16 夜明け

 深い森の中、前を行く青い光を放つシルフィードが振り返って、人差し指を唇に当てた時にそれは視界に入ってきた。


 彼女の仕草の意味するところを知り、ナトラージュは慎重に足を止めて、後に続いていたラスは急停止してから地面へと降り立った。


 森の中で少しだけ開かれたその場所へ、極力音を立てないように近づく。


 影の中に溶けこみそうな全身黒ずくめの五人と、その前に縄に繋がれ憔悴した様子の初老の男性が見える。さっきラスが言っていた例の暗殺集団闇鴉たちと、人質の大臣だろう。


「驚いたな。ディレイン。まさか、一人でここに現れるとは」


 喉が焼けて潰れてしまっているのか、ざらついた耳障りな声がする。その言葉を聞いたヴァンキッシュは、肩を竦めて目を細めた。


「見ての通り、僕はもう夜に一人でトイレにも行けない年齢ではなくてね。僕一人が、目的なんだろう。関係ない人質をすぐに解放して欲しい」


 特に躊躇うこともなく黒ずくめの一人は、あっさりと人質の縄を切った。ぱらりと切れた縄は地面に落ち、捕らえられていた男性は悲鳴をあげて走って逃げて行った。


 何の感情も見せずに無表情のまま、ヴァンキッシュは腰の剣を抜いた。その様子を見た、闇鴉達五人は顔を見合わせ、嘲るように言った。


「そのキラキラしい剣で、何をするつもりだ? まさかこの状況で、逃げられるとでも思っているのか? まぁ、無謀な奴は別に嫌いじゃない。女王への手土産に見せる時にも、ある程度弱っていた方が効果的だろう」


「商売道具にしているのは、口だけじゃなくてね。もし良ければ試してみるかい?」


「お前がどれほど、剣を使えるのかは知らないが……オレ達は、戦闘を生業にしている。どう考えたとしても、多勢に無勢だろう。あの女王を虜にした男と聞いて、もう少し頭の良い男を想像していたが勘違いだったようだな」


 相対する五人は、自然体で動かずに武器も出さない。複数の相手に戦闘職でもない外交官一人が何も出来るはずがないという、絶対的な自信が見て取れた。


「勝手なご期待に添えず、頭の悪い男で申し訳ない。どうせ近い内に死ぬのなら、全力で戦ってから死にたいね。命のやり取りが日常の君たちにも、そういう気持ちはわかって貰えるんじゃないか?」


 嘲るような彼らの反応を気にする様子もなく飄々と言葉を返すヴァンキッシュは、すぐそこに迫る命の危険を恐れる様子などは全く見せない。かと言っても、一人しかいない状況に絶望しているような投げやりでもない。


 まるで、死の間際ギリギリの状態を暗殺集団と言われている彼らを前に、楽しんでいるかのようだ。


「もし、戦って半殺しになりたいのなら、こちらとしては特に問題はない。体に怪我をさせるなとは、依頼人には言われていなかったしな」


「……本当に嫌味なくらいに、整った綺麗な顔をしているな。こいつだとわかる程度に、ぐちゃぐちゃにしてやるか。例の女王も、お気に入りを目の前に泣いて喜ぶだろう」


 残酷な言葉を口にして、そうする過程を想像したのか、闇鴉達は下卑た笑い声を出した。


「脅したいのかもしれないが、自分の顔はあまり好きではなくてね。それを聞いても、特にこれと言った感想は持てない。この年齢まで生きてきて、顔だけを見て判断されることにいい加減、飽き飽きしているんだ。だから、この顔が気に入らなければそちらの好きにすれば良いよ。僕本人は、別に構わない」


「……自分の価値はお綺麗な外見だけでないと、言いたいのか。大した自信だな」


「僕の顔を見た多くの人間が、同じような感想を持つことは良くわかっている。初対面のはずの暗殺者からも顔だけの男だと言われ、もう本当にうんざりするよ。この顔を持つことを、自分で選んだわけではないが、これを利用することは僕の自由のはずだ……それに、僕の持つ価値は僕自身が決める。名前も知らない、その他大勢の誰かではない」


