5
この不可思議な存在の言葉を、冗談だと笑い飛ばせればどんなに良かったか。
跨麟は、昔からとにかくついていなかった。
不貞の子として生まれ、体も弱く母に見限られ、血の繋がらない父に迷惑をかけ、無駄に目立つ容姿でいじめにもあった。
それでも実直でいればいつかは報われると、無駄に人を引き寄せる容姿を隠して仕事に万進していれば後輩には鬱陶しがられて陰では毒を吐かれている。
ようやく穏やかな幸せが手に入ると思えば浮気され、長年寄り添った存在から疎ましいとばかりにあることないことを吹聴された。
その度に足元が崩れていくような感覚に襲われながらも、それでも自身を見てくれている人たちが居るからと、それだけを支えに歩んできたはずなのに、今度は命にかかわるなどと言われるなんて。
全身の力が抜けるような感覚に、跨麟の体が崩れ落ちそうになるが、それを止めたのは隣にいたヴァルであった。
ヴァルは力強く跨麟を支えながら、射殺すような眼差しで目の前の小さな存在を見やる。
「跨麟は死なない。俺が死なせない」
『そう睨むでないわ。まぁ、様子を見るに、娘っ子にはちとこの話は早すぎたかもしれんのぅ。……安心せい、この男が傍にいるのなら、そんなことにはならんよ』
「……どうして? さっきヴァルは『巻き込んだ』なんて言ってたけど、私の体質と今の状況、ヴァルのこと、それにいったいなんの関連性があるっていうの? それにヴァルの傍にいればいいっていったい……」
『龍の、もしやお主、娘っ子になんも言っとらんのか?』
「つい最近出会ったばかりなんだ。少しずつ知ってもらうはずだったのを、あんたがこんなところに呼んで邪魔したんだよ。ったく、こればかりは……俺も想定外だ」
『おぉ……それは、なんとも、悪かったのぅ』
金髪を乱暴に掻き上げ悪態をついたヴァルは、今だ混乱に身を震わせる跨麟を抱き寄せ、耳元で囁く。
「落ち着いて。こうなったらすべて話すから。君のことも、俺のことも」
腰に回されたヴァルの手が、跨麟をあやすようにポンポンと優しく叩く。
「突然こんなことになって、不安だよな。意味がわからないだろう? ……それでも、どうか聞いてほしい。ようやく君に出会えた幸運を、俺はなにがあっても手放したくないんだ」
再び囲われた腕の中は、思わず泣きそうになるくらい温かかった。そのぬくもりに身を委ねてしまえば楽になれるのだと、跨麟の意志ではない何かがそう語り掛ける。
跨麟に縋るように絡みつくヴァルの腕に、そっと手を這わせる。たったそれだけで、彼はさらに抱き寄せる力を強めた。
逃がさないよう囲うかの如くきつく抱きしめ、ほんの少しの距離さえも許さないとばかりに跨麟の肩に顔を埋めた彼を、突き放そうとすら考えない自分に、跨麟はおかしさを感じながらも満たされていくのを感じた。
「私、あなたに抗えないの。出会ってからずっとよ? これにも、理由があるの? 私が、おかしいわけじゃないんでしょう?」
「……あぁ、君がそうなった理由は、ちゃんとある」
「やっぱり、そうなのね」
美しい蒼穹のような瞳が、間近で跨麟を射抜く。見上げるそれはどこまでも澄んだ色をしていて、思わず魅入るように見つめ返せば、その無機質にも思える瞳に色鮮やかな感情が乗る。
跨麟が見つめ返すだけで、硬質な彼が途端に華やぐように色づく。それがいったい何を意味するのか、理解できないほど跨麟も子供ではない。
それでも、出会ったばかりだという事実が跨麟を臆病にさせる。いくら連絡を取り合い交流を深めても、今日と合わせて対面したのは二回目だ。何かの間違いであると思わずにはいられない。
しかし、彼の真っすぐな眼差しがけして嘘ではないのだと、人の醜さを知っている跨麟だからこそ理解できてしまう。
「理由を知ってほしいとは思う。しかし、それを知られて君に幻滅されたらと恐れる自分がいるんだ。だから少しずつ、交流を重ねて俺を知ってほしかった」
「あそこで出会ったのは、偶然?」
「あぁ、君と出会ったのは本当に偶然だよ。あの時、生まれて初めて神に感謝したくらいだ。……今起きてる出来事も何もかも、信じられない気持ちはわかる。でも、すべてを否定して無かったことにはしないでほしい」
