第4話 モノクロの景色
春子ちゃんは俺を駅のホームに誘った。
電車はまだ来ない。駅員の姿もない。無人のホームだ。
「えへへ。なんだか貸し切りみたいですね」
春子ちゃんは両手を広げながら、ホームの白線沿いを歩く。
「そんなところを歩いたら危ないよ」
「平気ですよ。ここで過ごすのは慣れっこですから。……あっ」
春子ちゃんの短い悲鳴。
ふと目を離した隙に、春子ちゃんの姿が消えた。
「春子ちゃんっ!?」
慌てて駆け寄り、ホームの下を覗き込む。
するとそこには笑顔で俺を見上げる春子ちゃんの姿があった。
「ほらね。大丈夫だったでしょ」
「はぁ……驚かせないでよ」
思わず溜息が漏れてしまう。
ホームから”落ちる”なんて縁起でもない。
「トオルくんもこっちへ来てください」
「え? で、でも……」
春子ちゃんは線路の上に立ちながら、笑顔で手招きしてきた。
線路に下りるなんて危険すぎる。電車が来たらただ事では済まない。俺の中の常識が警鐘を鳴らす。
「大丈夫ですよ。もう電車は来ません」
春子ちゃんは笑顔のまま線路の上を歩き出す。
「ああ、もうっ。どうなってもしらないからね」
放っておいたら、春子ちゃんはどこまでも行ってしまいそうだ。
俺はため息を吐いたあと、慌てたように線路へ下りた。
「トオルくんは知っていますか? 広場の桜にまつわる噂話を」
「桜の木の噂話?」
春子ちゃんは両手でバランスを取り、レールの上を器用に歩きながら続きを話す。
「駅が建っているこの場所には元々神社があったんです。今からおよそ140年前、鉄道工事の関係でお社は別の所に移されたんですけど、あの桜だけは残されました」
「あぁ、その話なら聞いたことあるかも。そのまま駅のシンボルになったんだっけ」
「はい。さくらぎ、という駅名も桜の木が由来です」
「段々と思い出してきたぞ。桜にまつわる怪談話もあったよね。確か、工事に反対した宮司の娘さんの死体が木の下に埋まってて、祟りを恐れて植え替えができなかったとか」
『桜が綺麗な花を咲かせるのは死体が埋まっているから』という、よくある噂話の派生だろう。
桜は開花から散るまでの期間が短く、その儚さから”死”の象徴とされている。
桜の神様があの世とこの世の橋渡しをしてくれる、なんて噂もあって……。
「あれ……?」
おかしいな。そんな怪談話、いったい誰に教わったんだ?
ついさっきまで桜に関する噂について、まるで覚えていなかったのに。
俺が自分自身に対して疑問を抱いていると、春子ちゃんはどこか悲しげに目を伏せて微笑んだ。
――モノクロの景色の中、あの子が浮かべていたのと同じ表情を。
「人の口に渡るたびに噂はその内容を変化させます。根も葉もついて綺麗な花が咲く頃には、桜に祈ることで遠くに離れてしまった想い人と再会できる……なんて話がまことしやかに囁かれるようになりました」
「遠くに離れてしまった想い人……」
「奇跡が起こるのは桜が蕾をつけ、散っていくまでの短い間だけ。その人との思い出を捧げることで、神様は願いを叶えてくれるのだとか」
「待って。それじゃあキミはもしかして……」
ズキリ、と頭が痛み出す。
記憶から消していたモノクロの光景。
ホームで誰かを待っていた女の子。忘れてしまった、あの子の名前。
「短い間でしたけど、お喋りができて嬉しかったです。アナタとお茶をするのが私のささやかな夢でした」
レールの上を歩いていた春子ちゃんの姿が霞んで見える。
春子ちゃんの背後から、ヘッドライトをつけた電車が迫っていた。
「春子ちゃん!」
俺は駆け出して、春子ちゃんに手を伸ばす。
けれど――
「さようなら、トオルくん。アナタのことが好きでした」
春子ちゃんは泣き笑いの表情を浮かべ、光の中に消えた……。
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