第2話  光絵由里子



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 光を返す純銀製のトレイの上には、クロッシュの縁の下から金色の蔦の模様を覗かせた皿と、小さく畳まれた純白のナプキンに載せられた純銀製のナイフとフォーク、金彩の間に小花模様を品良くあしらったティーポット、それと同じ柄のソーサーに乗せられた小振りのカップと純銀製のティースプーンが綺麗に並べられていた。そのトレイの薔薇とヴァインが装飾されたシェル状のフレームを白い手袋をした手が握っている。手に掛かる本切羽の袖は、上質の生地を肩まで続かせ、三つ揃えの地味なスーツへと繋がっていた。チャコールグレーのオーソドックスなスーツは、着ている白髪の老執事を品良く演出している。老執事は、整えられた白い口髭を動かすことなく、緩やかな曲線を描いた階段を静かに姿勢よく上り、いつものとおり主人の朝食を運んだ。二階に着くと、彼はまたいつものとおりトレイをワゴンに載せ、それを長い廊下の奥の主人の部屋の前まで、静かにゆっくりと押して行った。

 部屋の中では、一人の老女が東の窓辺に置かれた古い木製のロッキングチェアーに凭れていた。彼女は、その邸宅が建つ小山から見える遠くの楼閣群を眺めている。強い朝日に照らされる新首都。昭憲田池しょうけんたいけの手前で歪な形を作る超高層ビル群の長い影が、平らに広がる住宅街の上まで伸び、まるで日時計の針ように新たな一日の始まりを告げていた。それを貫く南北幹線道路の自動走行システムパネルの上をAI自動車が等間隔で規則正しく走っている。発電塗装が施されたAI自動車のボンネットやルーフは、朝日を強く反射させ、それらの車で埋まる幹線道路をイルミネーションのように煌めかせている。光の帯は真っ直ぐに、南の海の方へと延びていた。照り輝く那珂世なかよ湾には何隻もの巨大タンカーが寄航していて、湾岸の港やトラックターミナルでは巨大クレーンが稼動を始めている。その右手前に広がる旧市街では、いつもの通り通勤ラッシュの渋滞が発生していて、不規則に点滅する赤いブレーキランプが列を作り、雑然と並べられた低層のビルとビルの間で道路を浮き立たせていた。景色の左に目を遣ると、向こうの山間から延びてくる新高速道路の上を、何台もの連結式トラックが等間隔で走っていた。新市街では、手前の官庁街を抜ける東西幹線道路も車で埋め尽くされ、大交差点では無数の点が蠢いている。こうしてまた、老若の街衢がいくは眠ることなく東雲しののめを向かえた。老女は今朝も、窓辺で朝日に照らされながら、それを確認するのだった。

 強い朝日は徐々に部屋の奥まで射し込み、中を明るくしていく。日光は長身の振り子時計の硝子板に当たり、表面に刻まれた蔦模様に反射して四方に散った。壁際の暖炉や彫刻、赤茶のサイドボードが斑に照らされる。サイドボードの上や壁には、髪の長い美しい女性の姿を映した写真が幾つか飾られていた。その間を、振り子時計が鳴らす規則正しい秒針の音と歯車の鈍い摩擦音が抜けていく。やがて、その規則正しい音の連鎖が等間隔でゆっくりと鳴る深く沈んだ鐘の音に隠された。その低音は余韻を残しながら一つ一つを確実に響かせ、丁寧に時を知らせる。鐘の音が鳴り止むと、いつものとおりドアが三度だけノックされた。

 老女は、ロッキングチェアーに深く腰掛けたまま、いつものとおり答えた。

「どうぞ」

「失礼致します」

 銀のトレイを載せたワゴンを押しながら、執事の小杉正宗こすぎまさむねが静かに入室してきて、整えられた白い口髭を動かしながら、主人に挨拶した。

「おはようございます。朝食をお持ち致しました」

「ありがとう」

 ロッキングチェアーに深く凭れたまま外を眺めていた光絵由里子みつえゆりこは、窓を向いたまま言った。

「そこに置いておいてちょうだい。今朝はまだ食べたくないの。後で頂くわ」

「かしこまりました」

 一礼した小杉正宗は、静かにワゴンの向きを変え、部屋の中程に置かれた正方形のテーブルの方に押していった。純白のクロスが掛けられたテーブルの横までくると、そこにワゴンを停めた彼は、そのテーブルに一つだけ置かれた長い背もたれの椅子の前のクロスの皺を整えてから、トレイの上からティーセットを取り、テーブルの上に置いた。

 小杉正宗は伏せられたティーカップを返すと、その中にティーポットの中の紅茶を注ぎながら、光絵に尋ねた。

「昨晩も、お休みになられなかったのですか」

「ええ」

 ロッキングチェアーの向こうから光絵由里子の静かな返事が聞こえた。

 紅茶を注ぎ終えた小杉正宗は、窓辺の揺り椅子を心配そうに見つめながら言った。

「それでしたら、何かあっさりとした物に変えさせましょう。野菜のスープとフルーツなどでは、いかがでしょうか」

「そうね。そうしてちょうだい。助かるわ」

「はい。かしこまりました。では、早速」

「小杉」

 一礼して、ワゴンを動かそうとしていた小杉を光絵が呼び止めた。

 小杉正宗は答えた。

「はい。何でございましょう」

「例の実験の方はどうなの。どこまで進んでいるの?」

 小杉正宗はワゴンから手を放して姿勢を正し、ストンスロプ社グループの会長・光絵由里子に報告する。

「昨晩の内田所長からの定時報告によれば、順調に各フェーズを了しているとの事でございます」

 光絵由里子は少し間を置いてから答えた。

「――そう。でも、少し急いでもらわないといけないわね。後でGIESCOジエスコへ向いましょう」

 GIESCOジエスコはストンスロプ社グループ傘下の科学企業であり、国内トップクラスの研究機関であると共に、ストンスロプ社の実質的研究開発部署であることは周知の事実である。

 小杉正宗は光絵が座っている揺り椅子の斜め後ろに移動すると、白い眉を寄せて主人に言った。

「どうか少しお休みになられて下さい。この小杉正宗、個人的な思いとしまして、会長のお体が心配でなりません」

 光絵由里子は窓の外を眺めたまま答えた。

「あなたの気遣いには、いつも本当に感謝しているわ。しかし、今は休んでなどいられません。時間が無いわ」

「しかし、そう無理をなされては……」

 老執事の心配を余所に、主人は尋ねた。

「イヴンスキーとの連絡は取れましたか」

「はい。報告では無事に入国した模様です」

「現地に派遣されたという警察官については」

「はい。少々お待ちを」

 小杉正宗は、丁寧にアイロンが掛けられたスーツの内ポケットから掌大の端末を取り出すと、そのパネルを操作しながら、そこからホログラフィーで表示されたデータ文書の内容を読み上げた。

「ええ。警視庁刑事部捜査一課、三木尾善人みきおよしと警部。六十四歳。一九七四年十月一日生まれ、A型。二〇一四年に警視庁に中途採用で入庁、当時四十歳。歴代最短期間で警部に昇進後、刑事部、公安部、警備部を経て現職へ。警視総監賞十一回、職務中の負傷二回。専業主婦の妻と成人した子供が二人」

「そう……」

 一言だけ答えた光絵由里子は、淡々と次の質問をした。

「現地調査を担当している諜報員の方は? たしか、『調整官』とか呼んでいたかしら」

「はい。外務省が情報を渡してくれませんでしたが、何とか別ルートで入手できました」

 小杉正宗は、再び端末を操作し、時折、目を細めた顔を端末から離したり、近づけたりしながら、小さな文字で表示されたホログラフィー文書のデータを読み上げた。

「ええ……外務省調整局国際調整課主事、西田真希にしだまき調整官。三十七歳。二〇〇〇年十月二十八日生まれ、A型。今年で……三十八歳ですな。民間病院で看護師として勤務後、二〇三〇年に外務省に入省。翌年に米空軍のパイロットと結婚。その後、緊急決定された博多五輪の誘致工作で功績をあげたようでございますね。それから、二〇三五年に産休で休職。三七年に離婚しております。翌三八年から育児休業をとって再び休職中であったところを調整局が呼び戻したようでございます」

「退職前の刑事と幼子を抱えたシングルマザー……。そんな人間を戦地に行かせるなんて、辛島総理も随分と酷な事をするわね」

 厳しい顔でそう言った光絵に対して、小杉正宗は端末を操作しながら、白い口髭を鼻の下で動かして淡々と述べた。

「適当なところで折り合いを付けて、自主的に早期の帰国をする事を期待した人選なのでございましょう」

 光絵由里子は鼻で笑って尋ねる。

「その期待どおりなのかしら」

 端末の上のホログラフィー文書に目を落としながら、小杉正宗は報告した。

「三木尾善人は十月一日午前十一時四十一分着の便で、宮崎新国際空港に着いています。西田真希の方は、まだ現地に滞在中となっていますが、どうやら今日、米国経由でフランスに発つ予定のようでございます。今頃は、そうですね……ちょうど飛行機の中でございましょうか」

 光絵由里子は、目を瞑った。少しだけ考えてから、目を瞑ったまま小杉に尋ねた。

「十月一日と言うと、金曜日ね。そうすると、今日、警察庁に報告するのかしら」

 小杉正宗は、その端末で他のメイドに朝食メニューの変更のオーダーを送信すると、スーツの内ポケットに端末を仕舞いながら答えた。

「そうでございますね……。土日は子越長官こごしも登庁はされていないでしょうから、おそらく月曜日の今日、三木尾警部は長官に視察の結果を報告するのではないでしょうか。そう致しますと、正式な報告書が上がってくるのは明日以降でございましょう」

 光絵由里子は眉間に皺を寄せて言った。

「報告書の前に、その刑事からの子越への報告内容を知りたいわ。彼にそう伝えなさい」

「承知いたしました。後ほど警察庁に連絡を入れておきます」

 小杉正宗は頭を垂れる。

 光絵由里子はロッキングチェアーの深い背もたれから身を起こし、左右の肘掛を掴むと、ゆっくりと立ち上がりながら小杉に尋ねた。

「諜報員……西田調整官だったかしら、彼女のフランス行きの理由は?」

 椅子が揺れないように支えていた小杉は、すぐさま光絵の傍に駆け寄ると、両手でしっかりと彼女を支え、窓際に立て掛けられた杖を取って光絵に渡してから答えた。

「NNC社のフランス本社を現地当局が強制捜査したようでございますので、おそらく、その確認かと思われます。彼女はニーナ・ラングトンの捜索支援も兼務させられているようですから」

「そう……。難題を二件も兼務ね。彼女の失敗を期待しているのかしら。外務省の幹部があえてそうしたのなら、随分と陰湿な連中ね」

 そう言いながら、光絵由里子は、握りに銀細工が施された杖を突いて、純白のクロスが掛けられた四角いテーブルへと向かった。ゆっくりと足を進めながら、彼女は言う。

「しかし、彼女の注意がNNC社に向いているのなら、我々には好都合だわ。こちらも動き易くなる。それに、雑草は根から除かなければならないわ。ASKITアスキットのような塵芥ちりあくたの集団に、こんなに手を焼かされなければ、もっと早く解決していたものを……」

 テーブルの椅子を引いた小杉が尋ねた。

「対処の方は、いかが致しましょう」

 光絵由里子は、椅子の背もたれに手を掛けると、慎重にその椅子に座りながら答えた。

「放っておきましょう。いや、むしろ彼女を支援したいくらいですが、そうもいかないわね。所詮は雑草の除去。彼女の能力なら十分にやり遂げられるはずだわ」

 小杉正宗は怪訝な顔で尋ねた。

「これまで何ら把握していなかった人物ですが、どうしてそこまで彼女に期待されるのです?」

 光絵由里子は片笑んで答えた。

「さあ、なぜかしら。母親だから、かもしれないわね」

 小杉正宗は少し眉を上げた。

 光絵由里子は尋ねる。

「彼女は誰の推薦なの?」

 椅子に座った光絵は握っていた杖を小杉の方に差し出した。

 小杉正宗は、それを丁寧に受け取りながら答えた。

「はい。実際のところは、津田長官のようでございます。永山氏のインタビューが公開されるとすぐに外務省に適当な人材をピックアップさせたようで、その中から津田長官が彼女を指名したと聞いております」

 光絵由里子は小さく溜め息を吐くと、ティーカップに手を伸ばしながら嘆いた。

「彼を司時空庁の長官に推したのは、やはり良くなかったわね。私ならこんな酷な人事はしないわ。近頃、司時空庁職員にも無断欠勤して職務放棄する者が続出していると聞いています。トップが逮捕された途端に職員たちが逃げ出すとは、彼が信頼されていなかったという証拠でしょう。司時空庁も終わりね。ま、分かってはいた事ですが……」

「……」

 小杉が黙っていると、光絵由里子はティーカップの紅茶に口をつけながら尋ねた。

「ところで、その津田は今、どうなっているのかしら」

「はい。逮捕監禁罪の容疑から、殺人未遂容疑に切り替わった事はご存知の事と存じますが、その他にも奥野大臣の収賄事件に関与していた疑いが浮上していますので、いささか勾留期間が延長される事が予想されます。津田長官は身の潔白を主張して、塀の向こうから我々に助けを求めているようですが、いかが致しましょう」

 光絵由里子は、持っていたティーカップを左手のソーサーの上に静かに置くと、言った。

「それこそ、放っておきなさい。恩を仇で返す男に手を貸すほど、私はお人好しではないわ」

「かしこまりました」

 小杉正宗はそう答えると、深刻な顔で光絵に言った。

「ただ、津田はともかく、奥野国防大臣の身の帰趨については、パノプティコンも注視しているようでございます」

「パノプティコンが……。なぜです」

 光絵由里子は、振り向いて小杉の顔を見た。

「はい。フラクタルからの伝言によりますと、パノプティコンは、これまで国防軍の手綱を握っていた奥野恵次郎が投獄された事で軍内の一部の者が暴走するのではないかと危惧しているようでございます」

深紅の旅団レッド・ブリッグの事ね」

 小杉正宗は首を縦に振った。

 光絵由里子は小さく溜め息を漏らすと、前を向き直して言った。

「しかし、パノプティコンの人間も分かっていませんね。奥野が手綱なのよ。――とにかく、次はもっとしっかりした手綱を締めておかねばならないようね」

 小杉正宗は光絵に対して深く頭を下げた。

 光絵由里子は椅子の上で姿勢を正したまま、再び小杉に尋ねた。

「それにしても、これまで何十世紀もの間、自分たちの存在を隠し、各国への内政干渉を避けてきた、あの巨大秘密結社パノプティコンが、なぜ今になって動き出す必要があるのです」

「さあ……。ともかく彼らはフラクタルを介して、今回の一連の廓清劇かくせいげきに懸念と不快感を表明しております」

「奴ららしいわね」

 光絵由里子はティーカップをもう一度ソーサーから離して、口元に運びながら言った。

「イヴンスキーも所詮は奴らの駒。気をつけなさい」

「承知いたしました」

 小杉正宗は一礼すると、彼女がティーカップをソーサーに戻すのを確認してから発言する。

「それから……」

 光絵由里子は左手に持ったティーカップが乗ったソーサーを静かに机の上に置き、前を向いたまま小杉に尋ねた。

「何です」

 小杉正宗は答えた。

「例の新型兵員輸送機の件で、臨時の取締役会が招集されたそうでございます」

 光絵由里子は顔を険しくして言う。

「それは、いつですか」

「先週の金曜日でございます。通知自体は昨日、ええ……」

 小杉正宗は再び胸の内ポケットから小型端末を取り出すと、それを操作して、表示された内容を確認しながら主人に報告した。

「十月三日の日曜日午後六時過ぎに、わたくしの許に電子メールで届いておりました。生憎、わたくしがお休みをいただいている時分でございましたので、メールを確認いたしましたのは今朝の出勤の時でございまして……」

 光絵由里子は、小杉の見当違いの回答に少しだけ眉間に皺を寄せた。そして、彼の発言の途中で、再び尋ねた。

「開催日時はいつですか」

 小杉正宗は少し慌てて答える。

「申し訳ありません。明日の午前九時でございます」

「随分と急な話ね。ウチの定款ていかんでは、取締役会開催の通知期間を法定期間よりも短縮していたかしら」

「はい。美空野みそらの弁護士に確認をとりましたが、定款上も問題は無いとの事でございました」

 光絵由里子は、姿勢を正したまま目を瞑り、少し考えてから言った。

「そうすると、私が出席しなくても、法律上も開催通知を省略した有効な取締役会の開催として、やはり問題が無い、そういう事になる訳ね」

然様さようでございます」

 小杉正宗が愁眉を作って答えた。

 光絵由里子は目を開いて再び溜め息を吐くと、言った。

「新型兵員輸送機『ノア零一ゼロイチ』の事など口実に過ぎないのでしょう。役員たちの本心は、『秋永訴訟』の和解内容を知りたい、それだけよ。よほど自分たちの保有する自社株の価格が気になっているのでしょうね」

「しかし、『ノア零一』の国防軍への納入が流れれば、辛島からしま総理にもご迷惑がかかるのではないでしょうか」

「そうね。有働ゆうどう前総理も返り咲きを狙っているわ。例のASKITアスキットの一件で、辛島政権は死に体の状態。今後、彼が政権を維持できるかは、我々にかかっている。それに、アキナガ・メガネとの一件も軽視できないわね。以前我が社がASKITのNNC社に特許技術を奪われた際には、大変な損害を被りました。彼らには、そのけじめを付けてもらったとしても、今度の一件で、また同じ轍を踏む訳にはいかないわ」

 光絵由里子は姿勢を正したまま、毅然として言った。

「分かったわ。出席しましょう」

「承知いたしました。スケジュールを調整いたします」

 光絵由里子は、再び振り向いて小杉に言った。

「それと、各役員の再チェックもお願い。有働は必ず何かを仕掛けてくるわ」

「承知いたしました。これまでの調査で、有働武雄ゆうどうたけお前総理との内通が判明している三名の役員については、いかが致しましょう」

「美空野に連絡して、すぐに排除するよう手配させてちょうだい」

「はい。しかし、解任となりますと臨時株主総会の召集についての法定期間など、些かの時間が必要かと存じますが、その点は」

「定款の欠格条項に該当しているはずです。もし、そうでなければ、辞任してもらえばいいだけのこと。彼らとしては、そうせざるを得ないはずよ。反論はさせないわ」

 それらの役員への恫喝を指示したとも採れる光絵の発言に、小杉正宗は少し困惑した表情を見せたが、すぐにその趣旨を理解して光絵に言った。

「はい。承知いたしました。では、美空野弁護士に、その旨を伝えておきます」

 光絵由里子は、体の向きを前に戻しながら小杉に尋ねた。

「ところで、その美空野ですが、これまでどおり信用して良いのですね」

 小杉正宗は首を縦に振る。

「ええ。もう長いこと使っておりますが、今まで問題は起きておりません。高橋博士との和解交渉の頃は、駆け出しの新米弁護士でしたが、今や国内最大の弁護士法人の代表。今回の秋永訴訟でも、うまくやってくれるでしょう。労働組合対策でも、いろいろと骨を折ってもらっています」

「そうですか……。ですが、我が社でも依願退職者や無断欠勤する者が増えているのは事実です。ウチの労働環境に問題があるのかもしれません。早急に問題点を見つけ出し、改善するように」

「かしこまりました。ですが、労働問題は美空野弁護士に任せておけば安心かと。彼は仕事も正確ですし、何より迅速でございます。彼の対応なら、従業員からの不満も少ないでしょう」

 光絵由里子は再びティーカップを乗せたソーサーを手に取ると、それを膝の上に乗せてから、小杉に言った。

「ウチの正式な顧問になって、何年になるかしら」

「そうですね、かれこれ十年ほどになりましょうか……始めは、我が社が契約する幾つかの顧問弁護士事務所のうちの一つでしたが、弁護士事務所の競争も大変なようで、結局、我が社の規模に対処できる大手の弁護士法人といえば、今は美空野事務所しか残っていません」

「そう……」

 ティーカップを膝の上で握ったまま動かさない光絵を見て、小杉正宗は光絵に尋ねた。

「何か、ご心配事でも」

「いいえ。ただ、美空野は以前、有働前総理の顧問弁護士をしていた男。口ではしきりに、二〇二六年に有働内閣が成立して以来、自分と有働との関係は断絶していると言っていますが、果たして真相はどうだか。有働との顧問契約は解除しても、影では『法律アドバイザー』として有働を支援しているのかもしれないわ」

「しかし、美空野法律事務所は、現在では日本で一番大きな規模の法律事務所ですので、多数抱えるうちの顧問先同士が対立する事も有り得るかと存じます。それに、弁護士ならば通常、そういった場合には、どちらかの依頼か双方ともの依頼を忌避されるのではないでしょうか」

