った。

「それより、予定より大分遅れてますよ。この機体、訳の分からん機械だらけで、重いのなんの。さっぱりスピードが出ねえ。これでも、アクセル全開なんですがね。それに、重心がずれている気がするんですよ。設計ミスなんですかね。さっきの合流地点でのカーブでも、ケツを振りまくりで。この地下ケーブル用のトンネルが、こんなに整備されてなかったら、とてもじゃないが、まっすぐに走行するなんて請負えませんよ」

 機体の前に真っ直ぐに延びる狭いトンネルは、横にそのトンネルの直径の殆どを埋めている太いパイプが走っていて、その端の方に作られたアスファルト敷きの道路の上をノア零一は走っていた。

 宇城大尉は、前面のスクリーンに映し出されている綺麗に整備された地下道路を見ながら、眉間に皺を寄せる。

「ここは、整備車両専用の通行路なのか」

「いや。それにしては、幅も高さも、取り過ぎじゃないですかね。この機体が走るのにはピッタリですが、普通、地下ケーブル用のトンネル掘るのに、ここまで余分に隙間を空けて掘りますかね。だいたい、整備車両用なら、こんな立派な道路を作る必要はないでしょ。簡易モノレールでも引けばいいんだから」

「まるで、この機体専用の地下道のようだ」

「十七師団の奴ら、GIESCOに来るのに、どうして地上の一般道を移動してきたんでしょうね。ここを通って攻めてくれば、効率的なはずだが……」

「いや。奴らも知らなかったのだろう。我々が調べた資料にも、こんな通路が整備されているとは記録されていなかった。この地下トンネル自体は、新首都の設計計画図にも載っているが、実際には、明らかに設計図面以上の直径で作られている。もっと、ギリギリの幅だと想像していたのだが……」

「妙だな。新首都の建設工事が政府によって、こっそり始まったのって、たしか、二〇一六年のリオデジャネイロ・オリンピックの年じゃなかったでしたっけ。ってことは、もう二十年以上前か……」

「正式な遷都工事の着手が二〇二〇年だ。二〇二二年の遷都後に、この一帯で地下土木工事をした記録は無い……だとすると、もともと、この大きさだったってことか……何故、遷都工事の計画図面と異なっているんだ。何故、隠す必要があった」

「計画図面が出来た時点で、このトンネルは完成していたって事ですか」

「かもしれん。GIESCOが今の場所に建設されたのは二〇一四年だ。それに合わせて、計画図面は引かれたはずだからな」

「ちょっと待って下さいよ。ってことは、この街の設計段階より前から、この大きさでトンネル作る計画だったって事じゃないですか。AB〇一八とIMUTAが、このケーブルで繋がれたのは二〇二〇年ですよね。二度目の東京オリンピックの年だから。政府が生体バイオコンピュータ構想をうち立てたのが、その一年前ですよ。それなのに、その何年も前からケーブル用のトンネルを掘っていたって言うんですかい?」

「いいや。この深さに、ここまでの直径で、この距離のトンネルを作るとなれば、たった数年程度でできる工事じゃない。それに、NNC社とGIESCOがAB〇一八とIMUTAをそれぞれ開発したのは、二〇一八年前後だ。開発自体は、それ以前から極秘に準備されていたとしても、現在の各施設が今のそれぞれの位置に建設されたのは、着工段階で二〇一八年。それ以前に、両者を結ぶケーブル用の地下トンネルが作られていたとすれば、トンネル工事を請負った会社は、政府が生体量子コンピュータ構想をうち立てる前から、AB〇一八とIMUTAを繋いでSAI五KTシステムが完成する事を知っていたということになる」

「しかも、それぞれの施設の建造地まで、ドンピシャで当てて、事前にトンネルを掘っていた……そうか、ASKITの高橋なら知っていた可能性がありますね。まさか、この新首都の建造にも、奴らが関わっていたんですか。NNC社とか、その他の配下の法人だとかが。いったい、このトンネル工事を実際に請負った会社って、何処なんです?」

「ストンスロプグループの大手ゼネコンだ。それに、ASKITは特許マフィアみたいな連中でしかない。我々の探査でも、新首都の建設に奴らが関わったという情報は無かったが……中尉、機体を止めてくれ」

 宇城大尉は席を立ち、再び狭い通路を通って後部の搭乗キャビンへと移動した。

 山口中尉はブレーキを踏み、機体を停止させる。

 キャビンへと移動した宇城大尉は、外村に尋ねた。

「外村大佐、その端末は軍の偵察衛星に直接にリンクできないのか」

「できるけど……どうして?」

 外村美歩は、壁のポケットから薄型端末を取り出した。

 宇城大尉は言う。

「ちょっと、気になってな。この距離まで来れば、深紅の旅団レッド・ブリッグの奴らの妨害電波からは圏外に出たはずだ。衛星に接続して、リアルタイムの衛星画像を見たいんだ。この新首都を上空から映した今の画像を見たい」

 外村美歩は膝の上に端末を載せたまま、眉を曇らせた。

「でも、そんな事をしたら、バイパスでリンクされるサブ・ネット通信からAB〇一八に私たちの位置を知られてしまうのではないかしら。だから一応、電源を切っておいたのだけれど……」

 宇城大尉は首を横に振った。

「仮に、ヤツに我々の位置を知られても、このノア零一はネットワークとは接続されていない以上、我々に対しては直接の手出しは出来ない。それに、我々がこのノア零一に乗って神経ケーブル内に進行したことは、深紅の旅団レッド・ブリッグの兵士同士が通信で伝達しているはずだ。その情報をAB〇一八が入手していれば、もうとっくに我々の位置はヤツに予測演算されているさ。今さらコソコソしても始まらんだろう」

 二人の話を聞いていた綾少尉が髪をかき上げながら溜め息を吐いた。

「はあ。まったく……」

 外村美歩は綾を一瞥すると、端末の電源を入れて宇城に答えた。

「分かったわ。軍の衛星にリンクしてみる」

 すると、綾少尉が外村の前に手を出した。

「ちょっと、それ、お借りしてもよろしいですか」

 外村美歩が綾に端末を手渡すと、綾少尉は肩に掛けたマシンガンの側面のカバーを外し、その中から小さなチップを取り外した。端末を裏返した彼女は、底のカバーを外すと、その中にチップを差し込む。

 宇城大尉は怪訝な顔で尋ねた。

「何をしているんだ。綾少尉」

 綾少尉は端末を元の向きに戻して、表面のパネルに触れて操作しながら答えた。

「我々の武器に装備してあるIPステルスがロードされたチップを繋いでみました。うまく動けば……あ、動いた。これでGPSデータ通信が遮断されます。サブ・ネット通信にも、位置情報や諸々の送信情報が全てラッピングされて、強制暗号化された状態で送信されますので、少しは時間が稼げると思います」

