第6話 猫鶏の卵と井戸の蔦

「う、うううう。産まれそうニャーン。大神直人さん、助けて欲しいニャンニャン」


 滝のように涙を零している。


「また、海亀化! 泣き過ぎだろうよ。痛いからだよな。俺、いや、ボクも妹に優花って可愛いのがいるんだけどさ――」

「けどニャ?」

「母さんも産むとき大変だったから、感謝しかないよね」


 うん、よくできた妹だ。管弦楽が大好きで、朝練があるから、おにぎりを齧りつつ、バス停まで走って行く始末だけれども。天然さが堪らないね。


「優花は嫁にやらないと、兄は決めている。父さんと結託しよう」


 拳を作って、腰にグッと引いた。ギャルゲーでも、妹は落とせないのがセオリーだったりするしな。


「話がスキップしていますニャリヨ」


 俺は、飛躍していたようだ。気を付けよう。では、話を戻して。


「だから、安産に協力するって! 仔猫でも産まれそうだからな」

「あう、あう。ニャーン。この姿の後継者が産まれるとは、霊峰の神からも伝え聞いていないニャ」


 霊峰の神とは、ニャートリーよりも大きな存在なのか。


「先ず、その様子からだと、花園に戻るのは辛そうだな。抱っこして連れて行こうか」

「直ぐにでも産まれそうニャリヨ」


 俺が、涙に弱いから、ウミガメが気になるのかも知れない。


「海亀化チョーップをしたい所だけど、可哀想だから、いいよ。こっちにおいで」


 本当に、猫扱いして、俺って悪よのう。


「よっこいせーの。お手」


 ニャートリーの翼と鳥の足、どっちが手かって、背中から生えている方だよな。


「これは、足でしょう」

「このポーズはキツイニャハハ」


 後ろから産むから、苦しいだろう。可哀想に。


「いい子だ。俺から出迎えて抱えるよ。落ち着いて。さあ、啼かないで」


 俺は、両腕を差し出した。


「い、今だけ、ニャートリー先生の敬称がなくたっていいかなと思ったりしなかったりするんだニャハ」

「おい、ゆでダコ! 赤すぎるぞ。熱はお産に悪いんじゃないか?」


 ぽんっと可愛らしく抱っこできた。慎重に立ち上がる。


「可愛い子どもが見たいね」


 猫鶏の子は、猫鶏なのだろうか。


「ボクは先生を抱いて後からゆっくり行くよ。櫻女さんと菜七さんは、先に調理器具持って畑に戻っていてくれないか」

「分かりました」

「大神さん、気を付けて来て欲しいと思うの」


 勿論、気を付けるとの意味で、首肯した。


 ◇◇◇


「ニャーニャートリー。ニャーニャートリー。ニャートリー先生は、実は猫」


 道々、よく分からない歌詞で俺の心は弾んでいた。


「恥ずかしいニャリ」

「ニャートリー先生も花園の守り神とはいえ、どこからか産まれ出た存在なのだろうな。だからこそ、生きている理由がある」


 偶に分からない理論をブツブツ口にする癖があるんだよな。


「どういう方面の話をしたいニャリか? マイマイネを調べて、スローライフを豊かにするのではなかったかニャ」

「そうだった。スマートフォンもないから、先に煮ていてくれとも連絡が付けられないな」


 俺は慎重に歩いて来た筈だったが、どうしたことか地面に罠でもあったのだろうか。転がった。


「大丈夫か! ニャートリー先生」

「う、ニャ……」


 咄嗟に抱きかかえたまま回転し、横になる体勢でニャートリーを確かめた。


「ニャートリー先生は、お喋り好きなのに、寡黙になるなよ。心配するだろう。具合はどうだ?」

「相変わらずニャ。うう……」

「それにしても、やわらかいなあ、本当にふわもこなんだ」


 一瞬、猫鶏を抱き締めようとしたが、苦しがるといけない。それに、花園の守り神といえども、恥ずかしい。


「ややや、すまない。ボクの気の迷いだから」


 ギャルゲーのいい感じな所みたいになってないで、俺ったらさ。ゲームでは伸びない鼻の下が伸びるものだね。そもそも、転んでこうなったんだ。


「イチゴみたいな匍匐枝ほふくしに、足が引っ掛かったのか?」


 そして、掛かった枝の来た先を目で辿ると、四メートル先に井戸らしきものがあった。


「日本の石でできた釣瓶つるべ落としのあるものだ。マヤ文明からは程遠いものを感じる。真実のチチェン・イッツァのエル・カスティーヨがあるとすれば、関連の遺跡が近くにあってもいい筈だ」


 井戸には、謎の蔦が長く長く這いつくばっている。


「待てよ。石の繋がりがあるな。それに、井戸だ。井戸は水を汲む。水は農業の基本。水がなければ生き物は育たない……。確か、マヤ文明は水源が独特だった筈。だから、蔦がある理由は、水のありかを示すと考えていいのか?」


 独りブツブツと考えながら、そろそろ起きようと気を配った所だった。


「大神直人さん、助けて欲しいニャンニャン。ああ、お腹が! も、もう、好きにしていいニャ。今にも、う、うま、産まれ――」

「猫の赤ちゃんが産まれそうなのかな」


 冗句でも考えていた頃、俺の左腕を枕にして、腹這いのまま静かにニャートリーが沈んで行った。


「体が……」


 背筋がゾクゾクとし、嫌な予感だけが俺を支配する。


「重くなったじゃないか――!」


 ピンクのふわもこが硬直し出した。目を瞑り、そのまま静かになる。


「やめてくれよ! おい!」


 揺さ振っていいのか分からなかったが、いなくなるよりましだ。


「ピンクのふわもこが、とってもとても、やわらかかったのに」


 海亀化と揶揄して悪かったな。


「抱くのが遅くなって、ごめんよ……」


 俺の手は、震えていた。右手でそっと撫でる。毛艶が悪くなって行くのが分かった。優しくニャートリーを包み込むと、俺自身の瞳に潤むものを感じる。


「ほら、見ろよ。俺が海亀化して、おかしいだろう?」

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