12 おすすめ

 ナトラージュは起き上がって下履きを履き、慌てて二人が揉めている様子の扉近くにまで駆けつけた。


 やっと落ち着いて話せると思ってか、ヴァンキッシュは目に見えて嬉しそうな表情になり微笑んだ。二人の状況を見たジェラルディンはさっと剣を納めて、少し眉を寄せた。


 背の高い彼をじっと見上げて、今朝まで一緒に居た時のことがどうしても頭の中をよぎる。美麗な整った顔がほんの少しの距離にあった、とんでもない事をお互いにしたベッドの上でのことを。


「あのっ……昨日は、私のミスで危ないところを助けて頂き……本当に、ありがとうございました。見ての通り、もう大丈夫ですので」


 みだらな情事を思い出し、顔を真っ赤にしてしまいながらも懸命にお礼を言ったナトラージュは、一瞬何かを探るような目をした彼と目を合わせた。けれど、目は細まりそれはすぐに掻き消される。


「……そう。僕の怪我も、大したことはない……君が何か思うなら。どうか、気にしないで欲しい。少しだけ、話をしても?」


 部屋の中に入ってゆっくりと話したいと、暗に彼は言った。けれど、目の前に居るヴァンキッシュと人には言えない、とても刺激的な行為をしたのは、ほんの数時間前の出来事だ。


(ダメ……とても、何もなかったようになんて、振る舞えない……)


 嘘をつき慣れていないナトラージュには、すぐさまそれを見抜いてしまう彼に、今朝までのことを悟らせないように会話するのは途方もなく難しいことに思えた。


「あの……ごめんなさい。ヴァンキッシュ様。私……」


 彼の申し出を断るためにどう言えば良いか、迷った。


 頭の中にはいろんな思いが、ぐるぐると渦巻いている。完全に好意を持ってしまっている男性と予想もつかない経緯とは言えそういう事をして、とても嬉しかったことや、甘く気持ち良すぎる初体験に、衝撃的な昔の彼女の名前とか。


「ナトラージュは……昨夜死の危険を前にして、ひどく怯えていました。今も落ち着いているとは、言えません。命の恩人に対し礼を言うのは、少し待って頂けませんか」


 全てを知っているジェラルディンは、今目の前の彼と話させることは負担になると思ってか、そう助け舟を出してくれた。


 彼女の言葉を聞いて少しほっとした様子のナトラージュを見て、珍しく眉を寄せ彼は言い募った。


「……そういう時にこそ、出来れば僕が傍に居てあげたかった。ジェラルディン、君がグリアーニからどこまで命じられているかは、わからない。彼女の警護であれば、それは僕が代わるよ。それなりに……剣は扱えることは、君も知っているだろう」


 相手の様子を見て、いつもは特に執着を見せずさらりと身を引くヴァンキッシュなのに、何故か今は必死な様子を見せた。


「ええ。幼い頃から隊長と、互角に戦われておられたという噂は。そのじゃらじゃらとした飾りのついた剣で、何人もの暴漢に襲われた際に返り討ちにされた話も存じております」


「なら……」


「出来ません。他国の外交官の命を受けることは、私には判断しかねます。どうか。そうお望みであれば、隊長に直接掛け合って頂けますか」


「確かに……君の言う事にも、一理あるね。君の立場でそれを受けることが、出来ないのは理解しよう。ならば、ひとつだけ確認したいんだが、ナトラージュは昨夜ずっとこの部屋に?」


 きらめく若草色の目を細め、ヴァンキッシュは二人の様子を観察するようにした。優しげに見えるのに鋭くも思える視線から逃れたくて、ナトラージュはジェラディンの背中に自然隠れた。


「ええ。とても怖い思いをして、とても眠れない様子でした。それを心配した隊長が、同性であれば安心出来るだろうと判断されました。ですので、私が夜通しこの部屋で警護しておりました」


 淡々とそう語ったジェラルディンに、ヴァンキッシュは首を傾げた。


「いや。そうであれば、何の問題ない。では、僕の治療法について、何かを聞いている?」


「いいえ。私達二人は、治療士と話をした隊長から解毒方法が分かったので、何も心配することはないとお聞きしただけです。何か問題でも?」


 彼の探るような質問に嘘を混じえているとは思えない程に、平静に質問を返すジェラルディンの背中に隠れて、本当に彼女が居てくれて良かったとナトラージュは息をついた。


 聡いヴァンキッシュは朝起きて自分に施された治療について聞き、何か疑問を持ったのかもしれない。


 そうして、瀕死の状態で無理矢理に媚薬を使われ、前後不覚になっていたとしても、朝まで一緒に居た「誰か」の存在に関して探りを入れている。


(もし。仮に彼が先に目を覚ましていれば、すぐに相手が私だと確実にわかってしまっていた。危なかった……)


「……いや。夢であったのが惜しい程の、とても良い夢を見た気がしたんだ。僕の勘違いであれば、それで良い」


 そうしてヴァンキッシュは切なげな光を秘めた目で、ナトラージュを見た。ただそれだけの出来事なのにドキンと大きく胸が跳ねて、彼への想いだけで頭は一杯になる。


(彼に見つめられれば、何でも話してしまいそうになる……それは、絶対にダメ……でも。もし、私だとわかっていたなら。あの時、なんで違う名前を?)


