4
『懐かしい気配がすると思うて久方ぶりに外へと出てきたというに、あぁ……ほんに酷い目にあった』
そう言ってヴァルの手のひらで胡坐をかく子供は、ヴァルの仕打ちに大層ご機嫌斜めである。
繊細な刺繍がされた薄衣を纏い、豪奢な金の飾りをいくつも重ねて身に着け、蓮を象った宝冠が小さな頭にちょこんと乗っているのが美しいというよりは可愛らしく、跨麟は思わず状況を忘れて小さな子供を凝視してしまう。
ヴァルは相変わらず眉間に皺を寄せ、手のひらに乗せている子供を嫌そうに見ていた。
「それで、俺たちをこんなところに連れ込んでどういうつもりだ?」
『どうもなにも、旧友と同じ気配がすれば会いたくもなるだろうて。……って、お主誰じゃ?』
ヴァルを見てキョトンとする様子に、とうとう耐え切れず大きなため息をついたヴァルは、おもむろに子供を握りしめると大きく振りかぶる。
『わーっ! 待て待てっ! 短気を起こすでない!』
「ヴァル、一応その、話は聞いてあげよう?」
『おぉ、娘っ子ナイスじゃ! もっと言ったれ!』
「……投げ捨てたい」
跨麟に諭され、渋々……本当に渋々手を開いて近くにあった石灯篭の上にポイと投げ捨てると、小さなソレはようやっと人心地ついたとばかりにその場に座り込む。
そして穴が開きそうなほどヴァルを見つめながらウンウン唸ると、何かを納得したように小さく声を上げる。
『もしや、お主の【殻】、友が使っていたものではないか?』
「……あぁ、借りている」
『やはり、道理で気配が似ているわけよなぁ』
「もういいか?」
『よくないわい! ったく、少しせっかちすぎやしないか?』
早々に話を終わらせたいのか、跨麟が知る普段のヴァルとは違い、その対応は絶対零度の如く冷たい。
そんな彼に対してついつい驚きの眼差しを向けたのが彼にわかってしまったのだろう。ヴァルは跨麟に対しては安心させるような穏やかな笑みを浮かべ、今だ抱きしめていた腕の力を強める。
今更ながら感じる腕の温かさや服越しでも感じる胸板の厚み。彼から香る跨麟好みの柑橘系の爽やかな香りが鼻を掠めた辺りで正気を取り戻し、跨麟は頬がカッと熱くなるのを感じながらヴァルの腕の中で居心地悪そうにモゾモゾと動き出す。
「あの、とりあえずちょっと、離してもらって……」
「駄目だ。ここは危険な場所だから」
「そ、そうなの?」
「そうだ」
「そうなんだ……」
『娘っ子、お主もそう簡単に丸め込まれるでないわ』
二人のやり取りに呆れたような目をした子供の声に再び我に返り、どうにか離してもらうことに成功すると、ホッと胸をなでおろす。
彼のこととなると、途端に跨麟の知能指数が下がってしまうのは何故だろう。それが跨麟の中でここ最近の最大の疑問ではあるのだが、現によくわからない現象が今まさに目の前で起きているのだから、自身に起きている説明しようのないヴァルに対する現象も、きっとこれと似たようなものなのだろう。跨麟は半ば諦めにも似た感覚を持ちながらも、無理やりそう思うことでなんとか自分を納得させた。
ヴァルの方からどこか未練たらしい目を向けられているような気もしないでもないが、おそらく気のせいだ。
『しかし、友の【
「言っただろう、ただ借りているだけだ。本人の許可は貰っている」
『それで、何をしにこの地へ降り立った。あ奴の許可を得ているのならば大事にはならんだろうが、一応それを聞かねばこの場からは出せん。生憎と、この地の者たちに危害が加わると困るのでな』
「自分の物を取り戻しに来ただけだ。何より大切な、俺を唯一を」
『……ふぅむ、なるほどなぁ』
二人のやりとりにまったくついていけない跨麟は、しばらく黙ったままその会話に耳を傾けていたものの、目の前の不思議な存在に目が引き寄せられるようにして、つい見つめてしまう。
年端もいかない子供のように見えるその人物は、真剣に話し始めた途端に抗えないような独特の老成さが見える。時折漂わせる風格は、どこか慈悲深さを感じられる柔らかさをしていた。
まるで性を感じさせず、歳さえも曖昧に見える存在に、跨麟は悪いものではないのだろうと思いながらも、彼らの会話が途切れるのをジッと待つ。いくらここが桃源郷のように美しくても、こんな不可思議な場所で自分の思うように動くなど何が起こるかわからない。
ヴァルとの会話に、考え込むようにしていたソレは、ふと思い当たる節があったのか、隣で黙っていた跨麟へと目を向ける。
そして石灯籠からぴょんと降り立つと、ふわりと浮き上がって跨麟の目の前へと移動した。
『ふぅむ、ふむ……ほう、なるほどのぅ』
そして上から下まであちこち飛び回りながら跨麟をなめるように見ると、フンフンと納得したように頷いた。
「え、あの、何?」
『娘っ子や、お主昔からちと体が弱いだろう?』
「……え?」
どうして、という言葉は声にならず、唇だけがわずかに動く。
『【
跨麟は昔から原因不明の体調不良に襲われ、時には生活すらままならなかった時期もあった。
特に幼いころはそれがひどく、ほとんどベッドから起き上がれない生活をしていたこともあった。そのせいで母に疎まれ放置され、あやうく死にかけたこともあるくらいだ。
それを不憫に思った悠詩が跨麟を養子として引き取ってくれなければ、今頃こうしてこの場に立つこともなかったかもしれない。
母という存在から離れてからはだいぶ落ち着いたものの、いまだにストレスが蓄積されると頭痛や吐き気、倦怠感などが跨麟を襲う。
病院にかかっても原因がわからず医療費だけがかかり、しまいには精神病だと片付けられたり、学校で体調不良だと訴えても仮病だと言われ、周囲から冷たい視線を受けることもあった。
悠詩は血も繋がらない跨麟に精一杯の治療を受けさせてくれたが、それでも結果が伴わない状況に、ただただ心苦しかった。
それが今になって原因がわかりかけている。この不可思議な存在によって。
目の前の存在を信用していいのかどうかなど、跨麟の頭には既になかった。ただ、長年苦しみ続けてきたもののが解消されるのかどうか、知りたい一心で口を開く。
「これは、治るんでしょうか?」
『そうさなぁ……』
跨麟の言葉に、豆粒大の存在がなんとも難しい顔をする。
そしてちらりとヴァルを見やると、跨麟へと視線を戻して言いにくそうに言葉を続けた。
『このままいけば、いずれ【殻】が壊れるじゃろうな。【魂】と【殻】が元から合わないのだから。人としては、まぁ長くはないじゃろう』
「それって、死ぬってことですか」
その先は聞きたくもない、そう思いながらも、跨麟の口は止まらずに確信へと至る言葉を口にする。
『何もしなければ、そうなるのぅ』
その答えは、やはり無情のものであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます