妖精
僕が通う【人和黎明学園】は、なんというか巨大だ。
市の北西の広大な緩い丘。その一帯全て学園だ。
場所を移したくないのか、面倒なのかはわからないが、学舎は増築に増築を重ね、敷地は増殖に増殖を重ねていて。
多種多様な専用の棟がいくつもあり、遠く離れて見ると要塞のようにも見える。
均衡が取れてるのかのか取れてないのかわからない、騙し絵みたいな巨大な学園。
そんな学園の高等部二年に僕は在籍している。
◆
「また君か」
放課後に起きた痴態は明日を待たずに広まっていた。
頬にハンカチを当ててるから見たらわかるか。
この英語教師、気に入った【勇者】に片っ端から声をかけ、うち何人かとキメた、らしい。
平手打ちされた僕の事と、キメれるかもしれない【勇者】がまた誕生した事が嬉しいのだろう。
喜色を滲ませた表情を隠しきれず、呆れた風を装って声をかけてくる。
未成年との淫行は、少子化の深刻さから責任を取るならばと割と見逃してもらえるようにはなっていたが、こいつが責任を取ったことは無い。
外面良いけどやってる事はハイエナだなあ。と、心の中で評価する。
「嬉しそうですね」
「…何を言ってるかわからんが、あまり騒ぎを起こしてくれるなよ、魔王」
嘘こけ。
あんまり言葉と感情を離すと裏パラメータが溜まるぞ。…知ってないわけないか。
だいたい魔王と勇者の一騎打ちの後の二週間くらいは校内がざわつくので攻略中の勇者に踏み込めなくなるのが嫌なのだろう。
「先生もほどほどに」
「…」
図星だったのかそれ以上踏み込まず去っていった。途中すれ違いざまに隣の【女神】に舐るような視線を向けたことは気づいていた。
「よくやるなあ」
「バフかかってない勇者じゃ、あれは騙されるわよ」
「気付いてたんだ」
「気付かない方がおかしいわよ」
他者に見られるということは、自分もきちんと他者を見れているはず、なら気付かない方がおかしいと愛衣子は断定する。
そうかな?そうかも。勇者にバフって何?なんてぼんやり話しながら教室に戻ってきた。
「あーおかえりなさーい。青春くーん」
「あれ、帰ってなかったんだ」
「うん。首元見たから今日は一緒に帰れるだろうなーって確信してたの」
「はー…教えてよ…」
椅子に座りながら、片手を大きく振りながら答えてくれたのは、【妖精】
ショートカットのふわっとした金髪に大きな青色の瞳、パッチリとした二重瞼に小さな乳白色の唇。色白な肌はつるつるしていて、スレンダーと割と失礼な言い方のとおり、小さな身長に胸やお尻は控えめ。
だが少女と女性の狭間のような酷く危うい仕草や表情を時折見せるため、無邪気さと妖艶さとを併せ持つため、【妖精】と呼ばれるようになった。
告白件数第七位の美少女である。
ちなみに元クラスメイトで、元【勇者】でもある。一年時には、叩かれた事は無いにせよ、ヤリチン呼ばわりとともに僕の前から去っていった。
それ以来、疎遠になっていたが、高等部二年になり同じクラスになってからというもの、何かと側に居ようとする。
「あら、今日は私が一緒に帰るわ」
「えーみんなで帰ろうよー」
「…【妖精】のデバフは相変わらず空気を平すわね」
「えーなんのことか・なー?」
アイルは、勇者が誕生するまでは普段どおりだけど、誕生後すぐは随分と心がざわつくらしく、酷く積極的になる。
きっと自分の時と重ねてるんだろう。こっちは気が滅入っているんだけど。いや、だから尚更なのか。お互いの傷を舐め合うのが燃えるらしい。デバフ?今あった?
「とりあえず…帰ろっか」
「はー…仕方ないわね」
「やったぁ。お家っデート、お家っデート」
アイルは身体を左右に振り子のように揺らし喜びを表現する。
「うちまで来るんだ…」
「ダメよ。今日は」
「いいじゃーん。とぉ、い・い・ま・す・かぁ、愛衣子ちゃんばっかりずるいよぉ」
「ばっかりなのは【魔女】よ」
「はっ、ヤリチンにマーキングとかほんと無駄なのにねー?」
「もう少し包みなさい。魔王に呪いは通じない、よ」
「…あははは…は」
教室にはまだ数人がいた。アイルがいたため、同じ空間にいる事でなんとか距離を縮めたかったのだろう。
それが悪評高き魔王にこんなにも無邪気に好意を向けているため、彼らの視線はこちらに固定されていた。
アイルは【勇者】になってからいろいろと僕の事を調べたらしい。
自分にされた仕打ちと恋心と僕個人の問題とを天秤にかけ、一緒に居る事を決断した、らしい。
それからは自分を磨く事に全力をかけ、いつしか【妖精】と呼ばれるようにまでなった。
でもさ。
あんまり大きな声で無邪気に事実は言わないで欲しい。可愛い顔でヤリチンって言わないで欲しい。
愛衣子のようにオブラートみたいな何かで優しく優しく包んで欲しい。
ほらみんな睨んでるじゃん。
めっちゃ冷たい視線じゃん。
もう空笑いしか出ないよ。
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