第30話 骸魔王ディスロスを、揉む! 因縁の決着!

 滅亡が始まった。


 天が哭く。

 地が叫ぶ。


 空は果てなく荒れ狂い、地面は震え砕かれ形を変えていく。

 それは悲鳴だ。世界があげる悲痛な嘆きだ。

 俺がこの場に立っているだけで、世界は自動的に滅びていく。


「どうした、ディスロス。何を突っ立ってる。おまえが望んだ戦いだろ」


 降り注ぐ百の雷光を背に、俺はディスロスに告げた。

 だが、魔王に動きはなかった。その右手から、吊り上げていたプロミナが落ちる。


「ぐ、ぁ、こ、こんなことが……!」

「早くかかってこいよ。さっさと終わらせたいんだよ、俺は」


 これ見よがしにため息をついてやると、ようやくディスロスが反応を見せた。


「ぬ、ぐ、ぉ……、王たる我を愚弄するなァ!」


 ディスロスが手をかざし、俺に魔法を撃ち放とうとする。

 だが撃ち放とうとするだけで、開かれた手のひらから魔力が発されることはなかった。


「……な、何?」


 誰よりも、ディスロス本人がそれに驚きを見せる。


「くっ!」


 もう一度魔法を発動させようとするも、魔力は収束すらせず、またも不発。


「何故だ……」


 ディスロスは愕然となる。


「コージン・キサラギ……、貴様、何をしたァ!」

「いや、何も」


 身をわななかせて怒鳴るディスロスに、俺は肩をすくめてみせた。


「俺は何もしてねぇよ。おまえが魔法を使わなかっただけさ」


 親切にも、俺はそう説明をしてやる。

 俺は本当に何もしちゃいない。

 ディスロスが魔法を撃たなかったから撃てなかった。ただそれだけのことだ。


「バカな、何だそれは。あり得ん。あり得てたまるか。それではまるで……」


 グググと拳を握り締め、ディスロスが叫ぶ。


「まるで、我が貴様に怖気づいたかのようではないかッ!」

「実際、そうなんじゃねぇのか?」


「ふざけるな! 愚弄するなと言ったぞ、コージン・キサラギ! 我は骸魔王ディスロス。『骸』の号を冠せしもの。全ての死者の王。誇り高き魔族の王なるぞ!」

「そうかよ。俺はコージン・キサラギ。趣味で冒険者のトレーナーをしてる者だ」


 互いに今さら過ぎる自己紹介を終えて、俺は一歩、魔王に近づいた。


「ひっ」


 ディスロスがのどの奥から声を出して、大きく後ずさった。


「何だよ、やっぱビビってるじゃねぇか」


 俺は軽く苦笑し、言う。


「ぅうっ! ぐ、ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~……!」


 ディスロスが顔を怒りに歪ませて、地面を幾度も踏み砕く。

 だがそんなことをしたところで、俺との戦いはまだ始まってすらいないんだぜ。


「おのれ、コージン・キサラギ……。貴様など、貴様など……、貴様などォッ!」


 意を決したか、ディスロスが鉤爪を振り上げて俺へと躍りかかってくる。

 しかし、俺の間合いに入る直前、魔王の動きはピタリと止まった。


「どうした、ディスロス?」

「……ッ、ハァッ、ハッ、ハァ、ハァッ、ハ、ァ、ア……、ぁ、ぁ……」


 格好としては俺に殴りかかろうとしている状態で、ディスロスは動かない。

 ただ、その顔を汗にまみれさせて、呼吸を激しく乱しながら俺を見下ろしている。


「おまえが来ないなら、こっちから行っていいな?」


 俺は、ディスロスに見せつけるように右手を握って拳を作る。

 たったそれだけのことなのに、ディスロスが見せた反応は劇的だった。


「ひっ、ひぃ! ひぁ、っ、あああぁぁぁぁぁぁぁ!」


 『十二天魔』の一体が、『骸』の号を冠する魔王が、悲鳴と共に腰を抜かしたのだ。

 俺は無表情に拳を握ったまま、そんなディスロスへと一歩近づく。


「ちっ、近寄るな! 我に近づくな、バ、バケモノめッ!」


 オイオイ、そりゃあおまえのことだろうがよ、魔族の王サマよ。


「ディスロス」


 尻もちをついたまま固まっている魔王に、俺は膝を曲げて目線を同じ高さにした。


「おまえ、気づいてないだろ?」

「な、ん……?」

「もう、世軋りはとっくに終わってるぜ」


 俺が言うと、ディスロスは周囲を見回した。

 青い空が広がっていた。割れた地面はそのままだが、揺れはおさまっている。

 アンデッドの群れは、俺の世軋りに巻き込まれ影も形もなくなっていた。


「やっぱり気づいてなかったな。俺が『厄除けの加護』を再度発動させたことに」

「ぅ、う、ぐ、ぅう……!」


 滝のように汗をかくディスロスへ、俺はゆっくり右手を伸ばす。