 綾から渡された端末を受け取りながら、外村美歩は言った。

「ありがとう……」

 綾エリカは素っ気なく答える。

「いえ。こんな所で、死にたくありませんから」

 浜田圭二は、綾少尉の不機嫌そうな顔をじっと観察していた。

 端末を操作していた外村美歩が言う。

「あったわ。ちょっと待って、空中投影にするわね」

 外村の膝の上の端末からホログラフィー画像が空中に投影された。四人の中央に、衛星から撮影された新首都新市街西部のリアルタイム画像が浮かぶ。山口中尉も狭い通路から半身を出して、それを覗いた。宇城大尉が眉間に皺を寄せる。

「やっぱりな。AB〇一八の施設を深紅の旅団レッド・ブリッグの奴らが囲んでいる」

 山口中尉が壁に掴まったまま横の宇城を見上げた。

「どういうことです? 別動隊ですかい?」

「いや、敵の規模からすると、こっちが本体で、さっき我々を襲ったのが、別動隊だろう。見ろ、こっちの施設を中心に、大交差点の辺りまで防衛ラインを敷いている」

 浜田圭二が顔を顰めた。

「くそ。陽動作戦かよ」

 宇城大尉は冷静に分析する。

「いや、どうかな。敵の狙いは、初めからAB〇一八の占拠だったのかもしれん。そして、我々に、このマシンをAB〇一八の施設まで運ばせるのが目的だった」

 外村美歩が怪訝な顔をした。

「この機体を? 何のために」

 宇城大尉は画像を睨んだまま答える。

「わからん。しかし、お膳立てが調い過ぎている。執拗な攻撃で、無理矢理に追い立てられた挙句、まったく追って来ない敵に、この機体に合わせたようにジャストサイズで整備された逃走経路。そもそも、この機体にしても、普通の軍人には操縦できない代物だが、偶然にも、軍内唯一ともいえる手動マニアのベテランパイロットが居合わせてくれた」

 山口中尉は口を尖らせた。

「おいおい、大尉。俺を疑っているのかい? 冗談じゃないぜ、俺は、そもそも外村ちゃん……いや、大佐に頼まれて……」

 宇城大尉は少し振り向いて山口に言った。

「分かっているよ。だが、全体の流れが妙だ。話の辻褄が合い過ぎている。やっぱり、探偵さんの言ったとおりだったのかもれん。これは、AB〇一八の筋書き通りなのかもしれない」

 外村の向かいの壁際の席で、浜田圭二は背もたれ代わりの壁に寄り掛かって、手を広げた。

「ほらな。だから言ったじゃねえか。最初から、このダーティー・ハマーの言う事を……」

 宇城大尉はホログラフィー画像の中央を指差した。

「綾少尉、これが見えるか」

「ええ。溶解地雷を使った跡ですね」

 身を乗り出して画像を覗いた浜田圭二が聞き返した。

「溶解地雷?」

 綾少尉が説明する。

「接触物を高温で溶かして、破壊する武器よ。戦車のキャタピラや装甲車の強化タイヤに使用する。もともとは、爆音無しで敵の進行を阻止するための防衛兵器だけど、これを使えば、強化アスファルトやAI自動車用の自動走行誘導パネルなんかを一瞬で取り除ける。そうして、むき出しになった地面に手榴弾でも投げ込めば、敵の進行を止める落とし穴が手軽に作れるって訳。大規模な市街戦では、よく使われる方法よ」

 画像に目を凝らしていた山口中尉が尋ねた。

「この位置だと、俺たちが今進んでいる、この地下トンネルの先なんじゃないですか」

 浜田圭二も画像を睨みながら呟いた。

「て事は、罠かよ……」

 綾少尉が言う。

「待ち伏せね。施設の直前で、この機体ごと生き埋めにするつもりなのかも」

 宇城大尉が補足した。

「もしくは、大穴を空けて、そこからトンネル内に戦車でも吊り下ろしているのかもしれんな。見てみろ、キャタピラ走行の跡だ。それに、南北幹線道路に隠れているが、この影を見ろ。クレーン車両も停まっている」

 浜田圭二は目を丸くした。

「戦車だって! この機体で、そんなものと闘えるのか?」

 綾少尉は宇城が指摘した箇所を確認しながら、淡々と言った。

「無理ね。いくら対核熱装甲と最新式の武器を備えているといっても、このノア零一は、所詮は輸送機。相手が重量級の攻撃兵器じゃ、お手上げね。しかも、精密射撃を得意とする国産戦車が相手だとすると、向こうの砲弾はトンネルの中を通って確実にこっちに当たるだろうし、こっちのミサイルが届く距離に達する前に撃たれたら、反撃も防御もできない。そもそも、このトンネル内では、敵と遭遇しても身動きが取れないし。狙い所を撃たれて、おしまいね」

 浜田圭二は肩を落とす。

「勝ち目無しか……」

 山口中尉が深刻な顔を宇城に向けた。

「どうする。大尉」

 宇城大尉は眉間に皺を寄せた。

「そうだな……」

 何かを考えていた外村美歩が顔を上げる。

「待って。もしかしたら、撃たれる事は、無いかもしれない」

 宇城大尉は険しい顔で言った。

「どうして」

 外村美歩は彼に言った。

「ASKIT事件の調書で読んだの。高橋諒一博士は、SAI五KTシステムを破壊したくても、破壊できないと言っていたわ」

 浜田圭二が何度も頷いて挙手をした。

「ああ、俺も事件の記事で読んだぜ。あの筋肉パソコンは、時の流れを予測演算して、必ず何らかの防御策を講じるんだろ。だから、ヤツに不利な『結果』は絶対に生じないようになっているとか、どうとか……」

 浜田の発言を遮って、宇城大尉が外村に促した。

「それで」

 外村美歩は自分の考えを述べた。

「もし、それが本当なら、SAI五KTは戦車の砲撃を阻止するんじゃないかしら。ここで戦車が砲撃したら、このノア零一が撃破されようが、弾が逸れようが、この横を走っているIMUTAとAB〇一八を結ぶ神経ケーブルを必ず損傷してしまうわ」

 腕組みをした宇城大尉は、頷いた。

「なるほど。そうなると、システムはシャットダウンしてしまう。AB〇一八としては、何としても砲撃を阻止するよう動くだろうな。――綾少尉、十七師団の奴らが使っているのは、九○三式高速戦車か新型スパルタン戦車だったな」

