17 熱々

「……新しい住居は、慣れたかい? ラスはすぐに落ち着けたか?」


 ナトラージュを自室に呼び出した師匠のアブラサスは闘竜のラスを、孫のように可愛がっている。ナトラージュがこの人界での母親代わりというのであれば、彼が祖父代わりといえるのかもしれない。


「ええ。ありがとうございます。ラスは広い部屋を飛びまわれて、とても満足しています。これまでは、部屋の中で飛ぶことも出来なかったので」


 師匠の言葉に、笑顔を見せて答えた。


 シルフィードを常に召喚出来るという事実で、一人前の召喚士だと認められたナトラージュはこの前に見習いの部屋を引っ越していた。


 クラリッサ城、そして王都を騒然とさせた暗殺集団闇鴉の襲来から、もう一週間が経っていた。


 彼と心を通い合わせたあの後。


 ヴァンキッシュは、彼らの狙いが自分だったという事もあり、両国の担当官からの事情聴取などで忙しくしている。早く会いたいと一日に何度も手紙をくれるだけで、まだゆっくりと会えていない。


「そうか。高い天井だと、彼の翼が痛まずに済むね……君も、そろそろ初めての|縛られし者(リガート)を手に入れる頃だろう。もう既に傍に居るラスとの相性もあるからね。彼と慣れるまで、部屋はいくつかあった方が無難だろう」


「……そうだと、嬉しいです。いつか、導師様たちのように、名のある幻獣を召喚してみたいです。この前のルビナード様の闘竜は……本当に素晴らしかったです」


 アブラサスは前向きな弟子の言葉に満足そうに微笑み、長く白い顎髭に手をやる。


「君は努力家だからね。そして、幻獣たちが好む人間らしい感情豊かな性格をしている。君自身がそうなりたいと望み、弛まぬ努力を続ける事が出来るなら、いつか夢は叶うだろう。諦めない限りは、その道は途切れない」


「……ありがとうございます。いつか、絶対に叶えたいと思います……ところで師匠。今日は何のご用ですか?」


 師匠に呼び出されたというのに、特にそれらしいことを言われずに、ここに来てからずっと世間話をしているようだ。


 ナトラージュは、本題を聞きたくて質問をした。


「ああ。すまない。話が長いのも、年寄りの悪い癖でね……こちらに、来てくれるかね」


 アブラサスが椅子から立ち上がり、手招きされるままに案内された奥の部屋は、導師として立派な部屋を与えられている彼の私室だ。部屋を囲む大きな本棚に並ぶ豪華な装丁の沢山の本、美しい幻獣の像など様々な物で溢れかえっている。


 彼はその中にある、一本の真新しい鍵杖を手に取りナトラージュに手渡した。


「もう、見習いではない。ナトラージュは一人前の召喚士になったからね。これは、君の物だ。大事に扱いなさい」


「……師匠」


 遠目からはなめらかに見える白い杖の表面には、召喚術を高めるような様々な力を持つ図形や意匠が施されている。ざらついている杖に手を滑らせると、一人前の証であるこれは自分のものになるのだと急に現実味を帯びてきた。


「おめでとう、ナトラージュ。だが、召喚士は、出来る限り私欲のために、彼ら幻獣を使ってはいけないよ」


 アブラサスは神妙な面持ちになり、真面目な口調で言った。


「彼らの住む幻獣界には、様々な制約がある。こちらに呼び出せるのは、我々がそれを利用しているからだ。人界に呼び出された幻獣は、ただ呼びかけに応えてくれただけ。幻獣界の理を曲げ彼らを利用することは、許されない。使いようによっては、世界を危機に陥れかねない大きな力を持っているという自覚を持つんだ」


「……はい」


「彼らは、本来であれば、誰からも自由な存在だ。幻獣界に君臨する力ある王以外に従う必要もなく、利を争う必要もない。今、詳しい事は伝わっていないが、遠い昔に幻獣界の王の一人が、戯れで人界を訪れた時に助けられ、恩を感じて人界への召喚のための制約を設けた。私利私欲に走って、この制約を使うことは、純粋な信頼に対する大きな裏切りなんだ」