 光絵由里子は溜め息を吐く。

「弁護士法人が大きく成り過ぎるのも問題ね。これでは、まるで企業と同じ」

 光絵由里子はそう言って、膝の上のティーカップを口元に運んだ。ゆっくりと紅茶を飲み終えると、膝の上のソーサーに空のカップを静かに戻して、それらをテーブルに置いてから、言った。

「それにしても、例の『第一実験』も『第二実験』も、裏で糸を引いたのは有働。あの時、我々が田爪健三博士の招聘しょうへいに成功していれば、こんな事には……」

 光絵由里子はサイドボードの上の小さなデジタル・フォトスタンドに視線を送った。そこには、髪の長い美しい女性の悲しげな笑顔を写したデジタル写真が表示されていた。

 光絵の視線を追った小杉正宗が言う。

「明日は、お嬢様の月命日でございますね。役員たちも、なにもこんな日に取締役会を開かなくても……」

 小杉正宗は眉間に皺を寄せて、テーブルの上に置かれたソーサーの上のカップに紅茶を注いだ。

 光絵由里子はティーポットの注ぎ口から流れ落ちる細く赤い滝を見つめながら、言った。

「私が出席を拒む理由を作りやすい日に設定したつもりなのでしょう。ですが、取締役会には出席します。会社を彼らの好きなようにさせる訳にはいかないわ。お墓へは朝のうちに御参りしても、会議には間に合うわね」

 小杉正宗は少し考えてから、答えた。

「ええ。何とか。少し早めにこちらを発てば、有多町と大交差点の朝のラッシュは避けられるでしょう。よろしければ、警察に動いていただきましょうか。パトカーに先導してもらうか、ルートを確保していただければ、渋滞に捕まる事は無いかと存じますが」

 光絵由里子は首を横に振った。

「そこまでは必要ありません。これは私の私的な墓参りよ。それに、この程度の事で子越に借りを作るのも、気が進まないわ」

「……」

 思わぬ光絵の言葉に、小杉正宗は黙っていた。

 光絵由里子は再度振り向いて言う。

「嫌なものね。歳を取ると、他人が信用できなくなる。悲しい事だわ」

 小杉正宗は、自分の白い手袋に包まれた指で自分の顔を指して言った。

「わたくしもで、ございますか」

 光絵由里子は口角を上げる。

「いいえ。あなたは別よ。長い間、この老婆と会社のために尽くしてくれて、小杉には本当に感謝しているわ」

「そんな。わたくしがして参りました事など、小事ばかりでございますので。それに、わたくしの人生を賭したとしても、まだまだ会長に報いる事など出来ません」

 光絵由里子は微笑みながら小杉に言った。

「お互いに歳をとりました。小杉も、体調には十分に気をつけるのですよ」

「恐れ入ります。しかし、わたくしの事などよりも、会長のお体の事が心配です。やはり、少しお休みになられた方がよいのではないでしょうか。大分、お疲れのご様子でございますので」

「ありがとう。しかし、休んではいられないわ。ASKITの残党が、まだいるのです。ここで完全に叩いておかなければ、塵芥がいずれ汚泥となって人々の足をすくう事になるかもしれないわ」

 光絵由里子は、カップに注がれた紅茶をじっと眺めていた。そして、もう一度、小杉の方を見て言った。

「そう言えば、あの記者の女の子は、どうしているの?」

 小杉正宗は少し考えてから訊き返した。

「春木さんで、ございますか」

 光絵由里子は頷く。

「ええ。取材の方は続けているのかしら」

「はい。そのようでございます。しかし、相変わらずの調子のようで……」

 小杉正宗は苦笑いして見せた。

 光絵由里子は短く嘆息を漏らして言う。

「まったく。仕方のない子ね。でも、そうであれば、余計に休んではいられないわね。ASKITの残党は何としても叩いておかねば、また、あの記者たちが危険な目に遭うかもしれないわ」

 小杉正宗は眉を寄せて進言した。

「お言葉ですが、これ以上のご厚情は不要かと存じますが……」

 光絵由里子は首を横に振る。

「そうも行かないのよ。それに、ここからの領域は、これまでとは危険の度合いが違うわ。また、モンペに防空頭巾で飛び込んできたら、今度は大変な事になる。あの子や他の記者たちも、この件から遠ざけるようにしてちょうだい。これ以上、巻き込みたくはないわ」

 小杉正宗は渋々と答えた。

「かしこまりました。何か手を打ちましょう」

「お願い。特に、あの春木という子の安全は確保してちょうだい」

 そう念を押した光絵の顔を、小杉正宗は怪訝そうな顔で見つめていた。

 光絵由里子は話題を変えた。

「とにかく、GIESCOに向います。彼から直接、説明を聞かなければ、安心できません。小杉は、諸々の手配が済んだら、車を準備してちょうだい。あなたの運転の方が安心だわ」

「承知いたしました。準備が整いましたら、ご連絡いたします」

 小杉正宗は光絵由里子に一礼すると、ワゴンのハンドルを握り、それをゆっくり押しながら部屋の出口へと向った。すると、外からドアがノックされ、若いメイドたちが、野菜スープが注がれたスープ皿とカットフルーツが並べられたガラスの器を別々の銀のトレイに乗せて運んできた。小杉正宗はメイド達と入れ替わりにワゴンを押して部屋を出ると、光絵に一礼して、静かにドアを閉めた。




               2

 大きな照明灯と剥き出しの配管類が取り付けられた高い天井の角に、視察用の小部屋が壁から突き出していた。そこには大きな窓が設けられていて、そのめ殺しの大窓には、外を見下ろしている数名の人影が映っている。光絵由里子と、彼女を囲むように背後に立ち並ぶ白衣姿の男たちの影だった。光絵由里子は、シュビーユ丈の黒いスカートにピン・ドットのグレーのジャケットを品良く着こなし、首に黒いレースのスカーフを巻いている。頭には花の刺繍が施された燻し銀のトークを載せていた。スカートのプリーツに沿って立てられた杖の銀製の柄を、皺が刻まれた白く細い手でしっかりと握っている。彼女は端然として、大窓から下の作業の様子を見つめていた。

 空中に突き出たこの小部屋の下には、作業ドックが広がっている。地下にあるそのドックは広かった。眼下のフロアでは、作業服に身を包んだ技師や白衣姿の科学者たちが大型の金属製の黒い機体を囲み、それぞれの仕事を黙々とこなしていた。少し傾斜のかかった床に飛び散る火花の中で、その黒色の機体は屋根部に重ねて乗せられた二枚の分厚い金属板をそれぞれ前と後ろにスライドさせ、金属板の中に開けられた大きな穴に嵌め込まれた回転翼を、時折、短く回しては、また元通り機体の上部にスライドさせて戻し、揃えて格納する動作を繰り返している。その機体の左右の側壁には、二機の小型速射砲が中央と後方に平行に取り付けられていて、その上部に取り付けられた羽は、機体の後方で、武者鎧の肩の大袖のように折り畳まれている。機体の後部では、搭乗用のハッチが斜めに倒れて少しだけ開いていて、その下には、横一列に並んで配置された水中走行用のパルス・スクリューの噴射口が並んでいた。機体の前後と中央にある六つの車輪は、ホイール部分の側面を可動式のアーマーで保護されており、その中の幅広の防弾強化ゴム製の特殊タイヤは、機体本体の重量と機体の屋根部の金属板に設置されている四門の砲筒を束ねた大型の回転式掃射器、その横の短距離多目的誘導弾パックの全ての重量を支えていた。

 大窓越しに作業の様子を見下ろしていた光絵由里子は、ドックの作業員の中に、白衣姿で白髪の小柄な男を見つけた。その初老の男は、建造中の機体から四方に引き出された赤や黄色のケーブルの束を跨ぎながら、ドッグの出入口のドアまで歩いている。その男を目で追いながら、光絵由里子は静かに口を開いた。

「それで、改善すべき項目は、あと幾つ残っているのです?」

 光絵の隣で薄い電子端末を叩いていた黒縁眼鏡の白衣姿の中年男性が答えた。

「ええと……、九点です」

 老女は溜め息で応えた。そして、窓からドックを見下ろしたまま、再び尋ねる。

「それはGIESCOジエスコの見解ですか。それとも、特定のエンジニアの指摘ですか」

 黒縁眼鏡の男は眉を寄せて答えた。

「いえ、我々の方では、とてもここまでを見つけ出す事は……」

「そうですか。O2オーツー電池やIMUTAイムタを開発したあなた達が見つけられなかったフェイルを、彼は一人で次々と見つけ出しているという事ね。小杉、この研究機関には、何人の人間を雇っていたかしら」

 光絵を挟んで黒縁眼鏡の男の反対側に立っていた小杉正宗が答えた。

「はい。GIESCO全体で一千二十四人。うち、特別研究職員が百二十八人でございます」

 光絵由里子は更に尋ねた。

「その有能な研究者たちのうち、このプロジェクトに当てているのは何人です」

 小杉正宗は答えた。

「三十二人でございます。その内、専属人員が十六名。さらにその中の八名は、このプロジェクトのために雇用契約を締結した者でございまして、中でも四名については……」

「申し訳ございません」

 黒縁の眼鏡の男は、光絵に対し深々と頭を下げた。

 光絵由里子はその男に顔を向ける事もなく、淡々と言った。

「内田所長。あなたの事を責めているのではないわ。あなたは長年、よく働いてくれています。ただ、これだけは忘れないでちょうだい。このGIESCOは、ストンスロプ社の研究開発機関として、兵器の他にも、エネルギー、コンピューター、医薬品、ロボット、AIなど、人々の生活に必要なありとあらゆる物の開発を行っています。それらの分野をおろそかにする訳にはいかないわ。人々の為に、我々は常に最先端の製品を開発し続けなければならないのです。少なくとも、それは企業としての責任です。そして、その為には、あなた方が研鑽を積み続けなければならない。一人対三十二人で九点もリードされるようなら、各人の努力を疑わねばならないわね。我が社としても、その努力を予定して、年俸を提示しているはずです。努力もしない成果も出せない人材に高額な報酬を支払うくらいなら、その資金で新型の医療機器か医薬品を開発した方がましでしょう。チームの人間にも、その点をしっかり伝えておきなさい」

「は。かしこまりました」

 GIESCOの所長であり、汎用兵員輸送機「ノア零一」の開発チームの責任者でもある内田文俊うちだふみとしは、黒縁の眼鏡をしきりに上げながら、額の汗をハンカチで拭いた。

 GIESCO(Global Industrial Energies System Corporation)は、形式的には、ストンスロプグループ傘下の他の企業と同じく商業目的の一企業の形態をとっていたが、実質的には、グループが世界中で展開する全ての事業に関する開発部門を一手に引き受けている私的研究機関である。そして、この私的研究機関は、国家の信託により、各種の新エネルギーと新産業の開発にも取り組んでいた。実際に、この組織の国と社会への貢献は著しく、二〇〇四年に設立された財団法人ストンスロプ研究所の時代には多くの基礎科学の分野で功績を残し、その後二〇一四年に現在の組織GIESCOに新設変更されてからも、酸素発電式の半永久電池「O2《オーツー》電池」や、AI自動車運転専用の簡易型人工知能、建設用多腕ロボット、大型の量子コンピュータ「IMUTAイムタ」、それを利用した「定速自動車流制御システム」などの最新テクノロジーを続々と開発し、それら全てを社会での実用へと導いていた。

 これらの最新技術を生み出したGIESCOの研究棟は、新首都圏の中心部に位置する人口湖・昭憲田池の湖畔に整然と建ち並んでいる。それらの研究棟はどれも巨大で威厳があり、そして、美しかった。湖畔に沿って南北に建ち並んだ八つの巨大なビルは、どれもガラス張りの円柱形のビルで、それぞれの棟を何本もの連絡通路が結んでいる。各ビルの前には、美しく整えられた芝で覆われた広大な庭が設けられていて、隣のビルの前の庭との間を樫や紅葉、桜などの並木が区切っていた。都会の中に巨額の資金を投じて造られたであろう人工の自然風景に囲まれたGIESCOの景色は、そこから昭憲田池の対岸に見える湖南見原丘こなみはらおか工業団地の工場地帯が作る無機質で喧騒な風景とは対照的に、優美さと温もりを兼ね備え、静寂に包まれていた。しかし、それらの巨大なビルの中では、やはり対岸の工場と同じく、あるいはそれ以上の緊張と慌ただしさの中で、国や世界、人類に多大な影響を与える最先端技術の研究と開発、実験が、今日も続けられていた。そして、それらの研究事業の中でも、最重要事項として密かに進められていたのが、汎用兵員輸送機『ノア零一ゼロイチ』の開発事業であった。

 いま光絵由里子が大窓越しに見下ろしている『ノア零一』は、陸海空の全領域において移動が可能な可変式の汎用型兵員輸送装甲機の試作機として、日本の国防軍への常時配備に向けて、GIESCOによって極秘裏に開発された最新型の兵器である。この兵器の開発に巨額の資金を投じたストンスロプ社は、この最新兵器の国防軍へ大量納入に社運を賭けていた。

 ストンスロプ社グループのトップである光絵由里子も、この極秘のプロジェクトの進捗状況を気に掛けていた。確認の為に彼女がGIESCOに視察に訪れるのは珍しい事ではない。今日も抜き打ちで、『ノア零一』の整備ドックを訪れたのである。そして、いつものように、研究者たちの比較的な無能さに苛立ちを募らせたのであった。所長の内田も、いつものように謝罪した。

 光絵由里子は、もう一度深く息を吐くと、杖の銀の柄を強く握りながら、目を閉じて言った。

「まあ、いいでしょう。それでも随分と減った方だわ。よくやっています」

 鼻の上に落ちた黒縁の厚い眼鏡を指先で上げながら、内田所長は申し訳無さそうに眉を寄せ、小さな声で言った。

「ありがとうございます。しかし、我々の能力では、これが精一杯でございまして……」

 彼は背中を丸めた。

 光絵由里子はゆっくりと目を開けて、杖を握った左手のジャケットの袖から出たブラウスの袖のスカラップを右手で整えながら、内田の方を見ることなく彼に尋ねた。

「それで、飛行時の騒音の問題は解決したのですか」

 内田文俊は顔を上げ、大きく頷いた。

「はい。やはり、あの量子出力エンジンはすごいですよ。ほとんど音がしません。これなら、配備基地周辺住人の理解を得られるどころか、夜間に新首都市街の上空を飛行する事も可能だと思います。ただ、逆にフライト時の出力が大き過ぎて、制御する事が技術的に難しいとの事でして、墜落率をこれ以下にするのは……。それから、プロペラ・スライドシステムは、まったく新しい浮上システムですから、離着陸時はともかく、空中での方向転換時のスタビリティーが確保できないという問題が……」

 立て続けに説明する内田が話し終わらないうちに、光絵由里子が口を挿んだ。

「いくら静かに飛べても、近隣の住宅街に墜落しては本も子もありません。墜ちないようにしなさい」

「はあ……しかし……」

 内田文俊は困惑を顔に浮かべる。

 光絵由里子は厳しい顔のまま杖の銀細工を握り締めて、大窓からドックを見つめていた。

 内田文俊は言った。

「エンジニアやドクターの中には、出勤拒否している者も数名おりまして……。おそらく、連日の過剰労働に対する抗議の姿勢なのでしょうが、現在のところ、実に人手不足の状態が続いており、残りの人員だけでは、とても……」

「では、人手が揃えば可能なのですね」

 光絵由里子は淡々と尋ねた。

 内田文俊は下を向く。

「はあ……。それは、その……」

 光絵由里子は窓を向いたまま、冷たく言い捨てた。

「人事管理もあなたの仕事です。言い訳を考えている暇があれば、墜ちない物を作るのに、あと何人増員すればいいか算出しなさい。労働ストの対処よりも、墜ちない物を作る事の方が優先です」

 すると、その狭い視察室の中に、さっきの小柄な初老の男がオールバックの長い白髪をかき上げながら入ってきて、大きな声で言った。

「墜ちませんよ。簡単には」

 その白髪の初老の男は、脱いだ白衣を入り口の横に立っていた研究員に渡すと、油の染み付いた太く短い指で汗に濡れたワイシャツの襟を整えながら、光絵の方へ歩いてきた。周りにいた白衣姿の研究者たちが一斉に道を開ける。男は、白衣姿で立ち並ぶ研究者たちの間を歩いていたが、途中で立ち止まり、彼らの後ろの壁際に置かれていた一脚のスツールに目を留めた。スツールに手を伸ばした彼は、それを持って光絵の前まで来た。男は、自分に一切視線を向けずに杖に凭れて下のドックを見つめていた光絵の隣に、そのスツールを静かに置くと、一歩下がってから言った。

「水中移動時と同じハードの上でシステムを実行しようとするから、混乱する。それに、ハイアクティブだけで設計したから、いけないのだ。もっと柔軟でいい。おまけに、フェイルセーフに拘るあまり、逆に危険な乗り物になってしまっている。この点も問題だ」

 光絵由里子は小杉に支えられながら、置かれた丸いスツールの上に腰を下ろすと、膝の前に立てた杖の頭に両手を乗せて、男に言った。

「空中での方向転換時に墜落してしまう事は、回避できるのですね」

「ええ。理論的には。ただ、操縦系統自体を根本から見直す必要が出てきた。だから、その設計から変えさせてもらいました。手動運転が中心のものに。少なくとも、バランス・システムは分離させて、旧式の制御方式にする必要がある。それで、とりあえずは、コックピット自体を乗せ変えさせてもらった。今、その制御テストをしているところですよ」

 男は、険しい表情で話を聞いていた光絵を見て、さらに続けた。

「要するに、操縦システムが多少複雑になった。そういう事です。だから、パイロットには相応の技能と経験が必要になる。前のシステムのように、若年パイロットでも簡単に動かせる訳ではなくなった。昔のように、五感を使って飛んでもらわなければならない。それさえ出来れば、まず墜ちることは無い」

 光絵の後ろで控えていた小杉が、それを聞いて思わず呟いた。

「今の軍隊のパイロットの中には、なかなか居ないでしょうな」

 男の横に立っていた内田文俊が付言する。

「ほとんどのパイロットが、神経感知型システムで補完した操縦か、リモートコントロールでの遠隔操縦しか出来ませんからね」

 光絵由里子が男の顔を見て尋ねた。

「どの程度の技量を必要とするのです」

 男は答えた。

「最低でも、プロペラ機を安全に着陸させられるくらいの感覚は欲しいところですよ。出来れば大型ヘリコプターの操縦経験がある方がいい。勿論、シミュレーションではなく、現実の経験で」

 光絵由里子がさらに尋ねた。

「現行の神経感知型システムを乗せる事は出来ないのですか」

 男は黙って考えていた。すると、隣にいた内田文俊が端末で何かを計算しながら、答えた。

「重量の関係で問題が出て参ります。定員数をこれ以上減らす訳にはいかないとすると、既存の防衛装備品を削れば、可能かもしれませんが……」

 内田文俊は隣にいた男の顔を覗き見た。

 男が口を開いた。

「それは駄目だ。いくら耐核熱金属で覆っていると言っても、戦場で兵士や民間人を乗せて運ぶ乗り物だ。最低限の防衛装備は備えておく必要がある。今の装備でさえ、実戦下では十分なものであるのか判然としない。まあ、長らく戦場で暮らした経験から言わせてもらえば、私は不十分だと思うがね」

 内田文俊は端末を操作しながら、顔を顰めて溜め息を漏らした。

 光絵由里子は言った。

「どんなに装備が十分でも、今のパイロットが誰も操縦できないのでは、どうしようもないわ。戦力レベルを低下させずに、誰でも、もっと簡単に操縦できる方法を見つけてちょうだい」

 内田文俊が頭を下げて言った。

「分かりました。早急に検討いたします」

 光絵由里子は付け加えた。

「定員数はもっと増やせないのですか。負傷した兵士や民間人の救助に使う場合もあるのですよ」

「はあ……しかし、現在の重量では物理的に……」

 内田文俊は再び男の顔を覗いた。

 男は言う。

「翼をはずしましょう。量子エンジンによる出力で回転翼を回せば、揚力を得るには問題ない。軽くなった分、もう一人くらいは乗せられるでしょう。ただ、飛行速度は低下します。上昇高度の限界も。それでよければ、すぐに取り掛かりますよ」

 光絵由里子は黙って頷いた。

 その白髪の男は下を向き、他の研究員をあざ笑うように横目で見ながら、笑みを浮かべていた。

 暫くして、光絵の周りを囲んでいた研究員たちが順次退室していった後、視察室の中には、スツールに座る光絵と、その後ろに立つ小杉、大窓から見える機体と端末の図面を見比べている内田、そして白髪の男だけになった。すると、光絵由里子が男に尋ねた。

「例の件は、どこまで進んでいるのですか」

 男は、オールバックにした白髪を額の上から後ろに流しながら答えた。

「ええ。ご心配なく。計画されたフェーズには順調に対応していますよ。改造も上手くいきました」

「では、『パンドラE』の接続には、問題は無いのですね」

「ええ。確かに、その点は何の問題もありません。実際に読み込めた訳ですし、機能してきた訳ですから。しかし、問題なのは、いつ、どうやって移動させるかだ。実に悩ましい問題ですよ。実にね」

