第29話 皿高く馬肥ゆる冬
「こんなもの!」
秋桜さんが、お皿を力なく空へ向けて投げた。青い青い空に木がクルクルと回って、円盤状になった。空を駆ける生き物のようだと思いながら、俺は行く末を目で追う。初速のまま放物線を描いて落ちて行くように感じた。物理的にはおかしな話だが。着地地点は、投げた所とさして変わらない。寧ろ、俺の傍に落ちた。
「ボクがパンとお皿を拾うから、いいよ」
とても残念な気持ちになりながら、お皿を先に、次にパンを手に取った。花園のドラゴンに捧げる分と俺のパンとお皿を持っている上に、秋桜さんが投げた分も肘で上手く抱え込んだ。これではウエイターだな。個人的にはウエイトレスさんが好きだが。
「お! どうしたの。秋桜さん?」
秋桜さんが、急に踵を返した。本当に去る気なんだな。引き留めたいが、厳しくしたら駄目だろうか。
「頑固は捨てた方がいい。皆だって、揃って食べることを望んでいる筈だ」
「よそ者の大神直人さまには、誰の気持ちも分からないわよ」
ここは、話し合いで、和解へと持って行こう。怒り出したら、分からない。癇癪持ちだったりするのかも知れない。魔女がいるとかの話があったな。
「まさか……。魔女がいる?」
「ニャー! 静かに、静かにするニャン。皆聞こえていないニャリヨ」
俺の失言は、ニャートリーの声で掻き消えた。まだ、嘴をパクパクしている。よだれが出ちゃうよ。
「あははは」
さっきまで、秋桜さんの愚行で疲れていたから、ちょっと気が晴れたかな。いい相棒だ。
「助かったよ……。愚かでごめん」
「ニャッハハ。なーんもないニャン。ニャッハハハ」
頼れる猫鶏だな。ちなみに、自分の分は、背中の羽と羽の間に乗せているようだ。よく、パンが落ちないね。やはり、花園の守り神は違うね。
「分かったわ。花園のドラゴンには関心があるの。巣まで行ってもいいけれども、毒が入っているかも知れないものなんか、食べないわよ。だって、秋も暮れた頃に生まれたばかりよ。儚い命でしょう」
秋桜さんは、皿を飛ばして行った天を高く仰いだ。ここで、【八栞】を出されたら、気不味い。大人しくしていてくれ。
「直ぐに消えてしまうのよ。また、いつ人間が来て召喚してくれるかなんて、天文学的数値よ」
「天文学的か――。ん? 輪廻転生を繰り返しているのかな?」
皆を花から咲かせて召喚したとき、お互いを知っているようだった。少なくとも、一回は出会ったことがあるのだろう。
「あれ? ボクは、元いた世界での自身にまつわる記憶が十分にある。他の皆は、自己紹介情報位はあった」
どうしたのだろうか。消えない記憶と消えてしまう記憶。きっと、元の高校にいた友達などは覚えていないだろうな。訊いたら、泣いてしまうかも知れない。そこは、デリケートに行かないと。
「風船がパンと割れるように、心に空洞があるのではないかな」
「独り言が多いニャ」
俺は、心の声をつい口にしてしまう癖があるらしいな。黙々と考えごとをするに限る。話すときは、話す。考えるときは、考える。
「そうだ。一つ疑問なんだけれども、花園のドラゴンが暮らす巣って、どこだか分かるの?」
「ニャン! 任せるニャリヨ」
ニャートリーがひゅんと飛んで行った。
「こっちニャン。大神直人さん、こっちニャンヨー」
これって、渚で追い駆けっこみたいな可愛いピンクのふわもこじゃないか。
「待ってー」
きゃっきゃしてみた。でも男がやると、柄じゃないな。普通にしよう。
「おーい。そんなにはしゃぐと、パンが落ちるぞ。持ってあげようか?」
「自分のものを自分で運ぶのが、花園の守り神が示す規範だニャン」
殊勝だな。いいことだ。
「誰かに聞かせてあげたいね」
俺は軽い気持ちで口にしてしまった。
「アッハハハ。それって秋桜のことだよな。オレでも分かるよ」
「菊子さん。ボクは嫌味のつもりではないよ」
しまった。誤解されたな。追い駆けっこはやめて、菊子さんの前で体を止める。
「大神くん。聞こえる声で言いたい放題のことを私は
「櫻女さん。辛いことでもあったの? 悪く日向口を叩かれていたの? 聞こえる所から」