 腕の中で別の女性の名前を呼ばれた時には、強い衝撃でそこまで思い至らなかった。けれど、何処かで聞き覚えがあると思えば、あれは今良くない状況にあるというオペルの女王様の名前だった。


 あの時、ただの火遊びに付き合っただけと言ったけれど、言葉ではどうとでも言える。人はいくらでも嘘がつくことが出来、真実以外を話せないわけではない。そして、誰かと会話する事を職業にしている程に、彼は口の上手い人だ。

 

 交渉術について何の知識も持たない素人のナトラージュを、煙に撒くことなんて造作もない。もしかしたら、本気だった身分違いの恋人を、今も忘れられないのかもしれない。


「しつこい男は、嫌われるからね。今日は、ここで退散しよう。じゃあね、僕の可愛い召喚士さん。また、落ち着いた頃に会いに来るよ」


 軽く片手を振り器用に片目を瞑って戯けるようにそう言うと、扉を丁寧に閉めた彼は呆気なく去ってしまった。


 それを望んだのは自分なのに、だとしてもどうしても悲しくなる。


(彼には知られたくないから、黙っていて欲しいと願ったのは、私なのに……)


 頬に一筋の涙が通り抜けて、振り向いたジェラルディンはその様子を見て、小さく息をついた。


「もし、お望みであれば、孔雀男をすぐに連れ戻します。あの様子でしたので、未練がましくその辺りに居るでしょう」


「……ううん。良いの」


「……あれは、私はあまりお勧めはしません」


「皆、そう言うね」


 クスッと泣き笑いしたナトラージュの背中に手を当てて、ジェラルディンは出てきたばかりのベッドへと導いた。


「もう少し眠った方が、良いですよ。添い寝されたいなら、隊長を呼んでも良いですよ。あの人であれば、ナトラージュの意に沿わぬ事は絶対にしないでしょう。温かい抱き枕に、ちょうど良いと思うんですがいかがですか」


「ジェラルディンは……グリアーニ様の事を、すごくお勧めするね」


 目を擦りつつ、首を傾げたナトラージュに、ジェラルディンはベッドの隣に腰掛けて背中を撫でてくれた。


「ええ。出来れば上司には早く身を固めて貰って、愛しい妻が待つ家へといそいそと帰って欲しいですね。独身で時間があり、仕事熱心なのは結構なことですが、数多くの部下は彼が動けば動くほどに多忙になりますので。いわば、早く帰りたい自己保身です。すみません」


 ジェラルディンは真面目な顔をしてそう言うので、ナトラージュは吹き出した。それを見て、彼女は無表情の中でホッとしている様子なのは見間違いではないようだ。


(ジェラルディンは、優しい……本当であれば、他国の外交官なんて面倒なものに関わりたくないだろうに)


 先ほど剣を向けられていたヴァンキッシュが言った言葉は、冗談とは言えない。


 彼にもし何かをすれば、リンドンテ王国の落ち度として上層部に報告されかねない。そしてオペルと事を構えたくない国としては、一騎士ジェラルディンの主張など見向きもしないはず。向こうに弱みを握られないために切り捨てられても、仕方ない。


 それをわかりながら、彼女はナトラージュの希望通り嘘をついた上に、恋をしている切ない気持ちを慮って彼に自らが対峙してくれた。


 上司から命じられた職務だからと言える範囲を越えていて、優しい女騎士ジェラルディンのただの純粋な好意であることは良くわかっていた。


「ふふっ……そういえば、ジェラルディンは昨日から寝てないよね? ごめんなさい。私、自分のことでいっぱいになって、気がつかなくて」


「この程度で疲労を感じていれば、騎士の訓練を潜り抜けることは不可能ですので、私のことは気にせずに大丈夫です。三日三晩、山の中を歩き続けたこともあるんですよ」


 ジェラルディンの落ち着いた声を聞きながら、またベッドの中と潜り込んだナトラージュの頭を彼女は撫でてくれた。


「山の中を、そんなに? 大変そう……」


「正騎士になるための、最終試験です。戦闘職ですから戦いが起きれば、最前線ですからね。戦場では、誰も言い訳など聞いてくれません」


「……ジェラルディンは……強いね」


 柔らかな上掛けを顔近くまで引き寄せながら、しみじみとそう言った。何年も厳しい訓練を受け見事女騎士となった彼女がそれまでに培ってきた努力を思えば、もう何も言えなくなる。


「弱くあっても生きていけるなら、その方が良いですよ。傍に居てくれる強い誰かに守って貰うことは恥ずかしい事ではありません。ところであまりの強さにこの国で鬼神とまで呼ばれ、割と顔も良い将来有望な上司が居るんですけど、一度会ってみませんか。お勧めです」


「……ジェラルディン。グリアーニ様のこと勧め過ぎ」


「たまには、定時に帰りたいです。出来れば、常に。良ければ、協力して貰えませんか」


 あくまで自分のためだという姿勢を崩さない言葉に、二人でクスクス笑い合った。ジェラルディンが促すように、また頭を撫でてくれたのでナトラージュはもう一度目を閉じた。

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