第8話 とある旅の結末

 ミズエルとの久しぶりの会話は弾んだ。


「あの時にミズエルが見つけてくれなかったら餓死してたな」

「ダンジョンで干からびた人間を見かけた時は驚きましたよ」


 迷宮都市バビロカでの出会い。ダンジョンで迷っていた俺たちをミズエルが見つけてくれた時のこと。


「闇巨人ダルタンタリウスとの戦闘はヤバかったな。俺の雷撃がとどめを刺したんだったか?」

「いいえ、あれは私の召喚獣での決着でしたね」


 数多くのモンスター討伐の思い出。誇るべき仲間たちの功績。


「お前が辺境伯の令嬢に惚れた時はどうなることかと思ったぜ」

「魔王討伐後に足繁く通って射止めましたよ。今では孫が七人います」

「マジかよ!?」


 俺が封印された後のミズエルの話。


 そして。


「しかし、魔王の封印から俺を解放するとはなかなかやるな。大変だっただろう」

「ええ。五十年ほどかかってしまいました。しかし、楽しかったですよ。魔術を進歩させるのも、それを人に伝えるのも」

「レイチェか。あれは才能があるな」

「弟子は何人もとりましたが、レイチェほどの才覚がある人はそういませんでしたね。時代が時代なら勇者一行の一員です」

「勘弁してくれ。もう四人で手一杯だ」

「……ナイン」


 ミズエルの沈んだ表情に気付かないフリをして、俺は話を続ける。そうだ、約束があったじゃないか。魔王討伐後も、勇者一行で人助けをするという約束が。


「魔王が討伐されても、まだモンスターはいるんだろ? ほら、昔みたいにさ、たまには皆で集まってさ、モンスター討伐にいこうぜ」

「ナイン」

「覚えてるか? 人助けが趣味のセドリックに付き合ってやろうって約束したのをさ」

「ナイン」

「ワパやミサキだって乗り気だった。まあ多少は年食って弱くなってるんだろうけどさ、その辺は俺がフォローしてやるよ」

「ナイン」


 ミズエルは悲しそうに首を横に振った。しわくちゃになったその顔は、とても冒険に行けるような年ではないと物語っていた。


 聞くのがたまらなく恐ろしかった。

 しかし、聞かなくてはならないことだった。


「他の奴らはどうしてる?」

「ミサキは君が封印された後、異世界に帰りました。セドリックは三十年前、ワパは十年前、王女アリシアは先月に亡くなりましたよ」

「…………そうか」


 いつかの約束が叶うことは、もう無い。

 なにかの約束を交わすことも、もう無い。


「そうか」



   ◇◇◇



 ミズエルが眠くなってきたというので、俺は部屋を出て、屋敷の庭に座っていた。

 ぼんやりと空を眺める。雲行きが怪しく、雨が振りそうだ。


「降り出しそうです。屋敷の中に入りましょう」

「そうだな。先に入っていてくれ」


 少し離れたところから声をかけてくる心配そうなレイチェに生返事で答える。

 しばらく無言でいたが、レイチェが中に入る様子は無かった。


 会話が途切れたまま、数分が経っただろうか。俺はポツリと言葉をこぼした。


「勇者ナインと王女アリシアが恋仲だったってのは知ってるか?」

「はっきりとは明言されていませんでしたが、『勇者ナインの冒険』には勇者と王女が想い合っている描写がありました」

「そうか。勇者ナインの九つの誓約の四つ目は、”勇者ナインは魔王を討伐するまで王女アリシアに会ってはならない”、だ」

「…………それは」


 九つの誓約を勇者は破ることができない。魔王を討伐するまで、王女には会えない。厄介払いという奴だった。


「誰も勇者が魔王を討伐できるだなんて思っていなかった。だから王は勇者にこんな誓約をさせた。だが分をわきまえない平民のガキは、魔王を討伐することにした」


 そして、仲間たちに出会った。


「そんな俺についてきてくれたのが、戦士ワパ、魔術師ミサキ、僧侶セドリック、召喚師ミズエルだ。くだらないガキの、くだらない意地から始まった旅だ。それでも仲間たちはついてきてくれた」


 俺なら魔王討伐を成せると、仲間だけが信じてくれた。


「あいつらは、本気で世界を救うつもりだった。俺だけが自分のことしか考えていないクズで、仲間こそが真の勇者だった。分かるか? 『勇者ナインの冒険』にナインが勇者として書かれているなら、それは仲間がいたからだ」


 自分本位な旅の目的は、徐々に、仲間のための旅に変わっていった。


「そんな親友ともが世界を平和にしたいっていうなら、それで幸せになれるっていうなら、そんなの俺がやるしかないじゃねえか。だから俺の命に変えてでも、魔王を討伐することにした。その先に何があるかも考えずにな」


 そうして、今、取り返しのつかないことになっているのだ。


「王女アリシアも、戦士ワパも、魔術師ミサキも、僧侶セドリックも、もういなくなった。どうして失うまで気付かなかったんだろうな」


 もう、誰もいない。旅の終着点で、こんな想いをするなんて、考えたことすら無かった。


「魔王討伐に意味なんか無かった」

「ナイン様!」


 いつの間にか、レイチェが目の前に来ていた。

 『勇者ナインの冒険』の絵本を、胸元にぎゅっと抱きしめている。


「私は『勇者ナインの冒険』に沢山の勇気を貰いました! 私だけじゃない、沢山の人が、あなたの冒険に心を救われました。魔王が討伐されたことによって、実際に命を救われた人だって沢山います! 魔王討伐に意味が無かったなんて言わないでください!」

「……ああ。そうだな」


 レイチェが言っていることは理解ができた。でも感情は別だ。俺はクズだから、知らない沢山の人を救うんじゃなくて、知っている数人と馬鹿やれてればそれで良かったんだよ。


 レイチェが怒ったように『勇者ナインの冒険』の絵本をこちらに突き出してきて戸惑う。なんだ?


「『勇者ナインの冒険』の絵本は、共著なんです。この数十年で色んな人が関わっていて、何度も何度も書き直されています。表紙を見てください。著者に戦士ワパ、僧侶セドリック、召喚師ミズエル、王女アリシアの名前が書いてあるでしょう?」

「お、おう。そうだな」


 それがどうしたと言うんだろう。レイチェが何を伝えたいのかが分からない。


「だーかーら! 最後のページを読んでください!」


 もどかしげにレイチェが催促するので、思わず絵本を手に取ってパラパラとめくってしまう。

 そこには、こう書いてあった。


 ”勇者は魔王を見事に討伐しました。

 勇者のおかげで、王女アリシアも、戦士ワパも、魔術師ミサキも、僧侶セドリックも、召喚師ミズエルも、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました。

 めでたし、めでたし。”


 短い文章をじっと見つめる。

 欺瞞だった。異世界に帰った魔術師ミサキのことが分かる訳がない。

 それでも、これを書いた人間にとって、これが本当の想いだったのが、なぜか伝わってきた。


「そうか。俺の仲間は、幸せに暮らしたのか」

「そうです! めでたしめでたしです!」


 地面に、ポツリと水滴が落ちた。


「雨が降ってきたみたいだな。先に中に入っていてくれ」

「え? 雨なんて……あっ、そうですね、先に入ってます!」


 レイチェがいなくなったあとも、俺は、絵本に書かれた短い文章を、何度も、何度も読み返しつづけた。

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