意外な告白に、ドキッとした。愚かな連中は、いい学校へ行けば減って来る。だが、皆無ではない。慰めにならないから、黙っていようか。
「我慢しないと……。桜の女神なのだから、もっと気丈に行かないと駄目です。クラス委員としても」
「程々にしないと、胸が潰れてしまうからね」
俺がとりなしたときだ。嘲笑が聞こえた。
「ゲラゲラ。アハハハ……」
「菊子さん。笑わないでください」
櫻女さんの言う通りだ。恨みもないなら、よしてやって欲しい。
◇◇◇
花園の花も見えなくなり、下草に、そして、土が裸になって来た。
「おい、ニャートリー先生。こっちへ行くと、古代遺跡の方だぞ」
「そうニャン。大きな階段状の構造物を見上げるといいニャ」
俺は、パンを落とすかと思った。大体、元の世界で一戸建ての自宅から、斜め前に建った商業施設入り住宅を仰ぐようだ。首は痛くないが、視線が釘付けになる。
「ドラゴンが帰って行く巣がある! オーロラ色に彩られた中に花園のドラゴンが巨体を揺らしている。マヤ文明のチチェン・イッツァのエル・カスティーヨによく似た遺跡の真上にだと――!」
腰を抜かす程驚くとは、このことか。口をあんぐりと開けてしまった。そうだった。あの辺りは、中からオーロラがあった天井だ。深い訳があるに違いない。そもそも、どうして巣を訪ねたんだったかも思い出した。
「ボクは、会いたいんだ! 花園のドラゴンに!」
そのとき、ドドドンと音が轟いた。
「呼び寄せたか? 我を呼び寄せたのは、主か?」
流石に迫力がある。花園のドラゴンは、オーロラの巣の中から、シルエットだけを俺達の上に落とした。JK女神達は足がすくんでしまっている。俺はおののいてもいられない。
「――あ。そうだ。ボクは、花園のドラゴンに楽しい時間を過ごして貰おうと思っていたんだ」
「ほう。楽しい時間か」
パンを二つは大地に置き、一つを上に掲げる。
「ボクが三つ持っている内の一つが、花園のドラゴンの分なんだ。JK女神もニャートリー先生もいる。皆で食べないかい?」
ドオオンと存在感を出した所で、大きな口から低い声を出した。
「それは、食べ物かいの」
「うん。パンって食べ物だよ」
皆して、静まってしまった。どうしてだ。怖いのかな。
「ここに、我の子がおる。お腹を空かせているので、美味しいものを探しておった」
「子ども? じゃあ、ボクの分も上げるから、親子でいただいてよ」
地面に置いて失礼だったかと思ったが、お皿を掴んで、二つ掲げた。
「礼をしたいが、我は微力でな。フォフォフォ……」
「気にしないで。お腹が空いているのなら、丁度よかった」
ドフウウン! 鼻息がオーロラの巣の方から届いた。意外や意外、吹き飛ばされはしなかった。
「お主、本当に大切な記憶がないのではないか?」
パン二つを持って、シルエットがオーロラの巣に消えて行く。
「記憶とは?」
ドドドン! ドドドドン! 古代遺跡の上で躯体を唸らせている。
「我に乗って来たであろう。我の化身でもある子、白き羽馬に」
「羽馬だって……?」
羽なら、ニャートリーにもあるな。花園のドラゴンには立派な翼がある。
「白い――」
ドラゴンは、赤かったり青かったりしていて、忙しい。オーロラに隠れているのだから、よけいに、分からない。ともかく、白ではない。だから、白い羽とは、俺の記憶の奥深い所をくすぐられた。
「ペガサスか!」
拳で掌を叩いた。ひらめいてしまえば、早い。
「思い出した。ボクは、大学も夏休みに入り、自室で体感型ファンタジーゲーム、『勇者はペガサスを駆り迷宮に巣食うオーロラ魔女のサバトを阻止す』、略して『ペガサバ』に夢中だった。そのとき、ペガサスから落馬してしまう。これも演出かと思ったが、山の頂に落ちると、体中に軋みを覚えた。そこで、現実味を帯びて花園の世界を受け入れ出したんだ――」
ゲームにすれば、タイトル画面に戻ったようなものだ。
「しかし、どうして、ドラゴンがペガサスの話をしている?」
混乱したままでは、いけない。どうにかするんだ。
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