11 ぬくもり

 ぽろぽろと涙をこぼしている間に、彼はまた深い眠りに入ってしまったようだった。長くて規則正しい呼吸を繰り返している。


 ナトラージュはやっと抱きしめられていた彼の腕から抜け出すことに成功して、よろよろと立ち上がりベッドの下に落とされていた下着を探し出して気怠い体に鞭を打って置いてあった服に着替えた。


 一度だけ、寝ている彼のことを振り返った。全裸だというのに、ただ横たわっているだけで芸術品のようだった。大きな手は、何かを探しすようにさまよい動いている。さっきまで自らの腕の中にあった温もりを、探している。


 それを見て、ひどく悲しくなった。ああして探しているのは、抱きしめていたナトラージュではなく別の女性だから。


 彼への思いを振り切るように、扉を開けた。そこに居たのは、グリアーニの部下で王太子の近衛騎士であるはずのジェラルディンだった。


 いつものような無表情は変わらない彼女なのに、今はどこか複雑そうに見える。


「……ジェラルディン。どうして、ここに?」


「何かあった時に連絡が出来るようにするためと、万が一誰かが来た時の人払いのためです……隊長は、私の方が良いだろうと」


 ジェラルディンは、余計なことは一切言わずに、自分がここに居た説明を淡々としてくれた。確かに扉のすぐ前であれば、中の声が漏れ聞こえるだろう。もし、ここに男性騎士が居たなら、彼が仕事で仕方なくとはわかりつつも不快だったはずだ。最後まで渋っていたグリアーニは、突発的な事態に最善の人選を考えてくれたのだろう。


「そっか。ごめんね。寒くなかった?」


「……いいえ。職務中ですので、私の心配には及びません。身体は、大丈夫ですか。必要であれば支えますが」


 二人は話しながら、医務室前からゆっくりと歩き出した。ナトラージュは彼女の気遣ってくれた言葉に首を振った。


 確かに長時間に及ぶ濃厚な初体験にくたくたで、体力の限界はとうに過ぎていて身体は信じられないほどに重い。あれだけ時間をかけて慣らされたせいか、噂に聞くような痛みはないものの、慣れない姿勢を長時間取っていたせいか腰は痛い。


(……あれだけ激しくされたら、当然かも。いつかは……このことを、忘れられるのかな)


 めくるめくような熱い夜は、きっとヴァンキッシュの記憶には残っていない。


 あんなに密着している最中も、ついにはナトラージュの名前を呼ぶことはなかった。始終とろんとした目つきだったから、夢を見ているような感覚で個人を認識が出来ていなかったと考えて間違っていないはずだ。


 だから、きっと誰かから明かされない限りは、彼を助けた相手はナトラージュであったとわからないままだろう。


 医務室の治療士は職業上の守秘義務は守るだろうし、グリアーニとジェラルディンの二人は「言わないで欲しい」と頼まれた情報を、軽々しく他者に明かすような人物ではない。


 ナトラージュ本人から、この夜を彼に言うことはないだろう。だから、ヴァンキッシュはこの先ずっと知らないままだ。


(……こうして、命を助けたからとか。そういうもので、重荷に思って欲しくない。私が助けて貰ったから、彼を助けただけ。これで、お互いに貸し借りなしになったはず)


「……ナトラージュ。ナトラージュ?」


 隣を歩いていたジェラルディンが、顔を覗き込み不思議そうな顔をしている。どうやら物思いに耽っていたら、彼女の言葉を聞き逃してしまったようだ。


「……ごっ……ごめん! 何?」


「いえ。朝食は、どうなさいますか? このまま部屋に戻られるなら、私がお持ちしますが」


「……そっか……あっ、あの。ヴァンキッシュ様は、大丈夫なの? ジェラルディンがあの場所に居たのって、もしかして、彼の警護のためもあったんじゃないの?」


「いいえ。オペルの外交官の警護は、私の職務内容には含まれておりません。それに隊長からは、ナトラージュに何かあれば、あの男に多少怪我をさせても別に構わないとは許可を頂いております」


 しれっとした顔でそう言ったので、ナトラージュは吹き出した。彼はオペルの筆頭外交官で、リンドンテ王国にとっては、結構な重要人物のはずなのに。


(ジェラルディンは女性なのに、色男のヴァンキッシュ様の魅力も効かないみたい)


「外交官って、もっと大事にされる存在なのかと思ってた」


「人によります。歩く猥褻物に、敬意を持つのはなかなか難しいですね」


 難問を解く時のような難しい表情でジェラルディンは彼を評したので、ナトラージュはまた笑ってしまった。


「歩く猥褻物……」


「あの節操のない女たらしにピッタリな呼び名だと、思いませんか。孔雀男でも良いですよ。始終羽根を広げて、異性への性的な売り込みを忘れない。種蒔きは男の本能だそうですが、孔雀男に関してはあまりに派手にやり過ぎているという認識です。女性の方が放って置かないと言えど、物には限度があるかと」