「はい。他の部隊から借り入れてなければ、そのどちらかのはずです」

 綾少尉に続いて、山口中尉も報告した。

「ああ、間違いないですよ。俺と外村大佐は、昼間にそれを見てきたんだ。たぶん、ここで使うとすれば、九〇三式の方でしょうな」

「だとすると、砲弾に使用される先端弾頭のタイプは、百五十ミリ対戦車砲用の非核加工ウラン弾か、七十ミリ熱拡散型鋼鉄徹甲弾か……どちらも、高威力砲弾だな」

 綾少尉が頷いてから言う。

「戦車をワイヤーで吊り降ろしているとすれば、新型マズルブレーキ用の延長シャフトを外している可能性もあります。だとすれば、砲撃の反動を抑える事が出来ませんから、長距離射撃では、かなりブレるはずです」

 宇城大尉は画像を睨みながら言った。

「つまり、こちらが至近距離に近づく前に撃てば、外れる可能性もある。だからと言って、至近距離で撃って命中したら、砲弾の初速エネルギーが維持されているので、こちらに命中すると同時に、かなり広範囲に砲弾片が拡散する。どちらにしても、このトンネル諸共、ケーブルも破壊されてしまう可能性あるという事か……」

 外村美歩は言う。

「だから、AB〇一八は、それを避ける為に、少なくとも砲弾が発射されるのを回避しようとするのではないかしら」

 浜田圭二は一度首を捻ると、兵士たちの顔を見回しながら言った。

「ヤツの防衛本能を逆手に取るって訳か。でも、俺たちも……というか、あんた等は、そもそも、そのAB〇一八を停止させてSAI五KTシステムを終わらせる事が目的なんだろ。じゃあ、なんで今、この横のケーブルをやってしまわねえんだ。さっきの側面の機関砲をぶっ放せば、簡単に切断できるじゃないか」

 外村美歩が説明した。

「そうなると、IMUTAまでお釈迦になってしまうのよ。そうなれば、国内の各種インフラシステムや防衛システムが全て停止してしまう。社会は大混乱になるわ」

 山口中尉が顔を顰めて言う。

「だいたい、こんなぶっといケーブル管を機関砲で撃っても、完全に切断できる訳ないだろ。どんだけの厚さの鋼鉄で出来た管だと思ってるんだよ」

 浜田圭二は口を尖らせて言う。

「上に乗っけてるミサイルか、さっき使った何とか砲で撃てばいいだろ」

 綾少尉が溜め息を吐いて前髪をかき上げながら言った。

「ミサイルは真横には飛ばせないし、新型バルカン砲だって、この道幅じゃ、砲身を横に向けられないでしょ」

「斜めに撃てはいいじゃねえか」

「着弾してもエネルギーが反対角に抜けちゃうから、威力か半減するのよ。それに、真っ直ぐ切断するより斜めに切断する方が距離ができるから大変……」

 外村美歩が口を挿んで浜田に説明した。

「それに、システムを安全に停止させるには、イニシアチブをとっているAB〇一八から、IMUTAを機能させたまま離脱させる必要があるの。それには、先にAB〇一八を強制的に一時停止させる必要がある。それができるのは……」

 宇城大尉が言った。

「田爪健三。彼がAB〇一八を一時停止させている間に、我々がこの神経ケーブルの根元を破壊してIMUTAを離脱させ、その後AB〇一八自体を物理的に破壊する。そういう筋書きだ」

 外村美歩が更に続けた。

「それに、この混乱を利用してクーデターまがいの無許可軍事活動を展開した阿部亮吾。彼の身柄も確保できるわ。阿部大佐は、必ずAB〇一八の近くに居るはず。田爪健三も阿部亮吾も、法で裁かれるべき人間よ」

 浜田圭二は頬を膨らませる。

「でも、その肝心の田爪博士が居ないんじゃ、どうしようもないじゃないか。どうするんだよ」

「GIESCO内で保護できるはずだったのに、一体、何処へ消えたのかしら……」

 そう言って眉を寄せる外村美歩に、綾少尉は冷ややかな視線を向ける。その綾を一瞥した宇城大尉は、大きな声で言った。

「とにかく、このまま深紅の旅団レッド・ブリッグの奴らにAB〇一八を引き渡す訳にはいかん。奴らがシステムを掌握すれば、国内のインフラシステムや軍事システムだけでなく、世界中の通信システムや金融取引システムまでを、一国の軍隊の師団長が支配する事になる。そうなると、そいつが世界の実権を握るという事になってしまうかもしれん。軍事政権の世界支配だ。それだけは避けねばならない」

 浜田圭二はハットを下げて、手を横に振る。

「無理、無理。そんな、時の流れを支配するような化け物コンピュータを、たかが師団長ごときに飼い馴らす事なんて、出来ないって。放っといて、帰ろうぜ。それに、その馬鹿も田爪も、いつか警察が捕まえるよ。警察が。そんな事で、戦車相手にイチかバチかの勝負に出れますかっての。止めとこうぜ。なあ、美歩ちゃん。それに、綾軍曹も」

「少尉よ」

 そうきっぱりと言った綾少尉は、宇城の顔を見て真顔で言った。

「でも、大尉。たしかに、賭けをするには無謀過ぎます。もっと実効的な対応を検討すべきではないでしょうか。それから、この男は民間人です。ここで降ろした方がよいのでは」

 宇城大尉はトレンチコート姿の浜田を見ながら頷いた。

「そうだな。――ここから先は、我々軍人の仕事だ。探偵さんは、ここまでだ」

 浜田圭二は指先でハットを持ち上げると、額に絆創膏を貼った顔を突き出して言う。

「お。なんだ、その、ちょっと探偵を馬鹿にした感じの上から目線の言い方は。増田さんも、そんな事を言っていたぞ。あのな、俺だってな、そこそこの修羅場は見てきているんだぜ。聞いたら驚くぞ。この前だってな、巨大宗教団体の本部に下水管から侵入してだな、そこでバッタバッタと……」

「とにかく……」

 山口中尉が大声で口を挿んだ。彼は若い兵士たちに言った。

「何時までも、こんな所で油を売っている訳にはいかんでしょ。呑気にしていると、敵の方から、ここまで移動してくるんじゃないですかね」

 浜田圭二は腕組みをして天井を見上げる。

「――下水管かあ……」

 宇城大尉が大きく頷いた。

「確かに、その通りだ。よし。では、このまま前進だ。前方一キロ地点で暗視走行に切り替えろ。敵を目視できる距離まで近づけたら、俺が屋根に上がって、敵戦車に向けて、長距離ライフルで閃光弾を撃ち込む。気休めだが、隙ができれば、俺か綾が、敵戦車の死角に回り込めるかもしれん」

 浜田圭二が再び挙手をした。

「はーい。イテッ。突き指した。天井低いぜ、イテテテ……ああ、あの。ちょっといいか。俺、なんか、すごく良いアイデアを思いついちゃったぜ。あのな……」

 宇城大尉と外村美歩は顔を見合わせた。



                  十

 オレンジ色のランプに照らされた狭い密室の中に、二人の兵士が前後に段違いで連座している。戦車の中にはエアコンが設置されてはいたが、それでも随分と蒸し暑かった。耳まで覆った帽子を被った戦車の乗組員たちは、顎を伝う汗を拭いながら、顔の前のモニターに目を凝らす。後ろの一段高い席に座っている砲手の戦車兵が、顎の前につき出したマイクを指先で叩いてから、地上と通信した。