嘆願、そんな響きを乗せた声が跨麟にゆっくりと語り掛ける。
ただそれだけであるはずなのに、どうしてこんなにも胸が締め付けられるのか。
跨麟には理解できなくても、跨麟の中に存在する何かが全てを知っているように彼のすべてを受け入れようとする。
体も心も跨麟の意志などまるで関係ないと、無意識のうちに涙となって溢れれば、ヴァルが自身の唇でそれを拭う。そんな彼の仕草でさえ、跨麟の心は歓喜に震えてしまうのだ。
そんな自分に怯えながら、それでも飢餓感を満たすようにそれ以上を求めてしまいそうになるのを、なけなしの理性がどうにか留めてヴァルの腕から離れようとするが、彼の腕が緩むことはない。
「逃げないで」
「ちがっ、逃げないから……お願い、今は離して……」
弱弱しく跨麟がそう言えば、ヴァルは消沈したような顔をしながら抱きしめていた腕を緩ませて跨麟を解放した。
高鳴る鼓動に自然と息が上がり、跨麟は自身の胸に手を当てながら呼吸を整える。
意識がはっきりすればするほど、先ほどまでの状況が色々と危なかったような気がして頬が燃えるように熱くなる。
彼に触れられると、本当に理性が仕事をしない。こんな状態で彼の隣にいるのは危険なのではないだろうかと思いつつも、二人のやり取りを呆れたように見ていてた小さな存在がやれやれとばかりにため息を吐く。
『娘っ子が戸惑うのも理解できんでもないが、総じて龍とは押しが強い。一度これと決めたら頑として譲らぬ。お主のような存在が言えば、まぁ配慮くらいはするだろうが……それくらいの接触で狼狽えるとなると、これからが大変じゃと思うぞ?』
そう言いながら、どことなく同情を含んだ視線を跨麟に向けるのは何故だろう。
「それってどういうことですか? えっと……」
『我のことは
「はぁ……聖、ちゃん?」
『うむ。まぁ突然呼び出してしもうたが故に、あの男の計画をまるっと潰してしまったわけだしのう。我もちょいとばかり悪いと思うておるのよ。じゃから……娘っ子、お主の鞄に入っている厄除けを出してみぃ』
聖と名乗った存在に言われるがまま、跨麟は鞄から先ほど社務所で授かった厄除け守りを取り出すと、手のひらに乗せて聖の前に持っていった。
聖が跨麟の手のひらに乗ってその小さすぎる手を厄除け守りに翳すと、何かを小さく呟きながらそっと額を付けた。厄除け守りがほんのりと淡く輝くのを確認して満足そうに頷くと聖は元の石灯籠へと戻り、その場でだらしなく寝そべる。
『魂の淀みが解消されるまでは不幸を呼びやすい。それをある程度緩和できるように、加護を強くかけておいた。聖ちゃん特製の厄除け守りは大層効くぞぉ! なんて言っても我だから!』
「あ、ありがとうございます……?」
『おい、なんでそんなに疑わしそうな目で見るんじゃ? 本当じゃからな? こう見えても凄いんじゃからな?』
ちんまりとした顔に、遺憾だと言わんばかりの表情を浮かべた姿を見て、跨麟は思わず小さく笑う。
不思議と初めに感じていた恐怖は消えてなくなっていた。目の前の存在から感じられるあけすけな人間臭さに、怖さよりも親しみを感じてしまったからかもしれない。
『とりあえず我の用も済んだことだし、そろそろ解放しようぞ。うっとおしい側仕え共が押しかけてきそうだしのぅ』
聖は非常にやる気のなさそうな面持ちのままそういうと、寝そべった姿でパチンと指を鳴らした。
またしても強い風が駆け抜け、跨麟たちを包むように桜の花びらが舞う。視界が次第に桜色に染まる中、風の勢いに思わず隣にいたヴァルの腕を掴むと、彼はすぐさま跨麟を抱きしめて懐へと閉じ込める。
『また会おうぞ』
聖がそう言っていたのを最後に、巻き上げていた風は波が引くように無くなり、あれほどしていた桜の香りは白昼夢のように消えていた。
肌を撫でるじっとりとした空気が、ようやく元の場所に戻ってきたことを感じさせる。
遠くからの喧騒に我に返って慌ててヴァルから身をよじれば、彼はまたしてもしょんぼりとした顔をして仕方なしに跨麟を離した。
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