「……ごちゃごちゃ、良く口が回る。うるさいな……この色男、もう刺して良いっすか?」


 闇鴉の一人がイライラした様子で、そう言い放った。月明かりに、キラリと銀色に輝くナイフが見えた。


 突然ゴォっと周囲の空気が鈍く唸り、目の前にヴァンキッシュに視線を集め注目していた闇鴉の五人は、流石の反射神経を見せて身軽に後ろに飛び退る。


 肌を刺すような冷気が走り、辺り一面が白く凍りついた。


「ラス。僕の靴の先が凍ったよ」


 驚く様子もなく少し非難をにじませながら、ヴァンキッシュは揶揄うように言った。


 バサバサと翼の音を立てて飛びながら強力なブレスを吐き終わり、大きな口を開けていた闘竜は面白くなさそうに抗議の声に言葉を返す。


(ちょっとしたミスだろ。細かい男は、嫌われるぞ。黙って見逃せよ。飛びながらブレスを吐くのって難しいんだぜ。ピンチには加勢してやったんだし、後で良く感謝しろよ)


 彼の隣にラスは降りて翼を畳むと、もう一度喉に力を貯め始めた。


 人殺しを生業としているはずの闇烏は、まさかこの場所に伝説級の幻獣が現れるとは思っていなかったらしい。いきなり先制攻撃を放ったラスに驚き、どう対応しようか逡巡している様子だ。


「……ヴァンキッシュ様!」


「……ナトラージュ。ここにラスが居るってことは、君も居るとは思ったけど……出来るだけ離れて。見ればわかるとは思うけど、あまり良い状況じゃない」


 背後から聞こえた自分を呼ぶ声にも振り向かず、ヴァンキッシュは戦闘態勢になった五人の居る前方から視線を動かさずに答えた。


「これは驚いた。小さな竜か……幻獣界からやって来たにしては、幼すぎる。これは美味しい獲物が向こうからやって来た。本当に、予想もつかない事が起こる。世の中とは面白いものだな」


 真ん中の男がこんな状況に、似つかわしくないしみじみとした口調で言った。闇烏のリーダー格にあたるだろう彼は、冷静に状況を見て攻撃力の強い闘竜だろうがブレスを吐くまでには時間がかかることを察し、まだ人数の多い自分達の優位を確信している。


 そして、ラスが世にも珍しい幻獣の竜で、それを売れば金になるだろうと、生け捕りにした後の算段まで始めた。


「……関係ない。僕が待っていたのは、別だ」


 静かな森の中に響く、鋭く短い馬のいななきがする。グリアーニが走る馬の鞍から飛び降り、彼も無造作に腰から剣を抜き構えた。暗殺者も流石に知っているはずだ。今やって来た彼がこの国で鬼神と呼ばれ、恐れられていることを。


 瞬く間の形勢逆転で、辺りに強い緊張感が走り、闇鴉と呼ばれる暗殺者たちはやっと武器を手にした。


「遅い。グリアーニ。もうちょっとで、僕はラスに氷柱にされるところだった」


「それは惜しいことをした。出直そうか?」


「王は」


「許可を出した。そろそろここに、やってくる」


 二人の男の意味ありげな会話を聞き、闇鴉の一人が叫んだ。


「死にたいんだったら、お望み通り、ここに居る全員殺してやる! オペルの女王には、死体を投げてやっても良いんだ。嘆き悲しみ使い物にならなくなれば、俺たちの依頼者は大いに喜ぶだろうな!」


 グリアーニはそれを黙殺して、城の方向にある空へと目を向けた。


「王が、導師の一人にこの事態の収拾を命令した。闇鴉ども、この国が何故聖獣に守られている国と呼ばれているか。その身をもって知れ」


 ゴウっという大きな音がして強い風が吹き、その場に居た誰もが自然に上を仰ぎ見て、星空に浮かび上がる大きな黒い影を見た。本能で身の危険を感じた馬が、その場から逃れようと走り出した。


(……あれは、成獣の闘竜……ということは、導師ルビナード様の|縛られし者(リガート)! さっきの王が許可を出したって……この事だったんだ! なんて、綺麗な紫色……)


 国の危機でもなければ、こんな城の間近で王が召喚士に|縛られし者(リガート)の竜型を解放させる許可を出すはずがない。けれど、見事な紫の鱗を持つ美しい闘竜は、現にここに居る。


 舞い降りた竜の大きな怒りの咆哮が、夜明け前の空にこだました。




◇◆◇




(今回、とても面白かったわ。だから、特別にまた呼び出して良いわよ)


 クスクスとシルフィードは楽しそうに笑って、ナトラージュに鍵杖を出すように言うと、その先をちょんと人差し指でつついた。カランとちいさな音がして、杖の上部に可愛らしい青色の飾りがついた。


(友情の証となる招きの鍵……気まぐれで有名なシルフィードが……? 私の力量では召喚に応えてくれることも、きっと難しいのに……)


「ありがとう……嬉しい」


 まさか彼女から招きの鍵を貰えるとは思っていなかったナトラージュは、呆気に取られて言葉につまり、やっとのことでシルフィードにお礼を言った。


(私。好きな人のために頑張る女の子、とっても好きなの。すごく可愛かったわ。じゃあね。ナトラージュ。また会いましょう)


 微笑みながら手を振るシルフィードに振り返して、発動していた召喚陣を足で崩す。彼女は、ふわっとした白い光を放って呆気なく消えた。それを見てから、ほうっと大きく息をついた。


 偶然だとしても気まぐれでも何でも「シルフィードを、いつでも召喚すること」が出来れば、一人前だ。これでもう、ナトラージュは見習い召喚士ではなくなる。これからは、国の召喚士として仕事をこなすことになるだろう。


(ルビナート様の闘竜、とても美しかった……私もいつかあんな幻獣を召喚出来るようになりたい!)


「……好きな人って、僕のことで合ってる?」


 立派な召喚士になる決意を新たにしていると、いきなり背後から聞こえてきた柔らかな低い声に、ナトラージュはビクッと体を震わせた。


 ヴァンキッシュは、すこし離れた場所で優しく微笑んでいる。


 彼の向こうに見えるのは城の方へと向かっていく道を歩くグリアーニの背中と、その隣を彼と話しながら歩いていくラスの可愛らしい後ろ姿。きっと、この後の展開を察し、気を利かせてくれたのだろう。


 闘竜の戦闘態勢を見て、完全なる敗北を悟った闇鴉たちは武器を捨て投降し、王太子に命じられた近衛騎士たちに捕縛されて行った。


 それを見送り、とにかく色々と協力してくれたシルフィードを、幻獣界に早く返さなきゃと焦ったナトラージュに付き合って、皆でここに来ていた。


 崩された召喚陣が残っている広場に居るのは、今二人だけだ。


 明るい夜明けはやって来て、もう既に王都は朝になっていた。そろそろ厳しい夏の太陽が、我が物顔で青い空に登りだすだろう。


「あ、あのっ……先ほどは、本当にごめんなさい。あの時に居たスカーレットお姉様と私は、ちょっと難しい関係で、子供の頃から色々あって……もし、今私に付き合っている男性が居たら、安心して貰えるんじゃないかと、咄嗟に思っただけなんです。グリアーニ様の腕を取ってしまったのは、自分でもよくわからなくて……ヴァンキッシュ様には、こんな私だと不釣り合いに見えちゃうんじゃないかと、どこかで思ってしまって……あと、その、本当に貴方のことが好きだから……それをあの時に知られてしまうのが、すごく恥ずかしかったんです」


 顔を真っ赤にして必死に言葉を紡ぐナトラージュにゆっくりと近づき、彼は手の甲で頬を撫でた。


「……うん。良いよ。続けて」


「ヴァンキッシュ様は……さっき、ご自分の顔や外見が好きじゃないって言ってたんですけど、私はすごくすごく好きです。いつも傍に居るだけで胸がドキドキして……あと、もしかしたら、皆が……グリアーニ様の方が良いって、そう言うかもしれないんですけど。誰が何と言ったとしても、私はヴァンキッシュ様が良いです。好きなんです。だから……」


「……だから?」


「私の恋人になって、貰えませんか。いつか立派な召喚士になって、ラスが成獣になったら。私をオペルに一緒に連れて帰って欲しいんです」


 震える声で言い終えた、その時の彼の顔はナトラージュには見えなかった。苦しくなるほどに強い力でぎゅうっと抱きしめられて、固い胸に顔をつけた。温かなぬくもりと、胸を叩く早い鼓動。


「……僕は君を、愛している。命果てるまで、ずっと傍に居てくれ。僕の可愛い召喚士さん」

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