第6話  外村美歩



                  一

 日が射し込むマシンションのリビングで若い女と初老の女が朝食を取っている。初老の女は小さな茶碗を丁寧に持ち、端先で掴んだ白米を慎重に口に運ぶ。テーブルの上に茶碗を置くと、そのまま左に手を滑らせ、指先に当たった御椀の輪郭を確かめながら慎重に掴み、持ち上げた。母が御椀の縁を口に当てた事を確認した向かいの席の若い女は、窓際に置かれた奥行きの少ないサイドボードの上に載せてある長方形の箱にリモコンのカードを向けた。横に倒されて置かれた棒状のホログラフィー・テレビの上に平面ホログラフィーで画面が表示され、番組が始まる。

『おはようございます。二〇三八年十月四日月曜日、七時のニュースです。早朝は、少しずつ肌寒さを感じるようになりました。今朝は新首都圏の水無みな区溝口みぞぐち町の風景です。からりと晴れて、良い天気ですね。日中も晴れの予報が出ています。今朝の最低気温は六度。日中の予想最高気温は二十三度となっています。今日、明日と過ごしやすい晴天が続くようですが、週の中ごろにかけて一時的に天気が愚図つく所が出てくる模様です』

 御椀を置いた母親は、テーブルの上にゆっくりと左手を滑らせる。娘は切った蒲鉾が並べられた皿を少し前に押して、母の指先に触れさせた。母は皿に左手を添え、箸先で蒲鉾の位置を探った。微かに感じた触感を頼りになんとか一枚を掴むと、慎重に取り皿の上に移す。取り皿を持ち上げ、箸で刺した蒲鉾を落ちないように注意しながら口に運んだ。

 平面ホログラフィーの画面では、スーツ姿の男性がこちらを向いて話している。

『それでは、初めのニュースです。先週末に発生した国防軍の大規模なマシントラブルについて、昨夜、国防省は正式にコメントを発表し、外敵からのサイバー攻撃を想定した演習の一環であった事を明らかにしました。政府によりますと、大規模部隊の緊急出撃の際に、各種兵器に搭載されたコンピュータが敵国からサイバー攻撃を受ける可能性は大きく、その際の対応について訓練しておく必要から、抜き打ちの訓練として演習を行ったということです』

「……」

 若い女は茶碗を持ち上げたままニュースの画面を見つめていた。すると、陶器が鳴る音がした。娘はすぐに前を向き、母のお茶碗がぶつかった湯飲みを、箸を握った手を出して支えた。

「ああ、びっくりした」

 母がそう言うと、娘は一言だけ答えた。

「うん」

 そして、母の湯飲みを少し横にずらして言う。

「少し右に置いておくね。あ、御こうこの小皿は前に置いとくから。私、もう食べたし」

 黄色い沢庵が数枚だけ載せられた小皿を母の取り皿の横に動かした若い女は、その間も、テレビのニュースに耳を傾けていた。

『二日、土曜日に新首都郊外の多久実第二基地を出発した多数の軍用車両及び戦車、装甲車等は、原因不明のマシントラブルによって作動不能となりました。軍列が移動経路の蔵園町の国道一帯で立ち往生したことで一般車両の通行が出来なくなり、それにより大きな渋滞が発生しました。民間人の車両の渋滞の列は新首都外周道路にまで及び、警視庁交通部が往来妨害対策として導入した強制排除用のアーム重機を出動させ、車列の中で動けなくなった救急車等を移動させるなどの作業にあたりました。なお、動けなくなった兵器は基地内にもあり、陸上移動兵器の他にも、オムナクト・ヘリ七機と偵察用無人機の全てが一時使用不能になったという事です。多久実第二基地は国防陸軍第十七師団が配備されている基地で、同師団長の阿部亮吾大佐は取材に対し、ノーコメントを貫いています。この件に関しての昨夜の政府の発表について、野党連合の永田剣五朗代表幹事は、次のように述べています」

 画面が切り替わり、皺の多い日焼けした老人が国会議事堂を背景にインタビューに答える様子が映し出された。

『一般市民を巻き込んでまで演習をする必要があるかね。私には理解できんね。これね、問責でしょ。国会で、はっきりさせますよ。国会で』

 再び画面がスタジオに戻り、スーツ姿のキャスターが伝える。

『また、与党の一部の議員からも疑念の声が上がっています。与党内の若手議員で結成する平和国家を取り戻す会の代表である佐野十一朗議員は、記者のインタビューに次のように答えています』

 議員会館の廊下でICレコーダーを握る手に囲まれた若い男が、良く手入れされた長めの髪をかき上げながら記者達の質問に答えていた。

『あっそう。軍事演習だと言っているの。とても信じられませんね。じゃあ、どおして、あの十七師団なんでしょうね。抜き打ちでサイバー攻撃を仕掛けてみたんだって言うなら、何処の誰が、そのサイバー攻撃をしたのか。それをはっきりさせないと、国民の信頼は得られないでしょう。それに、あの部隊はいったい何処に何をしに行こうとしていたのですかね。我々の入手している資料では、移動の申請はされていないんですがね。ちゃんと軍を管理できているのかね。現内閣のガバナンスに問題があるんじゃないかな。――総理? 総理が指示したのなら、問題でしょう。ASKITの拠点を攻撃した時も、われわれ与党議員に何にも諮らずに勝手に出撃させちゃったんだからさ。ああ、そういえば、あの時も十七師団だったよね。あ、ここカットね、カット』

 指先で紐を切る仕草を見せている若いスーツ姿の男の映像を一瞥すると、若い女は視線を母の手の動きに戻し、自分の茶碗の中に残る少しの御飯の上に載せた沢庵を箸で掴んで口に運んだ。残りの白米を口に入れると、沢庵を噛む音を顎の中で響かせながら、ニュースのアナウンスに耳を傾ける。

『なお、政府は、軍の行動は全て政府が管理し統制している、演習によって想定外の被害が一般市民に及んだ点は遺憾であるが、訓練自体は必要な範囲内であると考えている、今回の演習の結果を今後の国防軍の運営にスムーズにフィードバックさせ、国民の平和と安全の維持に努めたい、と正式コメントしています。では、次のニュースです。大学生の窃盗集団が一斉検挙されました。警視庁によりますと……』

 茶碗をテーブルの上に置き、その上に箸を揃えて横に置いた若い女は呟いた。

「影介の言ってたとおりね。やっぱり、増田局長の読みどおりなのかしら……」

 取り皿の上に箸を置き、右手で湯飲みの位置を探っていた母はその手を止めた。

「宇城さんが何か言っていたの?」

 娘は母の湯飲みを取り、母の手の中に握り易いように添えながら言った。

「ううん。何でもない。仕事のこと」

 娘から渡された湯飲みに何度か息を吹きかけ、湯気を立てるお茶を少しずつ静かに啜った母は、短く息を吐いてから尋ねた。

「仕事も大変かもしれないけど、自分達の事もちゃんと話しているの?」

「うん。分かってる。だから、今度……」

 母が置こうとした湯飲みの角が小皿の端に当たり、小皿が傾いた。上に乗っていた沢庵がテーブルの上に散らばる。母は慌てて湯飲みを引き、その弾みで湯飲みのお茶が握っていた手に掛かり、残りがテーブルに落ちて広がった。

「あららっ……」

 娘はすぐに椅子から腰を上げると、左手を伸ばして母の手と湯飲みを支え、右手を台拭きに伸ばした。零れたお茶の上に台拭きを載せると、横の台所に速足で移動し、上に掛けてあった布巾を取って、それを水道の水で濡らした。布巾を軽く絞ってから持って来た娘は、それをお茶が掛かった母の手に当て、言った。

「熱くなかった?」

「ああ、大丈夫、大丈夫。いつもの事だから……」

 母は冷たい布巾で手を覆いながら、そう答えた。娘は台拭きでお茶を拭き取ると、落ちた沢庵を拾い台拭きに載せ、小皿の上を見た。そこには一枚だけ、沢庵が乗っていた。娘は尋ねた。

「御こうこ、もう少し出そうか。一枚しか残ってないし」

「いいわ。蒲鉾もあるから。それにしても、駄目ねえ。そろそろ、パン食に切り替えないといけないかしら」

 娘は取り箸で蒲鉾を挟んで母の取り皿に載せながら言った。

「好きな方にすればいいわよ。ゆっくり時間かけてもいいんだから。栄養のある物を食べないと」

「でもねえ、家の中ばかりで運動不足だから、あまりカロリーのある物はねえ……」

「……」

 娘は黙って湯飲みにお茶を注ぎ足した。注ぎ終えて空になった急須をテーブルの上に置き、注ぎ口の向きを変える。母がテーブルの上に置いた布巾を取り、それで底を拭いた母の湯飲みを元の位置に戻した。盛り皿の蒲鉾が白いことに気付いた娘は、醤油入れの小瓶を取り、量に注意しながら皿の上の蒲鉾に少しだけ醤油を垂らした。母が取り皿の上の蒲鉾を箸で掴むのを待ちながら、別の皿に残っている小さく巻いて焼かれた玉子焼きの一切れを取り箸で掴み、盛り皿の蒲鉾の横に間隔を空けて置く。

「卵焼きがあと一切れ残ってるから、蒲鉾の皿に載せとくわね。右の方だから」

「あら、残ってたの。よかった」

 母は四角い盛り皿の上に箸先を当て、右に滑らせて卵焼きを探した。

「もう少し奥。もう少し。うん、そこ」

 娘はそう言ってから、落ちた沢庵を包んだ台拭きを台所の流しに運んだ。沢庵を残飯入れに捨て、台拭きを水道の水で軽く洗ってから絞り、それを持ってテーブルに戻った。再び自分の椅子に腰を下ろすと、母は箸先に当たった卵焼きを掴んで取り皿に移し終えたばかりだった。取り皿を慎重に持ち上げ、卵焼きを口に運ぶ。娘は箸を載せた空の茶碗と御椀を前に置いたまま、自分の湯飲みの冷めたお茶を啜り、母が食事を終えるのを待った。

 顔の前で静かに御椀を傾けた母が言った。

「ああ、今日は月曜日よね。今週から資源ゴミは月曜になったんじゃなかったかしら」

「あ、しまった。そうだったわね。急がなきゃ」

 娘は時計に目を遣ると、慌てて椅子から腰を上げた。御椀に茶碗を重ねて箸と共に台所に運んだ娘は、肩の下までの髪を首の後ろで一本にまとめると、白いカットソーの袖を少し上げながら台所の奥の西側のベランダへと向かった。狭いベランダはプラスチック製のペール四つで場所を塞がれている。端のペールの蓋を開けた彼女は、中からプラスチック容器のゴミを溜めたビニール袋を取り出した。隣のペールの蓋も開け、発泡スチロール製の容器類を入れたビニール袋を取り出す。それぞれの袋の口を縛り、各ペールに新しいビニール袋を設置してから蓋をした。両手に大きなビニール袋を提げて台所に戻ってくると、それを左手に一緒に提げてリビングに向かい、部屋の隅に置いてある小さなゴミ箱の蓋をジーンズを穿いた脚の膝で軽く持ち上げて、中から再生紙ゴミを入れた紙袋を取り出した。横の棚から右手で器用に新しい紙袋を取り出すと、それをゴミ箱の中に広げ、蓋を戻す。床に置いたゴミ袋の縁のテープを剥がしてその中に入れ、粘着材が露出した縁を折って口を畳んだ。母の方に顔を向ける。母は食事を終えていた。娘は言った。

「ああ、置いておいていいから。ゴミを出してくるね。テレビは消しといた方がいい?」

 母は答えた。

「どうせ、よく見えないし、副音声解説もしてないでしょ。ラジオにしてちょうだい」

 娘はテーブルの上のリモコン・カードに手を伸ばすと、それをテレビに向け、ホログラフィーの画面を消した。続いて、テーブルの隅に置かれた古いラジオのスイッチを入れる。公共放送に周波数を合わせてあるラジオから朝の情報番組が流れ始めた。娘は壁の掛け時計に目を遣りながら、床の紙袋を右手で拾った。

「じゃあ、ゴミを出してくるわね。お茶、気をつけてね」

 外村美歩は両手にゴミの袋を提げて狭い玄関へと向かい、サンダルを履いて急いで外へと出て行った。



                  二

 ゴミ出しから戻った外村美歩は、朝食の食器を洗い終えた後、台所で茄子のヘタを取っていた。シンクの上には切られた葱がザルに入れて置いてある。ヘタを落とした茄子をまな板の上に載せた外村美歩は、リビングの白いソファーの横に座って背中を丸めている母に目を遣ると、声を掛けた。

「どうしたの?」

「ああ、ちょっと剥がせなくて。ああ、苛々するわ」

 外村美歩は包丁を置き、タオルで素早く手を拭いて、母の所に速足で移動した。母は懐炉が入ったビニール袋の端を爪で斜めに破り、袋の内側に貼り付いた懐炉の粘着面を離そうとしていた。袋の端の方では保護シールが折れ曲がって捲れている。カーペットの上に座り込んで日の光に必死に袋を向けて顔を近づけている母に、外村美歩は言った。

「ああ。言ってくれればいいのに。貸して」

「いちいちお願いするのも難でしょ。これくらいの事は自分でと思ったのよ。どうして、もっと使いやすくしてくれないのかしら。どうなってるのか、さっぱり分からなくて、ホントに苛々するわ」

 母は袋を強く擦ると、放り投げるように横に置いた。外村美歩はそこに腰を下ろし、袋を取って懐炉に貼り付いた袋と保護シールを剥がしながら尋ねた。

「でも、もう懐炉を使うの。寒い?」

「ベランダの植木鉢の花を植え替えようと思ったのよ。昨日買った苗を来週までそのままにしていたら枯れちゃうでしょ。風も冷たくなってきたし、こう高い階だと風が強いから、腰を冷やさないようにと思ってね」

「ええ? 今から?」

「午後からよ。有水さんに手伝ってもらうから大丈夫よ。植え替えくらいなら出来ると思うわ」

 外村美歩はベランダの方を向いた。リビングの外に南向きに広がっている余裕のある広さのベランダには、スチール製の小さな倉庫が置いてあり、その前に置かれた浅い段ボール箱の中に黒いポットに入れられたままの花の苗が並べられていた。日曜に近くのホームセンターで母と一緒に時間をかけて選んで買ったものだが、日没後に帰宅して置いたきり、そのままになっていた。外村美歩は眉を寄せて言った。

「ごめん。昨日、やっとけばよかったね」

「帰ってきたのは夜だったじゃない。母さんと一緒に買物に出かければ、普通の人の三倍は時間が掛かるんだから、仕方ないわ。まあ、そんなに数は多くないし、有水さんと二人でやれば、すぐに終わるわよ」

「そう……」

 母は溜め息を吐いてから本音を漏らした。

「今日は、ヘルパーさんを休んでもらおうと思っていたんだけど……」

 娘も短く息を吐いて言った。

「そう言っても、お昼はどうするの。それに、こっちの都合で急に休むと、また、有水さんが機嫌悪くなっちゃうでしょ」

 外村陽子は苛立った声で言う。

「いつだって機嫌は悪いのよ。あなたが居る時と居ない時じゃ、全然態度が違うのだから。それに、私のためのヘルパーでしょ。私の都合で休んで、どうしていけないのよ」

「また、そんなこと言って……」

 眉を寄せて娘が言うと、母は少し声を落ち着かせて言った。

「昨日、久しぶりに外出したら、随分と疲れてね。植え替えは、明日にでもやろうと思っていたけど、まあ、有水さんが来るんだったら終わらせてしまおうかと思って」

 外村美歩は母の体調を気遣った。

「無理しなくてもいいわよ。帰ってから私がやっとくから」

 外村陽子は少し声を荒くした。

「また、そうやって母さんの楽しみを奪っていく。何にもする事が無くなっちゃうじゃない。こんなコンクリートマンションの高層階に居て、せめて土の香りくらい嗅ぎたいし、何か一つくらいは自分でやりたいのよ」

 小さく嘆息を漏らしてから、外村美歩は母に言った。

「――じゃあ、ベランダの壁の隙間から土を落とさないようにね。あと、防虫手袋は面倒くさがらないで、ちゃんとはめてから作業してよ。市販の培養土の中には、変な虫が居る事があるから。はい、腰を出して」

 薄でのカーディガンを脱いだ母の腰の部分に手を当てて位置を尋ねながら、娘は母が着ているニットの上から懐炉を貼った。母の腰周りの筋肉が随分と衰えてきたのを気にかけながら、外村美歩は外袋と剥がした保護シールを丸め、立ち上がって台所に行くと、それをゴミ箱に捨てた。

 手を洗い、再び包丁を握った彼女は、まな板の上で残りの茄子を切りながらリビングの母に言った。

「昼食は野菜炒めを作っとくから、それでいい? 少し軽めに火を通しておくから、あとはチンしてもらって」

 外村陽子は薄紫のカーディガンに袖を通しながら答えた。

「普通に火を通していいわよ」

「でも、チンすると軟くなり過ぎちゃうわよ」

 母は、一度カーディガンの袖に通した左腕を再び抜きながら言った。

「軟らか過ぎるくらいが、母さんには丁度いいのよ。歯も弱ってきたし」

「……」

 本当にそうであったのかもしれないが、そうであれば、それはそれで咀嚼力が衰えたか、歯に問題があるという事だから心配であるし、そうでないのだとしたら、調理の際に火加減の調節に手間をかけないよう気を使って我慢しているのではないか、外村美歩はそう思うしかなかった。

 母に視線を向けた外村美歩は、また包丁を置くと、手をタオルで拭きながら言った。

「お茄子の残りは、浅漬けにしておくわね。冷蔵庫に入れておくから」

 母は、カーディガンから抜いた左腕を反対の袖に入れながら尋ねた。

「どの辺?」

 外村美歩は母の横に来て言った。

「真ん中の段。右の手前に置いておくね。ちょっと貸して。裏返しになってる。肩に掛けるから」

 娘は母の薄いカーディガンを受け取ると、袖を整え、上下と左右をその通りにしてから母の肩に掛けた。母はカーディガンを肩に掛けたまま左腕からゆっくりと袖を通した。



                  三

 掃除機掛けを一通り掛け終えた外村美歩は、リビングのテーブルに戻り、ゴミ出しの後で取った郵便物の整理を始めた。母宛の読み上げデータ入りのMBCが同封された封筒を別にすると、それらを封筒から一枚ずつ出して、母用の郵便を入れる箱に入れた。一通だけMBCも入っておらず、音声読み上げ用のバーコードも印字されいない封筒があった。外村美歩はその表と裏を確認した。区役所からの封書だった。中を開けて見てみると、母に関する福祉課からの文書である。読むと、区の介護支援事業から国の介護保険事業への切り替えを求める趣旨の文面が並んでいた。外村美歩は溜め息を漏らした。難病指定がされている母の視覚障害は、現在の医療技術では治癒できそうもない。しかし、介護保険事業の形式的な介護認定システムでは、軽い等級になってしまう。それが現実だった。だからと言って、母は一人で行動できる訳ではない。そのような場合に具体的な支援で補填するのが区の福祉事業であるはずなのに、実際にはこの文書のとおり、支援を必要としている者へ手助けを国と押し付け合っていた。仮に、この文書のとおりに手続きを進めたとしても、結果が同じである事は知れている。余計な診察や手続き的な負担を母に強いるだけだった。外村美歩は後日に区役所と掛け合う事にして、書類を畳むと封筒に入れた。母には読み上げデータが入ったMBCを入れた箱だけを渡して、区役所からの文書の事は言わず、それを持って自分の部屋に向かった。古いパソコンが置かれた机の上に封書を置いた彼女は、そのまま鏡の前に向かい、首の後ろで一本にまとめた髪を解いた。櫛を通すとヘアピンを口に挟み、髪を綺麗にまとめて上にあげる。左手に持った大きめのクリップで髪を留めると、必要な箇所にヘアピンを差し込んでいった。長く美しい項を見せた彼女は、カットソーから袖を抜き、整えた髪を崩さないように気をつけながら、カットソーの丸襟を通して頭部を抜いた。壁際のハンガーに掛けてある白いワイシャツを取り、それに袖を通す。ワイシャツの釦を全て留めると、ジーンズの上から濃紺のタイトスカートを穿き、それから中のジーンズを脱いだ。ワイシャツの襟を立て、コバルト・ブルーの無地のネクタイを首に掛ける。慣れた手つきでネクタイを締めると、一度、鏡の前で身形を確認した。ネクタイの角度を整え、スカートを少しだけ回す。机の上から腕時計を取り、それを左手首に巻くと、ワイシャツの袖の釦を留めた。右手の袖の釦を閉じながら、クローゼットに向かう。扉を開け、濃紺の上着をハンガーから外した。肩が張ったテーラーカラーのその上着は、穿いているタイトスカートと上下揃いである。高めの襟の下の三つの釦を全て留めると、外村美歩はもう一度、鏡の前で身形を確認した。肩の上の髪の毛を指先で摘まんで取り、その上を軽く払う。何の模様も柄も無い地味な制服の左胸には、様々な色の徽章が並んでいた。左の襟には真新しい金色のバッジが光っている。そのバッジは、丸い三つの葉の中央に五弁の花を模っていた。

 鏡の前で薄いメイクを確認した外村美歩は、深く息を吐いた。丁度その時、玄関のインターホンの音が鳴った。軍用の腕時計に目を遣った外村美歩は、机の横の分厚い鞄を持ち上げ、玄関へと向かった。ドアの外に向かって返事をする。

「はい」

「あ、こんにちは。ウェルエイドの有水です」

「あ、ご苦労様です。今、開けます」

 ドアを開けると、ジャージの上からピンク色のエプロンを着た、太った中年女性が立っていた。

「こんにちはー」

 そういいながら、有水は大きな体を図々しくマンションの玄関の中に入れてきて、靴を脱ぎ始めた。外村美歩は鞄を提げたまま彼女と共にリビングへと移動し、有水に言った。

「いつもどおり、お昼は簡単に作ってありますから、食器の片付けだけ、お願いします。あと、母がベランダの植木鉢の花を植え替えたいと言っていますので、その手伝いをお願いします。その他は、いつも通りで」

「植木鉢の花ですか……」

 有水は不機嫌そうに顔を顰めた。外村美歩は彼女に一礼して言った。

「すみません。母一人では怪我をするといけないので、手伝ってあげてください。数は四鉢だけですから」

 そして、音声パソコンで再生したMBCの文書朗読の音声をリビングのソファーに腰掛けて聞いていた母に大きな声で言った。

「じゃあ、母さん。行ってくるわね」

 ヘッドホンを外した外村陽子は、美歩に顔を向けて言った。

「ああ、美歩。帰りに、厚揚げ買うの忘れないでね。コンビニのじゃないわよ。松金ストアーの惣菜コーナーの隣に並んでいるアレ、お願いね」

「うん。わかった。行ってきます」

 外村美歩はヒールの太い革靴を履くと、分厚い鞄を提げたままマンションの外の廊下に出て行った。



                  四

 外村美歩は国防省の軍規監視局に勤務する監察官である。監察官は新憲法が規定した第四の法曹職で、国防省及び同省が統括する国防軍に対し法律と国防軍規則の遵守を監視し、その違背を取り締まる事を職務としている。各監察官には独立した地位が保障され、いわば軍隊内部の検察官ともいうべき立場で、事件捜査は勿論の事、違反軍人の逮捕、勾留、軍内の特別法廷への内部訴追と、通常の裁判所への刑事訴追をする権限を有していた。

 法曹選出と養成の新制度である「ローヤー・プログラム」を修了した外村美歩は、新人の監察官として軍規監視局に配属されたのであったが、それから一年と経たないうちに、大きな事件を担当する事になった。その事件の最中に偶然にも関係者から相談を聞いたという事情もあったが、そうでなかったとしても、彼女が担当したであろう事は、彼女の高い事務処理能力から明らかであった。

 今日もいつものとおり正午から勤務を開始した外村美歩は、狭い取調室の中で、予定されていた被疑者の尋問に取り組んだ。鉄格子がはめられた小さな高窓を背にして、深緑色のTシャツ姿の大柄な中年男が床にボルトで固定された椅子の背もたれに身を倒し、手錠で繋がれた両手をテーブルの上に載せている。彼は机の向こうの制服姿の若い女性を睨みつけていた。気迫のある軍人を前に、外村美歩は毅然とした態度で臨む。彼女は落ち着いた声で男に言った。

郷田ごうだ軍曹。それでは、あなた方は、津田つだ幹雄みきおの指示の裏に奥野恵次郎の存在がある事は、認識していたのですね」

 郷田零音ごうだれおんは顔を横に向けて、渋々と答えた。

「ああ。だから、何度も言っているだろう。俺達は国防大臣だった奥野から直接呼び出されたって。最高司令権者の指示だから、正規のオペレーションだと思っていたんだよ」

 外村美歩は姿勢を正したまま淡々とした口調で言った。

「国防軍の最高指令権者は内閣総理大臣です。それに、次順位指令権者の国防大臣が、正規の手続きも無いまま直接、配備ユニットの指令系統から逸脱した作戦人事を兵卒集団にする事も、指揮命令系統に外部の省庁関係者を介入させる事も、平時軍規、戦時軍規のいずれにおいても規定されていません。それから、もう一つ……」

 郷田零音は面倒くさそうに言った。

「なんだ」

 外村美歩は郷田の目を見据えて言う。

「私の階級は大佐です。上官への反抗的態度は、国防軍兵服務規程違反です。以後、慎むように。郷田軍曹」

「チッ」

 舌打ちをした郷田に、外村美歩は強い口調で言った。

「分かりましたか。軍曹!」

 郷田零音は少し驚いたように前を向いたが、外村の真っ直ぐとした視線に耐えられず、また横を向き、小さな声で答えた。

「はい。――失礼いたしました」

 外村美歩は端然として郷田を見据え、はっきりとした口調で言った。

「国防省軍規監視局の監察官として、採決指令を発します」

 郷田零音は溜め息を吐いて下を向いたまま、椅子に座っていた。外村美歩は黙って彼の顔を凝視している。いつまでも口を開かない外村に視線を向けた郷田零音は、自己の階級にハッとして、慌てて椅子から立ち上がった。繋がれた両手で無理に敬礼をすると、姿勢を正して視線を上に向ける。

 椅子に座ったままの外村美歩は、監察官としての処分を彼に告げた。

「指令。郷田ごうだ零音れおん二等軍曹は、国防軍総合立案本部軍法審議室の下す裁定に従え。なお、同審議室主催の軍法会議においては、軍事法廷立会い権を付与された特例弁護士を弁護人として付する事ができる。希望する場合は、別途、申し立てるように」

 それは、国防軍内での特別法廷に郷田を起訴する事を意味していた。これにより、彼は同法廷で裁判形式による審査を受け、国防軍兵士としての服務規程違反の有無についての裁定と兵士身分に関する処分が下される事になる。

 郷田零音は直立したまま、米噛みから汗を垂らした。外村美歩は淡々と指令を続ける。

「なお、本日付で国防省特別営倉より貴殿の身柄を解放する」

 それを聞いた郷田零音は上げていた両肩を下ろし、安堵した顔で息を吐いた。外村美歩は机の上の分厚い資料に視線を落としたまま、まだ指令を続けた。

「その後、貴殿の身柄は国防軍規則に則り、警視庁管轄の最寄りの刑事勾留施設へと移送される。よって、その手続に従え」

 地団駄を踏んだ郷田零音は、外村を睨みつけて言った。

「くそ。留置所送りかよ」

 顔を上げた外村美歩は、椅子に座ったまま郷田の顔を見据えて言った。

「私は監察官として、あなたを、民間人である神作真哉氏、永山哲也氏、山野紀子氏、春木陽香氏に対する刑法第二〇三条殺人未遂、第二二二条脅迫、第二二五条加害目的略取の各罪で、通常刑事裁判所に特別起訴します。よって、今後あなたの身柄は通常の犯罪容疑者として刑事勾留施設へと移され、民間人と同じく、刑事訴訟法に従い地方裁判所において審理されます。なお、軍法会議は並行して進行し、あなたの兵士身分について採決されますので、そのつもりで。但し、同採決が下されるまでは、あなたは国防軍の兵士ですので、以後の各手続きにおいては軍人としての名を汚す事の無いよう、真摯に対応するように。以上」

 分厚いファイルを閉じた外村美歩は、机の隅のボタンに手を添えると、その横の小さなマイクに少しだけ顔を近づけて言った。

「これにて、郷田零音二等軍曹の尋問および採決指令の伝達を終わる。二〇三八年十月四日、国防省軍規監視局監察官、外村美歩」

 外村美歩はボタンを押し、レコーダーのスイッチを切った。そのまま席を立ち、ファイルを抱えると、郷田と目を合わせずに振り向き、出口へと歩いていく。顔を紅潮させた郷田零音は、去っていく外村の背中に向けて怒鳴り続けた。

「なんで、俺が刑務所送りなんだ! ふざけやがって! こっちはな、現場で泥を噛んで戦っているんだぞ! 机の上で書類を読んでいるだけのお前らに何が分かる! テメエ、覚えてろよ!」

 外村美歩は取調室から出ると、黙ってドアを閉めた。



                  五

 軍規監視局のドアが開き、分厚いファイルを小脇に抱えた外村美歩が入ってきた。広いフロアに並べられた机に座っている事務員たちが、一斉に視線を向ける。部下の事務員たちに一礼した彼女は、目の前のカウンターの端まで進み、壁との間から奥に入った。そして、その壁に並ぶドアの一番手前のドアを開け、自分のオフィスへと入っていく。ドアを閉めると軽く溜め息を吐いて、自分の執務机に向かった。狭いオフィスには小振りな応接ソファーセットと小さな本棚、窓を背にした自分の事務机しか置かれていない。彼女のオフィスは、他の監察官に割り振られた十分な広さのある執務室とは違い、それまで軍規監視局の用具室に使用されていた部屋を改装した、狭く日当たりの悪い部屋だった。それは、法曹というエリート職であり、大佐階級で職務に従事する監察官としては相応しくない部屋であったが、短時間勤務のパート監察官である彼女は甘んずるしかなかった。

 両袖の小さな事務机の上に事件の分厚いファイルを置き、疲れた顔で椅子を引くと、ドアがノックされた。彼女が返事をすると、ドアが開けられ、制服姿の中年の男が入ってきた。外村美歩は姿勢を正して直立し、言った。

「お疲れ様です。森寛局長」

 軍規監視局の局長・森寛常行もりひろつねゆきは、手を振りながら言った。 

「お疲れさん。楽にしていいよ。で、どうだった。郷田の奴、堪忍したかい?」

 外村美歩は椅子の横に立ったまま、机の上の分厚いファイルに視線を落として答えた。

「はい。なんとか終わらせました」

 森寛常行は満足そうに頷く。

「そうか。そりゃあ、よかった。君に任せて正解だったな」

 外村美歩は姿勢を正したまま首を横に振った。

「いいえ。私も、乗りかかった船でしたので。担当させていただいてよかったです」

 森寛常行は深く頷くと、頭を掻きながら眉を寄せて言った。

「しかし、あとは久瀬と野島かあ。この二人は強姦未遂もあるんだよな。実行にも着手しちゃってるし。でも、諸々を考えてると、やっぱり、ウチがやる訳にはいかないね。一旦は検察送致で、その後は警視庁に逆送だな、こりゃ」

 外村美歩は真剣な顔で首を縦に振る。

「はい。私もその方がよいと思います。郷田との共犯行為については、当局から直接起訴して、強姦罪については検察庁と協力して通常起訴にした方が適切かと思いますので」

 森寛常行は視線だけ外村に向けて答えた。

「だよな。――ま、どっちにしても奴さん達はまだ入院中だから、退院するまで待つしかないか。随分と派手にやられたみたいだしな」

 森寛常行は下を向いて、鼻で笑った。そして、顔を上げると外村を見て言った。

「いやあ、しかし、悪かったね。短時間勤務の君に、こんな難儀な事案を担当させちゃって。監察官の手が足りなかったから助かったよ。――あ、こりゃ、すまん、すまん。君も正規の監察官だったな」

 周囲を見回しながらそう言った森寛常行は、外村の方に手を振りながら言う。

「こんな狭い部屋で仕事させて申し訳ないね。もう少ししたら一部屋空くだろうから、それまで辛抱してね」

「あ、いいえ。私はここでも別に……」

 そう言った外村美歩は、話題を元に戻した。

「しかし、郷田たちは前国防大臣の奥野が彼の収賄を知った記者四人を葬り去ろうとしていた事までは知らなかったと言い張っていますね」

 森寛常行は腕組みをして頷いた。

「ああ。だが一方で、司時空庁の津田がバイオ・ドライブを探していた事は薄々勘付いてはいた。――と供述してはいるが、知っていたはずだよな。だが、その程度では共謀共同正犯で一網打尽って訳にはいかないだろう。結局、個別に実行行為を認定していくしかないよ」

「奥野は国防大臣を罷免された後、首都地検特捜部に逮捕されて、まだ勾留中なのですよね。公判の目処は立っているのでしょうか」

 外村の質問に森寛常行は顔を顰めた。

「うん。僕のロースクールの同期が地検特捜部の担当検事でね、そいつによれば、どうも時間が掛かるらしい。収賄の対向犯の贈賄の方、金を送っていたNNCのニーナ・ラングトンは海外に逃亡しちまったし、日本法人のNNJの社長だった西郷も行方不明。まあ、高橋博士が作ったタイムマシンに乗って消えたんだから、どうであれ見つけられない。NNJ社の本社は、ああなってしまったし、それに、ASKITの拠点は、ほら。あいつらが木っ端微塵にしちまった。ええと、なんて言ったけな……」

「一七師団ですか。深紅の旅団レッド・ブリッグ

「そう。そのレッド何とかが、猛烈な攻撃で何もかも無茶苦茶にしちまったものだから、公判に耐えうる証拠が収集できなくて、地検特捜部も困っているそうなんだ。奥野の奴、それをいいことに黙秘を続けているらしい。こりゃ、長期戦になるぞ。きっと」

 外村美歩は眉間に皺を寄せた。

「そうなると、ウチの方で立件した軍人たちの裁判も、先延ばしになりそうですね」

 森寛常行は外村に指を振りながら言った。

「そうさ。だから今のうちに小さな案件は、なるべく処理して、後々の多忙に備えとく必要があるんだよな。まあ、郷田だけでも先に起訴できてよかったよ。ありがとさん」

 外村美歩は眉間に皺を寄せたままだった。彼女には、この事件の実行犯として中心的役割を担った郷田の起訴案件が「小さな案件」だとは思えなかったからだ。

 森寛常行は怪訝な顔をしている外村を余所に、大きく手を叩くと、肩を回しながらドアへと歩いていった。

「さあて、後は法廷で弁護人とサシの勝負だ。腕がなるぜ、うししし」

 森寛の背中を見つめながら外村美歩は考えていた。ASKITはなぜ、神作たちを拠点島に呼んだのか。本当に任意の同行だったのか。机の上の分厚いファイルに視線を戻した彼女に、ドアノブに手を掛けた森寛常行が言った。

「あ、そうだ。新規の案件、君のパソコンに送っておいたから。また、サクッと頼むよ」

 彼はそう言って部屋から出ていった。外村美歩は椅子を引くと、そこに腰を下ろし、すぐに支給品の立体パソコンを起動させて、森寛から送られた事件データを探した。データを見つけた外村美歩は、ホログラフィーで浮かべられた文書に目を凝らしながら呟いた。

「横領……支給装備品をネット・オークションで販売……まったく、もう」

 外村美歩は眉間に皺を寄せたまま、溜め息を漏らした。



                  六

 外村美歩は再び取調室の中にいた。薄いファイルの資料が広げられた机の向こうには、赤いTシャツ姿の若い男が背中を丸めて座っている。彼は沈んだ様子で下を向いていた。

 外村美歩は机の上の資料に目を落としながら、被疑者に確認した。

「新田カイト、二十一歳。二級機関士兵。認識番号一〇五二〇―一七―〇二〇一三。所属、国防陸軍第十七師団機械化歩兵連隊第二整備小隊。間違いないですね」

 丸刈りの若い男は、小さな声で答えた。

「はい」

 外村美歩は資料を見ながら彼に尋問する。

「あなたは、二〇三八年九月二四日、要修繕装備目録に登録された強化合金防弾装甲具の中から廃棄予定のもの一着を自宅に持ち帰り、同月二六日に同装備品をネットオークションにかけ、同日、落札者山野朝美に売却し、翌二七日に宅配便の方法にて同民間人に引き渡した。事実の概要は以上の通りですね」

「はい」

 新田カイトがそう答えると、外村美歩は顔を上げて彼に言った。

「何か、訂正すべき点や捕捉すべき点がありますか」

 新田カイトは黙っていたが、チラチラと外村の顔を見ながら何か言いたげにしていた。外村美歩は言った。

「申述事項があれば、言ってください。何かありますか」

 新田カイトは口を尖らせながら話し始めた。

「あの……持ち帰ったのはボディーアーマーの部分だけで、オークションにかける時も、制御ユニットやCPU、戦闘メモリーユニット、バッテリーは外しておきました。通信パネルも外して配線も抜きましたから、ほとんど、外装だけで……」

 外村美歩は下を向き、薄い資料を捲りながら尋ねた。

「それらの部品は、どうしたのですか」

 新田カイトは小声で答えた。

「整備営舎にある廃棄部品の回収ボックスに入れました」

 目線を上げた外村美歩は尋ねる。

「全て?」

「はい」

「本当ですか」

「……」

 外村美歩は資料の頁を捲り、暫らく内容を再確認してから顔を上げた。そして、真っ直ぐに新田を見て言った。

「あなたの自宅の家宅捜査に関する報告記録では、捜索隊の憲兵が、あなたの私物のパソコンから当該戦闘メモリーのデータの一部を発見していますが。これは、どういう事ですか」

「あの……それは……」

 口籠っている新田に外村美歩ははっきりとした口調で言った。

「正直に」

「はい……あの……『ヒバリノン』です。――すみません」

「ひばりのん?」

 聞き覚えの無い言葉に外村美歩は顔を顰めた。新田カイトは慌てて説明した。

「多次元インターネットで流行ってるロールプレイ・シューティング・ゲームです。正確には『ハイ・バリン・オン』。でも日本では『ヒバリノン』って呼ばれています。アニメも人気でして。僕、そのファンなので、少しでもパフォーマンス・レベルを上げようと思って、つい……」

「つい、何ですか」

「そのボディーアーマーを着ていた兵士の戦闘データを使えば、強くなれるかなって思って。メモリーに記憶されていた過去の訓練データや、この前のASKITへの攻撃の時の実戦データを僕のパソコンにダウンロードして、僕の『ヒバリノン』の戦闘データに上書きしました。そしたら、めちゃめちゃ強くなって。ほとんど無敵。あっという間に上位ランキングに……すみません」

 呆れた顔で話を聞いていた外村美歩は、眉間に皺を寄せて目の前の若い兵士に尋ねた。

「つまり、現実の兵士の戦闘行動データをゲームの中の仮想のキャラクターにロードしたと。そういう事ですね」

 新田カイトは気まずそうに下を向いて頷いた。

「はい。――でも、保存したデータにはセキュリティー・ロックを掛けましたし、プレイヤーは他のプレイヤーの戦闘データを見る事は出来ませんから、外部に漏れた事は……」

「いいですか、新田二級機関士」

 新田の顔を真っ直ぐに見つめたままそう言った外村美歩は、落ち着いた声でゆっくりと彼に言い聞かせた。

「ネット上の仮想空間が、陸・海・空に続く第四の防衛空間である事は、三十年前から防衛計画に明記されているのですよ。それは他の国でも同じです。各国の軍隊はサイバー空間対応の部署を設け、特別の知識を持った人材を各隊に配置させています。もし、あなたのゲーム上のキャラクターの基礎データが、我が国の国防軍兵士の実戦での戦闘行動データだと知れたら、諸外国はその解析に乗り出すに決まっているでしょう。民間レベルのセキュリティー・ロックなど、サイバー空間での軍事行動レベルでは全く意味が無い事くらい分かりますよね。それに、ウチの憲兵があなたの自宅からパソコンを押収したように、データが保存されたパソコンそのものを奪われたら、どうするつもりだったのです。敵国兵があなたの自宅を襲撃してくる可能性は考えなかったのですか」

「……」

 新田カイトは青ざめた顔で驚いたように外村の顔をじっと見つめていた。

 外村美歩は嘆息を漏らすと、新田の目を見て更に続けた。

「データだけではありません。装甲具が渡ったのがマニアの中学生だから良かったものの、他国の軍事関係者であれば大事でした。もし、第三国に渡り、装備品の詳細が分析されたら、我が軍の兵士は敵に弱点を分析された防御装具を身につけて、その敵と戦う事になるかもしないのですよ。まして、戦闘データまで分析されたとしたら、彼らのとる行動は全て予測データに基づいて見通されてしまう。つまり、全ての国防軍兵士の身を深刻な危険に晒す結果となったのかもしれないのですよ」

 下を向いた新田カイトは、小さな声で言った。

「すみません」

 そして顔を上げると、泣き出しそうな声で外村に尋ねた。

「あの……本当に大丈夫だったのでしょうか」

 外村美歩は資料に目を落とし、頁を捲りながら答えた。

「ええ。今回は単にコスプレの材料にされただけで済んだようです。今、総務課が回収の手配をしています」

 頁の上をなぞっていた指を止めた外村美歩は顔を上げ、新田に尋ねた。

「それで、あなたは一体どのようにして、この装甲具を持ち出したのです? 要修繕装備目録の装甲具の数と、再配備された装甲具の数は一致していますが。どの時点の書類に虚偽の記載をしたのですか」

 新田カイトはキョトンとした顔で答えた。

「あ、いえ。虚偽の記載はしていません。何も」

「新田機関士」

 外村美歩が呆れたようにそう言うと、新田カイトは手錠で繋がれた両手を机の上に載せて、身を乗り出して言った。

「本当です。僕は何も嘘は書いていません。記載書類は規則どおり、フリーPDF化読み取り装置を通しましたし、上司にもちゃんと提出しました。本部のサーバーにも届いているはずですよ」

 外村美歩は厳しい顔を新田に向けたまま、詰問した。

「それなら、要修繕装備目録に登録され、修繕請求された故障装備品の数から廃棄認定された兵器の数を差し引いた数が修理後に再配備された装備品の数となっているはずです。しかし実際には、故障装備品と再配備された装備品は同数となっています。つまり、書類上は、修理に出された防具や兵器は全て修理され、元通りに配備されている事になっていて、廃棄認定された装備品は一つも無かった事になっています。だとすれば変ですよね。どう考えても、少なくとも、あなたが領得した装甲具の一着分が再配備された装甲具の数から減少していなければならないはずでは?」

 新田カイトは首を傾げていたが、天井を見上げると口を尖らせて言った。

「新規で支給された品目ではないでしょうか。その分で帳尻が合わせてあるのでは……」

 外村美歩は少し強い口調で言った。

「そんなはずはありません。それなら、国防省の調達局の納入記録や支給記録が出てくるはずです。それに、通常消耗品目でも、多久実第二基地の十七師団から予定外の物量申請はされていません。新規部品の配給記録もありませんよ」

 新田カイトはしきりに首を傾げながら、外村に言った。

「おかしいなあ、ここのところ頻繁に多久実基地には新品の機材が納入されていましたけど」

 外村美歩は眉間に皺を寄せた。

「ボディーアーマーが、ですか?」

「はい。それに弾丸やミサイル、新型の電子制御式機関銃とか携帯式バズーカ砲なんかの火器類まで。てっきり、また新たな大型の作戦か何か、本部の方で立案されているんだと思っていましたが……」

 首を傾げた外村美歩は机の上の薄い資料の頁を捲り、該当箇所の記載を確認した。しかし、新田が言うような事実を証する書面は見つからなかった。外村美歩は言った。

「書類では、弾薬類は通常補給体制が維持されているようですが」

「そんな馬鹿な。第二倉庫の中には、予備の弾薬を入れた木箱が山ほど積まれていましたよ。まあ、ASKIT攻撃の時によっぽど使ったんだろうなって皆で噂してましたけど。それに、新品のパーツや交換用の部品なんかは、もう十分過ぎるくらいで」

