07 太っ腹

「こんなお屋敷って……どうやって、訪問するんだと思う? ラス」


(ナトラージュが分からないのに……俺が知る訳ないだろ。呼び鈴とかも……何も、見当たらないよな……)


 リーダス侯爵家が、王都に構える豪邸の前。ラスは困った顔をしているナトラージュの隣で、ぱたぱたと透明な翼をはためかせた。


 立派過ぎる表門にはがっちりとした錠前が付いていて、今は閉ざされている。


 本日は休暇なのでナトラージュはいつもの白いローブを脱ぎ、飾り気のない黒いドレスを着ていた。お礼をしようと、ヴァンキッシュ訪問時と同じような無難な高級店の菓子折りを買ってここまでやって来たのは良いのが、さっぱりこれからどうして良いのかわからない。


「……どうしよう。このままだと、何もせずに帰っちゃうことになりそう」


 門の前で途方に暮れる。おろおろと辺りを見回したところで、どうにもならない。


 貴族なので訪問するには先触れが必要だったのかもしれないが、リンゼイ家の領地ゲインズブールという田舎でずっと暮らしていたナトラージュには、王都での社交のそうした方法もわからなかった。


「……とりあえず、裏門に回ろっか。ラス」


(そうだな。ここで立ってても、仕方ないもんな)


 こういった豪邸には数多くの雇われた使用人が絶対に居るはずで、彼らは裏門から出入りする。そこで誰かを捕まえて事情を話せば、ここに住むグリアーニに取り次いで貰えるはずだ。


「……失礼、お嬢さん。こちらのリーダス家に、何か御用ですか?」


 一人と一匹が踵を返し歩き出そうとしたその瞬間、感じの良い初老の執事が現れ、鉄柵の隙間からこちらを覗き込んだ。邸の扉付近で、心配そうに見守るメイドが居る。彼女が彼に、門の前に誰か居ると伝えてくれたのかもしれない。


「あっ……すみません。あのっ……グリアーニ・リーダス様に、この前助けて頂きまして。お礼にと思ったのですが、ご在宅でしょうか?」


「……それでは門を、今開きます。グリアーニ様にご用件を伝えて参りますので、応接室の方でお待ちいただけますか。レディ。こんなに暑いところ、わざわざご訪問頂き、ありがとうございます」


 軽く頭を下げた執事は優しく微笑むと、慣れた様子で門を開けてくれた。



◇◆◇



「……すまない。待たせてしまった」


 ナトラージュとラスが豪華な応接室に通され「参りますので、少々お待ちください」と先ほどの執事にお茶を頂いて、優雅に待っていると私服のグリアーニが慌てた様子でやって来た。


「いえっ……訪問の知らせもせずに来てしまって、すみません。逆にご迷惑をかけてしまって」


 ナトラージュは恐縮しつつ、立ち上がって頭を下げた。高い身分の貴族で立派な職業を持っている彼が、決められた休日だとは言え、家で寛いでいるだけだという事はないだろう。


 先日のヴァンキッシュの場合は、訪ねた場所は彼に与えられた執務室だし、性格的にも細かい事を気にしなさそうだ。彼とは違う。


「礼に来てくれたと言う事だが。この前の事なら、全く構うことはない。俺とヴァンキッシュが、好きでやったことだ」


 彼は短く答えると、向かいのソファに腰掛けた。今日は城で見た近衛騎士服ではなく、気楽な白いシャツに黒い下衣だ。鍛えられた筋肉が胸元の開かれたボタンから垣間見える。


「本当に、助かりました。翌朝にはすっかり良くなっていて、あの時に無理をしなかったからだと思います」


 頭を下げると、さらさらと黒髪が顔に流れた。微かに笑うと、グリアーニはティーカップを持ち上げた。


「君の闘竜は、何を食べるんだ? 良ければ、持って来させるが」


 彼はお行儀良く黙り、ナトラージュの横に腰掛けていた青い竜に目を向けた。


「あ、いえ。大丈夫です。ラスは大気中から、力を得ますので」


「何も食べないのか?」


(お菓子も食べられるぞ。生クリームのついたケーキが好きなんだ)