「機甲一よりアールスリーへ。未だ敵機は現われず。一応、レーダー反応も無しだ。本当に、やって来るのか。どうぞ」

 雑音の後、返事が返ってくる。

『了解、機甲一。間違いない。GIESCOに展開中の別働隊が確認している。敵は必ず、そのトンネルを通ってやって来る。引き続き警戒を怠るな』

「はい、はい。了解」

 砲手の男がマイクを手で覆って渋々と答えると、その前の下段に座している運転手の兵士が大きなヘッドホンを押さえながら通信に割り込んだ。

「アールスリーへ。敵の兵器は新型の装甲輸送機だそうじゃないか。情報では、プラズマ・ステルスまで備えているとか。そうなると、レーダーは役に立たん訳だが、まさか、さらに機体表面を不可視化パネルで覆って、不可視化しているって事はないだろうな。敵を目視できないとなれば、音波ソナー探知に切り替えんといかんが……」

『大丈夫だ、機甲一。そこまでは必要ない。情報では、つい先日、調達局の方からストンスロプ社に対して、その輸送機にも不可視化機能を付け加えるようにと、指示書を出したばかりだという事だ。つまり、敵の新型機には未だ不可視化パネル装甲が施されていない訳だ。奴さん、姿まる見えで向かって来るさ。だが、目視戦になるとはいえ、念のためだ、レーダー哨戒もしておけ』

「了解、アールスリー」

 仄暗い地下トンネルの天井と側壁が破壊されていて、大きな空間が作られている。崩れて流れた土砂がトンネルの隅の道路から太い神経ケーブル管の下まで積もっていて、それを押し退けるように、大きな赤い戦車が停まっていた。戦車からは何本ものワイヤーが上に伸びている。戦車の上には大きな直径で深く荒く削り彫られた縦穴が開いていて、地表の穴の周囲から支柱を突き出した四本のクレーンの先端から下ろされたワイヤーが戦車に繋がれていた。強引に開けられた縦穴の中をワイヤーで地下のトンネル内に降ろされた戦車は、長い砲身をトンネルの先に向けたまま、地下トンネルの中の神経ケーブル管と内壁の隙間に挟まるようにして待機している。その中でノア零一を待っている戦車兵の二人は、苛立ちと不安に駆られていた。

 砲手の男は汗を拭きながら通信を続ける。

「アールスリー。敵は、最新式の高速連射砲も積んでいるんだろ。搭載している弾数も相当なものだと聞いたぜ。俺達の戦車一台だけで、本当に大丈夫なのか」

『大丈夫だ、機甲一。相手がいくら新型バルカン砲を積んだ最新鋭機だと言っても、直線空間での一対一の目視戦だ。射程距離は貴殿の戦車の大砲の方が上回る。断然に有利だよ。敵機の射程距離内に入る前に、機影を見つけて砲弾を撃ち込めば、それで終わりじゃないか。何も恐れる事はない』

 砲手の男は汗を拭きながら顔を顰めて返事をする。

「しかし、何時までもこうして待っていても、埒があかんぞ。どうせ敵は、このトンネルの中に居るんだ。いっそ、適当に大砲をぶっ放しちまった方が早いんじゃないか。このトンネルの道幅では、敵も左右に回避することは出来まい。その方が早いと思うんだが」

『焦るな、機甲一。阿部司令官からは、絶対に神経ケーブルを傷つけるなという命令が出ている。だから、貴殿の戦車には、例の特殊砲弾が搭載されているのだ。そいつは、一発しかないんだぞ。大事に使え。どうぞ』

「へいへい。了解です」

『それに、どちらにしても、そのトンネルの道幅では貴殿の戦車は通れないんだ。そこで待機して敵を待ち、確実に捕捉して、確実に特殊砲弾を撃ち込むしか手は無い。堪えてくれ』

 砲手の男は溜め息を漏らした。運転手の男が代わりに返事をする。

「こちら機甲一、了解した。しかし、地下は湿気が多くて、かなわんぞ。暑い、暑い。まるでサウナだ。ちゃんと追加手当が付くんだろうな。安月給で、こんな地下深くまで吊り下ろされたんじゃ、割に合わん」

『我慢しろ。退屈だろうが、敵が現われるまで、もう少しの辛抱だ。それに、この戦いで我が軍が勝利すれば、給金も今の数倍になると、阿部司令官も仰っていた。それを考えれば、楽なもんだろ』

 砲手の男が上の席から足下の運転手に言った。

「それも、そうだな」

 少し振り返って見上げた運転手の男は、片笑んで見せる。

 地上の兵士は最後に付け加えた。

『まあ、やっつけ仕事だと思って、気軽に取り組んでくれ』

「了解、アールスリー。上にあがったら、冷たいジュースでも飲ませてくれ。通信終わる」

 運転手の男は通信を切った。そして、再び振り向くと、見上げて砲手の男に言う。

「なあ。この特殊砲弾って、鋼鉄貫通型のマイクロ波熱線放射式砲弾だろ。要は、小型のレンジ爆弾じゃねえか。こんなの使ってもいいのかよ。禁止兵器だろ、これ」

 砲手の男は鼻毛を抜きながら答えた。

「知らねえよ」

 運転手の男は眉を寄せて困惑した顔を見せた。

「敵の外部装甲を突き破って機内に侵入し、内部でマイクロ波を放射する機械砲弾だろ。中の人間は体の内部から沸騰して、破裂しちまうんじゃないか」

 砲手の男は抜いた鼻毛を吹き飛ばしてから答えた。

「フッ。――ああ。たぶん、そうだろうな。間違いなく残虐兵器だよなあ。まったく、調達局の奴ら、こんなエグい国際法違反の代物を、いったい何処からどうやって仕入れてきたのやら」

「敵って言ったって、同じ国防軍の連中じゃないか。なにも、こんな惨い兵器を使用する事も無いだろうに」

「神経ケーブルを傷つけずに、敵機の動きを止めるには、そりゃあ、最適の武器だからだろうよ。これなら至近距離で撃ち込んでも、大きな爆発はしないからな。それに、あいつら、情報局の増田が仕切っている偵察部隊の連中だろ。バード・ドッグの奴らとつるんでコソコソやっている」

「バード・ドッグ?」

「軍規監視局さ。俺達軍人にとっては、煙たい連中じゃねえか。監視局の奴らも、偵察部隊の奴らも、どっちも気に入らねえよ。ロースクール出の秀才さんと、レンジャーや海兵隊の特殊部隊から招集されたエリート兵士達らしいが、気取りやがってよ。俺、嫌いなんだよ、エリートって。鼻につくんだよな。増田学校だあ? 姿の見えない最強部隊だか何だか知らねえがよ、この際だから、思いっきりイタぶって……」