「では、多久実第二基地には余っている弾薬や装備品、機材、それらの部品が過剰に保管されていると言うのですね」

 新田カイトは何度も頷いて見せた。そして椅子に座り直すと、真っ直ぐに外村の顔を見て話し始めた。

「だから、僕たち整備小隊も次の機材や部品の搬入予定日を気にしないで、基地にある部材だけで十分な修理が出来ていましたし、万一修理できなくても、次の新品は充填されていましたから、プレッシャーも無く仕事が出来ていたんです。近頃は歩兵部隊の人たち、多久実第二基地内で相当に実践的な訓練をしていましたからね。防具の損傷なんて日常茶飯事で」

「しかし、それなら、軍のサーバーか国防省の行動監視データに記録が残るはずです。兵士が撃った弾丸一つでも銃器に内蔵された送信機から記録が即時に送信されて、国防省のデータ・サーバーに記録されるのですよ。たとえ、それが事故や訓練だとしても」

 外村の指摘に、新田カイトは首を傾げていたが、今度は繋ぎ合わされた両手を顔の前に上げて外村を指差すと、少し大きな声で言った。

「新型のデータ送信システムと本部のサーバーのリンクが上手くいっていないじゃないですか。たしか、ウチの部隊は昨日も徹夜で師団全部の機器の通信ユニットを入れ替えたはずですよ。これで、もう、何回目かな……」

 指を追って数えている新田に、外村美歩は目を丸くして尋ねた。

「通信ユニットを全て? 作戦本部の許可も無くですか?」

 今度は新田カイトが目を丸くして言った。

「あれ? 新型ユニットの試験搭載じゃなかったんですか。本部がサイバー攻撃された事を想定した。阿部司令官は、そう仰ってましたけど。一昨日も、ほら、訓練に出かけようとしたら、路上でウチの部隊の全部のマシンが止まっちゃったじゃないですか。僕、こうして逮捕されましたから、その後の事は分かりませんけど、あの時も前の晩に緊急に通信ユニットを全て乗せ替えたんです。英国のUKクライシー社製の量子暗号通信式に。でも、アレじゃ駄目みたいですね。やっぱり。だから、きっと昨晩も大急ぎで別の会社の製品に乗せ替えていたはずですよ。次はインド製の奴にするとか、小隊長が言っていましたけど。いやあ、こうして逮捕してくれて助かりました。これ以上徹夜が続いたら、僕も身が持たなくて……」

 手錠で繋ぎ合わされた両手で頭を掻きながら、新田カイトは笑みを見せた。外村美歩は大きく溜め息を吐くと、薄いファイルを閉じて言った。

「分かりました。とにかく、あなたの処遇については保留する事とし、後日改めて指令します。本日の尋問は、これまでとします」

 日付と名前を述べてホログラフィー・レコーダーを切った外村美歩は、薄いファイルを持って立ち上がった。すると新田カイトが上目遣いで言った。

「あのう……監察官殿。一つお尋ねしてもよろしいですか」

「何です?」

「どうして、私がボディー・アーマーをくすねた事を、本部は知ったのですか?」

 外村美歩は呆れ顔で項垂れると、顔を上げ、新田の顔を真っ直ぐに見て言った。

「装具を落札した中学生が通っている学校の教師から通報がありました。教師の話では、本物の戦闘防具を身に纏った中学生を見た一般市民から学校の方に指摘があり、事態が発覚したそうです。どうやら民間人の中にも今回の一件が国防に及ぼす『重大な危険』に気づいてくれた方がいらっしゃるようですね。あなたも軍人として、しっかりするように」

 新田カイトは再び項垂れて下を向いた。責任感の無い同世代の若者を蔑視した外村美歩は、黙って取調室から出て行った。



                  七

 外村美歩は自分のオフィスの机の上で、新田の処分保留理由書を作成していた。ホログラフィー・キーボードの上で動かしていた彼女の指が止まる。外村美歩は新田の供述が気になっていた。彼女には新田が自己弁護のために嘘を拵えているとは思えなかった。外村美歩は目の前に浮かんだホログラフィーの文書を縮小して横にずらし、半透明のキーボードの上で指を動かすと、空中に国防省内のサーバーへのアクセス画面を表示させた。目の前に浮かんだ入力画面に自分の権限コードを入力すると、作戦立案局のデータボックスに接続し、先日のASKITの拠点島を攻撃した際の資料を探した。表示されたファイルのホログラフィーに手を伸ばし、頁を捲っていく。それらの資料に目を通し、彼女は十七師団が出撃する前の消耗弾薬の補充状況を確認した。資料の数値を見ながら机の上のメモ用紙に書き写し、ホログラフィーの頁を捲っていく。幾つかの数値を書き取った外村美歩は、その資料ファイルのホログラフィーを閉じて、今度は武器支給部門のデータにアクセスした。そこから、十七師団がASKIT掃討作戦から帰還した後の武器・弾薬の支給状況を確認する。彼女は手許のメモ書きと資料ホログラフィーの数値を一つずつ慎重に見比べていった。十七師団の装備品は全て出撃前の数に戻されており、補充を完了していた。首を傾げた外村美歩は、国防軍総務部隊のサーバーにアクセスすると、ASKIT掃討作戦の全資料の提出を申請した。続いて調達局のデータにアクセスし、十七師団への九月期の納品記録を確認する。通常弾薬数、予定武器以外の追加納品は無い。首を傾げながら資料ホログラフィーの頁を捲っていた外村美歩は、そのホログラフィーを閉じようと後ろの頁に指を掛けた。その時、彼女の目に会計資料データが映った。外村美歩は手を止めて、再びゆっくりと頁を捲っていく。この一ヶ月、明らかに出張旅費の項目の金額が増えていた。彼女は出張項目のリンクボタンのホログラフィーに触れた。頁が勝手に捲られて、後ろの頁の領収書データの部分に移った。外村美歩は、その中から航空券の購入と宿泊ホテルの領収データを探した。そこには、アメリカ、ロシア、南アフリカ、シリア、ヨルダン、シンガポール、イギリス、インドの項目が並んでいた。外村美歩はその中でも金額が大きい最後の二つの項目を見ながら呟いた。

「イギリスとインド……」

 外村美歩は急いで別のファイルのホログラフィーを表示させ、それを開き、中に綴ってある新田の取調べのホログラフィーデータを探した。それを見つけると、音声だけを再生させる。

『――通信ユニットを全て乗せ替えたんです。英国のUKクライシー社製の量子暗号通信式に。でも、アレじゃ駄目みたいですね。やっぱり。だから、きっと昨晩も大急ぎで別の会社の製品に乗せ替えていたはずですよ。次はインド製の奴にするとか、小隊長が言っていました――』

 音声の再生を止めた外村美歩は調達局のデータファイルに戻った。そして、頁を捲りながら呟く。

「出張の目的は……」

 彼女の手が止まった。ホログラフィーに顔を近づけて細かな文字を読んでいく。

「新型偵察衛星の共同購入についての連絡調整……。第三国と協力して衛星を共同管理し、共同で使用していく……こんな事、今の情勢で本当に実現するのかしら……」

 外村美歩は眉間に皺を寄せたまま、また別の部署にアクセスした。そこは監査局だった。監査局は法廷文書の完備や手続きの実施に関する法務監査と会計資料に関する会計監査を一手に引き受けている部門である。外村美歩は軍規監視局のライバル部門といもいうべき部局の資料データを開いていった。

「定期監査は……」

 公開されている昨年度の定期監査の結果を見ながら、彼女は言った。

「何も問題は無いようね。ん?」

 外村美歩は会計監査資料の付属文書に目を留めると、続いて、さっき開いていた調達局の出張旅費の領収データを開き、隣に並べた。二つの資料を見比べると、今度は調達局のファイルホログラフィーを閉じ、別のファイルホログラフィーを浮かべて、その頁を捲っていった。そのファイルは昨年度の調達局の会計資料だった。領収データの頁に移り、頁を捲っていく。しばらく頁を捲っていた彼女は、再びその手を止めた。そこには、さっき見た領収データと全く同じ数字が記入された資料が並べられていた。

「やっぱり。これ、前に監査局に提出された書類と同じね。日付が変えられているだけだわ」

 外村美歩は調達局の資料を横にずらし、再度監査局の会計監査資料の頁を捲っていく。また手を止めた彼女は、宙に浮かんでいるホログラフィー文書に顔を近づけた。

「総理府? どうして、こんな所の名前が……」

 リンクボタンに触れ、収入項目の欄に移った。

「官房機密費から……」

 ホログラフィーの会計資料の科目を目で追いながら呟く。

「先月まで毎月、定期的に移管されているわね。しかも、こんなに多額のお金が。何処に消えているの?」

 再びリンクボタンに触れた。

「振替先は……やはり調達局……科目は?」

 外村美歩はそこに並んだ文字を見て、眉をひそめた。

「事前調査活動費。これでは監査の遣り様が無いわね。だから監査局も深くは調べなかった。あるいは、意図的に手を引いたのかしら」

 事前調査活動費は国防兵器の調達を司る調達局に認められた経費項目である。調達局は配備予定の新型武器の事前調査を秘密裏に行う。それらの調査行動は内偵活動、潜入活動、監視活動などの多種多様な情報収集活動であり、国防軍兵から選抜されたメンバーで構成される事前調査部という事実上の諜報機関によって実施されていた。他国の軍隊の装備兵器の情報を掴み、国防兵器の内容を決定する彼らの活動は完全に機密扱いとなっており、外部には秘匿されている。監査局も軍規監視局も正確な情報を得る契機すら与えられていなかった。

 外村美歩は頁を戻し、会計監査資料の出納項目に目を通していった。

「ASKITの拠点島に攻撃した八月二十四日以降、納入額が増加しているわね。弾薬の補填かしら。でも、こんなに多く消耗するものなの?」

 外村美歩はもう一度、国防軍の総務部隊のデータサーバーに繋ぎ、資料を探した。

「行軍実施記録は……八月二十四日……八月二十四日……あ、あった」

 資料文書のホログラフィーの上に並べられた細かな文字を指先で追っていく。彼女の長く細い指がピタリと止まった。

「陸一七アール。国防陸軍第十七師団」

 リンクボタンに触れ、作戦実施結果の記録を確認していく。

「使用弾薬数は……」

 小さな文字に目を凝らしていた外村美歩は、再び顔を顰めた。

「残量ゼロ? 保有していた全ての弾丸を戦闘で撃ち尽したというの? そんな馬鹿な」

 外村美歩はホログラフィー・キーボードの上で指を動かし、十七師団が補給申請している項目を検索した。すぐに結果が表示され、一覧表が目の前に浮かんだ。外村美歩は、その表を上から丁寧に読み込みながら、途中で目を丸くした。

「ウソ。毎回、演習の都度、全弾薬と装備燃料を使い切っている。あり得ないわ。いったい許可は誰が……」

 補給申請の処理番号を入力し、採決文書を表示させた。

「そんな……」

 外村美歩は椅子の背もたれに身を投げた。眉間に皺を寄せたまま、机の上のパソコンが投影する文書に視線を据えている。

 ドアが勢いよく開き、森寛常行局長が眉を寄せ、慌てた様子で入ってきた。彼は椅子から立ち上がった外村に人差し指を振りながら言った。

「おいおい、外村君。総務部隊の文書管理兵から確認の連絡があったぞ。というか、事実上の苦情の電話だが。あんなに沢山の資料を閲覧して、何を調べているんだ。監察官が職権で閲覧した記録には全て『BD』マークがついて、他者からの閲覧禁止状態になるのは知っているだろう。しかも自動的にプリントアウトされて、紙ベース資料で、こっちに保管せにゃならん。あれだけの量をファイリングしてからフリーPDF化するだけでも一苦労だぞ」

 外村美歩はハッとして、少し戸惑った。彼女は頭を下げた。

「あ、申し訳ありません」

 たしかに森寛の言うとおり、手続き上、監察官がした資料閲覧は捜査資料として軍規監視局に紙文書として保管する事になっていたし、その閲覧資料は他からのアクセスが禁止される事になっていた。それは証拠の保全と捜査活動の保護を目的とした制度ではあったが、それは表向きの建前で、実質的には監察官が徹底的に資料収集して軍事活動の深部まで捜査する事を躊躇させるための手続的な圧力に他ならなかった。

 外村美歩はそれを失念していた訳ではなかったが、ここまで早く国防軍が反応した事に驚いていた。困った顔をしている上司に彼女は言った。

「局長。どうしても監察官として調べたい事があったものですから。もう一件だけ資料請求したら、終了します」

 人差し指を立てた外村に厳しい表情の顔を向けた森寛常行は、少し思案してから答えた。

「ああ、そう。じゃあ、とりあえず、総務部隊の方には適当に言って、時間を稼いで置くよ。その間にさっさと資料を取得してしまいなさい。読むのはプリントアウトされたものを後でゆっくり読めばいいんだから。急いでくれよ」

「はい。すみません」

 外村美歩は森寛が部屋から出て行くのを待たずに椅子に座ると、ホログラフィー・キーボードの上で指を動かした。彼女は検索画面に文字を入力した。彼女の顔の前に浮かんでいる検索画面のホログラフィーには、「氏名、阿部亮吾。階級、大佐。所属、国防陸軍第十七師団」と入力されていた。



                  八

 外村美歩のオフィスにようやく日の光が射し込んできた。その光は赤く薄い。窓の端から斜めに射し込む夕日を背に、外村美歩はプリントアウトされた調達局の納入履歴の資料を読んでいた。そこにはストンスロプ社の子会社の名前が並んでいた。 

 オフィスのドアがノックされた。外村が返事をする前にドアは開けられ、スーツ姿の、背が高い中年の男が入ってきた。

「失礼するよ。調達局長の津留だ」

 男は入ってくるなり寛闊声でそう言って、ドアを閉めた。外村美歩はすぐに立ち上がり背筋を正して敬礼する。国防省調達局の局長津留つる栄又さかまたは、外村の机の前に置かれた小さな応接セットのソファーに勝手に腰を下ろし、外村に手を振った。

「うん。楽にしたまえ。ここに座らしてもらってもいいかな」

「はい、どうぞ。――あの、何か……」

 津留栄又は年季の入った顔で周囲を見回しながら、外村が話している途中から、わざとらしく大きな声で言った。

「へえ。ここが、あの恐ろしい『軍規監視局』の監察官の執務室か。初めて入ってみたよ。意外と狭いんだな。他の監察官の部屋も、こんなものかね」

 そして、軽く鼻で笑うと、外村に視線を向け、片笑んだ。

「ま、パートタイマーの職員なら、こんな部屋でも我慢するしかないか」

 外村美歩は自分の椅子の横に立ったまま、真っ直ぐに津留の顔を見つめて尋ねた。

「ご用件は何でしょう」

 小さなソファーの上に座った大柄な中年男は、足を組むと、その上に指を組み合わせた両手を載せて言った。

「うん。ウチのデータベースに保管されている資料データが『BD』マークだらけになってしまってね。職員達が、過去の資料の閲覧が出来ないために仕事が進まんのだそうだ。それで調べてみたら、君の名前が出てきたものでね。何か調査対象の資料を間違えているか、端末の使い方に問題があるんじゃないかと思って、心配して来てみたんだよ」

 外村美歩は目を細め、低く落ち着いた声で言った。

「調べてみたらとは、どういう事でしょう。『BD』マークが当局の調査痕跡だという事は、ご存知だと思いますが」

 津留栄又は外村を何度も指しながら言った。

「だから、その調査をしている監察官について調査したんだよ。ウチの事前調査部の人間が。何か軍規に違反しているかね」

「いいえ」

 憮然とそう答えた外村に顔を向けた津留栄又は、ソファーの背もたれの上に肘を載せて体を横に向けると、片笑みながら外村に言った。

「君、新ローヤー・プログラムでは、配置されたロースクールだけでなく、全体でもトップだったそうだな。そんな才女が軍規監視局に、しかも非常勤のパート勤務で。どうしてだね」

「……」

 外村美歩は下を向き、黙って自分の執務椅子の横に立っていた。津留栄又は彼女を詰問するように大きな声で言った。

「こちらで収集した情報によれば、ローヤー・プログラムの課程で君が検察庁に修習派遣されていた時期に、情報局の増田局長も、ちょうど、法務省に出向していたようじゃないか。まさか、そこで彼に手なずけられたのかね」

 顔を上げた外村美歩は津留の顔を睨みつけて言った。

「どういう意味でしょう」

 津留栄又は正面を向くと、わざと外に聞こえるように大きな声で言った。

「彼は軍内に自分が仕切る派閥を形成しているそうじゃないか。増田学校とかいう極秘の組織を。君もそういう陰謀めいた活動に参加しているんじゃないのか。もし奴の差し金で軍に送り込まれたのだとしたら、これは人事上で問題になるかもしれんな」

 外村美歩は冷静に返した。

「増田局長とは職務上でお顔を拝見する事はありますが、特に直接の面識はありません」

 背もたれに深く背中を当てたまま、津留栄又は口を尖らせて言った。

「ほう、では何故、君ほどの優秀な人材が非常勤職員として軍隊なんかにいるんだね」

 外村美歩は、にやけた津留の顔を真っ直ぐに見据えて答えた。

「国防に貢献する為です」

 津留栄又は強く隣のソファーの背もたれを叩いて怒鳴った。

「だったら、早くこの調査を終了して、あの目障りなマークを解除したまえ。何を調べているのか知らんが、君の興味本位の調査が国防体制の維持にどれだけの支障を生じさせていると思っているんだ」

 外村美歩は毅然と反論した。

「お言葉ですが、それは出来ません。正式な調査報告書を提出して、それが軍法審議室により棄却されるまでは、調査による資料の閲覧制限は継続される規則になっています。ご迷惑をお掛けしますが、暫くの間、ご協力を……」

「暫くの間だと? その間にこの国が何者かから攻撃されたら、どうするのだ。一時すらも国防体制に穴は開けられんのだぞ。さっさと調査を取り下げたまえ!」

 大声で怒鳴る津留の後ろで、静かにドアが開いた。

「あの……どうか、されましたか」

 段ボール箱を抱えた森寛常行が腰でドアを押して入ってきた。彼の襟の線を見て森寛の階級を確認した津留栄又は、椅子に座ったまま言った。

「ああ、調達局の津留栄又だ。君かね、監視局の局長は」

「あ、どうも、どうも。局長の森寛です」

 森寛常行は慌てて段ボール箱を足下に置き、上着の内ポケットから名刺入れを取り出した。そして、安物の応接ソファーに深く腰掛けている津留の横に移動すると、自分の名刺を差し出した。津留栄又は、名刺を差し出した森寛の手を左手で退けると、その手で森寛を指差して怒鳴った。

「森寛常行大佐。いったい君の局の管理体制はどうなっているんだね。お蔭でウチの局は大迷惑を被っているよ。何の捜査か知らんが、こういう調査なら、事前に連絡をくれれば、我々も穏便に協力出来たんだ。監査局はいつも監査の前には、ちゃんと連絡をくれるぞ。ウチも監査用の資料を別に準備している。だから、監査期間中も防衛体制に支障を来たさずに済むんだ。ここは軍隊だぞ。足並みを乱してどうするんだ。君は局を統括する立場にありながら、こんな非常勤のパート職員一人すらも管理できないのかね。管理能力に問題があるんじゃないか」

 外村美歩が口を挿んだ。

「局長は関係ありません。我々監察官は独立した職務権限と準司法官憲として……」

「外村君」

 森寛常行は外村を睨みつけて口を慎むよう窘めると、その厳しい顔を笑顔に変えて、津留にペコペコと頭を下げながら言った。

「いやあ、我々の捜査が調達局の任務遂行の支障になっているとは……これは本当に失礼しました。とにかく、なるべく早く閲覧制限状態を解除できるよう軍法審議室に掛け合いますので、ご了承いただけませんか。二、三日のうちには、なんとか解除できると思いますが」

 津留栄又は顔を顰める。

「二、三日? 何を悠長な事を言っているんだ」

 森寛常行は困惑した顔で頭を掻きながら言った。

「しかし、それ以上の短縮を望まれるようでしたら、軍法審議室の方に直接に上申していただかないと、ただの一局長に過ぎない私などでは、どうしようも……」

 暫く間を開けて考えた津留栄又は、ソファーから立ち上がり、森寛を強く指差しながら声を荒げた。

「その上申を君にしろと言っているんだ! 今日、明日中だ。それまでに何とかしたまえ。いいな!」

「はい。わかりました」

 深々と一礼した森寛を押し退けてドアの方に向かった津留栄又は、歩きながら更に続けた。

「捜査の方も中止するんだ。我々は隠密行動も多い。周りでウロチョロされては目障りなのだよ。君も国防軍人の端くれなら、分かるだろう。そのくらいは!」

 森寛常行は平身低頭して言った。

「はい。もう、『端くれ軍人』として、重々承知しております。直ちに捜査を取りやめます。はい」

「局長……」

 外村美歩が声を発すると、森寛は外村に軽く手を上げて発言を止めさせた。森寛常行局長はドアを空けたまま外村のオフィスから出て行った津留の背中に向けて、大きな声で叫んだ。

「どうも。ご迷惑をお掛けした上に、わざわざのご足労、痛み入ります。今後は私のデスクまで連絡いただければ、こちらから……」

 カウンターの向こうの軍規監視局のドアを激しく閉めて、津留栄又は出て行った。

 森寛常行は開けられたままの外村のオフィスのドアを閉めると、額の汗を拭った。

「ふう……相当におカンムリだな、ありゃ」

 外村美歩は眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに言った。

「同じ局長同士の立場ではないですか。何も、あそこまで……」

 森寛常行は顔の前で手を振った。

「いや、確かに軍規監視局の局長と調達局の局長は、形式的には同じ局長同士だけどさ、現実的立場は全然違うのよ、これが。ここは軍の指揮命令系統から独立した、いわば外局みたいなものだろう。僕も君も階級は大佐だが、それは取り調べを円滑に進める為だ。仕事柄、軍人達にも嫌われる。かたや調達局って言ったらさ、現場の兵士達が使う装備品や戦闘兵器を国内外の企業と交渉して仕入れてくる部署。現在の戦闘は勝敗の八割方が装備品の優劣で決まるだろ。つまり、調達局は国防軍兵士達の命を握っている一角なんだ。内部的な信頼も厚いって訳。それに、あそこの事前調査部には各部隊から筋金入りの軍人が集められているそうだ。彼らが外国に潜入して収集した軍備情報を分析して、それよりも性能のよい兵器を調達局が仕入れる。我々と違って、半分は現場任務なんだよ。だから兵士達とは仲間意識を共有できるし、しかも、兵士達から感謝される。それで、軍内部でも幅を利かしているのさ。その証拠に、今や調達局の局長って言ったら、次期国防事務次官は間違い無しという出世コースだもんな。僕なんか、頭は上がらんよ」

 事情を理解した外村美歩は少し落胆した。外敵の攻撃から国民の生命の安全と財産を守る事を担う国防軍も、内部に置いては民間の大会社とさして変わらない。民間企業や他の省庁と同じように、職員同士の出世競争と派閥争いが渦を巻いていた。

 卑しい人間社会の縮図に辟易しながら、外村美歩は上司に頭を下げた。

「どうも、ご迷惑をお掛けしました」

 森寛常行は顔の前でパタパタと手を振って応えた。

「ああ、いや、いいの、いいの。こういうの慣れてるから。サラリーマン体質なのよ、僕。ははは」

「すみません」

 森寛常行は床に置いた段ボール箱を持ち上げると、もう一度頭を下げた外村の前に持ってきて、それを彼女の足下に置いた。

「はい、これ。これを届けに来たんだよ。君が『BD』マークを付けまくった資料、向こうでプリンターをフル稼働させてプリントアウトしてたんだぞ。このダンボールが最後のやつ。ようやくウチのデータベースにも取り込み終えたよ。ああ、それと、これ。MBC(メモリー・ボール・カード)。ついでに取り込んだデータも全部入れといた。どうせ家でも仕事するんだろ。まさか、この段ボール箱の山を持って帰るつもりじゃないだろうからね」

 森寛常行は壁際に積まれた段ボール箱を指差した。外村美歩は床に置かれた重い段ボール箱を持ち上げると、腰の高さまで積まれた段ボール箱の列の上に何とか載せた。一歩後ろにさがった彼女は、段ボール箱の山を見つめながら言った。

「でも、さっきは捜査を中止すると……」

 森寛常行は腰を押さえながら言った。

「僕はね。でも、監察官は独立職権だろ。君の事までは知らんよ。あんなに血相変えて乗り込んで来る所を見ると、腹の中に探られたら痛い箇所があるんだろうな。ああ、いや、独り言。独り言」

 腰を回してストレッチをしながら、森寛常行はそう言った。そして、段ボール箱の山の前に歩いてくると、最後に自分が運んできた箱を開けて、中から綴られた紙の束を取り出した。

「でも、これ、十七師団の師団長の阿部大佐の資料だろ?」

「ええ。そうです。軍歴とか、ちょっと気になったものですから」

 外村美歩がそう答えると、森寛常行は紙の資料を捲り、その中身に目を通しながら言った。

「これまで極秘の最新鋭機械化部隊だった第十七師団が、ASKITの拠点島への攻撃が成功して、今や、国防軍のヒーローだ。それを物資面から支えてきた調達局は、影の功労者。つまり、今一番ノっている国防軍の花形タッグさ。それらに勘ぐり入れようっていうのなら、もっと慎重に頼むよ。僕の首も、何度下げても繋がっていられるほど頑丈じゃないからさ」

 森寛常行は口角を上げて、外村の顔を見た。外村美歩は真剣な顔で頷いた。

「わかりました」

 森寛常行は手に持っていた資料を元の箱の中に投げ入れて、外村に言った。

「ま、今日のところは、もう時間だし。帰りなさい。捜査企画の報告は明日でいいよ」

 外村美歩は壁の時計に目を遣った。退庁時刻が迫っていた。

 森寛常行はドアを開けて外に出ると、ドアノブに手を掛けたまま少し振り向いて、外村に言った。

「あ、そうだ。新田の件の処分保留理由書は、今日中に仕上げといてね。理由も無く営倉暮らしを延長させる訳にはいかないからさ」

「はい」

 外村の返事を聞いた森寛常行は微笑んで頷くと、ドアを静かに閉めた。外村美歩は急いで椅子に座り、腕時計で時間を確認すると、パソコンの前に手を伸ばした。



                  九

 マンションのドアが開いた。自動で点灯したライトが大理石風の狭い床を照らす。分厚い鞄を提げて帰宅した外村美歩は、レジ袋を提げた反対の手でドアを閉め、オートロックがされたのを確認してから、靴を脱いだ。玄関のすぐ目の前のドアを開け、リビングに入りながら言う。

「ただいま」

「おかえり」

 母はダイニングテーブルの上で煎餅が入った袋を両手で掴み、左右に懸命に引っ張っていた。

「何やってるの……」

 鞄を置いてテーブルの前まで速足で歩いてきた娘に母は言った。

「これが、何処を開けていいのか、分からなくてね。さっきから触っているんだけど、開け口が分からないのよ」

 テーブルの上にレジ袋を置いた外村美歩は、母が握っている煎餅の袋に手を伸ばすと、静かに言った。

「私がやるから」

 外村陽子は袋を自分の方に引いて娘の手から遠ざけると、苛立った声で言った。

「何処が開け口か教えてちょうだい。自分で出来るようになっとかないと。一人で居る時はお菓子一つ食べられやしない」

 溜め息を吐いた制服姿の外村美歩はテーブルの上に手をついて身を乗り出し、母の手に握られている袋を覗き込みながら言った。

「まず、縦にして……そう。その上の方の縁を触ってみて」

 母は言われたとおり袋の縁を触っていった。娘が言う。

「少しだけ膨らんでいる所があるでしょ。分かる?」

「ああ、これ?」

「そう。それを押して潰すの。強く」

「結構、力が要るわね」

「そう? 片方の手の指先だけで出来るようになっているはずだけど」

「ああ、できた。あら、開いたわね。簡単ね」

「閉じる時は、元通りに縁を重ねて……さっきの膨らんでいる所を押す。そう」

 娘の言うとおりにやってみると、袋は綺麗に口を閉じた。娘は言った。

「ね。閉じたでしょ」

 母はもう一度同じ方法で袋を開けてから、呟いた。

「なんだか、便利だけど、ややこしいわね。見えない人間には分からないわよ。これ」

「今度は、この方式じゃない普通の袋のお菓子にしとく」

 そう言いながら、外村美歩はベランダのサッシの方に歩いて行くと、まだ閉められていないカーテンに手を掛けた。日が落ちて暗くなったベランダの中を窓越しに見ながら、彼女は母に尋ねた。

「あれ、植木鉢の花。終わらなかったの?」

 母はダイニングテーブルの椅子に座ったまま、深く溜め息を吐いた。

「そうなのよ。有水さん、昼食の片付けを済ませたら、ここに座って、お茶を飲んでばっかり。それで、母さんも頭にきて、手が空いているならここの隅の方とか、掃除機を掛けてもらえませんかって、頼んでみたのよ」

 娘は眉間に皺を寄せて母の話を聞いた。母は言う。

「そしたら、掃除機掛けながら、どんどん向こうの廊下の奥に行くじゃない。そっちは娘の部屋だからいいですって言うんだけど、返事はするのに、なかなか戻ってこないのよね。ウチの掃除機も古いから音が大きくて聞こえなかったけど、もしかしたらドアを開けて、美歩の部屋の中を覗いていたかもしれないわ」

 今度は娘が深く溜め息を吐いた。他人の家の中に興味を持つのは女の特性だとは納得できなかった。母は続けた。

「それで、また、ここで一休みして、ようやく、ベランダに出て植木鉢を動かし始めたの。古い土はビニールに入れて、鉢をよく洗ってから新しい土を入れないとって思って、母さんが土を捨てて、彼女に洗ってもらおうと思ったのね。そしたら彼女、その植木鉢を台所の流しに持って行こうとするじゃない。そこは口に入れる物を扱う水場だから、やめてって、母さん、大声を出したのよ。なんで、そんな事するのかしら。ベランダに洗い場も在るのに」

 外村美歩は苛立ちを抑えながら、カーテンを閉めて言った。

「ベランダが寒かったからじゃないの。ここ、高いから。それに台所の水道はお湯も出るし……」

「でも、台所よ。食べ物を扱う所じゃない。こっちが見えないと思って、食器を洗うスポンジを使ったかもしれないわ。何を考えているのかしら」

「うん。わかった。一応、スポンジは変えとく」

 リビングのカーテンを閉めて回りながら、娘は母にそう答えた。母は憤慨した様子で娘に言った。

「そうじゃないのよ。どうして、そんな事を疑問なく出来るのかって事を言っているの」

 カーテンを閉め終え、テーブルの所に戻ってきた娘は言った。

「育ちじゃないの。いろんな家庭があるから」

 母は首を傾げながら呟いた。

「そうなのかしらねえ」

 外村美歩は濃紺の上着を脱いでダイニングテーブルの椅子に掛けると、レジ袋を持って隣の台所に移動した。

 母は苛立ちが収まらないようで、狭い台所でシンクの上に買ってきた食材をレジ袋から取り出して並べている娘にその苛立ちをぶつけた。

「結局、ベランダの植木鉢も三つしか植え替えられなかったのよ。とにかく全然、進まないんだもの。土を入れる前に化学肥料を入れたって訊いたら、あ、入れてませんとか、今度は、鉢の半分ほどまで肥料を入れて、その上から土を入れ始めたり。今時の子は、花木の植え替え一つもやった事がないのかしら」

 娘は並べた食材の中の幾つかを冷蔵庫に仕舞いながら、母の話を聞いた。

「それで、五時になったら、時間なので帰りますって、そのままで帰っちゃうじゃない。母さん一人じゃ、どうしようも出来ないし、この娘はなかなか帰ってこないしで、もう、苛々して……」

 母は袋から取り出した煎餅を荒く齧った。冷蔵庫のドアを閉めた娘は、時計に目を遣った。夕飯時は随分と過ぎていた。彼女はワイシャツの上のネクタイを緩めながら母に言った。

「ベランダは、後で片付けておくから。松金ストアーの厚揚げ、買ってきたわよ。煮付ければいいんでしょ」

「うん。火を弱める前に、ちゃんと母さんに味見させなさいよ。あんたの味付けは、いつも薄いんだから。はあ、久々の和食だわ」

 小さく溜め息を漏らした外村美歩は、椅子に掛けた上着を取って言った。

「じゃあ、着替えてくるね。すぐ作るから、ちょっと待ってて」

 濃紺の上着を腕に掛け、分厚い鞄を持ち上げると、外村美歩は上げた髪を解きながら、自分の部屋へと歩いていった。



                  十

 パジャマ姿の外村美歩は濡れた髪をタオルで拭きながら、自分の小さな机の前で椅子に座っていた。彼女の左目は青く光っている。髪の毛をタオルで拭く手がパジャマの胸元に挟んだイヴフォンに当たり、彼女は慌てて手をそれに添えた。イヴフォンの角度を整えた外村美歩は、視界に浮かんで移る宇城影介に言った。

「それじゃあ、訓練で実弾を使い切るなんて事は、通常はありえないのね。それと、緊急出動用に待機装填してある砲弾や銃弾は入れ替えないの?」

 髪の毛を拭き終えた外村美歩は頷きながら言う。

「そうなんだ。じゃあ、真空パックになっていないものなら、どのくらいの期間で点検交換するのかしら」

 脳内に浮かぶ通話相手の記憶映像を見ながら、彼女は何度も頷いていた。

「ふーん。そうなのね。さすが大尉殿ですね」

 外村美歩は穏やかな笑みを浮かべた。廊下の向こうから母の声が聞こえた。

「美歩。美歩。ちょっと来てくれない」

 外村美歩は椅子から腰を上げながら呟いた。

「ごめんね。母さんが呼んでるから、切るね。いろいろ教えてくれて、ありがとう。――うん。そうね。明日、ゆっくり……」

「美歩。聞こえないの?」

「はあい」

 母に返事をした外村美歩は、小さな声で囁いた。

「じゃあね。おやすみ」

 口角を上げて胸元のイヴフォンをパジャマから外した彼女は、頭にヘアバンドをはめながら、声がする洗面所へと向かった。

 洗面所の引き戸を開けると、洗面台の前で母がうずくまり、床に手を這わせていた。娘は尋ねた。

「どうしたの?」

 母は床の上で手を動かしながら言った。

「歯磨き粉の蓋がどこかに転んじゃったのよ。さっきから探してるんだけど……」

 娘は自分の足下に転がっていたプラスチック製の蓋を拾うと、母に差し出して言った。

「ここに在るじゃない。ほら」

 母は娘の顔を見上げて、声を荒げた。

「そんな言い方しなくても、見えてないんだから。母さんは、この範囲しか見えてないのよ。いい加減、分かってよ」

「もう。ちゃんと分かっているわよ。右手、真っ黒よ。洗って」

 娘は母の肩に手を添えて立たせると、母が手を洗うのを見守った。手の汚れが落ちているのを確認して、その手に母の歯ブラシを渡し、その上に歯磨き粉を載せた。母が歯磨きを始めると、蓋を洗い、歯磨き粉の容器にそれをはめて、いつもの位置に仕舞った。そして、母が歯磨きを終えるまで、洗面所の入り口の横に立っていた。

 自分の部屋に戻った外村美歩はブラシで髪を梳きながら、机の上の古いパソコンを起動させた。森寛局長から預かったMBCを外付けの読み取り機に挿入し、マウスを動かす。薄型モニターの画面に映ったアイコンの上でカーソルを動かしながら、外村美歩は呟いた。

「ああ、他の部隊の訓練記録も取得しておけばよかった。通常の使用弾丸数と十七師団の使用弾丸数を比較できたのに。以前の訓練のものと比較するしかないか……」

 マウスをクリックした彼女は、表示されたホルダーに目を凝らした。

「アフリカ出兵より前のものが良いかしら」

 机の隅で旧式のマウスを動かしながら、外村美歩は顔を顰めた。

「ああ、もう。このパソコン、そろそろ新しいのに買い換えないと、駄目かな……」

 外村美歩は中学生の頃に母から買ってもらったパソコンを今でも使用していた。接触式ホログラフィー表示型の立体パソコンが主流となっている二〇三八年に、液晶モニターで平面表示されたアイコンをマウスでクリックする人間など、圧倒的に少数であった。

 文書データの形式を自分のパソコンのOSに合わせて変換しながら、彼女は慎重にファイルを開いていった。

「同じくらいの規模の訓練だとすると……この辺ね。ああ、読み込めた。ええと……なるほど、このくらいの数の銃砲弾を使用したのね。この数ヶ月で実施された訓練が同程度の規模だとすると、弾薬はまだ随分と残っていたはずだわ。それなのに、調達局は訓練後にすぐに十七師団に対して銃砲弾をフル充填している。十七師団に弾薬類は一切残っていない事を前提に、しかも、何度も。ASKITへの攻撃以降、その数も増えているのは何故なの? もし、この記録の通りなら、十七師団に対して相当数の弾薬類が過剰に供給されていた事になるわ。新田カイトの言った事が本当なら、余った武器弾薬類は、そのまま、多久実第二基地内に貯蔵されている……」

 暫らく考えた外村美歩は呟いた。

「ASKITへの攻撃命令を発したのは、辛島総理。国防軍は仮想空間の防衛戦線にIMUTAを配備して以来、GIESCOを始めとするストンスロプ社グループとは、かなり親密な関係にある……はずよね。だから、ストンスロプ社のライバル企業だったNNJ社やNNC社を影で操っていたASKITの拠点島の攻撃に積極的に動いた。たぶん、そう言う事なのよね。でも、なぜ総理が直接に指示を出したのかしら。もしそうなら、もっと間接的に指示した方が政治的にもよかったはずじゃ……」

 目を閉じて頭を振った外村美歩は、自分に言い聞かせた。

「いけない。いけない。そんな事より、隠匿されている武器弾薬類の方ね。通信ユニットを頻繁に入れ替えているという新田の話が本当なら……」

 処理速度の遅いパソコンで、外村美歩は大容量のデータの中から慎重に文書ファイルを開いていった。



                  十一

 外村美歩は、タオルを被ったまま机の上に伏せた状態で目を覚ました。遮光カーテンの外が薄っすらと白んでいる。椅子の背もたれに凭れて首を回すと、立ち上がってカーテンを開けた。朝日が照りつけるベランダでは鳩が喉を鳴らしていた。遠くでカラスが声を上げる。警戒した鳩はすぐに飛び去っていった。あくびをしながらその様子を見ていた彼女は、ハッとして机に戻り、中腰のままマウスを操作し始めた。

「もし国防軍内に、ストンスロプ社と対立するASKITやNNC社と通じていた者がいるとしたら……」

 暫らく考え込んでいると、リビングから母の声が聞こえた。

「ちょっと、美歩。まだ寝てるの? お湯を沸かしてくれないと、お茶もコーヒーも飲めないじゃない」

「はい。はい。起きてまーす。着替えてから、そっちに行くから、ちょっと待ってよ」

 外村美歩はカーテンを閉め、パジャマの釦に手を掛けた。

 ライトグリーンのロングチュニックに白いストレッチパンツ姿に着替えた外村美歩は、いつものように朝食を済ませ、その食器を洗い終えると、脱衣所へと移動し、洗濯機を回した。洗濯が進む間にベランダに出て箒で掃き、散っていた土を集めてビニール袋に入れる。一つだけ残っていた植木鉢は母が自分で植え替えると言うので、そのままにして脱衣所に向かい、乾燥機で乾ききらなかった洗濯物をベランダに運んで干した。その後、母の昼食を作り、ラップをして冷蔵庫の手前の方に入れておく。そして、ロングチュニックと白いストレッチパンツ姿から濃紺の地味な制服へと着替えた。いつものように重い鞄を提げて玄関に向かった外村美歩は、時間通りにやって来たヘルパーの有水を迎え入れた。

「失礼しまーす」

 いつもどおり勝手に上がりこんでくる有水に、外村美歩は言った。

「あ、どうも。いつもどおり昼食は作ってありますから、食事の補助をお願いします」

 有水はリビングへと向かいながら答えた。

「はい。お茶はどうしますか」

 有水と共に移動しながら外村美歩は言った。

「本人の希望に沿ってください。お湯はポットに沸かしてありますから」

 有水は返事をしない。外村美歩は、手提げ袋から出したタブレット型端末をテーブルの上に不機嫌そうに置いた有水に声を掛けた。

「あの……」

 有水は肉に埋まった細い目で外村の顔を見て言った。

「なんですか」

 外村美歩は少し厳しい口調で言った。

「なるべく、母の希望通りに補助してもらえませんか。本人は、一人では出来ない事が多いので。娘の私には言いにくいような事もあるかもしれないですし」

 有水は端末を操作しながら返事をした。

「はい。言われた事はちゃんとやっているんですけど……」

 有水の態度に憤慨した外村美歩が言葉を発しようとすると、ソファーに座っていた母が言った。

「美歩。もう、いいから」

 外村美歩は母から有水に視線を戻すと、もう一度、母の方を見てから答えた。

「うん」

 娘の返事を聞いて、母は黙って頷いた。外村美歩は、まだ端末を弄っている有水を厳しい視線で一瞥すると、静かに嘆息を漏らして、玄関へと向かった。

「じゃあ、行ってきます。あ、母さん。今夜、分かってるわよね」

 娘を見送りに玄関まで歩いてきた母は答えた。

「はいはい。大丈夫よ」

 少し安心した娘は、リビングで背中を向けて立っている有水に大きな声で言った。

「じゃあ、宜しくお願いします」

 そしてドアを開け、重たい鞄を提げて、マンションの廊下を歩いていった。

 娘を見送った外村陽子は、壁に手を添えながら慎重にリビングへと移動した。ダイニングテーブルの椅子に座ったままそれを眺めていた有水は、陽子がソファーの椅子に辿り着くと、やっと口を開いた。

「もう、お昼食たべるかい?」

 陽子はソファーの椅子に腰を慎重に下ろしながら答えた。

「ええ。せっかく娘がせっかく作ってくれたものだし、冷めないうちに。お願いします」

 台所に向かった有水は、勝手に冷蔵庫を開けて中を覗きながら尋ねた。

「お茶は? 熱いの、冷たいの。ああ、ここにあるじゃん。ペットボトルのでいいよね」

「ええ」

 外村陽子は渋々とそう答えた。有水は面倒くさそうに冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、食器棚から取り出した大きなコップと湯飲みに冷えた緑茶を注いだ。蓋をしたペットボトルを冷蔵庫に戻すと、美歩が作った煮付けが入った皿と漬物が入ったタッパーを取り出し、それらをダイニングテーブルの上に並べた。ソファーから立ち上がった外村陽子は、レースのカーテンに手を添えて、それを頼りに歩き、ダイニングテーブルまで移動した。陽子が椅子に何とか腰を下ろすと、有水は御飯を盛った茶碗を前に置き、その横に箸を置いた。煮付けの皿からラップを外すと、そこにスプーンを入れて茶碗の奥に置き、その横に蓋を外した漬物のタッパーを置く。陽子は手でテーブルの上を探り、ようやく箸に辿り着いた。それを握り、反対の手で茶碗の位置を必死に探った。向かいの席で椅子に腰を下ろした有水は、テレビのリモコンを手に取り、テレビを点けた。寛いだ様子でコップのお茶を飲みながら、昼前の情報番組を見始める。やっと茶碗を手にした外村陽子は、恐る恐る箸を前に出し、皿の上の冷えた煮付けの小さな人参の欠片を箸で掴むと、こぼさないよう慎重に口に運び、ただ黙って咀嚼した。

 有水は横を向いてお茶を飲みながら、テレビ番組を見て笑っていた。



                  十二

 国防省ビルの地下にある職員駐車場は、既に車で埋まっていた。小型のAI自動車が駐車スペースにバックで入り停車する。ライトが消え、運転席のドアが開くと、制服姿の外村美歩が出てきた。彼女は車内に一度体を戻すと、助手席に置いていた重そうな鞄を取り出した。ドアを閉め、鞄を提げて通用口まで歩いて行く。その後姿を太いコンクリートの柱の陰からグレーのスーツを着た小柄な男が覗いていた。耳の大きなその男は左手の中に隠した小型カメラで外村の姿を捉えると、その大きな目を彼女の背中に据えたまま、通用口の方まで歩いていった。

