1-10 内藤修斗は美少女後輩に頼み事をされる

 五限の終わりを告げるチャイムが鳴り、昼休みに入った。


 午前の授業の内容は、ほとんど覚えてなかった。ポケットの中に忍ばせたフレイヤが余計なことをしないか、気が気でなかったからだ。


 一日の半分を乗り切れたことにホッとしていると、すぐ後ろから肩を叩かれた。


「修斗、弁当」


「僕は弁当じゃ──」


「しょーもないこと言ってんな。二人きりで話したいことあるから、屋上で食うぞ」


「あ、ちょっ」


 引き止める前に志島はさっさと教室を出て行ってしまった。いつになく真面目な面持ちだったが、何かあったのだろうか。


 とにかく屋上へ向かおうと、机の脇に掛けてあった弁当を持ち、廊下へ出た、そのとき。


「きゃっ」


 横から走ってきた女子生徒とぶつかってしまった。眼鏡をかけた華奢きゃしゃな子で、僕が彼女を受け止めるかたちになる。


「ご、ごめん」


「ううん、私の方こそ前を見てなくて……」


 女子生徒と目が合う。上目づかいで見つめてくる彼女の顔からは、どこか妖艶な雰囲気が感じられた。


「あ、えっと……怪我は、ない?」


「はい、大丈夫です」


「よかった。それじゃ」


 そう言って早々に立ち去ろうとした僕のそでを、女子生徒が後ろからつまんだ。


「あの! ここでぶつかったのも何かの縁だと思って、一つお願いを聞いてもらえませんか」


 振り向いた僕は返事に詰まる。志島が屋上で待っているわけだから、ここは断って然るべき場面だろう。しかし──。


「ダメ、ですか……?」


「いや……いいよ、なに?」


 結局、了承してしまった。美央の「ノーと言えない日本人だもんね」という言葉が頭をよぎる。自分を殴りたい気分だった。


「よかった! 私、そこの柱の裏に隠れてるので、もし私のことを聞かれても言わないでくださいね!」


 それだけ言うや少女は姿を消してしまう。僕があっけに取られていると、それから十秒も経たないうちに廊下の奥から太った男子生徒が走ってきた。


「ハァッ、ハァッ。マミたん、どこ……?」僕と目が合う。「そこのお方、ここを天使のような女の子が通りませんでしたかな?」


「……いや、見てないよ」


「そうですか、どこへ行ったんでしょう。ああ、いえ、こちらの話でございます。それでは失敬」


 男子は僕の前を通り過ぎようとして、いま一度くるりと僕の方を向いた。


「そうだ。教えてくださったお礼に、こいつをあげましょう。特別ですよ」


 そう言って男子が取り出したのは、半券サイズのだった。〈コーヒー無限チャンス〉と派手な色合いで書かれている。


「拙者の叔父が喫茶店を始めたんですがね、どうも閑古鳥が大合唱してる始末で……小川駅という立地が悪いと思うんですよ拙者は。あ、もう一枚どうです?」


「いや、無限が二枚あっても困るよ……」


「そうですか。まあそういうわけで、近くを通ったら寄ってあげてください。では、今度こそ失敬」


 男子はドスドスと重々しい音を立てて去って行った。女子生徒がひょっこりと顔を出す。


「ありがとうございました! まったく発砲事件程度でいちいちキモいんだから……」


「発砲事件?」


「いえいえ、なんでも。それじゃ内藤先輩、失礼しまーす」


 女子生徒はペコリとお辞儀をして、風のように走り去って行った。廊下にぽつんと一人残される僕。


「……何なんだ、いったい」そう呟かずにはいられなかった。

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