「優秀な、あなたの事です。既に対策は出来上がっているのではないですか」

「ええ。勿論です。但し、多少の犠牲が必要となる」

 光絵由里子の眉間に再び深い皺が寄った。彼女は言う。

「それは問題ね。大口を叩くのなら、犠牲を出さない方法を検討してもらいたいものだわ」

 白髪の男は口角を上げて答えた。

「私もそうしたいが、客観的には、犠牲が生じてしまうのは事実です。あなた方以上に幾通りも検討した結果だ」

 光絵由里子は目を瞑り、嘆息を漏らして言った。

「そうですか……」

 小杉正宗は光絵から視線を移し、白髪の男に冷たい目を向けた。

 暫らくの沈黙の後、内田文俊所長が口を開いた。

「ともかく、博士の構想を伺いましょう。早く計画を絞り、具体的な準備に取り掛かる必要もあるでしょうし……」

 光絵由里子は目を開いた。

「いいわ、上で詳しい話を聞きましょう」

 そう言った光絵由里子は、杖に体重を掛けて、小さなスツールから腰を上げようとした。一瞬、彼女の視界を重い暗闇が覆う。ふらついて倒れかけた光絵由里子を咄嗟に白髪の男が支えた。光絵由里子は男の手を強く払いのけ、自分の杖で体を支えた。後ろから慌てて小杉が手袋をした手で光絵の肩を抱えて、彼女をしっかりと支えた。光絵由里子は片方の手を小杉の肩に添えたまま、軽く頭を振って言った。

「大丈夫よ。少し目眩めまいがしただけ」

 内田文俊は内線電話で水を持ってくるように指示していた。

 白髪の男は蒼白の光絵の顔を観察して、言った。

「今日はお戻りになられた方がよい。『パンドラE』についての具体的な案は、私の方から後ほど報告しましょう」

 光絵の体を支えながら、小杉も言った。

「そう致しましょう。お顔の色が、お悪うございます。どうか今日はもうお戻りになり、お休みになられて下さい」

 光絵由里子は小杉に介添えを止めさせると、自分の足と杖で立ち、息を整えながら、汗を浮かべた青白い顔で答えた。

「分かったわ。一旦、屋敷に帰ることにしましょう」

 そして、内田文俊に視線を向け、彼に言った。

「内田所長。後の事、宜しく頼むわね」

「はい。かしこまりました」

 内田文俊は再度光絵に一礼して、小杉に支えられながら退室していく彼女を見送った。

 白髪の男は残された小さなスツールを手に持つと、内田に渡して言った。

「これを持って、会長の後を車までついて行きなさい。途中でまた、ふらつくかもしれない。その時は、この椅子が必要になる。私は、この区画の外には行けないからね」

 スツールを持った内田文俊は、光絵と小杉を追って視察室から駆け出して行った。




              3

 黒塗りの高級AI自動車が、高層ビル群に囲まれた新首都圏市街地の幹線道路をゆっくりと走っていた。AI自動車とは、自動車運転用に特化して開発された運転専用の簡易人工知能を搭載した乗用車で、自動走行用パネルが施された特定道路の上では完全に手放しで走行できる自動車である。二〇三八年現在、国内に敷かれている道路の二割程度にしか自動走行用パネルの設置は進んでいなかったが、それでも、この高性能自動車の相互車間制御機能や危険回避機能が大衆に受けて、実に国内の新車販売台数の九割をAI自動車が占めるに至っていた。汎用型の完全自動運転式自動車も存在はしていたが、その販売台数は伸びていない。原則として手動運転であり、新高速道路や地下高速道路、都会の一部の幹線道路のみを自動運転で走るAI自動車の方が安価であったし、ドライバーからも高い信頼を得ていたので、国内の走行車両は、新首都、地方都市、農村地域を問わず、ほとんどがAI自動車であった。

 その重厚な高級AI自動車「AIセンチュリー」は、自動運転走行用のパネルが敷かれた南北幹線道路の上を走行していたが、自動車運転用のAI(人工知能)制御システムを停止させて、手動運転モードで走行していた。周りを走行する自動走行中の自動車同士よりも、前の車との車間を大きめに作っている。その車内に敷かれた黒い革張りのベンチシートの中央に、光絵由里子は両目を瞑って、少し深めに腰掛けていた。前の運転席でハンドルを握っている小杉が、バックミラーに映る光絵の様子を気にかけながら、言った。

「午後の予定は、すべてキャンセル致しました。今日はもう、ゆっくりお休みください」

 光絵由里子は目を瞑ったまま答える。

「ありがとう。やはり、世話役の忠告は聞いておくべきだったわね」

 白い口髭を傾けた小杉正宗は、小さな鏡の中で両手を膝の上に揃えて広いベンチシートに深座する光絵に、再度目を遣った。彼女は、革製の背もたれに身を委ねながらも、過度に姿勢を崩さないまま、蒼白の顔で気丈に構えて座っている。小杉正宗は眉を寄せると、ダッシュボードの中央パネルを確認しながら言った。

「少し、横になられたらいかがでしょう。シートを倒しますので」

「結構よ。このままでいいわ」

 光絵由里子は息を整えながらそう言うと、瞼を閉じた。

 彼女は眉を寄せて、前の小杉に尋ねる。

「例の武器は、どうなっているのです」

「はい。内田所長が別室で厳重に保管しているとの事です」

「彼も触る事は出来ないのですね」

 小杉正宗は神妙な面持ちで答えた。

「はい。そのように伺っております」

 光絵由里子は再度、確認する。

「エネルギーパックの事も、彼には言っていないのですね」

 小杉正宗は中央パネルのバックモニターを見ながら答えた。

「はい。何も」

 光絵由里子は、ゆっくりと瞼を上げて、バックミラーに映る小杉に向かって言った。

「彼には絶対に知られないように注意してちょうだい。今の彼には不安があります」

 小杉正宗はバックミラー越しに笑んで見せた。

「ご心配なさらずとも、この私が先日まで存じ上げていなかった訳ですから、大丈夫でございます」

 光絵由里子は憂えた顔をしていた。

 眉間に皺を寄せた小杉正宗は、白い手袋に包まれた左手でバックモニターのパネルに触れて操作しながら、言った。

「気になられるようでしたら、いっそ、別の場所で保管されてはいかがでしょう。例えば、スイスの研究所分室などはいかがかと」

「そうしたいのは山々ですが、移動させるにあたってのリスクが高すぎるわ。量子エネルギーは、次世代型エネルギーとして世界各国が競って研究をしています。我々が小型のエネルギーパックの開発に成功した事が知られれば、運搬途中に襲撃され奪取される可能性が無いとは言えない。今、この時期に、国外に持ち出すのは危険だわ。国内での保管という事になれば、GIESCOが最適でしょう。セキュリティーレベルの高さで、あそこに勝る所など、他には無いはずです」

 光絵由里子は眉間に皺を寄せたまま、再び目を瞑り、言った。

「それに、万一あれを使用する必要が出てきた場合には、やはり近くにあった方がいい。そして、その場合には、彼の力も必要になる。危険はありますが、あそこに彼と共に保管しておくのは、やむを得ない事でしょう」

 暫く沈黙した後、光絵由里子は目を瞑ったまま呟くように言った。

「不便な思いをさせますが、一時の事です。この問題さえ片付けば……」

 小杉正宗は彼女の言葉を遮って、低く優しい声で答えた。

「承知しております。ご安心ください。わたくしは平気です」

 光絵由里子は黙って頷いた。彼女は暫らく沈黙した後、静かに小杉に尋ねた。

「先ほど彼が言っていた、ノア零一の操縦系統の設計変更については、GIESCOから何も事前の報告は無かったのですね」

 小杉正宗はハンドルを握ったまま、首を縦に振った。

「はい。わたくしの許へは何も上がってきておりません」

「会社の方へも上げられていないか、確認してちょうだい。それから、GIESCOの管理体制をチェックする必要があるわね。セキュリティーも含めて、人的・物的の両面から全て洗い直してちょうだい」

「かしこまりました」

 小杉の返事の後、光絵由里子は目を閉じたまま更に指示を出した。

「それと、監査で問題が見つかるか否かにかかわらず、念のため、パンドラと銃、エネルギーパックの保管セキュリティーのレベルを一段階引き上げます」

「承知いたしました。レベルA2まで引き上げるよう、着き次第すぐに内田所長に連絡しておきます。監視レベルの方はいかが致しましょう」

 光絵由里子は目を開けて、バックミラー越しに小杉に答えた。

「彼の監視の方は今までどおりでいいわ。ただ、他の所員たちには、気を緩めないように指導してもらってちょうだい。彼は客員の研究員ではありません」

「承知いたしました。内田所長にその旨も厳に申し伝えておきます」

 バックミラーに映る小杉が頻りに運転パネルのバックモニターに目を遣っているのに気付いた光絵由里子は、彼に尋ねた。

「どうかしましたか」

「いえ、どうやらネズミに張り付かれたようでございまして。先ほどから一台、当車を尾行している模様でございます」

 光絵由里子は落ち着いた様子で尋ねた。

「ナンバーは? いつもの車ですか」

「はい。また、例の教団のものでございます」

 深く息を吐いて、光絵由里子は言う。

「困ったものね」

「振り切りましょうか」

「いいえ。放っておきなさい。この大事な時に彼らの謬見びゅうけんに付き合っている暇は無いわ」

「かしこまりました」

 側面の窓から外の流れる景色を眺めながら、光絵由里子は尋ねた。

「連中は、まだGIESCOへのハッキングを続けているのですか」

「はい。不定期ではありますが、性懲りも無く何度か続けているようでございます」

 光絵由里子は表情を変えないまま、軽く溜め息を吐いた。

「うるさい蝿ね……。それで、ウチに実害は出ていないのですね」

「はい。まったく何も。ご承知のとおり、我が社やGIESCOのコンピュータへは、世界中のマスコミや情報機関から四六時中、侵入が試みられておりますが、国外からのコンピュータウイルスの侵入やハッキングは、IMUTAが防いでくれていますし、我が社のファイヤーウォール自体も、まだ一度も破られた事はございません。今まで危険領域に到達された事すらもございませんので、ご心配には及ばないかと存じます」

 光絵由里子は窓の外を見たまま、険しい顔で言った。

「そのIMUTAの事を案じているのです。管理者の方から何か新しい情報は届いていますか」

「いえ。国防軍の方からは、昨日お渡しした報告書の他は、何も届いておりません」

 光絵由里子は顔を前に向け、バックミラーに映る小杉に確認した。

「仮にIMUTAが完全にダウンしたとしても、GIESCOのスーパーファイヤーウォールが破られる事は無いのですね」

 小杉正宗は首を縦に振る。

「はい。内田所長も、請け負えると申しておりました」

「そう。随分と頼もしいわね」

 光絵由里子は再び窓の方を向いて、暫く考えた。

 小杉正宗はバックミラーで何度も光絵の様子を確認する。

 鏡の中で彼女と視線が合った。。

 光絵由里子は言った。

「いいわ。内田博士を信用しましょう。しかし、『千丈の堤も蟻の一穴から』とも言います。そうなる前に、真明教には何か手を打っておく必要がありそうね。それに、他の連中と違って、彼らは機微というものを知らないようだわ」

「それでは早速、美空野弁護士に対処するよう、申し伝えておきます」

 前を向いたままそう答えた小杉に対し、光絵由里子は尋ねた。

「ところで、美空野は、今も彼らの顧問を引き受けているのですか」

「はい。弁護士法人の方で宗教法人と顧問契約を、美空野弁護士個人は教祖の南正覚と顧問契約を交わしているそうでございます」

「それは、ウチの顧問弁護士となる前からですか」

「はい。なんでも、教団設立以来の仲だとか。この件だけでも、別の法律事務所をお探し致しましょうか」

 眉を寄せた光絵由里子は、少し間を置いてから返答した。

「いいえ。今から新たな弁護士に事情を理解してもらうのは、時間がかかるでしょう。それに、まともな弁護士で、この件を引き受ける人間がいるとも思えないわ」

 ハンドルを握っていた小杉正宗は、怪訝そうな顔で言った。

「しかし、これでは双方代理になってしまいますので、いずれにせよ美空野弁護士は、我が社の法的手続きの代理人にはなれないかと存じますが……」

 光絵由里子は少しだけ笑みを浮かべた顔で答えた。

「連中に釘を刺せれば、それでいいの。『法的な手続きの代理』を彼に期待している訳ではないわ。それに、美空野が表立って動けないのなら、その方がかえって都合がいい。彼にやらせてちょうだい」

「承知いたしました。申し伝えておきます」

 光絵由里子はシートに背中を押し当てるように深く座り直して、運転席の小杉に言った。

「いえ、私が時機を見て直接言いつけましょう。おそらく彼は、明日の臨時取締役会に主席する事になっているのではないですか」

「はい。議事進行を監督するとの名目で呼び出されています」

 光絵由里子は小さく鼻で笑って、小杉に言った。

「やはり、そうでしたか。そして、役員の誰かから臨時議案が提出され、『秋永訴訟』の和解案の内容について美空野が説明を求められる。そんなところでしょう」

 光絵由里子はスエードの張られた天井を仰いで、一度だけ溜め息を吐いた。再び前を向いた彼女は、厳しい顔で言った。

「とにかく。彼には私から直接言います。野鼠を追い払うには、大きな鼠を使うのが一番だわ」

 運転席の小杉正宗は黙って頷いた。

 車線が並ぶ南北幹線道路の上を、一台だけ不規則に車間を空けた漆黒のAIセンチュリーが疾走していった。その後ろに、無音で走る高級AIキャデラックと、それから間隔を空けて走る、けたたましいエンジン音の深緑色のダットサンを引き連れて。



                4

 赤や黄色のジニアで彩られた広い花壇の上に、傾いた陽射しによって押し出されたように建物の影が落ちていた。光絵由里子は真紅のガウンに身を包み、窓辺に置かれたロッキングチェアーに座って、その建物の影のずっと遠くで夕日に照らされている新市街の街並みを眺めている。

 部屋の中に振り子時計の低い鐘の音がゆっくりと間隔を空けて鳴り響いた。光絵由里子はチェアーの前に杖をつくと、体を前に倒して立ち上がろうとした。振り子時計の鐘の音が鳴り終えた頃、光絵由里子は揺れるロッキングチェアーの肘掛に手を添えて、杖で体を支えながら、ようやく立ち上がることが出来た。彼女は肘掛から手を離すと、そのまま杖を突きながら壁際の暖炉の方へと進む。火の点いていない暖炉の前を通り過ぎ、少し離れた所に置いてある赤茶のサイドボードの前に来ると、その上に置かれた薄型の端末を手に取って脇に抱えた。反対の手で杖を突きながら、またゆっくりと部屋の中央まで移動していく。彼女は四角いテーブルの所まで来ると、抱えていた端末をテーブルの上に置き、高い背もたれの椅子を引いて、疲れたようにそこに腰を降ろした。窄めた口からゆっくりと長く息を吐く。そして、背筋を正してテーブルの方に体の向きを変えた。端末に手を伸ばした光絵由里子は、そのスイッチを入れながら、反対の手に持っていた杖の銀細工の握りの部分をテーブルの端に乗せて、その杖を立て掛けた。テーブルの上に置かれた薄い端末から光が発せられ、その上に数冊のファイルを模ったホログラフィーを並べる。光絵由里子が、テーブルからは少し浮いた位置に並んでいるそれらのファイルの中から一冊を手で掴んで中央に動かすと、他のファイルが小さくなって左右の端に縦一列に並んだ。彼女は手で掴んだ立体画像のファイルを広げ、一頁ずつ画像の擬似頁を捲っていく。ある頁で手を止めた彼女は、その頁の上の中央の位置に手をもっていくと、そこで合わせた親指と人差し指を離した。頁の紙の画像が二重になり、上の方の紙の画像が少しだけ大きくなって立ち上がる。そのホログラフィーの書面は光絵由里子の視線に合わせた角度で、空中に貼り付けられたように固定されて表示された。

 警察庁から送られてきたその文書には、南米に調査に行った警部の三木尾みきお善人よしとが警察庁長官の子越こごし智弘ともひろに口頭で報告した内容が要約して記載されていた。光絵由里子はそれを読みながら呟いた。

「嘆かわしい……」

 彼女は、三木尾警部の報告内容ではなく、警察の本丸たる警察庁内部での、しかも警察庁長官室での会話の内容が内部の人間から簡単に自分の手元に届いた事に強く落胆していた。光絵由里子が今朝、執事の小杉に指示したのは、子越智弘から自分に報告させるというものだった。しかし、実際には内部の警察職員から自発的に光絵の下に情報が送られてきたのである。予定外の情報漏洩に、光絵由里子は、国家の治安の要たる機関で働く人間たちに大きな不信の念を抱いた。同時に、想定外のこの現状に対する危機も感じていた。眉間に深く皺を寄せながら、彼女は目の前の空中に浮かんだ文書の頁を捲った。そのリークされた情報は、子越長官と三木尾警部が旧知の仲である事、三木尾らが田爪健三の死を疑っている事、子越長官が三木尾警部に「バイオ・ドライブ」の捜索を極秘に指示している事を伝えていた。

 光絵由里子は深く溜め息を吐くと、そのホログラフィーの上に手を伸ばし、指先でバツの字を書いた。光絵の目の前に浮かんでいた文書画像は小さく縮小されて、テーブルの上の薄型端末の上に広がっているファイルのホログラフィーの中に吸い込まれていった。光絵由里子は、そのファイルを更に数頁捲ると、再び、さっきと同じようにして、今度は目の前に四枚の文書のホログラフィーを横一列に並べた。

 それらを見ながら、彼女は眉を寄せて呟く。

「それにしても、子越長官も、随分と余計な男を選んでくれたものね。しかも、その男に人選を一任するとは……」

 光絵由里子の前には、左から順に、三木尾善人警部と石原宗太郎いしはらそうたろう警部補、中村明史なかむらあきふみ巡査、そして警察事務官の村田むらたリコの履歴データが並べられていた。光絵由里子はその一人一人の履歴データに目を凝らしていく。老年、壮年、青年の刑事たちと有能な若い女性事務官の履歴を一通り読み終えた光絵は、テーブルの前で本音を漏らした。

「悪くないわね。ベテランに元軍人と科学者あがりの新人刑事。事務の子も経歴に曇りは無い。この事件を担当すると聞いてすぐに、このメンバーを集めたのだとすると、この男は、なかなか侮れないわね」

 光絵由里子は、三木尾善人の顔写真が付いた左端の履歴データに触れた。彼女の指の動きに反応して、そのデータ文書のホログラフィーが少し前に出た。その後ろから右に三枚の文書がすべり出てきて、石原、中村、村田のそれぞれの履歴データの上に重なる。それらの三枚の文書には、三木尾善人警部がこれまで担当してきた事件名と、その概略が記されていた。光絵由里子は、細かな字で書かれたその一つ一つを読もうと目を細めたが、彼女の疲れた目には、それらの文字の輪郭が滲んで見えた。光絵由里子は胸元に手を伸ばし、老眼鏡を取ろうとしたが、それを窓辺のロッキングチェアーの隣のサイドデスクの上に置いたままであることに気づき、今度はその手をテーブルに立てかけた杖の銀の柄の上に置いた。杖に体重を掛けて少し腰を上げた彼女は、その腰を下ろすと、大きな声で執事の名を呼んだ。

「小杉。小杉、居ないのですか」

 ドアが開き、白い手袋をした小杉正宗が入ってきた。

「はい。何でございましょう」

「悪いわね。チェアーの横の眼鏡を取ってちょうだい」

「かしこまりました」

 鼻の下に白い口髭を蓄えた老執事は、ロッキングチェアーの所まで静かに歩いて行くと、隣のデスクの上から老眼鏡を取り、少し窓明かりに透かしてレンズの曇り具合を確認した。スーツの胸のポケットに挿した白いチーフを取り出した彼は、それで眼鏡のレンズを拭きながら、部屋の中央に置かれたテーブルの椅子に座る光絵の所まで歩いてきた。

 小杉正宗は、老眼鏡を光絵に手渡しながら、彼女の前に浮かんで並んでいる文書を見て、言った。

「会長。少しお休み下さい。無理をされては、お体に触ります」

 光絵由里子は、老眼鏡を掛けながら答えた。

「警察の内部の者から、三木尾警部の報告内容がリークされてきているわ。あそこはもう信用できません。こちらも手を打たねば。とにかく、情報源を辿り、判明したら子越長官に知らせなさい」

「はい……。かしこまりました」

 小杉正宗は頭を垂れた。

 眼鏡を掛けた光絵由里子は、目の前の三枚の文書の小さな文字を丁寧に追っていき、三木尾善人警部がこれまでに担当した事件と、その時の彼の行動を知ろうとした。真剣な顔で読んでいる光絵の後ろから、同じくその文書を読んでいた小杉正宗が光絵に言った。