「はい、師匠」


「中でも、君のラスは特別な存在だ。無垢な彼を、君は悪に染める事も出来ると言う危険を常に忘れないよう。立派な召喚師になるんだよ」


「ありがとうございます。アブラサス様」


 浮き立つ気持ちを抑え、挨拶も早々に部屋を出ると快晴の空は青い。カラリとした空気を大きく吸い込むと、美味しい。


 一人前仕様になった鍵杖を持って、ナトラージュは鼻歌を歌って上機嫌だった。


 見習いから一人前になると、持ち手の部分には滑り止めも兼ねた美しい意匠が施される。


 この前にシルフィードがくれたような「いつでも呼び出しても構わない」と言ってくれた幻獣がくれる招きの鍵を、上部にいくつも付け足すことで自分の杖らしくなっていく。


 師匠は既に、この前のシルフィードのくれた青い鍵を付け替えてくれているようだ。


「……ナトラージュ!」


「お姉様! カミーユ!」


 あの大騒ぎの前に王都にやって来ていた二人は、何かナトラージュに用がある様子ではあった。けれど、ここのところ見習いから一人前の召喚士になり、雑務が続いていて彼らには会えていなかった。


「もう! やっと捕まえたわ! 避けられているのかと思った」


 さっき与えられたばかりの鍵杖は呪文を唱えると、空に消えた。


 二人はようやく見つけたナトラージュの元に、パタパタと走り寄ってくる。


「まさか! 避けてなんていないわ。ごめんなさい。あの後、本当に色々あって……あっ……お姉様、ごめんなさい。私謝らなきゃ……」


 ナトラージュが照れた様子で、顔を赤くするとスカーレットは首を傾げた。姉はきょとんとした様子で、隣にやってきて居たカミーユと顔を見合わせた。


「私に謝る? 何を?」


「あのね……あの時に、恋人だと紹介した人とは、実は付き合っていないの。隣に居た金髪の人と、今お付き合いしてて……」


「え? ちょっと待って……何がどうなったら、そんな事になるの? まあ、良いわ。また、詳しく話を聞いて教えて貰うから。言えていなかったけど、私たちが王都に来たのも、理由があるの。実は、貴女に甥か姪が出来ていてね」


 思ってもいなかった姉の言葉に、ナトラージュは驚いた。幸せそうな彼女の傍に居るカミーユを見れば、彼も照れくさそうな表情をしている。


「順番が……少し入れ替わったんだけど、スカーレットがつわりで動けなくなる前にと、急いで婚姻証明書を取りに王都に来たんだ。外聞は悪いんだが、僕達はもう婚約者だし、おめでたい事だから、皆すぐに忘れる。特に問題はないだろう。結婚式は、出産が終わってからにしようと思っている……ほら。スカーレット。やっぱり、金髪の男だったろう?」


 したり顔をしたカミーユに、スカーレットはなんとも言えない顔になった。


「カミーユに、ナトラージュには今、黒髪の恋人が居るらしいわって報告したら、たとえ今はそうだとしても、絶対に後で金髪の男とくっつくって力説していたのよ……私の妹のことなのに、私よりもわかっているのね」


「僕にとっても義妹になるんだから、問題ないよ。当時忙しかったスカーレットは知らないと思うけど、ナトラージュはああいう美形の男にすごく弱いんだ。小さな頃に領地にやってきた劇団の主役の男が大好きで、何度も何度もねだられて観劇につき合わされたからね。面食いなんだよ。間違いない」


「かっ……カミーユ! それ、本当に小さい頃の話でしょう! 別に、あの方のことを顔だけで好きになった訳ではないわ」


 慌ててそう言ったナトラージュの言葉を聞いて、今までどんな関係になっているのかと心配していた自分が、バカらしく思えるくらいに仲の良さそうな姉と元婚約者はなんとも言えない顔になった。