 ヘッドホンを押さえた運転手の男が、砲手の男のブーツを叩いた。

「シッ。静かに」

「どうした」

「聞こえないか。この音、何の音だ?」

 砲手の男はヘッドホンを整えると、目を瞑って耳を澄ました。低く重たい進行音が微かに聞こえている。地響きのような音は、小刻みに早く振るえながら次第に大きくなってきた。砲手の男は慌てて砲塔操作のグリップを握り、面前のモニターに顔を近づけた。

「くそ。ようやく来やがったか。金属レーダーに反応は無かったぞ。何処だ。何処に居やがる」

 運転手の男は目を瞑ったまま、ヘッドホンから聞こえてくる音に集中していた。彼は砲手の男に言う。

「いや、待て。この音は、装甲車の進行音じゃないぞ。そっちで何か見えるか」

 モニターに白黒で映し出される暗視画像に目を凝らしていた砲手の男は、更に顔を前に出した。

「ん。ちょっと待て。あれは……」

 砲手の男は慌ててモニターの画像を通常映像に切り替えながら、下の運転手の男に指示を出す。

「おい、フロントのライトを点けろ」

 運転手がハンドルの横のボタンを上げ、戦車の前方のサーチライトを点けた。太い神経ケーブル管に殆どの空間を占拠されたトンネルの隅のスペースを、戦車の強いライトの光が奥まで照らした。アスファルトの道路の奥の暗闇に星屑のように細かくきらめく光が見える。光は次第に大きくなると、斑に蠢きながら接近してきた。やがてライトの光りを受け止めて、その内部で全体に散らしながら、トンネル全体を覆って押し寄せてくる。

 砲手の男が叫んだ。

「み、水だ。やばい!」

 運転手の男は慌てて通信を入れる。

「こちら機甲一。トンネルに大量の水が押し寄せて……」

 トンネルの中を埋め尽くして押し寄せる大量の水がワイヤーで地上から吊りおろされた戦車を襲う。押し寄せる水壁に飲み込まれた戦車は、そのまま水に押されて車体を縦にすると、掘り開けた縦穴の側壁に車体の屋根を激しくぶつけた。

 地上の野営テントに赤いTシャツの上から迷彩服を着た男が飛び込んできた。

「中隊長。水が……地下トンネルに戦車を下ろした穴から、水が噴出しています!」

 作戦図を睨みつけていた赤いアーマースーツの年配の中隊長は、顔を顰める。

「なんだって?」

 彼は急いでテントの外に出た。高層ビル街に近い所の高架式の南北幹線道路の下に開けた大穴から大量の水が噴出している。水はガラス張りのビルのように立ち上がり、その上の南北幹線道路も飲み込んでいた。

「なんだ、これは」

 大雨に混じって落下してくる水の中、その中隊長は唖然として立ち尽くした。地上に放出された水は道路を濁流となって走り、それにさらわれたタンクローリーが車体を斜めにしたまま押し流されていく。そのタンクローリーが近くのビルに突っ込んだを見て、彼は我に帰った。

「いったい、何処からの水だ。地下水か」

「分かりません。おそらく、トンネル内部が水源と思われます」

「トンネル内部だと?」

 膝上まで水位が上がる中、中隊長は周囲を見回した。いたる所でAI自動車同士が水に流され、ある車両は火花を発しながら放電し、ある車両は地下道の入り口で横転したまま引っ掛かり、ある車両は積載物から炎をあげて水に流されていった。その間を人間が流されていく。中隊長は指示を発した。

「トンネルを土砂で埋めて水を堰き止めるんだ。直ちに周辺地面を爆破しろ」

 伝令に来た若い兵士は戸惑う。

「しかし、下には未だ味方の戦車が……昇降用のワイヤーが繋がれていますので、水中で引っかかったまま、動けなくなっているはずです」

 彼の横に遣って来た赤いアーマースーツ姿の小隊長が口を挿んだ。

「構わん。水流がAB〇一八に達するのを防ぐことが優先だ。いいから、さっさと地面を爆破しろ。全て埋め尽くすんだ。但し、ケーブルは絶対に傷つけるなよ」

 中隊長はアーマースーツを外しながら叫んだ。

「バカヤロウ! 市民の救助が先だ! 戦車の中に居れば暫らくは溺死する事も、窒息死する事もない。さっさと地面を爆破して、水を止めるんだ!」

「――了解」

 伝令兵は走っていく。中隊長は納得のいかない顔をしている小隊長に怒鳴りつけた。

「さっさとアーマースーツを脱げ! 水の中では動けんだろうが。流されている人間を早く助けないと、AI自動車のバッテリーで感電死するぞ」

 腰まで水位が上がってくる中、彼は周囲に叫んだ。

「作戦は一時中断。全員、防具を解除だ。流された人間の救助に当たれ! 子供と老人が優先だ。急げ」

 アーマースーツを脱ぎ捨てた中隊長は、赤いTシャツと迷彩柄のズボン姿で濁流の中に飛び込むと、街灯の柱にしがみ付いている子供の方に泳いでいった。



                  十一

 ノア零一は、パルススクリューを青く光らせて、水中を進んで行く。洞穴から広い空間に出たノア零一は、驚いて進行方向を変える魚たちの間を真っ直ぐに進んでいった。昭憲田池の湖底に意外にも大きな魚が泳いでいる事に驚きながら、ハンドルを慎重に操作していた山口中尉は、少し後ろを向いて片笑んだ。

「しかし、探偵さん。ナイスなアイデアだったな。送水パイプを破壊して昭憲田池の水をトンネルに流し込むとは、思いつかなかったぜ。しかも、そのパイプを伝って、こうして池まで脱出とは。どうして、パイプラインが真下にある事が分かったんだ」

 側壁の小さな椅子に腰掛けて足を組んでいる浜田圭二が、得意顔で答えた。

「下水道で汚れた服を中堂園町のクリーニング店に持って行った時に、そこのミチル婆さんに聞いた話を思い出したんだ。昔から、あの辺り一帯は昭憲田池から水を引いていて、それには地下の給水管を使っているってな。昭憲田池と素区の位置関係からすると、東西に走る古い送水用のパイプラインと南北に走る神経ケーブル用の地下トンネルは、絶対にどこかで交差することになる。そして、昭憲田池の水深と送水量の水圧を考えれば、その送水パイプは相当に太い直径じゃないと駄目だ。たぶん、この機体も通れるくらいのな。それに、素区の中堂園町って言ったら、旧市街のダークシティだぜ。そこに向けて通っている送水管は、どれも、この新首都の建設以前からあったはずだ。ミチル婆さんも昔から水を引いているって言っていた。新首都地帯は、津波対策で盛り土して地面を相当に上げてあるって話だし、地表に近い深度に地下リニア線や地下高速道路が走っていることも併せて考えれば、送水ラインの管は、トンネルの下にある可能性が高い。いや、下しかあり得ないよな」