「ほう。あのミサイル攻撃事件も、その刑事の担当でしたか」

 光絵由里子は未だ判読の途中であったが、椅子の高い背もたれに背中を付けると、読んだ部分までの印象を述べた。

「どの事件も大きな難事件ばかりだわ。直近では、例のシンクライト事件を担当している。その処理も終わらないうちなのに、この件を任されるとは、子越も単に旧友であるという理由だけで彼を抜擢した訳では無いようね」

「ですが、長官がそうした事は、正解でございます」

 光絵由里子は小杉の質問には答えず、右端の文書に指先を伸ばすと、その文書を左に払うように指を動かした。宙に浮いていた四枚の文書のうち右の三枚が順に重なっていき、最後に左端の三木尾の履歴データの後ろに隠れた。光絵由里子がその左端の文書を押すように触れると、そのホログラフィーは少し後ろに下がり、元通りに、石原、中村、村田の履歴データと並んだ。

 光絵由里子は小杉に言った。

「彼が選んだ特命捜査対策室のメンバーよ。元軍人の中堅刑事に、化学の知識がある若手、外国語にも堪能で他の都道府県警との連絡にも慣れた事務官。彼が偶然にこのメンバーを選んだとは思えないわ。やはり、あなたの言った通りの男だったかもしれないわね。この男、なかなかの切れ者のようね」

 小杉正宗は少し体を前に倒すと、光絵の耳元で小さく囁いた。

「これが必然というものなのかもしれませんな」

 光絵由里子は、また右端の村田リコの履歴データの上に指を置いて左に払い、三人の刑事たちのデータ・ホログラフィーを重ねて、彼らを統率する男の履歴データの後ろに仕舞った。そして、その左端に一枚だけ浮いて残った三木尾善人の履歴データのホログラフィーに軽く触れて、テーブルの上のファイルのホログラフィーの中に戻した。

 光絵由里子は再びホログラフィーのファイルの頁を捲りながら、後ろに立つ小杉に尋ねた。

「ASKITの拠点島から軍が回収した量子銃は、警察に回してあるのですね。分析を任されているのは、たしか……」

 光絵由里子は一人の女性の顔写真が載った履歴データの頁で手を止めると、その頁を目の前に立体表示で拡大させて、言った。

岩崎いわさきカエラ。この女性だったわね。かなり優秀な技官だとか」

「ええ。それは、もう。私なりにもいろいろと調べてみましたが、人格にも問題ありません。正しい判断をする人間です」

 光絵由里子は、目の前に浮かび立つホログラフィー文書の隅に映し出された白衣姿の女性の顔をじっと見つめていた。そして、そのまま口を開いた。

「あなたがそう言うのなら、間違いないでしょう。彼女を信じましょう」

 そのホログラフィーの中央に人差し指を添えたまま手を止めた光絵由里子は、小杉に尋ねた。

「彼女は、独身だったかしら」

「――ええ。そのようです。……」

 小杉の返事を聞いた光絵由里子は、一言だけ答えた。

「そうですか……」

 光絵由里子は、そのホログラフィーの中央に留めていた人差し指でバツの字を描くと、岩崎カエラの履歴データのホログラフィーをテーブルの上のファイルのホログラフィーの中に戻した。続いて、次の頁の男性の履歴データを宙に拡大させた。

「この男が彼女の補佐役だったわね。小久保こくぼ友矢ともや。飛び級で大学院の博士課程までを修了し、軍隊経験も一応ある。彼を自分の補佐役に選んだのは、岩崎カエラ自身。これも偶然かしら」

 小杉正宗は首を傾げた。

「さあ。優秀である事には間違いないですが、果たして、この件で彼がどのような働きをするのか、私には分かりかねます」

 光絵由里子は、小久保友矢の履歴データの中の一文の上に人差し指を添えて、小杉に言った。

「ですが、注意が必要のようね。この男、過去に警察から捜査協力の感謝状を受けているわ。これだけ優秀な人間です。この仕事に就く前にも警察の捜査に影で力を貸していたのかもしれません。岩崎カエラがそうであったように」

 小杉正宗は光絵の顔の横に自分の顔を出して、その一文を読みながら言った。

「ですが、岩崎カエラが大学の研究員時代に警視庁の捜査に協力したのは、警察からの正式な要請があったからでございます。あくまで、専門的な学識的見地からの協力です。一方で、小久保友矢が警察から感謝状を貰ったのは、彼が中学生の頃でございますよ。学識を基にした協力とは思えませんな。何か事件の通報をしたか、犯人逮捕につながる情報あるいは証拠物を届けたか、そういったところでございましょう」

「だといいのですが……」

 訝しげな顔でそう呟いた光絵由里子は、そのまま人差し指でバツの字を描き、小久保友矢のデータをファイルに戻した。そして、机の上に広がったホログラフィーのファイルを閉じると、表紙の上に手を添えて、右端に立てに並んでいる小さなファイルのホログラフィー・アイコンの列に、その手を滑らせた。テーブルの上のファイルの立体映像が小さくなって、右端のアイコンの列の末尾に並ぶ。

 続いて光絵由里子は、別のファイルの上に指先を置いて、その指先を中央に運んだ。そのファイルのホログラフィーが実寸大の大きさになって、テーブルの上に浮かぶ。光絵由里子は、そのファイルを開くと、数頁だけ捲って、その頁の上で合わせた親指と人差し指の先を離した。彼女の前に二枚の履歴文書のホログラフィーが横に並んで浮かんだ。彼女は、それぞれに表示された背広姿の男性の顔と氏名を確認して、小杉に言った。

「国防軍調達局の局長、津留栄又つるさかまた。同じく国防軍情報局の局長、増田基和ますだもとかず。この二人の動きは、どうなっています」

 小杉正宗は鼻の下の白い口髭を少し動かすと、ゆっくりと答えた。

「相変わらず、こちらの考えている通りに動いております」

 光絵由里子は、二つのデータ文書の顔写真を見据えたまま黙っていたが、横に立つ小杉がこちらを見ているのに気づき、目を閉じながら老眼鏡を外して、彼に言った。

「裏切るのはどちらなのかしら」

「――失礼します」

 横から手を伸ばした小杉正宗は、空中に浮いた二枚の文書の下に投影されていたファイルの頁を捲ると、そこからもう一枚のデータ文書を拡大して立体投影させて、津留栄又と増田基和のデータ文書の右に並べた。そこには、軍人用の礼服を着た角張った顔の中年男性の写真が載っていた。

 小杉正宗は言った。

「もう一人、この男をお忘れでは」

 光絵由里子は、椅子の背当てに凭れて目頭を指先で摘まみながら答えた。

「その男の事は分かっているわ。ですが、問題は津留と増田、二人の上級軍人です。いや、官僚と言った方がいいかしら。この二人のどちらなのか」

 小杉正宗は最後に表示された軍人の写真を白い手袋に包まれた手で指差して言った。

「でしたら、この男と同類の男の方でございましょう」

 光絵由里子は再び老眼鏡を掛けると、少し顔を前に出して、右端のホログラフィー文書の軍服の男と、二人の背広の男を交互に見比べながら、言った。

「阿部と同類の男が裏切る……」

 小杉正宗は答えた。

「逆でございます。阿部と同類だから裏切らないのでございます。本質的に彼と同じ考えを持っていれば、裏切らないはずでございます」

 光絵由里子は小杉に尋ねた。

「増田基和が率いる偵察隊については、何か分かりましたか」

 小杉正宗はゆっくりと首を横に振った。

「いいえ。さすがは情報局長ですな。我々の調査では、知りたい事が何一つ出て参りません。あまり深く調べようとすると、逆にこちらの動きを察知される惧れもございます。迂闊に手出しは出来ない相手でございますよ、増田は」

「例の『ヤマケン』という男は」

「はい。その呼び名で呼ばれている、元は空軍のエースパイロットだった男がいるという情報を得ておりますが、顔が分かりません。その男、現場を離れて、今は国防省の上級職員用の送迎機の操縦をしているそうでございます。幹部クラスの軍人の移動を秘すためだと思われますが、その男の軍人情報は高度に保護されており、入手が困難です。ですから、調査にはもう少し時間がかかるかと。なお、その呼び名がニックネームだとすると、同じ呼び方をされている者は他にもまだいるようですから、現在確定を急いでいるところでございます」

「そうですか……」

 顔を険しくさせた光絵由里子は、更に尋ねた。

「津留栄又の方はどうなのです。彼の下の事前調査部の事は」

 小杉正宗は顔を曇らせながら答えた。

「基本的には増田の下の偵察隊と同じでございます。こちらも防衛装備品の調達前の事前調査を内々に実施する機関でございます。諜報のプロ組織ですので、そう簡単には……」

 光絵由里子は、もう一度、老眼鏡を外すと、右手の親指と人差し指で再び目頭を押さえながら、小杉に尋ねた。

「あなたの知る限りでは、どうなのです。例の部隊の兵士たちは」

「はい。以前にも何度か申し上げましたが、『ケイスケ』と呼ばれている、なかなか優秀で勇敢な大尉が一名。それと、射撃の腕が特に優れた女性少尉が一名。そして、優秀なパイロット一名と女性の上級仕官が一名でございます。ですが、今のところ、そのような人員構成に該当する戦術チームの存在は判明しておりません。臨時構成されたチームなのかもしれませんが、どの人物の情報も出てこないところをみると、よほど特殊な部署に所属している人物たちだと思われます。そうであれば、ガードも固いでしょう。ですから、まずはパイロットの情報を確定させるべく調査中でございます」

 光絵由里子は小杉の話を聞きながら、ホログラフィーの前で眼鏡のフレームを持ったままの手を一度大きく振った。それを見た小杉正宗は前に出て、光絵の前に浮かんでいた全てのホログラフィー画像の文書を閉じ、その下のファイルのホログラフィーも小さくして元の場所に戻した。

 端末の電源を切る操作をしている小杉に、目頭を指先で押さえた光絵由里子が尋ねた。

「例の帽子の男の正体は分かりましたか」

 端末の電源を切り終えた小杉正宗は、静かに首を横に振った。

「いいえ。探してはいるのですが、それが、なかなか……」

 光絵由里子は何度も強く瞬きをしながら、手に持った老眼鏡を小杉に渡した。

「度がずれてきたわね。この眼鏡は……」

 小杉正宗は受け取った老眼鏡を畳むと、背広の内ポケットに仕舞いながら言った。

「アキナガ・メガネの製品です。新しい物を準備させましょう」

「お願い。目が疲れて仕方ないわ」

 そう言うと、光絵由里子は少し口角を上げて溜め息を吐き、小杉の顔を見て言った。

「まったく、訴訟相手の製品に助けてもらっているなんて、皮肉なものね」

 小杉正宗は、少し笑って答えた。

「それとこれは別でございます」

 光絵由里子は杖に手を掛けると、小杉の手を借りて椅子から立ち上がりながら、再び彼に尋ねた。

「アキナガ・メガネとの和解交渉を担当させる弁護士が決まったとか」

 窓辺のロッキングチェアーに向かう光絵を支えながら、小杉正宗が答えた。

「はい。町田という若い女性の弁護士です。美空野弁護士からは、ローヤー・プログラムをトップクラスの成績で修了した優秀な弁護士だと聞いています」

「自分が経営する弁護士法人に所属する弁護士の事は、誰でもそう言うわ。その町田という弁護士の経歴とその他の資料を、こちらで揃えられるかしら」

「はい。明日の臨時取締役会までには、会長のお手元に」

「そうしてちょうだい」

 光絵由里子は、小杉に支えられたロッキングチェアーの肘掛に掴まりながら、そこにゆっくりと腰を下ろすと、杖を小杉に渡し、背もたれに静かに身を倒した。

「アキナガ・メガネの代理人弁護士は、依然として時吉弁護士なのですね」

 小杉正宗は、光絵の杖を椅子の隣の小さなサイドデスクの横の、椅子から取り易い位置に立て掛けながら、彼女の問いかけに答えた。

「然様でございます。それにしても、あの時吉総一郎の息子も弁護士だとは……」

 光絵由里子は口角を上げて言う。

「蛙の子は蛙だという事です。その子蛙を町田という優秀な弁護士先生に飲み込んでもらうしかないわね」

 小杉正宗は、ロッキングチェアーに座る光絵の膝の上にミンクの皮を繋いだ膝掛けを広げて乗せると、彼女に尋ねた。

「しかし、なぜ美空野弁護士は自分で交渉しないのでしょう。彼も、なかなかの説得上手であるはずですが……」

 光絵由里子は、椅子に深くもたれて目を瞑ったまま答えた。

「交渉に失敗した時に責任を取らないで済むように、距離を置いているのかもしれないわね」

「では、町田弁護士はスケープゴートだと」

「どうかしらね。あるいは何か考えが有るのかもしれないわ。美空野の事ですから。いずれにしても、その町田という弁護士が、それくらいの事を見抜けずに乗り越えられないようなら、そもそも弁護士としての資質に欠けるという事ね。法曹界から消えてもらっても、何の支障も無いわ。それより、例の内通者の役員たちは、どうなりましたか」

「はい。美空野弁護士が動いたようで、本社からの連絡では、先ほど、彼らの方から自発的に辞任届けが提出されたとの事であります」

 光絵由里子は目を瞑ったまま片笑んだ。

「それは結構な事だわ。貴重な人材を失うのは残念ですが、早急に受理して、役員室からも今日中に退去させなさい。本社ビルとその他の各施設の入室IDパスは無効にしておくように。とくにGIESCOのものは、キー・カードの回収とセキュリティー・データからの彼らのデータの抹消を急がせなさい。それから、法務部に命じて、彼らを背任罪で刑事告発させなさい。美空野の手を借りる必要はありません。彼には、裏切り者に対する民事訴訟の方で働いてもらいましょう」

「承知いたしました。さっそく法務部と美空野弁護士の方に伝えておきます」

 小杉の返事を聞いた光絵由里子は言う。

「いえ。美空野には伝える必要はありません。彼の方から、漏洩された我が社の情報の資産価値と我が社の損害額を算出して、元役員連中への裁判を持ちかけてくるはずです。それを待つとしましょう」

 光絵由里子は、ロッキングチェアーを少し揺らしながら目を瞑っていたが、口元には満足気に笑みも浮かべていた。

 小杉正宗はそれを見て、後ろに下がり彼女に言った。

「では、そのように対処いたします。御夕食の準備が整いましたら、お運び致しますが、今日はどちらの部屋で」

 光絵由里子は窓の前にこちらに背を向けて置かれた木製のロッキングチェアーの背もたれの向こうから答えた。

「ここで頂くわ。少し疲れました。何か元気が出るものにしてちょうだい」

「かしこまりました」

 一礼した白髪の老人は姿勢を正してドアの方に歩いていくと、廊下からもう一度、部屋の中に向かって頭を下げて、静かにドアを閉めた。



               5

 次の日、高層ビルの最上階にある広い会議室では、長いテーブルを挟んで並べられた重厚なデザインのアームチェアに年配の男たちが座っていた。ストンスロプ社の重役である彼らは、減光窓を通過して差し込む強い朝日に顰めた顔や丸めた背を照らされながら、面前のホログラフィー文書に真剣な眼差しを向けている。下座の大型モニターの横では、黒地にダークグレーのカスケード・ストライプを描いたスーツを着て、白いワイシャツに漆黒のネクタイを締めている美空野朋広弁護士が、重役たちの席の方を向いてマイクを握っていた。彼は、重役たちが眉間を寄せて読んでいるホログラフィー文書と同じ文書が表示された大型モニターを時々指差しては、その内容を熱心に解説していく。ストンスロプ社の顧問弁護士である彼は、アキナガ・メガネ株式会社から提起されて、「秋永訴訟」としてマスコミを賑わせている特許訴訟への対応と奇策について、身振り手振りを交え、役員たちに説明していた。美空野の寛闊声が響き渡る中、横からの強い陽射しを遮れなくなった減光窓が、自動で一斉にブラインドを下ろし始めた。

 重役たちが居並ぶ長い机の上座には、玉座のように据えられた大きな皮張りのアームチェアがある。そこには、ストンスロプ社グループの会長・光絵由里子が端然として座っていた。黒の絹織りのジレの上からライトブラックのギャバジン生地のスーツを着ている彼女は、黒糸で繊細に薔薇をあしらったその袖口から出た白く細い皺枯れた両手の指を机の上で組み、その先で役員たちに流暢に解説を続けている美空野弁護士に静かな眼差しを向けている。彼女の斜め後ろのドアの横では、黒いリボンが巻かれた、ツバの広い黒色の麦藁帽子の下で、壁に掛けられた黒いロングのダスターコートが朝露に濡れた裾を垂らしていた。

 そのドアが静かにゆっくりと開き、小杉正宗が入ってきた。光絵の椅子の後ろに立った彼は、視線を向けた役員たちに一礼する。役員たちの視線が元に戻ると、彼は静かに光絵の前に三枚の名刺を並べ置いた。そして、白い手袋に包まれた手を立てて、光絵にそっと耳打ちする。光絵由里子は小杉の報告を聞きながら名刺の一枚に目を遣った。そこには、「警視庁刑事部捜査第一課特命捜査対策室第五係長」という長々とした前置きの後、「警部三木尾善人」と記載されていた。光絵由里子は、姿勢を保ったまま暫く目を閉じて考えていたが、やがて目を開けると、組んだ手先をテーブルの上に置いたまま、軽く美空野を指差して、低く落ち着いた声で小杉に言った。

「終わったら、知らせなさい」

 それまで立板に水を流すように説明していた美空野朋広は、遠くの席の光絵会長から自分を指された事に気付き、彼女の顔を見て口を止めた。

 光絵由里子は、表情を変えずに言う。

「いいわ。続けて」

 美空野朋広弁護士は一礼してから説明を続けた。

 すると、光絵由里子は右からの視線に気付き、その女の方を見た。光絵由里子のすぐ右前には空いた美空野の席があったが、その席の隣に、その若い女は座っていた。薄い茶髪を緩く巻いている彼女は、立ち襟の白いブラウスの上に薄手のベージュのジャケットを着ている。化粧も濃かった。どちらかと言うと童顔に近い顔が、かえって幼く見える。アクセサリーの類は付けていないが、ジャケットの広い襟には分厚い金色のバッジが堂々と付けられていた。

 光絵と目が合ったその若い弁護士は、光絵に会釈をすると肩の下辺りまで伸びた茶色の髪をかき上げて、持参した立体パソコンの上に浮かんでいるホログラフィーに視線を戻した。

 光絵由里子は眼鏡をかけると、傍らに置かれた資料ファイルを手に取り、頁を捲った。その若い弁護士の情報が記された頁で手を止め、読み始める。彼女は町田まちだ梅子うめこといった。年齢に似合わない古くさい名前と、彼女の外観とのギャップに、光絵の口元は少しだけ緩んだ。町田梅子はローヤー・プログラムを設定期間内に修了後、今年の春に弁護士になった二十八歳の優秀な若手弁護士で、美空野の弁護士法人では夏頃から単独で訴訟案件を任されていた才女であった。光絵由里子は、彼女の細かな経歴に目を通した後、眼鏡と額の隙間から、再度、彼女の顔を見た。瞳を見つめ、観察する。

 彼女は、資料の写真よりも綺麗な目をしていた。世の恐ろしさを知らず、仮にそれを知っても立ち向かう覚悟のある目をしていた。悪事に手を染めた事も、伴走した事もない無辜の目ではあった。しかし、それは光絵が求めているものではない。光絵由里子は能力者を求めていた。今、この事態に対応できる能力を有する者である。事態を正確に客観的に捉え、冷静に分析し、自己の感情と切り離して判断し、捨て身で行動できる者。そういう者を探していた。そういう者でなければならなかった。この町田梅子という者は、分析する力は持っていた。それを為し得る知識も有していた。しかし、客観的に判断する力はどうか、自己の内面に潜む欲求とどこまで距離を置けるか、それが問題だった。後付けの理由を組み立てるのが巧みな識者は万といる。だが、有している知識としての判断法や思考技術を使って実際に判断できる者は少ない。それは人がことわざや慣用句を口にする時に似ている。人は選択に迫られた時、内心では既に決定している選択を、さも根拠づけるかのように、都合のいい諺や慣用句を口にする。本来、選択の判断をするための思考の補助とするべきものを使って、自己の欲求の実現を正当化する。そこでは既に判断が感情や嗜好に支配されてしまっている。情緒や主観を偏重する者もいるが、時にそれは動物的で野蛮でもある。そして人間は本来そのような生き物である。誰もが、喰らい、交わり、奪う。だから法がある。また、社会システムとして法律がある。町田梅子は弁護士であった。法の番人であった。法曹であった。法律家でもあった。したがって、法に従い判断する技術は有している。だが、問題は、彼女がその技術をあらゆる場合でも使えるかであった。捨て身の覚悟で。光絵由里子は、実際にそうした人物を知っていた。光絵由里子の亡養女が結婚した歳も、丁度、この町田梅子くらいの年齢であった。彼女は結婚を機に丘の上の邸宅を去った。そして、養母の下へは顔を出さなくなった。自己の命の危険を顧みずに巨悪と闘った。そして消えた。それは、彼女がまさにそのような思考が出来て、そのような方法で判断したからであった。目の前の、この町田梅子という若い弁護士には、それが出来るか、それをしなければならない岐路に立つ自分に気付く事ができるか、光絵には大いに疑問であった。なぜなら、それが学識や技術、無辜や正義感とはまったく関係の無い領域であるからだ。おそらく、他の一般の国民の誰もがそうであるように、彼女も自分がそのような岐路に立たされている瞬間に少しも気付かないまま日々を過ごしていくのであろう。光絵由里子は彼女の目を見て、そう思った。託す事ができる者は誰か、その者の判断に賭けるに値する者は誰か、光絵由里子は、皮肉にも、まさにその判断に迷っていた。