 彼ら二人の生ぬるい視線に耐えきれなくなったナトラージュは、口を尖らせて白状することにした。


「……顔も! 好きなのは認める。だって……あんなに……信じられないくらい、素敵なのよ。外見がすごく自分の好みなのに、その上で本気で好きになったのは私のことだけって言ってくれたんだから。好きにならない方が、おかしいでしょう?」


「……大丈夫なの? 私の大事な妹は、悪い男に騙されてないかしら」


「大丈夫だよ、スカーレット。金髪の男もちょっと一緒に居ただけの僕を、目だけで殺しそうになっていたからね。間違いなく二人は、熱々の両思いだ」


「……失礼。僕は金髪の男ではなく、ヴァンキッシュ・ディレインです。ついこの前から、妹さんと結婚を前提にしたお付き合いをさせて頂いております」


 面白がるような響きの声が背後から聞こえて、ナトラージュは驚きで飛び上がりそうになった。


「……ヴァンキッシュ様!? もしかして……今の聞いていました?」


「ああ。君が幼い頃から、顔の良い男に弱いという話を聞き、生まれて初めてこの顔に生まれて良かったと神に感謝していた。ところで、君から僕を紹介して貰っても良いかな? 君の大事な肉親の二人に」


 にこにことした笑顔で、彼は自分は紹介するように促したのでナトラージュは微妙な笑いを返した。


(この前の事、絶対に根に持ってる……)


 ナトラージュは隣にまで来ていたヴァンキッシュの腕を持って、微笑んで見守っている姉とカミーユの二人に言った。


「お姉様。カミーユ。私とお付き合いしている……恋人のヴァンキッシュ様……です。結婚したら、彼の住んでるオペルに一緒に行きたいの。あの……ごめんなさい。せっかく……家と契約しているラスを連れて召喚士になるのに。リンドンテを離れてしまえば、リンゼイ家のためにはならないかもしれないけど……」


 スカーレットはそれを聞いて、ふふっと笑った。


「黒髪の彼がなんだったのかは、ちょっと気になるけど……なんだか、複雑なお話になりそうね。もし、オペルに行きたかったら、好きに行けば良いわ……ラスの時には、取り乱してごめんなさいね。貴女はなかなかゲインズブールには帰って来ないし、会えたらちゃんとあの時のことを謝ろうと思っていたの。私がカミーユと結婚して、彼が跡を継げば、あのうるさいお父様も、文句は言わないわ。素敵な恋人が出来て、良かったわね。ナトラージュ。私たちは、もう成人しているのよ。自分のために、自由に生きなさい」


「お姉様……ありがとう。それに、今までずっと帰らずに、向き合わなくて逃げていてごめんなさい。甥か姪が出来るのを、とても楽しみにしているわ」


 ナトラージュが王都に来てから、懸命に召喚士の修行をしている間、領地に居る彼らにも確実に時間は流れていた。


 三年前に起こった悪い出来事をすべてだと思い込み、姉に嫌われてしまい、それは決して変わらないと諦めていた。


 彼らとの時間を止めていたのは、他でもない意気地無しの自分だった。


「……ええ。いつでも、帰って来たら良いわ。この先生まれるだろう、とっても美形な顔をした子供を連れてね。もし喧嘩をしたら、ゲインズブールの姉のところに戻ってらっしゃい。遠慮は要らないわ。そこの、ヴァンキッシュ様。女遊びをして泣かせたら、もう二度と可愛い妹に会わせないわ。それをきちんと、覚えておいてちょうだい」


 美しい姉が鋭い目を向けたので、ヴァンキッシュは両手をあげて戯けるように笑った。


「かしこまりました。未来のお義姉さま。何よりも……僕の出来る限り、妹さんを大事にします。約束します」


 スカーレットは、彼の誓いのような言葉に満足して頷いて、隣のカミーユと笑い合った。

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