 向かいの席から外村美歩が尋ねる。

「それにしても、よく交差しているポイントまで分かったわね」

 浜田圭二は答えた。

「仕事で運転していた時に、街に不自然に立つ塔が気になっていたんだ。それで、地図を買って調べてみようとしたら、その店の店員が、あれは各地下インフラや地下施設が交差するポイントに建つ重機用のエレベーターだと教えてくれた。だが、街の他の場所では見かけない。このエレベーターがあるのは、神経ケーブルに沿って作られている南北幹線道路の右側にしかない。つまり、これは神経ケーブルへの通路で、各地下インフラへの入り口も兼ねているメンテナンス用の入り口だ。エレベーターには、戦車やこの『ノア零一』は入れないが、小型のクレーンや中型のパワーローターは乗せられる大きさだ。という事は、水道管やガス管などの階層まで繋がっている。つまり、全部が交差するポイントに立っている。あとは、さっきの立体地図を見て、現在地から具体的にポイントを割り出せばいい。まあ、それは宇城大尉と綾少尉にやってもらった訳だが」

 外村の横に立ったまま壁に掴まっている宇城大尉が言う。

「よく、その位置まで覚えていたな」

 浜田圭二はニヤリとして自分の頭を指差した。

「ここが違うぜ」

 そして、横に立っている綾少尉に顔を向ける。

「な、俺を降ろさなくて、良かっただろ」

 綾少尉は素っ気なく言った。

「でも、きっと今頃、GIESCOもIMUTAも水浸しね。あのトンネルに繋がっているのだから」

「あ……そこまでは、考えなかったぜ」

 浜田圭二は項垂れる。

 宇城大尉が浜田の肩を叩いた。

「なあに、トンネル内のセンサーが水を感知すれば、各施設の手前で防水用の扉と排水システムが作動しているはずだ。地下にトンネル掘るのに、大津波を経験した我が国で防水対策を施していないはずがない。勿論、各施設が建築法規に従っていればの話だが。ま、心配は要らんさ」

 コックピットから山口中尉の声が響く。

「そろそろ、陸に上がるぞ」

 宇城大尉はコックピットの方を覗いて、山口に指示した。

「よし。上陸したら、今度は飛行モードだ。敵が混乱している間に、奴らの頭上を越えるぞ」

「了解。でも、その前に、上手く上陸できるかが問題ですね。俺は揚陸艇の運転免許は持っていませんからね。しっかり掴まっていて下さいよ」

 山口中尉はハンドルを切ると、アクセルを踏み込んだ。

 ノア零一は昭憲田池の浅瀬へとタイヤを着けた。水中に泥煙が舞う。背後のパルス・スクリューを強く光らせ、機体を前へと押し出していき、そのまま硬い湖面を分厚い強化タイヤで踏みしめていった。水中で気泡と泥煙を舞い上げながら、大きな岩の上をバウンドしながら進んで行く。立っていた宇城大尉と綾少尉は、左右の壁に手を突っ張って体を支えた。外村美歩も端末を仕舞った壁のポケットに掴まる。浜田圭二は頭のハットとお尻を押さえたまま、椅子の上で飛び跳ねていた。

「うお。ケツが……。腰が……」

 ノア零一は斜めになった土留めのコンクリート壁の上を進んでいくと、勢いよく水面に機体を突き出した。高層ビル街から池の対岸の寺師町まで往復するシャトル・ボートの港の横に出てきたノア零一は、鉄柵を踏み倒して陸に上がり、機体を水平に戻した。

 ブレーキを踏んだ山口中尉は、大きく息を吐いてから言う。

「ようし。上陸完了。そんじゃ、飛びますよ」

 乗員たちは皆、安堵の息を漏らした。外村美歩が一際大きく息を吐いたのを見て、宇城大尉が彼女の肩を軽く叩いた。

 浜田圭二は壁に凭れたまま、お尻を押さえて震えている。

「く……う……聞いてくれ……俺は、痔持ちなんだ……」

「し、知らないわよ。なんで私にカミング・アウトするのよ」

 綾少尉は前髪をかき上げながら、そっぽを向いた。

 宇城大尉はコックピットに半身を出して、山口に確認する。

「大丈夫か。中尉」

「任せて下さい。多少、じゃじゃ馬ですが、乗りこなしてみせますよ」

 山口中尉は操縦パネルや天井のスイッチを次々に押していきながら、ハンドルをゆっくりと手前に引いた。

 ノア零一の屋根の板が前後にスライドして突き出し、板に開いた穴に取り付けられた回転翼が高速で回転し始めた。機体の前後に小さな竜巻が起こり、土煙を巻き上げていく。機体がフワリと浮いた。乗員たちはまた、近くの壁に掴まる。ノア零一は機体を時計回り、反時計回りに入れ替わりに回転させながら、どんどん上昇していった。山口中尉は懸命にハンドルを操作しながら、操作パネルや天井のダイヤルスイッチを回して機体の細部を細かく調節していく。やがてノア零一は回転を止め、上空で水平に飛行し始めた。

「どう、どう。よーし。いい子だ」

 山口中尉は肩を上げて肘を張り、ハンドルを押さえつけると、機体の飛行感触を確かめてから、肩を下ろした。

 深く息を吐いた後、山口中尉は言った。

「ね。どんなもんです。このくらいのマシンは乗りこなせなきゃ、一級戦術パイロットの名が廃るって……」

 側面機関砲の照準モニターで外の景色を見ていた綾少尉が叫んだ。

「敵機接近! 五時の方角。攻撃ヘリ……シャーク・ヘリです!」

 雨を切り裂いて、一機の黒い戦闘ヘリコプターが現れた。そのヘリコプターは、幅の狭い胴体の上で広い直径の回転翼を回し、その胴体と蝶番で繋がれたかのように連結された、テールローターを回した尾翼部分を、まるで魚の尾ひれのように振りながら、右へ左へと蛇行してノア零一に接近してくる。

 山口中尉は再び肩を上げると、操作パネルのボタンを素早く切り替えながら言った。

「PX三型かよ。また、厄介なのが出てきたな。ライトを消せ。外村ちゃん、このケーブルを天井に繋いでくれ。暗視操縦に切り替える」

 山口が差し出したケーブルの先端を宇城大尉が受け取った。

「俺がやる。美歩、探偵さん。ベルトを締めろ。綾は右翼につけ。俺は左翼につく。以後、指揮権を山口中尉に移す。いいな」

「了解」

 綾少尉は浜田の横に立ち、側面機関砲の照準モニターの左右のグリップを握り締めた。

 サングラスのような暗視ゴーグルを装着した山口中尉が大きな声で言う。

「よーし、方々。敵のヘリは、関節つきの特殊攻撃ヘリだ。空中接近戦のために小回りが利くように設計されている。ッてことは、空での位置取りで勝負が決まるからな。動くぞ。覚悟しろよ」