「孔雀男は……確かに、ピッタリかも」


 思わず頷いたナトラージュは、ジェラルディンの言いように妙に納得してしまった。


 ヴァンキッシュはこの国での感覚で言えば、あり得ないほどの派手派手しいオペルでの正装をいつも身につけている。極彩色の羽根を広げる、南国で生息する鳥のように。


「だから……何があったとしても、虫に噛まれたと思って忘れた方が良いですよ。もし良かったら、うちの隊長なんていかがですか。高い身分もあり、王太子のお気に入り。将来有望で、女性の影はまったくなし。私の目から見ても、性格的に間違いなく浮気はしません。酒にはとても強いので、一夜の過ちなどの可能性も考えられません。なので、とてもお買い得だと思うのですが」


 城の廊下を歩きつつ、直属の上司の売り込みを始めたジェラルディンに、ナトラージュは苦笑しつつ首を傾げた。


「……グリアーニ様は、高い身分をお持ちだし。素敵な方よね。私のような一介の召喚士が、お付き合い出来るような男性でないわ」


「そうでないかも、しれませんよ。ナトラージュは知らないかもしれませんが……隊長は、一度先方からの希望で、婚約を解消されたことがあるんです。そして、鬼神という二つ名で呼ばれ恐れられており、この国の御令嬢達からは遠巻きにされています。今は事情で、ご身分を隠されているとは言え。リンゼイ伯爵家のお嬢様であれば、リーダス侯爵も喜ばれるでしょうね」


 ジェラルディンは、何故かリンゼイ家を出ているはずのナトラージュの事情をよく知っているようだ。彼女の上司の命令で、調べたのかもしれない。


 そこはあえて触れずに、引っかかった部分を尋ねた。


「グリアーニ様が……婚約を?」


 彼は高位の貴族なので、幼い頃から家と家との結びつきを強めるための婚約者が居るのが通例だ。それを解消されたとなると……。


「ええ。細かい事情は私も知りませんが、先方からの希望なので……もしかしたら、婚約を交わしていた女性に他の男性が見つかったのかもしれませんね」


 ナトラージュはジェラルディンの言葉を聞いて、不思議に思った。


「どうしてかしら。あんなに素敵な人なのに」


 グリアーニは、派手で太陽のような従兄弟が近くに居るせいで、彼が魅力的なのが目立たないのかもしれない。


 けれど、グリアーニだって、端正な顔立ちを持ち実力主義の王太子カヴィル殿下のお気に入りでもある。その事実だけで、彼の有能振りが窺える。


「……自分の魅力を知ってもらうのは、狙った特定の人物だけで良いと思いませんか。あの孔雀男のように、誰彼構わずのような爛れた過去を持つなら。もし、仮に本気で口説かれたとしても、自分とその他大勢の価値は彼の中で変わらないのではないかと、そう誤解してしまっても仕方ないでしょうね」


「……ジェラルディン?」


「いえ。失言でした。私は……扉の前で待機しますので、ナトラージュはゆっくりとお休みください」


 彼女と話しながら、辿り着いていた自分の部屋に入る。ラスはいつもの定位置にいないので、どこかに外出しているようだ。


「……私は大丈夫なんだけど……」


「ナトラージュの警護を隊長から命じられておりますので、仕事の内です。私のことはお気になさらず」


「じゃあ……部屋の中で警護してくれる?」


 彼女を扉の外に立たせたまま、自分だけ部屋の中で休むのは気が引けた。そう言えば、ジェラルディンは仕方なさそうに肩を竦めて了承してくれた。



◇◆◇



「……ジェラルディン。影が薄いので、君は知らないかもしれないが。僕はオペルの外交官だ。抜き身の剣は向けない方が、良いんじゃないかな。自分が戦争の発端には、なりたくないだろう」


 起き抜けの頭では、良く意味を飲み込めない。響きの良い低い声が、耳をくすぐる。目を閉じていると一層、彼が魅力的なのが外見だけじゃないとわかる。


「隊長からの命令です。彼女に危害を与えるような人物は、撃退せよとのことでしたので」


「へえ。警護対象者を、命をかけ守った人物に対し、あんまりな扱いだな……危害は与えないから、無事な顔だけ確認させて欲しい」


 ナトラージュは二人の声を聞いて、はっと目を覚ました。顔を上げた視界には、ジェラルディンの背中が入る。


 扉を開けたままで目を細めているヴァンキッシュは、剣を抜いた彼女と言い合っているようだった。


「……ヴァンキッシュ様……?」


「やあ。僕の可愛い召喚士さん。寝起き顔も、とても可愛いね。怪我もなく、無事な様子で何より。この怖い番犬さんに剣を下げるように、言って貰っても良いかな?」


 ヴァンキッシュは、にこにこと邪気のない明るい笑顔を見せ、目の前のジェラルディンを指差した。

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