15 暗い森

 傷つけてしまった彼を追いかけて誤解を解こうとようやく心が決まった時には、もうヴァンキッシュの姿はどこにも見えなくなっていた。


 殿下に呼ばれたというからには、王族の居る内殿に向かったのだろう。けれど、ナトラージュの身分で入ることを許される範囲にはもういなかった。


 さっきラスが言ってくれたように、彼の仕事を終わるのを待とうにも、何処で待って良いかわからない。


 内殿の前には警備担当の衛兵が数人立って居て、走って来た荒い息をついているナトラージュを不思議そうに見ていた。彼らも仕事だ。経緯を話して泣き落としをしたところで、きっと困らせるだけだろう。


(……今まで、いつも彼の方から会いに来てくれていた。私は向こうからしてくれることばかりを受け取るだけで、何も返せていなかった。あんなに沢山好意的な言葉や態度をくれていたのに)


 彼が何処に行ったかわからない限りは考えても堂々巡りだ。これ以上、どうして良いかわからずに途方にくれる。


 不甲斐なさにやっと気がつけたのは、彼が辛くて苦しい胸の内を明かしてくれたから。


 だから、ナトラージュは自分もそれを返すべきだと思った。思っていたことや気になっていたことを、全部を彼にぶつける。たとえ上手くいかない結果に終わったとしても。


 決定的な何かを、今まではずっと恐れていた。心の内を曝け出すのは、誰しも勇気が要ることだ。


 彼が口にしていた軽い誘いの言葉だと流していたものは、今思えばまぎれもなく彼の本心だった。


 自分の国に連れて帰りたいときちんと希望を言い、その後も好意的な言葉や態度を何回も重ねた。他でもないナトラージュに、好かれたかったから。


 敢えて軽く聞こえるようにしていたのは、それを言っていた彼だってきっと怖かったからだ。


 ああいう事が慣れているように見えていて、一度決定的に拒否されれば、もう近づくことも許されなくなるかもしれないと恐れていたのかもしれない。だから、あくまで優しくしてくれて、口の上手い彼なら造作のないことなのに、心の中にも強引に踏み込んだりもしなかった。


(……ナトラージュ。なんだか、城の方が騒がしくないか?)


 隣に佇んでいたラスが見上げた先の視線を辿れば、城の外階段を多く衛兵たちが物々しい鎧の音をさせながら駆けていくのを見えた。


 もうかなり、夜も深まって遅い時間だ。どこからか、その意味はわからないものの大きな声が怒鳴り合うのも聞こえてくる。


「本当だわ。何が、あったのかしら……?」


 ナトラージュは胸騒ぎを覚えた。


 あの時、ヴァンキッシュはこんな時間に呼び出しなんて良い話ではなさそうだと、そう言っていた。


 グリアーニに呼びに行かせた殿下と言えば、王太子カヴィルかその姉キミーラのどちらかのことだろう。けれど、二人は敢えてその部分をぼかして話をしているようだった。


(もしかして、今何か問題があって……二人はその解決にあたっている……? そうすると、ヴァンキッシュ様を呼び出したのはカヴィル殿下ということになる。キミーラ様は大事なお姫様で、守られる側のはず。彼女が率先して、動くはずはない)


 もし、王太子が解決の指揮を取るのなら、この国にとって何か大きな問題なのかもしれない。


(……おい! ナトラージュ。どこに行くんだよ!)


 居ても立っても居られなくなって急に走り出したナトラージュを見て、ラスは慌ててバサバサと翼を広げ追いかけてきた。


「今からシルフィードを、召喚する! ヴァンキッシュ様が何処に居るか、探しに行ってもらうから……ラス! あなたはグリアーニ様に、城の中が何か大変だって、伝えに行って! 私はいつもの広場に行くから、早く!」


(あー……あいつは、その後どうなったかは、一応最後まで確認する慎重なタイプだよな。じゃあ、行ってくる! 俺もすぐに広場に行くから、無理すんなよ!)