 テーブルの上でパソコンを操作しながら、美空野の説明に合わせて、大型モニターの表示を変更させている町田梅子を、眼鏡を手に持った光絵由里子が悲しげな目で見つめていると、役員席から疎らに拍手の音が鳴り始めた。やがて拍手の音は議場に響き渡り、その中を和解案の解説を終えた美空野朋広が歩いてきた。彼は満足気な顔で町田の席の後ろを通り、彼女の隣の椅子に座ろうと、その革張りのアームチェアに手を掛けた。すると、小杉が彼の隣まで来て、二つ折りの紙片をそっと渡した。メモの中身を見た美空野は軽く眉間に皺を寄せると、そのメモを町田に渡して光絵の顔を窺った。光絵由里子は美空野の方に顔を向けて、黙って頷いて見せた。モニターの横の演台では、司会を務める小柄な中年社員が議題を次へと進めていたが、美空野は席を立つと、町田を連れて議場から速やかに出て行った。演台から美空野達の退室を目で追っていた司会の男が、次の議題である「ノア零一」の製造工場建設に関する関連情報の概説を終えると、美空野の席の向かいに座っている太った脂顔の役員が、太く低い声で他の役員たちに言った。

「まだ、国防軍への納入も決まっていないのに、工場の建設は早すぎるんじゃないかね」

 すると、空いている町田の席の隣席から、赤鼻の役員が意見を述べた。

「いやいや、国防軍が契約に乗り気になっているところですからな、その後の納入を確実にするためには、工場の建設も早めに着手した方がいいでしょう。しかし、ノア零一の新型エンジンの動力……ええっと、量子出力エンジンでしたっけ、あれに使う量子エネルギーの循環プラントの建設の方が先でしょう。機体を作っても、動かなければ話にならない。会長、あちらはどうなっていますか」

 赤鼻の男は脂顔の役員と目を合わせてから、光絵に大声で問いかけた。

 光絵由里子は前を見据えたまま、低く落ち着いた声で答えた。

「建設と稼動は、予定通り今期内に実施します」

 赤鼻の役員の隣に座っていた眉の太い筋肉質な若手役員が、高い声で言った。

「今期内って、もう十月ですよ。あと半年しかないじゃないですか。例の国防軍の精鋭部隊によるASKITへの攻撃で、建設されていた循環プラントは壊滅的被害を受けてしまって、とても使える状態ではないと聞いていますが、そうなると我が社は、量子エネルギープラントを自力で一から建設しなければならん訳です。そんな事、我々だけで可能ですかね。たった半年で」

 若手役員の発言に間髪を容れずに、脂顔の役員の隣の席から、オールバックの髪をポマードで丁寧に固めて口髭を伸ばした役員が言った。

「まったくだ。いやいや、国防軍も随分と余計な事をしてくれましたな」

 その口髭の役員が末席まで居並ぶ他の役員たちに顔を向けると、役員たちはそれぞれ彼や太い眉の役員に同調する言葉を口にし始めた。

 ざわめく役員たちに向けて、脂顔の役員が落ち着いた声で言った。

「まあ、皆さん。国防軍は我が社の大事な取引先だ。その取引先の悪口は言わんようにしましょう。それに、国防軍は命令で動いただけですからな。彼らを責めても仕方ないでしょう。しかし、それにしても、軍に命令を発したのは辛島総理なのでしょうが、その総理をつついたのは、いったい誰なのやら」

 そう言うと彼は、その脂ぎった鼻先を光絵に向けた。

 今度は、赤鼻の役員が他の役員たちに何度も顔を向けながら言った。

「だが、実際に、破壊されたプラントの復元は難しいという声が多い。現実問題として、あんな複雑な物をウチだけで造れますかな」

 再び、役員たちが騒めき出したので、光絵由里子がさっきより大きな声をあげた。

「今期内の稼動には問題ありません。現在、GIESCOに全力で取り組んでもらっています」

 赤鼻の役員が再び口を開いた。

「そのGIESCOの事なんですがね。所長は、あの内田でしょう。彼で大丈夫なんですか。二〇二五年に彼が実施した実験であんな事故を起こして、ウチはタイムトラベル事業から撤退する事になったのですよ。おかげで、御上とも距離ができてしまった。以前、国に納品したIMUTAの時と比べて、『ノア零一』を国防軍との契約交渉まで持っていくのに、我々がどれだけの苦労をしたことか」

 議場が再び騒めいた。

 光絵由里子は赤鼻の男に厳しい視線を向けて言った。

「あの大爆発は、内田所長に責任があるものではありません」

 赤鼻の役員は顔を顰めて言った。

「しかし、あの実験の責任者は内田だったでしょう。あの大爆発が無ければ、政府とも上手くやっていけていたんですよ。そうしたら、たかが国防軍への納入権を手に入れる為だけに、国防省の調達局や技術局に対して、あんなに金を使う必要も無かったはずですよ。ねえ、皆さん」

 脂顔の太った役員が割って入った。

「まあまあ。彼に悪気があった訳ではないのだから」

 そう言うと、脂顔の役員は他の役員たちを見回し、今度は机の上に両肘を突いて、光絵に諭すように、ゆっくりとした口調で言った。

「しかし、他の役員からも同様の意見が出ている事も事実です。これまでは、例の実験の事は我が社の秘中の秘として隠し通してきましたが、そのうちマスコミにバレるかもしれません。そうなる前に、会長、ここはいっその事、内田を切られたらいかがでしょう。その方が安全だと思われますし、また、我が社の企業イメージも良くなると思うのですがね」

 議場の役員たちから次々と賛同する声が上がった。それを見て、太い眉の若手役員が発言した。

「そうだ。去年ノーベル生理学賞を受賞したマーチン・ダツィホウ博士をウチに迎えるというのはいかがでしょう。彼ならGIESCOの後任所長としても適任ですし」

 彼の提案に、下座の役員たちが唯々諾々に手を叩いた。すると、口髭の役員が彼に強い口調で言った。

「いや、待ちたまえ。ノーベル生理学賞受賞者を迎えるというのは、確かに良い案ではあるがね、彼はたしか、文系学部の出身じゃなかったかね。ちょっとイメージがなあ。それに、彼を迎えるとしたら、いったい幾らの年俸を支払わないといかんと思う。イヴフォンを開発したあのES社でさえ、年俸額の折り合いがつかずに、招聘を断念したと聞いている。あの右肩上がりのES社だよ。それに比べて我が社ときたら、ここ数年の利益は横這い状態じゃないか。この十数年の間、ヒューマノイドロボット事業に量子コンピュータ、それにタイムマシン、今度のノア零一と、金の掛かる研究ばかりしてきたんだ。彼に支払う金なんか無いよ。我々の役員報酬でさえも、昨年度から二パーセントも減額されているんだよ。二パーセントも」

 彼は二本の指を光絵が見える位置で立てた。

 脂顔の役員が他の役員を諭すように言った。

「それにだ、秋永訴訟の件だって、どう転ぶか分からんからね。美空野先生の先程の方針で行けば、まあ、ウチの株価は上がるかもしれんが、さして利益が出る訳ではない。それに、万一、ウチがパテントを失う事になれば、透過式フォトダイオード技術をフロントパネルに使用しているノア零一の製造も中止せざるを得なくなる。こんな時に大金を注ぎ込んでノーベル賞学者を呼ぶのは無謀じゃないかね。先の事もいろいろ考えた上で、議論するべきだと思うんだが」

 年老いた役員の一見して熟慮されたかのような意見に、他の役員たちは口々に感心と賛同の言葉を発した。

 光絵由里子は目を瞑り、テーブルの上で両手の指を組み合わせたまま、黙っていた。その光絵を見ながら、赤鼻の役員が提案した。

「では、ベンチャー企業の若手社長をGIESCOの新所長に起用するというのは、どうですかな。金も掛かりませんし、交渉も楽だ。それに、有名大学の理系出身者なら、話題性もありますからなあ」

 彼らがGIESCOに傀儡かいらい所長を据えようとしている事は明白であった。

 口髭の役員がポマードで固めた頭髪を撫でながら言った。

「おお、それ、いいね。理系がいいよ、理系が」

 情勢を見て、太い眉の若手役員が言った。

「なるほど。以前、我が社に田爪博士を招聘しようと試みた時には、そのニュースだけで、我が社の株価は跳ね上がりましたからね。確かに、インパクトは必要かもしれませんね」

 すると、その若手役員を指差して、口髭の役員が言った。

「何を言っているんだ。あの時、旧管理局との交渉に失敗したのは、お前じゃないか」

「おっと、これは一本とられましたな」

 その若手の役員は額に手を当てながら、笑ってごまかした。他の役員たちからも笑い声が出て、緩んだ騒めきが議場を埋めた。

 脂顔の太った役員が、笑顔で他の役員たちを見回しながら、大きな声で言った。

「では、内田氏の解任と、ベンチャー企業の経営者から適任者をGIESCO新所長に起用するという事でよろしいですな。具体的な人選は後ほど行うとして。――ああ、工場建設の方はどうします? 会長。後任の新所長に全てを一任するという事でよろしいですかな。そうすれば、どう転んでも、会長が責任追及される事は無いですし」

 役員らの短見に辟易しながら、ただ黙って聞いていた光絵由里子であったが、彼の呼びかけにゆっくりと目を開けると、両掌でテーブルを一度強く叩いた。議場から一斉に笑い声が消え、張り詰めた空気が流れる。

 光絵由里子は、役員の一人一人を睨みつけるように議場を見回してから、七十六歳の老体に可能な限りの大声で言った。

「あなた方は、いったい何を考えているのです。どの者も、株価の事しか頭に無い。大方、自分たちが保有するストンスロプ株が値上がりさえすれば、それでよいと考えているのでしょう。ウチの役員は、いったい何時からこんなに下等な人間たちになったのです。あなた方は社会から存在を認められた『法人』という組織体の舵取り役なのですよ。社会に対する義務というものを踏まえた発言はできないのですか。企業人として恥を知りなさい。まして、あなた方は、このストンスロプ社の役員なのです。ご自分たちが、世界経済や日本の行く末に影響を与えかねない企業の経営陣の一員である事を、お忘れですか!」

 役員たちは黙っていた。

 光絵由里子は手を震わせながら続けた。

「GIESCOの研究所員の安易な入替えは、私が許しません。だいたい今になって人的転換を図ったら、これまでの研究成果の積み重ねは、どうなるのです。人間がやっているのですよ、人間が。それらを引き継ぐためには、それなりの時間が必要になるはずです。違いますか」

 光絵由里子は、座っていた議長椅子の大きな背もたれに深く身を倒すと、役員たちを見据えながら威厳に満ちた声でゆっくりと言った。

「量子エネルギー循環プラントの今期内の建設と稼動は、私が保証します。ノア零一製造工場の建設の件は、来期以降の持ち越し案件として保留扱いとします」

 赤鼻の役員が光絵に言った。

「保留扱いって事は、緊急動議で発議されるまでお蔵入りって事ですか」

 続いて口髭の役員が質問した。

「ということは、この路線で機体改良を進めるつもりですか。金食い虫の改良のために、まだ研究を続けるおつもりですかな」

 光絵由里子は答えた。

「そうです。ノア零一は、戦地で兵員を輸送するという観点では、その機能と安全性が十分ではありません。それらの問題が全てクリアされるまで工場建設計画は凍結し、クリアされ次第、プロジェクトを再稼動するものとします」

 口髭の役員は、わざと大げさに溜め息を吐くと、光絵を白眼視しながら言った。

「ですが、あれは兵隊さん達を運ぶ乗り物なんですよ。兵士っていうのは、もともと危険な仕事をしている人間じゃないですか。それを運ぶのに安全、安全と言っていたらキリが無いですよ。いっそのこと、リムジン式にでもしますか。内装にミニバーとソファーでも付けて」

 会場に再び笑い声が響いた。

 光絵由里子は目を瞑り、眉間に皺を寄せて黙っていた。

 脂顔の太った役員が左手を上げて、皆の笑いを制止した。そして、彼は光絵に尋ねた。

「会長。ようやく、ここまで辿り着いたのですよ。陸海空万能型という事に軍の調達局が飛びついてきているんです。連中は『インビジグラム』という不可視化ホログラフィー用の外装パネルまで搭載を検討するよう、正式に要請までしてきているのですよ。軍は買うつもりなんです。どうして出し渋る必要があるのですか。売れるものは需要があるうちに売ってしまった方がいい。商売の基本ですよ。それに、墜ちるとは言っても、実際に飛行実験で墜ちたのは、千回中に、たったの五回じゃないですか。たいした確率では……」

 光絵由里子が再び強く机を叩いた。そして、その脂顔の役員に対して大声で言った。

「千人のうち五人も死ぬのなら、事業を凍結するのは当然です。だいたい、兵士を安全に運べない乗り物に、救出した民間人を乗せられますか。まして、訓練中に無関係の民間市街地に墜落でもしたら、どうするのです」

 他の役員の顔を見回しながら、光絵由里子は続けた。

「いいですか。我々は軍に納入する乗り物を作っているのですよ。一国の軍隊に。あなた方は、軍隊というものが何のためにあるのか、考えた事があるのですか!」

 光絵由里子は、机の縁に立て掛けていた杖の頭を右手で握り締めた。役員たちの顔を順に一人ずつ睨み付けながら、その度に一度ずつ杖の先で床を強く打ち鳴らしていく。

「あなた方は、GIESCOの所長を入れ替えて、研究所を手中に入れた後で、ノア零一の基本設計をコスト削減重視の設計に変更するつもりなのかもしれませんが、この私は、従来の設計方針を変更するつもりはありません。コストは度外視します。分かりましたね」

 議場は再び大きく騒めいた。

 光絵由里子は、もう一度、握っていた杖で強く床を突くと、声を張って言い放った。

「いいですね!」

 光絵由里子の威風と剣幕に、脂顔の役員は彼女から視線を逸らした。口髭の役員は下を向く。赤鼻の役員は鼻を触りながらハンカチを探す素振りをし、隣の若い役員はそわそわとネクタイを直すふりをした。他の役員も皆が似たようなものであった。誰も光絵に反論する者はいなかった。

 光絵由里子は、役員全員の顔を見終わると、深く深呼吸して、発言を続けた。

「異論が無い様なので、そのように決定します。なお、ノア零一の製造工場建設の凍結は、皆さんの意向に沿った決定であることを、お忘れなく」

 光絵由里子は、そう言って、脂顔の役員を一瞥した。

「ちっ」

 視線を逸らしていた脂顔の役員が舌打ちをする。

 光絵由里子は彼の態度を気にすることなく、さらに発言を続けた。

「乗員の安全な輸送と周辺環境への完璧な対応、これらのコンセプトを捨てるのであれば、ノア零一の製造については……」

 光絵由里子は、右手の杖で上半身の体重を支え、左手で額と両目を覆って、体を右に傾かせた。傍に立っていた小杉が慌てて駆け寄り、光絵を支える。光絵由里子は杖を握った右手を小杉の左肩に掛けて体を真っ直ぐに立て直すと、額に玉のように汗を浮かべながら目を瞑り、数回、長めに深呼吸をした。息を整えてから、役員達に再度、宣言する。

「とにかく……ノア零一については、試験機における十分な安全性が確認されるまで、全プロジェクトを凍結します。いいですね」

 蒼白の顔で締めくくった老いた首領の迫力に、そこに居た誰もが何も発言できなかった。

 沈黙の会議室では、刻々と変化する陽射しの角度に対応して動く自動ブラインドの稼動音だけが響いていた。



               6

 光絵由里子は、書架を背にして置かれたブロケード張りのカウチに横たわり、自邸の書斎の窓から美しく剪定された西の洋風の庭を眺めていた。夕日に照らされた噴水の霧が池の上に小さな虹を作っている。風に水面を震わせている大きな池の周りには、赤い薔薇が低く植えられていて、向こうには緑の芝生が広がり、その周りでは、色付いたコスモスの花が揺れていた。

 重厚な彫刻で縁取られたドアが、向こうからノックされた。光絵が返事をすると、ドアが静かに開き、純銀のサルヴァーを持った小杉が一礼して入ってきた。姿勢よく歩いて来た小杉正宗は、サルヴァーの上の水の入ったコップを光絵が横たわるカウチの横の小さなテーブルの上に置くと、眉を寄せて言った。

「お具合の方は、いかがでございましょう。念のため、医師を呼ぶ手配もできておりますが……」

「結構よ。ありがとう。心配をかけたわね」

 そう言うと、光絵由里子はカウチから体を起こし、肩にかけていたストールを外して膝に乗せた。そして、小杉が置いたコップの水に少しだけ口をつけると、深く息を吐いてから呼吸を整え、静かに笑みを浮かべる。

「もう大丈夫です。睡眠不足の無理が祟っただけでしょう。少し寝させてもらったおかげで、随分と楽になったわ。やはり、歳には勝てないわね」

 小杉正宗は軽く笑顔を作って返すと、一礼して、一歩だけ後ろに退いた。

 光絵由里子は顔を厳しくして言った。

「それにしても、さっきの役員会で、今後の事を彼らに任せる訳にはいかないという事が、はっきりと判りました。彼らは、この国の人々が置かれている現状も、自分たちの責任も何も理解していないようね」

 光絵由里子は姿勢を正したまま、もう一口だけ水を飲むと、切子の装飾が施されたそのコップを横の小さなテーブルの上に戻して、小杉に尋ねた。

「美空野事務所からの連絡は。後で和解書の原案を送ると言っていましたが、届いたかしら」

「いいえ。まだ、ご連絡は頂いておりません」

 光絵由里子は役員たちの策謀により開催された今朝の臨時取締役会において、智謀をもって彼らの謀略を封じ込め、鎮定した。彼女は早朝に自邸を発ち、郊外にある亡き養女の墓前に花を手向け、供養を済ませた後、墓地との往復に疲労した老躯を駆って、午前の臨時取締役会に出席したのであった。その光絵の出席と三名の役員の辞任により、自分たちが予定していた議決が採れない事を悟った出席役員たちは、諦めたように等閑視で議事を進めたが、光絵由里子は、そこへ更に、これまでストンスロプ社が社運を賭けて取り組んできた新型兵員輸送機納入事業の凍結を採りつけさせたのであった。付言すれば、前日に提出された造反役員たちの辞任届けも、光絵に指示された美空野により、半ば強制的に彼らに提出させたものである。これらは役員達の策動に対する光絵の見事な反撃ではあったが、張り詰めた精神と酷使した老体は限界に達し、彼女は会議の途中で倒れかけた。それで、取締役会は残された議題を次回の定期取締役会までの持ち越しとして、予定の時間を繰り上げて閉会したのであった。その後、光絵由里子は一度会長室へ移動し、そこで、会議の途中で退席した弁護士の美空野と町田の報告を聞いた。彼らは突然の警察の訪問に対応する為に議場から中座したのであったが、光絵由里子は彼らから対応と顛末の報告を受けると、すぐに本社ビルを後にし、郊外の丘の上の自邸に帰ってきた。そして、カウチに横たわり、しばしの休息を取っていたのであった。

 書斎の奥には、一人の老紳士がソファーに座っていた。光絵を送迎してきた小杉正宗は、今、彼女の巧みな策略を理解した。光絵が倒れかけて見せたのは、会議を途中で閉会させ、五ヶ月後の定時会まで議題を凍結させるための機功であり、それにより別室に移動したのも、役員たちに知られないように弁護士たちの報告を聞くための藉口であった。そして、休息を理由にここへ戻ってきたのも、奥のソファーに腰掛けている老紳士との、この密会のためであろう。小杉正宗は光絵の老練の妙技に感服していた。

