第2話
結局家に帰っても、夕飯を食べても、塾へ行っても気持ちは晴れなかった。けれど、もしかしてそうなってしまった時に弾けないではいけないと、お風呂あがりに今日もまたヘッドフォンをしてピアノを弾いている。
私はピアノが好きなんだと思う。本当は、きっとそうだ。弾いている間は自分の内側にこもっていられるし、音のない世界から指が動き音の世界が始まって、それがどんどん増えて音が音楽になっていくのが好きなんだと思う。その世界は自分の生み出した音の世界で、その世界では自分は自由な創造主になれる。跳ねることも沈むことも、ゆっくり流れることも急ぎ足で駆け抜けることもできる。
ヘッドフォンから流れる曲は去年の文化祭で合唱部がステージで歌った歌だ。もちろんその時の伴奏者は萌絵で、私はみんなと一緒に歌っていた。指揮者は音楽の山内先生だ。
音楽の先生といえば隣の家に住んでいる奏太のお母さんも音楽の先生で、奏太は小さな時からピアノを習っている。それこそ私よりも上手なくせに、中学に入る時にその指を止めてしまった。なんでなのかと理由を聞くと、「歌を歌う方に専念したいから」だといっていて、本人がいうように合唱部に入り、それはそれは上手に歌を披露してきた。
でも、そんな奏太もだんだん声変わりをして、歌が思うように歌えない時期があった。高い音が出なくなり、だんだんかすれていく声に苦しむ奏太をみているこっちの方が辛かった。
「奏太、無理しなくてもいいんじゃない? 高くなくても歌える音域でいいと思うし」
「美咲には関係ないし」
「でも、なんか辛そうだし」
「うるさい」
多分記憶にある中で一番新しい、一緒に学校から帰っていた奏太との記憶がこれだ。中学一年の秋頃の話になる。私よりも小さかった奏太は、その頃からだんだん背が伸びてきて、今では私の背をだいぶ抜いてしまった。喉にはたくましいとまでは言わなくてもぽこりと喉仏が出ているし、声も柔らかい低音ボイスになっている。今では合唱部の部長でみんなをとりまとめてくれている。
――とりまとめてくれているけど、なんか私には冷たいんだよね。
あの日から部活帰りに一緒に家に帰ることもなくなって、学校でも必要最低限のことしか話さなくなった。別になにも支障はないけれど、それはそれで気まずい。だって、隣の家なんだから。
――それにしても、なんとかそのイベントでピアノ伴奏するのを断れないかなぁ。なんて思いつつも、きっとやるならこの曲だよねって曲を弾いているんだけど。でも、今日はここまでだな。
そういってヘッドフォンを外し、スマホに手を伸ばした。
「あれ?」
RINKにメッセージが来ている。思わず指でタップすると、奏太からだった。胸の鼓動が速くなるのがわかる。
《紫陽花まつりピアノ頼んだから》
「やっぱりそっちか。もう、そういうのだけはメールするってどんなんだよ」
そう口に出すも、そのメールを何度も何度もまじまじと見つめてしまう。私はもうずっと前から奏太のことが好きだからだ。でも、それは誰にも言わないし、一生告白をすることもない。なぜならきっと萌絵も奏太のことが好きで、なんならもう二人は付き合っているかもしれないのだから。
「なんて返す?」独り言を言いながら自分の部屋のベッドに寝っ転がり、そのメッセージを見ているけれど、こういう場合波風を立てないでどう返していいのかがわからない。RINKは文字のやり取りで、自分の思ってる方向と違うとり方をされる場合がある。実際それが原因で友達と嫌な空気になったこともあるし、学校に行きたくない時もあった。全くもってこんな話いったい誰が持ってきたのか。でも既読スルーはやっぱりできないと、覚悟を決めて、一言メッセージを打った。
《練習はできるだけします》
これならどちらとも取れる回答な気がした。スマホを充電器に挿して、枕元に置き寝ようと部屋の電気を消したら、スマホがブルッと震えた。
「え? 奏太?」
奏太から何通もRINKが送られてきている。そんなことはもうずいぶんなかった。私の胸は高鳴り、でも恐る恐るその通知をタップした。
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