7







 気づけば陽は傾き、夕暮れの隙間に挟まるように虫の鳴く声が響いた。

 ほんの少しだと思っていた異界への訪問も、このまどろむような斜陽を見れば、流れる時間の違いに気づく。

 今日一日で体験した内容の濃さに眩暈にも似た感覚を起こしながらも、跨麟は脳内でどうにか物事を整理して無言のままヴァルに握りしめられた手に目をやった。


 こんな接触を許すこと自体、跨麟にとっては稀なことだ。

 ただでさえ将司とのことがあり異性に対し信用を無くしているはずであるというのに、それでもヴァルに関してはそういった嫌悪感がまったく湧かない。


 なぜか初めから好印象で、あまり話すのが得意ではなさそうなのに跨麟に対しては積極的で、それでいて押し付けずに跨麟の気持ちを伺いながら距離を詰めてくる。

 この人であれば任せてもいいと、心のどこかで知っている。

 ヴァルの言っていることをすべて信じてもいいのだと、不思議な安心感が生まれるのは、彼の言う【番】だからだろうか。



「その、このままだと体調不良ってだけじゃすまないってことよね? それを解消するには【番】である貴方の協力が必要ってことであってるかしら?」


 今のところ体調不良と言っても突然の頭痛や倦怠感、眩暈くらいだ。時には生活に支障をきたすこともあるが、それでも子供の頃の方が症状は重かった。

 このままでは命にかかわると言われたところで、跨麟自身のその実感はない。

 おずおずといったような跨麟の問いに、ヴァルは頷く。


「そうだな。だが魔力を満たして魂だけを回復させたところで、肉体は変わらないから体調不良は改善されない。いや、むしろ体の崩壊が早まるだろうな。この世界の体は魔力に耐えられるようにできていないから」


「そうなのね……って、『この世界』?」


 信じられないような話の連続についつい聞き流していたが、跨麟はヴァルのこの言葉にはたと気づく。

 先ほどから語られている話の中で、地球ではない別の世界のことを匂わせる言葉が数多くあったことを。


「あの、話を遮るようで申し訳ないのだけど」


「ん?」


「ヴァルが生まれたのはこの地球よ、ね?」


「いや、君の魂も俺自身も、この地球とは別の世界の生まれだよ。こことは違う理で動いている、異世界だ」


 やはり出でくる言葉は突拍子もないもので、跨麟はさらに眩暈に似た感覚を覚える。

 もうどう反応していいのかもわからず握られていない手の方で顔を覆うと、何度目かもわからないため息を吐いた。

 話の展開についていけない。跨麟の心境を表すのならその一言に尽きた。

 昨日まではそれなりに普通の生活を享受してきたはずであるのに、いったいどこからファンタジーに足を突っ込んでしまったのか、彼と会った瞬間からだろうかと心の中で自問自答する。

 ぐるぐるとヴァルの話を頭の中で巡らせつつも、彼の真剣でいてどこか不安げな表情をみてしまえば、すべてを否定するなどできるわけもない。

 こんな現実味のない話など、誰かに話したところで荒唐無稽だと笑われるだろうが、跨麟はヴァルと共に体験したことが現実だと知ってしまった。

 それを踏まえたうえで、跨麟自身に降りかかっているであろうファンタジーな事象を改めて聞かなければならない。


 跨麟は努めて冷静に、目を閉じて深呼吸する。


「ねぇ」


「ん?」


「とりあえず、飲みに行きましょ?」


「……は?」


 跨麟からの突然ともいえる申し出に、ヴァルは思わず驚きに目を瞬かせる。


 そう、この時の跨麟は冷静になどなっていなかった。

 むしろ半ば自棄になっていた。こうなったらいっそとことんまで聞いてやろうという漢らしい心意気にまで達していたともいえる。

 素面では受け止め切れない夢のような現実を、とにかく酒でどうにか紛らわしつつも懐に収めてやろうとヴァルの手を取ったまま立ち上がると、戸惑う彼を引きずるようにしてズンズンと進み始めた。

 屈強な美男が非力な女に手を引かれて歩く姿は大層目立つだろうが、そこはヴァルの持つ不思議な力的なものが作用しているのか、好奇な視線がこちらに向けられることは無い。

 二人は本堂にお参りすることもなく境内を抜けると、人込みをすり抜けながらも雷門を後にする。

 急に積極的になったようにも見える跨麟に、ヴァルは嬉しいながらも戸惑いを隠せずに口を開いた。


「ど、どこに行くんだ?」


「個室があるところよ」


「こしつ……」


 その言葉を聞き、なぜかヴァルは淡く頬を赤らめる。女という女を卒倒させそうな麗しい見た目に反してこの初心すぎる反応はいったい何なのだろうかと思いつつも、跨麟は言葉を続けた。