 エレベーターから一人出てきた外村美歩は、広い廊下を歩き、軍規監視局のドアを開けた。

「おはようございます」

 正午前の時間であったが、彼女はいつもそう言って挨拶した。カウンターの向こうの広いフロアには、各机の上で昼休み時間の到来を待ち焦がれながら、数十人の女性事務員たちが業務に取り組んでいた。常勤の彼女達は美歩のその挨拶を快く思っていない。今日も返事は無かった。何人かの事務員たちが若い上司である彼女に視線を向けると、黙って頭を下げた。外村美歩も頭を下げる。すると、入り口の横の衝立の向こうから、ガタガタと物音がした。外村美歩が覗いてみると、そこに置かれた安普請の応接セットのソファーの上に局長の森寛常行が立っている。彼は上着を脱いでワイシャツ姿のまま壁の方を向き、両手を上げていた。 

「おはようございます。局長」

「ん、ああ、おはよう。外村君。よっ」

 靴を脱いで応接ソファーの上に立っていた森寛常行は、額に入った絵を壁の高い位置に掛けようとしていた。外村美歩はその抽象画を見上げながら言った。 

「何をされているのですか。私がやりましょうか」

「あ、いいの。いいの。自分でやるから。ほっ」

 背伸びをして絵を掛け終えた森寛常行は、ソファーから下りると、靴を履きながら言った。

「美大に通っている娘がね、絵を描いてくれたんだよ。これ、僕だって。なかなか芸術的だろ。抽象画のセンスがあるよね。うん」

 森寛常行は、掛け時計と同じ高さに掛けたその絵画を、腕組みをして眺めた。外村美歩も隣で眺めてみる。

「そ……そうですね……」

 その抽象画は、彼女の感覚で人の顔と捉えるには無理があった。返事に困っている外村の横で、森寛常行が手を叩いて言った。

「ん。待てよ。これ、逆さまかな……」

 外村美歩は首を傾けて絵を見直したが、その上下は判然としなかった。森寛が靴を脱いで再びソファーに上がろうとしたので、彼女は自分の部屋に行こうと向きを変えた。すると、森寛がソファーから靴の上に戻りながら言った。

「ああ、そうだ、そうだ。外村君」

 ドアの前で振り返った外村美歩に、靴を半履きした森寛常行はズボンのポケットに手を入れながら言った。

「今朝、宇城大尉が来てね、これを君に渡しておいてくれとさ」

 森寛常行は一枚のMBCを外村に手渡した。外村美歩はその名刺大のカード式記憶媒体を受け取りながら、カウンターの向こうの事務職員たちに目を向けた。女性職員たちが冷ややかな視線を向けている。外村美歩は視線を森寛に戻して言った。

「あ、すみません。有り難うございます」

 事務職員たちの視線に気づいた森寛は、カウンターの向こうに手を振って、仕事に集中するよう促した。職員達が視線を戻したのを確認した彼は、小声で外村に言った。

「それにしても、あいつ、大尉になって随分と落ち着きが出てきたじゃないか。男の風格っていうかな。昔は、こんな半人前だったのにさ」

 森寛常行は肩の高さに手を上げて見せた。外村美歩はクスリと笑うと、森寛に耳打ちする仕草をして言った。

「いつも、局長の話をしていますよ。森寛先輩には、分隊では随分と世話になったと」

 頭を離した森寛常行は顔を顰めた。

「本当かあ? また、要らぬ話を聞いているんじゃないだろうね」

 外村美歩は両手で鞄を膝の前に提げると、胸を張って首を横に振った。

「いいえ。とんでもない。そういう話は時々話してくれる程度です」

「おいおい」

 眉を寄せた森寛常行は、腰に手を当てて頷きながら言った。

「でもまあ、あいつも三十半ばで大尉とはね。戦歴重視の実戦部隊にいてさ。立派だよ、立派」

「局長が褒めていたと伝えておきます。きっと、喜ぶと思いますよ」

 そう言った外村の顔を覗き込んで、森寛常行は彼女をからかった。

「そうかね。誰かさんに褒められた方が、もっと喜ぶんじゃないの? その為に頑張ってるんだから。男はそんなものだよ」

 外村美歩は微笑んで返した。森寛常行は口の横に手を立てて、小声で外村に言った。

「今夜、ご実家に行って、正式に挨拶をするんだって? だいぶ緊張してたぞ、あいつ」

 首を竦めた外村美歩は、肩を上げて笑った。すると、カウンターの向こうから事務員の一人が起立して言った。

「局長。総務局の会計小隊から伝令です。局長の源泉徴収票に訂正箇所があるそうなので、確認のサインが欲しいそうです。至急、出向くようにとの事です」

「あ、そう。わかった。直ぐに行きますと伝えといて」

 手を上げてそう答えた森寛常行は、外村に頭を寄せると、声を潜めて言った。

「式の日取りが決まったら、早めに教えてくれよ、外村君。いや、もうすぐ、『宇城君』だな」

 少し顔を赤らめて頷いた外村美歩は、森寛に言った。

「ほら、局長。早く行かれないと、叱られますよ」

「はいよ」

 森寛常行はソファーの上に投げてあった上着を取ると、袖を通しながら呟いた。

「訂正? 何か申告漏れがあったかな……。ああ、そういえば、この前、商店街の抽選会でカミさんが商品券を当てたけど、あんなの申告する必要あるかね。軍人年金は切り替えたばかりだし……はて……」

 森寛常行はブツブツと独り言を発しながら、ドアを開け廊下へと出て行った。外村美歩は微笑んで局長を見送ると、自分の部屋のドアを開け、横の壁のボタンを押して勤務中を表示するランプを点灯させてから、中に入っていった。



                  十三

 外村美歩が部屋に入りドアを閉めると、事務員たちは一斉にヒソヒソと声を上げた。

「なに、あれ。フィアンセがいるからって、自慢?」

「相手は、あの宇城さんでしょ。ああ、悔しい」

「ローヤー・プログラムの修了生だからって、御高く留まっちゃってさ」

「法曹気取りしてるけど、パートじゃない。ムカツク」

「きっとあれよ。暇つぶしで昼だけ出てきてるのよ。何が『おはようございます』よ。昼だっつうの」

「局長とも親しげに話しちゃって。ああやって男を騙すのよね、あのタイプは」

「掛け持ちで夜のお仕事でもしてるんじゃないの。だから、朝は寝てて、昼から出て来るとか」

「それ、軍規違反だし、国家公務員法違反でしょうが。それはないわよ」

「分かんないわよ。案外、ああいう優等生タイプが危ないものよ」

「ああ、もう。どうして宇城さん、あんなのに引っ掛かっちゃったのよ。私、狙ってたのにい」

「それとも、あれかな。昨日、津留局長が言ってた事」

「ああ、増田局長から送り込まれたって話? じゃあ、なに? スパイ?」

「まさかあ」

「だっておかしいじゃない。法曹なのに、なんでパート勤務なのよ。監察官って言ったらさ、他の官僚さん達みたいには出世しないかもしれないけど、軍の中じゃ、高給取りの独立エリートじゃない。弁護士になる道もあるのに、どうして、わざわざ無理してパートとして働いているのよ。絶対、何かあるわよ」

「勘繰り過ぎだって。情報局がウチにスパイなんか入れないわよ。捜査協力をしてもらう事も多いのに。宇城さんが聞いたら、怒るわよ」

「でも、あの女、ローヤー・プログラムをトップで卒業したんでしょ。それなら、民間の弁護士事務所から引っ張り蛸だったはずじゃない。そんな優秀な人が、わざわざ軍に入ってきたって事は、きっと何か裏があるのよ」

「男狙いよ、男狙い。宇城さんみたいなカッコイイ軍人を引っ掛ける為に、軍に入隊してきたんだって。あんただって、そうでしょうが」

「弁護士事務所から声も掛からない無能な法曹で悪うございましたね」

 外村の部屋の隣の部屋から出てきた制服姿の小柄な中年の男性監察官が、そう言いながらカウンターの方に歩いていった。事務員たちは皆、ばつが悪そうに口を噤んだ。その他の部屋からも他の監察官たちが出てきて、廊下への出口へと向かう。それとほぼ同時に正午を知らせるチャイムがなった。

 肩を回しながら歩いていたショートヘアーの女性監察官が言った。

「ああ、疲れた。昼休み、昼休みっと。ああ、何件終わった?」

 後ろを歩いていた長髪の男性監察官が答えた。

「調べ一件に送検一件、勾留延長許可申請を一件です」

 ショートヘアーの女性監察官は、外村の部屋のドアの前で立ち止まり、大きな声で言った。

「私は内部起訴二件」

 若い監察官は長髪をかき上げながら尋ねた。

「また業務上過失致死ですか」

「そ。もう、なんでこう事故死ばっかり上がってくるのよ。注意義務違反が争点になるから、面倒くさいのよね。時間掛かって仕方ないわ」

「まあ、僕らは、内部で捜査している訳ですからね。上官を起訴するのは気を使いますよね」

「そうなのよ。しかも、事故が多過ぎでしょ。次から次に、まったく。あーあ、午後からは法廷かあ。軍法会議で起訴状を朗読しなきゃいけないなあ。人手が足りないんだから、せっかくローヤー・プログラムを修了した優秀な監察官がいるんなら、午前中も働いてくれると助かるんですけどねえ」

 最後に歩いてきた体格の良い男性監察官が整髪料で固めた髪を撫でながら言った。

「ほんっと。優秀な修了生なら、俺たちの倍は処理できるだろうに」

 二人の間を歩いていた長髪の若い監察官は言った。

「シー。二人とも、聞こえますよ」

 ショートヘアーの女性監察官は言った。

「気にする事ないわよ。よっぽど自信があるんでしょうから。半分の時間で私たちと同じ量が処理できるつもりなんでしょ。でなきゃ、パートなんて半端な勤務で、この仕事に取り組んだりしないわよ。それより、お昼、何にする? ラーメン? 焼肉?」

 先頭を歩いていた中年の監察官が廊下へのドアを開けたまま、振り向いて言った。

「早くしろよ。店が混みだしたら、また立ち食いうどんになっちまうぞ。こっちは朝から働いてんだ。昼食はしっかりと取らないと、午後はもたねえだろうが。行くぞ」

 後輩の監察官たちは、先に廊下へと出て行った中年の監察官を追って、速足で廊下へと出て行った。事務員たちもいそいそと財布やハンドバッグを取り出し、連れ立って昼食へと出かけて行った。

 昼休みの軍規監視局に一人残った外村美歩は、黙ってパソコンの上のホログラフィー文書に目を向けていた。昨日、国防軍情報局の特務偵察隊に所属する宇城影介大尉に依頼した情報は、先程受け取ったMBCの中にしっかりと格納されていた。ASKIT事件に関する情報局の調査内容が記された文書には、彼女がネット新聞やテレビのニュースで見た内容以上に深く、正確な情報が並べられていた。勿論、それらの資料は、外村美歩と宇城影介の婚約関係によって入手したものではなく、宇城大尉が正式な手続を踏み、情報局から監察官宛に提示されたものである。ただ、その引渡しに時間が掛からないよう、宇城大尉が勤務時間に制約がある外村の為に便宜を図ってくれただけだった。それは彼の優しさだった。外村美歩は宇城に感謝しながら、予定よりも大幅に早く手許に届いた資料に、集中して丁寧に目を通していった。自分の耳には、ドアの向こうの雑言は聞こえていない。外村美歩は心の中で何度もそう繰り返した。

 外村美歩が資料のホログラフィーファイルの頁を捲っていると、一枚の画像が出てきた。彼女は、その画像の上で人差し指と親指を合わせ、そのまま開いた。画像が拡大された。その画像には、高級レストランの机で向かい合って座り、和やかな表情で食事をする男女の姿が写っていた。その一人の、ワイングラスを持ち上げている中年の身形の良い男は、外村美歩が知っている顔であった。彼女は眉間に皺を寄せて呟いた。

「これは、津留局長。一緒にいるのは、誰?」

 画像の中のドレス姿の東洋人女性の近くに表示された個人データへのリンク用のタグに触れてみる。すると、その女に関する調査資料が表示された。

「ナオミ・タハラ?」

 外村美歩はホログラフィーに顔を近づけ、資料の中身を読んでいった。

「NNC社の通訳。ASKIT掃討作戦において死亡。殺害の実行犯は、NNJ社代表取締役、西郷京斗。――だとすると、津留局長は、ASKITと繋がっていたという事かしら……」

 暫らく考えた外村美歩は、顎に指先を当てながら独り言を発した。

「もし、国防軍内部にも、以前からASKIT派の人間がいたという事なら、彼らはASKITが壊滅したことで、その後ろ楯を失ったことになる。現状では、軍内部ではストンスロプ社の影響力が大きい。だから、元ASKIT派の人間達は窮地に立たされている。そこで、十七師団を使って、何らかの形で形勢逆転を目論んでいる……」

 左右に何度も頭を振った外村美歩は、大きく息を吐く。

「はあ。駄目、駄目。どれも、推論に過ぎないわ。それに、単純すぎる。津留局長がASKIT派なら、ストンスロプ社は彼と距離を置いたはずじゃない。推理は駄目。証拠よ、証拠。しっかりしなさい、美歩。あなたは法曹でしょ」

 自らを鼓舞した外村美歩は、再び資料ホログラフィーの頁を捲り、それらに目を凝らしていった。



                  十四

 森寛常行は、国防省ビルの下層階にある総務局の窓口に立っていた。カウンターの向こうの奥から、森寛に気付いたスーツ姿の女性職員が歩いてくる。その職員が前にやって来ると、森寛常行は小声で言った。

「あのう……軍規監視局の森寛ですが、書類の不備があったとか……」

「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。ご案内します」

 カウンターを回って出てきた女性職員は、森寛を廊下へと誘った。

「はあ……」

 森寛常行が彼女について行くと、その女性職員はエレベーターへと向かった。二人がエレベーターの前に来ると、タイミングを合わせたように扉が開いた。中には誰も乗っていない。二人はエレベーターに乗り、扉が左右から閉まった。女性職員は適当に階のボタンを押すと、すぐに下の装置に指を載せ、指紋認証でロックを解除した。すると、階数ボタンのパネルの下にホログラフィー・キーボードが表示された。女性職員はその上で指を動かし、パスワードを入力する。上昇していたエレベーターは一旦停止し、電灯が消えた。そしてすぐに電灯が点くと、今度は下降していった。その速度は、さっきよりも速い。階数表示のパネルは真っ黒になったままだった。しかし、そのエレベーターは明らかに、体感できる程の速さで下降していた。森寛常行は怪訝な顔で周囲を見回した。天井の隅に設置されている警備カメラが停止している。中央の照明の電灯は蓄電池による非常灯に切り替わっていた。森寛常行が前で背中を向けている女性職員に尋ねようとした時、エレベーターの下降速度が落ちた。上下移動している事を体感できない普通のエレベーターの速度に戻ると、緩やかに停止し、ドアが左右に開いた。ドアの前には分厚そうなコンクリートの壁で囲まれた幅の広い廊下が奥まで延びていた。床には赤い絨毯が敷かれている。女性職員は黙ってエレベーターから出て、その絨毯の上を歩いていった。森寛常行は後についていく。長い廊下を奥まで進むと、鋼鉄製のドアがあった。女性職員はその前で立ち止まると、振り返って森寛に言った

「どうぞ、中へお入り下さい。参謀方がお待ちです」

 森寛常行は目を丸くして言った。

「ここ、大深度地下の特別シェルターですよね。作戦司令本部が最終後退した際に使用する……」

 女性職員は無表情のまま頷くと、手先をドアの方に向けた。

 森寛常行は怪訝な顔で、そのドアの取っ手に手を掛けると、姿勢を正して重たいドアを開けた。暗い部屋の中には長方形の大きなテーブルが奥まで延びていて、その左右に制服や背広を着た男達が座っていた。テーブルの各自の席の所に浮いているホログラフィーの光に、軍属官僚、士官、現場の上級兵士たちの顔が照らされている。森寛常行は一番奥の席に目を遣った。大型モニターを背にしてハイバックの椅子に座っている人物の顔を見て、慌てて敬礼すると、姿勢を正して大きな声で言った。

「失礼致します。軍規監視局、森寛大佐であります。お待たせして、申し訳……」

「うむ。前に出たまえ」

 上座で一人、重厚なハイバックの椅子に座っている内閣総理大臣辛島勇蔵は、低く太い声でゆっくりとそう言った。

「はっ」

 返事をして素早く手を下ろし、前に進んだ森寛常行は、テーブルの端の下座の席の椅子の後ろに直立した。辛島勇蔵は言う。

「構わん。掛けたまえ」

「はっ。失礼します」

 森寛常行は緊張した面持ちで椅子に腰を下ろすと、姿勢を正して座り、前を向いた。

 軍の制服を着た陸軍大将の江藤が口を開いた。

「分かるだろうが……」

 森寛常行は反射的に椅子から腰を上げた。直立している森寛に江藤大将は言う。

「いや、座ったままでいい」

「はっ」

 森寛常行は素早く腰を椅子に戻した。江藤大将は続けた。

「我々は今ここで幕僚作戦会議を開いている。君にも参加してもらいたい」

 事態が呑み込めない森寛常行は、眉間に皺を寄せた。彼のその表情を見て、辛島勇蔵は森寛に言った。

「軍規の専門家である君なら、承知しているだろうが、この会議は、有事の際の作戦実行を前提に、極秘で開かれるものだ。私の権限で緊急に召集した。見ての通り、人選も通常の戦時規則とは異なるが、私が総理権限で個別に召喚した者たちだ。君もね。軍規上、何か問題があるかね」

 森寛常行は即答した。

「いえ。何も問題はありません」

 辛島勇蔵は頷く。

「うむ。よろしい。だが、仮に問題があったとしても、今はそれどころではない。分かるね」

「は」

 森寛常行はとりあえず、そう返事をしたが、怪訝そうな顔はそのままであった。その顔に鋭い視線を向けながら、辛島勇蔵は言った。

「それでは、それを前提に聞いてほしいのだが……」

 ハイバックの背もたれに体を倒した辛島勇蔵は、森寛の顔を見据えたまま続けた。

「現在、我が国は、物的脅威と人的脅威の双方により、逼迫した危険に晒されている」

 森寛常行は再び眉間に皺を寄せた。彼には、前者の意味する物が掴めなかった。辛島勇蔵は斜め前を向き、言った。

「増田情報局長。説明したまえ」

「はい」

 総理に向かって右の列の奥から二番目の席に座っていた背広姿の増田基和ますだもとかず局長は、森寛に顔を向けると、説明を始めた。

「まず、物的脅威について。我が軍の第四防衛空間、すなわち、サイバー空間における敵の攻撃により、我々のネット上の防衛ラインは既に突破され、同防衛空間は敵の支配領域となってしまっている」

 森寛常行は顔を顰めた。増田の言っている事は、インターネット空間が敵に支配されている事を意味していた。通常の戦闘であれば、決定的な敗北要因である。過去に実戦部隊に配属された経験を持つ森寛常行には、それがどれほど重大かつ深刻な事態であるかは理解できていた。しかし、敵戦力の分析を担当する情報局長の増田は淡々と説明を続けている。森寛常行は顔を顰めたまま増田の説明を聞いた。

「仮想空間における脅威を『物的』と表現するには理由がある。現在、我々が使用する電子的ネットワークの全領域において、我々は未知のコンピュータ・ウイルスに主導権を握られてしまっている可能性が高い。このコンピュータ・ウイルスは、従来のウイルスのように、ネットワーク上で増殖するものではなく、物理的礎体の中で増殖を続けている。そして、その礎体を起点として、外部の物理的行動を演算で予測し、全て、自己に有利なように運ぶべく、ネットワークに接続されたあらゆる機器の細部かつ深部にトラップを仕掛ける。すなわち、事態の個別的変化により、同時並行的に、それらの機器の物理的反応を未必的に操り、あらゆる物事の『結果』を支配している。要するに、『時の流れ』を支配していると言っても過言ではない。いや、むしろ、そう言う方が、理解が早いだろう。つまり、我々は既に、そのウイルスの支配下にある」

 森寛常行は絶句した。増田が言っている事は、先月と先々月に、新日ネット新聞と週刊新日風潮に記事として掲載され、世間を騒がせた、高橋諒一博士が言っていた内容そのものだったからである。森寛もそれらの記事は何度も読んでいたし、テレビでも何度も報じられていたので知ってはいたが、他の読者や視聴者と同じく、話半分で捉えていた。それは、新日ネット新聞の懐疑的立場の冷静な記事を読んでいたからかもしれないが、彼自身も、世の中のあらゆる変化が一台のコンピューターに操作されているとは、到底信じられなかった。しかし、今、この極秘の幕僚作戦会議で情報局長の増田基和は、その報道内容と全く同じ内容を口にしている。情報局と協力する事が多い軍規監視局の局長森寛常行は、情報局の情報収集能力の高さと分析能力の高さは熟知していた。その情報局長の増田が、ここで、このような発言をするという事は、彼らは記者たち以上の情報を集め、分析したからに他ならない。ASKIT掃討作戦において情報局に対し法的手続きで協力し、大方の経緯を知っている森寛常行としては、増田の説明を疑う理由が無かった。

 増田基和は驚愕を隠せない森寛の目を見て、一度ゆっくりと頷くと、説明を続けた。

「この『未知のコンピュータ・ウイルス』は、ある『物的』設備を礎体として、その内部に潜伏している事を、我々は掴んでいる。したがって、我々は、現状の不当な支配状況から脱するため、当該物的施設そのものを『敵』と認定し、本日より攻撃の対象として『標的』とすることを正式に確認した」

 話の先を予測した森寛常行は、軍人の厳しい顔に戻り、増田の目を見た。増田基和は森寛の視線に応えるように彼の目を見据えて、ゆっくりと言った。

「その物理的施設、すなわち、『敵』の名は、生体コンピュータ『AB〇一八』」

 それは森寛の予想したとおりの標的であった。森寛常行は話を次に進めるため確認した。

「サイバーテロ……いや、攻撃ですか。機械からの」

 増田の奥に座っていた江藤大将が答えた。

「平たく言えば、そういう事だ」

 辛島総理が椅子に身を倒したまま言った。

「荒武作戦立案局長。注意事項を、頼む」

「はっ」

 左側の列の増田の向かいの席に座っていた軍服姿の荒武局長が森寛に顔を向け、話し始めた。

「我が軍は、三日前から全ての作戦伝達をオフラインで進め、連絡を物理的接触のみで取り合ってきた。『敵』に、こちらの作戦を察知されないためだ。今、君に停電時使用の為に設置された油圧式エレベーターで下りてきてもらったのも、その一環である。戦闘の際に接近する部隊又は兵士同士の意思疎通は、不可視レーザー通信、直接有線通信、その他、原始的ではあるが、手旗、発炎筒を利用した方法に限定するものと計画している。以上の通り、今後、この件に関する電子的方法による連絡は、一切を禁ずるものとする。周囲のネットワークカメラ、通信機器類にも最大限に警戒するように」

「は……」

 森寛常行は、エレベーターの中の警備カメラが停止していた事や、電灯が独立式電源になっていた事の理由を理解した。理解したが、このネットワーク社会において、どこまで「敵」の「目」から逃れられるか、彼には自信が無かったし、確信も持てなかった。だから、森寛常行の返事は、さっきまでの返事と違い、歯切れの悪いものだった。そんな森寛の心境を察してか、辛島勇蔵は更に指示を出した。

「今井中佐。戦況を教えてやりたまえ」

「はっ」

 左側の列の一番手前に座っていた若い戦闘服姿の男が、横の森寛の方を向いた。森寛よりも下級の今井は、末席に座っている森寛に一礼すると、名乗った。

「第四防衛空間電子防衛軍第一師団所属、中佐の今井であります。ご報告いたします」

 森寛常行は通常なら一礼して返しているところであったが、ここでは黙って頷いて見せた。若い今井中佐は報告を始めた。

「我が軍が、国内外からのサイバー攻撃に対し、量子コンピュータのIMUTAを配備して、仮想空間上に強力な防壁を設置している事は、既に大佐殿もご存知だとは思われますが、そのIMUTAは『敵』と神経ケーブルで接続される事で、SAI五KTシステムを構築しており、既に、物理的に『敵』の支配下にある状況です。我々も、これまで数回にわたり、物理的方法及び理論的方法によりIMUTAを『敵』から離脱させるべく、作戦を展開してきましたが、残念ながら全て失敗に終わっています。理由は二点あります。まず第一に、我々自体が『敵』の支配下にある機器を使用して行動せざるを得ない以上、『敵』の演算予測による反撃を回避できないという事。そして、第二点が……」

 すると辛島勇蔵が口を挿んだ。

「その点は、増田君から頼む」

 増田基和は森寛の目を見て言った。

「先に話した人的脅威の問題だ。国防軍内部に『敵』を支援せんとする者がいる」

「支援?」

 森寛常行は思わず訊き返した。辛島勇蔵が森寛に尋ねる。

「ネオ・アスキットという地下組織は、知っているかね」

 森寛常行は首を横に振った。

「いいえ」

 辛島勇蔵は目を瞑り頷いた。

「そうか。増田君、続けてくれ」

 増田基和は総理の方を見ていたが、すぐに返事をして、森寛の方を向いた。

「はい。先月、我々が攻撃し、殲滅させたと思われるASKITは、世界中の工業特許権を掌握し、先進諸国を影から支配してきた。しかし、当該組織は、経済的利益追求を目的として結集された集団に過ぎなかった。故に、組織としての成熟期に入って以降、早期に内部分裂を来たすに至った訳だが、奴らの壊滅後、その手法を取り入れ、統治機構を転覆せしめて自らが統治者とならんとする集団が、密かに結成されているとの情報を当局が掴んだ。その者たちは自分たちを『ネオ・アスキット』と呼び、現在も我が国内の公的機関と民間組織に複数、潜伏しているものと思われる。その中心メンバーは、おそらく以前にASKITと何らかの繋がりがあった者たち。つまり、ASKITの残党だ。奴らの実態は、長年にわたりASKITの傘の下で美味い汁を吸いながら、ASKIT壊滅後は、捜査当局の網にかかる事も、公安の調査の対象になる事もなく、政財界の隙間で臍を噛んでいた者達だろうと、我々は分析している。そして、そういった者たちが、再度、自分たちが利益を得る機会を復活させようと、新組織を結成した。それが、ネオ・アスキット。我々は、そう睨んでいる」

 内閣総理大臣の辛島勇蔵は、椅子の背もたれに深く背を当てたまま、増田の説明に続けた。

「だが問題は、奴らが単に経済的利益を追求しているだけの集団では無いという事だ。どうも本気で、この国の統治権を奪おうとしているようなのだよ。しかも、実力を行使して。まあ、奴らにしてみれば、いつ、自分たちに捜査のメスが入るか知れず、怯えているのだろうからな。先手を打って、捲土重来を狙うつもりだろう」

 森寛常行は真剣な顔で話を聞いていた。彼の目は監察官の目になっていた。国防軍内部に国家転覆を謀る不穏分子がいるとすれば、大事である。一刻も早く捜査を開始しなければならない。森寛常行はそう考えていた。深刻な顔で視線をテーブルの上に落としている彼に、辛島勇蔵は言った。

「私はね、こういった事態を想定し、事前に布石を打っておいたのだ。いくつもね。その一つが、今ここに居る人材だ。この国の平和と秩序を維持するために、己を捨て、中立の立場で正しく働いてくれると信ずるに足る人物たちだよ。だが時に、人は信頼を裏切り、予測もしない行動に出る事もある」

 辛島勇蔵は江藤大将に視線を向けた。江藤大将は視線を森寛に移すと、話し始めた。

「陸軍の第十七師団が、三日前、行軍途中でマシントラブルを起こし、公道上で立ち往生した事件は知っているな」

 森寛常行は怪訝な顔で頷いた。

「はい」

 江藤大将は言う。

「実はあれは、訓練ではない。クーデターだ」

「クーデター?」

 顔をはっきりと顰めて再び訊き返した森寛に、江藤大将は答えた。

「十七師団長の阿部亮吾大佐が、無断で出撃しようとしたのだよ。増田局長、説明を」

 増田基和は隣の江藤に頷いて見せると、再び森寛の方を向いて言った。

「当該行軍の際に、彼の指揮下全軍に彼から発せられた指令コードは、『コード四〇一』。つまり、実戦攻撃準備行動が指令されている。三日前と言えば、我々が情報の伝達の方法を、オフラインでの直接接触方式へと全面移行させた時期だ。おそらく、阿部大佐は、その隙を突くつもりだったものと思われる」

 江藤大将が付け加えた。

「そして、奴らのマシントラブルを、ネット回線を通じて意図的に惹起させたのが、『AB〇一八』だ」

 増田基和は説明を続けた。

「我々の分析によれば、『敵』は、各兵器の通信ユニットの単式量子暗号を解読し、制御コンピュータの中に侵入、兵器の電力供給プログラムを不正に書き換え、超電導エンジンをシャット・ダウンさせている。それにより、各兵器は停止し、公道上で突如、立ち往生したと思われる」

 また江藤大将が口を開いた。

「つまり、『AB〇一八』が先制攻撃に出たのだよ。防衛の為にな」

 眉間に深く縦皺を刻んだ森寛に、辛島勇蔵が言った。

「と言う事は、十七師団の攻撃対象は『AB〇一八』であった可能性が高い。しかも、我々に無断で」

 怪訝な顔をしている森寛に増田基和は森寛が信用するであろう根拠を示した。

「なお、当日、出撃した十七師団は、科学中隊も連れていた。阿部大佐は同中隊に、各小隊からコンピュータの専門技術兵を移動させ、上級技術兵と共に特殊班を構成させている事が判っている。さらに、その行軍の際の隊列には、ナノ・スコープ・マシンを搭載した大型ラボ・ユニットを連結した特殊車両が二台含まれている事が、衛星画像の分析から判明した」

 手を小さく上げた森寛常行は、増田に尋ねた。

「すみません。ナノ・スコープ・マシンとは……」

 今井中佐が説明した。

「敵兵器に搭載された人工知能や、敵軍の作戦管理用のメイン・サーバーを分析するのに使用する特殊機械です。主に、戦地で捕獲した敵の戦闘兵器のコンピュータを乗っ取るために使用します。なお、ラボ・ユニットには、その他に暗号プログラムやスーパー・ファイヤーウォールの解析に必要な分析機器も複数、搭載されていて、通常は、ハッキング等の特殊知識を有している上級技術兵を搭乗させています」

 森寛常行は前を向きなおすと、総理の顔を見て尋ねた。

「それでは、阿部大佐は、『AB〇一八』を乗っ取り、SAI五KTシステムを利用して、政府の転覆を計画していると」

 増田基和が返答した。

「そう懸念される。だが、彼がネオ・アスキットの一員であるという証拠はない」

 隣から江藤大将が話し始める。

「そこで、我々も阿部を標的とした監視体制を布いてきたが、相手は十七師団の司令官だ、そう易々と我々の監視の網に掛かるような男ではない。現在も何食わぬ顔で、駐屯地の多久実第二基地で部隊の指揮を執っている。だが、いつ、また行動を起こさんとも限らん」

 江藤大将は鼻から強く息を吐くと、机の上に載せた拳を強く握った。

 辛島勇蔵が落ち着いた声で言う。

「他に何か質問があるかね。森寛大佐」

 真っ直ぐに正面を見据えた森寛常行は、一度だけ首を縦に振った。

「はい……。それでは、これは、我々軍規監視局の監察官に、反乱罪容疑で阿部大佐を逮捕して尋問しろと、そういう指令だと理解してよろしいのでしょうか」

 辛島勇蔵は目を瞑り、首を横に振る。

「いや。問題は、そう単純ではないのだ」

 そして指示を出した。

「増田局長。例の情報を」

「はい」

 返事をした増田基和は、少し後ろを向き、壁のガラス窓の向こうの兵士に指示した。

「モニターに出してくれ」

 隣の江藤大将が森寛の目を睨むように見据えて言った。

「ここから先は、現在、最上級の国家機密事項である。心得るように」

 そのフレーズに森寛は反応した。

「はっ!」

 大きな声で返事をして敬礼した森寛に、増田基和がモニターに映し出された画像を指差しながら説明した。

「これは、新潟県内の、とある漁師町の漁港で撮影された画像だ。民間自動車の防犯用の車載カメラが偶然に撮影した。拡大してくれ」

 総理の後ろの大型モニターに映し出された画像には、漁港に停泊する小さな漁船が映っていた。下船する数名の人影らしき物が小さく写っている。その人影らしき物を緑色の四角い枠線が囲み、その部分が拡大されて表示された。数名の人間が、漁船から渡された板の上を、背中を丸めて歩いている。どうも、外国人密航者の上陸の様子を捉えた画像のようだった。増田基和はモニターを指差して言った。

「右奥のフードの男。この男の顔を解析し、再現したものが次の画像だ」

 画像が切り替わった。そこに映し出された画像は、フードを被っていない白髪の男の3D画像だった。角度を変えながら表示される初老の男の再現画像を見上げながら、増田基和は言う。

「田爪健三。量子物理学者。工学博士。知っているだろうが、例のタイムマシンの発明者だ。彼は既に、国内に潜入している。そして、現在、彼の足取りは掴めていない」

「……」

 森寛常行は黙って画像を見ていた。彼に視線を戻した増田基和は言った。

「田爪健三が生存している事情はともかく、現に彼が国内にいる事は確かだ。問題は、その目的」

 椅子の背もたれに身を倒して前を向いていた辛島勇蔵は、目を閉じたまま言った。

「内之倉少将。技術局の分析を」

「はい」

 増田の手前の席に座っていた同じく背広姿の男が、太った体を後ろに向けてガラス窓の奥の兵士たちに言った。

「おい、例のグラフを出してくれ」

 辛島の後ろのモニターに急激な角度で右肩上がりに上昇する折れ線グラフが表示されると、内之倉少将は説明を始めた。

「これは、『敵』の演算速度について、第三国の研究機関において算出された推定データだ。『敵』内部のニューラル・ネットワークの中の一単位シナプス結合間における神経伝達速度を、その毎秒あたりの伝達情報量を基準として推計したものである。見ての通り、この数ヶ月で急激に上昇している。現在のところ、最低でも十六ペタbps。最高速度は、このグラフに収まりきれていない。つまり、測定不能。このデータは二週間前までのものだが、現在はさらに演算速度を加速させているものと推測される。『偶然連鎖の公式』により科学者達が導き出した予想では、『敵』のニューラル・ネットワーク全域での平均演算速度が光速を越えるのは、ここ数日中。一番遅い値の予想では、人類が計算可能な物理的理論領域を突破するのは、約一ヶ月後ということだ。つまり、そうなれば、人類に勝ち目はない。そして、約一年後には次元限界を突破し……」

「もう、いいよ。内之倉君」

 辛島総理は左手を上げて、内之倉の発言を制止した。

「はい。……」

 内之倉少将が返事をすると、辛島勇蔵は指示を出した。

「増田君」

 増田基和は辛島の意を酌み、森寛に説明を続けた。

「とにかく、『敵』の計算速度の急激な上昇と、田爪健三が日本に帰国した時期が重なるのは、注目すべき点である。何故なら、彼が、『敵』とIMUTAを結合させ、SAI五KTシステムを構築させた張本人だからだ。これらの事実の間に、何らかの関係があると睨んだ方がよい。また、現時点において、『敵』を停止させる、または破壊できる術を知り、実行可能なのは、国内では田爪健三ただ一人であるという事も、否定しようのない事実だ」

 目を開けた辛島勇蔵が口を挿んだ。

「地球上でもな。奴しか『敵』の戦力の肥大化を食い止める事は出来ん。――すまん。続けてくれ」

 増田基和は説明を続けた。

「新日ネット新聞社の記者永山哲也氏が録音したインタビュー記録によれば、田爪健三は南米で、『敵』と同じくバイオミメティクスを利用して製造されたバイオ・ドライブに、自らの手で何らかの情報を書き込んでいる。司時空庁の津田及びASKITが追っていた当該バイオ・ドライブには、田爪健三が書き込んだ新型タイムマシンの設計図と量子エネルギー製造プラントの設計図、そして、量子銃の設計図等がデータとして保存されているものと思われるが、それ以上に重要情報が書き込まれているものと推測せざるを得ない。何故なら、彼が南米でいかなる方法でいかなる機材を用いて、当該バイオ・ドライブに情報を入力したのかが、不明だからだ。当該バイオ・ドライブを非生体系のコンピュータに接続する方法が、実際に接続された当該バイオ・ドライブに『痕跡』の情報として記憶されているはずだ。そして、その接続方法こそが、『敵』の思考を停止させる鍵になると推測される」

 江藤大将が話しを続けた。

「したがって、我々は、当該バイオ・ドライブを回収し、速やかに分析すると共に、田爪健三の身柄も確保する事を、その第一の作戦目標とせざるを得ない」

 森寛常行は困惑した顔で言った。

「しかし、彼は大量殺人を実行した……」

「大佐」

 森寛に厳しい視線を向けた辛島勇蔵は、森寛の発言を遮り、彼の目を見て話した。

「今も説明してもらったが、『敵』は、我々がこうしている間も、増殖増強を続けているのだ。そして、この『敵』は、今叩いておかねば、将来、田爪が殺害した人間の数以上の人間を死に追いやるかもしれんのだよ。何十万人、何百万人、何十億人、最悪の場合は、全人類をな。それも、誰も気が付かない方法でだ。事故や事件、あるいは自然死を偽装して。事物の連鎖を利用して物事の結果を操作する事ができる、恐ろしい相手なのだ。今、この時期に、『敵』を攻撃しなければ、時間の経過と共に、我々は確実に勝機を失う。その攻撃を実行する為には、田爪の知識と技術が、今の我々には不可欠なのだよ。分かってくれたまえ」

 辛島の威圧的な発言に下を向いた森寛常行は、渋々と返事をした。

「――はい。分かりました。まあ……もともと、我々の職務範囲ではありませんので」

「うむ。理解してくれて、感謝するよ」

 そう言って頷いた辛島に、森寛常行は尋ねた。

「しかし、バイオ・ドライブや田爪の身柄の確保と阿部大佐の逮捕には、どのような関係があるのでしょうか」

 増田基和が再び回答した。

「我々が得た情報を分析する限り、阿部大佐も、我々と同じくバイオ・ドライブ及び田爪健三の身柄の確保を目論んでいるものと思量される。もし、これらが十七師団の手に渡った場合、彼らは即座に行動を開始するであろうと、我々は予測している」

「そうなれば、内戦だよ。大規模な」

 江藤大将の暴論とも思える発言に顔を顰めた森寛に対し、作戦立案局長の荒武が言った。

「分からんかね。『敵』を自由にコントロールする術を阿部が手に入れれば、奴は十七師団という最強部隊の他に、電子空間と時間をコントロールする兵器を手に入れた事になる。奴が『敵』に攻撃を仕掛けようとしたのも、それが狙いなんだよ。奴が『ネオ・アスキット』の一員かどうかによらず、この国にとっても、世界にとっても、危険な存在になる訳だ。その場合は、何としても我が軍の全勢力をもって奴を排除せねばならん。実力でな」

 森寛常行が発言しようとすると、それを遮るように辛島勇蔵が口を開いた。

「だから、そうなる前に先手を打たねばならん。だが、一つ問題があってな……」

 背もたれから身を起こした辛島勇蔵は、テーブルの上に指を組み合わせた両手を載せて、遠くの森寛の顔を覗きながら言った。

「君たち軍規監視局の方で、阿部亮吾大佐と調達局について、何らかの捜査をしているようだな」

「は……はい」

 森寛常行が警戒しながら返答すると、江藤大将が厳しい顔で言った。

「担当は、外村美歩監察官。階級は……大佐。そうだな」

 森寛常行は答えた。

「はい。そうであります」

 辛島勇蔵は言った。

「その捜査を中断してもらいたい」

「はい。了解いたしま……え?」

 頷きかけた首を止めて辛島の顔を見た森寛に、内閣総理大臣辛島勇蔵は言った。

「よく聞いてくれ、大佐。仮に田爪健三の身柄を確保できて、彼の協力を得る事が出来たとしてもだ、実際に『敵』に反撃を加えるには、十七師団の最新機械化兵団の力が不可欠なのだよ。我々が第一作戦目標を達成した段階で、ネオ・アスキットの連中は必ず動き出してくる。その場合、それを食い止める事が出来るのは、おそらく十七師団しかおらんだろう。装備兵器、実戦経験、各兵士の戦術知識と戦闘能力。残念ながら、旅団単位では、彼らに勝る兵団は無い。そもそも、その為に、私は十七師団に集中的に物資を投じ、戦力を増強させ、実戦を積ませ、アジア最強の部隊にまで育ててきたのだからな。この状況で、司令官の阿部がいなくなれば、十七師団は機能不全に陥る。おそらく、今回の事態に対応する部隊としては、使えなくなるだろう。ところが、その十七師団の取りまとめ役が、政府に対し牙を剥こうとしているのだ。いざという時のために飼い馴らしていた狼がな。今、我々は虎と狼に前後を挟まれているも同じ状態なのだよ。この状況で、ネオ・アスキットなる造反者たちと対決せねばならんのだ。つまり、今はその狼を宥めなければならん時なのだよ。作戦の詳細を実戦兵ではない君に話す訳にはいかんが、こういうデリケートな状況で、後ろの狼を突いてもらっては困る。慌てた狼は、即座に飛びかかってくるやもしれん。そうなれば、我々と十七師団の、ただの内部戦闘だ。ここで、無意味に内輪揉めをしている場合では無いのだよ。分からんかね」

 荒武作戦立案局長が言った。

「表面上は、阿部大佐と和解して、彼の率いる機械化兵団にネオ・アスキットを駆逐してもらうのが、一番効率がいい。その後、あるいは、それと平行して、『敵』を第四防衛空間からの排除する作戦を実行する。そういう手筈だ」

 内之倉技術局長も森寛に指を振りながら言った。

「今、この時期だけ、一時的に捜査を中止すればいいんだよ。手を引きたまえ」

 森寛常行は上官たちの顔を見回すと、はっきりとした口調で言った。

「お言葉ですが、ここで捜査を中止すれば、容疑者は必ず証拠の隠滅を図ります。刑法上の内乱予備陰謀の罪も、反乱の軍規違反も、二度と起訴に持ち込めなくなりますよ」

 荒武局長が声を荒げた。

「森寛大佐。君も軍人なら、もっと現実的対処を選択したまえ。未だ戦闘作戦の実行段階に移行してはいないとはいえ、それも秒読みに近い状況だ。こうして限られた人間だけで秘密裏に繰り返してきた幕僚作戦会議を、全て無駄にするつもりかね」

 江藤大将が諭すように森寛に言う。

「作戦に協力した者には、それなりの栄誉も与えられる。それが軍隊というものだ。ここで捜査を中止すれば、今後、人事課からの辞令を心配する事もなかろう」

「……」

 森寛常行は黙っていた。増田に一度だけ視線を向けたが、増田基和は黙って彼を見ているだけだった。テーブルの上に視線を落とした森寛常行は、眉間に皺を寄せ、首を傾げた。

 内閣総理大臣辛島勇蔵は言う。

「うん。まあ、いい。監察官の独立判断権は、裁判官、検察官と並んで、新憲法で保障されている。だがね、私は内閣総理大臣として、大佐を信用したつもりだ。だから、この席にも呼んだのだ。あとは、私が信じた君の愛国心に賭けてみるとしよう」

