第3話 勇者召喚 その2

 素晴らしい解放感だった。

 昔ギャンブルで負けた金が払えなくて牢屋にぶち込まれ、戦士ワパが立て替えてくれるまでしくしく泣いて過ごしたことがあったが、あの時以上の解放感だな。


「ああああああの、ふひひ、コヒュッ! ゴホッ! ゆ、勇者、ナ、ナイン様! ガハッ!」

「ん? うおおおおおおおお!?」


 声をかけられたほうを見ると、青い長髪の美しい少女と目があった。黒のとんがり帽子とケープの装いは、魔術師ミサキの格好によく似ている。年の頃は十四、五といったところか。

 問題は、少女が顔を真っ赤にして鼻血を盛大に噴出していることだった。無理をして喋って舌を噛んだのか、口からもダラダラと血を流している。


回復ダヒル!」


 慌てて青髪の少女に回復魔術を行使して、傷を癒やしてやる。


「あ、ありがとうございます。少しだけ興奮してしまいました」

「少しだけ……?」

「ウプッ。勇者様に話しかけられてる。緊張しすぎて吐きそう……」

「わー! 待て待て待て」


 赤い顔から一転、今度はみるみる青褪めていく少女の背中をさすってやる。


 数分後。


「落ち着いてきました。……改めまして勇者ナイン様。お務めご苦労様です!」

「おう……」


 こちらを見て目を輝かせている少女を尻目に、俺は状況を確認するため、狭い小部屋をぐるりと見渡した。召喚用に整えられた石壁に囲まれた部屋だ。


「俺を召喚したのはアンタか?」

「はい!」


 少々意外だった。

 魔王の封印術を解いた術師が、こんな小娘とは。


 石壁と床に描かれた召喚陣の構造を確認する。

 洗練された召喚陣だ。ところどころ俺の理解が追いつかない部分もあるほど、先を行っている構築。この少女が俺を召喚したという話に、嘘は無さそうだった。じっくりと眺めていると、俺がよく知っている手癖が召喚陣に組み込まれていることに気付く。


「この召喚陣の基礎構造はミズエルが作ったものだな」

「はい! 私は大召喚術師ミズエル様の弟子です!」


 弟子。弟子ときたか。思わず笑ってしまった。


「弟子? あの説教屋のミズエルが弟子? おいおいおい、ミズエルは召喚師を名乗っていたが、実際には勇者の俺のほうが召喚術に長けていたんだぜ。その二番手のミズエルが、俺の理解を遥かに上回る召喚陣を作成して、弟子を取って、大召喚術師を名乗り、魔王の封印から俺を解き放ったって?」


 感嘆する。ミズエルは、やるべき努力を怠らない男だった。


「腕を上げたな、ミズエル。やはり奴は素晴らしい親友ともだ」

「そうなんです! ミズエル様は素晴らしい方です!」

「アンタ、なかなか分かってるじゃねえか」


 あの説教屋の弟子なんぞ、気苦労も多いだろうに。俺は俺が褒められるのが好きだが、その次に仲間が褒められるのが好きだった。俺は気を良くして少女と会話を続ける。


「自己紹介がまだだったな。俺はナイン、勇者ナインだ。なにか困っていることは無いのか? 召喚の礼だ、叶えてやるよ」

「私はレイチェです。あの、でしたら本にサインを書いて頂けませんか? 私、ナイン様のファンなんです!」


 そう言うと、レイチェは部屋の本棚から分厚い本を取り出してきた。本のタイトルには『勇者ナインの冒険 小説版1』と書いてある。えっ、俺が封印されている間にそんなの出てるの? 本の儲けは俺にも入るんだろうな?


「俺のファン? そういうことは早く言え。サインなんていくらでも書いてやるよ」

「本当ですか!? 嬉しいです、でしたら小説版シリーズ四十冊と、あと絵本版にもお願いします!」

「よ、四十!?」


 レイチェが『勇者ナインの冒険 小説版40』までどさどさと取り出してきて、顔がひきつる。そんなに書いたの誰だよ、と著者名を見ると、戦士ワパだった。勇者一行自ら書いていた。「ナイン兄貴の偉業を世に知らしめるであります!」と叫んでいるのが目に浮かぶようだ。


 こちらが若干引いているのを見て、レイチェがしょぼくれた表情を浮かべた。


「あの、やっぱり駄目ですよね。多すぎますよね」

「いや、大丈夫だ。勇者に二言はない」


 俺が一度口にした言葉を反故にする訳にはいかない。ここに魔術師ミサキがいたら「ナインは変なところで見栄を張るよね」と茶化されていただろう。


 結局、全てのサインを書き終えるまでにかなりの時間がかかった。腕が痛ぇ。

 そもそも中身は何が書かれているんだ? 最終巻をパラパラめくると、勇者と魔王の決戦のくだりだった。いかにもワパらしく、過剰に勇者ナインが持ち上げられて書かれている。


「あの、魔王が繰り出してくる数々の卑怯な手を打ち破って、勇者ナイン様は正面から魔王を倒したんですよね!」

「…………うん?」


 レイチェの言う通り、『勇者ナインの冒険 小説版40』には、魔王が卑劣な罠を仕掛けたと書いてあった。事実は全く逆で、俺が数々の罠を仕掛けて魔王を奇襲したのだ。嘘を書くとはワパらしくもない……いや待て、そもそも俺と魔王は一対一で決闘したのだ、戦いの内容をワパが知っているはずがない。

 となると、このくだりは全てワパの想像だろう。弟分のワパは俺に幻想を抱いている節があったが、ここまでだとは思わなかった。


 キラキラした憧れの瞳でこちらを見つめてくるレイチェに、冷や汗をかく。

 事実と異なると否定するのは簡単だが、それを言うとワパが嘘を書いたことになってしまう。苦肉の策で、俺はどうとでも取れる真実を述べることにした。


「あー、恐るべき死闘だった。片一方は数々の卑劣な罠を仕掛け、片一方は正面から正々堂々と戦った。そして、勝つのは常に正義の側だ、分かるよな?」

「わーやっぱりそうなんですね! すごい! 本当の勇者様から冒険のお話聞いちゃった!」


 はしゃぐ無垢な少女の姿を見て、罪悪感を覚える。あとでワパに会ったらとっちめよう。


「あの、私、他にも聞きたいことが沢山あるんです!」


 なおもレイチェは俺の話を聞きたそうだったが、ボロが出る前に話を逸らすことにした。現状も知りたいしな。


「あー待て、先にミズエルに会わせてくれるか?」

「あ、そうでした! ミズエル様にも、勇者様の召喚に成功したらすぐに連れてくるように言われてました!」


 そうだろうね。

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