 山口中尉はハンドルを傾けて機体を旋回させると、その特殊ヘリコプターを正面に捉え続けて、機体を横に動かした。

 敵機を見据えながら、山口中尉は後部席に早口で叫ぶ。

「宇城大尉、綾少尉。飛行中は上のバルカン砲が使えない。相手は魚みたいに空を泳ぐヘリだ、ロベルト・ミサイルも避けられちまうぞ。接近戦しかない。あんたらの側面機関砲だけが頼りだ。頼むぞ。外すなよ」

 宇城大尉がはっきりとした声で答えた。

「了解した。頼むぞ、中尉!」

 シャーク・ヘリは一度空中で停止すると、すぐに横に機首を向け、弧を描いてノア零一に迫ってきた。

「来たぞ。掴まってな」

 山口中尉はハンドルを引いて操縦桿を倒すと、アクセルを踏み込んだ。雨を前後の竜巻の中に引き込みながら、ノア零一の機体が一気に上昇する。シャーク・ヘリは、獲物を狙う鮫のように八の字に飛行しながら旋回し、上昇するノア零一に高度を合わせて追いかけてきた。同一高度に達したシャーク・ヘリは一瞬、動きを止める。その単座のコックピットには、無数にコードを垂らしたヘルメットを被った、グレーのスーツ姿の小男が座っていた。彼はギョロリトした目を見開いて、ノア零一に機関砲の照準を合わせた。坂口統一郎は操縦桿の引き金を引く。シャーク・ヘリの黒い機体の左右から、黄色い閃光が真っ直ぐに延びると同時に、ノア零一は機体を急降下させ、そのままシャーク・ヘリの下をくぐって後方に回った。そのまま、再び一気に上昇する。

 ハンドルを引きながら、山口中尉が怒鳴る。

「なめてんのか。そう簡単に当たるかよ」

 シャーク・ヘリは間接部分を折って「く」の字になると、素早く機体を反転させて再び機関砲で撃ってきた。ノア零一は機体を斜めにして銃弾を避けると、そのままシャーク・ヘリの真下へと潜り込んだ。気流を乱されたシャーク・ヘリは、激しく水平回転しながら斜めに降下していく。ノア零一は急旋回した。機体が右に大きく傾く。

「きゃっ」

 ベルトにしがみ付いたまま前に体を投げ出された外村美歩が声を上げた。宇城大尉が左手で機関砲のグリップを握ったまま、右手で外村の右手を掴んで支える。綾少尉は両足を踏ん張ったまま、小銃パネルに捉えたシャーク・ヘリに視線を据えていた。昭憲田池の水面ギリギリの高さで回転を止め、機体の角度を整えたシャーク・ヘリは、水面を舐めるようにして飛行する。綾少尉は狙いを定めてグリップのスイッチを押した。ノア零一の側面機関砲が火を吹き、銃弾が昭憲田池の水面を叩いていく。水飛沫が高く上がる中、シャーク・ヘリは尾翼部分を振って右に左に蛇行しながら銃弾を避け続けると、池の端で再び機首を上げて上昇した。

 ノア零一の機体の角度を戻しながら、山口中尉は舌打ちする。

「チッ、なかなか、やるな。こいつ」

 綾少尉は前髪をかき上げながら、苛立った。

「もう。チョロチョロと、すばしっこい」

 宇城大尉が背中越しに言う。

「綾。無駄撃ちするな。確実に狙え」

「了解!」

 綾少尉は不機嫌そうに返事をした。

 シャーク・ヘリは再び大きく八の字を描いて接近してくると、それを追って機関砲を撃つ綾少尉のパターンを見透かしたように、急に直進して、照準モニターの画面から消えた。宇城大尉がコックピットの山口に叫ぶ。

「後ろに付かれたぞ」

「分かってますよ。この……」

 ノア零一は前後に白い竜巻を立てながら、全速力で大きく旋回する。

「なんなんだ、こいつ。性格悪いんじゃないの。そらよっと」

 山口中尉が一気にハンドルを切ると、ノア零一はドリフト走行する車のように一気に方向を変え、左翼をシャーク・ヘリの正面に向けた。宇城大尉が足を踏ん張りながら、照準モニターで狙いを定める。すると、シャーク・ヘリは急下降して、画面から再び姿を消した。宇城大尉が叫ぶ。

「駄目だ、早過ぎる!」

 山口中尉は顔を顰めた。

「畜生。機動性じゃ、向こうが上かよ。神経感知型システムが相手じゃ、反応の速さでも勝ち目はねえな……」

 そして、後部に向かって叫んだ。

「おい、探偵さん。聞こえるか」

 返事が無かった。山口中尉は更に大きな声で叫ぶ。

「探偵さん!」

 顔面を青くした浜田圭二はハットを深く被り口を押さえ、嘔吐の欲求と闘っていた。彼は空気を飲み込んでから答えた。

「ウプッ……おお、なんだ。聞こえているぜ」

「あんたの頭上に、救出信号用の照明弾を発射するレバーか何かがあるはずだ。機体後部用のやつ。分かるか」

 浜田圭二は横の壁を見回した。

「照明弾? ――これか?」

 綾少尉が苛立った声で言った。

「違う。右の壁のカバーを外して。中の赤いワイヤーよ」

「ああ、分かった。これだな」

 壁に取り付けられた透明のカバーを取り外し、中にある列車の吊り革のような器具を掴んだ浜田圭二は、コックピットに向かって叫んだ。

「あったぞ。引けばいいのか」

「いや、待て。まだだ。俺が合図したら、すぐに引くんだ」

「オーケーだぜ。任せろ」

 山口中尉は続けて指示を飛ばす。

「大尉。そっち側を敵に向けるぞ。コックピット付近に打ち込んで、ヤツの気を引いてくれ」

「了解」

 機内の赤いランプが点滅し始めた。

 綾少尉が叫ぶ。

「ロック・オンされました!」

 続けて宇城大尉が叫んだ。

「ミサイルを撃ってくるぞ。中尉!」

 山口中尉は冷静に答える。

「ちょっと傾くぞ。勘弁しろよ」

 シャーク・ヘリを操縦している坂口統一郎は、操縦桿を細かく動かして、その前のモニター映ったノア零一の上に、緑色の三角形を重ねていた。緑色の三角が赤に変わると、口角を上げた坂口統一郎は、操縦桿の上部の発射ボタンを押す。シャーク・ヘリの薄い胴体の真下から、一発のミサイルが発射された。ミサイルは赤い炎を吐きながら、熱源を目掛けて高速で直進していく。