 部屋の隅の椅子に座っていた長身の背広姿の男が立ち上がり、総理に近づいてきた。それを見た辛島勇蔵は言った。

「おや、どうやら、次の予定の時間が来たようだ。友人に面会する時間でね。今度の件で打った他の布石について、確認をする必要がある」

 辛島勇蔵が椅子から立ち上がると、そこに居た全員が起立した。辛島勇蔵は手を上げて言う。

「いや、いい。君たちは、ここで、もう少し選択肢を増やして、作戦を練り直してみてくれたまえ。官邸に戻ったら、増田局長から直接、報告を聞こう」

 そして、一人だけ椅子に腰を戻さずに立っている森寛の顔を見て言った。

「森寛大佐。ご苦労だった。下がっていいよ」

 森寛常行は姿勢を正し、総理に敬礼して言った。

「はっ。失礼します」

 彼は振り向くと、入ってきた鉄製のドアの入り口に向かって歩いていった。

「森寛大佐」

 辛島に呼ばれて振り向いた森寛常行に、辛島勇蔵は指先を向けて言った。

「よく考えるんだ。君の正義感で」

 森寛常行は黙って一礼すると、重いドアを開けて、赤い絨毯の廊下へと出て行った。



                  十五

 日も傾き始め、職員達は午後の勤務の疲れを溜めて任務に就いていた。昼休み時間から通して自分の狭いオフィスで机に座ったままの外村美歩は、机の周りに蓋を開けた段ボール箱を幾つも並べ、ホログラフィー・キーボードの上で指を動かしている。机の上には紙の資料が山積みにされていた。暫らくして手を止めた彼女は、机の上に浮かぶ平面ホログラフィーの文書を最初の頁に戻すと、それまでに自分が作った事実概要をまとめた文面を読み返し始めた。

「二〇一七年、新憲法により発足したばかりの国防省は、ストンスロプ社に対し、第四防衛空間の防衛強化策の提示を依頼。担当部署は国防省技術局。ストンスロプ社は、それに応える形で、フォトニックフラクタル技術を応用した光速演算装置による全素数解析を提案。後に、大型量子コンピュータによる防衛構想に発展する。二〇一八年、フランスのNNC社が生体模倣技術を基に自己増殖型生体ニューロン細胞で記憶装置を製造する事に成功。同年、日本の新首都建設予定地に大型の生体コンピュータ『AB〇一八』を建造し、その起動に成功する。以後、AB〇一八の管理はNNC社の日本法人NNJ株式会社に委託され、同社が国防省に対し、第四防衛空間の防衛装備兵器としてAB〇一八を配備するよう積極的な働きかけを行った。二〇一八年末、ストンスロプ社傘下の研究機関GIESCOが、量子コンピュータIMUTAの開発と起動に成功。同時に国防省による採用試験運用が開始される。結果は良好。二〇一九年、IMUTAの採用が正式に決定。国防省により第四防衛空間配備兵器として正式に配備命令が言い渡される。その直後に、IMUTAが緊急停止。第四防衛空間は、およそ七時間に渡り無防備状態となり、国防軍は第一種即応体制を布くに至った。当該緊急停止が人為的ミスによる事が判明すると、政府はIMUTAとAB〇一八を結合させ、完全自立型システムとする事を検討。その過程で、いわゆる『生体量子コンピュータ構想』が打ち立てられた。構想の発案者は、高橋諒一博士。二〇一九年末、政府はNNJ社とAB〇一八の防衛装備品利用協定を締結。国防軍情報局が収集した情報及び同技術局による分析により、AB〇一八の内部構造の可塑性が危険視されると、国防軍はストンスロプ社と共同で、政府に対し、当該協定の破棄を要請。二〇二〇年、田爪健三博士がAB〇一八とIMUTAの接続に成功。SAI五KTシステムが完成する。二〇二一年末、SAI五KTシステムを利用した、赤崎教授と殿所教授のチームによる時空間逆送実験を実施。田爪健三博士と高橋諒一博士が中心となり、同システム内の仮想空間において、有質量物体の理論的逆送に成功。これにより、タイムトラベルの可能性が肯定されたが、同時にAT理論の正当性とSAI五KTシステムの実用性も実証された。――うん。整理すると、こんな感じね。ああ、そうだ。ええと、IMUTAが緊急停止したのは……」

 外村美歩は膝の上に載せた紙の資料の頁を捲り、その資料の内容を読んでいくと、ホログラフィー・キーボードの上で再び指を動かし始めた。

「資料、甲十七ないし甲二十二の資料によれば、二〇一九年にIMUTAが緊急停止した原因は、高橋諒一博士による無断実験が原因と思量される……。いったい、何をしようとしたのかしら……」

 膝の上の資料を机の上に載せた外村美歩は、椅子を回して身を屈め、横の床の上に置いた段ボール箱の中を探り始めた。中から分厚い紙の束を取り出した彼女は、それを膝の上に置き、頁を捲っていった。気になる箇所で手を止めた外村美歩は、その資料を机の上に載せて、記載内容に目を通した。

「ストンスロプ社は現在まで一貫して、AB〇一八を防衛装備として配備する事に反対してきている……か。なるほど、ほとんど国防軍と足並みを合わせているわね。だとするとストンスロプ社は相当に、軍内に影響力が大きいという事なのかしら……」

 外村美歩は椅子から立ち上がり、応接セットのソファーやテーブルの上に置いた段ボール箱の中を覗いて回った。そして、テーブルの上の箱から紙の束を取り出すと、立ったまま、それを再び捲っていく。

「NNJ社とのAB〇一八の防衛装備品利用協定、これの締結事務担当者は誰なの。事務担当者、事務担当者……」

 頁を捲る手を止めた外村美歩は、その頁の上を人差し指で叩いた。

「居たわ。津留栄又。という事は、まさか、当時のNNC側の通訳が……」

 指を頁の下の方に沿わせていき、その手を止める。

「やはり、ナオミ・タハラ。この二人に個人的な関係が無いとすれば、津留局長とASKITは二十年近い間、何らかの関係があったという事ね。津留栄又の経歴は……」

 キョロキョロと室内を見回した外村美歩は、壁際の段ボール箱の前まで移動した。目星をつけた箱の中から薄い資料を取り出すと、その頁を捲りながら執務机の椅子まで戻った。椅子に座った外村美歩は、その資料の記載内容を熱心に読みながら呟いた。

「女性関係に問題はなさそうね。ナオミ・タハラの名も出てこない。嫌ね、恋愛事情も、こんなに把握されているのね。私と影介の事も記録されているのかしら……」

 机の上に積まれた資料の上に、その薄い資料を放り投げた外村美歩は、頭を振って言う。

「駄目、駄目。捜査、捜査」

 もう一度、その薄い資料を取った彼女は、もう一度頁を捲っていった。

「ええと、津留栄又の配属履歴表は……これね。ええと……技術局、作戦立案本部支援小隊、監査局にも居たのね。その後、内閣官房へ出向、防衛審議会準備室から再び国防省へ、法務整備局、連絡調整局を経て渉外連絡室、そして調達局か……すごいわね。でも、技術局って言っても資料管理部でしょ。コンピューター絡みの部署には配属されていないわね。どういう事かしら……」

 資料の文書番号を確認した外村美歩は、ホログラフィー・キーボードでその番号を入力し、関連文書の検索をしようとした。すると突然、ノックも無くドアが開けられ、数名の背広姿の男たちがオフィスの中に入ってきた。先頭の男が大きな声で言った。

「監査局の者です。ホログラフィーから手を離して下さい、外村大佐」

 外村美歩は言われるままにホログラフィー・キーボードから手を離し、その男に尋ねた。

「何事ですか?」

 男は床に置かれた段ボール箱の間を速足で移動してきて、彼女の椅子の横に立つと、厳しい口調で言う。

「これより、臨時の業務監査を実施します。机から離れて、退室をお願いします」

 外村美歩は困惑した顔で言った。

「ちょっと待って下さい。ここは軍規監視局の監察官室ですよ。何かの間違いではありませんか」

 男は背広の内ポケットから折り畳まれた書面を取り出すと、それを広げて見せた。

「いえ。これが監査指示書です。ご確認下さい。この部屋の資料及び電子情報は、すべて我々の方で預からせてもらいます。我々も任務ですので、ご協力をお願いします」

「そんな……」

 男達は次々と段ボール箱に蓋をしてガムテープを貼っていき、それらを外に運び出し始めた。国会の国防委員会から発布された監査指示書を確認した外村美歩は、椅子から立ち上がった。別の背広の男に背中を押され、部屋の出口へと向かう。振り向いて自分の机を見ると、さっきの背広の男が彼女の立体パソコンを操作して、表示されたホログラフィーに目を凝らしながら、ウェアフォンで通話していた。外村美歩は自分のオフィスの中から押されて事務員のフロアに出され、そのドアが中から勢いよく閉められた。視線を横に向けると、他の監察官たちの部屋にも二人組みの査察官が入って、ドアを開けたまま中で家捜しのような事をしている。外村と同じようにオフィスの外に追い出された他の先輩監察官たちが立っていた。事務員たちも反対の壁際に並んで立ち、こちらを見てヒソヒソと語り合っている。事務フロアの中でも、背広姿の男達が事務員たちの机の引き出しを開けたり、パソコンを操作したりしていた。フロアの隅の方で、太った監察官が整髪料で髪を濡らした背の高い監察官に言っている。

「誰か、調達局の資料に『BD』マークを付けまくったらしいぜ」

「本当かよ。じゃあ、津留局長が手を回したんだろうな。まずいな」

 外村の横に立っていた中年の監察官が彼女に背を向けたまま大きな声で言った。

「あーあ。誰だよ、調達局になんか捜査をかけてくれたの。こうなるのは分かっているじゃないか。これじゃ、こっちも仕事が出来やしない」

「すみません。ご迷惑をかけてしまって……」

 外村美歩は、肩を落として頭を下げた。中年の監察官はそれを無視した。太った監察官は遠くの方から外村を睨みつけて言った。

「はあ。まったく、余計な事してくれたぜ、パートさんよ」

 そこへ局長室から出てきた森寛常行が歩いてきた。中年の監察官は森寛に言った。

「ああ、局長。見てくださいよ。臨時の一斉監査だそうです。いい迷惑ですよ」

 ショートヘアーの女性監察官が外村を白眼視しながら大きな声で言う。

「ホント。私たちは、どっかのパートさんみたいに、お気楽な身分じゃないのよねえ。何件も重要案件を抱えてるのに。刑事起訴した案件はどうするのよ。明日には法廷なのよ。手ぶらで法廷に立てって言うのかしら」

 森寛常行は、その女性監察官の過ぎる口を窘めようとしたが、そこに若い査察官がやって来て、森寛に言った。

「森寛局長ですね。監査局です。捜査資料保管用のデータサーバーから全てのメモリーを回収します。カバーを開ける鍵を渡してください。それとアクセスコードも」

 森寛常行は溜め息を吐くと、首に掛けている認識票を外し、ポケットから取り出した鍵と一緒に渡した。

「これが鍵。先に認識票を差し込んで。アクセスコードは、後で教えるから」

 若い男は森寛に敬礼する事も一礼する事もしないで、スタスタとフロアの奥の大型サーバーの方に歩いていった。ショートヘアーの女性監察官が男を睨みつける。森寛常行は頭を掻きながら言った。

「ありゃあ。軍規監視局も随分とナメられちゃってるなあ……。ああ、僕がナメられてるのか……」

 外村美歩がしゅんとした様子で頭を下げた。

「局長……すみません」

 他の監察官たちも事務員たちも皆、冷たい視線を外村に向けた。森寛常行は彼らに向けて手を振りながら大きな声で言った。

「ほらほら、全員、自分の部屋に戻りなさい。余計なものを持っていかれないか、しっかり監視するんだ。ほら、急いで」

 監察官たちは各自、自分のオフィスの前までは移動したが、中を見る事はせず、外村を睨み続けた。森寛常行は、肩を落としている外村に言った。

「ああ、外村君。君ね、ちょっと外に出て、お茶でもしてきなさい。君の部屋が一番、時間が掛かりそうだからね。査察官もたくさん入っているようだし」

「でも……」

「いいから。気分転換も必要だろう。ほら、行った、行った」

 外村の両肩を押して軍規監視局のフロアから外の廊下に出した森寛常行は、立ち話しをしている事務職員たちに向かって大きな声で言った。

「ああ、それから、誰か手伝ってくれないかな。急ぎの仕事を思い出しちゃって……」

 森寛常行は腰の後ろで手を小さく振って、廊下の外村に早く行くように合図すると、入り口のドアを閉めた。

 外村美歩は項垂れて、トボトボとエレベーターの方に歩いていった。



                  十六

 官庁街の裏通りにあるカフェのテラスで、外村美歩はコーヒーを飲んでいた。少し寒くなってきたせいもあり、カフェテラスには客が少ない。テラスに居る客は、奥の隅の席で書類を広げて何かを打ち合わせているお洒落をした中年女性の四人組と、入り口の近くの席に座ってカップを口元で傾けている灰色のスーツを着たサラリーマン風の男だけだ。国防軍の濃紺のスーツにコバルト・ブルーのネクタイを巻いた外村美歩は、その中で目立っていた。しかし、そこは警察庁の裏通り沿いの店という事もあり、いかめしい制服姿の女性には見慣れているのか、店の中の客も、店員も、通りを行き交う歩道の通行人も、誰も彼女の事を凝視したり、興味深く見つめる者はいなかった。外村美歩は、よくこの店に来る。通いなれた老舗のカフェのテラスで深みのあるコーヒーを飲むと、なぜか落ち着く気がした。そして、元気も出た。彼女はそれを期待して、この「カフェ二〇〇七」まで遣って来たのだが、今日の憂鬱は晴れそうにもなかった。歩道との仕切りに置かれたプランターの花を見つめながら、テーブルにカップを置き、溜め息を吐く。外村美歩は、自分が無理な捜査をした事で職場の同僚や上司に迷惑を掛けたと後悔していた。同僚たちの冷ややかな視線を思い出す。肩を落として下を向いた彼女は、また溜め息を漏らして呟いた。

「はあ……やっぱり、余計な捜査だったかな……」

 外の冷たい風に晒されながら、外村美歩は捜査の中断を考えていた。すると、そんな彼女に歩道の向こうから女が声を掛けた。

「あれ? ホカッチじゃない。何してるの、こんな所で」

 顔を上げた外村美歩は、スーツ姿の肩に分厚く重そうな鞄を掛けたその若い女の方を向いた。外村美歩は顔をほころばせて言った。

「あ、ウメ。久しぶり」

 スーツ姿の若い女は、緩く巻いた茶色い髪を上下に揺らしながら、駆け足で垣根のプランターの端に向かい、カフェテラスの中に入ってきた。入り口の横に座っているグレーのスーツ姿の客の後ろで立ち止まり、鞄を肩に掛けたまま両手を上げて幼く振る。奥の女性客の視線に気付いた彼女は、急に眉間に皺を寄せると、姿勢を正して鞄のベルトを握り締め、反対の手で前髪をかき上げながら、木製の板張りの床に響くヒールの音と共に颯爽と歩いてきた。外村が座っている席のテーブルの前で立ち止まった栗毛の女は、腕組みをして制服姿の外村をジロジロと見ると、片笑みながら言った。

「へえ。なんだか、制服が板に付いているじゃない。随分とキマってるわね」

 外村美歩は自分の制服に改めて視線を落とすと、再び顔をあげ微笑んだ。

「うん……。ありがと」

 スーツ姿の女は外村の向かいの椅子を引くと、急いで腰を下ろし、隣の椅子の上に重そうな鞄を置いた。そして、テーブルの上に顔を突き出して外村に尋ねた。

「どう? 軍隊には、もう慣れた?」

 外村美歩は少し横を向き、遠くを見つめながら静かに答えた。

「うん。まあまあ……かな」

 スーツ姿の女は心配そうな顔で言った。

「どうしたの。久々に親友の顔を見たと思ったのに。随分と深刻な顔して。何かあった?」

「……」

「ああ、そうよね。国防に関する秘密は言えないわよね。これは、失礼しました」

 スーツ姿の女は肘を上げて敬礼して見せた。外村美歩は小さく微笑むと、コーヒーカップを持ち上げながらスーツ姿の女に尋ねた。

「そっちは、どう? 新しい事務所の方は、もう慣れたの?」

 スーツ姿の女は、さっきの外村の態度を真似して、少し横を向き、目を細めると、憂いを含んだ感じで静かに答えた。

「うん。まあまあ……かな」

「もう」

 口を尖らせた外村美歩は、少し微笑んでからコーヒーを啜ると、カップを置きながら言った。

「今は、どこの事務所にいるのよ。前の事務所、入って直ぐに辞めちゃったでしょ。ウメって、行動と決断は早いんだけど、結末を教えてくれないから……」

 スーツ姿の女は周囲を素早く見回して、唇の前に人差し指を立てた。

「シー。シー。前の事務所は、職歴にカウントしてないんだから。誰か聞いてたら、どうするのよ。ここ、官庁街なのよ。同業者も多いんだから」

 外村美歩は目を丸くして言った。

「ええ? まさか、今の事務所には言ってないの?」

 スーツ姿の女は声を押し殺して外村に言う。

「声が大きいわよ。当たり前でしょ。まさか、喧嘩して三日で辞めたなんて、言えないじゃない」

 外村美歩は呆気にとられた顔をして見せた。少し間を置いて、二人は同時に笑った。

 スーツ姿の女は町田梅子という新人弁護士である。彼女は法曹養成のための選抜式教育課程であるローヤー・プログラムにおいて、外村の同期であり、ライバルであり、親友であった。プログラムを終えて共に社会に出た二人は、多忙の中で疎遠となり、あまり連絡をとっていなかった。お互いの近況を気にしつつも、それぞれの事情から相手に連絡する機会を失していたのだ。外村美歩は辛いローヤー・プログラムで互いに励ましあい、競い合い、切磋琢磨した親友が就職で躓いた事を気にかけていた。今日はその親友に偶然にも再会できたのだった。

 町田梅子は外村の後ろを指差しながら言った。

「美空野事務所。五ブロック先の大通り沿いにある」

 外村美歩は再び目を見開いて言った。

「弁護士法人の? すごい。大手じゃない」

 町田梅子は椅子の背もたれに背中を倒すと、顰めた顔で外村に本音を漏らした。

「まあね。確かに大手は大手だけど、法律事務所って言うより、企業って感じ」

 外村美歩は尋ねる。

「やっぱり、売り上げ成績の代わりに、勝率ってこと?」

「そ。まあ、前のセクハラ事務所よりは、ずっとマシだけどね」

 町田梅子は両肩と同時に両眉も上げた。外村美歩は口角を上げて町田を励ました。

「ウメなら大丈夫よ。ロースクールの模擬裁判でも、九割の勝訴実績だったじゃない」

 町田梅子は頬を膨らませて外村に指先を向けると、言った。

「残り一割を削ったのは、あんたでしょ。せっかく、全戦全勝でローヤープログラムを終了しようと思ったのに」

「それは、お生憎さまでした。上には上がいるものよ」

 外村美歩は澄ました顔でコーヒーカップを持ち上げ、口に運んだ。町田梅子も横を向き、前髪をかき上げながら言う。

「あら、年齢の話かしら?」

「あ、言ったわね」

 口の前でコーヒーカップを止めた外村美歩は、笑みながら顰めて見せた。そして二人は再び笑った。

 町田梅子は外村美歩より一つ年下であったが、ローヤー・プログラムでは、二人は同期だった。真面目でコツコツ型の外村とは違い、町田梅子は合理性と効率を追い求める性格だった。外村美歩がいつも冷静であるのに対し、町田梅子は情熱的で直情的でもあった。だが、二人は馬が合った。それは二人を繋ぐ共通項が、それぞれの中にしっかりと根ざしているからだったが、若い二人はそれを自覚していなかった。久々に再会した二人は暫らく昔話と近況を語り合い、談笑に時を費やした。

 胸の前で拳を握り、次の仕事への意気込みを口にした親友の顔を見つめながら、外村美歩は改めて言った。

「でも、本当に久しぶりね。半年ぶりくらいかしら。ウメ、全然を連絡くれないんだもの」

「ごめん。いろいろ忙しかったんだ。入ったばかりだと、能力の自己アピールもしなきゃいけないし。残業は断れないし。あれだけの所帯の事務所だと、扱っている事件も複雑なものが多いしね。帰りも日付が変わることが多くて、お蔭で、お肌ガサガサ」

 自分の頬を撫でた町田梅子は、早口で話を続けた。

「それに、ほら、ホカッチは実家住まいじゃない。小母さんのこともあるし、夜中に飲みに誘う訳にも、いかないしさ」

 外村美歩は少し顔を引いて見せてから言った。

「へえ。じゃあ、大事件の裁判とかも担当してるんだ。事務処理能力の高いウメが夜中に帰るってことは、よほどの事だもんねえ」

「それ、嫌味? 私が片付けを苦手なこと、知ってるでしょ。もう」

 町田梅子はまた頬を大きく膨らませた。

「冗談よ。冗談」

 外村美歩がそう言うと、町田梅子は愚痴を述べ始めた。外村美歩は町田の不満話を姉のようにじっくりと聞いた。

「今、所長の補佐で、ウチの事務所が顧問を務めている大企業の共同代理人を任されてるの。でもね、共同代理って言っても、ほとんど、こっちに丸投げなのよ。顧問先でのプレゼンの時や代表取締役への連絡の時は、自分が前に出るくせによ。こっちは他の案件も抱えてるから、時間が足りなくて。もう、やってられない。いつ過労死するかって感じよ。で、依頼人には自分がやってるような顔をするのよね、あの人」

「ふーん」

 外村美歩は町田に言ってあげた。

「いわゆる『ええ格好しい』って、奴ですな」

 町田梅子は外村を指差しながら何度も頷いた。

「そう。それ。『ええ格好しい』。少しは自分でも書類作れっていうのよ。そう思わない?」

 外村美歩は頷いて下を向くと同時に、小さく吹き出した。それを見た町田梅子が口を尖らせて言う。

「何よ」

 外村美歩は肩の力を抜いて微笑みながら、町田に言った。

「変わってないわねえ。ウメ。勇ましいというか、何と言うか……」

「もう。そっちこそ、どうなのよ。なんだか、『我が国の防衛は、私が一人で背負っています』みたいな、深刻な顔しちゃって。ちゃんと、上手く行ってるの?」

 町田梅子にそう尋ねられた外村美歩は、顔を曇らせて親友に漏らした。

「うん。正直、大変かな。現場の兵士からは嫌われるわ、他の部署からは睨まれるわで。軍隊って言っても、上の方は結局、他の役所と変わらないみたいだし。上司は、すごくいい人なんだけど、半日勤務だと、局の他の人たちと顔を合わす事もあまり無いから、いまいち馴染めなくて。今も色々あって、なんだか思いっきり四面楚歌って感じ……」

「だから、軍隊はやめた方がいいって言ったじゃない……って、そうじゃないわよ! 彼との事よ。宇城さん。上手く行ってるの?」

 外村美歩は微笑むと、コーヒーを飲みながら答えた。

「うん。なんとか」

 町田梅子は外村を指差しながら言った。

「うわあ。なによ、その余裕の笑顔。腹立つうう」

「別に、笑ってないわよ」

「笑ってました。一瞬の笑みの中に、思いっきり幸福感を詰め込んでましたけど」

「ウメ」

 外村美歩はカップを握った手を少し持ち上げて、その指にはめた指輪を町田に見せた。町田梅子は目を丸くして言った。

「え? もしかして、婚約指輪? もう、プロポーズされたの?」

 外村美歩は幸せそうな顔で頷いた。町田梅子は顔の前で手を叩いて、我が事のように喜んだ。

「わあ、おめでとう。よかったわね」

「うん」

 外村美歩は素直にそう答えた。町田梅子はテーブルの上に身を乗り出すと、外村に顔を近づけて尋ねた。

「で。どうなのよ。もう、向こうのご両親に挨拶とか、行った?」

「うん。先週ね。ウチの母とは、今夜、一緒に食事をするつもり」

 町田梅子は椅子の背もたれに激しく身を倒すと、額に手を当て、大きな声で言った。

「ええ。じゃあ、もう本当に秒読みじゃない。いいなあ。なかなか居ないわよ、あんなハンサムな軍人さん。かっこいいもんね、間違いなく。性格も良さそうだし、健康だし、強くて優しい。かー、いいなあ」

「ちょっと、ウメ……」

 周囲の視線を気にしながら、外村美歩は町田を窘めた。町田梅子はそれを気にすることなく、再びテーブルの上に両肘を載せて言った。

「でも、ホカッチの職場って、職場恋愛とか禁止じゃないの?」

「ううん。規則には何も規定されてない」

「さっすが、軍規監視局の監察官ねえ。そこも規則ですか……」

「まあ、一応は確認した。結婚後に仕事を続けるかって事もあるし。でも、実際に職場結婚している人は、結構いるみたい」

「ふーん。そうなんだ。出会いが少なそうだもんね、あそこ。ああ、周りの人には言ってるの?」

 まるで母親のように気を回す町田の事がおかしくて、外村美歩はクスリと笑うと、答えた。

「うん。一応、ちゃんと上司にも報告を済ませてある。部署が部署だから」

「流石は、ホカッチ。外堀をガッチリ埋めてきたわね。やっぱり、この私の連勝記録にストップをかけた女ね。侮れないわ」

「何よ、それ」

 外村美歩が顔を顰めると、町田梅子は左手を上げて腕時計を覗いて、急に椅子から立ち上がって言った。

「ああ。なんか親友の幸せそうな顔を見てたら、腹立ってきたわ。帰る」

 外村美歩が相変わらずせっかちな町田の様子を微笑んで見つめていると、町田梅子は重そうな鞄のベルトを肩に掛けながら外村に尋ねた。

「あ、そうそう。小母さん、元気? ご無沙汰してるから、近いうちに、ホカッチの家に行ってもいいかな。ホカッチが居ない時に」

「うん。母も喜ぶと思うけど、どうして、私が居ない時なのよ」

 外村美歩が怪訝な顔で尋ねると、町田梅子は答えた。

「だって、今夜、宇城さんと三人で食事するんでしょ。じゃあ、娘の彼氏についての、小母さんの正直な印象を聞きたいじゃない。本人の居ない所で、じっくりと。小母さん、私になら本音を言ってくれるでしょ」

 外村美歩は両眉を上げながら頷いて見せた。

「それは、どうも。ご心配頂いて、うれしいわ」

 町田梅子は手を振って言う。

「それじゃ。またね」

 外村美歩は少し寂しげに手を振った。

「うん。じゃあね」

 外村美歩は、ヒールの音を鳴らしながら向こうに歩いて行く親友の背中を見送った。すると、入り口の近くて立ち止まった町田梅子が茶色い髪を振ってこちらを向いた。

「ああ、それと……」

「何よ。まだ何かあるの?」

 呆れ顔でそう言った外村美歩に、町田梅子は遠くから大きな声で言った。

「たしか、四面楚歌の故事に出てくる項羽って、劉邦の策略に引っ掛かったのよね。周りを囲んだ劉邦の率いる漢軍から聞こえてくる楚の歌を聞いて、自分の故郷の楚が陥落したって思っちゃった。それで、がっくりして、最後はヤケクソ戦法に出ちゃって、討ち死に。要は、勘違いした男の話よね。冷静に分析すれば、包囲を破れたかもしれないのに。男って、昔から馬鹿で単純ね。あんたも気をつけなさいよ」

 町田梅子は軽く外村を指差すと、くるりと前を向き、歩道の上へとテラスから出て行った。スーツの襟の金バッジを誇らしげに光らせながら、町田梅子は姿勢よく歩道の上を歩き、テラスの中の外村の横を通った。軽くウインクして、颯爽と通り過ぎていく。外村美歩は小さく手を振ってから、小さく独り言を漏らした。

「話しに夢中で、何も注文しなかった事には気付いてないか……変わってないわねえ」

 外村美歩は店の中に目を向けた。カウンターの中からマスターが機嫌悪そうにこちらを見ていた。テラスの入り口の横のサラリーマン風の男の大きな目と視線が合った。町田が「男は馬鹿だ」と言ったのを思い出し、外村美歩は視線を逸らした。彼女はカップをトレイに載せると、それを持って、ばつが悪そうに返却口の方へと歩いて行った。



                  十七

 外村美歩がテラスから歩道に出て国防省ビルの方向に体を向けると、カフェテラスの中で返却口にカップを載せたトレイを返しているグレーのスーツの男と目が合った。男の異様に大きな目と耳が、彼の不気味な視線を更に不気味に感じさせた。男は視線を外し、不自然に横を向く。不審に思った外村美歩は、さっき町田が歩いて行った方向に歩くのをやめて、人通りの多い大通りを回って帰る事にした。振り返り、逆の方向に歩いて行く。裏通りから警察庁ビルの横の通りに出ると、外村美歩はカフェの方に視線を向けた。さっきのグレーのスーツの男がこちらに歩いてきていた。外村美歩は大通りの方に向かって歩道の上を速足で歩いた。目の前の小さな横断歩道の上の信号は赤だった。立ち止まった外村美歩は背後を気にして、髪を直すふりをして少しだけ振り向いてみる。カフェがある裏通りから出てきた男は、下を向いたまま、こちらの方に曲がって歩いてきた。男はゆっくりとした足取りで進んでくる。外村美歩は目の前の小さな信号に目を遣った。信号が青に変わった。外村美歩は小走りで進み、その短い横断歩道を急いで渡った。先まで少し進んで速度を落とし、再び後方に目を遣る。男はゆっくりとした足取りで横断歩道を渡っていた。外村美歩は再び速足で歩きながら考えた。男は一見して普通の歩調で歩いているように見えるが、その歩幅は小柄な男にしては広かった。彼は速足や小走りで速く進む外村に速度を合わせて、速く進んできている。外村美歩は自分が男に尾行されていると思った。彼女は速足で日当たりの悪い歩道の上を進み、警察庁ビルの角から大通りへと出た。東西幹線道路沿いの広い歩道の上は、帰宅する官庁職員たちで犇いている。しかし、外村美歩は気を緩めなかった。彼女は雑踏の中で振り向き、自分が歩いてきた方向を見た。こちらに向かって走っていたグレーのスーツの男が急に止まり、横を向いて普通の速度で歩いてくる。外村美歩は帰宅する人間たちを避けながら、反対側の警視庁ビルの前まで延びる長い横断歩道を駆けて渡った。東西幹線道路は片側だけで十車線ある。当然、そこを渡る横断歩道の距離は長い。反対車線との境には、長い横断歩道の途中の中央分離帯の所に横断者用の待機場が作ってあり、青信号のうちに渡りきらなかった歩行者がそこで待てるようになっている。外村美歩はそこまで走ってくると、後ろを振り向いた。横断歩道の上を歩く人波に紛れ、背の低いグレーのスーツの男の姿は見えなかった。外村美歩は青信号のうちに渡りきってしまおうと、残りの横断歩道の上を走った。こちらに向かって歩いてくる帰宅者たちの間を抜けながら、急いで横断歩道を渡る。運動靴を履いている訳でもなく、タイトな制服のスカートで走る彼女の速度は知れていた。歩行者信号が点滅を始めた頃、ようやく警視庁ビル側の歩道の上に辿り着いた外村美歩は、息を切らしながら横断歩道の上に目を遣った。点滅している信号を見て待機場まで急ぐ横断者の人波の中で、人々が横に避けている箇所があった。横断者の中にこちらに向かって走ってくるグレーのスーツの男が見えた。彼は大きな耳を赤くし、大きな目でこちらを見ながら走ってきている。外村美歩は広い歩道の上を帰宅者の流れに乗って国防省ビルの方へと進んだ。人が多く、速足で進めない。彼女は何度も後ろを確認しながら、雑踏の中を出来るだけ速く進んだ。地下リニアへの入り口が見えてくると、その向こうの短い横断歩道の上の信号を確認した。青である。外村美歩は視線を横の高い位置に移し、自動車用の信号を見ながら歩く速度を少し落とした。左手に厚生労働省ビルが見えてくると、そちらの方に近づきながら、視線だけを車道の上の信号に向けて進む。彼女の前には封筒を抱えた若い女性が歩いていた。おそらく厚生労働省ビルに入っていくであろうその女性の後ろを外村美歩は歩いた。その女性が歩道からビルの敷地の中に入っていくと、外村美歩は少しそちらに体を向けた。そして、車道の信号が黄色になったのを確認して、すぐに進行方向の短い横断歩道へと走り出した。人をかき分けて前に進み、点滅する歩行者信号の下を走って横断歩道を渡る。外村美歩は暫らく速足で進んで後ろを向いた。信号が赤に変わった横断歩道の向こうで人々が止まり、並んでいる。その人だかりの中に、さっきのグレーのスーツの男を見つけた。男は少し後ろを向いて、こちらには目を向けていない。外村美歩は急いで人が多い位置に移動して、そのまま人ごみに紛れて歩いて行った。少し歩くと、さっきの横断歩道の向こうで女性の悲鳴が聞こえた。外村美歩が振り向くと、横断歩道の向こうで信号待ちをしていた人々が振り向き、地下リニアの入り口の方を見ている。外村美歩は、もう一度さっきの男を探した。男の姿は人波の中には無かった。外村美歩は前を向き、国防省ビルへと速足で歩いて行った。



                  十八

 外村美歩は軍規監視局のフロアに戻ってきた。窓際に並べられたプリンターの前に立っている数名の事務員たちが振り返り、一瞬だけ冷ややか視線を外村に浴びせると、再び背を向けた。外村美歩はフロアの中を見回した。査察官たちは帰ったようだった。壁際に並んでいるドアを見ると、自分の部屋のドア以外の、どのドアの横の勤務ランプも消えている。他の監察官たちは既に退庁しているようだった。外村美歩の脳裏に「四面楚歌」の四文字が浮かんだが、同時に、友人の忠告も思い出された。外村美歩は一人で頷いて、自分のオフィスへと向かった。すると、後方で物音がした。振り返った外村美歩が衝立の向こうを覗くと、登庁して来た時と同じように、局長の森寛がソファーの上に靴を脱いで立っていた。外村美歩は、壁の抽象画に手を伸ばしている森寛に言った。

「局長。只今、戻りました」

「うん」

 森寛常行は懸命に手を伸ばし、高い所に掛けた娘の絵を外している。絵の入った額を壁から取り外した森寛常行は、ソファーの横に並べて置いた靴の上に足を下ろした。外村美歩は森寛に言った。

「あの……いろいろ、ご迷惑をお掛けしました。本当に、申し訳ありませんでした」

 絵の額を抱えた森寛常行は、革靴を履きながら外村の顔を見て言った。

「え、なんで。君は何も悪くないじゃないか。何言ってんだ」

「しかし……」

 靴を履き終えた森寛常行は、外村に尋ねた。

「それより、外村監察官は、今後の捜査について、どう考えてるの?」

 外村美歩は真剣な顔で森寛に言った。

「その事なんですが、もう少し、調達局の方の捜査を続けさせていただいても、よろしいでしょうか」

 森寛常行は顔を顰めた。

「だから、捜査については、監察官の独立権限なんだろ。内閣総理大臣でさえ、本来は口を挟めないんだ。君がどうするかについて、僕は何も言えんよ。今後の君の捜査方針を訊いているんだよ」

 局長の森寛常行は、外村が調達局への捜査を中断する事は、毛頭考えていないようだった。彼は外村が捜査を続行する事を前提にして尋ねていた。外村美歩は深々と頭を下げた。

「すみません……」

 そして、顔を上げると、森寛に告げた。

「まずは、これまでの捜査をやり直そうと思います。また一から、捜査資料を集め直さないといけませんが……。でも、どうしても気になる事があるんです。もしかしたら……」

 娘が描いた抽象画が入っている額縁の後ろを弄りながら外村の話しを聞いていた森寛常行は、額の裏板を外すと、その内側に貼り付けたトランプの箱を外し、中からMBCの束を取り出して、外村に見せた。

「ほら、これ」

 森寛常行は片笑みながら言う。

「流石に監査局の査察官の連中も、娘の抽象画までは回収しなかったみたいだね」

「それは……」

 MBCを見つめている外村に、森寛常行は説明した。

「津留局長の事だからさ、どっかに手を回して、こういう事になるんじゃないかと思ってね。念のため、ウチの捜査資料の保管サーバー、あれの中のデータを全部コピーしといたんだ。とりあえず、これで何とかなるでしょ。いやあ、しかし、圧縮しても何枚になったんだ? 一、二、三、四……」

「局長……」

 外村美歩はMBCの枚数を数えている森寛を驚いた顔で見ていた。彼は既に先手を打っていたのだ。MBCを数え終えた森寛常行は、プリンターの前で作業をしていた事務職員の一人を呼ぶと、カウンター越しにその女性にMBCを渡して、フロアの中央に置かれた大型サーバーを指差しながら言った。

「あ、君。これ全部、中身を向こうのデータ・サーバーに戻しといてくれる? それから、ウチのサーバーは、外部ネットワークとも、省内のイントラネットともオフラインだよね。その点だけ、しっかり確認してから移してね。また、厄介な事になるといけないから」

 女性職員はしっかりと返事をすると、サーバーの方に歩いていった。森寛常行はカウンターの上に両手をつくと、満足そうにほくそ笑みながら言った。

「いやあ、これで、捜査資料用のデータ・サーバーは元通り復元できる。他の監察官の仕事への影響も、少しは減るだろう。もう、必要以上の文句は出まい」

 外村美歩は改めて森寛に深く頭を下げた。森寛常行は普通に外村に尋ねた。

「ああ、それから。外村君、今、忙しい?」

「いえ。何か」

 顔を上げてそう答えた外村美歩に、森寛常行は窓際で背中を見せて並んでいる事務員たちを指差して言った。

「じゃあ、みんなと一緒に、あれ、手伝ってもらえるかな。あれらの、今、全速力でプリントアウトしてるプリンターね、あれ、監査局の定期監査資料を印刷してるのよ。過去二十年分の。つまり、国防軍が正式発足してから去年までの定期監査の資料を全部。あいつらが、ここの資料を押収してる間に、軍規監視局から監査局に対して、逆に捜索をかけてやった。捜査妨害を目的とした不当監査の疑いがあるからな。今頃、あいつら、慌てているぞ。うっしっしっし」

 森寛常行はカウンターの上に両手をついたまま、両肩を上下に揺らして笑った。外村美歩はまた驚いた顔で、プリンターの前の事務員たちの背中と、森寛の顔を交互に見ていた。

 森寛常行は外村の顔を見て言った。

「だから、この紙ベースの資料を、こっちの読み取り機でフリーPDF化して、再度ウチのデータ・サーバーに取り込む作業を手伝って欲しい訳よ。いいかい?」

 窓の外の日は傾き、夜になろうとしている。今夜、外村美歩には重要な予定があった。しかし彼女は、窓の外に目を向ける事も、壁の時計を見る事もしないで、すぐに返事をした。

「はい。わかりました」

 外村美歩は森寛と一緒に窓際に並んでいる女性事務員たちの所まで歩いて行くと、彼女たちに加わり、作業を手伝った。

 窓の外が暗くなった室内で、皆で流れ作業を淡々とこなしていく。作業は順調に進んだが、単調な作業の連続に、女性事務員の一人が愚痴を溢した。

「もう……これ、プリンターとサーバーを同期させて、印刷と同時に自動で保存って訳にはいかないのかしら」

 隣の事務員が言った。

「そしたら、ネットワークと繋がっちゃうじゃない。重要部署のサーバーは、サイバー攻撃から守る為に、ネットワークから切り離してあるんでしょ。しょうがないんじゃない」

「じゃあ、一旦、プリンター内でデータを貯めて、それをMBCかメモリーボックスか何かで、サーバーに移せばいいじゃない。いちいち、印刷して、それをまた読み込むなんてしなくても」

「でも、そうなると、送られてきた印刷データの中にウイルスが仕込まれていた場合に、それも一緒にサーバーに移されちゃうでしょ。やっぱり、マズイじゃない」

 外村美歩は事務員たちの会話に加わろうと、列の端から頭を前に出して言った。

「すみません。本当に。ご迷惑をかけてしまって」

 事務員たちは外村を無視して会話を進める。

「じゃあ、せめて、こっちのプリンターから出てきた書類が自動的に、こっちの読み込み機に送られる機械くらいは、あってもいいんじゃないの? ベルトコンベアーみたいな。そしたら、いちいち、こんな手作業しなくても……」

 反対側の列の端で作業を手伝っていた森寛常行が口を挿んだ。

「それはね、予算の問題なの。ウチは嫌われ部署だから、そういう便利な機械は、なかなか買ってもらえないんだよ。僕もさ、随分前から上には言っているんだけどね。ここのプリントアウトされた紙が出てくる部分に、高速読み取り機がついている最新式の業務用プリンターを……あ痛!」

 プリンターの排紙口から手を引いた森寛常行は、指先を見つめながら呟いた。

「ありゃあ、手を切っちゃったよ。紙でシュッと。おお、痛い」

 そして、事務員たちの顔を覗きながら言った。

「みんなも、気をつけてね。機械は怖いみたいだからね」

 森寛常行は手を振りながら、絆創膏を取りにいった。



                  十九

「ようし。これで最後だ。みんな、ご苦労さん」

 事務机の上で書類を立てて揃えながら、ワイシャツ姿の森寛常行は大きな声で言った。窓の外はすっかり暗くなり、夜空には高い位置に半月が浮かんでいる。LEDの蛍光灯に照らされた事務フロアで、職員達は残業に汗を流していた。

 読み取り機でスキャニングを終えた文書を揃えていた女性事務員が、書類の上を指差しながら森寛に尋ねた。

「これ、何ですか。SC―N○一経費って。たしか、SCコードって、極秘兵器関係ですよね」

 森寛常行はその職員が差し出した書類を覗き込んで答えた。

「ああ、噂の『ノア零一』の事だよ。GIESCOが開発した新型の兵員輸送機。何でも、新型の動力システムを使っていて、陸、海、空と何処にでも移動できるらしい。来期あたりから本格導入になるんじゃないかな」

 すると別の事務員が横から書類を覗き込みながら言った。

「へええ。調達局もさ、そんな物にこんな大金を使うんだったら、先に、ウチの方に新型の業務用プリンターを入れてくれたらいいのにね。これなら、毎月一台ずつウチに買ってくれたって、どうって事ないじゃない。毎年、大金を試験飛行費に支払うくらいならさ。ねえ」

 書類を見せていた女性事務員は、その書類をファイルに綴じながら何度も頷いた。その会話を聞いていた外村美歩が作業の手を止める。彼女は話していた事務員たちの所に来ると、言った。

「すみません。ちょっと、見せてもらえますか」

 外村美歩は女性事務員から受け取ったファイルを開いて、資料に目を通していった。近くの事務机の上にファイルを置き、立ったまま頁を捲っていく。女性事務員たちは顔を見合わせて、首を傾げた。外村美歩が頁を捲る手を止めて、資料の上を指でなぞり始めたのを見て、森寛常行が尋ねた。

「どうした、外村君。何か気付いたか」

「いえ、まだ……」

 外村美歩は資料に視線を落としたまま答えた。事務員たちは外村の様子を気にかけながら、残りの作業を進めていった。顔を上げた外村美歩は、大型のデータ・サーバーの近くに立っていた事務員に尋ねた。

「あの、資料保管用のサーバーは、もう使えますか」

「ええ。とっくに、資料データの復元は終えましたけど」

 事務員の回答を聞いた外村美歩は、読んでいた資料のファイルを閉じ、それを持って自分のオフィスへと駆けて行った。事務員たちは再び怪訝な顔で視線を合わせる。外村美歩のオフィスからは、中の段ボール箱が全て無くなっていた。書棚に立ててあった他の事件の捜査資料のファイルも無くなっている。査察官たちは彼女が本棚に並べていた専門書まで全て持ち出していた。外村美歩は溜め息を吐くと、自分の執務机に向かった。机の上には支給品の立体パソコンと、小さな写真立てだけが残っていた。写真には外村美歩が笑顔で宇城と写っている。外村美歩は、その横に資料のファイルを置くと、執務椅子に座り、パソコンを起動させた。やはり、メモリー内のデータは全て消されていた。外村美歩は、その事に腹を立てる事無く、冷静に軍規監視局のデータ・サーバーへの接続が維持されているか確かめた。サーバーへのアクセスは可能だった。外村美歩は、復元された蓄積資料の中から、津留栄又の経歴データと調達局の活動データを探した。ホログラフィーで表示された資料に目を通しながら、外村美歩は呟いた。