 光絵由里子は小杉に言った。

「レスポンスが遅いわね。美空野は、迅速に仕事をこなす弁護士ではなかったのかしら」

 小杉正宗は思わず、自らで謝罪した。

「申し訳ございません。私も、そう承知しておりますが……。わたくしの方から急ぐように催促いたします」

 光絵由里子はカウチから慎重に立ち上がると、小杉に渡された杖を突きながら、窓辺に置かれた両袖の書斎机に向かって進んで行き、言った。

「いえ。いいわ。私から直接、連絡を入れましょう。他には何かありますか」

 小杉正宗は、さらに光絵に何かを伝えようとしたが、部屋の奥の応接ソファーに座っている大柄な老人を瞥見すると、口から出掛かった言葉を飲み込むように、報告を中止した。

 彼の視線に気付いた光絵が言った。

「構わないわ。何です」

 小杉正宗は少し声を落として言う。

「GIESCOの内田所長からの報告でございます」

 光絵由里子は書斎机の木製のパーソナルチェアに座りながら言った。

「続けてちょうだい」

 小杉正宗は座る光絵の体を支えながら、やはり小声で言った。

「はい。内田所長によりますと、例の宗教団体からGIESCOのメインコンピュータに対して、新種のウイルスによるハッキング攻撃が集中的に仕掛けられているとの事でございます」

 座り終えた光絵由里子は、スカートの皺を直しながら言った。

「それで。被害の状況は」

 小杉正宗は彼女の耳の傍に顔を近づけて言った。

「はい。なんでも今回のウイルスは高度なもので、フロントラインは突破された模様でございます」

 光絵由里子は眉間に皺を寄せた。

 小杉正宗は、そのままの姿勢で続けた。

「しかし、GIESCOの巡視プログラムが巡回中に発見、自動駆除したそうですので、敵は未だバリアセグメント領域に達するには至っていないとの報告でございます」

「つまり、GIESCOのスーパーファイヤーウォールによって、侵入を阻止できているという事ですね」

 小杉正宗は少しだけ声を大きくして、言った。

「はい。然様さようでございます」

 そして、また光絵の耳の側に顔を近づけて、声を少し小さく戻して、報告した。

「ただ、内田所長は、一応、ファーミングにだけは注意する必要があるので、今後暫くの連絡は高次元ネット回線の通信を控え、直接接触方式にするべきではないかと申しております。いかが致しましょう」

 光絵由里子は険しい顔で頷いた。

「分かったわ。面倒ですが、そうしましょう。奴らごときにGIESCOの安全装置プログラムを模倣できるとは思いませんが、念を入れるに越した事は無いでしょう。追い込まれた雑兵こそ、何をするか分かりませんから」

 光絵由里子はパーソナルチェアを横向きにしたまま、片肘から先を書斎机の上に乗せて、指先で机の表面を軽やかに叩きながら暫く考えていた。そして、その指を止め、小杉に指示を出す。

「それから、内田博士に、その『新種』とやらを早急に分析するように伝えてちょうだい。今後、同種のウイルス攻撃においてもフロントラインの損傷率を一フィット未満にするようにしておきたいわ。それと、予備のウォールの改善も急がせてちょうだい」

「承知いたしました。では、早速GIESCOに足を運びます」

 そう言うと、小杉正宗は光絵に一礼してから背を向けた。すると、光絵由里子が彼を呼び止めた。小杉正宗は振り返り、再び光絵の前まで戻ってきた。用件を尋ねる小杉に対し、光絵由里子が小声で言った。

「ハッキングと言えば、その後、フラクタルの連中からの接触は無いのかしら」

 小杉正宗は部屋の奥の応接ソファーで書類に目を通している老人に目を遣った。老人と一瞬だけ目が合ったが、老人は再び書類に視線を落とした。

 小杉正宗は彼なりに機転を利かし、光絵に小声で耳打ちした。

「実は、パノプティコンからの伝言を賜っております」

 それを聞いて、光絵由里子も、ソファーに座る老人に一瞬だけ目を遣った。彼には聞こえていないようであった。光絵由里子は彼の不信を買わぬよう、普通の大きさの声で小杉に尋ねた。

「それで、彼らは何と」

 小杉正宗は、さらに機転を利かせて答えた。

「はい。まず、例の出版計画を前倒ししたいと」

 光絵由里子は、小杉が「出版」と表現した事が何を指すのかを、すぐに理解した。

「それから」

 小杉正宗が答えた。

「作者に、すぐに会わせて欲しいとの事でございます」

 光絵由里子は眉間に皺を寄せて答えた。

「すぐには応じられないわね。今は、その出版のために彼に書いてもらわなければならない原稿があるわ」

 暫く思案していた光絵由里子は、言った。

「先方には、何か口実をつけて、締め切りに間に合いそうもない旨を早急に伝えてもらえるかしら。作者との面会については、近日中に実現できるよう努力するとでも、伝えてちょうだい」

「かしこまりました。しかるべく」

 小杉正宗はサルヴァーを脇に抱えると、光絵に一礼して再びドアに向った。すると、また光絵が彼の名を呼んだ。

「小杉。それから……。何度もすまないわね。――GIESCOのセキュリティーレベルを、アラート1に移行させてちょうだい。ハッキングが気になるわ。最優先でお願い」

 GIESCOにおいて、アラートレベルの表示は緊急警戒態勢の発動を意味していた。アラート1は、最厳重警備体制を超えて、外部からの物理的攻撃を前提とした哨戒体制を展開する初期体制である。そして、それが宗教団体からのハッキング攻撃を警戒したものではなく、パノプティコンからの伝言を聞いた光絵の反応である事を、小杉正宗も理解していた。小杉正宗は、光絵の目を見て言った。

「はい。では、まずはそちらの方から」

 光絵由里子は、ゆっくりと深く頷くと、杖を突いて立ち上がり、応接ソファーに向かって歩みながら、小杉に言った。

「よろしく頼むわね」

 開けたドアの横で光絵の移動を見守っていた小杉正宗は、緊張した表情でゆっくりと一度だけ首を縦に振って見せた。光絵由里子も黙って頷いて応える。

「失礼致します」

 そう言って光絵に対し再度一礼すると、小杉正宗は廊下へと出た。彼が重厚な木彫りのドアを閉め、書斎を後にすると、廊下の壁際に濃紺のビジネススーツに身を包んだ長身の男性が鞄を持って立っていた。

 純銀のサルヴァーを脇に抱えた小杉正宗は、その男に軽く一礼して前を通り、赤い絨毯が敷かれた長い廊下を奥へと姿勢よく歩いて行った。

 廊下の先のステンドグラスが、西の庭から差し込む夕日に照らされて、七色に美しく輝いていた。



               7

 三人掛けの革張りの高級ソファーの中央に座り、眼鏡を掛けて、大きな手に握った書類を読んでいた大柄な老人は、向かい側に並べて置かれた肘掛付のソファーの前に光絵が来たのを上目で確認すると、眼鏡を外し書類を折りたたんで、その両方を上質な生地の上着の内ポケットに仕舞い込んだ。老人は光絵がソファーに座り終えるまで待ち、彼女が姿勢を正してこちらを向いてから、間の応接テーブルの上に置かれたティーカップに手を伸ばした。彼は紅茶を一口だけ品良く飲み、ゆっくりとした口調で彼女に尋ねた。

「美空野は、たしか、有働の子飼いの者では」

 光絵由里子は笑みを作り、静かに答えた。

「ええ。将を射んとせば先ず馬を射よ。いくさの常套手段ですわ」

「なるほど。では、これで、飛車角金銀取りというところですかな」

 そう言って、老人はもう一度口元に運んだティーカップを応接テーブルの上のソーサーに戻した。

 光絵由里子は彼に言った。

「随分と呑気な御仁ですこと。ご自信の政権が倒されるかもしれないという時に」

 内閣総理大臣・辛島からしま勇蔵ゆうぞうは、笑みを見せて言った。

「それならば、会長と今こうして会うはずもない」

 光絵由里子は、前置きする事なく率直に尋ねた。

「軍の動きはどうなっているのです。このところ、トラブル続きのようですが」

 辛島勇蔵は光絵の眼を見て、ゆっくりと頷いた。

「うむ。――一七師団の阿部という男は、ご存知ですかな」

「阿部……ええ。たしか、深紅の旅団レッド・ブリッグと呼ばれる直轄部隊を統率する男ですわね。下の名前は……」

 光絵由里子が目を瞑って思い出そうとしているのを見て、辛島勇蔵が答えを告げた。

「亮吾。阿部あべ亮吾りょうご大佐、五十六歳。現職は防衛陸軍第一七師団長。ああ、一七師団が直轄の機械化歩兵団を中心とした混成旅団一つのみで構成されている事も、ご存知ですな」

「ええ。なんでも、全装備を深紅に染めている精鋭部隊ですとか。その配備兵力と訓練内容から、事実上の海兵隊にあたると野党勢力が批判している。おまけに、アジア周辺諸国からも『血の軍団』だとか『兵隊蟻』などと揶揄されて、随分と疎まれているようですわね」

 辛島勇蔵は話をする光絵を凝視していたが、視線を落とし、片笑みながら言った。

「流石ですな。一応は、まだ公式の配備リストには載せていない、非公開の部隊のはずなのですがな」

「あら、そうでしたかしら。それにしては、随分と派手に使われたものですわね。マスコミも、さぞや喜んだことでしょうね」

 光絵由里子は、書斎の奥の壁に張られた絵画に顔を向けた。そこには、美しく羽ばたく一羽の雉が、水墨で力強く描かれていた。辛島勇蔵は光絵の視線の先の絵を見て、一瞬だけ口角を上げた。すると、光絵由里子が辛島の方に顔を向けて言った。

「それで、その極秘の部隊がどうしたのです」

 辛島勇蔵は険しい顔をして頷いた。

「うむ。知ってのとおり、彼ら深紅の旅団レッド・ブリッグは、阿部の指揮の下で、アフリカのPKO戦線において目覚しい戦歴をあげた。実は、以前の対馬の奪還作戦でも随分と貢献してもらったのだ。それ故、その実力が過剰評価され、近隣諸国から睨まれている訳だが、その彼らをASKITの掃討作戦に使ったのが、この辛島の間違いだった」

 光絵由里子は怪訝な顔をして言った。

「総理が早々に自ら間違いをお認めになるとは、よほどの事ですわね」

 辛島勇蔵は、苦笑いをしながら紅茶をもう一口だけ飲むと、広げた膝の間でカップを両手で握ったまま、光絵に言った。

「その後、この阿部亮吾という軍人が少し調子に乗っているようでね。幸い、装備兵器のシステムトラブルが続いて、有事には至っていないが、どうも勝手な出撃を企てていたようだ。勇躍が過ぎたのかもしれん。まあ、阿部は訓練目的のオペレーションだったと言い張っているがね」

 そう言うと、辛島勇蔵は眉間に皺を寄せたまま、握っていたカップを重そうにテーブルの上の受け皿に戻した。

 光絵由里子は、淡々と尋ねた。

「やんちゃ坊主にも困ったものね。で、どのように灸を据えるおつもりなのです」

「うん。今それを思案しているところですよ。だが、簡単にはいかん。なにせ、板子いたご一枚下は地獄という状況ですからな。阿部を使う必要が出てくるかもしれん。それに……」

 辛島勇蔵は背中を丸めたまま、一度大きく溜め息を吐くと、姿勢を戻して、窓の外の景色に目を向けながら呟いた。

「まあ、大吉は凶にかえるとは、よく言ったものだ」

 辛島の発言を反芻しながら暫く考えていた光絵由里子は、机の上に視線を落としたまま小さく呟いた。

「なるほど」

 そして、今度は鋭い眼で辛島の目を見て言った。

「どうやら、そのシステムトラブルとやらは、総理や我々にとって、あまり幸運な事とは言えないようですわね」

 内閣総理大臣辛島勇蔵は、光絵の顔を睨み付けるように見て言った。

「我々など、どうでもよい。この国の民や全人類にとって大きな災いとなるかもしれんよ」

 光絵由里子は、先の選挙で辛島を支持したことが正解であったと実感した。目の前の首相は、保身に走る小者ではなかった。その点は光絵も確信していた。

 辛島勇蔵はソファーに深く背を当てると、光絵を指差して言った。

「ところで、そちらの方は、どのような状況ですかな。臨時取締役会が招集されたと伺いましたが」

 光絵由里子は再び壁の絵に顔を向けて、答えた。

「ええ。でも渡りに船だったわ。おかげで、かえって機先を制する事が出来ました」

 辛島勇蔵はソファーに深く座ったまま、笑顔を見せて言った。

「ほう。さすがは光絵会長。相変わらず臨機応変でいらっしゃる。察するに、『奇貨、居くべし』というやつだった訳ですな」

 彼は再び真顔に戻り、尋ねた。

「それで、例の輸送機の件はどうなりました」

 光絵由里子は真っ直ぐに辛島の目を見て言った。

「ノア零一は、もう少し時間が欲しいわ。せめて機体の安全性が確認されるまで。軽挙妄動によって、まさに九仞きゅうじんの功を一簣いっきくという訳にはいきません」

「なるほど。しかし、待てない事態が生じた場合は、どう対処されるおつもりかな」

 辛島の問いに光絵由里子は沈黙した。それは決して納期の延期を責められていると感じたからではなかった。辛島の発言の裏に恐ろしい真実が隠されている事を悟ったからだった。

「実は、お見せしたいものがありましてな。おうい」

 辛島勇蔵は、部屋の外に待機していた濃紺のスーツの男を呼び入れた。ノックをして入室してきた長身の男は、分厚い鞄を提げていた。

 辛島勇蔵は彼に言った。

「例の資料を出してくれ」

 その長身の秘書官は鞄の中から二冊のファイルを取り出すと、それらを共に総理に渡した。辛島勇蔵は、渡されたファイルの背表紙の記載をそれぞれ確認すると、応接机越しに一冊ずつ光絵に手渡しながら言った。

「まさに『前門の虎、後門の狼』というやつでしてな。まず、こちらが虎で、それから、こちらが狼」

 光絵由里子は、渡された二冊のファイルのうち最初に手渡された赤い分厚いファイルを広げた。

 辛島勇蔵はソファーに深く座り直して言った。

「いやあ、あなた方のGIESCOや、あのクラマトゥン博士が予想した通りでしたな。まったく驚きました」

 光絵由里子は、眼鏡を掛けてファイルの資料に目を通しながら呟いた。

「やはり……」

 辛島勇蔵は、資料に目を通す光絵の険しい表情を観察しながら言った。

「あなた方の予測を基に、スウェーデンの研究機関が極秘にシミュレーションして出した分析結果でしてな。残念な事に、『杯中の蛇影』という訳にはいきませんでした。しっかりと蛇が蜷局とぐろを巻いているようだ。虎の中で」

 資料を捲っていた光絵の手が止まった。彼女は震える声で呟いた。

「この数値は……そんな、なんて事なの……」

 辛島勇蔵は光絵に言った。

「そう。その資料は今朝届いたのですがね、正直、私も報告を聞いた時は驚きましたよ。しかもそれは、約二週間前の数値だ。現在はもっと跳ね上がっているでしょうな。そこまでくると、運否天賦うんぷてんぷなど嘘っぱちの絵空事だ。おそらく奴は、二〇二〇年に『紫のあけを奪う』を為した後、これまでずっと、文字通り虎視眈々こしたんたんとチャンスを狙っていたのだろう」

 光絵由里子は落胆した。

「それでは、やはり我々は……」

「そうですな。虎の意のまま、思うまま」

 辛島勇蔵は、また大きく溜め息を吐いてから言った。

「私もこれから、生体型アンドロイド製造法案の取り下げを閣議決定せねばならなくなった。残念だが、ロボット事業は御破算だ。『薪を抱きて火を救う』という事になりかねん。会長には、GIESCOであんな立派な試作品までも作ってもらいながら、本当に申し訳ないが、事情が事情だ。理解してもらいたい。それに、そもそも、その分析結果の内容でさえも信用ならん。いや、こうして私があなたと話している事も、奴の演算どおりなのかもしれんですな」

 光絵由里子は資料の頁を捲りながら尋ねた。

「時間の猶予は、どのくらいあるのです」

「あなた方が導き出した『偶然連鎖の公式』に基づいた計算では、虎が次元限界を突破するのは約一年後。だが、可能性係数がゼロにならないうちに決着をつけなければ、その後は何をしても同じという事になる……という事だそうだが、どうもクラマトゥン博士の予想が正しければ、八月の時点で特異点は越えていたのかもしれんですな」

 光絵由里子は宙で何かを計算してから言った。

「そうなると、多めに見積もっても、あと一ヶ月……。時間が足りないわ」

「時は得難くして失い易し。しかも、その『時』自体が奴に握られている。早いところ手を打たねばならん。既に焦眉に火が点いていますからな。それに、これはもう、人類全体の存亡に関わりかねん問題になっている」

 光絵由里子は眼鏡を外すと、辛島の顔を見て尋ねた。

「諸外国とは連携しているのですか」

 辛島勇蔵は口を真一文字にして首を横に振った。

 光絵由里子は眉間に皺を寄せる。

 辛島勇蔵は深刻な顔で話を続けた。

「いや、無理ですな。連絡の取りようが無い。外交上のパイプは何とか繋いではいるが、手間がかかり過ぎる。その点は国内でも同じ。こうして物理的に接触するしか方法がない。まあ、今のあなた方と同じですよ」

 辛島勇蔵は少し笑みを見せて光絵を軽く指差すと、また話し続けた。

「さらに悪い事に、今年のクリスマス・イブには先進諸国が各国で開発しているスーパーコンピュータ同士を衛星の特別回線で繋ぐことになっていましてな。そうなれば、千里の野に虎を放つようなものだ。駆除も出来なくなる。そして、我々人類の知らないところで増殖し続け、永遠に我々を管理し続ける事になってしまう」

 光絵由里子は愁眉を晒して呟いた。

「止めなければ……」

 辛島勇蔵は深刻な表情で思案している光絵に構わずに、話し続ける。

「幸運なのは、NNC社が隋徳寺ずいとくじをきめてくれたお蔭で、我々政府の手で虎の檻を管理できているという事だ。あなた方の立てた計画を実行するなら、今しかない」

 光絵由里子は応接テーブルを見つめたまま考えた。そして、辛島が何故に政治的リスクを犯してまで、軍を使ってASKITを壊滅にまで追い込んだのかを理解した。

 繊細な彫刻の施された低い応接テーブルを挟んで、二人の間に暫くの沈黙が流れた。

 やがて、光絵由里子が辛島の顔を見て言った。

「虎穴に入らずんば虎児を得ずという訳ですね。解りました。お引き受けするのは、やぶさかではありません。しかし、だからと言って犠牲者を出す訳には参りません。現状では相手の出方が予想できない以上、まさしく『奇貨を居く』しか方法がないでしょう」

 辛島勇蔵はまた首を横に振ってから、後から光絵に渡した青いファイルを指差して言った。

「ところが、そう悠長な事も言っておれんのですよ。その、薄いほうのファイルの中身を御覧なさい」

 光絵由里子は、もう一度眼鏡をかけて辛島の指差した方のファイルを開いた。そして、中の文書に目を通しながら呟いた。

「こちらは……」

 資料の文字を目で追いながら、さらに眉間に皺を寄せる光絵に、辛島勇蔵が言った。

「軍内部の信頼できる者に調査させたのだが、そういう事のようだ」

「ネオ・アスキット。――やはり、あのASKITの残党勢力が具体的に復興を企んでいるという事なのですね」

 辛島勇蔵は厳しい顔で頷いた。

「うむ。どうやら、国防軍の内部に数名、その他の機関にも数名が入り込んでいるようだ。連中は、虎を飼いならそうとしているらしい」

 光絵由里子は、眼鏡を外しながら言った。

「馬鹿な。不可能です。現時点での数値では、仮に地球上のあらゆる制御端末を用いる事が出来たとしても、処理速度が到底追いつきません。それどころか、下手をすれば逆に虎を檻から放つ事になりますわ」

 辛島勇蔵は、立てた人差し指で何度も光絵の方を指して、言った。

「だから、その前に何としても虎を仕留めてほしい。会長の考案した方法で。だが、虎口を脱するには、龍が必要だ。もし、あなた方が作った龍の力が使えなければ、この危急存亡の秋を人類が乗り切ることはできん。しかも、龍を呼び入れるためには、後門の狼を排除せねばならん。そして、その時には阿部の率いる深紅の旅団レッド・ブリッグがどうしても必要になる。だから、ここで阿部を軽々に処分する訳にはいかんのですよ」

 光絵由里子は、辛島の話の途中で眼鏡を掛けなおし、再び青いファイルを読み返し始めた。頁を目で追いながら、辛島に尋ねる。

「群れを統率している狼の正体は、お分かりなのですか」

 辛島勇蔵は腕組みをして答えた。

「いや。今、調べているところだ。しかし、なかなか盤根錯節の状況でね。何を調査するにしても、まさに『危うきこと虎の尾を踏むが如し』というところですな。は、は、は」

 太く大きな声で笑う辛島に対して、光絵由里子は資料の頁を捲りながら言った。

「しかし、その龍を乗りこなせるかどうかさえ保証はできないのですよ。最悪、『龍の髭を撫で虎の尾を踏む』という事態にもなりかねないわ」

 辛島勇蔵は真顔に戻ると、応接テーブルの上に広げられたファイルに視線を落として答えた。

「何を言われる。智謀に富んだあなたの事だ。既に必要な人材は集めていらっしゃるのではないですかな。あるいは、既に金的きんてきを射落としていらっしゃるか……」

 そう言うと、辛島勇蔵は光絵由里子の目を睨み付けた。

 光絵由里子は辛島の視線に応じることなく、眼鏡を外して折りたたみながら、言った。

「とにかく、最善は尽くしてみましょう。しかし、『偶然』だけが我々人類が持ち合わせた唯一の武器だとするならば、まさしく勝つも負けるも時の運だという事になりますわね」