 モニターに映し出される機体の後方の映像を睨みつけていた山口中尉は、接近してくるミサイルに意識を集中させた。そして、タイミングを見計らって一気にハンドルを切る。

 ノア零一は横に一回転して、直進して飛んできたミサイルを抱きかかえるように回り、機体すれすれの位置の軌道を通過させた。横転して一回転したノア零一の中で、浜田圭二は照明弾の発射ワイヤーを握ったまま、天井と椅子に頭と尻をぶつけた。

「うわっ。あイタッ」

 機関砲のグリップに掴まったまま回転に耐えた綾少尉は、照準モニターに映っているすり抜けたミサイルを見て叫んだ。

「住宅街に!」

 ミサイルは有多町の東部のマンション街へと向かっていく。

 宇城大尉が叫んだ。

「綾! 撃破しろ!」

 綾少尉は大急ぎでライフルモードに切り替えながら叫んだ。

「当然!」

 小銃パネルを見据えながら、グリップにぶら下がるようにして腰を落としてミサイルに狙いをつけた綾少尉は、グリップの発射ボタンを押した。短く低い銃声が一発だけ機内に響き、反動がグリップに伝わる。撃ち出された一発の超音速通鉄弾は、風と雨と摩擦熱を衝き抜け、最後に、ガッツポーズをしている山野朝美がいるマンション目掛けて突進するミサイルの側面の外装を斜めに衝き抜けた。ミサイルは空中で爆発し、遅れて黒煙を膨らませると、雨に押されて煤煙を下に落とした。

 照準モニターを横から覗き込んでいた浜田圭二は、一瞬の決着に思わず声を漏らした。

「すっげえ。一発で……」

 綾少尉は軽くウインクして見せる。すると、宇城大尉が叫んだ。

「気を抜くな、本命が来たぞ!」

 シャーク・ヘリは小さく旋回して、ノア零一の左側に回りこんだ。操縦席の坂口統一郎は、再びモニターにノア零一を捉えると、今度はその側面に緑色の三角形を合わせた。彼はニヤニヤしながら呟く。

「今度は縦に回転でもするか?」

 宇城大尉が照準モニターに捉えたシャーク・ヘリの下方に機関砲の銃弾を撃ち込んだ。坂口統一郎は反射的に操縦桿を引き、機体を上昇させて銃弾をかわす。ノア零一は素早く方向転換しながら高度を下げ、三度シャーク・ヘリの下に回りこんだ。

「また、それかよ」

 坂口統一郎はペダルを踏んで、尾翼部分を大きく振ると、気流の影響を受けない位置にシャーク・ヘリを移動させた。

 ノア零一のコックピットで、山口中尉が叫ぶ。

「今だ。探偵さん!」

「おう!」

 浜田圭二は力いっぱいワイヤーを引いた。ノア零一の機体から照明弾がほぼ真上に発射される。真っ赤な閃光を放って上昇する照明弾は、シャーク・ヘリの前方を通過した。

「熱っ!」

 坂口統一郎が思わずそう叫んだと同時に、シャーク・ヘリはバランスを崩し、機体を横向きに倒した。

 山口中尉が声を上げる。

「よっしゃ。かかった。少尉!」

 綾少尉はライフルモードのままのグリップをしっかりと握って、照準モニターを睨み付けながら下にしゃがんだ。綾少尉は集中する。時がスロモーションのように流れた。舞い上がった彼女の長い黒髪が流線を描いて揺れ、鼓動がゆっくりと聞こえる。シャーク・ヘリは回転翼を一回転させながら、機体の腹をノア零一に向けて、左側へと降下していった。上から下に降りていくシャーク・ヘリの底面を照準モニターに捉えたまま、歯を食い縛った綾少尉がグリップのスイッチを押す。低い音と共に超音速通鉄弾が機体側面の銃身から飛び出し、落下するシャーク・ヘリの胴体底面の中心に着弾した。綾少尉はグリップの発射ボタンを押したまま、照準モニターにシャーク・ヘリを捉え続け、腰を上げていく。続けて発射された銃弾が回転翼の付け根に当たり火花を散らす。降下していくシャーク・ヘリの右側面に三発目の超音速通鉄弾が撃ち込まれ、鈍い音を鳴らした。

 テールローターをフル回転させながら、シャーク・ヘリは機体の向きを戻した。しかし、黒煙を上げるメインローターは空回りしたまま機体を引き上げる事はできなかった。鳴り響く警報音の中、坂口統一郎は必死に操縦桿を動かす。四方から白煙と黒煙を噴き立てながら落下したシャーク・ヘリは、昭憲田池の湖面に着水して回転翼を四方に散らすと、そのまま水中へと沈んでいった。

 ノア零一の機体を水平に戻した山口中尉は、暗視ゴーグルを外すと少し振り返って、壁にもたれている外村美歩を気にしながら、息を吐いた。

「ふう。外村ちゃん。大丈夫か」

「ええ」

 山口中尉は大きな声で言った。

「他の乗員の皆様も、お怪我はございませんか」

「ああ、大丈夫だぜ」

 浜田圭二は額の汗を拭った。

 宇城大尉は山口に返事をする前に、部下の功績を称えた。

「綾少尉。よくやった」

 宇城に褒められて、綾エリカは少しだけ嬉しそうな顔をする。宇城大尉は綾少尉の肩を軽く叩いてから、狭い通路を抜けてコックピットへと向かった。

「山口中尉。見事だった」

 山口中尉は操縦ハンドルを握りながら語る。

「神経感知型システムの欠点は、パイロットの五感に敏感過ぎる事だ。人間は、経験に騙されて、錯覚しちまうからな。ヤツも照明弾の火花を間近で見て、一瞬、本能的に炎から体を離そうとしたんだろう。それに機体が反応した。そこを綾少尉に狙ってもらっただけですよ」

「経験の賜物だな」

「いえいえ」

 謙遜した山口健士中尉は、前を向いて背筋を正すと、右手で操縦ハンドルを握ったまま、左手で敬礼した。

「山口健士中尉、受託任務を終了致しました。これより、大尉殿に指揮権を返還致します」

「うむ。ご苦労だった、山口中尉」

 宇城大尉は年長の山口に敬意を払って、狭い通路の中でしっかりと敬礼した。

 山口中尉は両手で操縦ハンドルを握り直すと、ニヤリとして言う。

「そんじゃ。そろそろ行きますか」

 降りしきる雨の中、前後に白く細い竜巻を立てたノア零一は、有多町の上空を旋回して、西へと進路を変えた。五人を乗せたノア零一は、AB〇一八の施設に向かって、高速で飛行していった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る