「やっぱり……津留局長の調達局就任の直後から、GIESCOと軍が『ノア零一』の導入計画協議を始めている。すると、津留栄又を調達局長に推したのは、やはりストンスロプ社……」

 椅子から立ち上がった外村美歩は、ドアの方に歩いて行き、ドアを開けて事務フロアに顔を出すと、事務員たちに言った。

「すみません。去年の監査報告書から、『ノア零一』の納入準備経費の、直接の決済担当者が誰になっているか分かりませんか」

 森寛常行が近くに置いてあったファイルを適当に選んで開きながら答えた。

「直接も何も、そりゃあ当然……」

 ファイルの中の資料を数頁だけ捲った森寛常行は、軽く資料の上を人差し指で叩いてから言った。

「ほら、津留局長だ。てゆうか、これは調達局プロパーの案件だよ」

 それを聞いてすぐに自分の机に戻った外村美歩は、パソコンの手前のホログラフィー・キーボードの上で指を動かしながら、ドアを開けたままの出入り口に向かって大きな声で言った。

「すみません。そちらの資料で、年間の監査報告書にストンスロプ社の名前が出てこない期間がありませんか。もしくは、極端に少ない期間は」

 事務員たちは慌てて周囲のファイルの中の資料を開いていった。一人の事務員が頁を捲りながら溢した。

「ストンスロプ社の名前って言われても、どの部門よ……」

 外村美歩はデータ・サーバー内の資料を検索しながら、また大きな声で隣の事務フロアの事務員たちに言った。

「随意契約の支出部門だけでも、いいです。そこだけ、見ていって下さい」

 事務員たちは不承不承と外村に指示されたとおりに資料に目を通していった。

「ストンスロプ……ストンスロプ……あのう、GIESCOも入れてですかあ」

 事務員の一人が大きな声でオフィスの中の外村に尋ねると、外村の返事がすぐに返ってきた。

「ええ。GIESCOもストンスロプも出てない期間は、ないですか?」

「そんな、急に言われても……」

 眉間に皺を寄せてそう言いながら頁を捲っていた一人の女性事務員が、その手を止めて、言った。

「あれ? ホントだ。……ありました。ええと、二〇二六年度から二〇三〇年度まで、ですね」

 彼女が大きな声でオフィスの中の外村に報告すると、また外村からの指示が聞こえてきた。

「二〇二五年度も見てみて下さい。九月以降で、ストンスロプ系列の会社への支払いがストップされている時期がありませんか」

 その事務員は愚痴を吐きながら、資料の頁を捲っていった。

「もう、何よ。誰のせいで、残業してると思ってるのよ」

「シッ。聞こえるよ」

 森寛を一瞥しながら、隣の事務員が小声で言った。すると、愚痴を言った事務員が該当箇所を見つけ、その場からオフィスの中の外村に報告した。

「分かりました。十月の支払いを最後に、メンテナンス費やコンサルティング料などの支払いが出てきません。ストンスロプ社のグループ会社からの武器、備品の納入も、途絶えています」

 すると、オフィスの中から外村の声が届いた。

「すみませんでした。有り難うございしました」

 事務員たちはまた、顔を見合わせた。軍内では、大佐の階級であり、法曹でもある「監察官」が、一介の事務担当兵である事務員に対して、事務指示の応答に礼を言う事など無かった。外村からの礼の言葉に少し気まずそうな顔をしている事務員たちを見ていた森寛常行は、上着に袖を通しながら忍び笑った。

 外村美歩は検索したASKIT掃討作戦に関するホログラフィー文書を見ていたが、椅子の背もたれに背中を当てると、眉間に皺を寄せて考えた。

(やっぱり。ストンスロプ社は、二〇二五年九月二十八日の原因不明の大爆発に何らかの関与をしている。しかも、生体コンピュータの防衛戦線からの排除に向けて手を組んでいたはずの国防省から、一切の納入を断られるほどの事情を孕む関与を。おそらく、爆発の原因を作り出したのかもしれない。そして、再び取引が始まった二〇三〇年の翌年に、現内閣の辛島政権が成立している……)

 上着の釦を掛け終えた森寛常行に事務員の一人が尋ねた。

「あのう、私たち、そろそろ夕食に行ってもいいですか」

 森寛常行は、自分の腕時計を見て言った。

「ああ、もう、こんな時間か。どうぞ、どうぞ」

 森寛常行は外村のオフィスへと向かった。開いたままのドアをノックして入ってきた彼は、外村に尋ねた。

「どうだ。何か分かったかね」

 外村美歩は椅子から立ち上がり、上司に報告した。

「ストンスロプ社と辛島総理は裏で繋がっている可能性が考えられます。ASKIT掃討作戦は、辛島総理から十七師団に直接に出動命令が下されていました。記録上は一応、作戦指示書が命令系統に沿って整えられてはいますが、全て後付けです。辛島政権は、ストンスロプ社の傀儡政権だという事でしょうか。だから、ライバルのASKITを襲撃し、国内からNNCとNNJを放逐した」

 森寛常行は首を傾げた。

「うーん。どうかな。仮にそうだとして、今回の捜査の件と何か関係があるのかな」

 外村美歩は言う。

「私は十七師団の阿部大佐の軍規違反を追っています。彼は、装備品の支給を水増し請求し、不当に武器弾薬を備蓄している可能性があります。そして、その請求に応じて大量の武器弾薬、燃料等を支給しているのが調達局。おそらく中心で指示しているのは津留局長です。そして、その装備品の支給に最終決済をしているのが、辛島総理なんです」

「総理が?」

「はい。特別権限で署名されています」

 外村美歩は机の上に浮かぶホログラフィー文書に視線を向けた。森寛常行は外村の執務机の後ろに回ってきて、そのホログラフィー文書を確認した。それは、辛島勇蔵の署名がされた兵具支給の特別決定書だった。ホログラフィーから顔を離した森寛常行は、腕組みをして言った。

「でも、最高指揮権者は内閣総理大臣だし、特別署名も正当な権限じゃないかな」

 外村美歩は意見を述べた。

「いえ。内閣総理大臣が指揮命令系統や監査監督系列と関係なく特別にした署名の効力が生じるのは、戦時における緊急の事態における場合だけです。国防軍法第七条にも……」

 森寛常行は掌を向けて外村の説明を遮ると、自分の意見を述べた。

「いや、でもさ。その署名が何時されたものである必要があるか、戦時において署名されたものでなければならないのか、そもそも『戦時』の始期と終期についても、いろいろ学説の対立があるよね。結局、実務的には、判例の解釈によるんじゃないかな」

 外村美歩は深刻な顔をして言った。

「しかし、もし阿部大佐が、備蓄している余剰分の武器弾薬を使用して良からぬ事をしようとしているとすれば、我々監察官としては、今のうちに彼を尋問しておく必要があるのではないでしょうか。事が起きた後では、軍規監視局そのものの存在意義が疑われかねません。それに、十七師団に武器弾薬を送り続けている津留局長は、以前、何らかの形でASKITと関係があったとも思われます。もしそうなら、阿部大佐のやっている事は、国防上も、相当に危惧すべき事柄なのではないでしょうか」

「……」

 森寛常行は腕組みをしたまま、眉間に皺を寄せている。外村美歩は更に言った。

「それから、辛島総理は、十七師団の大規模演習の許可書にも、特別権限で署名されています。もし、『ノア零一』を大量納入することを条件に、ストンスロプ社が津留局長の要求に応じて、辛島総理に署名させているのだとしたら、事は深刻かもしれません。少なくとも、贈収賄事件として関係者を尋問する必要があるのかもしれません」

 森寛常行は一度長く息を吐くと、腕組みをしたまま天井を見上げた。

「しかしなあ、この前の十七師団のエンスト事件について、彼らの行動はクーデターの為の行軍だったんじゃないかと野党議員たちが言い出して、総理の指揮管理能力を問題にしているからね。辛島総理も、いろいろな改革を推し進めている時だろう。このタイミングで阿部大佐を逮捕して尋問したあげく、現職の国防省官僚を収賄で尋問までするとなると、下手すりゃ、一大政治スキャンダルになってしまうよ。いや、下手しなくても、間違いなく、そうなる。だとすると、もしやるんだったら、相当に覚悟して、よほど慎重に進めないと。これが失敗したら、君も大変な事になるよ。きっと」

 森寛常行は眉を寄せた顔を外村に向けた。それは、捜査に対する干渉や圧力ではなく、外村の事を心配しての発言であると外村美歩も分かっていた。彼女は、しっかりと首を縦に振って頷いた。

「はい。承知しています。ですから、明日、十七師団の駐屯基地である多久実第二基地に行ってみようと思っています。新田カイト機関士の話のとおり、本当に余剰装備品が備蓄されているのかを確かめる必要がありますし、できれば、阿部大佐からも任意でお話を伺えないかと」

「ううん。そう……」

 森寛常行は険しい顔をして下を向いた後、すぐに顔を上げて言った。

「いや、いいのだけどね。ただ……」

 じっと外村の顔を見つめる森寛に、彼女は尋ねた。

「何でしょうか」

 森寛常行は眉間に皺を寄せて言う。

「危険だと思うんだよね。それに、車で行っていたら、片道で二時間か三時間はかかるんじゃないかな。基地の中も相当に広いし。見て周るだけでも大変だと思う。何なら、僕も一緒に行こうか」

 外村美歩は首を横に振った。

「いえ。局長には、今日の事でご迷惑をお掛けしましたし、他の皆さんも、これ以上に巻き込む訳にはいきません。万一、政治問題にまで発展しても、臨時採用の非常勤職員の私がした捜査なら、こちらの局にも最小限の影響で済むでしょうから。私一人で行きます」

「そんな、『こちらの局』なんて、部外者みたいな事を言わないでくれよ。外村監察官」

 そう言った森寛常行は、腕を解くと机の上に手をついて下を向いた。息を吐いた森寛常行は外村の顔を見て話した。

「それに、君が非常勤の勤務形態を選択したのは、お母さんの介護の為だろ。軍を職場に選んだのも、好きな人を支える為。君のような心持の人間こそ、軍には必要な人物なんだよ。家族や恋人の事も守れない人間に、国は守れないからね。自分の出世ばかり考えている『軍人もどき』よりも、君の方が、ずっと軍人らしいと、僕は思う。だから、君には監察官として長く働いてもらいたいんだよね。局長の僕としては、なるべくなら、君を余計な危険には晒したくはない」

 直立したまま聞いていた外村美歩は一礼すると、言った。

「有り難うございます。局長には、いつも気を使っていただいて、感謝しております」

「何を言ってるんだい。別に気を使っては……」

 森寛常行は外村の目を見て、彼女の決心が揺らいでいない事を見取った。短く溜め息を吐いた彼は、外村の肩を叩いて歩いていった。

「わかった。ちょっと、待っていなさい」

 森寛常行は事務フロアの方へと出て行った。外村美歩は左手を持ち上げ、腕時計に目を遣った。今夜は婚約者の宇城影介が自宅にきて母と三人で食事をする事になっている。その予定の時刻はとっくに過ぎていた。外村美歩は小さく溜め息を漏らした。

 暫らくすると森寛常行が戻ってきて、言った。

「今、航空輸送隊の山口中尉に尋ねてみたよ。あの有名な『ヤマケン』さん。知っているだろう?」

「ええ。以前に何度か、お話しをした事はあります」

「そうか。実は彼、僕の同期なんだ。彼が明日、君を多久実第二基地までオムナクト・ヘリで送ってくれるそうだ。例の彼ご自慢の特製オムナクト・ヘリでね。たぶん、あそこまでなら、二十分はかからんだろう。それに、飛行予定経路と時間を申請した国防省のヘリに乗ってきた監察官には、奴らも手が出せまい。飛行申請の予定通りにヘリが帰ってこなかったら、大事になるからな」

「局長……有り難うございます。本当に」

 外村美歩は深々と森寛に一礼した。

「いいから、いいから。あら、もう、こんな時間だ」

 腕時計を見た森寛常行は、顔を上げ大きな声を出した。

「ああ! しまった! 君、今夜は大事な用があるんだったな。後は、もういいから、さっさと帰りなさい」

 外村美歩は困惑した顔で言った。

「でも、まだファイリングが……」

 森寛常行は事務フロアの方を覗いてから言った。

「ああ、もう、ほとんど終わっているよ。残りは事務担当兵の皆さんにやってもらうから、大丈夫」

「でも……」

「ほら、いいから。彼女達が夕食に行っているうちに、さっさと帰った、帰った」

 森寛常行は手を振って、外村に早く帰宅の準備をするよう促した。外村美歩は何も無い机の上を見回すと、部屋の隅のロッカーに向かい、中から自分の鞄を取り出した。そして、森寛に急き立てられながら、オフィスから出て行った。外村美歩はカウンターの前を通り、ドアの前で振り向くと、彼女をフロアから追い出すように後ろから付いてきていた森寛に再度一礼してから廊下に出た。森寛常行は早く行けと手を振りながら静かにドアを閉めた。腕時計に目を遣った外村美歩は暗い廊下を走っていった。



                  二十

 左目を青く光らせた外村美歩がエレベーターから降りて来た。廊下に出てすぐに右に曲がり、角の茶色いドアの前で立ち止まる。

「うん。ごめんなさい。――うん。――じゃあ、また、今度ゆっくり。――おやすみ」

 ネクタイに挟んだイヴフォンに手を伸ばし、通話をオフにした外村美歩は、指紋認証式のドアノブを握り、ドアを開けた。暖色系のライトに照らされた玄関で靴を脱ぎ、リビングへと向かう。彼女は少し疲れた顔でリビングのドアを開けた。

「ただいま」

 ソファーに座っていた母は、娘に言った。

「おかえり。随分と遅かったじゃない。宇城さん、もう帰っちゃったわよ」

「うん。今、電話した」

 娘は鞄をダイニングテーブルの横に置くと、上着を脱いで椅子の背もたれに掛けた。ダイニングテーブルの上には鮨折が一箱置かれていた。それを横目に台所の水道で手を洗っている娘に、母は言った。

「宇城さん、あなたが帰るまで、下のエントランスでずっと待っていたみたいよ。あまり遅いから、入れ違いになったのかと思ったそうで、ここまで上がって来られたの。あなた達、職場では連絡取り合ってないの?」

 タオルで手を拭きながら、娘は答えた。

「うん。お互い、特別な部署だから、忙しくてあまり連絡をとれてない。どっちも勤務中には携帯を切っていることも多いし、不用意に電話もできないし……」

「あら。母さんに、もしもの事があったら、どうやって美歩に連絡取ればいいのよ」

「それは、局の方に連絡くれれば、私に連絡がつくようになっているから、大丈夫よ。局長にも事情は話してはあるし、私もずっと携帯を切っている訳じゃないから」

「そうなの。親切な職場ね。それより、何か気が付かないの?」

「……?」

 娘は部屋の中を見回した。母は呆れた顔で言った。

「お花よ。花瓶に挿してあるでしょ。こんなに香りがするのに、気づかないの?」

「ああ……」

 台所とダイニングテーブルの間の、形ばかりの小さなカウンターの上に花瓶が置かれ、そこにカサブランカやフリージアが挿してあった。

 娘の単調な返事に、母は言った。

「ああ、じゃないわよ。何とも思わないの?」

「うん……。綺麗」

「それだけ? わあ、とか、きゃー、とか、ないのかしらね。この子は」

 母は不満そうに言った。疲れていた娘は、抑揚なく言った。

「わあ、きゃあ」

 母は呆れ顔で言う。

「まったく……。宇城さんが買ってきて、花瓶にまで挿してくれたのよ。本当にいい人よね。母さん、ますます、気に入っちゃった。前に電話でお話ししたときも、今時の若者に無い誠実さが感じられたけど、今日会ってみて、それがよく分かったわ。美歩。もう、あの人に決めなさい」

「もう、決めてるってば……」

「え、何か言った?」

「いいえ、何も」

 娘はネクタイを緩めながら、鞄を持ち上げた。母は興奮気味に話を続けた。

「お花、ちゃんと挿されてる? その後も、ちゃんと片付けてくれてね。ここに座って、しっかりとした挨拶をされたわ」

 鞄を置いた娘は、母に尋ねた。

「どうな風に? 何て言ってた?」

 母は横を向いて言う。

「それは、教えられないわよ。母さんが、言われた事だもの。でもね、宇城さんなら、母さんも安心よ。大満足だわ。それからね、しばらく世間話してたのよ。でも、美歩が何時までも帰ってこないものだから、宇城さんがね、お鮨を買ってきてくれたの。そこの角のお鮨屋さんから、母さんが食べやすいようにでしょうね、ちゃんと一人分ずつに分けて詰めてもらって。勿論、美歩の分も。それで、一緒に食べましょうって。食べる時も、母さん、小皿のお醤油にお鮨を上手く浸けられないじゃない、だから、前もって一貫ずつに、少しずつ醤油をかけてくれてね。細やかな方よね。お茶も入れてくれて。母さん、何もしなくてよかったのよ」

 娘はテーブルの上の鮨折を見つめながら言った。

「じゃあ、影介がわざわざ買いに行ってくれたんだ」

 母は顔前で手を一振りして言う。

「そうじゃないの。最初はね、帰られたのよ。いつまでたっても美歩が帰って来ないものだから、時間も時間だし、また日を改めて伺いますってね。でも、夕飯時を過ぎていたから、気になったそうで、美歩が帰ってくるまで、母さんが一人では食べられないんじゃないかって、お腹が空いているんじゃないかって心配してくれたのね。お鮨を買って、戻ってきてくれたのよ。わざわざ。本当に、優しい方ね」

「じゃあ、二人でお鮨を食べたんだ。はあ……」

 予定外の流れに、外村美歩は肩を落とし、項垂れた。母は、そんな娘にお構い無しに話し続ける。

「それでね、母さんも、お味噌汁でも出そうと思ったのよ。ヘルパーさんに頼んで作ってもらった、お味噌汁があったんだけど、有水さん、お鍋に水を入れたら、火をつける前に、剥いた里芋を入れるじゃない。いつも横で言うんだけどね。沸いたお湯に入れないと、出来上がったときに、芯が残っちゃうのよね。宇城さんは、これ、冷凍の里芋じゃないかって言うんだけれど、母さんは有水さんに、生の里芋を剥いてもらったはずなのよ。何か、剥いているような感じだったんだけれどね。台所の水道のお水をずっと出していたし」

 娘は台所に戻り、シンクの隅の三角コーナーを覗いた。里芋の皮は入っていない。娘は首を傾げた。リビングに戻ってくると、母は話を続けた。

「しかも、大根葉じゃなくて、ざく切りにした白菜が入れてあるのよ。杓子も入れられないくらい、ぎゅうぎゅうに。あの人、お料理した事はないのかしら。この前、外れたボタンを付けて下さいって頼んだら、裁縫は苦手ですって。結局、美歩にしてもらったじゃない。家事が出来ない人が、どうしてヘルパーさんをやってるのかしらね。誰も来てくれないんじゃ、母さんも困る事が多いから、なんとか我慢しているけど」

 娘は母に尋ねた。

「で、その味噌汁を出したの?」

「いいえ。そんなもの、出せる訳ないじゃない。白菜は鍋の底で焦げ付いているし、里芋は表面がグニョグニョで美味しくないしで。台所で母さんが困っていたら、宇城さんが事情を察してくれて、捨てた方がいいって言うから、捨ててもらって、ベランダの残飯入れに片付けてもらったわ。お鍋とかも、綺麗に洗ってもらって。やっぱり、男の人は力が違うわよね。底の方が、真っ黒に焦げていたそうだけど、すぐに綺麗になったって」

 娘は顔を顰めて母に言った。

「もう、どうして、そんな事までさせるのよ。影介だって仕事帰りで疲れていたはずよ。体を使う事も多い職場なんだし」

「だって、せっかく美歩の結婚相手が来るっていうから、それなら、母さんだって何か一品くらい、出してあげたいじゃない。でも、この目じゃ、野菜の皮一つ剥けないでしょ。だから有水さんに頼んだのよ。でも、味噌汁くらいしか出来ませんって言うし、仕方ないから、母さんは横にいて、小皿に注いでもらった汁だけ飲んで味見して、後は有水さんにやってもらったのよ。そしたら、とんでもない味噌汁が出来ちゃって」

「そういう事を言ってるんじゃなくて……」

 娘は大きく溜め息を吐いた。母は胸の前で手を合わせて言う。

「でも、宇城さんは、真面目で誠実そうな人よね。頼り甲斐もありそう。娘の夫になる人としては、母さんとしては、合格ね」

「何も、今日に限って、有水さんに作ってもらわなくても。普段から何も出来ない人だって、知ってるじゃない」

「だって、娘の結婚相手が来るんじゃ、母さんだって落ち着かないでしょ。それに、いろいろ準備もしたいじゃない。娘の事だから。有水さんに台所とかベランダの掃除をしてもらっている間に、母さんは、お風呂場も掃除したのよ。今日は、美歩は掃除する時間が無いだろうと思って。ピカピカになっているはずよ。おかげで、腰が痛くて」

 ソファーの上で腰をを叩く母に、娘は厳しい口調で言った。

「もう。無理するからよ。怪我でもしたら、どうするの」

 母は苛立ったように答えた。

「そんな言ったって、有水さん、三時の休憩になったら、ここに座ったまま、ずっと動かないじゃない。お菓子も、どんどん食べちゃうし」

「お菓子? 休憩で、お菓子まで出してるの?」

「そうよ。宇城さんに出そうと思ってたアレ。美歩が昨日、買ってきてたの。あれを全部食べちゃったのよ。有水さんが。だから、宇城さんにお出しする茶菓子も無くて、母さん、恥をかいたわ」

 外村美歩は立腹した様子で言った。

「明日、私から一言、言っておくわね。有水さんに」

 母は手を左右に振った。

「ああ、やめて。やめて。そんな事を言ったら、あなたが出て行った後に、何されるか分からないんだから。こっちは何されても、見えてないから、分からないじゃない。後の事も、考えてよ」

 娘は嘆息を漏らした。

「はあ……前にも、ウェルエイドの事務所に苦情の電話を入れたんだけど、やっぱり、駄目よね。別の会社に変える?」

「どこも同じよ。狭い地域で、限られた数のヘルパーさんを事業者同士で奪い合ってるんですもの。所属するヘルパーさんがいないと事業が出来ないじゃない。だから、そっちの機嫌ばかりとって、指導したり注意したりする事は無いのよ。誰のための福祉制度が分かったものじゃないわ。前のヘルパーさんなんか、母さんを痴呆老人と同じように扱って。あの人には、頭にきたわあ」

 娘はもう一度鞄を持ち上げると、上着を腕に掛けて言った。

「とにかく、週末にでも、よく考えてみようよ。他に、いい会社もあるかもしれないし」

 自分の部屋に向かおうとした娘に、母は言った。

「あ、そうそう。母さんね。昨日、植え替えた花、一つだけでも中に入れて飾ろうかと思ってね、ベランダに出たのよ。そしたら、植木鉢の一つに引っかかって、割っちゃったの」

 娘はすぐに尋ねた。

「怪我はなかったの?」

「うん。大丈夫よ。だけど、散らばった破片も、ひっくり返った土も母さんには見えないじゃない。ちょうど、有水さんが来ている時だったから、お願いして片付けてもらったのよ。そしたら、さっき宇城さんとお話ししている時に、その話になって、ベランダを見てもらったのね。宇城さんが言うには、まだ、土やら破片が残っていたらしくて……」

 娘は目を丸くした。

「ええ。まさか、片付けてもらったの? ベランダも」

「それは、さすがに悪いと思ったものだから、母さんもちゃんと断ったのよ。でも、宇城さんがやりますって」

「結局、片付けてもらったんじゃない……。はあ」

 娘は鞄と上着を持ったまま、項垂れた。

 母は言う。

「有水さんがやった後だから、そんなには無かったはずよ。手箒を右端の方に置いておきますって言っていたわ」

「ふーん」

 娘は向きを変え、リビングの横のサッシの方に歩いて行った。カーテンとレースを少し開けてベランダを覗くと、ベランダの床のタイルの隙間に、土が詰まって線が黒くなっている。ブラシを掛ける必要があるが、宇城には時間も無かったのだろう。明日、自分でやろうと思って顔を上げた娘は、今朝干した洗濯物が無い事に気付いた。

「あれ? 洗濯物は?」

 ソファーに座ったまま振り向いて、母は答えた。

「ああ、その時に、ついでに、宇城さんに取り入れてもらったのよ。本当に、親切な方よね。ほら、あそこ。綺麗に畳んでくれてある?」

 娘は速足てリビングの横の和室に移動した。そこには、綺麗に畳まれた洗濯物が重ねられていた。

「ええ! ウソでしょ。これ全部、影介に取り入れさせたの?」

 母は言った。

「宇城さんも困ってたけど、結局、取り入れてくれたのよ。でも、さすがは軍人さんよね。きちんとしてるわあ。有水さんなんか、取り入れても、畳んではくれないんだから」

 洗濯物の中には下着もあった。それらも綺麗に畳まれていた。

「ウソでしょ……。どうしてよ……もう、最悪」

 外村美歩は涙目のまま、畳の上に座り込んだ。



                  二十一

 次の日の朝も外村美歩はいつもとおり家事をこなした。水曜日に出すべき種類のゴミを出し、母の食事を手伝いながら朝食を簡単に済ませた後、二人分の食器を洗った。花瓶の水を替え、掃除機をかけ、母の箪笥の中の衣替えを手伝い、整理した。母が少し寒くなってきたと言うので、和室の押入れから中綿の布団を出し、母のお気に入りの掛け布団カバーの中に入れて、母の部屋に運んだ。それまで掛けてあった少し薄での掛け布団と入替え、その布団からカバーを外し洗濯機の中に入れる。布団をベランダに干し、ついでにリビングの中に飾ってあった植木鉢を並べて、水をやり、日に当てた。ベランダの床の汚れを思い出した外村美歩が隅の小さな倉庫からブラシを取り出す。すると洗濯機が音楽を鳴らした。ブラシを置き、浴室の脱衣所を兼ねた洗面所へと向かう。自動乾燥のボタンを操作して、一時停止し、布団カバーだけを外に出した。乾燥を開始し、リビングを通ってベランダに向かう。母が買ったばかりの香水の蓋が開けられないと言うので、その開け方を丁寧に教え、印として厚みのあるシールを蓋に貼った。シールの位置を母に説明していると、洗濯機が乾燥を終了する音楽を鳴らした。洗面所に戻り洗濯物を外に出す。布団カバーを中に入れると、もう一度乾燥ボタンを押した。湿り気を残した洗濯物を浴室の中に干し、紫外線照射と浴室乾燥のタイマーボタンを押し、ドアを閉める。リビングに戻った外村美歩は掛け時計に目を遣った。ベランダの掃除を諦め、台所へと向かう。花柄のプルオーバーの袖を捲くりながら冷蔵庫から食材を出し、シンクの上にまな板を置く。皮を剥いた人参やゴボウを細かく刻んでいくと、ボールに分けて入れた。

 炊き込みご飯の仕込を終え、炊飯器のスイッチを入れた外村美歩は、まな板の上で漬物を切っていた。端の方まで切り終えた頃、彼女の左目が青く光り、視界にイヴフォンの着信を知らせる表示が浮かんだ。外村美歩はタオルで手を拭くと、プルオーバーの丸襟に挟んだイヴフォンのボタンを押し、電話に出た。

「はい。――あ、局長。おはようございます」

 着信は森寛常行からだった。制服姿の彼の像がまな板の上に浮かぶ。

『おはよう。悪いね、早い時間に。今、話せるかな』

「ええ。大丈夫です」

『実はね、警察の人が来ているんだよ。警視庁の捜査一課。君の話が聞きたいそうだ』

「捜査一課? まさか、津留局長が?」

 森寛の像は首を横に振った。

『いやいや。違うと思う。さっき、警察庁の子越長官から連絡があってね。捜査協力を依頼されたんだよ。何でも、田爪博士の行方を追っているらしい』

「田爪博士? あの田爪健三博士ですか? 生きているんですか」

『そうなんだ。まあ、こりゃあ、渡りに舟……いや、とにかく、詳しい話は、直接、警察の方から聞いてくれ。君、すぐに出てこれる?』

 外村美歩は一瞬戸惑ったが、振り向いて炊飯器を見つめながら返事をした。

「ええ。分かりました。すぐに向かいます」

『じゃあ、僕が適当に繋いどくから。安全運転で来るんだよ。焦らなくていいから』

「はい。では、後ほど。失礼します」

 イヴフォンのボタンを押して通話を切った外村美歩は、急いでまな板の上の漬物をタッパーに移しながら、リビングの母に言った。

「母さん。ごめん、急用で今から出勤しないといけなくなったの。冷蔵庫にお漬物を切ってあるから、お昼は、それと炊き込みご飯で軽く済ませてもらっていい? もう、炊飯器に出来上がってるから」

 母はソファーから立ち上がりながら答えた。

「ええ。構わないわよ。何か、大変な事件なの?」

 娘は漬物を入れたタッパーを冷蔵庫に仕舞いながら答える。

「ううん。違うわよ。それに、もし、そうでも、言う訳無いでしょ」

 首の後ろに一本にまとめた髪を解きながら自分の部屋へと向かった外村美歩は、立ち止まり、リビングへと戻った。ドアを開け、母に言う。

「ああ、それから、ベランダの方、まだタイルの隙間が汚れているみたいだけど、私が週末にブラシを掛けとくから、ヘルパーさんに言わなくてもいいからね。頼んだら、それだけで時間を全部使っちゃいそうだから」

 母はダイニングテーブルの縁を触りながら歩いてきた。

「ええ。分かったわ」

 娘は自分の部屋に向かいながら言う。

「それと、布団カバーの乾燥は自動で終わるから、そのままにしておいて。皺にならないように、低温乾燥にしてあるから、少し時間が掛かると思う。布団の取り入れは、有水さんにお願いできるかな」

 母は娘を追って廊下を歩きながら言った。

「わかったわ。やってもらう。それより、そんなに急ぎなの。運転には気を付けるのよ」

「はーい。じゃあ、時間無いから、着替えるね」

 娘は自分の部屋のドアを閉めた。カーテンを閉め、いつものとおり濃紺の制服へと着替えると、髪を後頭部でまとめて留め、颯爽とした監察官の姿へと変身した。腕時計を見ながら自分の机に向かい、古いパソコンのマウスを動かす。使い込まれたキーボードを素早く叩くと、もう一度マウスを動かした。

 外村美歩が鞄を持って部屋から出てくると、廊下で母が心配そうな顔をして待っていた。外村美歩は母の横を速足で通ると、玄関で太いヒールの革靴を履いた。母は言う。

「気をつけるのよ。いつもと違う時間の運転だから」

 外村美歩は微笑んで答える。

「大丈夫よ。じゃあ、行ってきます」

「はい。何か分からないけど、頑張りなさいよ」

 娘は頷いてドアを閉めた。振り向いた外村美歩は、一度深く息を吐き、厳しい表情で前を見据えると、エレベーターへと歩いていった。



                  二十二

 国防省ビルの地下駐車場で車から降りてきた外村美歩は、通用口のドアの前で深呼吸をしてから、ドアを開けた。軍規監視局のフロアへと向かうエレベーターの中で、彼女はいろいろと思索した。田爪健三が生きているのだろうか。なぜ警察がウチに。私との面会を求めているという事は、津留局長や阿部大佐が絡んでいるのだろうか。だとすると、田爪健三がどう関係してくるのか。外村美歩には疑問が多過ぎた。

 軍規監視局のフロアに入ると、データ・サーバーの横に立っていた森寛が、入り口ドアの横の衝立の向こうを指差した。そちらを覗くとの手前の応接ソファーの奥の席にガンクラブ・チェックの上着を着た初老の男、手前の席に背広姿の少し若い男が足を広げて座っていた。向かいのソファーの奥の席には、二人よりも若く、外村と同世代の小柄な、やはり地味な背広姿の男が座っている。三人は外村に気付くとソファーから腰をあげ、挨拶をした。外村美歩も挨拶すると、三人の刑事たちと名刺を交換してから若い男の隣に腰を下ろした。初老の男が差し出した名刺には、「警視庁刑事部捜査第一課特命捜査対策室第五係」という長々とした表記の後、「警部三木尾善人」と記載されていた。退職前のいかにもベテランの刑事といった感じで、眼光も鋭い。その隣の威勢の良さそうな男は石原宗太郎という警部補だった。彼は足を開いてソファーに身を倒し、外村を睨みつけるように見ている。彼女の隣に座っている若い男は中村明史といい、巡査だった。

「早出させてしまったみたいですな。本当に、申し訳ない」

 三木尾警部は丁寧に話を切り出した。すると、石原警部補が外村から視線を外して言った。

「お昼からのご出勤とは、結構なご身分で」

 三木尾警部が石原を睨んだ。外村美歩は三木尾の顔を見て尋ねる。

「それで、どのようなご用件でしょうか」

 初老の刑事は、話し始めた。

 刑事たちの話しぶりでは、彼らは外村が到着する前に、軍規監視局の方で収集した事件に関係するデータを調べ終えているようだった。森寛局長が彼らの捜査に協力したようだが、彼女としては腑に落ちなかった。軍規監視局と警察・検察は共に捜査機関であるが、実際のところは、その縄張りを巡って互いに鎬を削っている。軍事情報が漏えいする事を避けるために、特別に軍内部に警察機能と検察機能を兼ね備えた軍規監視局が設けられている以上、軍人が軍内で犯した刑事事件に関する捜査は軍規監視局が捜査権を行使し、警察の介入を防ぐ必要があった。ところが、森寛局長はこの刑事たちに簡単に情報を提供していた。どのような経緯で局長がそうしたのか判然としなかったが、法曹であると同時に軍人でもある外村美歩としては目の前の刑事たちに慎重に接する必要があった。

 彼女が疑問に思う点がもう一つあった。刑事たちが追っている事件は、例の「田爪健三事件」に関する事らしい。外村が知る限り、この事件は田爪健三の死で事実上終わっているはずである。ところが彼らは、その田爪健三が生きていると言うのである。そうだとしても、なぜこの刑事たちは軍の方に話を聞きに来たのか。どういった法的根拠で。それに、自分が急遽呼び出されるほどに切迫した事情がどこかにあるのか。そもそも今捜査している阿部大佐の軍規違背事件とどう関係するのか。警察の越権捜査を適法とし得る法律上の要件に該当する事態があるということだろうか。外村美歩は多くの疑問を抱きながら、法曹として冷静に刑事たちに対応した。

 暫らく会話していると、外村の隣の中村巡査がテーブル越しに三木尾警部に耳打ちした。三木尾警部は突然、剣幕を変えて大声を出す。

「何い! 場所は」

 中村巡査が答えた。

「寺師町の入り口のイチョウ並木通りです」

 三木尾警部は立ち上がった。

「くそっ! 行くぞ!」

 三木尾警部は、横で座ったままの石原警部補の長い足を蹴った。

「な、何すか、急に。どうしたんです?」

 石原警部補は不機嫌そうな顔でソファーから腰を上げた。外村美歩もソファーから立ち上がり、横に退いた。奥に座っていた中村巡査が外村に一礼して、前を通る。石原の背中を突き飛ばしながらドアの方に向かっていた三木尾警部は、立ち止まって外村の方を向くと、敬礼して早口で言った。

「ああ、失礼しました。事情が変わりましてね。どうやら、悠長に法律談義している場合じゃないようだ。この件で新たに拉致されたか殺された者が出た可能性がある。また、後日に連絡しますよ。今後とも、ご協力をお願いいたします。とにかく、今は急ぎますので、それじゃあ」

 三人の刑事たちは慌しく廊下へと出ていった。外村美歩は眉間に皺を寄せて半ば呆然と三人を見送った。

 大きく息を吐いた外村美歩は、そのまま自分のオフィスへと向かった。刑事たちとの会話に聞き耳を立てていた事務員たちは、カウンターの向こうから外村監察官を目で追っている。外村美歩は疲れた顔で部屋の中に入っていった。

 外村美歩が執務机で立体パソコンを立ち上げていると、ドアがノックされた。返事をするとレジ袋を提げた森寛常行がドアを開け、入ってきた。

「お疲れさん。大変だったね。疲れたでしょ。外部の捜査官を相手に話すの」

 外村美歩は椅子から立ち上がって答えた。

「ええ。まあ。いろいろと、気を使いますね」

 森寛常行は外村の机の前の応接椅子の横に移動すると、そこを指差して外村に尋ねた。

「ここ、いい?」

「ええ。どうぞ」

 外村美歩は不思議そうに返事をした。森寛常行はソファーに腰を下ろしながら言った。

「なんか、随分と慌てて出て行ったな」

「ええ。どうやら、外で被害者が出たようです。こちらも、急がねばならないかもしれません。どうも、国防軍内部に事件関係者がいるようです」

 森寛常行は溜め息を漏らした。そして、レジ袋を持ち上げて外村に見せ、言った。

「ああ、そうだ。これ。はい。お弁当」

「え?」

「下の売店から買ってきたんだ。出来たてだよ。ちょっと、お昼には早いけど、先に食べてしまおう」

「あ、でも……」

 森寛常行はレジ袋から取り出した缶のお茶を小さなテーブルの上に二本置くと、その横にプラスチック製の弁当箱を二つ並べた。

「いいから。僕の奢りだ。早出させちゃったからね。それに、君、いつも昼食を取ってないだろ。十二時前に出勤して、僕らがお昼休みの間もデスクで仕事してるじゃないか。家では、お母さんの分を作ってから出てくるんだろ。いつも、昼食を食べる時間が無いんじゃないかと思ってね。もし、そうなら、今日ぐらい、ちゃんと食べなさい。体を壊すぞ」

「すみません。お気遣いいただき……」

「いいから早く座りなさい。冷めちゃうよ」

 森寛常行は外村の発言を遮り、自分の弁当の蓋を開けながら手を振った。

「あ……はい。じゃあ、遠慮なく」

 外村美歩は申し訳無さそうに、上司の向かいのソファーに座り、弁当の蓋を開けた。森寛常行は缶の蓋を開けながら言う。

「何だ。やっぱり、田爪の奴、本当に生きているみたいだね」

 外村美歩は、割り箸を割る手を止めた。目を向ける外村に気付いた森寛常行は、啜ったお茶の缶を置くと、言った。

「ああ、ごめん。聞こえちゃった」

 そう言った森寛常行は、黙って弁当を食べ始めた。外村美歩は割った箸を握った手を下ろして、森寛に話した。

「しかし、その件と、私たちが追っている阿部大佐と津留局長が、本当に関係してくるのでしょうか。どうやら、警察はストンスロプ社に矛先を向けているようですが、一方で、軍の者が田爪健三の蔵匿に関与していると考えてもいるようでした」

 森寛常行は口の中に御飯で膨らましたまま、外村の顔を見た。

「軍に田爪が? いやあ、それは無いだろう」

「どうしてですか」

 お茶を飲んで御飯を流し込んだ森寛常行は、箸で外村を指しながら言った。

「だって、それなら、情報局がとっくに事実を把握しているはずだ。そして、奴の身柄も警察に引き渡しているだろう。今の国際情勢からすると、奴を国家機関が匿う事が一番まずいじゃない」

「だから、ストンスロプ社を使っているという事も考えられませんか。民間企業に匿わせれば、軍の関与を否定できますから」

 外村の指摘に、森寛は眉を寄せた。箸を握ったままの手で揚げ物に小袋の醤油をかけながら、森寛常行は言った。

「じゃあ、上層部が組織的に不法行為をしていると。でも、もしそうなら、情報局も関係しちゃってる可能性が出てくるじゃないか。そしたら……」

 森寛常行は醤油の袋を置き、外村の顔を見た。外村美歩は居住まいを正したまま森寛の顔を見て言った。

「私の私的な人間関係は、考慮に入れないで下さい。宇城大尉も、必要があれば尋問の対称にしなければならないかもしれません。個人的には、疑いたくはありませんが……」

「外村君……」

 弁当の蓋の上に静かに箸を置いた森寛常行は、ソファーの背もたれに身を投げた。外村美歩は黙って弁当に箸をつける。森寛常行は腕組みをして暫らく天井を見上げていたが、突然、激しく頭を掻いて声を上げた。

「ああ。分かった。駄目だ。仕方ない」

 ミートボールを口に入れていた外村美歩は、顔を上げると、左手で口元を隠しながら言った。

「どうされたんですか。急に」

 森寛常行はソファーの背もたれから背中を離し、両膝を強く叩いて音を鳴らすと、溜め息を吐いた。そして、怪訝な顔で咀嚼したままこちらを向いている外村の顔を見て言った。

「いやね。黙っとこうと思ったんだが、もう、言うよ。こんな事で、君らの結婚がパーになったら、何か寝付き悪いからな」

 外村美歩は何度も瞬きして、口の中の物を急いで飲み込んだ。森寛常行は言う。

「実は、昨日、上層部に呼ばれたんだ。ああ、こっちか」

 森寛常行は、一度、指先を上に向けると、その指先を下に向けた。それを見た外村美歩は、森寛が指差した床に目を落とし眉間に皺を寄せたが、すぐに顔を上げると、目を大きくして森寛を見た。

「地下の作戦会議室ですか。特別シェルターの」

 森寛常行は口の前に人差し指を立てて声を殺した。

「シー。絶対に、誰にも言うんじゃないよ。いいね」

 外村美歩は頷いた。そして、彼女も箸を置いた。森寛常行は声を忍ばせて外村に話した。

「実は、総理も、ウチの上層部の一部の人間も、田爪が生存していて、既に入国している事実は知っているんだ。だから、警察が彼を探しているのかもしれない」

「総理も……」

 外村美歩は眉間に皺を寄せたまま、目を大きくした。森寛常行は頷く。

「そ。昨日、下に総理も来ていてね。言われたよ。今度の阿部大佐への捜査を中止しろってね」

「どういう事ですか」

「うん。どうも、SAI五KTシステムの一方のコンピュータ、ええと、BQだっけ、何だっけ……」

AB〇一八エービーゼロイチハチですか」

「そう。そいつ。そのAB〇一八が、暴走しちゃって、もはや誰も管理できない状態らしいんだ。だから国防軍としては、第四防衛空間を守らせているもう一つの巨大コンピュータの方……」

IMUTAイムタ

「そうそう。そのIMUTAをAB〇一八から切り離そうと、躍起になっているんだよ。それで、そのために田爪を必死で探しているみたいだ」

 外村美歩は腑に落ちない顔で森寛に尋ねた。

「技術部隊は何をしているんですか」

「いや、それがさ、AB〇一八は随分と手強いらしいんだよ。あのIMUTAさえも、完全に支配するほどに成長して、演算速度を加速させ続けているそうなんだ。だから、軍の技術局では、まったく対処できないみたい。だいたい、ネットワーク自体が、全て乗っ取られているみたいだからな。ウチのデータ・サーバーをオフラインにしていて、よかったよ。手作業が面倒でも、規則は守っとくものだね。うん」

 森寛常行は箸を手に取ると、再び弁当を食べ始めた。外村美歩は、首を傾げながら更に尋ねる。

「それなら、戦術部隊は。神経ケーブルをすぐに切断すればいいのでは」

 森寛常行はサラダを食べながら答えた。

「それも駄目だそうだ。演算速度の増したAB〇一八は、こっちの行動を予測して先回りできるだけじゃなくて、ネットワークを利用して、事物の変化そのものも操作できるらしい。『時の流れ』を支配できるんだそうだ。化け物だよ、あいつ」

「時の流れって、そんな……」

 森寛常行は肉じゃがと御飯を頬張りながら、箸を振って説明した。

「だから、軍としては、どうしても田爪の力が必要という訳。奴じゃないと、AB〇一八は止められないと本気で思い込んでいる。と言う事は、もし、国防軍が組織として田爪の身柄を確保しているとしたら、すぐに作戦実行に移っているはずだろ。しかし、昨日、僕が呼ばれて聞かされた説明では、現状がそうではないという事だった。つまり、我が国防軍も国防省も警察も田爪の行方を捜しているという事は、政府そのものが未だ田爪の行方を探し出せていないという事さ。だから已む無く上層部では、AB〇一八を戦術標的ターゲットにした攻撃作戦を極秘に立案中のようだ。現在でも上層部間の連絡は全てオフラインで直接接触方式の伝達になっているらしい」

