02 二人の男

(……ラスがその気になれば、そんなことを言っている間に、すぐに殺されちゃうんだけど)


 ヴァンキッシュのように、見るからに魔力を持たない人間であれば、幼いとは言え闘竜ラスが放つ氷のブレスに打ち勝つ術などない。成獣にならなくても、その程度の威力は十分にある。


 もう何を言ったとしても、降ろして貰えなそうな状況なので、ナトラージュは言い募ることを諦めてローブのフードを目深に被った。こうすればすぐ傍にある尋常ではない程に美形な顔は見えなくなってしまうし、慣れない異性の存在に緊張し過ぎることもない。


 ヴァンキッシュは、城へと続く渡り廊下を軽い花束でも抱くようにして歩いた。しっかりした足取りで、ナトラージュを抱えていても特にふらつくこともない。


 もう夕食時なので、食堂へと集まっているのだろう。今はすれ違う人もいない。ラスは不満そうな表情をしつつも、黙々と後ろからペタペタと足音を立てながら二人の後を付いて来る。


「……ここで、良いのかな?」


 ヴァンキッシュは特に行く先を聞いていないのにも関わらず、迷いなく見習い達が住む簡素な宿舎が集まる場所に辿り着くとナトラージュに問いかけた。このクラリッサ城の中で、白い上着やローブを着ているのは見習いの証拠だ。


 温かな腕の心地よさに思わず目を閉じていて、ようやく今何処かを把握したナトラージュは、はっとしてフードを外すとここから降りようと体を捩った。


「はっ……はい。あの…ありがとうございます。ここから私の部屋は、すぐそこです。本当に、もう、大丈夫なので」


「部屋まで送ると、言ったからね」


 有無を言わせない様子で彼は腕の中にある小さな体を元の体勢に戻すようにして、そっと引き寄せる。ナトラージュは、それに逆らうことは出来ずにまた顔を赤くした。力ではどうしたって敵わないし、言葉にして訴えることしか出来ない。


「あっ……あの、ディ……ヴァンキッシュ様。本当にもう、結構なので」


 強い意志の光を持った美しい宝石のような瞳を見て話しかけるのには、勇気がいった。ヴァンキッシュを一目見て、彼を手に入れたいと魅了される人の気持ちが理解出来るような気がした。


「僕は気が短い方ではないし、特には問題はないんだけど。こうしている状態が人目につかない方が、君にとっては良いんじゃないかな」


 今は夕食時で、この辺りの人通りはまばらだ。けれど、誰か顔見知りに見つかるとあまり良い状況ではない。他でもない彼が相手であれば、城中を駆け回る噂になってもおかしくはない。


 結局、どう言い募ろうが降ろして貰う事は無理だと悟ったナトラージュは小さく頷いて、赤い屋根の一棟を指差した。


 程なくしてナトラージュが召喚士見習いとして与えられている、素っ気ないほどに必要最低限の物しか置かれていない部屋へと辿り着く。二人の後を付いて来ていたラスが、器用に前足で扉を開け薄暗い部屋の隅にあるランプに火を灯した。


 ヴァンキッシュはまるで壊れものを扱うように、簡素なベッドの上に抱えていたナトラージュを寝かせた。


「もう、今日はそのまま休んだ方が良いよ」


 足側に畳まれていた毛布を、横になっているナトラージュの上にかけ、彼は扉を開けて出て行ってしまった。あまりに去り際が呆気なく、部屋はしんとした静寂に包まれた。


(なんか……ちゃらちゃらした野郎だな)


 存在感のある彼があっさりと出て行ってしまい、一瞬呆けていた様子のラスは少し苛立たしげに言った。竜は本能的に美しく輝く宝石などが大好きなので、彼が身に着けていた物に興味を惹かれていたのかもしれない。


「……なんだか、想像していたより親切だし感じの良い方だったね。今度、きちんとお礼をしないと」


 ふうっと大きく息をついて、ナトラージュは見慣れた天井を見上げた。


 もしヴァンキッシュがあの場所にいなければ、ぐったりした体を引き摺り、真っ暗になる前に部屋に帰り着けていたかわからない。ラスに頼んで人を呼んで来て貰うにしても、あんなにまで消耗していたとは自分でも気がついていなかったから、もっと遅い時間になってしまっていたはずだ。


