第24話
緊張した面持ちでフィルはきょろきょろと洞窟内を見回す。
じめじめとした洞窟内は薄暗いけれども、所々に光を放つ光苔が生えており灯りをつけるほどの暗さではない。どこかすえた臭いが漂っているのはゴブリンの臭いなのだろう。
そしてここは迷宮内。あまり観察する時間もないまま二人は二匹のゴブリンに遭遇した。
「んじゃあ、いくぞ」
レオはなんの気負いもなくゴブリンに向けて歩き出す。
フィルは初めて見るゴブリンの醜さと野生ならではの剝き出しの殺意が籠った目を見て震え上がり動くことが出来ない。
足が小刻みに震えて一歩が踏み出せないままいると、レオがもうじき接敵するところだった。
早く行かなきゃと思いはするけどどうしてもその一歩が踏み出せない。
レオは、一瞬だけ振り返ってフィルの様子を窺う。ある意味予想通りだったのか、内心でため息をついてからゴブリンに意識を集中し始める。
レオは向かってくるゴブリンから目を逸らさずにただ歩く。
刀は鞘に納まったままだ。
先頭のゴブリンが走りながら棍棒を振り上げ、レオめがけて振り下ろそうとする刹那。
抜刀。
目にも止まらぬ速さで抜き放たれた刀はゴブリンの胴体を切り裂いた。
返す刀でもう一匹のゴブリンの胴体を袈裟斬りで斜めに分断する。
残心。
切断面から斜めにずれ落ちる二匹のゴブリンの胴体が同時にどさりと地に落ち、続いて下半身が倒れた。
レオは二体のゴブリンだったものが動かないことを確認してふうと息をつく。
「こんなもんか」
想像以上にゴブリンは弱かった。これでは肉体強化を使うまでもない。そうレオはゴブリンに対する評価を下す。
初めての実戦、初めての人型を殺めるという行為にも忌避感も覚えずに斬れた。
大丈夫だろうと思っていたが実際に躊躇いなく斬れたことに一安心していた。
ふと、刀身に目をやるとゴブリンの血が付着しているのに気付きレオは一つ舌打ちする。
俺もまだまだだなとレオは刀を振るって血を飛ばし、鞘に戻した。
「す、凄い…」
レオが強いことはもちろん知っていた。
幼い頃から何度かレオが訓練しているところも見ているし、探索者養成学校での模擬戦でも毎回相手を圧倒していたことも知っている。
しかし、初の実戦においてゴブリン二匹をあっという間に倒してしまったレオにフィルは圧倒されていた。
「フィル、素材の回収は任せたぞ」
「あ、ああ、うん」
何もなかったかのようなレオの言葉に咄嗟に反応できなかったフィルは詰まりながらもなんとか答えてレオの元へと走る。
レオの待つ場所まで辿り着いたフィルは、自分の仕事を思い出し、徐にゴブリンの死体に手をかざした。
「抽出」
フィルによって抽出されたのはゴブリンの睾丸。これが唯一の金になるゴブリンの素材である。
それは、複数の薬草と合成することによって作ることができる精力剤の素材となるもので、女性の錬金術師は作りたがらないことと必需品ではなく嗜好品の素材であることからなくても困る事が無い錬金術師に足元を見られ言い値となる場合がほとんどで売値はほぼないに等しい。
しかし、フィルの場合は錬金術で精力剤を作ることができるので、素材を売るのとは比べ物にならないぐらいの利益を得ることができる。
なぜなら、精力剤は娼館の他、軍需品に当たらないことから他国への禁制品の対象となっておらず、王国の行商人に高値で販売することができるからだ。年配の王国貴族の男性に人気の商品ということで特に行商人には高く売れるというわけだ。
そうして四つのゴブリンの睾丸を手に入れたフィルは、持参の布製の袋にそれらを収める。レオはそれを気持ち悪そうに見ていた。
「終わったようだな。次は一匹やれるか?」
「うん、せめて一回は倒してみたい」
