第2話 呪縛と別れ

 僕はその後も、ひたすら絵を描いた。

 中学も高校も美術部を選んだ。

 中学の時は、彼女は私立の名門校に進んだが、自分は公立のしがない中学校だった。

 それでも、彼女は僕に会いに来てくれた。僕が絵を描いている姿が好きだと言ってくれた。

 その時、彼女が進学した私立高校の名前を聞いた。

 その後は、猛勉強の日々だった。彼女の進学した私立高校は入学枠も大半が富裕層の子息のために用意されているようなものだった。その中でなんのツテも無しに入ろうとする一般枠になるには相当な学力が必要だった。

 家族を説得するのも大変だった。まだ幼かった妹の里佳子は応援してくれたが、両親はなんのためにそこへ行くのかと半ばあきれたように繰り返した。

 今思うと、両親はこの時点で奈美から遠ざけたかったのかもしれない。ひょっとすると、彼女の両親からそう仕向けるように言われていたのかもしれない。

 もっとも、それは失敗に終わった。僕は彼女と同じ高校に進学し、仮の恋人となった。


「相変わらず、絵を描くのが好きなのね」

 放課後、美術室で彼女はそう言った。

 僕は机の上の花瓶に挿された花を描いている最中だった。

「それしか取り柄が無いからね」

 僕はそっけなく言った。

 この会話は何度目だろう。だが、嫌いではない。

「ねえ、本当にいいの?」

「何が?」

 この会話も何度目だろうか。

「美大に進まなくても」

 ――できることなら、そうしたい。

 ふと、言ってみたくなった……が、無駄なことだと諦めた。

 僕は将来的には、父の仕事を手伝い、やがて継ぐつもりだった。

 そのためには工学系の大学に進む必要がある。それに美大に入っても、芸術家として売れるまで続けていけるだけの余裕があるとは思えなかった。

 会社――と言っても、所詮は小さな町工場だ。社長の息子といっても、金銭的にそれほど余裕がある訳でもない。それなのに、無理を言ってこんな私立高校に通わせてもらっているからこれ以上のわがままは言えない。

「美大に進まなくても、絵は描ける」

 でも、上手くなれる可能性があるなら賭けてみたい。

「そっか……確かにそうだよね。けど、あなたの絵には才能――なんていうか人を惹きつける力があると思うんだよね」

 彼女は少し残念そうに言った。

「奈美だけだよ。そう言ってくれるのは……」

「そんなことないよ。きっと幸也君の絵を大勢の人が見たら、分かってくれる人が居るよ」

 彼女にそう言われると少しだけ救われた気がした。

 できることなら、この時間を手放したくない。――そう思わずにはいられなかった。

「ねえ……」

 ふいに彼女が耳元に口を近付けると言った。

「私の裸、描いてくれない?」

 そう言うと彼女は悪戯っぽく笑った。

「駄目」

 僕は即座に否定した。あくまで「仮の」恋人だ。何をしても許される訳じゃない。

「え~あなただったら、全然OKなんだけどね」

「駄目なものは駄目!」

 僕は慌ててそう言った。


「いっそのこと、駆け落ちしちゃえばいいのに」

 僕の部屋で、年の離れた妹、小学四年生の里佳子はそう言った。

「全く、どこでそんな言葉覚えてくるんだ」

 僕は呆れてそう言った。

「お互いが好きなら、悪いのは邪魔する方じゃないの?」

 妹は少し頬を膨らませてそう言った。

「そんな簡単な話じゃないんだ。もしそうしたら、父さんの会社は潰れる。ウチだけが路頭に迷うならまだいいけど、社員も巻き添えになる」

 そうだ。

 父は昔から面倒見の良い人で、そのせいか行き場をなくした人をよく拾ってきて働かせている。そんな人は会社が倒産したら路頭に迷うだろう。再就職先なんて簡単に見つかるとは思えない。

「でもさあ、お兄ちゃん、いいの? ずっとそんなに我慢しっぱなしで」

 妹は自分のことのように不満げだ。

「…………それで誰にも迷惑を掛けないなら。自分のために誰かが不幸になっていいなんてのは、傲慢だよ」

 本当にそうだろうか。自分の言っていることに自信が持てなかった。

 確かに、自分が身分をわきまえていれば、父の会社と奈美の家は丸く収まるのかもしれない。だが、奈美本人は? 本当にそれを望む?

 何度も自問した問い。いつも諦めた答えになる。

「ふ~ん、傲慢ねえ……奈美さんなら、お兄ちゃんと結婚してもいいのに」

 妹は釈然としない様子だった。


 その後、彼女が卒業して仮の恋人は解消となった。

 卒業式の日は、彼女の周りに護衛のように彼女の両親たちが居て、声を掛けるどころか近付くことさえままならなかった。

「お世話になりました。これ以上、関わらないでください」

 僕の所に彼女の母親だけがやってくると、淡々とそう言った。それで終わりだった。あまりにもあっけない、味気ない終わり。

 もしこれが映画なら、こんなつまらない別れ方はないと大不評だっただろう。

 とにかく、それで彼女との関係は途絶えてしまった。一切の連絡はなく、こちらからも取ろうとはしなかった。

 僕は大学受験に向け勉学に励み、無事志望校に合格した。

 大学ではそれなりの成績を収め、卒業すると父の会社に入り基礎から学んだ。

 ここまでは、順調だった……ように思えた。

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