 女性など掃いて捨てるほど寄ってくる彼にとってみれば、なんでもないことなのかもしれないが、口説いていた女性との密会を邪魔されたのに、一言も文句を言わなかった。数ある噂がとんでもないものが多すぎて、大きく誤解をしていたけれど、こうして話してみるとナトラージュが想像していたよりまともな人みたいだった。


(別に良いじゃないか。あの男にしてみたら、役得だろうし)


 ナトラージュがラス用にお針子さんに頼んで作ってもらった専用のクッションに丸まりながら、ムカっと苛立った様子でラスは言った。


「何言っているの、ラス。役得だなんて、思う訳ないわよ。あの、ヴァンキッシュ・ディレイン様よ?」


 彼が浮名を流すのは、社交界でも名の知れた美しく華やかな令嬢ばかり。そんなヴァンキッシュからしてみれば、ナトラージュは単なる荷物のようなもので、しかも見返りも要求せず親切に部屋まで送って来てくれた。


「あっ……! すっかり、忘れてた。いけない。アブラサス様に頼まれた仕事、中途半端になってる」


 ナトラージュはそのまま、眠ろうと目を閉じた時に残してしまっている仕事を思い出した。


(別に良いんじゃないか。あのとぼけた爺さん、頼んだ事ももう忘れてそうだし)


「そんな訳にはいかないわよ。ラス、寛いでないで行くわよ」


 ラスは立ち上がったナトラージュが早く早くと急かすので、渋々自分も立ち上がろうとする。


 召喚士としての最高位にある導師の一人アブラサスは、見習い召喚士ナトラージュの師匠で、温厚で寛容な人だ。けれど、当たり前というべきか、仕事には厳しい。手を抜いていると彼に思われたら容赦なく雷が落ちてくる。


 窓から外を見ると、濃い紫色がそろそろ空全体を覆って来た。星達がちらちらと、微かに光り始めている。


 白いローブを脱ぎ、ナトラージュは申し訳程度にレースのついた、飾り気のない薄いピンク色のドレス姿になった。見習いの決まりとして、白いローブを着ているけれど汚れが目立ち、あまり好きではない。


 ローブを畳み、明日洗濯する物を入れている籠にしまって、慌てて扉を開けると、そこにはヴァンキッシュが居た。


「ヴァンキッシュ様!? あ、あの、もう帰られたんじゃ……?」


 まさかの事態にナトラージュは、思わず目を丸くした。つい先ほど部屋を出て行ったはずの、美貌の外交官だ。


 彼は眉を寄せて悪戯っぽく目を光らせると、部屋を出ようとしていたナトラージュを押し戻すようにして部屋に入って来た。


「具合が悪いんだから。休まないといけないよ」


 ヴァンキッシュは手に持っていた水差しと、小さな薬包をベッドの傍にある小さな机の上に置いた。


「ヴァンキッシュ様。ありがとうございますっ……あの、でも私忘れていたことを思い出して」


「……もしかして、仕事が残っているの?」


 説明しようとした言葉を遮って難しい表情になった彼はきっと体調を悪いナトラージュを、心配してくれていた。さっき知り合ったばかりで、何の関係もないのに。


「はい。明日までが期限の調べ物があって……どうしても、今日中に片付けなければいけないんです」


 ヴァンキッシュはふうんと言って頷くと、背中に手をかけて先程まで居たベッドにナトラージュを導いた。すぐ傍にある水差しと薬包を、人差し指で示して微笑む。


「それでは、その事は僕が何とかするよ。頼むから、大人しく薬を飲んで欲しい。すぐに帰ってくるから、少しだけ待っていて貰える?」


 彼は先程と同じように、優雅な動きで部屋を出て行った。


(……人の親切は、素直に聞いておいた方が良いんじゃないか。もし、変な薬だったら俺があいつを凍らせてやるから)


 冗談とも本気ともつかないラスの言いように苦笑いして、ナトラージュは少しだけ戸惑いつつ、ベッドへと腰かけ苦い粉薬をコップに入れた水で一気に流し込んだ。


「……うん。なんだか、少し良くなった気がする」


 暑さにあてられて、胸の辺りがムカムカする気持ち悪さは、これでだいぶ落ち着きそうだ。高級そうな薬包に包まれていたし、きっと高価な良く効く薬なのだろう。


(水も良く飲んでおけよ。もしかしたら、脱水症状になっているのかもしれないだろ)


