第6話 今更のあせり
一気に重い話になった。
もどれない? ずっとTSのままだって?
ぼくはチャットをやめて、〈自分〉に電話をかける。
「…………ショックだった?」
「いや、まあ」
「ごめんね。勇気をこわがらせるつもりはなかったの」
さらっと呼び捨てにされた。
てか、もう他人行儀でやってる場合じゃない。
「遊希。そりゃ、こわいだろ。自分が自分にもどれないなんて言われたら……」
「ううん、そうじゃないの。厳密には『もどりかけてる』が正解」
「えっ?」
「むかし、幼なじみの
指摘されて、その光景を思い出す。
幼稚園のかけっこ大会。一着の可奈の背中の服をひっぱって、こけさせてしまった。そのあとに、視界いっぱいの〈グー〉をみて、鼻がつーんとなって、大泣きしたんだ。
「……それ、あいつから聞いた?」
「……って思うでしょ?」
奇妙な
部屋も家の中も静かで、物音ひとつない。
「あるとき、そのシーンがぱーーーって急に私の頭の中にみえたの」
「あいつに泣かされた思い出が?」
「そう」
そこからは、遊希がほとんど一人でしゃべった。
ぼくも時間を忘れて聞き入ってしまい、気がつけば日付がかわっていた。
(無理! 多すぎて処理できないって!)
きけば、もともと〈ぼく〉の体にある記憶――脳みその中の――が、いれかわって入った〈神戸遊希〉の意識に上書きされて、今後、それがもっと増えていくんじゃないか、
そして、
ゆくゆく〈ぼく〉の記憶と総とっかえされるんじゃないか、と。
彼女はその現象を〈
なにかそっちも思い当たることはない? ときかれ、ぼくはだまってスルーしてしまったが、
(カラオケのときだ……。指が勝手にあの演歌をえらんだヤツ)
あーっ!
くっそーっ!
こんなんじゃないぞ、ぼくの思っていた〈女性化〉っていうのは。
ちょっとエッチな思いができて、非日常感があって……
とにかく、もっとハッピーなものなんだよっ!
「クマすご」
サッチがぼくの目元を指さす。
「おまえ大丈夫か~? あんま寝れてないっぽいけど」
「サッチ」
朝イチ、ぼくと通学の時間帯を合わせてくれてるのか毎日タイミングよく合流するサッチに、思い切って盛大なネタバレをこころみる。
「私……いや、ぼくは、ほんとは私じゃないんだ」
「おかしなこと言ってる」
「ほんとは男なんだ!」サッチの両方の二の腕を、左右から両手でつかむ。「男! 男!」
「そうだね。ずっと言ってるもんね」
「へっ⁉」
「ユウちゃんはずーっと『男になりたい』ってさ。もー、耳タコやでー」
あはは、とサッチが笑った。ちゅう、とタコみたく口をつき出したりして。
ここだけ切り取ったら、女の子同士の平和な日常だ。
でもきいてくれ。ぼくは女の子じゃないんだ。
(ガチで)
授業中。
考える。
このヘビーな状況に、どう対応するか――
1.なにもしない
2.事実を受け入れて〈女〉になる努力をする
3.徹底的にあらがう
やはり3しか、ない、な。
3……ぼくは阿辺勇気……なんだから……
(どこだここ?)
まわり一面、背の高い竹がたくさん。竹林? うすく霧も出ている。
足元に水たまりがあって、その水面をのぞきこんでるような姿勢。
(泣いてる?)
目からぽろぽろ涙が落ちてる。
(これは……ちっちゃいころの遊希か?)
このクールな目元はまちがいない。でも今よりも目の形が丸くて、ほっぺもふっくらしてる。
幼稚園児ぐらいか?
なにか言ってる。
いやっ
いいなずけなんか
いらない
がたっ!!!!
と、自分の体が大きく動いた。あれだ。居眠りしたときにビクッってなるあれ。
教師がめっちゃこっちをニラんでる。
あー……、いつのまにか落ちちゃってたかー。
睡眠不足だったからな……。
まわりのクラスメイトにはしっかり見られたはずだけど、失笑すら起きない。
(このハブも地味にしんど……)
やはりぼくはぼくにもどらないと。
放課後になった。
「ふらっと入った教室にぃ~~~、美少女発見っ!!!」
「メガヨ」
ほっぺすりすりをやめて、ぼくから顔をはなす。「うわテンションひくっ。まさか、クラスの連中になんかされた? だったら」ばっ、と360度見回して「タダじゃおかないし」
反論するつもりなのか、窓際でたむろしていたグループから一人、こっちにやってくる。
「そっちこそインネンつけんなアマルメ。ちょっと人気あるからって調子のってんじゃねぇぞ」
片手を腰にあてて胸――ひかえめなサイズの――をはって言った、クラスのリーダー格。
バリバリの陽キャでギャルっぽくて、ぼくはこの人が苦手だ。休み時間、ときどき目が合うこともある。よっぽど〈遊希〉のことがきらいみたいだ。
「あーはいはい。いこ遊希」
「う、うん……」
スクバをもって教室を出たが、まっすぐ帰宅したい気分ではない。
モヤモヤするんだ。
なにをやればいいのか、それすらわからなくて。
(フルートの練習でもするか? ……いやいや、部活ぐらいやめればいいだけだろ)
とりあえず情報を集めるか。
「あのさ、私に〈いいなずけ〉がいる話って、したっけ?」
食堂の外のテラス席に三人ですわって、少しおしゃべりしたあとで「そういえば」みたいな雰囲気で切り出した。
「……」
「……」
だまった!
どっちも明るい性格なのに、秒で沈黙。
そのまま動かずに待っていると、やっと応答してくれた。
「め、めずらしいね、ユウちゃんからその話するなんて……」
「…………いーやワクぼう。ちがう。いままでハレモノにさわるみたいにこの話題を避けてきた、私たちがいけなかったんだ」
メガヨがマジな目でぼくをみる。
「もうそういう時代じゃないよ。親の決めた相手なんて、おことわりしちゃえって。ねっ?」
ことわる――ってことは、いいなずけがいるのは確定なのか。
じゃあ教室でみた夢も、おそらく遊希のむかしの思い出だ。
(まいったな……)
サッチたちとわかれ、家までの道を一人で歩いているとき、
すーっと音もなく高そうな車が横にならんだ。
左ハンドルで、左側の窓が下がる。
「こんにちは!」
さわやかな声と真っ白な歯。
若い男だ。
けっこうイケメン。
びしっとしたスーツ姿で、髪は茶色い。
「学校の帰りですか」
「は、はあ……」
「あれ? 遊希さん? なんだか元気ないですね」
知ってる人か?
まずいな。こっちは彼の名前も知らないのに。
「えっと、どちらさま……」
「そりゃ元気もなくなるか」
皮肉っぽい笑みを口元に浮かべる。
目鼻のととのった顔が、急にゆがんだ気がした。
「高校を卒業したら、あなたは、おれの
びーっと窓が上がる。
そのまま前進していき、視界から消える車。
立ちつくす、ぼく。
たしかにあの男は「性奴隷」と口にしていた。
なにかのいいまちがいではなく、ききまちがいでもない。
あんな単語、二次のエロの世界でしか出てこないぞ。
リアルでつかってる人間がいたとは。
(……)
背中を冷たい汗が、ゆっくり流れた。
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