△▼△▼公然秘密の彼女△▼△▼
異端者
第1話 関係と出会い
「お弁当作ってきたから、一緒に食べよ」
彼女はそう言うと、僕、山村幸也を連れて高校の屋上に向かった。
彼女の名は川瀬奈美。黒髪ロングの整った顔立ちの少女だ。学年は僕より一つ上で三年になる。
春の温かい日差しの中で屋上の空いたベンチに二人で腰かけると、僕は手渡された弁当を食べ始めた。
「卵焼き、美味しいですね」
僕がそう言うと、彼女は少し不満げに答える。
「もう……二人の時は敬語を使わないって約束でしょ?」
「ああ、そうだったね……ゴメンゴメン……」
傍から見れば、これは恋人同士の微笑ましい会話に見えるのだろう。
しかし、僕と彼女は恋人ではない……というか、あってはならない。
それは彼女の家の事情からだった。
彼女の家は明治時代……いや、厳密にはもっと前から続く旧家で、日本有数の企業のトップを務める資産家でもある。
そんな彼女には、昔からのしきたりに従って
しかし、わずかばかりの「温情」で、高校生までは好きにしてもいいと両親からは言い渡されている。つまり形上は恋愛してもいい。もっともあくまでそれは「仮」の相手であり、恋人だと公言することや必要以上の親密な関係になってはならない。
要するに、彼女と僕が恋人であることは公然の秘密であり、皆が知っているが見て見ぬふりをしなければならない――なんとも複雑な関係という訳だ。
ちなみに僕が許されたのは、彼女と幼馴染なことに加えて、父が彼女の会社の下請け会社の社長であることが大きい。もし僕が間違いを犯せば、父の会社やその従業員たちが被害を被ることになる――人質という訳だ。
「あと、一年だね」
彼女はそう言った。
それは小さな声だったが、僕には十分だった。
「まだ、一年あるよ」
僕は励ますように言ったが、それは自分に向けて言った言葉でもあった。
あと一年足らずで、モラトリアムは終わる――全部過去になる。
彼女と行った、公園、遊園地、水族館――それらも全部過去になって、いつの間にやら忘れ去られてしまう。
「怖い?」
僕は聞いた。弁当箱はいつの間にか空だった。
「怖い――というより悲しい。なんだかあなたまで消えてしまいそうで。会えなくなるだけで、消える訳じゃないのにね」
彼女は寂しそうに笑った。春の風が彼女の髪をかすかに揺らす。
彼女の弁当箱にはまだまだ残っていた。
「許婚の人、悪くは無いんだろ?」
彼女の許婚は、写真で見たこともあったし、どんな人物なのか聞いたこともあった。僕より背が高く、目鼻立ちはくっきりとしており、街中ですれ違ったら男でも振り返って確認してしまいそうな美形だ。
頭脳も優秀で、確か今は有名大学の学生で、その中でも格別だとか。運動もスポーツの類は一通りこなせるらしい。性格も穏やかで、彼女には優しい。
「ええ、悪い人では無いの。……でも、好きにはなれない」
僕は少し驚いた顔で彼女を見た。
今までも不満を口にすることはあったが、それは遠回しにだった。
そんな彼女がはっきり言ったことで、残された時間が少ないことを嫌でも意識されられた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「いけない! 急がなくちゃ!」
そう言った彼女は、どこかわざとらしく見えた。
彼女との出会いは、彼女の家の主催するパーティーだった。両親と、まだ幼かった僕はそれに参加したのだ。何のパーティーだったかは忘れてしまったが、開催されたホテルの豪奢な造りに圧倒されたことは覚えている。
その上、家では到底食べられないご馳走に夢中になって貪っていたが、ふとあることに気付いた。ベランダへの扉が開いていた。
僕がそれに気付いてベランダに出ると、そこに幼い奈美が居た。
彼女はベランダの手摺りにもたれかかって、退屈そうにしていた。
「どうしたの?」
僕は声を掛けた。
「だって……退屈なんだもん」
「退屈? どうして?」
当時の僕には、彼女がこんな場所に飽き飽きしていることなんて分からなかった。
「パーティーって、いつも同じことしてる。それで喜んでる大人たちが、馬鹿みたい」
「同じ? そうなのかな……」
僕にとっては凄いことだが、彼女にとってはそうでもないらしい――なんとなくそう分かった。
「あ~あ、TV見たかったなあ……」
その後、彼女は今の時間帯放送しているアニメのタイトルを言った。
そういえば、パーティーに参加していなければ僕もそれを見ていたはずだった。
僕はふと思い出すと、会場にあった紙ナプキンを取ってくると、偶然ポケットに入れたままだったペンで描きだした。
「何してるの?」
彼女は不思議そうに僕を見ていた。
描きあがったそれはそのアニメのキャラだった。
「すごい! すごい!」
今にして思えば、本当に拙い絵だったが彼女は褒めてくれた。
「あげる」
僕はそれを彼女に差し出した。
その後会ったのは、彼女が家にやって来たからだった。
本当に短い出会い、名前すら名乗った覚えがなかったのに、彼女の家の力にかかれば特定することは訳ないようだった。
ここから、彼女と僕の付き合いは始まった。
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