「しかし、私たちには何の指令も下りていませんし、実際にこうしてネットワーク通信を使用していますが……」

 外村美歩は自分の机の上の立体パソコンを指差した。森寛常行はお茶を飲んでから、彼女の疑問に答えた。

「この件に関わっているのは、一部の官僚と武官だけ。その一部の人間同士の連絡はオフラインって事。で、外には漏らさない。つまり、完全な密室作戦さ。事態が事態だからね。緊急手段で違法性は阻却って事なんだろうね。昨日だって、通常の指揮系統を無視して、総理の信頼が厚いと思われる人間だけが、その場に集められていたよ。でも、その中に津留の姿は無かった。阿部大佐も」

 箸を持った手を膝の上に載せた森寛常行は、外村の顔を見て言った。

「僕は、こうして、君に話しちゃったけどさ。きっと、宇城の奴も増田局長からは何も聞いていないと思うよ。まあ、AB〇一八やネオ・アスキットの事くらいは調べていたかもしれないけど。あいつも偵察部隊の一員だから。でも、それを君に黙っていたとしても、それは仕事上の義務で、別に君に嘘をつくとか騙すとかいうつもりじゃあ……」

 外村美歩は森寛の話の途中から、真剣な顔で口を開いた。

「そんな事より、いま仰られた『ネオ・アスキット』とは、何なのですか?」

「ありゃ。しまった」

 森寛常行は箸先を口に入れて止まったまま、外村の顔を見て瞬きした。外村美歩は真顔で言う。

「局長」

 箸を下ろした森寛常行は、顔を横に向けたまま目線だけ外村に向けて言った。

「本当に、誰にも言うなよ」

 外村美歩は黙って頷く。森寛常行は話し始めた。

「なんでも、『ネオ・アスキット』っていうASKITの残党組織が、水面下で反乱の準備をしているそうなんだ。構成員は各省庁内、財界などに潜伏していて、この国防軍の内部にも潜んでいるらしい。津留局長や阿部大佐がその組織の一員なのかは、まだ上層部も掴めずにいるようだ。でも、上層部の話では、どうも阿部大佐は別口みたいだな」

 外村美歩はすぐに尋ねた。

「別口とは?」

 森寛常行は片眉を上げると、話を続けた。

「阿部大佐は阿部大佐で、独自に、この混乱に乗じてAB〇一八を手中に収めようと狙っているのかもしれんそうだ。上層部としては、こんな時に国防軍最強の最新機械化部隊を敵に回したくはない。だから、何としても阿部大佐を説得したいみたいなんだ。それに、もしネオ・アスキットが実力行使に出た場合、阿部大佐の率いる十七師団を使って奴らを排除したいとも考えているらしい。まあ、たぶん何か、政治的思惑があるんだろうが、辛島総理にしてみれば、十七師団には、まだ利用価値があると考えているのさ。それで、その邪魔になる君の捜査を中止させたくて、僕を呼び出したんだろうね」

「私は、ネオ・アスキットの事は、今初めて知りましたが……」

「うん。そっちの捜査の事は何も言われなかった。だから、潜伏者の炙り出しは、やらないといけないんじゃないかな。ま、増田さんの所がやってるだろうけど」

「……」

 外村美歩は視線を落としたまま、黙っていた。森寛常行は外村の深刻な顔に何度か目を向けると、彼女に言った。

「いや、僕もね、いつかは話そうとは思っていたんだよ。でもさ、最上級機密事項って言われちゃうと、ねえ」

 箸先に左手を添えてソファーの背もたれに身を倒した森寛常行は、外村の顔を見ながら話し続けた。

「それにさ。身内の中に裏切り者が潜んでいるって事になると、いろいろと危険じゃないか。だから、正直、君を説得して、阿部大佐や津留局長の捜査を止めさせようかとも思ったんだよ。でもさ……」

 顔を上げた外村美歩は、森寛の顔を見据えて尋ねた。

「でも、何ですか」

 森寛常行は外村の目を見据え返して言った。

「それも、ちょっと、何かおかしいじゃないか」

「……」

 外村美歩が黙っていると、森寛常行はじっと外村の目を見て語った。

「君の報告だと、ストンスロプ社が一枚も二枚も噛んでいる可能性があると言うのだろ。一国の軍隊に民間企業がだよ。影で何者かが国防軍を仕切っているのだとしたら、それがストンスロプ社だろうと、ネオ・アスキットだろうと、総理お抱えの秘密の作戦本部だろうと関係ないよ。そんなんじゃ、民主的文民統制なんて絵に描いた餅になるじゃないか。だいたい、国防省内部で、捜査機関である我々に圧力をかけたり、また、それに屈して相手の顔色ばかり伺う監察官がいるんじゃさ、もう、軍内部の統制なんて目茶苦茶になってしまうよ。まして、国民の命を守るはずの軍隊が、国民を不法に大量抹殺した男の力を、こっそり借りようなんて、どうも違うだろう。そいつがどれだけ天才か知らんが、一旦、警察に逮捕してもらって、軍が国防上の必要から、身柄の引き渡しを要請する、それが筋だろうに」

 外村美歩は眉を寄せて言った。

「しかし、そんな悠長な事をしていては、AB〇一八を停止させる機会を失してしまうのでは……」

 森寛常行はソファーの背もたれから背を離すと、厳しい顔で外村に言った。

「おいおい。君まで、どうしたんだ。そんな事を心配して。いいかい、もし、今、上層部がやっているように直接伝達方式で作戦指揮伝令を実施しているというのなら、その同じ方法で、田爪逮捕後に、彼の引き渡しの手筈や、他省庁との連携を取ればいいんだよ。阿部を超法規的に利用するというのなら、一度、真っ当に逮捕してから、特赦で解放して、また軍人として働いてもらえばいい。何も、今、コソコソ裏取引をする必要はない。と僕は思う。それに、こういう時にこそ、きちんと守るのが『法』ってものだろう。こういう時のために、『法』ってものはあるんじゃないか。緊急事態や特別な時に、人々の判断が鈍った時に、どうするのかを前もって決めておく。間違わないように。文章にして書いておく。それが法律とか法規ってやつじゃないか。コタツの上では、平等主義だとか、民主主義だとか、罪刑法定主義だとか適正手続きの保障だとか、いくらでも言えるさ。窮地に立たされた時に、これらを判断の基準と出来るかが、常に問われているんじゃないか。そして、これらの判断基準を具体化したものが法律や規則だ。ルールは、人が普通に判断できない時のためにある。道標みたいなものさ。それに、ルールは普段から守られるようにしておかないと、いざという時に機能しなくなる。だから、僕ら法曹がいる。人々に法を遵守させなければならない。内部規則を破って、軍や政府や議会に隠して武器弾薬を抱え込んでいる軍人は、やはり、その行為をもって処罰されないといかんだろう。その軍人がどんなに優秀でも、その目的が何であっても、今がどんな緊急事態であっても。それなのに、総理を始め、上層部の連中も、法律や規則を無視して、どうも一戦交える方向で考えが固まっている。兵甲を避けようとは考えていない。本来、こういう時こそ、法律が機能しないといかん訳でしょ。そうでなきゃ、戦闘機や戦車や軍艦を使っている人間の集団を誰がどうやって統制するんだ。僕ら監察官は、その為にいるんだろ。阿部を逮捕起訴してからでも、彼を国防軍が使用する方法はいくらでもあるはずだ。秘密の作戦会議を開いて議論を重ねて知恵を働かすのなら、どうして、そういう事に時間と労力を注ぎ込まないのかね。総理でも、津留局長でも、阿部大佐でも、軍規や法規に違反していたら、速やかに手続きに則って処罰されるべきだし、その手続きで国民が危険に晒されるようなら、大至急、『その手続き』を変えるべきだ。そっちに労力を費やした方がいい。これが僕の正義感だ。余計な知恵を働かして、その場しのぎでやるから、いつも問題は先送りにされるんだよ」

 森寛常行は、いつになく憤慨した様子を見せた。少し驚いた顔をしていた外村に視線を向けた森寛常行は、自分の制服の襟の色あせた監察官のバッジを指差して言った。

「このバッジ、何の花を模っているか知っているだろう?」

 外村美歩は真新しい自分の金色のバッジを見つめながら答えた。

「ええ。一薬草いちやくそうの花らしいですね」

 森寛常行も自分の燻し銀に変色したバッジを見ながら言った。

「そうだ。他の法曹からは、そんな花知らないと馬鹿にされるけど、いやいや、どうして、結構な花なんだ。山の中の森の奥にひっそりと咲いている小さな草の花だが、多年草で冬も枯れない。根も丈夫で葉も厚く強い。解毒作用もあってね、怪我の消毒や治療、止血剤としても古くから使われてきた薬草だ。昔の人は毒蛇に噛まれた時、この花の葉をもんで絞った汁を傷口に付けて、命を守ったそうだ。目立たなくても、効能がある花として人々を助けてきた訳だよ」

 森寛常行は外村の襟元を軽く指差して、彼女の目を見て言った。

「この花が僕ら監察官のバッジのデザインに採用された理由が分かるだろう?」

「……」

 外村美歩は黙って自分のバッジを見つめていた。そして、顔をあげ森寛を見ると、彼は頭を掻きながら落ち着かない様子で座り直しながら言っていた。

「あれ……なんか、僕、熱く語り過ぎちゃったね。いや、とにかく、警察の方が田爪を確保してくれるだろうから、僕らは彼らと連携して、軍内の犯罪者をいつも通りに取り締まればいいんだよ。上層部が何と言おうと。それが、この国の憲法の理念さ。国民が決めたルール、それに従えばいい。僕らは法曹で、法律家だ。政治家や活動家じゃないだろ」

 外村美歩は黙って上司の顔を見つめていた。森寛常行は視線を弁当に落としたまま、外村の前に手を出した。

「さあ、ほら。食べて、食べて」

「――はい」

 外村美歩は箸を取り、弁当の箱を膝に乗せて食べ始めた。シンプルな幕の内弁当であったが、彼女の腹の中には真っ直ぐに入った。外村美歩の空いていた腹は満たされていった。そして、それらは彼女に活力を与える。二人は対座したまま、暫らくの間、黙々と弁当を食べた。

 やがて二人とも食べ終わると、森寛常行は空の箱に蓋をしながら言った。

「でも、ネオ・アスキットだけは、要注意ね。敵の影が見えない状況っていうのが、一番危険だから。気を付けてな」

 過去に実戦部隊に所属していた経験がある森寛らしいアドバイスだった。外村美歩は真剣な顔で頷くと、缶のお茶を一口飲んでから、森寛に尋ねた。

「そういえば、局長は坂口統一郎さかぐちとういちろうという人物は、ご存知ですか。さっき来た刑事さんたちの話しでは、調達局の事前調査部に所属しているそうなんですが、記録が無いんです。どうも、彼らがここに来る直前に、記録が抹消されたみたいで……」

 口の前でお茶の缶を傾けたまま外村に視線を向けていた森寛常行は、缶を下ろすと、握っている手の人差し指を外村の方に向けて言った。

「そりゃ、事前調査部の『凧』だな。間違いない。糸を切られたか。坂口、坂口……」

 森寛常行は缶を額に当てながら記憶を探っている。

「ですよね。やっぱり……」

 外村美歩は、そう言った。

 森寛が言った「凧」とは、国防省が国防兵の中から選抜した人材を省や軍から切り離して活動させる密偵要員の事である。国防軍から形式的に除隊扱いとなった彼らは、外部の民間人として装いながら、国防省から裏の指示を極秘に受け、国防省や国防軍が表立って活動できない事を実行する。形式上は外部の契約業者に過ぎない彼らは、国防省から糸で操られる「凧」と呼ばれた。「凧」は高額の報酬で雇われる反面、任務に失敗したり、何か問題が生じた場合には、国防省内の契約記録は全て抹消されて、活動そのものが無かった事にされ、見捨てられる。つまり、糸を切られるのである。非常に危険な立場で任務を遂行する「凧」には、それに耐え得る精神力と軍事技術、経験を有する人材が選抜されていた。勿論、それらの行為は違法であるし、脱法行為でもある。国防軍規則でも明確に禁止されていた。しかし、実際に「凧」は幾つも上げられていて、その事実は知られていた。ただ、怪しい人物との契約が軍内にあったとしても、それが「凧」であるという証拠を見つける事は誰にも出来なかった。

「ちょっと、待ってなさい」

 ソファーから立ち上がった森寛常行は、握ったお茶の缶で自分の後頭部をコツコツと叩きながら、外村のオフィスから出て行った。外村美歩は二人分の弁当箱を重ね、レジ袋に入れて口を縛った。空の缶と紙袋に入れた割り箸をその上に載せると、ゴミの入ったレジ袋を持ってソファーから腰を上げ、事務フロアへと向かった。昼休み前のフロアでは、女性事務員たちが昼休みを待ち遠しそうに、業務に取り組んでいた。外村美歩は一足先に取った昼食のゴミを抱えて、気まずそうに彼女たちの机の間を歩いた。外村美歩は監察官たちのオフィスのドアが並んでいる壁の反対側の、局長室と資料保管室の間の狭い給湯室に向かうと、中に入り、ゴミを分別して捨てた。給湯室から出てきて、事務員たちの矢のような視線を感じながら、自分のオフィスに戻ろうとすると、局長室から出てきた森寛常行の声が聞こえた。

「ああ、あった、あった。やっぱり、ウチのデータ・サーバーに残ってたよ。何か、聞き覚えがある名前だと思ったんだよな」

 森寛常行は薄型の立体パソコンを近くの事務員の机の上に置くと、外村を手招きした。外村美歩が歩いてくると、森寛常行はパソコンの上に表示させたホログラフィー文書を指差しながら言った。

「ほら、こいつ。坂口統一郎。以前、ある国会議員の自宅に侵入して、窃盗未遂を働いた容疑で取り調べた事があったんだ。勤務時間外だったから、通常起訴したんだけど、結局、泥酔状態で、自宅と間違って侵入したんだって事で、窃盗も住居侵入も無罪になった」

 それは、坂口統一郎に関する捜査の一件記録だった。彼が従軍していた頃に取り調べた記録である。外村美歩は、その隅に表示された軍服姿の坂口の顔写真を見て、声を上げた。

「この男、昨日、私の後ろを歩いていました。カフェにも居て、そこからも、ずっと付いて来ていたような……」

 森寛常行は眉間に皺を寄せた。

「本当か。じゃあ、君の事を尾行していたという事か」

「ええ、たぶん。それに、気のせいかもしれませんが、どうも以前にも見たような気がして。この大きな目と耳……」

 深刻な顔をして話している二人を余所に、事務員たちはヒソヒソと話し始めた。

「カフェ? なに? 仕事中にカフェに行ってたの?」

「信じらんない。局長に『お茶して来い』って言われて、ホントにお茶してた訳? しかも、カフェで。ウソでしょ」

「さっきの刑事さんたちへの対応で少し見直したのに、あーあ残念」

 事務員たちが囁く声を聞いた外村美歩は、横の局長の顔を一瞥して、下を向いた。確かに、彼女たちの言うとおりであった。外村美歩は本当にお茶をしに出かけた自分を恥ずかしく思った。森寛常行は大きく咳払いをして、事務員たちを黙らせた。そこへ、廊下からの入り口のドアが勢い良く開き、繋ぎ服を着た若い男が入ってきた。

「失礼しまーす。あのう、監察官の外村大佐殿はおられますか」

「はい」

 返事をした外村美歩は、見知らぬその男に顔を向けた。男は胸と腕に真新しいウイングマークのワッペンを付けている。男は背筋を正すと敬礼して、大きな声で言った。

「輸送隊航空士の下村であります。山口中尉の命で、大佐をお迎えにあがりました。屋上にオムナクト・ヘリの準備が出来ております」

 森寛常行が手を上げた。

「ああ、ご苦労さん。宜しく頼みますね」

 そして外村に言った。

「ほら、準備ができたみたいだ。急いで、急いで」

 外村美歩は森寛に急かされて、速足で自分のオフィスへと荷物を取りに行った。外村美歩が居なくなると、女性事務員たちは、またヒソヒソと話し始めた。

「オムナクト・ヘリ? 山口中尉って、あの『ヤマケン』さんでしょ。ってことは、幹部送迎用のオムナクトじゃないよ。何様?」

「いいなあ、私もオムナクト・ヘリに乗ってみたーい」

「あれは三六〇度の旋回ができる機体なのよ。あんたが乗ったら、規定体重オーバーで落ちちゃうでしょうが」

「どうせ、総合空港とかに行くんでしょ。なんで三六〇度も旋回するのよ。ていうか、私、二キロ落としたんですけど」

 森寛常行は再度、大きく咳払いをした。口を噤んだ事務員たちが首を窄めて仕事に戻ると、オフィスのドアを開けて、鞄を提げた外村美歩が出てきた。彼女はカウンターの外から森寛に言った。

「じゃあ、局長。とにかく、私は多久実第二基地に行ってきます。中を視察するのは、どの道、必要でしょうから」

 森寛常行はカウンターの方に歩きながら、真顔で外村に言った。

「そうだな。くれぐれも、気をつけて」

 外村美歩と森寛常行はカウンターを挟んで立ち、黙って頷き合った。廊下への出口の方に向かおうとした外村美歩は、立ち止まり、森寛に敬礼してから言った。

「あ、お弁当、ご馳走様でした。それから、勇気も」

 手を下ろして一礼した外村美歩は、若いパイロットと共に廊下へと出て行った。ドアが閉まると、森寛常行は、背後でお弁当の事をヒソヒソと話している事務員たちの方を向き、大きな声で言った。

「君達も、少し早いけど、昼休みに入っていいよ。その代わり、十二時半には戻ってきてくれるかな」

 事務員の一人が不満そうに言った。

「ええ。十二時半ですかあ」

 森寛常行は軽い口調で、しかし、真剣な目をして、彼女たちに言った。

「うん。今日は、そうしてもらうえるかな。ちょっと忙しくなるかもしれないからね。あ、僕は情報局に顔を出してくるね」

 続いて彼は並んでいるドアの方に向かって、大きな声を出した。

「監察官のしょくーん。仕事ですよお」

 暫らくすると、それぞれのドアが開き、中年の監察官や、ショートヘアーの女性監察官、太った監察官、背の高い監察官と若い長髪の監察官が出てきた。森寛常行局長は、指示を発した。

「君たち、大至急手分けして、捜索差押協力指令の発布許可申請書を作って」

「勘弁して下さいよ。手一杯なんですから」

 ショートヘアーの女性監察官がそう言うと、長身の監察官が森寛に尋ねた。

「どこに『ガサ入れ』するんですか」

「調達局」

 淡々と答えた森寛の言葉を聞いて、監察官たちは顔を見合わせた。

「調達局? 正気ですか。昨日、やられたばかりじゃ……」

 中年の監察官が訊き返すと、森寛常行は強い口調で言った。

「だったら何なんだい。ここは軍規監視局だろう。軍規違反があれば、見逃す訳にはいかない。相手が誰だろうと、職権を行使する。それが我々、監察官だ。違うかい?」

 森寛常行は廊下に出る出口のドアへと歩いて行くと、ドアを開けたまま振り返り、怪訝な顔をして輪になっている監察官たちに言った。

「あ、それから、誰か地裁の刑事部に提出する書類を作っておいて欲しいんだ。電気通信方式による緊急令状発布の申請書を。資料はそのパソコンの中に入ってるから、適当に開いて。とにかく、大至急、頼むね」

 森寛常行はドアを閉めて出て行った。監察官たちは顔を顰めて、首を傾げる。すると、再びドアが開いた。森寛常行が顔を出し、言った。

「君達がモタモタしていて、外村監察官が殺されちゃったら、君たちのせいだからね。急いでくれよ」

 ドアは激しく閉められた。



                  二十三

 国防省ビルの屋上に一機のオムナクト・ヘリが四方の回転翼「オムニローター」を緩やかに回したまま停まっていた。航空士の下村剛と共に外村美歩が階段を上がってくる。二人は強い風を避けながら、飛行の準備をしているオムナクト・ヘリに近づいていった。ヘリのコックピットにはキャップの上からヘッドセットを被った中年の男が座っていた。男は太く短い首を回し、少し開けたドアから頭を出して後ろを覗くと、大きな声で言った。

「おお、外村ちゃん。また、一段と女に磨きがかかったじゃねえか」

 コックピットの横に来た下村剛は、パイロットの山口健士に言った。

「師匠。それセクハラですよ。上官に何言ってるんですか。マズイですよ」

 山口健士は大声で下村に怒鳴った。

「お前の、その発言はどうなんだよ。この半人前が。無駄口叩いてる暇があったら、さっさとフライト・シミュレーターの中に戻れ。まだステージ五だろうが」

「はい。後でちゃんと戻りますよ。あ、大佐、そちら、段差がありますから、気をつけて下さい」

 下村剛は機体の側面のハッチから乗り込もうとしていた外村のところに駆け寄った。外村美歩は下村の補助を受けながら機内に乗り込むと、キャビンの中を前方に進み、コックピットの中の熟練パイロットに言った。

「ヤマケンさん。お久しぶりですね。今日は、宜しくお願いします」

 山口健士は親指を立てて見せた。

「おう。任せとけって。おい、下村、さっさと閉めろや!」

「はい。では、閉めまーす。大佐、ハッチから離れて下さい」

 下村剛は大声でそう言うと、外から側面のスライドハッチを閉めた。そして、機体前方に向かい、コックピットの横に立った。コックピットの中から山口健士が怒鳴る。

「お前、俺が戻ってくるまでに、ステージ八までは、行っとけよ。分かったな」

「了解です。師匠。ロック、外します」

 下村剛は身を屈めて機体の下に潜り込み、機体とコンクリートの床を繋いでいた器具を操作した。そして機体の前に立つと、手でサインを送りながら叫んだ。

「固定ロックを解除しましたあ。師匠、ドアが半ドアですよ。誘導兵が待ってますから、急いでください」

 山口健士はドアを開けて、強く閉めながら怒鳴った。

「分かってるよ。早く、そこをどけ。邪魔だ」

 下村剛は横に走って機体から離れた。シートベルトを締めた山口健士は操縦桿を握ると、口の前のマイクに向かって言った。

「それでは、当機はこれより上昇しまーす。ご乗客の外村ちゃんは、座席に御着座くださいませえ」

 外村美歩はクスリと笑いながら、コックピットのすぐ後ろのシートに座った。山口健士は次々に操縦パネルのボタンを押していく。

 オムナクト・ヘリは機体から四方に延びた支柱の先で、それぞれのオムニローターの角度を細かく変えながら、各プロペラの回転速度を上げた。そこから吐き出された風が強くコンクリートの床を打つ。ヘリはゆっくりと体を浮かせ、風を掴んで上昇していく。赤い誘導棒を振っている兵士の姿と、手を振る下村剛の姿がどんどん小さくなっていった。国防省ビルの屋上が掌に乗る程の大きさに見えるまで上昇すると、そのオムナクト・ヘリは水平に方向転換し、更に回転翼を強く回して、北東へと飛行を始めた。

 山口健士は短い腕をキャビンの方に出して、その手に握ったヘッドセットを外村に差し出した。

「こいつを付けてくれ。パイロット用だから、外村ちゃんには少し大きいかもしれねえが、俺の美声はよく聞こえるぜ。ちょっとばかり、航空司令室からの通信が聞こえてくるが、気にしないでくれ」

 外村美歩は受け取ったヘッドセットを頭に被った。左右のスピーカーから、山口の濁声が聞こえてきた。

「どうだい、外村ちゃん。前より、一段とエレガントになっただろ。ここの所とか、本革だぜ。こいつは、今じゃ珍しい天然木だ。高かったんだぜえ」

 外村美歩は、対座する形で左右の壁際に並べられている革張りのシートの一番前の席から立ち上がり、コックピットを覗いた。相変わらず凝った内装にアレンジされている。軍のオムナクト・ヘリのコックピットが、まるで長距離トラックの運転席のように煌びやかに飾りつけられていた。外村美歩が呆れ顔でコックピットを見回していると、山口健士は副操縦士用の席の下を指差して言った。

「あ、そうだ。これ見ろよ」

「なんですか、それ。もしかして……」

「そうよ。ミニ冷蔵庫。いいだろ」

「……」

 山口健士はヘッドセットのマイクを通して監察官に確認した。

「このオムナクト・ヘリは、戦闘機じゃない幹部送迎用の通常機だから、別に軍規上も、問題ねえよな」

 外村美歩は困った顔で答えた。

「え、ええ……。ただ、航空法上は、どうだか……分かりませんけど」

「大丈夫、大丈夫。スーパー・ジャンボ・ジェット機とかにも、もっとデカイのが何台も乗せてあるじゃないか」

「それと、これとは……」

「中を見てみな」

 外村美歩は少し前に体を出して手を伸ばし、その小さな冷蔵庫の扉を開けた。

「うわ、アイスばっかり」

 山口健士は片笑んだ。

「俺の大好物のバニラアイスよ。基地に着陸した後の一口がたまらんのだな、これが。どうだい、一つ」

「あ、いえ。結構です」

 外村美歩はミニ冷蔵庫の扉を閉めた。山口健士は操縦桿を握りながら、下唇を出した。

「そうか。旨いのになあ。――ああ、なるほど。さては、ダイエット中だな」

 外村美歩はコックピットとキャビンを仕切る隔壁に掴まりながら、眉を寄せて言った。

「あの……内装を変えられるのは、操縦席だけにしといた方がいいですよ。乗せた幹部に見つかったら、何を言われるか……」

 山口健士は左手をパタパタと振りながら答えた。

「ああ、大丈夫。大丈夫。そこを閉めとけば、分かりゃしないって」

「はあ……」

「それより、外村ちゃん。結婚するんだって? やったなあ」

「はい。――え? 誰に聞いたんですか?」

「元空軍の一級戦術パイロットの情報網を舐めちゃあ、いけねえよ。相手は、あの宇城大尉なんだって?」

「そこまで……」

 外村美歩は肩を落として項垂れた。山口健士はニヤニヤしながら彼女に言った。

「いやあ、あれは、いい男だ。見た目も、中身も。しかも、偵察隊きっての凄腕ときている。いい男を引っ掛けたなあ」

「引っ掛けたって……」

 外村美歩は表情を曇らせた。山口健士は前を見たまま敬礼して言った。

「あ、これは失礼しました。大佐殿」

 溜め息を漏らしながらキャビンのシートに腰を下ろした外村美歩は、ヘッドセットで山口と会話した。彼女は言った。

「さっきの方、新しいお弟子さんですか」

「ああ、下村ね。青二才のくせして、態度だけはデカイんだよな。近頃の若者の特徴そのまま」

「でも、ヤマケンさんが弟子にするってことは、才能があるからなんでしょ」

「んん、まあまあだな。パイロットとしての勘はいいんだが、戦術飛行ってものを全く理解できねえんだよな。やっぱり、頭が悪いのかね。模型を使って教えても、解かんねえだよ。口を開けてるもんな。ポカーンと」

「熟練パイロットの飛行技術の伝承も、軍にとっては大切な業務ですから。しっかりお願いしますね」

「ああ、俺なりに努力はしてるんだけどな、なんか、バシッと伝わらないんだよな。ま、俺達も散々、ユトリ、ユトリって言われた世代だからな。気長にやるしかねえか……」

 外村美歩はクスクスと笑いながら鞄から取り出した薄型の立体パソコンを膝の上に乗せると、それからホログラフィーで表示させた「ノア零一」の資料を読み始めた。大きめのヘッドセットの角度を直して、彼女は山口に尋ねる。

「ヤマケンさん。『ノア零一』って、聞いた事あります?」

「ああ、来期から入ってくる新型の兵員輸送機だろ。何て言ったかな、プロペラ・スライド・システムだっけ。新型の回転翼制御システムを使っているらしいな。ヘリパイロットの間じゃ、ずっと話題に上がっているよ」

 外村美歩はホログラフィーの資料ファイルを捲りながら言った。

「陸・海・空の全てに対応できる汎用型らしいですよ」

「へえ。単座式のコックピットなのか?」

「ええと……普通のトラックみたいな感じですね。二人並んで座る。ああ、このオムナクト・ヘリと同じような感じです」

「どれ、見せてみな」

 外村美歩はホログラフィーで機体の図面を浮かべた立体パソコンをコックピットの中に差し入れた。山口健士は操縦桿を握ったまま、横目で何度か図面を見て、所見を述べた。

「ああ、操縦は機長がメインでやるんだな。後で、ゆっくり見せてくれ」

 外村美歩が膝の上に立体パソコンを戻すと、ヘッドホンから山口の声が聞こえてきた。

「しかし、それじゃ、戦車の操縦士に潜水艦とヘリも操縦しろって言ってるのと同じじゃないか。そりゃあ、神経感知型システムを入れないと、誰も操縦できねえよな」

 外村美歩はコックピットの方を見て尋ねた。

「ヤマケンさんは、神経感知型システムは使われていないのですよね」

「おう。見ての通り、マニュアル派だぜ。ずっと自分の勘で飛んでる」

「どうして、神経感知型システムを使用されないのですか」

「あれを搭載している機体を飛ばすには、電極付きのヘルメットを被ったり、特殊なパイロットスーツを着なきゃならんのだろ。パイロットの運動神経に連動しているから、機体の反応は早いのかもしれんが、あんなのを使ってたら、下村みたいになっちまう。俺は御免だね」

「でも、ほとんどのパイロットたちは、神経感知型システム搭載機じゃないと操縦できないんですよね」

「そうだな。素手で飛ばせる奴は、俺と下村以外では、少ねえな。情けねえ話しだぜ」

「実際のパイロットの兵士達の意見は、どうなんでしょう。『ノア零一』の導入には、あまり乗り気じゃないのでしょうか」

「そうでもないかもな。それが入れば、陸軍の戦車隊員とヘリパイロット、海軍の小型揚陸邸操縦士が垣根なく交代できるようになるからな。兵士の救出も成功確率が上がりそうだし、何より、量子出力エンジンを入れるかもしれないって話じゃないか。ま、パイロットとしては、一度、飛ばしてみたいと思うよな。勿論、神経感知型システムも乗せてあればの話だが。でも、兵員輸送機だとすると、スペース的にどうなのかね。神経感知型システムは、結構に場所をとるからな」

「実際に見た事はありますか? 実機を」

「いいや。残念ながら」

 外村美歩は胡散顔で首を傾げながら言った。

「現場のパイロットに公開もせずに、来期の導入って、ペースが早過ぎるんじゃないですか。せめて、テスト操縦くらいはさせないと、改善データも採れないですよね」

「そうだよな。でも、噂では、試作機が一機、完成しているらしいぜ。プレゼンでは、何度か飛ばして見せたり、水中航行も実演したらしい。インビジグラム装甲をさせるかどうかで、調達局と意見が合ってないって話も聞いた事があるなあ。でも、わざわざ透明化措置までする必要があるかね。それ、プラズマ・ステルス機能が装備されているんだろ?」

 外村美歩はホログラフィー資料の頁を捲りながら答えた。

「ええ。たぶん……そのようですね」

 さすがに兵器の専門家ではない外村には、資料からすぐに機体の装備を読み取る事は出来なかった。彼女が曖昧な返事をしたにも拘らず、山口健士は経験を基に返答した。

「なら、ホログラフィーを使うインビジグラム装甲で機体を透明にする必要はねえよ。表層ホログラフィー投影機能付きの不可視化パネルなんかで外装を覆ったら、その重さで飛べなくなっちまう。そいつ、回転翼の直径が小さいからな。それに、水中でも、水底に沈んだまま、航行は出来ないんじゃないかな。そしたら、ただの水陸両用の小型戦車じゃねえか。そんなのだったら、普通の戦車の方がマシだろ。その『ノア零一』は、最新式の連射砲を積んでいるみたいだが、あれは戦車に比べたら、玩具みたいなものだからなあ。たくさん兵士を乗せて運べる事くらいしか、利点はないよな」

 外村美歩は、山口がコックピットでヘリを操縦しながら一瞬だけ資料を見ただけであるのに、的確であろう指摘をした事に驚いた。だが、同時に疑問も抱いていた。外村美歩は立体パソコンをもう一度コックピットの方に出して、若い頃は戦闘ヘリのエースパイロットとして名を馳せたベテランパイロットの山口に尋ねた。

「あの、えっと、その点なんですけど、これ、見れます?」

 操縦桿を握ったまま、横目で何度かそのホログラフィーの図面を見た山口健士は、顔を顰めた。

「あん? なんじゃそりゃ。駄目じゃねえか、それじゃ。そんなモノを軍は本気で買おうとしてるのか。使えねえじゃねえかよ、それ。上は何をやってんだよ。俺が聞いた話じゃ、大金を支払ってまで、試作機の製造を随分と急がせたらしいぜ。まったく、無駄な事に税金を使ってくれるぜ」

「……」

 膝の上に再び立体パソコンを置いた外村美歩は、暫らく、そこに浮かんだホログラフィーの図面を眺めていた。

 二人を乗せたオムナクト・ヘリは、新首都の外れへと飛んでいった。



                  二十四

 新首都の隣県にある多久実たくみ市の南部に広がる多久実第二基地。そこの広い滑走路領域の隅に一機のオムナクト・ヘリが駐機していた。コックピットのドアが開き、革ジャン姿の小作りな中年男が降りてくる。

「よっ」

 地面に降り立った山口健士は空軍のロゴが入ったキャップを整えると、革ジャンの胸のチャックを上げながら機体の側面に移動し、スライド式のドアを開けた。機体のキャビンの中では、外村美歩が左目を青く光らせて宙を向いていた。山口健士は乗降口の横に立って基地の景色を見回しながら、彼女がイヴフォンの通話を終えるのを待った。

 外村美歩は親友の町田梅子と話していた。

「あ、もしもし、ウメ? ごめん仕事中に。今、話せる?」

『ああ、ちょっと待って。――うん。何?』

「あの、悪いんだけど、頼み事してもいい?」

『ん? どうした、何かトラブった?』

「ううん。実はね、今日、緊急の仕事で、もしかしたら帰りが遅くなるかもしれないのよ。私、昨日も残業で遅かったの。しかも、今朝は緊急に呼び出されて早出だったのね。だから、お夕飯の支度とか、何も出来てなくて。ヘルパーさん、五時で帰っちゃうから。もし、ウメが忙しくなかったら、母の事を頼めないかなと思って」

 山口健士は外村の様子を伺った。外村美歩は相手の返事を待っている。

『うん、いいけど。でも、ホカッチ。昨日、残業だったって、昨日は宇城さんと小母さんと三人で食事するって言ってなかったっけ』

「あ、あれ。流れちゃった」

『ええ! 何やってんのよ。あんた今は、宇城さんが最優先……』

「それから、私の部屋のパソコンが、たぶん電源を入れっぱなしなの。今朝、急に呼び出されてバタバタしていて。悪いんだけど、電源を落としといてもらえるかな。母さんの視覚障害者用のOSにあわせて、少し古いパソコンだけど、何とか、お願い。あまり長時間そのままだと、フリーズしちゃうかもしれないし」

『うん、わかった。とにかく、今日は寄らせてもらうね。事務所からなら、たいして遠くないし』

「ごめん。恩にきる。あ、炊き込みご飯を作ってあるから、よかったら、それ食べて」

『そう、気にしなさんなって。親友じゃない』

「ごめん、久々に会ったばかりで、こんな事頼んで。でも、他に頼めそうな人も居なくて」

『いいから、いいから。私は大丈夫だって。いや……今、ちょっとピンチかな。いやいや、何でもない。何でもない。ホカッチも大変そうだけど、頑張るのよ』

「うん。ありがとう。じゃあ、切るね」

 軽く口角を上げて胸元のコバルト・ブルーのネクタイに挟んだイヴフォンのスイッチを押した外村美歩は、鞄を持ってシートから腰を上げた。

「すみませんでした」

 補助を受けて機体から降りながら、外村美歩はそう言った。太いヒールの靴を地に着けると、濃紺の上着の裾を整えながら、周囲の景色を見回す。遠くまで広がる広い滑走路領域の周囲に鉄柵が張り巡らされていて、その向こうでフラッシュを炊く記者達の一団が目に入った。その近くに小銃を構えた迷彩服姿の兵士が二人立っている。視線を記者達のカメラが向いている方向に移すと、コンクリート建ての兵舎ビルの方から、一台のジープが走ってきていた。その手前に赤いティーシャツ姿に迷彩柄の戦闘ズボンを穿いた兵士が一人立っている。外村の横で怪訝な顔をして立っていた山口健士が呟いた。

「随分とのんびりしてるなあ。誘導兵も一人かよ。俺じゃなかったら、明後日の位置に着陸してたぞ」

 外村美歩は首を傾げて、そのジープが走ってくる方角に歩き始めた。山口健士もついてくる。外村美歩は振り返り、山口に言った。

「あ、中尉は、ヘリに居ても……」

 山口健士は革ジャンのポケットに両手を入れたまま肩をあげ、言った。

「いや、実は森寛大佐から、傍を離れないよう言われてるんだよ。ま、いわゆるボディーガードだな」

「でも……」

「ま、いいから、いいから。さ、行きましょうや。大佐殿」

 山口健士は先に歩いて行った。外村美歩は心配そうな顔で彼と共に歩き始めた。

 機体の着陸を誘導した兵士の前を二人が通る。その男の兵士は若く、丸刈りの頭の短い毛を金色に染めていた。赤い半袖シャツの袖から出た逞しい腕には、竜と剣のタトゥーが覗いている。兵士は二人に敬礼すると、そのままそこに立っていた。外村美歩は軽く敬礼して返しながら前を通ったが、山口健士はそのまま素通りした。彼は小声で外村に言った。

「まったく。十七師団には、はぐれ者が集められているって聞いてるが、金髪に刺青かよ。どこの組のチンピラかと思ったぜ」

 外村美歩は少し振り返り、さっきの兵士を見た。彼は誘導棒を握って直立したまま、まだそこに立っている。ただ、その鋭い眼光の目は、こちらに向けられていた。外村美歩は前を向いた。少し距離を置いた位置にジープが停止し、助手席から制服姿の男が降りてくる。彼は止め忘れた下の釦を掛けながら、こちらに歩いて来た。詰襟の濃紺の上着の下に赤いTシャツを着ているのが見えた。眉をひそめた外村美歩に、山口健士が小声で尋ねる。

「あれが、有名な阿部大佐か?」

 外村美歩も小声で答えた。

「いいえ。彼は多分、基地管理の事務担当者だわ。私たちに気づいて、慌てて出てきたようですね」

 制服の中年男は二人の前に来ると立ち止まり、背筋を正して敬礼した。外村美歩も背筋を正して敬礼する。

「国防省軍規監視局監察官の外村です。これより、事件捜査の参考のために基地内を見回ります」

「ご苦労様です。多久実第二基地総務隊の迫田です。失礼ですが、よろしければ、事件内容を……」

「当基地配置、第二整備小隊の新田カイト機関士が担当していた整備営舎に案内して下さい。彼の横領事件に関しての捜査です」

「そうですか。そちらは……」

 迫田は革ジャン姿の山口を怪訝な顔で見た。外村美歩は山口を一瞥してから言った。

「彼は事件の重要証人です。と言っても、近いうちに懲罰になり除隊となるでしょうが。新田が横流しした備品を購入した者です。今日中に証言を記録したいので、連れてきました。ヘリでの送迎も兼ねて。便利でしょ。形式的な手続きですので、彼には気遣いしなくて結構です」

 山口健士は突然の外村の発言に戸惑っていたが、迫田の方を見て作り笑顔で首を竦めた。迫田は山口に軽蔑的な眼差しを向けると、言った。

「そうですか。馬鹿な奴ですな」

 そして車の方に手を伸ばして、外村に言った。

「では車までどうぞ。整備営舎まで、お送りします」

 ジープへと歩いて行った迫田から少し離れて後ろを歩きながら、山口健士が小さな声で外村に尋ねた。

「誰だよ。新田カイトって。なんで俺が除隊なんかに……」

「シッ。ごめんなさい。今はそういう事にしてください」

 不興顔をした山口健士と納め顔を作った外村美歩は、黙ってジープまで歩いていった。



                  二十五

 整備営舎の中の作業ドックは広く、工場のようだった。金属を削ったり打ったりする音が鳴り響き、数台の装甲車の周りでは、溶接マスクをした技術兵たちがしゃがんで火花を散らしている。奥の方で迫田が繋ぎ服を着た中年の男は話していた。男は、大きな間口の入り口の所に立つ外村と山口の方を何度か見て、顔を顰める。暫らく迫田が何かを話していると、その中年の男は握っていたレンチを赤い防具が並べられた台の上に放り投げ、細かく何度も頷いた。迫田が男の肩を叩いてから、こちらに小走りで遣ってくる。外村美歩は彼の方に歩いていった。 

 外村の前にやってきた迫田が言った。

「どうぞ。彼がここの責任者です。彼に話を聞いて下さい」

 外村美歩は、険しい顔で不機嫌そうに立っているその中年の男の方に歩いていった。彼の前に外村が来ると、彼は横を向いて、仏頂面で言う。

「なんだい。今、忙しいんですけどね」

 男のつこど声にも、外村美歩は毅然とした態度で応じた。

「手間は取らせません。新田がネコババした廃棄品は、どこから持ち出したのでしょう」

「廃棄品? そんなもの残ってねえな。とっくにスクラップに……」

 外村の胸の階級章が目に入ったその中年の男は、急に姿勢を正して、声色を和らげた。

「スクラップにしているはずです」

 外村美歩は周囲を見回しながら更に尋ねる。

「こちらでは、納入品の管理は、規則通りにされているんですね」

「ええ。勿論ですよ。ちゃんと、必要書類も出しています。数も合っているはずだ」

 外村美歩は男に顔を向けて言った。

「いえ。私は特に『数』の話はしていません」

 男は視線を逸らした。外村美歩は再び周囲を見回しながら言う。

「廃棄品の回収ボックスは何処にありますか」

「こっちです。どうぞ」

 男は彼女をドックの隅へと案内した。そこには、コンテナほどの大きさの鉄製の箱が横一列に並べられていた。外村美歩は箱の横に付いている階段を上がり、上から中を覗き込んだ。下で待っていた男は迫田と顔を見合わせる。階段を下りてきた外村美歩は、眉を寄せて男に言った。

「やけに少ないですね。こんなものなのですか」

 男は目を泳がせながら答えた。

「ああ、そうですね。ウチでバラせる物は、なるべくバラしますからね」

「リサイクルって事ですか」

 胡散顔をして見せた外村に片顔を向けて、男は言葉をつかえさせた。

「ああ……いや、そうじゃないですけどね。ええと……」

 横から迫田が説明した。

「実戦で使用する武器や防具は、壊れる時は、その破損の程度が激しいんですよ。だから、ほとんどの場合、直接スクラップに回しますから、ここには入れないんです」

 外村美歩は鉄製の大きな箱を見上げながら言った。

「そうなんですか。実戦は知らないもので」

 迫田は外村を無礼顔で見て、一言吐いた。

「でしょうなあ」

 外村美歩はそれを気にせず、男の顔を見て尋ねる。

「何か他に、彼に盗まれた物は」

「いえ。何もありませんね。ああ、ちょっと、あんた。それ、触らないで」

 男は、三人から離れていた山口に気付くと、彼にそう注意した。山口健士は、機材の上に掛けられていたビニールシートの端を捲って、中を覗いていた。シートを戻した山口健士は、男に手を振って言った。

「ああ、悪い、悪い」

 山口が三人の所に歩いてくると、外村美歩が山口に尋ねた。

「あなたが購入したのは、使用済みの弾倉と新品の鋼鉄貫通弾が数個でしたね」

「あ? あー……、ええと……」

 山口健士は戸惑いながら上を見上げた。外村美歩は厳しい口調で言う。

「違うのですか」

 山口が返事に困っていると、外村美歩は迫田の顔を見て言った。

「すみません。彼に確認を取りたいので、弾薬庫に案内してもらえますか。数個、見せてもらえるだけでいいですので」

 ヘラヘラと作り笑いをしてみせる山口を見て嘆息を漏らした迫田は、外村に答えた。

「わかりました。どうぞ、あちらの建物です」

 迫田は整備営舎の前に停まっているジープの方に歩いて行った。外村美歩は山口に小さくウインクしてから、迫田の後を歩いて行く。片眉を上げて短く息を吐いた山口健士は、外村の後を歩こうとした。すると、後ろからエンジニアの男が言った。