先程のレオの無駄のない流麗な妙技を見せつけられて、フィルはどう頑張ってもレオの劣化にしかならない。いや、劣化などというのは烏滸がましい隔絶した差が存在していることを悟る。
そして、先程の戦いで分かったことがもう一つある。
それは、フィルは剣や刀の間合いでずっと戦っていくことは出来ないということ。
このレベルの迷宮なら何とか戦っても行けるだろう。しかし、それもレオのお荷物となってという条件付きだ。
自分どころかレオにまで危険な思いをさせてまでわがままを通すわけにはいかない。
それでも一度はこの小刀でゴブリンを倒しておきたい。それは自分が次に進むための儀式のようなものだとフィルが自然と口から発した言葉だった。
「おう、じゃあ進むか」
フィルの意志を汲み取ったレオは洞窟の先へと歩を進める。
すると、また間もなくして今度は三匹のゴブリンが現れる。
「随分多いな、おい。オレは右の二匹をやるから残りを任せたぜ」
「わかった」
一度殺意に晒されたためか、フィルはぎこちないながらもなんとかゴブリンに向かうことができていた。
ゴブリンの振るう棍棒を何とか躱したフィルは、お返しとばかりに小刀を振るう。
腰の入っていない一刀はゴブリンに躱され、そこから泥試合が始まる。
あっという間に二匹のゴブリンを倒していたレオは、フィルの戦いを難しい顔をしながら見守っていた。
(まだ冷静になれてねーな。支援魔法も使ってねぇし)
このままではフィルが怪我をすると思ったレオは、フィルが距離を取ったタイミングでゴブリンの首を刎ねた。
「もうちょっと落ち着け。あと支援魔法も使ってやれよ」
「あ、うん。そうだね…」
肩で息をしたフィルはレオの言葉に素直に頷いた。
「大丈夫だ。今のお前ならゴブリンぐらい余裕で倒せる」
「ありがとう。ねえ、レオ」
フィルはレオに背を向けたままゴブリンの死体に抽出を使って素材を回収している。
「ん?」
「今日で終わりにするから」
「お前、それって…」
レオは、フィルの発言の意図に気付く。
これまで散々フィルは色んな人から駄目だしされてきたのだ。当然分かっているだろうことはレオも察していた。
しかし、こうしてフィルが口に出したことにレオは驚いていた。
「いこう」
素材を回収し終わったフィルが洞窟の先を見据える。
あまり探索者が来ないためか、この迷宮ではゴブリンとの遭遇率がやたらと高い。
またすぐにゴブリンと遭遇することだろう。
気を引き締め直したフィル達は、五分ほど進んだところで三度ゴブリンと遭遇する。
今回はフィルも事前に支援魔法を使い、万全の態勢でゴブリンへと挑む。
これまでの集大成だとばかりに小刀を振るフィルは、本来の実力を発揮できていた。支援魔法も加わったそれはゴブリンを圧倒し、遂には小刀を喉に突き刺し絶命させるに至る。
「やった。倒せたよ、僕」
これまでの鍛錬を思い返し、込み上げてくるものがあったのかフィルの頬を涙が伝う。これで未練を断ち切り、次に進むことが出来るだろう。
「今までごめんね、レオ。僕これからは弓で戦うから」
小刀をだらりと下げて手に持つフィルはレオに向かって振り返る。そこには吹っ切れたように涙を流しながら笑顔を浮かべるフィルの顔があった。
レオはその様子に息を飲む。
フィルに辛い決断をさせてしまったことに後悔はない。人には向き不向きがあるし、フィルには刀は向かなかったのだ。
でも、共に刀を振るい、魔物を倒すことが出来たのならどれほど楽しい探索者生活だっただろうかとも思うのだ。フィルに才能を授けなかった神の不条理にレオは憤りを感じたのだった。
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