「その方が話しやすいでしょう? 内容的に人が聞いているような場所では無理だもの」


「そ、そうだな。確かに」


 跨麟の言葉にどもりながらも頷いたヴァルは、跨麟に手を引かれたまま浅草の街を歩き、そして一軒の日本料理屋に入った。

 こじんまりとしつつも品のある座敷に通された二人は、お品書きに目を通していくつかを注文すると室内の湿り気ない涼しさに一息つく。

 ヴァルはこういった座敷に入るのが初めてなようで、表情には出さないものの和で統一された室内に視線を向けていた。

 しばらくして一通り酒と料理が揃ったところで、跨麟たちは酒を片手にどちらからともなく話を再開させる。


「異世界とか、番とか、正直わからないことだらけだし信じられないわ」


「まぁ、そうだよな……」


「でも」


 跨麟の言葉に目に見えて落ち込んだヴァルを遮るようにして、跨麟はさらに続ける。


「あんな不思議な体験をしておいて、今更夢とか幻だったなんてことも言えない。それに……少し、納得した部分もあるの」


 跨麟はそう言って過去を思い出しながら静かに目を伏せた。


 この世界にとって、おそらく跨麟という存在は異物であったのだろう。

 まったく質の合わないものが紛れ込んでいれば、それを世界が排除しようとするのは当たり前なのかもしれない。

 人間の体の中でさえ起こる現象なのだから、それが世界規模になったとしても不思議ではないと無理やり納得させる。

 普段から大小の不幸が降りかかる運の無さも、そして原因不明の虚弱体質も、世界とのズレによって起こっていると仮定すれば、しょうがないとあきらめることができるかもしれない。

 そこまで達観するのにどれほどかかるのかはわからないが、それでも今は話を進めるためにその辺りは深堀せずにヴァルへと質問を続ける。


「それで、その体と魂の両方をどうにかする方法を、あなたは持ってるってことなのね?」


「……それなんだが」


 ヴァルは徳利に入った日本酒をグイを煽ると、言いにくそうに渋い顔をする。


「本当であればもっと君と交流してから話を振る予定だったんだ。まぁ、今回のことでそうも言ってられなくなったわけだが」


「そうね」


「それで、その」


 どう伝えようかと迷っているような、そんなしどろもどろというにふさわしい反応を見せているヴァルに、跨麟は思わず首を傾げる。

 初対面の時に感じた大人らしい強引さやスマートな会話運びはなく、今のヴァルはどちらかといえば嫌われることを怖がる子供のような顔をしていた。


「まずは体に負担がかからない程度に魔力を注ぎ込んで、弱り切った魂の回復を図る。君に自覚はないかもしれないが、今は魂が存在できるかどうかも怪しいくらいなんだ。存在をある程度固定させなければ先に進めない」


「なるほど……?」


「ただ、どれくらいの魔力で君の体に影響が出るのかがわからない以上、俺としても慎重になるしかないんだ」


「そう、なのね」


 つまり、彼が遠回しに言うことを信じるとするならば、下手をすると跨麟の体が使い物にならなくなる可能性があるということだ。

 ヴァルもそれを知っているからこそ、言葉を選んで跨麟に伝えようとしているのだろう。


「だから、とりあえずしばらくはこうして俺と会ってほしい」


「……それだけでいいの?」


「あぁ。【番】の俺といることである程度回復出来るだろうから、会う度に様子を見ながら色々と試していこうと思う」


 そんな彼の言葉に跨麟は拍子抜けしたような気持ちになりつつも、知らないうちに入っていた肩の力を脱力させる。

 ヴァルがあまりにも言いにくそうにしていたからか、思っていたよりも重く考えすぎていたのかもしれない。

 店に入るまではとにかくすべてを洗いざらい説明してもらおうと思っていたが、いざ言葉を重ねられたところで、跨麟にとってはすべてが未知なものである。

 一度で全てを理解しようとしても、今まで培った常識が邪魔をして思うようにいかないのは当然だった。


「わかったわ。とりあえず今日みたいにあなたと一緒に過ごすだけでいいのね」


「そう、だな」


 胸を撫で下ろす跨麟を見てヴァルは少しだけ言葉に詰まると、それ以上は何も言わずに小さく頷く。

 この時、跨麟は彼の態度に小さな違和感を覚えたが、安心感の方が上回っていたせいか、後々のちのち跨麟の人生を左右させることになる違和感を、安易に気のせいだと流してしまったのだった。



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