第85話 アステシアとパンドラ

ヴァイスと別れ、教会に着くと違和感を感じる。おかしい……護衛をしているはずの兵士たちがいないのだ。彼らとはプリーストとして、ヴァイスと一緒にいるときに面識もあるし、真面目で仕事を放置するような性格ではないはずだ。



「気のせいだといいけど……」


 

 私は嫌な予感がしつつも足を踏み入れる。もちろん、いつでも神聖魔法は唱えられるように準備はして……

 昨日は子供が騒いでいたはずの教会の庭は不気味なほど静まり返っていた。私は眉をひそめながらも教会に扉を開ける。



「何よ、この匂い……」



 教会の中はやたらと甘い匂いが充満しており、その先に広がっているのは不気味な光景だった。ゼウスを模した像は倒されており、代わりに不気味な人型の像が飾られている。そして、最も異様なのはそれに対して祈りをささげている子供達だった。




「ハデス様、僕がお母さんがとまた暮らせますように……僕がお母さんとまた暮らせますように……」

「ハデス様、お腹いっぱいお菓子がだべれますように、お腹いっぱいお菓子が食べれますように……」



 子供たちは自分たちの願いをぶつぶつと呟きながら一心不乱に祈っているのだ。扉を開いて入ってきた私に気づかないほどに……

 しかも、ハデスですって?



「ちょっとあなた達なんで、邪教に祈っているの? 一体何が……」



 ぎろりと何かに憑かれたような目で子供たちが見つめる。その様子があまりに異様で私は思わず言葉を止めてしまった。

 そんな中、私に気づいたキースが困惑しながら口を開いた。他の子どもたちが濁った眼をしている中、少しまともそうに見えるのは私の贔屓だろうか?



「アステシア!! さっきね、新しいプリーストのお姉さんがやってきたんだ。それでね、ハデスっていう神様を信仰すれば願い事を叶えてくれるって教えてくれたんだ。だから僕も両親に会えるように祈っているんだ!!」

「あなたね……そんなわけないでしょ」


 

 全然まともじゃなかった!! 願い事を叶えるなんて、それこそ奇跡でもおきない限り無理だろう。そして……奇跡なんてそう簡単に起きないことを私は身をもって知っている。

 だけど、キースは私の言葉に首をよこにふった。



「最初はみんな信じなかったよ。でも、試しにプリーストのお姉さんが祈ったら、ほんとうにミシェルのお父さんが迎えにきてくれたんだよ!! そしたらあいつすごい幸せそうな顔をして……それでプリーストのお姉さんが、みんなが一生懸命祈りれば願いが叶うからって言うから僕もお願いしてるんだ」


 

 キースは興奮しながら目を輝かして訴える。孤児院にいる子供たちは様々な問題を抱えていることが多い。そして……特に両親と再会を望む子は多い。そこをつけば子供たちは何もしないゼウスよりも願いを叶えたというハデスを信じたくなってしまうだろう。



 子供たちの心を弄ぶなんて許せない……



 大方、ミシェルの親をどこかで見つけて、タイミングをあわせて呼んだのだろう。作られた奇跡は邪教の得意技である。

 そしてこの匂い……ヴァサーゴの元で嗅いだサキュバスの匂いだ。確か興奮状態にして、思考力を鈍くする効果があったはず……

 子供たちに話を聞いてもダメだろう。そう思った私はキースに訊ねる。



「話はわかったわ……神父様はどこにいるかしら?」

「神父様なら気分が悪いから寝ていますよ。みなさん、お祈りご苦労様です。新たな熱心な信者にハデス様もお喜びでしょう。みなさんの願いはきっと叶いますよ」

 


 私の言葉に答えたのは裏口の扉を開いて入ってきた少女だった。私とは違う種類のローブを身にまとった可愛らしい女性である。

 にこにこと不気味なくらい可愛らしい笑顔を浮かべる少女を私は睨みつける。



「あんた、ハデス十二使徒ね。一体何を考えているのかしら」

「へぇ、私の事を知っているんですか……何か照れますね」



 そう言って、可愛らしく頬を赤らめる。その仕草はどこか可愛らしく、悔しいけどドキリとしてしまった。

 ヴァイスに十二使徒がいると聞いていたのでかまをかけたが当たったようだ。そして、彼女は私に微笑みかけながら名乗りをあげる。



「私はパンドラ……ハデス十二使徒が第七位『教祖』のパンドラと申します。ここにはアステシア様とお話をしにお邪魔させていただきました」

「私に……会いにね……」



 にこにこと笑う彼女を前に私はどんな顔をしていただろう? つまりこいつは私がここにいたから教会のみんなにちょっかいをかけに来たのだ。

 私の胸に罪悪感がのしかかってくるのを感じる。だけど、今はそんな事を悩んでいる場合ではない。相手はハデス教徒である。不意をうってでもいいから倒してみんなを守らないと……



「悪いけど私はあなたと話すことはないわ。さっさと帰ってくれるかしら?」

「そうですか、悲しいですねぇ……でも、私が帰ったらみなさんの願いが叶わなくなりますし、私は泣き虫なので悲しくて泣いちゃいますよ。そうしたら、私の仲間が心配してやってきてしまうかもしれません」

「え? おねえちゃん帰っちゃうの」

「じゃあ、僕のお願いはどうなるの?



 パンドラとかいう女の言葉を聞いた子供たちが騒ぎ出し、そのうちの何人かはまるで私が悪いとでもいうように睨んでくる。

 その視線に全ての人間に嫌われていた時の事を思い出して、私は自分の胸が締め付けられて、ぶわっと冷や汗が流れるのを感じる。

 この女……援軍という暴力の示唆と子供たちの気持ちを利用して断れなくしたわね……質が悪い。ここまで来たらもう答えるしかない。



「わかったわ……泣かれたら耳障りだから話を聞いてあげる」

「ありがとうございます。流石は聖女候補と呼ばれていたアステシア様ですね。慈悲深い。あなたもハデス様の事をしればきっと素晴らしさをわかってくれるはずです。では、たっぷりとお話しをしましょう。こちらに来ていただけますか?」



 そう言ってパンドラは本当に嬉しそうに笑う。そんな彼女に本能的な嫌悪感を感じながら、パンドラについていく。


 大丈夫……少ししたらヴァイスが様子を見に来るはず……そうすればこんなやつ敵じゃないわ。



 不安に思う気持ちをヴァイスを思い出して、奮い立たせる。彼の顔を見ると、不思議と元気が出てくるのを少し嬉しく思う。

 しかし、ようやく落ち着いた心もパンドラが開いた扉の先に広がる光景を見てへし折られそうになる。

 そこは懺悔室だった。普段は神父がいるのだが、その姿は見えない。その代わり二つの水晶がおかれており、その光景を見たアステシアの表情が絶望に染まる。



「ヴァイス様とロザリア様にもハデス教の布教中なんです。アステシア様も心から私の言葉をきいていただけまよね?」



 そこにはベッドの上でピュラーと抱き合っているヴァイスと、薄暗いところで縄に縛られ、男に囲まれているロザリアがうつっていたのだ。







ネタバレですが、ロザリアが酷い目にあうことはないです。


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