「まったく、軍人が使用済みの弾丸カートリッジなんか買って、何するんだよ。馬鹿か」

 山口健士は振り返ると、キャップを押さえて首を前に出しながら男に言った。

「へへ。マニアなもので。噂の貫通弾も一度、撃ってみたかったんですよね」

「まったく。それじゃ除隊も当然だ。しっかりしろよ」

 男は呆れ顔で山口に蔑視を浴びせると、背を向けて歩いて行った。山口健士は男の背中に向けて歯を剥いて、声を出さずに何か言うと、振り返って外村の後を追った。

 ジープに乗った三人は、そこから少し離れた建物に移動した。その大きな建物は、一階の部分しか窓が無かった。三人は建物の中に入り、兵士たちの待機室が並んだ廊下を奥へと進む。窓ガラスの向こうの待機室は無人だった。外村美歩は無人の待機室が並ぶ広く長い廊下を、時々、山口と顔を見合わせながら歩いた。突き当たりの少し広い部屋の奥の金庫の扉のような鋼鉄製のドアの前で立ち止まった迫田は、振り返り、外村に言った。

「どうぞ。こちらです。今、鍵を開けます」

 迫田が上着のポケットから取り出した鍵の束の中から、その扉の鍵を探していると、外村美歩は振り返り、山口の顔を指差して言った。

「ちょっと待って。あなたが購入したのは、第二倉庫にあった弾倉ですよね。そう言われて購入したと供述していたはずですが」

「え? あ……ええと……」

 迫田を背にしたまま、外村美歩は口籠っている山口に何度もウインクして見せた。山口健士は話を合わせる。

「ああ、はい、はい。そうです。第二倉庫の品でした」

 前を向き直した外村美歩は、迫田に言った。

「第二倉庫を見せてもらえますか」

 迫田は鍵の束を握っていた手を下ろすと、顔を斜めに傾けて答えた。

「生憎ですが、大佐。第二倉庫は今、使っていませんよ。鍵が壊れてましてね、業者に交換を依頼しているところなんです。だから、第二倉庫から何かを持ち出すなんて事は出来ませんよ。それに、中にある物も、基地内の雑草用の草刈機とか、大量の除草剤や古い洗車用の放水ポンプとかですから。弾倉、弾薬類なら、ここの保管庫にしかありませんので、持ち出しているとすれば、ここからのはずです。今、開けますから、そいつに確認させて下さい」

 迫田は顎の先で山口を指すと、外村に背を向けて、束の中から出した鍵を扉の鍵穴に差し込んで回した。続いて、ドアの中央の大きなハンドルを回す。予想以上に分厚く重たそうなドアがゆっくりと開いていく。人が通れるほどに隙間が開くと、迫田は中の電灯を点けて、その広い弾薬保管庫の中へと入っていった。

 保管庫の中は相当に広く、スチール製の棚が何列も並べられていた。各棚の上には、管理ナンバーが記されたラベルが貼られた中ぶりの段ボール箱が綺麗に並べられている。どれも弾丸が装填された弾倉が詰められた箱だった。外村美歩と山口健士は、整然と並べられた箱を見回しながら、棚の間の通路を奥まで進んだ。外村美歩は時折、棚の前で背伸びをして、箱の上を覗いた。どれもガムテープで綴じられたままで、開けられた形跡は無い。一つを持ち上げてみたが、ずっしりと重く、中には新しい弾倉が入ったままのようだった。

 先に奥の方へと進んでいた迫田は、棚と棚の間から隣の列の通路に移ると、外村と山口から見えない場所に移動し、適当に選んだ段ボール箱を引き出した。音を立てないようにガムテープを剥がし、中から弾倉を取り出す。首を伸ばして向こうを覗いた迫田は、外村と山口の居場所を確認してから、素早く弾倉から数本の弾丸を排出して、それを上着のポケットに仕舞った。そして、わざとらしく大きな声を上げた。

「ああ、あった、あった。ありましたよ」

 声がした方に外村と山口が歩いてくると、迫田は何食わぬ顔で二人に手招きした。ガムテープを垂らした段ボール箱を軽く持ち上げて見せ、それを棚に戻すと、手に持った弾倉を外村に差し出して言った。

「これかな? 新品の鋼鉄貫通弾です。蓋が開けられている。弾倉の中も何個か減っていますね。たぶん、これだ」

 外村美歩は受け取った弾倉を、一度、山口と目線を合わせてから、彼に手渡した。山口健士は弾倉の中を覗き込むと、もう一度、外村と視線を合わせて、声を出した。

「ああ、これ……かな。よく覚えてないな」

 山口健士は弾倉の中から一本だけ弾丸を排出させた。少し長めの弾丸は、信管が長く、薬きょう部分にも特殊な溝が刻んである。被甲を赤く塗られたビュレット部分の先端は尖っていて、硬い。それは、アーマースーツを着用して大型の機関銃を使用する十七師団の機械化歩兵のための特殊な弾丸だった。一目見て、その弾の威力を察した山口健士は、眉間に皺を寄せた。

 外村美歩は山口から返された弾倉と弾丸を迫田に渡して、言った。

「帰ってから、もう一度、押収品の画像と照らし合わせて、確認させてみましょう。あと、他にも何処の機材なのか不明な物も購入しているようなのですが、その特定も今日のうちに済ませたいので、ご協力いただけますか」

 顔を顰めた迫田は、山口に言った。

「どんな形状だ」

 山口健士は惚け顔で答えた。

「あ、ええと……丸くて、こう……三角ぽい、いいや、四角だったかなあ」

 外村美歩が横から口を添える。

「現物と同じ物を見れば、思い出すかもしれません。施設内の装備類を見せて周っても問題ないですよね。彼もまだ軍人ですから」

「ええ、まあ。――ったく、しょうがない奴だな。じゃあ、どうぞ」

 仕方無さそうに答えた迫田は、保管庫への出入り口へと速足で歩いて行った。外村美歩と山口健士は、また視線を合わせると、迫田の後についていった。

 三人が保管庫から出ると、迫田は庫内の電灯を消し、ドアのハンドルを回した。分厚いドアがゆっくりと閉まっていき、閉じられる。自動で作動したロックの音が響くと、迫田は差し込まれたままの鍵を回し、鍵穴から抜いた。振り返った彼が外村の前を通り過ぎながら上着のポケットに鍵を入れた時、金属がぶつかる音がした。外村美歩は迫田が鍵を放り込んだ上着のポケットに目を凝らした。上着のポケットの端が内側から鋭利な物の先端で押されて、その形が浮き出ている。外村美歩は迫田の背中に厳しい視線を向けたまま、黙って後ろを歩いて行った。

 建物の外に出てジープの前に来ると、外村美歩は迫田に言った。

「後は、こちらで自由に周らせてもらいます。どうぞ、通常任務に戻って下さい。必要以上に持ち場を離れるのは、規則違反になりますから。帰る前に管理室に寄ります」

 迫田は少し考えてから答えた。

「ああ、いや。監察官殿をご案内するのが、私の任務ですから」

 外村美歩は首を横に振った。

「いえ。それはいけません。事前のご連絡もせずに、やって来たのです。ここまで案内してもらえれば、十分です。それに、軍規監視局の捜査に、他の部隊の者を勝手に動員したとなれば、それこそ規則違反で、私もあなたも軍法審議室に呼ばれる事になってしまいますから。大佐である私の指揮能力と、あなたの命令服従義務違反も問いただされかねません。装備品の横流し程度の小さな事件で、軍曹にご迷惑をかける訳にもいきませんから、こちらで結構です。どうも、ご協力いただき、ありがとうございました」

 外村美歩は丁寧に一礼した。話の中に階級をちらつかせられた迫田は、上級の外村の言に逆らう事は出来なかった。彼は渋々と言った。

「あ……いえ。分かりました。では、ご自由に……」

 迫田はジープに乗り込み、その場を去っていった。ジープが視界から消えると、山口健士は伸びをして言った。

「ふあー。何だ、あの軍曹。ピッタリくっつきやがって。気持ち悪い。まるで、監視されてたみたいだったな」

 外村美歩は周囲の景色を見回しながら答えた。

「監視されていたんですよ。どうやら、私たちに見せたくない物が、この基地には多く存在するようですね」

「見せたくない物?」

 頷いて見せた外村に、山口健士は知らせた。

「ああ、そういえば、さっきの整備営舎でビニールシートが掛けられていたアレ、新型のインド製の通信ユニットの一部だったぞ。しかも、高難度量子暗号式の。あんなものに入れ替えるなんて話は、聞いてねえけどなあ……」

「あれは?」

 外村美歩は遠くの方を指差した。赤く塗られた二台の特殊な戦車が並べて停められている。その奥にも、別な形の赤い戦車が一台、停められていた。山口健士はキャップのツバを両手で覆って目を凝らし、機種を確認した。

「ああ、スパルタン戦車だな。正式名称は、『両腕砲筒型多角対応戦車』だったかな。向こうのが、国産の九〇三式高速移動戦車。変だな、生体捕捉用のレーザー照射装置のカバーが外してあるぞ……」

「というと?」

「あれは、実戦で使用するとき以外は、通常、カバーが掛けてあるんだよ。付け忘れてんのかな……」

「実弾演習の際に外す事はないのですか」

「ないない。敵兵器の内部にいる兵士を高精度で捕捉する装置だ。戦車や装甲車の中の兵士の位置を特定して、一番殺傷効率が高いポイントに砲弾を命中させる為に使うんだよ。砲弾に内蔵された制御装置と連動しているから、演習で仲間をマジでブッ殺すっていうなら話は別だが、通常は実際に使う事はしない。コンピュータでのシミュレートで訓練するのが普通だよ」

「……」

 外村美歩は疑念に満ちた目を、その赤い戦車の方に向けていた。すると、数人の兵士達が戦車の方に走ってきた。山口健士はそれらの兵士たちが繋ぎ服の上に赤い耐熱鎧をつけて、首に特殊なヘッドセットをしているのを見て、言った。

「戦車のドライバーと砲撃手じゃねえか。なんだ、動かすのか?」

 それを聞いた外村美歩は、向きを変えた。

「やはり、私たちに見られたくないのでしょうね。行きましょう。他の様子も見ておかないと」

 外村美歩は遠くの建物の方に向けて歩き始めた。山口健士は周りを見回しながら言った。

「ここ、広いぞお。――まあ、運動不足だから、いいか……」

 二人はアスファルトの上を並んで歩いて行った。



                  二十六

 二人が広い基地の中の方々を歩いて見て回り終えた頃には、陽が傾きかけていた。運動場の横の建物の前に立つ二人の影が、グランドの上に長く延びる。山口健士は四方を見回しながら、顔を顰めた。

「おかしいな。誰も訓練してねえな。みんな、何処に行ったんだ? 普通なら、ランニングや筋トレしている兵士がいても、おかしくねえのにな」

 外村美歩も険しい顔つきで遠くを望みながら言う。

「それどころか、警備兵の数も少な過ぎると思いませんか。柵の向こうには、マスコミの記者があんなにいるというのに」

「そう言えば、そうだな。さっきだって、事前連絡もせずに着陸したのに、誘導係が一人しか出てこなかったもんな。予定外のヘリが着陸したんだ。普通なら、武装した警備兵が駆けつけてくるだろうに。一応は」

「さっきの保管庫があった待機室にも、誰もいませんでしたね。本来なら、最低でも一個中隊の人員が詰めていなければならないはずなのに」

「だよなあ。軍規違反だよなあ……」

 そう言って遠くの柵の向こうの記者たちを見つめていた山口健士は、ハッとしたように外村を見て尋ねた。

「そう言えば、外村ちゃんは何か画像とか撮っとかなくてもいいのかい。事件の証拠を調べに来たんだろ?」

「ええ。でも、彼らに勘付かれるといけませんから」

 外村美歩は運動場の向こう側の建物を、さり気なく目線で示した。山口健士がキャップのつばの下から目を凝らすと、その建物の三階の窓から赤いTシャツ姿の男が双眼鏡でこちらを覗いていた。山口健士は舌打ちした。

「なんだよ、監視してんのかよ。この人は監察官様だぞ。法曹にプライバシー侵害して、どうするんだよ。度胸あるなあ」

 外村美歩は反対方向に歩きながら、片笑んで山口に言った。

「まあ、職務上の行動を基地内で監視されても、仕方ありません。ここは国防施設ですからね」

 横を歩きながら、山口健士は心配そうに言った。

「でも、それじゃ、証拠写真の撮影とか、できないんじゃないか? それが外村ちゃんの今日の任務なんじゃないのかい?」

 外村美歩は左手を少し広げて見せた。

「あくまで、新田という備品泥棒の起訴の為の証拠確認という名目ですから。撮影は最小限で」

 彼女の手の中には、小型カメラが握られていた。

「ああ、そういう事か。分かった」

 山口健士は帽子の角度を直すふりをして、小さく頷いた。顔を上げた山口健士は、遠くを走る赤いジープの小さな影を見て、呆れ顔で言い腐した。

「しかし、何でもかんでも、真っ赤っかにしてくれるねえ。どんな趣味なんだろうね、阿部大佐って。まさか、どっかのロボットアニメの見過ぎなんじゃないか。赤くすれば数倍速く動けるとか、本気でそう思っていたりして」

 外村美歩は歩きながら、厳しい顔で言った。

「赤は血と炎の色。戦地でも、あえて目立つ色に塗っているという事は、相当に自身があるか、あるいは、何らかの決意の表れか……」

 山口健士は頭の後ろで手を組みながら言った。

「願わくば、阿部大佐の口から、『日の丸の赤だ』って聞きたいもんだぜ。まったく」

 外村美歩は立ち止まると、山口の方を向いて言った。

「ヤマケンさん……いえ、中尉。私、阿部大佐に会ってくるわ。中尉はヘリに戻っていて下さい。もし何か特別な事態になったら、私に構わず、ヘリを出してもらって結構です」

 山口健士を手を下ろし、目を丸くした。

「何を言ってるんだ。一人で、あの阿部大佐に会いに行くって言うのか? この妙な緊張感の中じゃ、ヤバイ感じがするぜ。止めときな」

「会って確かめなければ。阿部大佐は本気で反乱を起こす気なのかどうか」

 山口健士は更に目を大きくした。

「反乱? クーデターか? じゃあ、俺達は反乱分子の巣窟に来てるって事なのかよ。そりゃ、ヤバイじゃないか。こんな所、さっさと出ようぜ」

 外村美歩は頭を下げた。

「すみません。中尉を危険な目に合わせてしまって。でも、事が起こる前に彼を逮捕するためには、どうしても確かめなければならないのです」

 その時、さっきの赤いジープがこちらに走ってくるのが見えた。山口健士はジープを一瞥すると、外村に言った。

「これでも俺は、元戦術パイロットだぜ。危険なのは一向に構わねえが、外村ちゃん、あんたの事を心配してるんだよ。失礼だが、あんたは机上軍人じゃないか。戦闘の素人だ。何かあった時は、どうするんだよ。どうしても阿部大佐に会いに行くんなら、俺も付いていくよ。パイロットだって、ちゃんと陸戦の訓練は受けているからな」

 外村美歩は近づいてくる赤いジープを気にしながら、山口に早口で伝えた。

「いえ、これ以上、中尉を巻き込む訳にはいきません。それに、阿部大佐と会うとすれば、中尉を同行させる理由がありません。それと、万一の事が起きた場合に、中尉には、これを森寛局長に届けてもらいたいのです」

 外村美歩はジープの方に顔を向けたまま、手の中に握った小型カメラを下の方で山口に渡した。山口も前を向いたまま、体で隠してそれを受け取った。外村美歩は、やはり赤いジープに顔を向けたまま、口を動かさないようにして山口に言った。

「これだけの画像があれば、局長なら必ず真相を明らかにしてくれます。お願いします」

 赤いジープが二人の前で急停止した。中から小銃を抱えた戦闘服姿の兵士が二人、飛び降りてきた。二人とも、迷彩柄の戦闘服の下に赤いTシャツを着ている。一人が外村の前に走ってきて、小銃を肩に掛けたまま敬礼すると、歯切れ良く言った。

「外村大佐。阿部司令官がお呼びです。どうぞ、ご同乗下さい」

 外村美歩は厳しい顔をしたまま首を縦に振ると、ドアが開けられたその赤いジープの方に向かった。彼女が後部座席に乗り込むと、左右から兵士が挟んで座る。外村美歩は車上から山口に向けて頷いた。山口健士も両手を革ジャンのポケットに入れたまま、小さく頷いて返した。

 素早く方向転換したその赤いジープは、外村美歩を乗せて、広い基地の中央の大きなビルの方へと走っていった。



                  二十七

 LEDライトに照らされた明るく広い廊下を、肩に小銃を縦にして提げている迷彩柄の戦闘服姿の兵士に囲まれて、革の鞄を提げた濃紺の制服姿の若い女が歩いている。異様な緊張感が漂う廊下を、外村美歩は姿勢を正し、前を見て毅然と歩いた。突き当りの鉄製のドアの前に来ると、一行は止まった。先頭の兵士が鋼鉄製のドアをノックする。太く大きな声がドアの向こうから響いた。

「入れ」

 兵士は緊張した面持ちで鋼鉄のドアを開けた。

「失礼します。外村大佐をお連れしました」

「うむ。通せ」

 兵士は外村に入室するよう促した。外村美歩は前に進み、部屋の中に入る。

 殺風景な部屋の奥に一つだけ置かれた大きな両袖の書斎机の向こうで、黒い大きな重役椅子が背面を向けている。その広い背もたれから頭の先と上着の両肩、両肘をはみ出させた男は、兵士に言った。

「ご苦労だった。さがれ」

「はっ。失礼します」

 兵士は姿勢を正して素早く敬礼すると、一礼して退室し、ドアを閉めた。

 外村美歩を呼んだ男は、椅子に座ったまま背を見せながらも、重く、冷たく、鋭い、研ぎ澄まされた空気を放っていた。喉元に剣の切っ先を近づけられたような感覚は、不快と恐怖と後退を短い間隔で連想させる。戦闘兵士ではない外村美歩にも、それが「殺気」というものであると分かった。

 外村美歩は鞄を床に置きながら、自分の上着の襟の金のバッジに目を遣った。口を縛った彼女は、不安と緊張を胆力で打ち払い、膝に力を入れて立った。姿勢を正し、端然として敬礼しながら、大きな声で言う。

「国防省軍規監視局監察官の外村美歩大佐です。本日は緊急の証拠物件確認にご協力いただき、感謝いたします」

 少し間を置いて、黒い重役椅子がゆっくりと回った。外村と同じ上級軍人の制服を着た中年の男は、椅子に座ったまま、肩の張った大きな体をこちらに向け、年季の入った顔の奥の鋭い眼で彼女を見据えた。そして、腹の底から発せられた太く低い声で、強くはっきりと言った。

「国防陸軍第十七師団総司令官、阿部亮吾大佐である」

 外村美歩は震えを堪えた手を額の上に添えて敬礼したまま、阿部大佐の目をしっかりと見た。手を素早く下ろした彼女に、阿部亮吾は静かに言った。

「任務、ご苦労。それで、コソ泥兵士を起訴できるだけの証拠資料は揃ったかね」

「はい。おおかたは」

 阿部亮吾はゆっくりと頷く。

「そうか……。他に何か確認しておくべき事はあるか」

「……」

 少し考えた外村美歩は、意を決して口を開いた。

「はい。本件には関係のない事ですが、軍人として疑問に思った事があります」

 重役椅子の背もたれに凭れたまま、阿部亮吾は目を閉じた。

「うむ。どういった疑問だ」

 外村美歩は阿部大佐の表情を観察しながら、尋ねた。

「軍規に規定されている通常の防衛準備体制とは異なる兵士の配置がされているようですが、何か特別な事情でもあるのでしょうか」

 阿部大佐は眉一つ動かさずに黙っていた。外村美歩は考えを回らせながら、彼の答えを待った。沈黙が部屋を埋める。やがて阿部亮吾大佐がおもむろに口を開いた。

「ある」

「……」

 外村美歩は何も言わず、ただ彼の顔に視線を据えていた。

 ゆっくりと瞼を上げた阿部亮吾は、若い監察官の瞳を突き抜くように見据えて、言う。

「実はな、決起しようと思っている」

 彼は椅子に座ったまま微動だにしなかった。



                  二十八

 平らに整地された基地の敷地の向こうに、夕日が傾いていた。赤く揺らめく大きな太陽の上に、黒く分厚い雲が広がっている。不穏な雲は時折、中で光を走らせ、雷鳴を籠らせた。冷たい風が颯声を上げて地表を走り、窓を叩く。

 部屋の中央に真っ直ぐに立った外村美歩は、睨むように阿部大佐の顔を見据えていた。阿部亮吾大佐は泰然と構えたまま、彼女に尋ねた。

「どうするかね。私を逮捕するか」

 外村美歩は頷く事もせず、彼の目を見たまま答えた。

「今のご発言が真意なら、大佐を軍法会議にかける必要があります」

 阿部亮吾は椅子の肘掛に両手を載せたまま、外村に言った。

「私が君を生きてここから出さないとしたら?」

 外村美歩は毅然とした態度で言う。

「私以外の誰かが、あなたを必ず法の下に引きずり出します。絶対に」

「なるほど……」

 初めて微かな笑みを浮かべた阿部亮吾は、再び口をへの字に結ぶと、肘掛に載せていた右手を上げ、外村を指した。

「軍規監視局の監察官が全て君の如くあれば、この国はもっと平和であったかもしれんな」

 外村美歩は険しい顔を阿部大佐に向けたまま、返事をしなかった。阿部亮吾は右手を下ろすと、少し口調を和らげた。

「心配はするな。何らの武器も携えずにやって来た監察官に、危害を加えるつもりはない。私は軍人だ」

 外村美歩は透かさず指摘した。

「そうです。阿部大佐、あなたは軍人です。この国の国民の生命と財産を守り、平和を保持する為に命を懸ける義務を担った軍人です。ですから、もし何らかの謀計をめぐらし、準備を進めているのであれば、直ちに中止して下さい」

 阿部亮吾は視線を床に落とすと、低い声で呟いた。

「国民の生命と財産か……」

 少し間を空けた後、小さく鼻で笑った阿部亮吾大佐は、椅子からゆっくりと立ち上がった。縦横に大きな体の軍人は、姿勢よく歩き、悠然と窓辺に向かう。外村美歩はその場に立ったまま、彼を目で追った。阿部亮吾は窓辺に立ち、ビルの下に広がる基地の様子に目を向けて、鼻から強く息を吐いた。少し横を向いた彼は、窓から斜め下を指差して外村に尋ねた。

「奴らが見えるか」

 阿部亮吾が指差し「奴ら」と称したのは、基地の外周に立つ鉄柵の向こうで、帰り支度をしているマスコミの記者たちだった。不規則に水滴を落とし始めた雨雲を気にしながら、記者たちはそれぞれの車に機材を積み込んでいる。

 阿部亮吾は薄くなった夕日に顔を照らされながら、窓辺から記者たちを見下ろして言った。

「見ろ、あの連中を。つい先月、我々を賞賛する記事を書きたてた記者共だ。それが、今はどうだ。まるで獲物を玩ぶ獣のような目で、基地の中の兵士たちにレンズを向けている」

 外村美歩は阿部の発言の趣旨を察しかねた。彼は、先日の公道上での事故をマスコミに書き立てられたから、決起しようというのか。そんなはずは無かった。外村美歩は眉間に深い縦皺を刻んだ。窓に反射して映る彼女の表情を見て片笑んだ阿部亮吾は、両手を腰の後ろで組んでゆっくりと振り返ると、両足を肩幅に開いてその場に立ったまま、静かに語り始めた。

「私は二〇〇一年に旧自衛隊に入隊したが、それまでに奴らが旧自衛隊の事を何と書いていたか知っているか。憲法違反だの、税金の無駄遣いだの、散々だった。ところが、大きな震災が起こった途端、奴らは掌を返したように論調を変えた。我々が被災民の救助に出動する度に、奴らは部隊の活動を賞賛する記事を書いた。それまでとは間逆の記事だ。勿論、全てのマスコミがそうだったとは言わん。筋を通した連中もいるだろう。だが、世論は違う。PKOに出陣すれば悪者で、領海侵犯した敵を撃退すれば神様だ。旧自衛隊から救助部門を分離し、防災隊として別立てしてからは、我々国防軍は、奴らマスコミ連中の一部に言わせれば、唯の殺戮集団だ。そして、世論はそれに流される。だが、その殺戮集団も、アフリカの戦場で同盟国の軍隊を救助したり、邦人を救出すれば正義のヒーローとなる。対馬奪還作戦や南米での海上作戦では、やり過ぎだと批判されても、それ以上の攻撃をASKITの拠点島に加えれば、国民は大喝采だ。君も軍人なら分かるだろう。くだらんよ。下衆過ぎる。この国の国民は歴史から学ばない。歴史を繋ごうとしない。政府ではない。国民がだ。その国民の生命と財産を守る? その通りだ。我々が守るべきは、国民の生命と財産だよ。その他の人間の生命と財産などは、どうでもいいのだ。自分たちの平和だ。我々が守っているのは、あの自分勝手で日和見主義の連中が言う『偽りの平和』なのだ」

 外村美歩は真っ直ぐに阿部大佐の顔を見据えて反駁する。

「しかし、今、大佐がここで動けば、まさに、その『偽りの平和』を手に入れようと画策している連中に力を貸す事になるのではないですか」

 阿部亮吾は一瞬だけ眉間を寄せた。

「何が言いたい」

 外村美歩は淡々とした口調で言った。

「ネオ・アスキットの事です。大佐もご存知なのではないでしょうか」

 阿部亮吾は下を向き、笑みを押し殺しながら首を横に振った。顔を上げた彼は、外村美歩の目を見て言う。

「奴らは、利ざや目当てに兎兵法を拵えているに過ぎん。警戒するにも値せん連中だ」

 やはり、組織の存在を知っている……。外村美歩は、そう確信した。彼女はすぐに阿部大佐に新たな質問をぶつけた。

「では、ストンスロプ社は」

 眉間に皺を寄せた阿部亮吾は、怫然として声を荒げた。

「大佐は、軍人同士の戦に民間人を巻き込むつもりか」

 外村美歩は必死にその迫力に耐え、首を横に振った。

「いいえ。でも、ストンスロプ社が自分たちで積極的に介入してきているのではないですか」

「それを何故、私に訊く。知るはずは無い」

 厳しい顔でそう言った阿部亮吾は、腰の後ろで手を組んだまま、一度下を向くと、深く息を吐き、言った。

「大佐。一つ忠告しておこう」

 顔を上げた阿部亮吾は、外村の顔を見て、ゆっくりと落ち着いた口調で、諭すように彼女に尋ねた。

「我々は銃と鎧で敵と戦うが、君たち監察官は、何を使って戦うのだ。君らの武器は、法と正義なのではないか? その君たちが、戦に民間人を巻き込むのは、我々が戦場で非戦闘員を殺戮するのと同じなのではないのかね。軍人なら、目的を違えてはいかん」

「……」

 外村美歩は阿部のその指摘を素直に受け入れた。彼女自身が思考しても、そうだったからだ。だから、外村美歩は黙っていた。いや、黙っているべきではなかったのかもしれない。しかし、その時の彼女には、言葉を探す事は出来なかった。

 阿部亮吾は腰の後ろで手を組んだまま、大きな歩幅でゆっくりと自分の席に向かいながら、若い監察官に言った。

「外村大佐。大佐は何か勘違いしている。私はネオ・アスキット等と言う地下組織は知らんし、ストンスロプ社という民間企業とも関係は無い。単に、この国に真の平和を実現する方法を模索しているだけだ。何としても、この国を本当の平和国家へとせねばならん。それは軍人としての務めだ。唯、それだけだ」

 外村美歩ははっきりと首を横に振った。

「いいえ。軍人は、文民の定めた法規と軍規に従い、唯一、任務に邁進すべきです。平和な国家を作り上げるのは、国民の務めです。我々ではない」

 立ち止まった阿部亮吾は、外村に鋭い視線を向けた。

「ぬる湯に浸かっている者達に任せろと、そういう事か」

 外村美歩は語気を強めた。

「そうで居られる様にする事が、我々軍人の仕事です」

 阿部亮吾は音を立てて大きく溜め息を吐くと、重役椅子に腰を下ろしながら言った。

「やはり、机上軍人とは、理解し合えんようだな」

 数歩前に出た外村美歩は、必死の顔つきで阿部大佐に訴えた。

「大佐。考え直して下さい」

 阿部亮吾は椅子の背もたれに大きな背中を当てると、綽綽とした態度で言った。

「心配は無用だ。市民を巻き添えにするつもりはない。それに、この国が今抱えている危険な状況も理解している。我々が、それを除去するだけの物理的手段を有している事もな。このような時に、万が一、ネオ・アスキットなる集団が鎌首をもたげようものなら、ASKIT同様に、この十七師団が刈り取ってくれるわ!」

「そんな事をすれば……」

 外村の発言を遮るように、阿部亮吾は外の兵士に大声で告げた。

「外村大佐がお帰りだ。ヘリまでお送りしろ」

 鋼鉄製のドアが開き、二人の兵士たちが入ってきた。外村美歩は目に涙を浮かべながら、阿部大佐に叫んだ。

「まだ話は終わっていません。大佐……」

 兵士たちは外村の腕を左右から掴むと、彼女を無理矢理に外に連れ出していった。重役椅子に深く凭れたまま、阿部亮吾大佐は外村の背中を見据えている。外村美歩が廊下の外に出されると、阿部亮吾は彼女に声を掛けた。

「外村大佐」

 兵士たちが彼女の腕から手を放した。振り返った外村美歩は、廊下から阿部の顔を強く睨んだ。阿部亮吾大佐は、低く太い声で静かに言った。

「大佐は戦闘要員ではない。無理はするな。大佐には危険過ぎる領域だ。どうか、身を引いて欲しい。もし何かが起きても、事はすぐに終わる。我々が終えるつもりだ」

「別の方法もあるはずです。考え直して下さい。大佐!」

「我々は後退しない。それも、よく覚えておくんだ」

 そう言い終えた阿部亮吾大佐は、兵士に合図をした。兵士が鋼鉄製のドアを閉めた。

「大佐。早まらないで下さい。大佐! 大佐!」

 鋼鉄製のドアは、外から何度も強く叩かれた。阿部亮吾は椅子に深く座ったまま、黙って目を閉じていた。



                  二十九

 ジープに乗せられ、外村美歩がオムナクト・ヘリの所まで送られてきた。太陽は姿を消し、雨雲に覆われた空は暮れ残っている。オムナクト・ヘリは四つの回転翼を空転させて、いつでも飛び立てる状態になっていた。ジープから降りてきた外村の姿をコックピットから確認した山口健士は、安堵して息を吐いた。外村美歩は鞄を提げて、肩を落としている。落胆した様子でヘリのキャビンに乗り込む彼女の様子を、山口健士は心配そうに見守った。

 外村美歩がキャビンの中に乗り込むと、外から制服姿の迫田軍曹がスライド式のドアに手を掛けて、反対の手を中の外村の前に差し出した。その掌の上には、二本の弾丸が載せられていた。迫田は外村に言った。

「我々が使っている鋼鉄貫通弾です。さっきご覧にいれましたよね。差し上げます」

 外村美歩は迫田に言った。

「証拠品は既に押収しています。弾丸も照合できればいいだけですので……」

 迫田は外村の手を掴んで、その手の中に無理矢理に弾丸を掴ませると、真剣な顔で言った。

「万一、これを使用している我々と戦闘になった場合、被弾しても、装甲具の下に最新型の防弾着を二重着用していれば、最小限の負傷で済むはずです。一応、お伝えしておきます」

「軍曹……」

 外村美歩は迫田の顔を見た。迫田軍曹は敬礼する事も無く身を外に出し、スライド式のドアを閉めた。そして、背中を見せて機体から走って離れると、コックピットの山口に合図を送った。二人を乗せたオムナクト・ヘリは上昇を開始し、西の空に飛んでいった。

 シートの一番前の席に座っている外村美歩は、ヘッドセット越しにコックピットの山口に尋ねた。

「どうですか、中尉。送れましたか」

「おう。ばっちりよ。緊急帰還信号用アナログ電波だから時間はかかったが、さっきの写真画像も、その弾丸の画像も本部に送れたぜ。直接通信だから、SAI五KTシステムは一切経由してねえ。向こうでも確認できたそうだ」

「すみません。お手間をお掛けしました」

「気にするない。ただ、十七師団の装備については、情報局が分析済みなんじゃないか。わざわざ暗号化して急いで送る必要まであったのかい?」

「ウチの方で裁判所への申請書類の疎明資料として使用するんです。たぶん、局長は動いているはずですから」

「ああ、そういう事か。あいつ、昼行灯だが、そういう所は抜け目がねえからな。じっとしている訳ねえか。しかし、まあ、これで軍規監視局バード・ドッグの先生方がすぐに阿部を逮捕してくれりゃ、一件落着、事なきを得る事ができるってやつだな。クーデーターなんか起こされたら、国防軍同士で戦わなきゃならないからな。よかった、よかった」

「ええ……。そうですね……」

 外村美歩は、掌に乗せた鋼鉄貫通弾を見つめて、顔を曇らせていた。外村美歩は思った。

(十七師団の人たちは、本気で一戦を交える気ではいる。でも、決して同士討ちを望んでいる訳ではないし、もしかしたら、出来るだけ戦闘を避けようとしているのかもしれない。彼らは何をしようとしているのかしら……)

 外村美歩は険しい顔で考え込んだ。

(阿部大佐は、本当にネオ・アスキットとは通じていないのかしら。いや、少なくとも、さっきの話しぶりでは、彼らの存在は認識しているはずだわ。私が何も説明していないのに、ネオ・アスキットの事を地下組織だと断定していた。森寛局長は、上層部の限られた一部の者しか知らない情報だと言っていたのに、どこから情報を得たというの。という事は、やはり、阿部大佐はネオ・アスキットと通じているのかしら。でも、おかしいわ。十七師団が本気を出せば、ASKITの残党組織など敵ではないはず。少なくともASKITの本体を自分たちの実力で物理的に壊滅させた阿部大佐なら、そう考えてもおかしくないわ。彼の言ったとおり、阿部大佐自身、本当にネオ・アスキットの事は眼中に無いのかもしれない。だとすると、阿部大佐の方が、ネオ・アスキットを利用しているのかしら。彼らを利用して、自らの政治理念を実現しようとしている。やはり、反乱を起こそうとしている首謀者は阿部亮吾。しかし、彼はSAI五KTシステムの現状を理解しているようだったわ。保有する兵器の通信システムも入れ替えている。彼がマスコミの報道だけで判断したとは思えないわ。ここまで大それた作戦準備をしている。実戦を勝ち抜いてきた軍人なら、よほどの確証を得られないと、行動はしないはず。やはり阿部大佐は、限られた国防関係者しか知らないはずの極秘情報をどこからか得ている。あるいは、それ以上の正確な情報か……。いったい彼に情報を提供しているのは誰なの。もし、津留局長だとすれば、その津留局長に情報を提供しているのは誰。ストンスロプ社かしら。そうだとしたら、あの会社がそんな事をして、いったい何の利益があるというの。それに、ストンスロプ社は、どうやって情報を得たと……やはり、辛島総理。この一連の騒動は、辛島総理の自作自演ということ……そんな。あり得ないわ。総理には、その必要がない。やはり何かがおかしい。何か、ピースが足りないわ。繋がらない……)

 外村美歩は何度も首を左右に振った。山口健士がコックピットのバックミラーで、彼女の様子を捉え、怪訝な顔をする。外村美歩は眉間に皺を寄せて、思考を続けた。

(とにかく、今はっきりしているのは、阿部大佐が謀反を企てているという事だけ。だけど、彼の発言は、今行動を起こすつもりはないという趣旨にも取れる。彼の本心はどちらか。いや、問題は、彼がネオ・アスキットと通じているか否か。彼が言ったように、本当に通じていないのだとすれば、彼は嘘を言っていないという事になる。つまり、彼が言ったとおり、今、十七師団が反乱行動を起こす事はない。であれば、十分な調査をして、証拠を固めれば、彼を内乱陰謀罪と内乱予備罪、反乱罪で逮捕起訴できるし、それをするだけの時間的猶予もある。そして、結果として、内戦を阻止できる。しかし、実は彼がネオ・アスキットと通じているとすれば……。ネオ・アスキットは保身の為に国家転覆を狙っている。だとすれば、SAI五KTがシステム異常を起こしている今が、システムを乗っ取るチャンスだと考えても不思議ではない。国内で実権を握る事を狙っている彼らにとっては、行動を起こすには今が絶好のチャンスであるはず。ならば、阿部大佐とネオ・アスキットのどちらが主導権を握っているにせよ、彼らはすぐに行動を起こす可能性が大きい。それに、さっき阿部大佐が嘘を言っていたという事であれば、そういう事になる。それでは、どうやって阿部大佐がネオ・アスキットと通じているか否かを見極めたらいいの。感触としては、阿部大佐はネオ・アスキットと内通している。私の前で、ネオ・アスキットに批判的な言動を繰り返すのは、私の注意を逸らす為に違いないわ。でも、証拠は無いし、確信も持てない。ここで捜査を焦って、空振りに終わったら、次の機会は無い。むしろ逆に、ネオ・アスキットの謀略の実現にアドバンテージを与えてしまうかもしれない)

 外村美歩は背筋を伸ばし、目を瞑って唇の隙間から長く息を吐いた。精神を統一した彼女は、目を閉じたまま眉間に皺を寄せ、考察を繰り返す。

(ストンスロプ社。会社の名前を出した時の阿部大佐の反応は過剰だった。やはり、あの会社は、何か深く関与している。でも、現時点では、ストンスロプ社の立ち位置が見えてこない。まず、あの会社が阿部大佐、ネオ・アスキットの双方と通じているという事は、あり得ない。もし、三者が共謀しているなら、ストンスロプ社と何らかの関係があると思われる辛島総理が、森寛局長に自身の政権を転覆せんとする謀略の捜査を中止させる訳が無い。私たちが阿部大佐を逮捕した方が、総理にとっては都合がいいはず。それに、ストンスロプ社を通じてネオ・アスキットの反乱を止めさせればいい。仮にストンスロプ社が動かないとすれば、総理と反目しているということ。だったら総理は、軍規監視局に捜査を続けさせるはずだわ。阿部大佐を生かすために捜査の中止を命じたと言う事は、総理はまだ阿部大佐を動かす自信があるに違いない。一方で総理は、局長にネオ・アスキットの事を話しておいて、その捜査の中止を命じてはいない。もし、盟友関係にある光絵会長のストンスロプ社がネオ・アスキットと繋がっているなら、私たちにネオ・アスキットへの捜査の中止も命じるはず。総理とストンスロプ社、いや、光絵会長がどこまで結託しているかによるけど、少なくとも、ストンスロプ社はネオ・アスキットという組織とは関係していない。だから総理は、そちらへの捜査の中止は命じなかった。それに、私たちが阿部大佐を逮捕してしまえば、十七師団は動けなくなる。そうなれば、目の上の瘤を除かれたネオ・アスキットにとっては都合がいいはず。それなのに、辛島総理が阿部大佐への捜査を中止するよう命じてきたという事は、局長の言っていたとおり、総理は十七師団を使ってネオ・アスキットにプレッシャーをかけるということ。その総理のバックにいるストンスロプ社がいるとすれば、総理の行動を静観しているストンスロプ社は、ネオ・アスキットとも繋がっていない)

 外村美歩は頷いた。

(では、ストンスロプ社と阿部大佐の関係は。ストンスロプ社が阿部大佐とだけ通じているという事は……。いや、それも無い。阿部大佐とだけ通じているのなら、阿部大佐が、ストンスロプ社の強い影響力が及んでいる国防軍に秘して、武器を貯蔵する意味がない。ストンスロプ社は、辛島総理を通じて、または、国防軍に直接に影響力を行使して、軍の指揮命令系統に従って正規に阿部大佐を動かせばいいはず。それに、国防軍が作戦会議から阿部大佐を除外している事も説明できない)

 外村美歩は目を閉じたまま、深く眉を寄せる。

(やはり、問題は残る一つ。阿部大佐がネオ・アスキットと通じているか。この二者だけが結託しているのか、この点がはっきりしない。もし結託しているなら、総理は私たちに捜査の中止を命じたりはしない。いや、その判断に確証が持てないから、捜査の中止を命じたのかも。この二者が結託していないならば、十七師団にネオ・アスキットを抑えさせる方が、私たちの捜査よりも効率はいい。だから、その可能性に合わせて、軍規監視局に捜査の中止を命じた。という事は、総理はこの二者の関係について情報を掴んでいない)

 外村美歩は首を傾げた。

(でも、ストンスロプ社は? 国防軍の人事にも強い影響力をもっているストンスロプ社が何も知らないというの? きっと何かを掴んでいる。では、この事態でストンスロプ社はどう出るか。ストンスロプ社が阿部大佐の動きを止めるべく動くとすれば、おそらく、阿部大佐はネオ・アスキットと通じている。ストンスロプ社とすれば、影響力を行使し易い十七師団の方を抑えるはず。もし、阿部大佐がネオ・アスキットと通じていないなら、阿部大佐を放置して、十七師団にネオ・アスキットを殲滅してもらえば、この状況では効率もいいし、成功確率も高い。しかし、その阿部大佐を阻止するという事は、ストンスロプ社は阿部大佐がネオ・アスキットを叩く事を期待していないという事。そして、それはおそらく、ストンスロプ社が、阿部大佐とネオ・アスキットの関係を裏付ける何らかの情報を把握しているからに違いない。でも、辛島総理が捜査の中止を命じたという事は……その情報は辛島総理には知らされていない。だから、総理は確信が持てず、我々に捜査の中止を命じたのね。しかし、それだと、ストンスロプ社から総理に情報が伝えられていないという事になる。総理とストンスロプ社、あるいは光絵会長との間に亀裂が入っているという事になるわ。おかしい。前提関係が崩れてしまう……)

 外村美歩は微妙に眉を動かした。姿勢を正したまま思考を回らし、可能性を検討した。

(そうか。つまりそれは、それだけストンスロプ社が握っている情報の信憑性が高い証拠。十七師団は内閣総理大臣の直轄部隊。ストンスロプ社は、十七師団の司令官の阿部大佐とネオ・アスキットの繋がりを確信しているからこそ、辛島総理に政治的責任を負わさないよう、あえて総理に情報を伝える事をしていないのかもしれない。だとすれば、ストンスロプ社は水面下で独自に、内密にこの事態を処理しようとするに違いない。阿部大佐とネオ・アスキットが結託しているなら、ストンスロプ社は阿部大佐を止める。つまり、ストンスロプ社、いや、光絵会長は、私たちに何らかの積極的行動を求めてくるはず)

 目を閉じたままの外村美歩は、険しい顔で、弾丸を包んだ手を膝の上で強く握り締めた。

(動機が何にせよ、阿部大佐は動こうとしている。ストンスロプ社側からのアクションを待っている時間は無い。事態は切迫している。急がないと!)

