第8話

「イヴさん今、時間大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫ですよ」


組合登録をしてくれた受付嬢、イヴさんの前から人影が無くなるのを待って声をかける。情報を集めるにあたって最初に彼女の顔が浮かんだからだ。


「ダンジョンに行きたいの」


「情報が欲しいのですね?」


「……ええ」


セリフの途中で食い気味に質問される。間違いではないので頷く。


「移動しますので後について来てください」


「わかりました」


イヴさんが隣の受付嬢に目配せして席を立つ。そのまま、カウンターから出てきて二階、三階と移動する。


そのまま、後ろをついて歩いていると三階の奥まった扉の前で立ち止まる。他の扉と同じ感じだが木製のプレートに『資料室』と書かれていた。イヴさんがどこから取り出したのか鍵束を取り出し、扉を解放し室内へと入っていく。


こちらを振り向くこともなく入って行くので自分も入っていいか迷うが後に続く。


入って最初に感じたのは古い本の独特な臭い。薄暗い室内はイヴさんが奥のカーテンを開くことで明かりが差し込んで明るくなる。


すぐ左には壁、反対側には本棚が規則正しく並べられ目の前にはテーブル。イヴさん側に二脚、こちら側に二脚。その一脚にイヴさんが座るので対面の椅子に座る。


イヴさんの変わらない平坦なまなざし。


「情報が欲しいと言うことなのでこの部屋に連れてきましたが、この場所について誰かに聞いていたのですか?」


「……いえ」


初めて会ったときに資料がないかどうか聞いたことに関係しての質問だろうか。どういう意図があるのかはさっぱり見当が付かないので正直に答える。


「偶然ということですか?」


「偶然というか、命をかけることになるのだから少しでも情報を集めて、安全にいきたいですから」


「……賢い選択ですね。この部屋の名称を知っていますか?」


「資料室ですか?」


「……それはどこで知りましたか?」


即答してしまったが何かやらかしてしまったか?心持ちイヴさんの眼差しが鋭くなった気がする。


あ、漢字か……。


扉のプレートは漢字で書かれていた。確かに、ここに来て漢字は一切見ていない。察するにローマ字を読めるのは問題ないが漢字を読めるのは珍しい、もしくは普通じゃないのかもしれない。


誤魔化す選択肢が脳裏をよぎるが……


「扉にかかっている札に書かれていましたからね」


彼女とは長い付き合いになる予感がある。誤魔化すための嘘をつくわけにはいかない。


しばしの間、お互い目を逸らさずに見つめあう。


先に視線を外したのはイヴさん。彼女が小さく頭を振る。


「ごめんなさい。別にあなたの隠したいことを暴こうとした訳じゃないの。あなたにお願いしたいことがあります」


視線を外したまま言う。


思い返してみれば彼女は話すとき目を見て話していた。さっきの鋭い……こちらの真意を見抜こうとした視線は完全にこちらの勘違い、思い込みだったようだ。


漢字を読めることがばれたのも含め反省しなくてはいけない。


「古語……扉に掛かっていた室名札に書かれた文字の解読を手伝ってほしい」


「それが資料室を使う条件ですか?」


「そう考えて貰って間違いない。本来は一定以上のランク冒険者が資料を求めてきたらここへ案内することになっているけど今のあなたではまだダメ」


少し悩む。


ここでダンジョンの情報を得ることと漢字が読めることがばれること。天秤にかける。


ダンジョンの情報があれば事前に準備が出来るので身体的な安全に繋がり、漢字が読めることがばれれば厄介ごとに巻き込まれる可能性が出てくる。イヴさんの言動を見るに漢字が読めることはかなり希少なスキルであるようだ。


厄介の規模と悪辣さはどれくらい希少なのか。そして、そのスキルを持っていることを知る人間の人数と人格によって変わる。せめてどちらかをクリア出来れば返事は決まっているのだが。


「古語が読めることは誰にもいいません」


こちらが迷っている理由を察して、イヴさんがそう言ってくれる。ただ、これ幸いと返事をすることは出来ない。どれくらいの本気度か知りたい。


「古語を読める人物を見つけたなら上司に報告しないといけないんじゃないですか?」


「ここの責任者は私なので。組合長には通常の文字で書かれてる本の整理や力仕事の手伝いと誤魔化します」


今までの印象に反して型破りな人のようである。あと、この若さで責任者を任せられるのは印象通り優秀な人らしい。


「そこまでやるってことは何か理由があるんですか?……結構、大変な手伝いとか」


「手伝いは古語が読めればそれほど大変ではありません。ある程度、読んで大雑把な分類に分けていく作業を手伝って欲しいのです。理由は特にありません。仕事は早く終わりたいので」


「……分かりました。お手伝いしますので資料を使わせて下さい」


「ありがとう。……どれくらいの古語を読めます?」


「……一般常識程度には」


「古語は一般常識の範疇には入りません。質問の仕方が悪かったですね」


ネタ半分、ごまかし半分で言ったのだがイヴさんは額面通り受け取ったようでテーブルの後ろにある机に積まれていた本の一冊を抜き取り、こちらに向けて開く。


「これは読めますか?」


本当なら避けるべきだが……開いたページの最初から音読を開始する。


「ごめんなさい。ちょっと待ってくれますか」


数行音読するとイヴさんが待ったをかけてくる。


「普通は専門家でもその速度で解読出来ません」


「内緒にして下さいね」


彼女の様子から見当はついていたがかなり希少な技術のようだ。古語だと言われているだけあり、普通は辞書を片手に読み解くものなのだろう。


それでも、誤魔化さずに音読して見せたのはこちらに配慮してくれたお礼が半分。残り半分は自分がこの世界の常識に疎いことに起因する。


非常識な人間は悪い意味で注目を集める。常識は教えて下さいと言って教えて貰える類の物ではない。非常識を改善するには常識を外れた時に注意して貰ったり、相手の反応から自分で気づくしかない。


イヴさんになら常識を外れた所を見せてもそれ以上に古語を専門家以上に扱えるという非常識であることを知られてしまっている。あまり、気にせず、深くは追及もしてこないのではないだろうか。さらに他言無用と自分で言っていたので別の非常識も他言無用にしてくれるのではないかと希望的観測だ。


実際、こういうずれをある程度、安全に確認できる可能性は少し無理してでも確保しておきたい。まだまだ短い付き合いだがイヴさんなら大丈夫だろうという気もしている。

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