第41話
レオとマロンがクァールの相手をしている隙にベネット達の治療に向かったエリスとフィルは、その悲惨な光景に顔を顰める。
ベネットは寸前のところで止めの一撃を回避することは出来たものの気絶しており、盾と鎧はぼろぼろになっていた。
先に気絶していたヨークも同様だ。
鋼鉄製の装備では、中級迷宮主の攻撃には耐えられないということが良く分かるものだった。
「骨折はしてるみたいだけど内臓の方は平気みたいね」
ベネットとヨークの状態を確認したエリスは重傷は重傷だが命に係わるほどではないと判断して、最後にシズカの様子を見ることにした。
「妾は痺れて動けないだけじゃ。先にあの二人の治療をしてやってほしいのじゃ」
シズカは意識があったようだ。
触手による麻痺攻撃で痺れている他に鎖骨も骨折しているのだが、シズカはエリスに盾役をこなしていた二人の治療を優先するように頼んだ。
ずっと二人に守られていたので思うこともあるのだろうとエリスはそれに頷き、まずはベネットの治療を先に行う。
最初はヨークを先に治療しようかとも思ったのだが、戦場歌の効力が切れたヨークを起こすのはどういう精神状態なのか不安があったため先にベネットを治療することにしたのだ。
フィルは、そんなエリスに治療されているベネットの様子を悲痛な面持ちで見ていた。
その手にはとっておきであるマーサ製のポーションが握られている。
もちろん、クァールの警戒をしていなければならないのでそっちを見ていないといけないのだが、どうしても心配でチラチラとみてしまう。
想い人が怪我をしているのだからフィルの行動は仕方がないのかもしれないが、それを知らないエリスからしてみればその視線は気が散るもので不快である。
ベネットの応急処置が終わった後、エリスはフィルに顔を向けた。
「心配してくれるのはありがたいんだけど、あんたは自分の仕事をしなさいよね」
「う、ごめん」
エリスに指摘されてフィルは慌てて手に持っていたポーションを引っ込めクァールに目を向ける。
「くくっ、青春じゃのう」
シズカが地面に伏せながら意味ありげに笑い声を上げた時、クァールが今までと別種の咆哮を上げた。
「な、なんだあれ」
「ふむ、発狂のようじゃな」
クァールが赤黒いオーラを身に纏い始めた。
フィルは突然のクァールの変化に慄くが、シズカはこれが何なのか知っていたようで冷静に分析していた。
「エリス、すまんが妾を先に治しておくれ」
発狂状態では自分の援護が必要になるだろうとシズカはエリスに治療を頼んだ。
「分かったわ」
エリスの表情からは非常に色濃い疲労のあとが見て取れた。
度重なる治癒魔法の行使に戦場歌を歌ったことでエリスの魔力は尽きかけていた。
フィルはそっとエリスに手を差し伸べる。
その手に握られていたのは魔力回復ポーションだった。
「いいの? ありがとう」
「いえ、ベネットさんとヨーク君には僕がポーションを掛けておきますからエリスさんはシズカさんの治療を」
ポーションは服用しないと内臓の損傷や骨折などの内部損傷を癒すことが出来ないが、その辺の緊急性の高いものはエリスがすでに治療している。
そして、切り傷などの体の表面にある損傷ならポーションを掛けることでも治すことが出来る。
だからフィルはベネットとヨークの治療のため一本しかない自前のポーションを使うことを提案した。
一人につき半分になってしまうが、止血することぐらいは出来るだろう。
発狂状態になったクァールがこちらを一瞥もせずにレオとマロンの二人に集中しているから出来た発言でもある。
「お願いするわ。じゃあシズカの治療ね」
「まず痺れの方から治してくれんかの」
エリスはシズカの要望に従って状態異常回復魔法のキュアーを先に唱える。
手足を動かして体の痺れが取れたことを確認したシズカは、更に鎖骨が骨折していることをエリスに伝えて治療してもらう。
エリスに魔法を掛けてもらい動けるようになったシズカだが、妖力が尽きかけているのでふらふらとした足取りで立ち上がった。
「白獅子とマロンが頑張っているようじゃな」
戦況を見たシズカは呟くと、意を決したような表情に変わる。
「ふむ、このままでは妖狐の名折れ。月が巡るまで使えなくなるのは不安じゃが、ここで出し惜しみしても仕方あるまいて」
時期が悪いとシズカは舌打ちしたくなる気持ちを堪えとっておきの準備に入る。
これからシズカが使うのは妖狐族の秘術。