「こちらから出向いて、確かめるしかないか……」

 目を開いた外村美歩は、そう小声で呟いた。そして、左手を上げ、上着の袖をずらして腕時計を覗いた。彼女は眉を寄せる。

(夕飯までには帰れそうにないわね……。ウメ、うちに行ってくれたかな……)

 この時間なら、光絵会長は帰宅しているはずだった。国防省ビルから菊永町の光絵邸までは、車でもそれなりに時間がかかる。仮に会長と任意で面会できたとしても、短時間で話が終わるとは思えなかった。外村美歩は溜め息を吐いた。その様子を、山口健士がバックミラーで心配そうに見ていた。外村美歩はネクタイに挟んだイヴフォンを操作して、町田梅子に電話を掛けようとした。左目を青く光らせて宙を見つめた彼女は、首を傾げて、再びイヴフォンを操作した。バックミラーで外村の左目の光が消えた事を確認した山口健士が、ヘッドセット越しに外村に話しかけた。

「イヴフォンの通話かい?」

「あ、はい。でも、繋がらなくて……」

「この高度じゃ無理だよ。結構、上を飛んでいるからな」

「そうなんですか……」

 外村美歩は残念そうにそう答えると、再び腕時計を見た。すると、二人のヘッドセットに、国防省の航空管制室からの通信が響いた。

『こちらST一五七八。オムナクト・ワン山口機。応答せよ』

 山口健士が応答する。

「こちらオムナクト・ワン。聞こえている、どうぞ」

『帰還予定が遅れているぞ。直ちに、所定配備体制に機体を戻せ』

「了解、ST一五七八。当機もそのつもりだが、たった今、当機は前方に積乱雲を確認した。これより、緊急回避行動に入る。申請済みの飛行予定経路を変更してくれ。飛行予定は……」

 山口健士は操縦パネルの通信ボタンを押して通信を切り、外村に言った。

「外村ちゃん。何処か行くべき所があるんじゃないのかい」

「ええ。でも、どうぞ私に構わず、機体を予定通り戻して下さい。国防省ビルから車で行きますから」

 山口健士は言った。

「馬鹿野郎。そんな事してたら、今日も残業になっちまうだろうが。おたくら、昨日も遅くまで部屋の灯りが点いていたぞ。二日も続けて残業するつもりか? それじゃあ、お袋さんが困るじゃないか。これで、送ってやるよ。これなら、車で行くより断然に速いだろ。何処だい?」

「そんな。中尉に迷惑が掛かります。どうぞ、飛行予定通りに国防省ビルまで飛んで下さい」

 山口健士は再び、無線のスイッチを入れると、その横のツマミを指で挟んで左右に回しながら、マイクに向かって話した。

「ST一五七八、こちらオムナクト・ワン。聞こえるか」

『こちらST一五七八。どうした、通信が乱れているぞ』

「だから、積乱雲だって言っているだろう。雷の直撃を回避する為にプラズマ・ステルス飛行に切り替える。念のため大きく迂回して帰還する予定だ。到着時刻が予定より大幅に遅れると思われる。そのつもりでいてくれ。どうぞ」

『おい、待て。どのルートを飛ぶつもりだ。プラズマ・ステルスにしたら、こちらのレーダーにも……』

 山口健士はツマミを大きく回した。ヘッドセットのヘッドホンから雑音が響く。ツマミを左右に回しながら、彼は通信した。

「ああ、通信が不調。通信が不調。よく聞こえないぞ。積乱雲が近くなってきた」

 山口健士はその横のボタンを押して、無線を切った。続けて、プラズマ・ステルスの起動スイッチを押し、ステルス飛行モードに切り替える。外村美歩は慌てた様子で言った。

「中尉。いけません」

 山口健士は操縦パネルのスイッチをあれこれと操作しながら言った。

「ああ、規則を破っちゃった。でも、プラズマ・ステルスは起動させたら、すぐにはシャット・ダウンできないからなあ、暫くこのまま飛ぶしかないかあ」

「中尉……」

 山口健士は外村に怒鳴った。

「あんたらが、しっかり仕事をしてくれなきゃ、俺たち軍人は、安心して任務につけねえじゃねえか。軍内で唯一、手動飛行ができる元戦術パイロットのエースが、暗視飛行までして送迎してやろうって言ってんだ。ぐずぐすしていると、本部のエアーネット・スキャンに引っ掛かっちまうぞ。ほら、何処に行けばいいんだ。さっさと命じてくれ、大佐」

 山口健士はサングラスのような暗視ゴーグルを顔に装着すると、コックピットの電気を消し、操縦桿を強く握り締めた。

 プラズマ・ステルス飛行を始めたオムナクト・ヘリは、稲光を巻き込んでいる積乱雲の下を低空で飛行し、闇間へと消えていった。



                  三十

 降りしきる雨の中、オムナクト・ヘリは四方に霧の幕を広げて飛行していた。顔に暗視ゴーグルを装着した山口健士は、サイドガラスから下を覗きながら言った。

「ここが光絵会長の家か。かあ、上から見てもデカイなあ。家って言うより、城だな」

 外村美歩は申し訳無さそうに言う。

「すみません。中尉。無理していただいて。始末書は大佐の私が……」

 山口健士は左手で肩の後ろに向けて手を横に振った。

「いいの、いいの。通信を全て遮断して、プラズマ・ステルスで飛んできたから、航空指令本部は俺達が今どこにいるのかも、分かりゃしないよ。雲の中で迷ったとか何とか、適当に言っておくから」

「でも……」

「どれどれ。ちょっと狭いが、この辺にするかな」

 着陸ポイントを絞った山口健士は、顔からゴーグルを外すと、隣の空席の上に投げ、操縦桿を両手でしっかりと握って、真顔になった。

「ちょいと揺れますよ。大佐殿……よっ……と。よおし。よおし」

 そのオムナクト・ヘリは光絵邸の玄関の前に広がる芝生の上に着陸しようとしていた。そこは広い庭ではあるが、周囲に植木や街灯が立っていて、玄関から伸びる階段の下には、長方形の池もある。その横の薔薇の植え込みの隣の芝の上を、オムナクト・ヘリのサーチライトは照らしていた。つまり、山口健士は、そこを着陸ポイントにして狙いを定めていた。庭としては広いが、オムナクト・ヘリの巨体を着陸させるスペースとしては、ギリギリの広さである。障害物も多いうえに、この雨で視界も悪く、更には横風も強い。素人の外村美歩にも、無理のある着陸である事は、すぐに分かった。彼女の懸念どおり、機体は横風に押されて、右に左にと大きく移動した。山口健士は片手で操縦桿を細かく動かし、もう片方の手でオムニローターの角度調節レバーを素早く動かしながら、空中での機体の位置を微調整する。機体の四方で、それぞれのオムニローターが踊るように角度を変え、排出する風に角度をつけた。機体は水平のまま独楽のようにくるりと回ったり、荒波に浮かぶ小舟のように前後に傾きながら、少しずつ下に降りていく。

 外村美歩はコックピットとの隔壁の縁に掴まりながら、山口に言った。

「ヤマケンさん、そんなに無理しなくても……」

「なーに言ってんの、このくらい。下から弾が飛んでくる訳じゃあるまいし……よっ、ほっ……それに……この雨じゃ、玄関に近い所の方がいいだろ。軍用機に傘は入ってないからな……よっ」

 山口健士は操縦桿を動かしながら、そう答えた。外村美歩は言う。

「今度から傘を入れるように、上に言っておきますから……」

「傘差して戦闘する兵士は……いない……よーし、よーし」

 機体が少し上下に揺れ、動きが止まった。四方のオムニローターが回転速度を落とす。機体はしっかりと地に足を付けていた。

 山口健士は額の汗を拭う仕草をしながら、息を吐いた。

「ふう。よおし、オーケー。久しぶりにスリルがあったぜ。今、ハッチを開けるからな。待ってな」

 山口健士はドアを開けて外に出ると、外からスライド式のドアを開けた。小雨が降り続いている。外村美歩は山口の手を借りて機体から降りると、惰性で回るプロペラの風に舞う髪とスカートの裾を押さえながら、小雨の中を走っていった。池の縁の大理石の横を走り、玄関へと続く階段の前までくると、外村美歩は立ち止まり、振り返って山口に一礼した。コックピットのドアを閉めた山口健士は、外村に敬礼してから手を振り、早く行くように促した。外村美歩は水飛沫を小さく立てながら、階段を上がっていった。途中、二階の窓を見上げると、そこに、窓辺に立つ老女の姿が見えた。光絵由里子の在宅を確認した外村美歩は、更に階段を駆け上がっていった。彼女が長い石の階段の上まで辿り着くと、ほぼ同時に玄関の大きなドアが開いた。中から、アイロンが綺麗に掛かったダークスーツを着た白髪に白い口髭の紳士が出てきた。外村美歩は少し戸惑いながら言った。

「あ、あの……夜分に急にすみません。国防軍の者です。緊急の用件で伺いました。着陸については、どうかご理解ください。大至急、光絵会長にお話ししたい事が……」

 白髪の紳士はタオルを差し出しながら言った。

「会長の執事をしております、小杉と申します。よほどの大事のようですな。まあ、とにかく中へ」

 外村美歩は一礼するとタオルで肩や髪を軽く撫でるように拭きながら、玄関の中に入っていった。



                  三十一

 執事の小杉正宗に案内され、外村美歩は部屋の前にやってきた。小杉正宗はドアの横に立ち、外村に言う。

「どうぞ。中で会長がお待ちです」

 外村美歩はドアをノックした。

「どうぞ」

「失礼します」

 外村美歩はドアを開け、中に入った。広い執務室には、中央に会議用のテーブルと赤いハイバックの椅子、奥には応接用のソファー、窓の近くには、それを背にして置かれた大きな執務机が置かれていた。執務机の横に、赤いハイバックの椅子が二脚と木製の肘掛け椅子が一つ、内向きに輪になって置かれている。その肘掛け椅子には、鮮やかな青色のジャケットを着た品のある老女が姿勢を正して座っていて、鋭い目でこちらを見ている。椅子が置かれている状況からして、彼女は、さっきまで誰か客人たちと鼎座していたようだった。外村美歩は室内をもう一度見回した。しかし、老女以外には誰もいない。外村美歩は老女の方を向いて一礼すると、口を開いた。

「国防省軍規監視局監察官の外村といいます。緊急の用で光絵会長に面会を賜りたく、伺いました。どうか、邸内への当機の着陸を……」

「いいの。構わないわ」

「……」

 外村美歩は光絵の悠然と構えた態度に眉をひそめた。光絵由里子は言う。

「あなたが、外村美歩大佐ね。写真で見るより、随分と美人ね」

「私の情報を?」

 外村美歩は警戒した。光絵由里子はうそ笑みながら頷く。

「ええ。他にも何人もね。でも、あなたが一番乗りだとは、正直、驚いたわ」

「どういう事でしょう」

 外村美歩が怪訝な顔で尋ねると、光絵由里子は静かに言った。

「まあ、お掛けなさい」

 光絵由里子は向かいの赤いハイバックの椅子に座るよう、外村に目線で勧めた。

「いえ。このままで結構です」

 外村美歩の態度を見て小さく嘆息した光絵由里子は、外村に言った。

「いいわ。教えてあげましょう。でも、その前に、先ず、あなたの方から先に教えてちょうだい。あの軍用ヘリコプターは、AI搭載機なのかしら」

 光絵由里子は首を小さく横に振った。

「いいえ。操縦士の手動で飛ばしています」

「手動? ということは、神経感知型システムも搭載していないのね」

「はい」

「ネットワークや、無線通信は?」

「ステルス飛行をしていたそうなので、全て、遮断していたはずです」

 光絵由里子は目線を下げ、口角を上げた。横を向いた彼女は、一度、大きく嘆息を漏らすと、再び外村に顔を向けて言った。

「面白いわね。やはり、あなただったのね。悔しいけれど、私は、辛島総理に一杯喰わされたようね」

 外村美歩は眉を曇らせる。

「私が、何か……総理が何か私の事でも?」

 光絵由里子が言った。

「不確定性原理よ。ご存知かしら」

「不確定性原理……いいえ」

 首を振った彼女に光絵由里子は説明した。

「一九二七年にハイゼンベルグ博士が唱えた原理です。二つの物質の物理量を測定する際には、一方の測定精度を高めるに従って、他方の測定精度は低下し、その測定値は不確定なものとなってしまうというもの。量子力学の中心をなす原理なの。例えば、粒子の『位置』を測定しようとすれば、粒子の『運動量』が測定できず、また、粒子の『運動量』を測定しようとすれば、粒子の『位置』をつかめない。つまり、粒子のレベルでは、粒子の『運動量』と『位置』を同時に測定することが出来ない」

「それと私と何の関係が……」

「あなたは、その粒子一つだったという事です。偶然因子としてのね。そして、これからも、そう。辛島総理は、あなたに望みをかけたのね。きっと」

 外村美歩は、釈然としない話をする光絵に苛立ちを募らせた。

「いったい、何を仰りたいのです。私は、監察官として、この国の憲法の下、職務を全うすべく、ここへやって来ました。今、私がここに居るのは、軍規と刑法に違反している者たちに、法の裁きを下すべきか否かを判断するためです。物理の講義を聴きに来た分けではありません」

 光絵由里子は静かに笑った。

「あの永山とかいう記者と同じ事を言っているわね。面白いわ」

 そして、落ち着いた様子で応えた。

「阿部亮吾大佐と、彼に通ずる者の事ね。彼はやはり、ネオ・アスキットとかいう徒党の一員なのですか?」

「それを確認しに参りました。もしあなたが、その連中を動かしているのなら、私は阿部大佐を直ちに逮捕し、あなたを内乱陰謀の罪で刑事告発します」

 外村美歩は真っ直ぐに光絵の顔を見据えて、そう言った。光絵由里子は動じる事無く、静かに頷く。

「そう。でもそれは、少しお門違いだったわね。私は阿部大佐とは面識がないわ。それに、ネオ・アスキットという組織の存在自体、それを初めて知ったのは昨日です。私に関与できるはずがないわ」

「しかし、調達局とは親密な関係があるはず。違いますか」

「ええ。確かに。彼らには、GIESCOからも幾多の技術提供をしているはずですし、ストンスロプ・グループの各社からは、幾度も兵器納入をしています。親密といえば、親密ね」

 光絵由里子は端然と座したまま、そう答えた。外村美歩は追及する。

「それだけでしょうか。調達局は、御社のGIESCOが開発した新型兵員輸送機『ノア零一』の納入を急いでいますね。なぜ、こうも急ぐ必要があるのでしょう。あの兵器は、まだ試作段階なのでは」

 再び口角を上げた老女は、鋭い視線を外村に向けた。

「さすが、監察官ね。ロースクール出の特別事務軍人。調査の目の付け所、その早さ、どれをとっても一流ね」

 外村美歩は真顔で言う。

「はぐらかさないで下さい」

 光絵由里子は少しの間、彼女の瞳を観察した。そして、背もたれに背を当てると、深く頷いて見せた。

「いいわ。話してあげましょう。一等賞を取った、ご褒美に」

 外村美歩は黙って立っていた。光絵由里子は話し始めた。

「まず、何故あなたが、ここに来たのか。いいえ、何故ここに来れたのか。あなた、SAI五KTシステムについては、お聞きになっているかしら」

 外村美歩は光絵の目を見たまま、慎重に、ゆっくりと答えた。

「はい。概要は。AB〇一八が暴走していて、あなた方が製造したIMUTAを完全支配下に置き、演算速度の加速を続けている。その処理能力は高度化を続け、今や、ネットワークを通じて、現実世界の事物の変化さえもコントロール出来るほどになってしまっている」

 膝の上で手を組んだ光絵由里子は、目を瞑り、外村に言った。

「そうね。フォンノイマンボトルネックと呼ばれるノイマン型コンピュータの欠点を克服する為に、非ノイマン型コンピュータのAB〇一八とIMUTAを結合させたのが、誤りだったわ。まさか、あの時の田爪博士も、ここまでの事態は予測していなかったのでしょう」

 外村美歩は間髪を容れず質問した。

「その田爪健三博士が今、何処にいるか、ご存知なのですか」

 目を開けた光絵由里子は、執務机の上から弁当箱のような金属製の箱を手に取ると、視線を向かいの赤いハイバックの椅子に向けながら、言った。

「ええ。さっき、ここへやって来たわ。つい、今しがたね。これを持って」

 光絵由里子は手に持った箱を少し持ち上げた。外村美歩は空いている二つの椅子の上を交互に見た。片方の椅子の赤い背もたれに、ごく一部分だけ薄く水気が残っていた。それが来訪者の服についた雨粒であると察した彼女は、コバルト・ブルーのネクタイに挟んだイヴフォンに手を伸ばした。すると、光絵由里子が言った。

「通報するのは、私の話を聞いてからになさい。それでもなお、通報するつもりならね」

 光絵由里子は外村を睨んだ。その目は強圧的で厳しいものだった。外村美歩は恫喝に屈した訳ではなかったが、イヴフォンから手を放した。そして、その手で光絵の膝の上の金属製の箱を指差した。

「それは……」

 光絵由里子は、ゆっくりと、はっきりと答えた。

「バイオ・ドライブ、『パンドラE』よ」

 外村美歩は双眉を寄せる。

「パンドラE?」

 光絵由里子は頷いてから言った。

「我々がつけたコードネームよ。GIESCOでは、そう呼んでいるの」

「……」

 事情が呑み込めずにいる外村に、光絵由里子は話した。

「この『パンドラE』を使えば、AB〇一八の暴走を止める事ができる。田爪博士は、そう言っていたわ。ですが、問題は、どうやってこれを奴に繋ぐかね。それが出来なくて、困っていたの。あなたが、ここへ来るまでは」

 外村美歩は僅かに首を傾げ、顔を顰めた。

「私が……?」

 光絵由里子はまた頷くと、今度は外村に質問した。

「軍の方では、何か計画を立てているのかしら」

 外村美歩は、はっきりとした口調で答えた。

「作戦については、お話できません。それより、そのドライブと私が、何の関係があるのです?」

「関係は無いわ。何もね。しかし、それが重要なのです」

 外村美歩は斜めにした顔の眉をひそめ、一瞬、瞳を左右に動かした。彼女には、光絵の言わんとする事が全く理解できなかった。困惑する彼女に、光絵由里子は説明した。

「AB〇一八は、時の流れを左右できます。因果の連鎖を同時並行処理で予測演算し、因果の流れに細工をして、自分に有利な結果へと導く事ができる。軍隊が何を計画しても無駄ね。実際、事態を把握しておきながら、地下の神経ケーブルひとつ切断できない。ここ数ヶ月、技術系職員に自然死や事故死をした者が数名いるのでは?」

「……」

 外村美歩は先輩の女性監察官が言っていた事を思い出した。近頃、軍規監視局の捜査対象事案の中で、業務上過失致死容疑の事件が急増していた。転落、感電、圧迫など、直接の原因は様々であったが、どれも不可抗力の事故案件で、かつ、訓練中や何らかの任務中に起きた事故である。その被害者は全て死亡していた。しかも、それらの被害者はほとんどが技術兵と呼ばれる現場の技術者たちだった。業務上過失致死事件は、軍としての安全配慮義務違反や注意義務違反が争点となり、責任追及は上級職員にまで及ぶ事があるため、監察官たちは国防人事に配慮しながら捜査しなければならなかった。そのような難儀な案件が急増していて、軍規監視局の監察官たちは忙殺されていた。つまり、それだけ多くの技術兵たちが死亡していた。

 光絵由里子は、凝然として立ち尽くしている外村に息を吹き込むように、話を続けた。

「そして、それらの者のほとんどが、AB〇一八をシャットダウンさせるか破壊する計画に何らかの形で関わっているはず。おそらく、その死の大半は、AB〇一八の仕業です。奴が導いた『結果』なのです。誰にも知られないまま、ひそかに抹殺を実現しているのよ」

 外村美歩は深刻な顔で尋ねる。

「証拠は、あるのですか」

 光絵由里子は即答した。

「無いわ。だから、厄介なの。誰も信じない。信じたとしても、何も手が打てない。国防軍は勇敢だわ。私が知る限り、この事実を知る公務員で、実際に本気で行動を起こそうとしているのは、あなたがた国防軍だけ。すばらしいわ」

 釈然としなかった。外村美歩は強い口調で光絵に尋ねた。

「しかし、私は、国防軍から命じられて、ここへ来た訳ではありません。勿論、国防省からも。監察官として、独立した権限に基づき、独自の判断で事情聴取に参りました」

 光絵由里子は片笑んだ。

「事情聴取……いいでしょう。しっかりと、聴取なさい。ただし、それをどこまで記録に残せるかしらね」

 外村美歩は毅然と答えた。

「それは、監察官である私が判断します」

 光絵由里子は外村から視線を逸らした。

「そう。いいわ。好きにしてちょうだい。辛島総理も、そう望んでいるはずです」

「やはり、辛島総理がこの件に深く関わっているのですか。それとも、ネオ・アスキットと何か関わりが……」

 光絵由里子は外村の発言を遮り、はっきりとした口調で言い切った。

「いいえ、違うわ。彼はこの国の首相として、本気で国民一人ひとりの『個人の尊厳』を守ろうとしているだけ。だから、今回の件も誰よりも早く事態を重く受け止め、対策を練ったに違いありません。周りの人間を欺く事をしてもね。私は、そう理解しているわ。勿論、賛同はできないけれど」

 外村美歩は険しい表情になった。

「総理が周りを欺いているとは、どういう事なのですか」

 光絵由里子は微笑みながら言う。

「私の表現がいけなかったわね。彼は世界一のコンピュータとチェスをするふりをして、机の下では、サイコロを振っていたのよ。そして、見事に『上がり』に近づく目を出して見せた」

「解るように、説明して下さい。いったい、総理は何をなさったというのです」

 光絵の比喩的な説明に、外村美歩は苛立ちをぶつけた。光絵由里子は冷静に答える。

「偶然を利用したのです。AB〇一八は事物の因果関係を分析し、そこから、あらゆる可能性を算出して結果を予測する。つまり、未来を見る事ができる。しかし、彼にも一つだけ出来ない事があるのです。それは偶然の予測。彼の予測演算が、因果の流れを辿るものである以上、その因果関係から外れた事象は、他の因果系列と結びつける事が出来ない。また、仮に可能性の一つとして定立されたとしても、その実現可能性が極度に低いならば、経験則から、それを切り捨てる。あなたは、この二つの『隙間』を歩んできたのでしょう。そして、辛島総理は、あなたがそうする事を期待して、あえて逆の言動をする事で、AB〇一八の因果の予測を別の方向に進めようとした」

「……」

 説明を理解しようと思考している外村を指差して、光絵由里子は言った。

「あなた、今回の捜査で、上層部から圧力は受けなかった? もしくは、辛島総理から、捜査を中止するよう命じられた事はない?」

「……」

 返事を躊躇している外村の目を見つめながら、光絵由里子は彼女に言った。

「おそらく総理は、そのような手段をとっても、決してあなたが捜査を止めないと信じていたのです。そして、おそらくは、同じような『サイコロ』を、他の機関でも振っている。皆、辛島総理が、あなた方を信じておられるからこその対応なのです」

「AB〇一八は、総理が捜査中止を命じても、私が捜査を中止しない事までは、可能性として考慮していなかったという事ですか」

 外村の問いに光絵由里子は首を横に振って答えた。

「いいえ。そうではないわ。それは、カントの二分論に反するわね。辛島総理が捜査の中止を命じた以上、その先には、捜査が中止されるか、されないか、二つに一つしかないわ。でも彼は、あなたに捜査を中止するよう直接、命じたのかしら」

 外村美歩は思った。

(なるほど、確かに総理は森寛局長に命じただけで、独立した職権を有する私には何も命じていない。つまり、私自体は、捜査中止を命じられておらず、捜査を実行しても、その適法性は担保される。従って、後日、被逮捕者が捜査の違法性を争う事はできない)

 外村の表情を観察していた光絵由里子は、説明を続けた。

「つまり、辛島総理の行動から無限に広がる因果の支流の上に、あなたという存在は無いのよ。だから、そもそも、彼の行動に纏わる未来予測の演算の中に、あなたという因数は入ってこない。それに、あなたはネオ・アスキットや阿部の軍規違反について捜査しているだけで、AB〇一八の停止や破壊を目的とした行動をとっている訳ではない。だから、AB〇一八は、あなたの情報を自分とは直接に結び付けなかった。一方で、辛島総理が、国防軍を使って作戦会議を重ねれば重ねる度に、AB〇一八は、そこから広がる膨大な因果の可能性を処理する必要がある。不確定性原理よ。辛島総理から広がる因果の可能性を算出すればするほど、あなたという粒子の位置を測定できなくなる」

 眉間に皺を刻んだ外村美歩は、一言ずつ確認するように、ゆっくりと光絵に尋ねた。

「辛島総理は、ご自分や軍を囮にして、私が想定外に、ここへ来る事を未必的に期待していたと」

 光絵由里子は再び首を横に振った。

「いいえ。未必的にすらも期待はしていなかったかもしれないわね。それなら、期待値が発生してしまうわ。でも、彼はただ、信じていたのよ。あなたという人間の信念を。きっと、ただ、それだけよ。つまり、あなたは『託された』の」

「託された……」

 外村美歩は思わずそう繰り返した。光絵由里子は大きく頷いて言う。

「偶然が重なり、AB〇一八に妨害されること無く、私と面会する事ができた。まさに『偶然連鎖の公式』通りでもあるわね」

 外村美歩は答えを求めた。

「私がここに来る事に、いったい、どんな意味があると言うのですか」

 光絵由里子は膝の上の金属の箱を持ち上げて言った。

「これよ。これを奴に繋ぐ手助けをしてほしいのよ」

 彼女の手には、バイオ・ドライブが握られていた。外村美歩はそれを見つめながら、呆然と立ち尽くした。



                  三十二

 バイオ・ドライブを膝の上に戻した光絵由里子は、それに視線を落としながら、外村に語った。

「これをAB〇一八に接続する事を依頼する為に、私が誰かに会う行動を積極的にとれば、AB〇一八の予測演算により、自然と妨害されていたことでしょう。おそらく、これまでも妨害されてきたのかもしれませんが。ですが、今こうしてやって来たあなたのように、誰も予想しない来訪者であれば、それは、奴の演算の範囲には入っていない。きっと辛島総理は、こういう偶然の事態が生じる事を願って、幾つもの対策を平行して講じていたのよ。彼のことです、おそらく、閣議や国防軍内の作戦会議とは別に、秘密裏に別動のミッションを進めているはずだわ。その為に、他にも幾つもの種を蒔いているに違いない。そして、その種の中では、あなたが一番、花をつけるのが早かったという事ね。私が、あなたの事を一番乗りだと言ったのは、そういう意味よ」

「では、私が、そのバイオ・ドライブをAB〇一八に接続すればよいのですか」

 光絵由里子は外村をゆっくりと下から上に観察した。そして、結論を下した。

「いいえ。それは別の人たちに任せましょう。その人たちが現れればの話ですが……」

 憂えた目を床に落とした光絵由里子は、呟くように言った。

「また、若い娘さんを危険に晒すつもりはないわ。それに、あなたは、あの子とは違う」

「あの子とは誰ですか」

「鉛の弾に防空頭巾で立ち向かう子よ。まあ、誰でもいいわ。忘れてちょうだい」

 笑いながら顔の前で手を振った光絵を、外村美歩は訝しげに見つめた。光絵由里子は真顔に戻ると、外村の目を見て言った。

「ただ、あなたには、『手配』をしてほしいの」

「どういった」

 表情を崩さない外村美歩に、光絵由里子は計画の説明を始めた。

「今、田爪博士は、GIESCOにいるはずです。彼をそこから安全にAB〇一八のある施設まで移動させたいのです」

 首を傾げた外村美歩は口を挿んだ。

「ちょっと待ってください。田爪博士は、こちらに来ていたのですよね。そして、AB〇一八の施設を通り過ぎて、GIESCOまで向かったのですよね。その彼を再びAB〇一八の施設に送る。どうも、納得がいきませんが」

「だからAB〇一八も理解できなかったのよ。あれは所詮、機械。非効率的な人間の行動は理解できないわ。だから今も田爪博士の行動を予測できずにいる」

「ですが、GIESCOから移動を開始すれば、その時点でAB〇一八が妨害工作を講じるのでは?」

 光絵由里子は頷いた。

「さすが、理解が早いわね。その通りよ。だから、安全なルートを準備してあるわ」

「安全なルート?」

「ええ。ですが、エスコートが必要です。そのための人材の手配をしてもらいたいの。彼をどうしてもAB〇一八の施設に行かせる必要がある。この『パンドラE』を他の誰かが接続しても、田爪健三が現場に居なければ、おそらくAB〇一八を停止させて、IMUTAを安全に切り離す事はできません。もし、IMUTAが停止すれば、国内全てのインフラシステムも停止され、防衛体制も解除されます。さらには、世界中の金融情報が混乱に陥り、瞬時に世界規模での金融恐慌が生じるでしょう。最悪、戦争になるかもしれないわ。だから、絶対にIMUTAを停止させてはならない。ですが、同時に、AB〇一八から離脱させる事もしなければならない。その為には、田爪博士の知識と技術が必要になるはずです。だから彼をAB〇一八の施設まで移動させなければならない。しかも、このバイオ・ドライブを接続する時間に合わせて。ところが、行動を開始した後では、博士が一人で安全に移動する事は困難となるでしょう。ネオ・アスキットや深紅の旅団レッドブリッグだけでなく、世界中の諜報機関が彼を狙っています。それに、彼が行動を開始すれば、AB〇一八によって妨害される事は必至でしょうから」

 外村美歩は怪訝を募らせた。

「でも、それでは、どうやって移動させればよいのです?」

 光絵由里子は答えた。

「我々が製造した舟を使うといいわ。『ノア零一』を。あれは、完全にオフラインで行動できるように設計してあります。電力も電波も使わない。少なくとも、AB〇一八からの監視の目は誤魔化す事ができるはずです。それと、移動ルートは地下を使うべきね」

「地下?」

「AB〇一八とIMUTAを繋ぐ神経ケーブルは、この新首都市街の地下を南北に走る専用の地下トンネルの中を通っているの。そこに、『ノア零一』が通れるだけの道幅はあるはずよ。そして、それは、ちょうどGIESCOの敷地の下も通る。それで我々は、現在『ノア零一』を保管している地下の整備ドックから、その地下トンネルに向けて、連絡通路を密かに接続させました。そこを通れば、誰にも見つかる事無く、AB〇一八まで移動できるかもしれません」

 外村美歩は困惑した顔で言った。

「しかし、私の任務は、あくまで阿部大佐の逮捕と尋問と起訴です。物理的作戦を実行するのは、監察官の職務ではありません」

 光絵由里子は厳しい顔で言う。

「その阿部亮吾大佐は、田爪博士かAB〇一八を確保する為に動くはずよ。あなた、彼には、まだ会ってはいないの?」

「ここに来る前に、任意で話を聞きに行きました。それで、確信が持てなかったので、こちらに伺ったのです」

「その時、何かの気配は感じなかった? 彼らが、決起するような気配は、何も無かったのかしら」

「……」

 外村美歩は黙っていた。光絵由里子は視線を床に落とす。

「そう……。もし、阿部大佐が動くとすれば、今夜かもしれないわね。こうして、事が動き出した以上、時の流れに何らかの変化が生じるはずだから……」

 そして顔を上げた光絵由里子は、外村に言った。

「違うのよ。あなたのせいではないわ。気にする事はありません。それに、AB〇一八が阿部大佐を動かすかもしれないわね。田爪博士が自分に近づく事を防ぐために」

 外村美歩は再び眉を曇らせた。どう考えても、光絵の言う計画は破綻しているし、矛盾が多い。外村美歩にはそう感じられた。しかし、光絵由里子は説明を続けた。

「いずれにしても、今後あなたが、しかるべき行動をとれば、阿部大佐も行動を起こすはずです。あなたが何もしなければ、彼も何もしないかもしれない。しかし、AB〇一八は、ここからのあなたの行動を演算し直して、奴の計算範囲に取り込んでしまう。そうなれば、せっかく辛島総理が蒔いた種も、すべてが枯れて流されてしまうわ」

 光絵由里子はバイオ・ドライブを持った手を伸ばして、それを執務机の上に戻しながら言った。

「人は時に、思いもしない責任を背負わされる事があります。今、あなたの前には、いくつもの行動の選択肢がある。しかし、それは形式的、理論上の話であって、実質的には、あなたに選択の自由は無い。人生は大抵、そんなものです。そして、その事には、賢い人間ほど、よく気づく。理不尽よね。賢いあなたも、気づいてしまっているはずだわ。あなたには『義務』がある事に。国防軍人としての『義務』が。しかも、その義務は、私が主張し、おそらくは法律家であるあなたも学んだであろうところの『責任』とは、何ら関係が無い。今、あなたが負っている『責任』は、無知蒙昧な人間たちが、軽挙妄動の際に口にする『責任』の事で、本来の意味での『責任』ではない。私も、その事は十分に承知しているつもりよ」

「……」

 外村美歩は、光絵の博識を知ってはいたが、あらためてそれに驚かされた。光絵由里子は話を続ける。

「だから、あなたが自己の負担する『義務』を履行するために、行動を起こすか、起こさないか、問題はこの一点にかかっているわ。強いるつもりはありません。あなたには、その前に、『義務』を履行するか、しないかの選択肢があるのですから。しかし、もし、軍人としての『義務』を履行する為に行動を起こすというのなら、急ぎなさい。悠長な事をしている暇は無いわ。その上で、頼れる人物がいないというのなら、仕方がありません。なんとか私の方で人を集めましょう。私も、ここで全てが水泡に帰すのを、ただ、じっと待つつもりは無いわ」

 左右の肘掛に手を載せた光絵由里子は、外村の目を見据えた。

「さあ、私は説明義務を果たしたわ。後は、あなたが義務を果たす番よ。決断してちょうだい。『託された』人間の義務として」

「私は……」

 外村美歩は困惑した顔で光絵を見つめていた。



                  三十三

 外村美歩は迷った。AB〇一八の暴走については、新日ネット新聞や新日風潮の記事を始めとするマスコミ報道で知っていたし、バイオ・ドライブについても、郷田や久瀬たちの事件の記録で大方を知っていた。しかし、どれも話に信憑性が無く、関係者の主張事実あるいは認識として記憶していただけだった。彼女もまた、森寛と同じく、他の一般大衆がそうであるように、機械が時の流れを支配しているという話までは信じていなかった。だが、それが本当なら大変な事態である事は、すぐに理解した。そして同時に、阿部大佐が決起しようとしている事に確信も持った。その彼女の確信は、光絵由里子の発言と態度によって、更に根拠付けられた。だから彼女は迷っていた。外村美歩は視線を窓に移し、雨に打たれる平和な市街地の街並みを望んだ。そして、考える。自分は行動を起こすべきか。千載一遇のチャンスを担っているのであれば、その機を生かすべきか。いや、光絵由里子が私を騙しているとしたら……。もし、騙していないとした場合は、次に人類が好機を掴む事はないのかもしれない。二つの場合におけるそれぞれの結果の違いは大き過ぎる。ならば、より悪い結果を生じさせる場合の方に対処するべきか。光絵由里子の言を前提に行動した方がよいのだろうか……。外村美歩は迷い続けた。

 すると、彼女の脳内の聴覚野に着信のメロディーが響いた。視界の中の光絵由里子の前に局長という二文字が小さく浮かぶ。外村美歩はコバルト・ブルーのネクタイに挟んだイヴフォンのスイッチを押し、通話に出た。彼女の左目が青く光る。視界に制服姿の森寛常行の記憶画像が浮かべられた。

『おお、外村君。無事だったか。よかった。帰りが遅いんで輸送隊に問い合わせたら、山口中尉の機体が帰還していないと言うじゃないか。正直、焦ったよ。今、何処に居るんだ?』

「父の友人宅です。山の上の」

 外村美歩はSAI五KTシステムを経由しているイヴフォン通話を警戒し、光絵の邸宅に居る事を、そう表現した。彼女は、森寛なら、彼女に父がいない事は知っているし、この言い方で気付くはずだと期待した。森寛常行は、その期待に応じてくれた。

『父の友人? ああ、なるほどね、分かった。そういう事か』

 森寛の回答に安堵した外村美歩は、森寛に尋ねた。

「そちらは」

 森寛の像は眉を八字に下げた。

『こっちはね……。ああ、捜査の話だから、あいつには関係ないか』

 そして笑顔になると、少し上を向いて言った。

『調達局長室。今、津留の身柄を押さえて、局内にガサを入れているところだ。たぶん、いろいろ出てくるぞ。こりゃ、収賄は間違い無しだな。君が睨んだ通りだ。後は、阿部だな。そっちはどうだった』

 外村美歩は一瞬、発言に躊躇したが、意を決して森寛に報告した。

「私が話を聞いた限りでは、彼は例の地下組織と関係があります。間違いありません。私の判断では、そうなります。しかし、こちらのご婦人は、関与を否定しています。彼女の話では、阿部大佐は今夜、何かを起こすそうです。おそらく、大佐自身が言うとおり、決起でしょう。何としても、我々の手で早急に大佐を逮捕しなければ」

『うん。分かった』

「それから……」

 光絵を一瞥した外村美歩は、視線を床に落とし考えた。肘掛け椅子に腰を下ろしたままの光絵由里子は、鋭い視線で外村を見つめたまま、少しだけ顔を顰めている。外村美歩は自分の上着の襟元に視線を移した。一薬草をデザインした金色のバッジが光っている。外村美歩は再び顔を上げた。そして、上司の森寛に伝えた。

「逃亡中の田爪健三と思われる人物がGIESCOの施設内に潜伏しているとの供述を得ました。ご報告します」

 光絵由里子は項垂れて、大きく溜め息を吐いた。森寛の像は表情を引き締めて一言だけ答えた。

『そうか……』

 そのまま暫らく黙り込んだ森寛常行は、また口を開いた。

『よし。外村美歩監察官。只今の発言を後日、正式に証言できるかね』

「はい。勿論です」

『では、このイヴフォンの通信モードを秘匿の認証モードに切り替えなさい。裁判所と三者通信とする。通信の録画による記録は、こちらで行う』

「はい。了解しました」

 外村美歩はイヴフォンのスイッチを押し、認証モードの設定画面に切り替えた。彼女の視界に、縦横に九つの四角い升目が並んだ画像が浮かんだ。升目は全て黄色である。外村美歩は、指先でイヴフォンのボタンを何度も押し、画面の上の四角い升目の色を、記憶した通りの順番で、記憶した通りの位置の升目の色を、記憶した通りに変えていった。パスコードが正確に入力された事が文字で表示されると、続いて音声照合画面に切り替わる。外村美歩はそこに浮かべられた文字を読んでいった。相手方に登録された音声との一致が確認され、本人確認が終了する。視界に浮かんでいた画面が消え、外村美歩と裁判所の通信が許可された。続けて森寛との通信とリンクされ、三者間の同時通話が可能となる。暫らく待つと、彼女の視界に、黒い法衣を身にまとった女性裁判官の姿が森寛と並んで映し出された。その判事は淡々とした口調で言った。

『外村美歩監察官ですか。ご苦労様です。事情は聞いています。言える範囲で、現在地の特定と所在している目的を陳述して下さい』

「はい。現在、容疑者の捜索と関係者からの事情聴取のために、重要参考人の私邸にいます。当該参考人の氏名は、通信窃受防止法第七条の規定により秘匿し、『甲』とします。正式氏名は、同法の手続きに従い、後日書面にてご提出います」

 判事は頷いた。

『分かりました。事後提出による秘匿を許可します。それでは、容疑者の氏名と所属、及び捜査の必要性を』

 外村美歩は答えた。

「氏名は、阿部亮吾。所属は国防陸軍第十七師団です。私は、彼が反乱組織と内通し、今夜、内乱を実行すべく陰謀し、予備行為に着手した疑いが極めて高いと思量します。また、同人は、国防軍規に違反して多量の武器弾薬を不法に貯蔵している事実を確認しております」

 森寛常行が発言した。

『この点は、外村監察官の目視確認だけでなく、当局で差し押さえた、共謀者津留栄又の指示により作成された装備品支給指示書及びその付属書類の記載からも、明らかです。各種映像資料も収集しております。すなわち、外村監察官の主張について、後日、確実に且つ明確に証明できる証拠資料が揃っていると言えます』

 外村美歩が言う。

「また、参考人『甲』の供述によれば、阿部亮吾は、今夜、内乱の実行に着手する虞があるとの事であります」

 外村美歩は光絵由里子を一瞥した後、再び発言した。

「したがって、私は国防監察官として、当該容疑者から当該刑法犯容疑についての事情聴取及び内乱陰謀に関与した他の軍人の氏名等についての供述を早急に録取するために、その身柄を緊急に確保し、急ぎ尋問する必要があると思量いたします」

 森寛常行が捕捉した。

『その他、詳細については、提出した申請書に記載の通りです。よって、当該申請書に記載の通りの令状の発布を緊急に求めるものであります』

 法衣姿の判事は採決した。

『分かりました。当裁判所は、本件電気通信方式による逮捕令状の緊急申請を正当と認め、申請人たる国防省監察官森寛常行及び同省監察官外村美歩に対し、申請書記載のとおり、容疑者阿部亮吾の身柄を拘束する事を許可すると共に、直ちに口頭で、電子通信方式による逮捕令を発布し、もって本件逮捕令状の発布に代える事とします。なお、後日、書面による逮捕令発布調書の副本を交付するので、速やかに受領手続きを済ませ、容疑者の事後確認を得るように。以上』

「有り難うございます」

 視界から判事の姿が消え、三者通話が解除された。視界の中央に移動した森寛の像が、外村に言う。

『外村監察官。いつも通り、彼の方には既に連絡を入れてある。局としても動いてくれるそうだ。と言っても今回は、彼らも既に、即応体制での出動準備が整っていたようだがね。たぶん、バックアップと同時に攻撃作戦も展開するんだろう』

 外村美歩は頷いた。

「そうですか。局長、いろいろと感謝します」

 森寛常行の像は姿勢を正して言った。

『うむ。後は、通常行程のとおり、ポイントPにて支援部隊と合流だ。今回の容疑者は筋金入りだ。くれぐれも気をつけるように』

「はい」

 宙に向かって敬礼した外村美歩は、ネクタイの上のイヴフォンに手を伸ばし、通信を切った。左目の青い光を消した外村美歩は、光絵由里子の方を向き、決然とした表情で言った。

「私は、監察官としての義務を履行します」

 外村美歩は澱みのない澄んだ目で真っ直ぐに光絵を見た。光絵由里子は嘆息と共に返事をする。

「――そう」

 椅子の上の老女は項垂れると、首を左右に振った。そして顔を上げると、微笑みながら外村に言った。

「やはり、予想外ね。まあ、いいわ。ならば、二番手に期待するしかないわね」

 外村美歩は老女に一礼すると、背を向けた。光絵由里子は若い監察官を呼び止めた。

「お待ちなさい。一等賞のご褒美に、もう一つだけ助言をしてあげましょう。今後は、通信機器を全て切っておいた方がいいわよ。身の安全のために。それと、阿部大佐を逮捕したいのなら、先ほど私が言った通りになさい。そうすれば、必ず阿部大佐は見つかるはずよ。まずはGIESCOに行くことね。彼は田爪博士の身柄を押さえにGIESCOに向かう可能性が高いわ。もし、そこに居なければ、田爪博士と共に、『ノア零一』を使って、AB〇一八の所に向かいなさい。ま、そうなる事になるでしょうけどね。それに、どうせ、国防軍の考えている攻撃作戦とやらも、そんなところなのでしょ」

 光絵の目を見て話を聞いていた外村美歩は、黙って頷いた。

 光絵由里子は彼女に尋ねた。

「それで、まさか、一人で行くつもりですか。あなたのこれからの行動を直接に支援してくれる人材が必要でしょう。私の方でも優秀な傭兵を紹介できますが、誰か適当な者がいますか?」

 外村美歩は、はっきりと頷いて答えた。

「はい。いずれにしても、阿部大佐の逮捕は、私一人ではできません。通常通り、実力部隊の力を借りて実施します」

 そして出口のドアの方に歩いていく。後ろから再び、光絵由里子が心配そうに声を掛けた。

「では、その当てがあるのですね。ただ、その人たちは、信頼できるのですか」

 外村美歩は立ち止まって振り返ると、自信に満ちた顔で莞爾して答えた。

「大丈夫です。その人は、私がこの世で最も信頼している人ですから」

 一礼した外村美歩は老女に背中を向けると、歩いていった。老女は黙って彼女を見送る。監察官・外村美歩の後姿は凛としていた。


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