 訳知り顔の小さな竜は、人間で言うところの少年らしい精神年齢になっているせいか。このところ英雄物語が書かれた本を読むのが大好きで、そういう冒険物にありがちな知識を持っている。


(脱水症状の事なんて、何の本に書いていたのかな……砂漠を旅する冒険者でも、登場したのかしら)


 ナトラージュはにわか知識を自慢げに披露するラスがついつい微笑ましくなって、ふふっと顔を綻ばせた。


 やがて、扉から軽いノックの音がする。


「はい!」


 慌てて扉に駆け寄ると、そこに立っていたのは、さっき出て行ったばかりのヴァンキッシュと、背の高い彼と同じ背丈がある短い黒髪を持つ精悍で端正な顔立ちの青年だ。


 彼は、王太子の近衛騎士隊長だ。クラリッサ城の中では色っぽい噂なら事欠かないヴァンキッシュ程ではないが、名前を知られている有名人。


 剣の神の愛されたかのように幼い頃から負け知らずで、今は鬼神と呼ばれるほどの強さを誇るという彼を城で見習いをしているナトラージュは勿論見知っていた。リーダス侯爵の嫡男で、王太子のお気に入り。


「淑女の部屋に、男二人が夜分に押しかけてすまない。だが、この場を誰かに見られれば面倒なことになるからね。中に入れてもらって良いかな」


 驚きでぽかんと口を開いたままのナトラージュを揶揄うように、ヴァンキッシュはにこやかに笑う。それ自体に魔力が込められているかのように、不思議と周囲の空気が華やぐようだ。ナトラージュは魔性の美貌と言っても差し支えのない彼を、正面から見ないように気をつけて二人を招き入れた。


「どっ……どうぞ!」


 見習いの部屋に、客人をもてなせるような応接家具は置かれていないので、備え付けの簡素な木の机の傍にある二つの椅子に客人に勧める。


 必然的に、部屋の主のナトラージュは立ったままとなる。けれど、彼ら二人と自分との身分を考えれば仕方がない。ヴァンキッシュは、立ったままのナトラージュをベッドを指差して腰掛けさせ、自分は勧められた椅子に座った。


「僕の従兄弟の、グリアーニ・リーダスだ。愛想がないのは、赤ん坊だった二十年前から変わらないから気にしないで。もし、僕や僕に頼まれた誰かが、君の具合が悪いと上司に事情を説明に行けば……僕のせいで、明後日の方向に勘ぐられることは請け合いだ。だから、このグリアーニに頼んで君の上司に説明すれば、後々問題はないだろう? こいつは、口が堅いのだけは間違いないからね。僕と一緒に居た事は、何処からも漏れる事はない」


「……でも……リーダス様に、ご迷惑をかけるわけには」


 確かにそれはナトラージュにとって、とても有り難い申し出ではある。けれど、よく知らない人に迷惑をかける訳にはいかないと、食い下がった。グリアーニは静かにすっと椅子から立ち上がり肩を竦めた。


「特に問題はないから、気にする事はない。ここで無理をして見習いに倒れられた方が、君の上司は負担が大きいだろう。今日は気温が非常に高く、体調を悪くしているのは、君一人だけの話ではない」


 落ち着いた低い声でグリアーニ・リーダスはそう言って、彼の言葉を聞き終えたヴァンキッシュはパンっと良い音をさせて両手を叩いた。


「それでは、決まりだ。ナトラージュ。今夜はゆっくりと、眠るんだよ」


 思いあぐねたナトラージュが何か言う前に、有無を言わせぬように扉を開けて二人とも去って行ってしまう。


(……なんだか、強引な男共だな)


 扉が閉まった時から、また部屋に降りた沈黙を破り、今まで空気を読んで黙っていたラスが大きくため息をついた。


「……うん。でも。二人とも、優しいね」


 真面目な様子のナトラージュの頑なな態度を見たヴァンキッシュは、きっと一番問題のない方法で彼女を助けた。


 彼の従兄弟グリアーニ・リーダスは、見るからに口が堅そうだし職業柄信頼度も高い。彼から体調が悪くなったから、仕事の提出が遅れると連絡があれば、ナトラージュの師匠である導師アブラサスもすんなりと納得するはずだ。


(……ナトラージュは、本当に男に免疫がないからなー……なんか。俺、嫌な予感がするよ)


 手早くゆったりとした寝巻きに着替えてベッドの中に入ったナトラージュを見つつ、ラスは彼女の返事を特に求める様子ではなく呟いた。

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