「ラス」


 嬉々として言い出したので、短く叱ると幼竜は首を竦めた。グリアーニは微笑むと、控えている執事に手で合図をする。


 もうと口を尖らせるナトラージュに、ラスは鋭い歯を見せて悪気ない様子でにっと笑った。


「ラスというのか。良い名前だな。|縛られし者(リガート)ということは……君が、名付けたのか」


「ええ。一応……私の|縛られし者(リガート)ですので」


 |縛られし者(リガート)として契約の際に、幻獣は召喚士との間に絆を結ぶため名付けられる。


 召喚士との契約を終えると、幻獣界で生まれた時に親に与えられた名前に戻るのだ。召喚陣をなくしても、この世界に残るのは、召喚士と目には見えない固い絆を結ぶからだ。


「……一応、と言うのは?」


「ラスは、私の祖先から伝わる盟約によって契約を結んでいるんです。私の力だけで|縛られし者(リガート)となった訳では、ないので」


「それは……不思議な話だな」


 グリアーニの鋭い黒い目が、ラスを見つめた。じっと飛びかかる瞬間を、構えている黒い狼のように。


 稀代の剣技を持つという彼は、決して故意にではないとは思うけれど、それが獲物を狙う目に思えてナトラージュは思わず背筋が寒くなった。ラスは今まで向けられたことのない視線に、不思議そうにぱちぱちと大きな目を瞬いた。


「……あの、ヴァンキッシュ様は、ご在宅ではないのですか?」


 グリアーニはその言葉にはっとして、ナトラージュに視線を戻すと苦笑する。


「……確かにあいつは、親戚筋にあたるこの家に滞在してはいる。だが、在宅していることは少ない。君が訪ねて来たことは、伝えておこう」


「そうなんですね」


 答えに頷いたナトラージュは、なんだか安心した。あの甘い光を放つ緑の目に見つめられると、どうして良いのか良くわからなくなる。


 若いメイドが、大きなホールケーキをラスの前に置くと、目を輝かせてすぐに食べ始めた。


 人の子どものように、ラスは甘いものが大好きだ。けれどしたい事をしたいだけさせる事は教育上良くないと思っているナトラージュは、出来るだけ良い事があった時などの特別な時に与えるようにしている。行き過ぎた愛情は、互いにとって良くない結果になるだろうと思うからだ。


(……今日は、良いか。こんな機会は滅多にないものね)


 口いっぱいにケーキを頬張るラスにため息をついて、グリアーニに目を戻す。


「ありがとうございます。こちらがお礼に伺ったのに、こんなに大きなケーキまで頂いて」


「構わない。妹が年頃になってから甘いものをあまり好まなくなったので、シェフが嘆いているんだ。気持ちの良い食べっぷりを見たら、彼が喜ぶだろう」


「妹さんがいらっしゃるんですか?」


「ああ。十八になる。君と同じくらいか?」


 グリアーニは、首を傾げつつナトラージュに尋ねた。


「そうですね。私より、おひとつ年下ですね」


「……召喚士というのは、とても面白そうだ。出来るのなら、自分も竜を育ててみたいな……」


「えっと……竜の中でもラスは、少し特殊だとは……思いますけど」


 ガツガツと大きな口でケーキを食べているラスを見て、ナトラージュはお皿まで食べてしまいそうでヒヤヒヤした。


 その後、グリアーニが何処かに外出しているヴァンキッシュを呼び戻すからと言って、晩餐に誘われたが、とんでもないと早々に帰ることにした。


(会いたいような……会いたくないような……不思議な感じ)


 ヴァンキッシュが傍に居れば急いで何処かに逃げ出したくなるようでいて、彼に会っていない日はやはり物足りない気もする。自分でもなんとも形容し難い気持ちが胸に押し寄せるのだ。


 そして、報告に来た彼の部下が城へ戻ると言うので、せっかくだからと同乗させて貰うことになった。


 後部座席に腰掛けたナトラージュの向かい側には、ジェラルディン・ベイカーと名乗ったグリアーニの部下が座った。ラスはナトラージュの横に、行儀良く座っている。


 ジェラルディンは肩までの焦茶色の髪の毛を、後ろで一つ括りにまとめていた。


「ジェラルディン様は……近衛騎士なんですよね。とてもお若く見えるんですけど、おいくつなんですか?」


「……様付けはどうぞ、ご容赦ください。どうか、ジェラルディンと。今年で十七になります。見習い期間を終えたばかりです」


 ジェラルディンは、きびきびとした真面目な口調で答える。


(見習いを終えたばかりで、王太子の近衛騎士になるなんて……とっても、優秀なんだわ)


