第二話

 心の中で助けを求めた次の瞬間。


「ピューイ」


 どこからかルリの声がしたと思ったら、すさまじい速さで大きなルリ色の鳥が、ザクロ色の鯉に襲いかかる。


「ギョエェ!」


 悲鳴と共に、プシャーと、ザクロ色の鯉から薄紫の液体が噴き出す。むわっと広がる酸っぱい臭い。薄紫の液体は空気に触れると、ジュワジュワ音を立てて消えてゆく。そして鯉は、タユンッという感じで地面に落ちた。振動はない。


 ルリはとがった淡い黄色のクチバシで、ザクロ色の鯉をつつき、いや、食べている。その様子は残酷だけど、人間だって魚を食べるのだから理解はできる。

 だけど涙があふれ出してとまらない。苦しくて気持ち悪くて、傘と鞄を手放し、右手で鼻と口を押さえる。胸が痛い。手が震えてる。身体がだるくて熱くて、立っているのがしんどくて、その場にしゃがみ込んだ。


 カアカア! ギャアギャア! ビャービャー! ジャージャー! ガーガー! ギィーギィー!


 たくさんの声。見たくないけど不安なので顔を上げる。

 様々な色や大きさの鳥達が、食事中のルリの周りを飛び回ってる。残りがあればほしいのだろう。


「弱いな」


 戻って来たルリが中性的な声でつぶやいて、小さな鳥に姿を変えた。


 羽の色はルリ色で、クチバシは淡い黄色、つぶらな目は蜂蜜色。


 ルリと初めて出会った時も、彼はこの姿だった。心で彼と呼ぶことはあっても、ルリが男なのかはわからない。性格はオレサマだし、彼は自分のことをオレと言う。でも声が中性的だし、人に近い姿になった時の顔も中性的だ。


 彼女と呼ぶのに違和感があるので、彼と呼んでいるだけだ。


「行くぞ」


 えらそうに言い放った後、ルリはあたしの肩まで飛んだ。森みたいな香りに癒されるし、肩の上にちょこんと乗った小鳥は可愛いけれど、「今日も旨そうな匂いをプンプンさせてるな」とささやいてから、頬をカプリと噛まないでほしい。


「痛いんだけど」

「甘噛みだぞ」

「甘噛みでも痛いんです」

「こんなに愛らしい小鳥がすることに文句を言うな。こんなに旨そうな匂いがするのに生かしてやってるんだぞ」

「食べると匂いをかぐことができなくなるし、涙も飲めなくなるからでしょ?」

「ああ」


 いつも言われてることだからつい言葉にしてしまったけど、ルリの返事を聞いて悲しくなる。せつなくて苦しくて涙が出そうだ。でも今は泣きたくなくて、唇を噛みしめる。

 ルリが好きなんだと、あなたに恋してるんだと、ずっとルリと一緒にいたいんだと、叫びたくなるけれど、そうしたら鼻で笑われそうで怖いから言えない。


 ルリになら食べられてもいいやって、そう思った時もある。だけどやっぱり、彼と生きたい。彼のことが好きだから。


 ゆっくりと立ち上がって、傘と鞄を拾い、家に向かって歩いていると、ルリと初めて会った場所――公園が見えた。


 あの時、あたしは九歳で、深い孤独の中にいた。遠いどこかに行きたいのに、どこにも行けない自分がいた。だれかといるのは苦しくて、一人でいるのはさびしくて。いつも孤独が友達だった。


 一人が苦手なのは今も同じだけど、あの頃はすべてが灰色で、色のない世界というか、花や、晴れた空を見て綺麗だと思うことさえなかったし、食事をしてもお菓子を食べても、おいしいとは感じなかった。


 森で迷子になっているような日々。


 だれかに助けてほしかった。やさしく抱きしめてほしかった。テレビに出てたしあわせそうな家族を見て泣いた。あたしのせいで自分は孤独なのだと信じていた。すべては自分が悪いのだと責めることしかできなかった。


 そんなあたしに石を投げてくる男の子達がいて、学校帰りに逃げた先が公園だった。追いかけて来た子達にひどい言葉をたくさん言われて泣いたんだけど、あたしにはブランコにちょこんと座るルリ色の小鳥が見えていたので気になった。