 ラスは一度大きく旋回してから、見習いたちが住む宿舎の方へと向かって急ぎ飛んで行った。一度立ち止まりそれを確認してから、ナトラージュは全力で駆け出した。


 途中、暗くなって足元が見えづらくなっていて何度も転んでしまっても、いつも召喚の練習をしている広場を目指して力の限り走った。


 荒い息のまま広場に辿り着き、呪文を唱えて白い鍵杖を掴んだ。何度か深呼吸をして、ゆっくりと慎重に、円を描き出す。


 シルフィードを召喚して気まぐれな精霊に運良くお願いを聞いて貰えることが出来れば、何処に居るともわからぬヴァンキッシュの行方を探すことも出来る。


 今まで何度も何度も練習しているので、図形などはもう覚えてしまっている。頼りない月の光しかなくてうっすらと見える地面に、三つの正円と図形を描くことが出来た。


(お願いだから、誰か応えて……!)


 強く願いながら、三つの円の交わっている部分を叩く。


 召喚陣が描かれた溝から白い光がじわじわと滲みはじめ、一気に光の柱が立った。すっと瞬く間に、眩い光が落ち着くと青い光をまとう半透明の小さな女の子が佇んでいる。


「シルフィード! お願いがあるの!」


(えっ……いきなり、どうしたの。なんだか面白そう。お願いを聞いてあげても良いわよ。私は何をしたら良いの?)


 召喚で呼び出した途端に、必死な声で言ったナトラージュを見て、驚きに目を瞬いたシルフィードはくすくすとご機嫌な様子で笑った。


 気まぐれな風の精霊の気が変わらない内にと、ナトラージュは早口で願いを口にする。


「ヴァンキッシュ・ディレインという名前の人を、探して欲しいの。とても美しい外見を持っている男性で、金色の髪と緑色の目の人よ。出来るだけ早く……お願い!」


 それを聞いて数秒きょとんとしたシルフィードは、首を傾げて面白そうに微笑んだ。


(貴女の心の中が、今見えたわ。とても綺麗な男の人。それに、その人に向かう強くて優しい思い。とても、好きなのね。待ってて……気配が、見えるわ)


 シルフィードの姿は、軽くふわっと夜空に舞い上がった。闇に青い光が尾を引いて、一筋の線を描く。


(幻獣は一度約束した事を、違えたりなんかしない……だから、彼女がああ言ったのなら、すぐにヴァンキッシュ様を見つけてくれるはず。そう思うのに……なんで……こんなに、胸が締め付けられるの)


 夜の中で一人、輝く召喚陣の傍に残されて不安な気持ちでいっぱいになった。広場から見える城の様子は、明らかに普段と違いおかしい。もう夜だと言うのに灯りが消されるどころか、逆に灯されてどんどん数が増えていっている。


 非常事態であることには、間違いなかった。


 バサバサと、風を切る翼の音がする。ラスが宿舎に居たはずのグリアーニに異変を伝え終わって、戻って来たらしい。


(ナトラージュ! シルフィードの召喚、成功したのか! とは言っても、手放しで今、それを喜んでもいられないんだ。グリアーニは俺の話を聞いてすぐに城へ戻った。俺もそれに着いて行って、王太子から詳しい話を聞くことが出来た。前にちゃら男に花瓶を投げたのは、有名な暗殺集団闇烏の一味の一人だったんだ。あの騒ぎに乗じて、クラリッサ城に何人か入り込んだ。だから、知らなかったのは当然だ。あいつは、あの時に嘘は言っていなかった。前にグリアーニが馬車で逃げていたのを捕まえたのも、そいつらの仲間だ)


「……え?」


 いきなり始まったラスの早口の説明に、理解が追いつかない。


 ナトラージュの部屋に匿ってほしいと言ってきた時、ヴァンキッシュは確かに花瓶を投げた女性を知らないと王女にも説明していた。


 けれど、あの時、彼の言うことを信じずに、忘れているだけだろうと、きっと誰もが思ったはず。


(……ここから……落ち着いて聞けよ。入り込んだ一味に捕まった大臣の一人と交換に、王太子はちゃら男の身柄を要求された。あいつに未練のある、オペルの女王への要求の交換材料にするつもりだ。王太子は長年同盟を結んでいるオペルへの手前、大臣は見捨てて、その要求を跳ね除けるつもりだった)


「待って……オペルの女王様への交換材料って……彼に執着しているのは、女王様の方?」


(……あの時に、彼女の名前を呼んだから。ヴァンキッシュ様は、女王様をまだ好きなんだと思っていた……もしかして、それは逆だった?)