 現在の王太子カヴィルは、優秀で実力さえあれば家柄などは特に関係なく取り立てる人で知られていた。だから、ジェラルディンはその彼に認められた若き優秀な人物だと言う事になる。


「私も、見習いなの。けれど、見習いの宿舎でジェラルディンを見かけたことなかったわね……」


 城に居る見習いの男女比でいうと、女性が圧倒的に少ないため良く目立つ。大抵はラスの姿に怖気づいて近づいて来ないが、ナトラージュは話せる機会があれば話しかけるよう努めていた。


「騎士見習いは朝が早いので、食事時も他の方とはあまり一緒にはなりません。晩も、職務上遅く取る場合が多いので」


「そうなのね。でも女性で……しかも見習いから昇格してすぐに、王太子殿下の近衛騎士になるなんて……凄いわ。とても努力なさったのね」


 ナトラージュは、感嘆のため息をついた。そうなれるまでにこの彼女がどれだけ努力したかを思うと、身震いがする。


「カヴィル殿下は、完全な実力主義ですので」


 ジェラルディンは事もなげに言って、肩を竦めた。


「カヴィル殿下は……求めている事が出来る人物であれば、女だろうが異国人であろうが気にしません。使えるものは使い、使えないものには見向きもしない。そういう方です」


(げ……俺。ジェラルディンの事、男の人だと思ってた)


 ラスはショックを受けているように、呆然と呟いた。


「ラス、何言っているの。失礼でしょ」


 ナトラージュも最初こそ彼女の中性的な容貌に迷ったものの、優しく柔らかな声を注意深く聞いてわかった。男の人では、ありえない。


「ラスは、何も悪くありませんよ。私がそのように敢えて見せていますので。ナトラージュさんも、お気になさらず」


「……ジェラルディンは、どうして騎士になったの?」


 女騎士というと、城に居る女性達の中でも憧れの存在だ。難しい騎士学校での試験をくぐり抜け、厳しい訓練を男性と共にこなし、ようやく正騎士へと任命される。


 大抵は王女キミーラのような女性王族の警護担当するが、王太子にまで認められている彼女の真意を純粋に知りたくて尋ねた。


「庶民でのし上がれる唯一の道だと、思ったもので。資金もなく学もないとすると、騎士にでもなるしかありません」


 彼女は常に無表情に近く、表情を変える事はない。けれど、強い力を放つ意志の光が目の奥には垣間見えた。


 ジェラルディンは「上司命令ですので」と、職務中にも関わらず、馬車を降りて城に辿り着いても見習いたちの宿舎前まで送ってくれた。


(グリアーニって、良い奴だな)


 ジェラルディンと別れ、ぺたぺたと宿舎の廊下を歩きながら、生クリームたっぷりのホールケーキを完食してすっかりご満悦のラスは呟いた。


 艶々とした硬い鱗に包まれているはずなのに、お腹の部分が心なしかぽっこりと膨らんでいるような気がする。


「……そんなに食べて。太っても、知らないから」


 呆れたように、ナトラージュは横目でラスを見た。


(あのちゃらちゃらしたいけすかない男よりは、グリアーニの方が良いと思うぞ)


 あの人は豪邸に住む大貴族の嫡男で、王太子のお気に入り。そんな彼が一介の召喚士と、どうこうなるはずがない。けれど世間を知らないラスには、そんなことはわからない。ナトラージュのお相手を、自分なりに品評しているつもりなのだ。


「……そうね。確かに、格好良い人だよね」


 優雅で貴族的ではないが、野性的な精悍な顔立ちは魅力的な人だった。鋭い気配を感じてびくっとすることはあったけれど、命のやり取りをするのが仕事の騎士なのだし、それは仕方ないことなのかもしれない。


(顔だけの男じゃ、駄目だぞ。男には太っ腹なところも必要なんだ)


 ケーキでふくれたお腹を抱えて、ラスは得意そうに言った。

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