 男の子達から『ちゃんと話を聞けよ』とか、『ムシするな』って言われた気がする。しばらくしてスッキリしたのかなんなのか覚えてないけど、意地悪な子達が公園から出て行き、あたしは土の上にしゃがんでしまった。ヘトヘトだったのだ。


 そんなあたしのところまでパタパタと飛んで来たのが、ブランコにいたルリ色の小鳥だった。


 小鳥はなぜか、あたしの涙を舐めてくれた。心配されてるような気がして、くすぐったい気持ちになったのを覚えて。会話ができるようになってから聞いたら、涙が旨そうだったという理由で舐めたのだそうだ。そして、『今まで飲んだ涙の中で、お前のが一番だ』と語ってた。


 ルリと出会った日、見た目や雰囲気で、普通の鳥じゃない気がしたんだけど、あたしから離れなかったので、自分の家まで連れて帰ったんだ。 


 そういえばあの日も梅雨だった。紫陽花が咲いてたから。


 小鳥にルリという名前を与えたのはあたし。その時のルリはあたしの言葉をとてもよく理解しているように見えたけど、『ピューイ』と可愛らしく鳴くだけで、人の言葉をしゃべらなかったから、何も言われなかった。


 ルリはあたしの夏休みが終わるぐらいまで、ずっとそばにいてくれたんだけど、ある日どこかへ行ってしまう。


 悲しくてさびしくてつらい日々に耐えられなくて、鳥を見かけると話しかけた。


『ねえ、ルリ知らない?』

 って。


 どの鳥も答えてはくれなかった。ルリと同じく、あたしの言葉を理解しているような気がする鳥も、たくさんいたのに。


 ふしぎとルリがそばにいる時は、普通の鳥や、変な感じのする鳥が寄って来て、あいさつみたいに鳴くことがあった。だから自分も仲良くなれたような気がしてたけど、勘違いだったのだ。

 鳥達が親しくしてたのは自分じゃなくてルリ。


 ルリが一緒にいた時は、怖い存在に追いかけられたり、食べられそうになることはなく、平和だった。だけど、ルリがいなくなるとまた、ねらわれるようになった。


 ルリが姿を消して一か月が過ぎた頃、あたしはバラ色の大きなカエルに追われてた。そのカエルは二足歩行で走るのが早かったため、あたしは簡単につかまった。


『グヘヘ。ウマソウダ』


 銀色の長い舌があたしを舐める。


『ヒッ!』


 恐怖でおかしくなりそうだった。


 その時だった。ルリ色の大きな鳥が現れ、バラ色ガエルを攻撃したのは。


 カエルを食べる大きな鳥。

 その光景はトラウマになりそうだったけど、あたしは全く動けなかった。


『ピューイ!』


 こっちを見て鳴いたその声を聞いて、反射的に『ルリッ!』って叫んだら、『よく分かったな。偉いぞ。綾音あやね』と褒めてくれたのでおどろいたのを覚えている。だって、人間の言葉をしゃべるって知らなかったから。


 でもあの時、じわじわと、喜びの感情があふれ出して、好きだって、思ったんだ。


 帰って来たルリがいきなりしゃべり出したので、どうしていなくなったのとか、どこにいたのとか泣きながら聞いた。だって、話してたら勝手に涙が出ていたのだからしょうがない。

 そうしたらルリは小鳥になってあたしの肩に乗って、流れる涙を口にした。


『最高だな』

『ちゃんと話を聞いて!』


 と叫んだあたしは悪くない。


 しつこく聞いたけど、どこにいたのかは教えてくれなかった。だけど他の鳥達に見張らせていたらしいから、見捨てられたわけじゃないということは理解した。


 その日から、ルリは月に数回、会いに来てくれるようになった。約束をしたわけじゃないから時々すっごく不安になるけど、あたしにできることは待つだけだ。


 勝手に、ルリって名づけて呼んでいるわけだけど、ほんとの名前を聞いたら教えてくれなかった。歳は覚えてないらしい。性別とか、どこで生まれ育ったとか、家族はいるのかとかも聞けないでいる。

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