第15話 お茶っこ牛っこ栗っこ

「百合の女神、百合愛が命ずる。百合の真なる力を開放せし。隣人の頬を染めしその花芯、そも、隣人に我が身を預けさせよ……」


 百合愛さんは、体を大きく仰け反らせ、顔で交差させた腕を上から回して真横へ開いて行く。透けるような肌が細い腕から覗くさまは、蕾の開花だ。制服が包む白い肢体が、なまめかしく、艶っぽく、白百合を彷彿とさせた。百合愛さんは、菊子さんと比べると小柄だが、百合の花らしい迫力のある大きさを感じさせる。


「純情なる心を開け、我に秘めたる【猛愛】の囁き、目覚めよ――! 我が祈りよ、愛を育み給え!」


 左手の小指だけに塗ったマニュキュアから、リボン状に愛のピンクオーラが発せられ、末端からはハート型になって流れて行った。それらが、つーんとした神聖なサンクチュアリを作り上げた。チュンとも啼かないこの楽園で、愛し合う小鳥のシルエットが群れている。


「これが……。【猛愛】なのか」

「さて、これから面白くなるリンリン。多分、『乳大臣』のお仕事も果たせた筈じゃーん」


 俺は、素敵な王子様のお目覚めに、お紅茶でもお仕度している執事の気分になって来た。


「菊子王子様、ワタクシは、誰かを愛したい好奇心に駆られました」


 自分でも分からなかった新たな感情に目覚め、菊子さんの手を取ろうとした。


「直きゅん、許さない!」


 間に百合愛さんが入って来た。


「どうした。よしよし、百合愛。オレが愛しているのは、誰だけか知っているだろう?」

「もう! もう、もう、もう、もう。分かっていても妬けるときがあるリン」


 イチャつきに、自分も毬藻になり、わちゃわちゃしていた。


「ワタクシの気持ちはどうなるのでしょうか。ただ、お手を取りたいと思うのが、王子様への原罪に当たるとのご指摘があれば、身を引いてもいいと。そのような所存ですが……」

「大神直人さん、【猛愛】に引き込まれているニャリ」


 自分は、まるで夢の中にいるようにふわふわしている。


「ワタクシがですと? ああ、菊子王子様にお紅茶を頼まれていたのでした」

「ニャンと、お茶?」

「執事として、丁寧にご説明しなければなりません」


 すっかり、ふわふわした雲の上で夢を追っている。


「後発酵茶のプーアル茶、発酵茶の紅茶、半発酵茶のウーロン茶、不発酵茶の緑茶が挙げられますが、どれも同じ葉からできております。紅茶も緑茶もツバキ科のカメリア・シネンシスです。ニャートリー先生なら、ご存知だと思いますが、花園にございますか?」


 自分が段々薄れて行った。


「椿ニャ。それなら、元気にしているニャリヨ」

「では、お紅茶を分けて貰いに参りましょう。菊子王子様も喜ばれます」


 執事としての仕事をしようとしていた。だが、事態はまた毬藻のようになる。

 どんどど……。


「どうしたことでしょう? いいときに大地の揺れを感じました」

「目覚めるといいニャー」


 どっかどかどか……。


「執事でも構わないニャリ! 逃げるニャン」

「菊子王子様、某か近付いてくる音が聞こえませんか?」

「無視するニャ。助けるから、しっかりするニャリヨ」


 夢の中でもはっきりっしている。ピンクのふわもこが飛んで行った。


「花園の守り神より、大神直人を空に掴ませる命を下す。我が力、【ドラゴン飛翔】に従い給え――!」


 不意にこの身が空に浮いた。


「うおっ。空を飛んでいるのか?」


 見下ろすと、JK女神が散らばっていた。とうとう天に召されたか。


「しっかりするニャ。浮かせているだけニャン」

「ニャートリー先生……。ボクは一体どうにかしていた?」

「気に病むことはないニャー」


 どおどど……。


「オレにも大きな群れの予感がする」

「思いっ切り聞こえるじゃん。菊きゅん」

「百合愛、オレと逃避行しよう。さらばだ、執事。さらばだ、大神殿」


 ひゅーっと口笛を吹く百合愛さんに、俺は驚いた。だが、菊子さんが、恋人の手を引いて登り坂の方へ逃げて行くので、大丈夫だろうと思った。しかし、百合愛さんは、群れに信号らしきものを送ろうとしていた。


「猛獣だといけないよ――。ボクは空から心配している」

「直きゅん。大丈夫リンリン」


 どかか、どかかっかか……。


「来たー! 来た。来た。百合愛さん。もう直ぐ猛獣の波に揉まれるから、高い木に登るんだ!」

「やだ! ミニスカ十五センチだもん。今日のピンクのショーツは校則違反なの」


 ちょっとだけ見たい。


「だめだっ。もう」


 俺は、頭を振る。だが、現実から逃れられないと顔を上げた。あれは、ホルスタインそっくりだったり、黒毛和牛そっくりだったりしていないだろうか。要するに、お乳とお肉だ。急にうきうきしちゃうな。


「百合愛さん。ボクは空にいてショーツが見えないから、この木に登ろう。それで、やり過ごすんだ」

「さらば、【ドラゴン飛翔】――。ポチッとニャン」


 凄い速さで落ちた。


「エッチ!」


 バチン!

 

「凄いエッチにバチンだ」


 ピンクだって明け透けに話してしまっているのに、乙女度は下がらないのだな。


「いいから、上がれ!」


 俺が先に木に登って、下へと腕を伸ばした。所が、俺が上でも嫌だと、百合愛さんは首を横に振る。


「直きゅん。任せて!」


 百合愛さんは、深呼吸をした。


「我に秘めたる【猛愛】の囁きよ! 牝牛似及び牡牛似に告ぐ。さあ、集い給え――!」


 百合愛の両の手を胸の前に伸ばし、交差させる。


「はあ――!」


 とある木の下に、牛に似たブンモモモ鼻息を荒くしている奴らがぎゅうづめになった。


「いい子。いい子じゃん」


 百合愛さんは、ウインクしながら頭を撫でて愛でている。


「大人しくていい子達だから降りておいでよ。直きゅん。そっちの木の上にいる菊きゅんも一緒なのよ、リンリン」

「ありがとう。百合愛さん」

「百合愛。無事かい」


 チョキを二つ出してポーズを取る百合愛さんは、本当にJK女神だと思うよ。


「OK。OKじゃんの二人分!」

「これは、『アグリカルチャー・アカデミー・生産加工編』によれば、ブンモモモさんらしいな」


 そのまま、百合愛さんは、一頭一頭に名前を付けているようだった。花子一号はなこいちごうとか花子二号はなこにごうだ。

 あずま大学の友人レイは畜産を学んでいたが、仔牛には、花子はなこと命名するらしい。


「おー! 花子!」


 ブンモモモさん達が一斉にこちらを振り向いた。百合愛さんの名付けは成功しているな。


「うーん、そうだな。畑を荒らされては困るから、ブンモモモさん達を囲う場所を作るか」

「この子達には、【猛愛】で命名をしたから、ここにいてくれるリンリン」


 さっきの反応でも分かるように、ブンモモモさん達を花子さんと呼ぶだけで、この辺りにいてくれるのか。それだと、俺が働かざる者食うべからずにならないだろうか。


「百合愛さんは、『乳大臣』、大丈夫そう? 無理だったら教えて欲しい」

「お手伝いなら、菊きゅんに頼むリン」


 俺は、そろりそろりと降りて行った。


「この木に気を付けて欲しいリン」

「いがに包まれた栗がチクチクするからニャー」


 これはまた、奇遇だな。

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