 辛島勇蔵は書斎机の向こうの窓から見える夕日を眺めながら言った。

「その運を掴まなければならんのだよ。それに、狼退治は政府の仕事だとしても、虎退治の方は表立って政府が実行する訳にはいかない。まだ、NNC社という民間企業の所有物ですからな。憲法上の問題が生じる。だから、是非とも会長の方で、虎退治を進めてもらわねば困る」

 光絵由里子は苦笑いしながら、辛島に確認した。

「ウチに身を捧げろと、そうおっしゃりたいのね。それを言いに、わざわざいらしたのかしら」

 辛島勇蔵は顔の前で大きな手を振り、笑みを作りながら言った。

「いやいや」

 そして、再び真顔に戻ると、改めて光絵に依頼した。

「まあ、とにかく、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれとも言う。ノア零一の試作機だけでも、いつでも出せる状態にしておいてくれんかね」

 光絵由里子は真っ直ぐな姿勢で辛島を正視して、言った。

「わかりました。幸い、国防省の調達局が強い関心を示してくれています。我々としては、彼らへのプレゼン用のプロトタイプという名目で、実戦装備のノア零一を一機、準備しておきましょう」

「んん。有難い。そうしてもらえると、幾分かは安心だ」

 安堵の笑みを浮かべる辛島に、光絵由里子が釘を刺した。

「ただ、プロトタイプの件は外部に漏れないようにしていただかないと困りますわ。もちろん我が社にも」

 光絵由里子は、少し厳しい口調で辛島に言った。

「ノア零一は、役員たちも納入を急ぎたがっています。無論、彼らの頭には自社株の価格が上昇する事しかないのでしょうけれど、もしそんな彼らに事情が知れたら、連中に恰好の攻撃材料を与えるだけだわ」

「なるほど、使う側も売る側も、箸で茶碗を叩いていると言う訳ですな」

 辛島勇蔵は少し考えた後、光絵の顔を凝視した。

 光絵由里子も、黙って辛島の顔を見た。辛島勇蔵は視線を逸らし、また、大声で短く笑ってみせると、それを止めて光絵に言った。

「よろしい。本来の目的に則した使い方ができるよう、政府としても努力しよう」

 そして、少し声を低めて言った。

「だが、軍規監視局バード・ドッグには注意された方がよいでしょうな」

「バード・ドッグ?」

 光絵由里子の問いに、辛島勇蔵は背広の内ポケットから三つ折りに畳まれた文書を取り出して、それを光絵に渡しながら答えた。

「軍規監視局の事ですよ。国防省の」

 光絵由里子は、重ねられたまま折り畳まれていた二枚の文書を開きながら、さらに尋ねた。

「軍規監視局……。何故です。ウチの役員の誰かが、何か違法行為でも」

「うむ。それは分からんが、とにかく、そこの監察官が独自に動いているようでしてな」

 光絵由里子は、もう一度眼鏡を掛けると、渡された政府の内部文書の写しに目を通した。それは、先ほど辛島がソファーに腰掛けたまま熱心に目を通していた書類であった。そこには、国防省の軍規監視局の捜査案件と各案件の担当監察官を記載した一覧表があり、その中の「国防装備品横領及び配給規則違背容疑」と記載された一行に黄色いマーカーが塗られていた。その次に重ねされていた書面は、その担当監察官・外村美歩ほかむらみほの経歴書の写しである。

 光絵由里子は、その経歴書に軽く目を通しながら、辛島に尋ねた。

「臨時の短時間職員が何を探っているのです」

 辛島勇蔵は首を横に振りながら答えた。

「さあ、そこまでは。ただ、ご存知のとおり、パート採用とはいえ、監察官は各自が独立した権限で軍法会議と裁判所への起訴権限を有している準司法官憲だ。我々としても、直接は手が出せん」

 光絵由里子は小さく溜め息を漏らし、眼鏡を外しながら言った。

「今かき回されるのは困るわね。しかし、配給規則違背なら、国防省の調達局の方に何か問題があるのでは」

「そうかもしれませんな。調達局長の津留つるにも私から直接に問うてみようと思っている」

「総理が直接に。時期が悪いのでは?」

「いや。仕方あるまい。なにせ、奥野を罷免したばかりですからな。いろいろと注意が必要だ」

 光絵由里子は辛島から渡された二枚の内部文書を彼に返しながら、尋ねた。

「国防大臣の後任には、どなたを据えるおつもりなのです。マスコミは総理が国防大臣ポストを空席にしている事に批判の矛先を向けているようですが」

 辛島勇蔵は、光絵が返却しようと差し出した二枚の内部文書の前に掌を立てて、入り口のドアを一瞥すると、光絵に書類を領するよう仕草で促して、言った。

「うむ。だが、時が時だけに、人選は慎重にと思いましてな。それに、本来的にも相応の人格の持ち主でなければ任せられん仕事ですからな」

 光絵由里子は辛島の目を見据えて言った。

「大胆なご判断をなされる一方で、深謀遠慮も欠かさない。昔からお変わりになられませんわね」

 辛島勇蔵は膝をゆっくりと叩きながら苦笑いして言った。

「まあ、我々政治家は国民一人一人の人生を背負う覚悟で、各局面で最善の判断をする責任がある。何事も、そう簡単には決められんよ」

 光絵由里子は真顔で言う。

「しかし、時には時勢を読んで柔軟な判断をする事も必要ではないかしら。総理の椅子は、被統治者たる国民の判断の上にあるのですよ。今、あなたがその椅子から立つような事があれば、この国は沈没します。逡巡していては、きっとまた、マスコミに世論を煽られますわ。国民のためにも、それ向けの表面的対応はされておいた方が良いと思いますわよ」

 光絵の勧説に辛島勇蔵は苦笑いしながら応えた。

「ですかな。私としては、なるべく国民に理解を求める方向で進めたいのですがな」

 光絵由里子は窓の方を向き、沈みかけた夕日に照らされた郊外の旧市街地を眺めながら呟いた。

「その国民の中にどれだけ、政治家の言葉を理解する力のある者がいるのか、私には疑問ですわ」

 辛島勇蔵は眉をひそめた。

「これは、また……」

 光絵由里子は前を向き、辛島に言う。

「勿論、国民の中にも見識に富んだ人物はいるでしょう。しかし、大方は蠢愚しゅんぐの民。半世紀以上に渡る愚民政策の産物ですわ。その大方の産物が決めた方角に、政治家は舵をきらなければならないとすれば、同船している良識人には、あまりにも不幸な事です。理不尽だわ」

 辛島勇蔵は、静かに憤怒する面前の老女に、諭すように言った。

「国民を啓蒙していくのも、我々の役目。私はね、国家というものは『家』のようなものだと思っているのですよ」

「家?」

「そう。まさに、読んで字の如くですな。そして、国民は家族。共に過ごす家族には、いろいろな人間がいる。厳格な老人もいれば、幼い子供もいる。元気な若者や働き盛りのお父さん。他の家から嫁いできたお嫁さん。我々政治家は、その『家』で働く、メイドのようなものなのかもしれませんな。思慮浅薄な幼子は、時に大人として教育し、見守る事も必要だ。そして、国家という『家』の中で、その家の住人に、どれだけ快適に幸せに過ごしてもらえるか。それが大事。だからまずは、玄関口と廊下の掃除をしているところなのですよ」

 光絵由里子は視線を床に落として言う。

「入ってくる者の足の裏が汚れていれば、いくら床を磨いても意味が無いわ。その者の家から磨かないと」

 辛島勇蔵は、穏やかに笑いながら言った。

「どうやら、役員会でのお怒りが治まりきれていらっしゃらないようですな」

 光絵由里子はスーツの襟や裾を整えながら辛島の方を見て、話題を変えた。

「南米の調査は、どうなりました」

「んん。外務省と警察の方から人を送らせたが、順調に調査が進んだようですな。まだ報告書は上がってきてはいないが、一両日中には結果が届くでしょう」

 辛島勇蔵は、再び壁のきじの絵に目を遣った。

 光絵由里子は、辛島の後の書架に立てられた写真に目を遣り、言った。

「人が多く死に過ぎました。そんな簡単な調査でよろしいのですか」

 辛島勇蔵は、低い声で淡々と答えた。

「彼らが自主的に現地調査を終えているものでね。よほど事情が明確なのでしょうな。仮に何かあるとしても、あんな危険な地域で調査を続行させる命令は出せんよ。それに、国際世論の事を思えば、時間をかけては逆に痛手を被る。致し方ありませんな」

 光絵由里子は目を伏せて言った。

「津田を推した事には、責任を感じているわ」

 辛島勇蔵は首を横に振る。

「あなたが責任を感じる事は無い。彼の問題だ」

 光絵由里子は少し考えて、再び窓の外の景色に顔を向けた。夕日は沈んでいた。暮れなずむ旧市街地に電気の明かりが少しずつ灯り始める。光絵由里子はそれらを見つめながら、言った。

「彼についても、亡くなった渡航者たちについても、一部の稚拙な論者の言うような『自己責任』という一言で片付けたくはないわ」

 辛島勇蔵は鋭い視線を光絵に向けて尋ねた。

「そして田爪健三についても、ですかな」

 辛島の指摘に、光絵由里子は正直に答えた。

「そうね」

「彼は今、何処に」

「さあ」

「――そうですか。……」

 光絵の顔を見る事なく返事をした辛島勇蔵は、応接テーブルの上の冷めた紅茶をすすってから、光絵にもう一度尋ねた。

「自己責任。会長のお嫌いな言葉でしたな」

「……」

 光絵由里子は黙っていた。

 辛島勇蔵は、光絵の背後の書架にあった一冊の本の背表紙を、ティーカップを持った手の指で軽く示して、光絵に言った。

「責任追及とは、無限に続く因果関係を辿って、真に原因を作り出した者を探し出す作業である。その追求の範囲こそが世間の常識というものであり、原因行為者に与えられる不利益の程度こそがその社会が持つ正義の度合いである。だから、人が『責任』と言う時、そこには必ず『誰が』という探索概念が伴うはずだ。それを放棄して、単に結果に直接関与した実行行為者のみに不利益を集中させる事は、もはや責任の追及とは言えない」

 光絵由里子は何かを懐かしむように、笑みを含みながら頷いた。

 辛島勇蔵は目を閉じて、記憶していた文章を諳んじ始めた。

「したがって、自己責任というものは、真の責任を追及することを当初から放棄した概念に他ならない。このような概念が多用される社会は、因果関係を辿り評価する分析作業を怠る社会であるから、畢竟、過去と同じ過ちを何度も繰り返し、または避けられるべき被害を多数に生じさせる。そして、その皺寄せは多数の無辜の国民に、特に弱い国民や本来守られるべき国民に降りかかることになる。――たしか、会長がお書きなられた本で述べられていたご見解は、このような事でしたな」

 その強記ぶりを披露して見せた辛島の前で、光絵由里子は少し振り向いて、背後に立てられていた自分の著書を確認した。ゆっくりと前を向いた彼女は言う。

「ええ。随分と若い頃に書いたものです。しかし、あの当時の私の主張が正しかった事は、もはや社会のあり様が証明してくれています」

「なるほど、おっしゃる通りかもしれませんな」

 辛島勇蔵は紅茶を飲み終えると、カップをテーブルに戻しながら、そう言った。

 光絵由里子は凛とした姿勢のまま、内閣総理大臣辛島勇蔵に訴えた。

「義務と責任を混同した愚民の所業が、この社会を作り出したのです。責任を追及されるべき行為の、その責任が問われない社会。不利益を課されるべき人間が、不利益を負わされない社会。義務を果たすべき人間が、義務を履行しない社会。正しい人間が悪い人間に追いやられる社会。こんな世の中は、正直、うんざりだわ」

 辛島勇蔵は、光絵から目を逸らして言った。

「私の責任も重大ですな」

「いいえ。だから、今のような時代だからこそ、あなたの様な人物が総理として必要なのです」

 辛島勇蔵は腕を組んで言った。

「うむ。しかし、やはり重要なのは、最後に私がどのような形で、私の果たすべき義務を果たすか、ですな」

 光絵由里子は辛島が辞任を視野に入れている事を悟った。そして言った。

「何を言うのです。ASKITの拠点島への先制攻撃が正当であった事は、いまにGIESCOが証明してみせます。総理には、まだ為さなければならない事が山ほどあるはずですわ」

「ありがたいお言葉ですが、実に心痛極まりますな」

 辛島は振り向くと、背後の書架の棚板に立ててあった黒縁の写真を見つめた。そこには髪の長い美しい女性が微笑んでいた。

 辛島勇蔵は言った。

「お嬢さんは、この私に三度も上申していた。その上申書を私がもっと早く目にしていれば、こんな事には……」

「それは総理が責任を負うべき事ではありませんわ。総理への上申書の到達を阻害した者こそ、罰を受けるべき者です。そして、私はその者を決して許さない」

 光絵由里子は毅然として、そして憎悪に満ちた険しい表情で、そう宣言した。

 辛島勇蔵はソファーから立ち上がり、田爪瑠香の遺影に静かに手を合わせた。そこへ、廊下で待機していた長身の秘書官が入室してきて、言った。

「総理。そろそろ」

「うむ。分かった」

 辛島勇蔵は振り向くと、光絵に言った。

「では、私はこれで。長居をして申し訳ない。本来なら、今日は御嬢さんの御墓に参らせてもらうはずだったが、公職の長たる身で自由が利きませんでな。どうか失礼をご容赦願いたい」

 辛島勇蔵は、杖を支えにソファーから立ち上がろうとしていた光絵に頭を下げた。

 光絵由里子は立ち上がりながら言った。

「いいえ。こちらこそ恐縮でございますわ。毎月の命日に、お忙しい現職総理にご来訪いただいているだけでも、私も、天国の瑠香も心苦しく思っていますの。どうか、上申書の件は気になさらないで下さい」

 光絵由里子も、辛島に丁寧にお辞儀をした。

 辛島勇蔵は言った。

「なあに、いずれにしてもこの状況だ。会長の所懐を伺うのに、机の上でホログラフィー通信という訳にもいきませんのでな。会長と同じですよ」

 辛島勇蔵は、ちらりと光絵の表情を観察した。光絵由里子はその視線に気付き、表情を示さない。

 辛島勇蔵はさらに続けた。

「まあ、スマートネットで世の中の電子通信が一元化されてからは、もともと、どの国の政府も重要案件は紙文書と直接伝達を基本としていますから、私としても同じ事なのだがね。それにしても、社会の電子化が進展するほどに、重要な部署は原始時代に逆戻り。皮肉なものですな」

「結局、人類か何千年も続けてきたコミュニケーションの方法が正しかったという事ですわね」

 光絵由里子は部屋の外へ歩いてく辛島を見送りながら、そう述べた。

 辛島勇蔵は苦笑しながら、濃紺のスーツの男と共に部屋の出口へ向った。彼はゆっくりと歩きながら言った。

「しかし、老体には答える。お互い、歳はとりたくないものですな。この頃は、門松どころかクリスマスツリーまでも、冥土の旅の一里塚に見えてしょうがない」

 立ち止まった辛島勇蔵は、振り返って光絵に言った。

「おっと、これは御婦人に失礼した。会長の若さには、いつも感服しておりますよ」

「まあ、お上手ですわね」

 笑みを作って見せる光絵に対し、すかさず辛島勇蔵が言った。

「田爪の所在が分かりましたら、早急にお知らせ下さい。政府にとっても重要な人物ですからな」

 光絵由里子は淡々と答えた。

「分かりましたわ。総理も、どうか御気をつけください。敵はどこに潜んでいるか分かりませんわ」

 辛島勇蔵は、少し溜め息を漏らしてから返答した。

「うむ。まったく、そのとおりだ」

 光絵由里子が辛島を見送るために階下まで同行しようとすると、辛島勇蔵は杖をつく光絵に見送りを遠慮する仕草をしてみせた。すると、光絵の書斎机の上の電話機が点滅と共に呼び出し音を鳴らした。光絵由里子が辛島に申し訳なさそうに頭を下げると、辛島勇蔵は首をゆっくりと縦に振り、その書斎を後にした。

 光絵由里子が窓辺の書斎机に戻ってくるまで、その電話機の呼出音は鳴り止まなかった。ようやく書斎机の前に辿り着いた光絵由里子は、バックライトに照らされた液晶パネルを覗いた。そこには顧問弁護士の名前が表示されていた。光絵由里子は少し考えて、電話機の点滅するボタンに触れた。その薄型の電話機から平面状の淡い光線が向こう側に照射されて、その先に半透明の長身の男の立体画像が、少し縮小されて表示される。

 光絵由里子はパーソナルチェアに腰掛けながら、立体画像の男に対して言った。

「なんでしょう」

「あ、会長。弁護士の美空野でございます。遅くなりまして、申し訳ありません。ご体調の方はいかがですか。心配いたしました」

 立体画像の美空野が、そう答えると直ぐに、光絵由里子は美空野に尋ねた。

「ええ。もう大丈夫です。用件は」

「はい。例の秋永訴訟の和解案、あれの正式な原案が出来上がりましたので、そのご報告をと思いまして」

「そうですか。随分と遅かったわね」

 光絵由里子は眉間に皺を寄せた。

 立体画像の美空野朋広は、映像の枠外で何かを探していた。視線を不自然な位置に落としながら、彼は言う。

「すみません。三時までにはご連絡できると思っていたのですが、こんな時間になってしまって。いや、私も忙しかったものですからね」

「それは分かっているわ。ですが、忙しいのは、あなただけではありません」

 光絵由里子は冷たく言い捨てた。

 美空野朋広はカメラ目線に戻る。

「もし、お忙しいようでしたら、後日改めてご説明をさせていただきますが……」

「いえ。構わないわ。始めてちょうだい」

「分かりました。文書データをデュアル表示します。――どうです、映っていますか?」

 机の上の電話機から、もう一つの光線が照射され、文書画像が美空野の立体画像の前の空中に表示された。光絵由里子は、パーソナルチェアに座ったまま手を伸ばし、電話機の小さなツマミを回して画像を適当な大きさに縮小すると、その光線の照射方向を見やすい方向に変えて、そこに文書を表示させた。

「少し読み難いかもしれませんが、文書データそのものは後で送信しますので、ご了承ください。それではですね、まず一ページ目ですが……」

 立体画像の美空野朋広は、和解案の内容について流暢に説明し始めた。光絵由里子は、パーソナルチェアから、空中のざらついた文書画像に眼を向けていたが、やがて椅子から腰を上げると、美空野の話を聞きながらカウチの方に向かった。カウチに腰掛け、横に掛けてあったストールを手に取って、カウチの高めの角度の背もたれに痩せた背中を当てる。そして、組んで伸ばした脚の膝のあたりにストールを掛けた。ホログラフィーの美空野朋広は説明を続けている。光絵由里子は少し溜め息を吐くと、彼の話を聞きながら、静かに目を瞑った。



              8

 次の日も、燦燦さんさんと輝く太陽が新首都圏を照らし、強く吹く秋風が遠くの空に浮かんだ雨雲の群れの侵入を朝からずっと阻んでいた。十月になっても勢い盛んな太陽は、夕刻になっても力衰える事はない。庭の池の水面を低く傾いた角度から強く照らしている。大理石で囲まれたその池に反射した力強い夕日は、白亜の壁の窓を下から照らし上げ、繊細な模様を織り込んだレースのカーテンを突き抜けて、その洋館のぬしたる老女の背肩を照らしていた。老女は、背もたれの高い木製のアームチェアに窓を背にして座り、広い執務机の上のLEDスタンドの横に浮かんだ平面ホログラフィーの文書を凛とした姿勢で読んでいる。時折、机の上でメモを取りながら、左手で分厚い書籍をめくる光絵由里子の端然とした姿勢の輪郭が、壁と天井の角に影となって明瞭に映し出されていた。部屋の中央には打ち合わせ用の円形の大きなテーブルと、その円周に皮製の赤いハイバックチェアが置かれ、突き当りの壁には大型の多機能モニターが設置されている。壁にかけられたシンプルなデザインの時計の文字盤の上を、ホログフィーで立体表示された秒針が音もなく回っていて、その下にデジタル表示された振り子が、やはり無音のまま左右に揺れていた。部屋の中には、稀に光絵が六法全書の頁を捲る音のみが聞こえていたが、そこに突如、ドアをノックする音が響いた。光絵由里子が眼鏡を外して返事をすると、ドアが素早く開き、小杉正宗が一礼することも無く、深刻な顔で駆け込んできた。光絵由里子は、小杉の只ならぬ雰囲気に大事を察し、開いていた六法全書を左手で閉じると、昨夕に美空野から送信された和解案が記載されたホログラフィー文書を消して、小杉に尋ねた。