 それもこれも、ちゃんと向き合って彼の話を聞いていれば、すぐにとけていた誤解だ。好きだと言う気持ちを隠さずに、もし何もかも話していたら。


(オペルの女王は何があろうが、あいつの事を絶対に見捨てたりしないと周囲に思われるくらいには、特別な執着していたらしい。王配を迎えても続く誘いを嫌がったあいつは、従兄弟のグリアーニがある程度の地位に居る、この国への駐在を志願して来たそうだ。そうすれば、女王は諦めざるを得なくなるだろうと思ったんだろう)


「……それで……今、ヴァンキッシュ様は?」


(……あいつはこれはオペルの問題だから、リンドンテに迷惑をかけられないと言って自ら約束の取引する場所に向かった。もしかしたら……あいつ……)


 ラスは言葉を濁して、その先を言わなかった。


「死ぬつもり……? 嘘……」


 ナトラージュは、声を絞り出すように呟いた。


(……あまり良い関係とは言えない女王への交換材料にされることは、あいつは嫌だろうな。それに、自分の国に砂をかけることになる。前に、あいつ……ナトラージュを国に連れて帰りたいと言っていただろう? 結婚すれば、しつこく迫る女王も流石に諦めると思ったんじゃないか。俺でもわかることだけど、結婚して一生一緒に居るなら……自分の好きな子が良いよな。あいつはお前に、本気だったんだよ。最初からずっと)


 まるで壮大な悲劇的な歌劇を、観ているようだ。この後の嫌な展開を思わせる静かな前奏はもう始まっていて、誰も知らぬうちに望まぬ結末はもうすぐそこまで迫って来ている。


 事情を説明しているラスを見下ろして呆然と話を聞いていたナトラージュは、暗闇に青く光るシルフィードが帰ってきたことに気がつかなかった。


(ねえ。お探しのあの人なら、城の裏手にある森を歩いていたわ。誰も傍にはいなかった。たった一人で暗い森の奥へ)


 まるで歌うような声を聞いてから、約束通りお願いを聞いてくれた幻獣シルフィードへお礼を言うのも忘れて、ナトラージュは森に向かって走り出した。


 何も言われずに取り残された形になったラスは、慌てて飛び上がり飛行して追いかけて来る。


(おいおい! 待てよ。ナトラージュ。助けに行きたい気持ちもわかるけど、すぐにグリアーニが来てくれるから待てよ! 行くなら、あいつに一緒に居てもらえ)


「嫌よ! 間に合わなかったら、どうするの! 私が行っても、仕方ないかもしれないけど、このまま何もしないと、彼が死んじゃうわ!」


(我儘を言うのも、いい加減にしろ! ナトラージュが行っても、どうしようもないだろ! 暗殺集団だぞ! どれだけ、危険だかわかって言ってるのか!)


 飛んでいるラスの凶暴な顔が、本能のままに牙を見せ彼はナトラージュに向かって初めて本気の威嚇音を出した。


「それでも、あの人が死ぬのが嫌なの!」


 脅すような声を出した闘竜に負けずに、ナトラージュも顔を真っ赤にして悲鳴のように叫んだ。


 暗い視界の中で地面にある何かに躓いても何度も立ち上がり走っていくのを見ていたラスは何も言わずに、後に続いて飛んだ。


(暗い森の中に、死を覚悟して一人で行くなんて……行かないで、行かないで。すぐに行くから……お願いだから!)


 やっとたどり着いた森の中特有の湿った空気が、身を包む。この森の何処かに、彼は居る。


 まだ召喚陣が発動しているために、幻獣界に帰っていないシルフィードはナトラージュの必死な様子を面白がって、気まぐれにも助けてくれるようだ。目の前を青い光が走ってクスクスという笑い声が聞こえて、案内するように振り返る。


 それを見て、また走り出した。


 始まってしまった何かの向かう先、どうか間に合ってと願いながら。

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