瞬間的に妖力の質を高めて普段では使用できない強力な妖術を発動させることが出来るシズカの切り札。
「九尾覚醒」
シズカが術を行使すると、シズカの体が金色の光に包まれる。
すると、普段は一本しかないシズカの大きな尻尾が九つに分かれて大きく膨らみ始める。
一本一本が普段の尻尾の大きさまで膨らむとその動きを止めた。
九尾。
妖狐族の別名であるそれは、正にこの状態なったときを表すものだった。
フィルは、シズカの変化に驚いてまじまじと見ていたのだが、急に眼を逸らした。
シズカの巫女装束によく似た胴装備は、倒れた拍子に少しはだけてしまっていてその豊満な胸部の膨らみがさらし越しに見えてしまっていたのだ。
「のう、フィルよ」
シズカはそんなことはお構いなしにフィルに声をかける。
こんなときに不謹慎だと思いつつもフィルは顔を赤くしてシズカを見ないようにしていたのだが、声を掛けられその表情を見た瞬間に嫌な予感がして頬を引きつらせる。
「あのクァールの目に刺さった矢は主の仕業じゃろ?」
「うん、そうだけど…」
「このまま白獅子と黒狼に止めを取られるのは妖狐の妾のプライドが許さぬ。じゃから…」
妖力もほとんどない今、シズカはこの状態になりなけなしの妖力を全て注いで妖術を撃ってもクァールは倒せないだろうと踏んでいた。
だから、シズカは悪戯を思いついたような悪い笑顔を浮かべて続ける。
「これから妾はとっておきの術を奴に食らわせる。暫くは動けなくなるじゃろうからその隙に」
フィルはごくりと唾を飲み込む。
「主が止めを刺すのじゃ」
フィルは予感が当たったと頭を抱える。
未だかつて、あの強大な魔物の止めを刺すといった大役を任されることなどフィルは経験した事が無い。
断りたいところだが、そんなことは許してくれなさそうなシズカの雰囲気にフィルは溜息をこぼす。
「じゃあもっと近付かないと」
「うむ、行くとするかの」
二人はクァールに気付かれないよう移動を始める。
フィルの弓の射程にまで近付くと、フィルはその動きを止めた。
余りのプレッシャーに胃が痛くなるが、フィルは意を決して矢筒から矢を取り出して弓に番える。
その様子に満足そうに頷いたシズカは妖術の準備に入る。
構えたはいいがフィルは、一発で止めを刺すほどの一撃を食らわすにはどこを狙えばいいのか迷っていた。
フィルの矢はクァールの目は貫けたがそこまでで脳にまで届いていない。
もっと柔らかく確実に致命傷を与えられる個所はどこかが思い付かない。
そんな中、シズカの準備が整ったようだ。
「それでは行くかの。狐火は躱せてもこれは躱せんじゃろ。春雷」
上空から突然落ちてきた雷がクァールの身を焦がす。
いくらクァールが発狂状態でどれだけ素早く動けようとも不意の雷を避けることは出来ない。
クァールは全身から煙を発しながら絶叫する。
フィルは、クァールが大口を開けながら頭をのけ反らせて悲鳴を上げる様に天啓を受けたような閃きを覚え、その閃きに従ってクァールの口内に向けて矢を放つ。
いかに強力な魔物と言えども体内まで鍛えられるわけではない。
やや上方に角度をつけて放たれた矢はクァールの口内の柔らかい肉を突き破ってそのまま突き進み、先端が脳にまで達するほどの威力があった。
弓の性能によるところが大きいが、フィルが幼い頃から鍛冶を行い鍛えられた強靭な筋力があってこその威力だった。
クァールが体から煙を上げながらゆっくりと倒れる。
「やったようじゃの」
「はは、まぐれだよ…」
フィルを称えたシズカは妖力が尽きたのか地に伏せていて、覚醒状態の光は消え失せ尻尾も一本に戻っていた。
フィルが謙遜していると、レオとマロンが止めを刺した二人の方へとやってきた。
「やるじゃねーかフィル。いいとこもっていきやがってよ」
レオは上機嫌でフィルの肩をばんばんと叩く。
フィルはそれを痛そうにしながらも笑顔であり、やっとクァールを倒したという実感が湧いてきた。
そうしてしばらくエリスに治療を受けながら談笑していると探査局の職員がやってくる。
「無事に帰れそうだね」
「ああ」
犠牲者五名を出したこの凄惨な事件は探索局でも議題に上がりビギナーの獣の楽園第三階層への立ち入りが禁止されることとなる。
それと同時に新人探索者でクァールを倒した七名はその勇気と実力を称えられることなるのだった。
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