「どうしました。ただ午後のティータイムを忘れていた訳ではなさそうね」

 小杉正宗は左手のハンカチで額の汗を拭きながら、右手で胸を押さえている。切らした息を懸命に整えながら彼は言った。

「会長。――一大事でございます。たった今、GIESCOから戻ってきたところでございまして……、ネット回線による通信が……、使えない以上、直に足を運んで報告を受けるしか……」

「一体、どうしました」

 光絵由里子は、狼狽する小杉を少し落ち着かせて、彼の息が整うのを待った。

 小杉正宗は深く深呼吸をして乱れた呼吸を整えると、一言ずつ慎重に伝えた。

「博士が……、田爪博士が姿を消しました」

 顔を顰めた光絵由里子は、背もたれから背中を離した。

「なんですって。いつからです」

 小杉正宗は、ハンカチで額や首の汗を拭きながら答える。

「所員が気付いたのは、昼過ぎのようです。いつもの所在確認ができないので、博士の居住ブロックに確認に行ったところ、既に居なくなっていたとの事でございます」

 デスクに立て掛けてあった杖の銀細工の柄を握って、光絵由里子は小杉に尋ねた。

「探したのですか」

「施設内を隅から隅まで。アラート体制ですので、捜索自体は速やかに実施できたようですが、どこにも見当たらないと」

「見当たらないですって。何を呑気な事を。施設は封鎖したのですか」

「はい。敷地全域を外部から隔離いたしました。それから、勝手ではございますが、わたくしの判断でアラートレベルをレベル2に引き上げさせていただきました」

「それは、賢明でした」

 そう言った光絵由里子は目を瞑り、対処方法について考えようとしたが、すぐに目を開けて小杉に言った。

「例のモノは。武器も……量子銃はどうしました」

 杖を支えにして肘掛椅子から腰を上げようとしていた光絵に、小杉正宗が答えた。

「どちらも、消えています。量子銃も既に保管庫から消えているとの事でございます」

 光絵由里子は中腰の姿勢のまま固まって、小杉に言った。

「そんな……『どちらも』とは、では、エネルギーパックもですか」

 小杉正宗は光絵の目を見て、一回だけ頷いた。

「ああ、何て事なの」

 光絵由里子は崩れるように椅子に腰を戻した。そして、言った。

「一体なぜ、こんな事に。双方とも各別に厳重保管してあったのではないですか。IDパスの管理はどうなっているのです」

 小杉正宗は顔の汗を拭きながら、聞いた事情を光絵に伝えた。

「内田所長によりますと、昨日からラボに詰めきりだった田爪博士が、ノア零一の量子出力エンジンを調整するためにエネルギーパックが必要だと、彼を手伝っていた他の上級研究員に漏らしていたそうなのです。気を利かせたその研究員が、自分の権限でパックを持ち出して博士に渡したところ、今度はノア零一との接続に銃の部品が必要だと言われたそうで……」

 光絵由里子は椅子の背もたれから背中を離して、言った。

「渡したのですか。――ああ、まったく!」

 光絵由里子は、杖の先で強く床を突いた。

 小杉正宗は小さな声で言った。

「皆、田爪博士の科学者としての実力に惚れ込んでいましたから、悪気は無かったのかと」

「だから言ったのです。セキュリティーに幾ら資金を投じても、秘密を扱う人間がこれでは……」

 光絵由里子は険しい顔で唇を噛んでいたが、はっとするように小杉の顔を見て尋ねた。

「犠牲者は。犠牲者は出ているのですか」

 小杉正宗は、すぐさま首を横に振った。

「いいえ。今のところ、誰一人も欠けておりません」

 光絵由里子は胸に手を当てて息を吐くと、小杉に言った。

「もう一度、点呼をして所員全員の所在と生存を確認するよう伝えてちょうだい」

「かしこまりました」

 光絵由里子は椅子に浅く座ったまま、杖の握りに両手を乗せて、呟いた。

「しかし、アラート体制の中、一体どうやって外に出たのです。それに、我々がエネルギーパックの開発に成功した事を、なぜ彼は知っていたのです」

 そして、少し声を荒げて、言った。

「ノア零一は、どうしました。まさか奪取されたのではないでしょうね」

 小杉正宗は光絵を落ち着かせるように、今度はゆっくりとした口調で答えた。

「いえ。そちらの方は無事でございます」

 光絵由里子は、尚も早口で小杉に尋ねた。

「何か、彼によって細工を施されているという事は」

「現在、関係所員が総力をあげてチェックしていますが、先ほどまでのところでは、何も異常は見つかっておりません」

「不幸中の幸いね」

 そう言うと、光絵由里子は再び立ち上がろうとした。光絵を支えようと駆け寄った小杉が、光絵に手を貸しながら小声で言った。

「実はもう一点、ご報告が」

「何です。これ以上、GIESCOの失態は聞きたくないわ」

 立ち上がった光絵由里子は濃い紫のミディ・スカートの皺を広げて伸ばしながら、思わずそう漏らした。

 小杉正宗は眉間に皺を寄せて言った。

「昨晩遅くに、美空野弁護士がGIESCOを訪れています。哨戒システムに記録が残されておりました」

 光絵由里子も眉間に皺を寄せた。

「なぜ彼が。私は指示していませんが」

 小杉正宗は頷きながら言った。

「はい。承知しております」

 光絵由里子は、半分諦めたような口調で小杉に尋ねた。

「中に入ったのですか。しかも、アラート態勢の施設に」

 小杉正宗は、束ねられた赤いブロケードのカーテンの横に立つポールハンガーに手を伸ばした。そこに掛けられていたマリン・ブルーのオブリークライン・ジャケットを手に取った彼は、それを黒いボートネックのブラウスを着た光絵の背後で広げながら答えた。

「はい。そのようでございます」

 小杉が広げたジャケットに袖を通しながら、光絵由里子は尋ねた。

「どうやって。彼の入室IDの登録は許可していないはずですが」

「どうも、気を利かせた所員が通用門から無断で中に入れたようですな。彼が我が社の顧問弁護士である事は、所員の誰もが知っていますから」

「……」

 光絵由里子は閉口した。そして、腰に巻いた黒銀のチェーンベルトを不機嫌そうに整えながら言った。

「それで、彼は中で何をしていたのですか」

「それが、研究棟には向わず、当直用ブロックのシャワー室に向ったそうです」

「シャワー室? そこで一体何をしていたのです」

 小杉正宗は首を横に振った。

「そこまでは。なにぶんシャワー室ですので、監視カメラが設置されておりません」

 光絵由里子は杖に凭れたまま暫く考えると、また小杉に尋ねた。

「その時、彼は。田爪は何処にいたのです」

 小杉正宗は首を傾げる。

「さあ。今は記録データを解析してみないと何とも。ただ、彼を隔離していたノア零一の研究ドックからは離れた所にある棟のシャワー室ですので、接触は不可能かと思いますが」

 光絵由里子は険しい顔で尋ねた。

「何号棟ですか」

「第八号棟です。博士を入れていた二号棟からは、だいぶ距離がございます。しかし、まさか、こんな事になっていたとは……。これは、わたくしが把握している事実とは随分と違います。まさか、AB〇一八が操作を……」

 光絵由里子は、杖を突いてゆっくりと執務室の出口へと歩みながら、小杉に指示を出した。

「とにかく、GIESCOの警戒レベルをアラート4まで引き上げてちょうだい。これはもう、明らかに有事状況だわ。それから、車を準備して。これから総理官邸に向います。こうなった以上、もはや隠してはおけないわね。総理には直接、私から説明せねば」

 光絵を追い越して小走りでドアまで向かい、ドアノブに白い手袋をした手を掛けながら小杉が答えた。

「かしこまりました。会長のお傍にも、警護の者とガードロイドをつけましょう。今の彼は何をするか分かりません」

「それが良いかもしれませんな」

 ドアが向こう側から開けられ、白いジャケットを着た姿勢の良い白髪の小柄な男が入ってきた。小杉正宗は驚いた顔で一歩退く。その初老の男は、オールバックにした長い白髪を右手の節くれた太い指で整えながら言った。

「ガードロイドはつけた方がいい。しかし、私は大丈夫ですよ。いたって正常だ。問題は無い。だが、ガードロイドは低脳なロボットだ。従来どおり物理的にネットと遮断されている事を、ちゃんと確認をしてからの方がよいですな。人件費を削減するために、ネット回線通信を使ってメンテナンスを実施している警備会社も、中には有りますからな」

「健三さん……」

 思わず光絵由里子は、その白髪の男の名を口にした。

 田爪健三は笑顔を作って、言った。

「大丈夫。ご安心なさい。私はあなた方には何もしませんよ。ただ、この状況下で、今まで会長に警護のロボットもつけていなかったというのは、実に杜撰ずさんだ。いかんよ君。実に、いかん。年をとったからと言って、怠けてはいかん」

 田爪健三は、小杉の方に何度か指を向けた。小杉正宗は眉間に皺を刻む。

 光絵由里子は田爪に尋ねた。その顔には、不安と恐怖と疑念が溢れていた。

「どうやって、ここに」

 田爪健三は笑みを浮かべながら答えた。

「ご安心ください。ここの人たちは皆無事です。誰も消してはいません。田爪健三は南米で無差別殺人をしていた訳ではない。ここで働いている人々は、皆いい人たちだ。抹殺する理由は無い」

 小杉正宗は壁際のサイドボードの上の電話機に手を伸ばした。それを見た光絵由里子は小杉を制止する。そして田爪に顔を向けて尋ねた。

「どういうつもりなの。今こんな事をすれば、事が複雑になるということは理解しているはずでしょう」

 田爪健三は苦笑いしながら答えた。

「もともと、複雑になっていますよ。あなた方にとっては。だが、奴や私にとっては違う。全て知れている事です」

 そう言うと、杖をついて立っている光絵の前を通り過ぎ、彼女が座っていた執務机の前まで歩いて行った。そして、上着のポケットから取り出した物をLEDスタンドの横に置くと、光絵の方を向いて言った。

「これをお持ちしたのです。『パンドラE』を。一昨日、会長がGIESCOにいらした際、これについては、後ほど報告すると申し上げたではないですか。ですから、こうして伺ったのですよ」

 デスクの隅で上品なフレアのシェードを傾けているLEDスタンドの横には、両掌から少しはみ出る程度の大きさの黒い金属性の箱が置かれていた。箱の側面には、いくつかの独特なインターフェースが口を開けている。

 光絵由里子は田爪に再度尋ねた。

「わざわざ、こんな事をしなくても、内田博士か小杉を通じて連絡できたはず。なぜなのです。なぜこんな事を」

 田爪健三は片笑みながら言う。

「事情が変わりましてな。いろいろと分かったのですよ。まず時間が無いという事。私の計算では一ヶ月以内に事を実行に移さなければ、手遅れになる。違いますかな」

 田爪健三は鋭い眼を光絵に向けた。彼は続ける。

「それから、例の上申書。これについての真相が分かりました。つまり、皆の共通の仇がね」

 そして彼は、右手を軽く挙げて光絵に言った。

「ああ、こちらについては、もう終わりましたよ」

 光絵由里子は血相を変えて田爪に問い質した。

「どういう事ですか。終わったとは」

 田爪健三は光絵の問いに答えること無く、語り続けた。

「そして、パンドラ。ようやく完成しました。結構、苦労しましたよ。ですが、これなら完璧です。誰も気付くまい。奴もね。それにしても、奴はとんでもないペテン師ですよ。あの高橋君を陥れるとは。やはり、相当に注意してかからねばならない相手ですな。軍の方から回ってきた量子銃の分析資料に目を通しました。プラントの分析図にも。まったく、嘘だらけだ。まあ、私が言うのだから間違いは無い。だが、会長にはご理解いただけないでしょうな。残念ながら」

 田爪健三は小杉に視線を向けた後、下を向いて、うっすらと笑みを浮かべた。それを見ていた光絵由里子と小杉正宗は、顔を見合わせた。

 顔を上げた田爪健三は言う。

「そして、もう一人の博士と議論した結果、妙案に到った。全てを解決する策にね。この案ならば、他の誰をも犠牲にする事はない。だから是非ともすぐに、こうして直接お会いして説明せねばならなかった訳です。そして、何としても理解してもらわなければならない。これから私が話す内容を。貴方の最愛の養女むすめに不幸をもたらした、この田爪健三の提案を」

 田爪健三は真っ直ぐに光絵を見据えて、そう言った。そのまま、小杉の顔を再度一瞥する。小杉正宗は田爪の冷たく無機質的な眼差しから視線を逸らし、再び光絵の方に顔を向けた。光絵由里子は、執務机の上に立てられた養女瑠香の写真を黙って見つめていた。

 窓の外では、急に湧いた黒く澱んだ雨雲が遠くの雷鳴と共に天に立ち込めていた。そして、少しずつ大粒の水滴を落としていった。



               9

 赤く燃える秋の夕日が雨雲の向こうににじみ、西の山間に呑み込まれようとしていた。港湾に建ち並ぶ超巨大クレーンが左に向かって薄く長い影を作っている。街の中で灯り始めた赤や青の人工の光が徐々に増えていき、次第に街区を埋め尽くしていった。

 丘の上の邸宅の広い庭でも、設置された野外電灯のセンサーが暗さを感知し、雨の中で一つまた一つと自動で光を放ち始めた。

 その洋館の執務室の中では、窓辺から少し離して置かれた光絵の肘掛式の古い椅子と、打ち合わせ用のテーブルから動かしてきた二脚の赤いハイバックチェアが置かれ、そこにそれぞれ、光絵由里子と小杉正宗、田爪健三が腰掛けて鼎座ていざしていた。

 暫く沈黙していた三人であったが、やがて光絵由里子が田爪の顔を見ながら口を開いた。

「あなたの話は解りました」

 光絵由里子は一度溜め息を吐くと、話を続けた。

「ひとつ伺いたいわ。このプランは、あなたが考案したものなのですね」

 田爪健三は黙って頷いた。

 光絵由里子は更に尋ねる。

「それで。あなたの話が本当だとして、この私に何をしろと言うのです」

 田爪健三が答えた。

「それは、あなたがご自分でお決めになるべき事です。偶因こそが我々の武器なのですから、打ち合わせなど無意味だ。ただ、相互に理解をしておくべきではある。お互いの行動の理由をね。だから、こうして話しているのです。それに、私の説が正しいにせよ、高橋君の説が正しいにせよ、永山君が私のマシンを飛ばした七月二十四日午前六時十四分、あの時に采は投げられたのですよ。つまり、そこからは未知の時間形成として常に新たな取得と放棄が繰り返されている訳だ。その取得と放棄は常に選択により実施されている。だとするならば、どのような未来をお選びになるか、それは常に選択次第という事だ。つまり、貴方の意思次第なのです。そして、貴方がどのような意思決定をしようとも、私は貴方がした意思決定に従う義務がある。そういう事です」

 光絵由里子は一度強く眉間に皺を寄せたが、そのまま冷静に反応した。

「そうですか。解りました。では、私もあなたと共に、このルビコン川を渡るとしましょう。瑠香もきっと、そう望んだはずです」

 田爪と光絵の言葉を一言ずつ確認するように聞いていた小杉正宗は、最後の光絵の発言の後、一度だけゆっくりと深く頷いた。そして、壁の時計に目を遣り、時間を確認した。視線を戻す途中で、窓の外に響く風の音と、動く青白い光に気付いた小杉正宗は、言った。

「会長、外をご覧下さい」

 丘の上の邸宅の南側から西に広がる緑の芝生を、一筋の青白いサーチライトが天空から照らした。敷地の周囲に植えられたコスモスが激しくゆれ、芝の上の雨露が真上からの強風に煽られて、周囲に散った。真南へと延びる池の水面で、震える波紋が幾重にもなって広がり、縁の大理石にぶつかって池の水を外に押し出した。サーチライトは芝の上から奥の林の上に移動すると、手前の芝の上に戻ってきて、そこを横切り、端の方で色づき始めた紅葉の木の間を細かく移動した。そして、再び広い芝の上の中央に来ると、そこに光の柱を固定したまま、天からの風を切る高音の反復と共に次第に太く大きくなっていった。

 椅子から立ち上がり、窓から外の様子を伺っていた小杉正宗が言った。

「何でしょう。軍のオムナクト・ヘリのようですが。この雨の中、ここへ降りるつもりでしょうか。着地するには狭過ぎますし、視界も悪い。周囲にも植木などの障害物が多過ぎると思いますが……」

 椅子に座ったまま体を反転させ、窓の外に目を凝らしていた田爪健三も言った。

「ほう。なかなかの度胸だ。腕もいい」

 光絵由里子は田爪の顔を見ながら、小杉に指示を出した。

「小杉。少し時間を作ってもらえないかしら」

「……」

 怪訝そうな顔をする田爪に光絵由里子は言った。

「健三さん、あなたは裏から出て、GIESCOに戻ってちょうだい。車は準備させるわ」

 それを聞いて、小杉正宗は窓から離れ、執務室の出口へと向おうとした。すると、歩いて行く彼を光絵が呼び止めた。

「小杉。彼がGIESCOに着いても、内田博士以外の所員には、田爪健三が戻った事を悟られないようにしてちょうだい。それから、他の所員や研究員は早急に帰宅させなさい。全員を当面の間、自宅待機とします。あとは手筈通り、頼むわね」

「かしこまりました」

 光絵に向かって頭を垂れた小杉正宗が顔を上げると、その視線の先の窓の外に、何本も立っている庭木や水銀灯をかわして着陸した特殊ヘリコプター「オムナクト・ヘリ」が、四方に突き出した支柱の先の回転翼を回しながら芝の上に駐機しているのが見えた。

 思わず小杉正宗は言った。

「それにしても、このパイロット、なかなかの腕前ですな。この横風と雨の中、あのポイントに着陸するとは。軍のヘリが神経感知型システムを使っているとはいえ、大したものです」

 そう言うと、小杉正宗は田爪の方を向き、言った。

「さて、わたくしはヘリの者たちを止めて参ります。そのうちに裏のガレージへ。後で車を回しますので」

 光絵由里子は、小杉に言った。

「くれぐれも気をつけるのですよ。ここで田爪健三に何かあってはいけません」

 小杉正宗は光絵の目を見てその意を酌み、一言だけ発した。

「承知いたしております」

 小杉正宗は田爪健三に一礼すると、小走りで廊下へと向った。

 田爪健三は椅子に腰掛けたまま後ろを振り向き、小杉の背中に対して一礼すると、光絵の方を向き直して、言った。

「なぜGIESCOに」

 光絵由里子は凛とした姿勢のまま答えた。

「川を渡るには舟が必要でしょう。幸い、あそこには我々が開発した最新式の舟があります。これから起こる物理的障害には、あれが必要になるはずです。そのために開発したのですから」

 そして、窓の外のヘリがライトを消し、四方のプロペラをアイドリング状態にして空転させ始めたのを見て、田爪に言った。

「とにかく。裏へ行って、小杉が車を回すのを待っていなさい。今、田爪健三が軍や警察に捕まれば、騒ぎが益々大きくなるわ。それは敵にとって思う壺のはずです」

 田爪健三は椅子から立ち上がり、小杉が出て行ったドアに向った。彼はドアを開けると、そこで歩を止め、背中を見せたまま少しだけ振り向いた。

 光絵由里子は、田爪に言った。

「さあ、行きなさい。早く」

 田爪健三は振り返り、光絵由里子に対して深く一礼すると、部屋から出て行った。

 彼が退室すると、光絵由里子は杖に凭れて椅子から立ち上がり、窓辺へと移動した。窓から下の様子を眺める。小雨の中で四つのプロペラをゆっくりと回しているヘリからは、首の後ろで一つにまとめた髪を押さえながら、若い女が一人降りてきた。軍の制服を着たその若い女は、小走りでヘリから離れると、水銀灯に照らされた池の大理石の横を小雨を避けながら走ってくる。彼女は階段の前で一度振り返って、ヘリの方にお辞儀をした。そして、そのまま階段を駆け上がり始めた。階段の途中で立ち止まり、光絵の方に顔を向ける。見覚えのあるその顔に、光絵由里子は辛島の話を思い出した。それで、その女が玄関で待つ小杉の前に歩いて行ったのを見届けると、執務机の引き出しから二枚の書類を取り出し、眼鏡を掛けて、それらのうちの一枚を読み直した。それは昨日、辛島から渡されたものだった。書類には、その若い女の証明写真と「外村美歩」という氏名、経歴、そして最後に、現在の所属と職位が記載されていた。そこにははっきりと、「所属 国防省軍規監視局  階級 大佐  職務 監察務」と連記されていた。

 全ての回転翼を静かにゆっくりと回すヘリの向こうで、新首都の闇間に点々と散りばめられた微かなネオンの灯りが、雲間に見える秋月の光を反射するかのように薄っすらと揺らめき始めていた。やがて、濁った雨雲が空を覆い、雷鳴が鳴り響き始めた。再び、豪雨が街を濡らしていった。



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