「おまえが戦わないなら、俺が付き合う必要もない。だが、せめてもの餞をくれてやる。本当はおまえなんぞ心底どうでもいいが、こいつは大出血サービスだ。――ラズロ」


 言って、俺の指先がディスロスののど元を軽く突いた。


「――ッ、ぐぅ!?」


 ディスロスが顔色を変えて、その場に這いつくばってえずき始める。


「ぐ、ぇ、ぐぉ、ぉぉ、あッ、な、何を……、ぁ、あ、ァァ、あ……ッ!」

「ディスロス、魔王だ何だと言っちゃあいるが、今の俺から見ればおまえは『疲れ』や『歪み』の足元にも及ばない、空気みたいに軽い『異物』でしかない。だから――」


 ディスロスが激しく咳き込み始める。


「うお、ぉぉ、ぉ、ぉお! お、あ、ああああああああああああああッ!」


 絶叫と共に大きくのけぞったその身から、黒い影がブワッと溢れ出る。


「この程度のことで、憑依を保っていられなくなる」


 噴き出した影は空中に寄り集まって、人の形を成した。

 一方で、魔法の憑依を脱したラズロの肉体は、元の人間のそれへと変わっていた。


「一揉み、二揉みは必要かと思ったけど、まさか老廃物以下とか誰も思わんよね。根性ねーなぁ『十二天魔』。せめて『疲れ』パイセンくらいはその体にしがみつけよ」

『ぅおぉ、おおぉ、ォ……、何だ、一体、何が起きて……』


 肉体を追い出された魔王の魂は混乱から脱し切れていないようだ。

 が、わかっているのだろうか。未だ、この場は戦場だぞ。


「混乱してる、今のうちだァ――――ッ!」


 突然の叫び声と共に、四色の光の槍が魔王の魂を次々に串刺しにしていく。


『ヌォ、グッ、オオオオオォォォォォォォォォォォォォォォッ!!?』


 光の槍に縫い留められて、魔王の魂が金切り声を響かせた。

 槍を放ったのは、魔王が肉体を失ったことで呪いから解放されたルクリアだ。


「リリーチェ様、プロミナちゃん、早く! 長くはもたないわよ!」


 ルクリアが振り向いた先に、二人はいた。

 同じく呪いを脱したリリーチェは錫杖を手に魔力を高め、詠唱を続けている。

 そしてプロミナは、剣を握った右手を引き、左手を前に出して突きの構えを見せる。


「一度不覚をとった恥、ここで雪いでみせるッ!」


 高まる血気が、光の粒子となってプロミナの身から発散される。


『お、愚かな。我を滅ぼしうる人間などこの世にはいない。それすら知らぬかッ!』

「そりゃあ、千年も前の話だよ、ディスロス」


 力も、認識も、何もかもが千年前のままだから、おまえは滅びるんだよ。

 そう思っていても、言う気はない。言ったところで、理解もできないだろうしな。


「プロミナ様、参ります!」

「はいよー、やって、リリーチェちゃん!」


 そして、リリーチェの生命強化バフが発動し、プロミナの血気が一気に増大する。

 生み出された力は全て剣に注がれて、切っ先がカタカタ震えだすほどだ。

 溢れる光も激しさを増し、傍目に見ればそれは金色の火柱のようにも映った。


『ぉ、ぉ、うぉお……、ぉ、ぉ、ぉぉぉぉ……』


 己を滅ぼしうる力を目の当たりにして、魔王の魂がか細く声を漏らす。


『わ、我は不滅、我は不死、我は、し、死者の王にして『骸』の号を冠せし……ッ!』

「ああ、そうだな。だがそれも千年前の話だよ。……じゃあな、ディスロス過去の遺物


 千年前には殺しきれなかった強敵に、俺は別れの言葉を告げる。


「やっちまえ、プロミナ!」

「はい、コージン先生!」


 プロミナが、勢い良く地面を蹴った。

 突き出される切っ先から、黄金にも似た色の輝きが迸る。


『ウォォォ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!?』


 魔王の魂が、己を縛る光の槍を砕いてその場から逃げようとする。

 だが、すでに手遅れ。プロミナの繰り出した渾身の突きが、ディスロスの魂を貫く。


「これで、終わりィィィィィィィィィィィィィ――――ッ!」


 決して滅びるはずのない黒き魔王の魂が、黄金の炎に包まれた。


『――――、……。……ッ、……ッッ……』


 激しく燃え滾るそれは、魔王に末期の叫びすら許すことなく、黒い影を焼き尽くす。

 金色の炎はどこかに消えて、あとには何も残らなかった。


 ゆるやかに、風が流れていく。

 戦いに火照った彼女達の体を心地よく撫でて冷ましていきながら。


「……勝った」


 そう呟いて、プロミナは全身を脱力させたのだった。

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