第10話
「今朝? いえ。連絡があったのは昨日ですよ」
オイルの染み込んだ黄色いつなぎを着た修理工は、革の手袋を外し、帽子を取ると、髪を掻き上げながら言った。
「バンパーが破損してたから交換して欲しいって。でも新品は直ぐには手に入らないんで、納品まで中古を取り付けることになったんです。それでゆうべ、仕事帰りにいらっしゃいましたよ」
間宮が車を持ち込んだ修理店は直ぐに割れた。高瀬がピックアップした店を回って2軒目だった。店は小さいが、外国産、とりわけドイツ車に強く腕がいいと、車好きの間では穴場的な店だ。
「なんか、誤って何かに引っ掛けたって話でしたね。実際、バンパーが下から上に向かって外れてました」
「そのバンパーはもう処分しちゃったのか」
「いや、まだありますよ」
「見せてくんねぇかな」
「どうぞ」
こっちです。そう言うと、修理工は寒そうに背中を丸めて歩き出し、高瀬と柴田がそれに続いた。
「今朝の新聞見てって可能性は消えましたね」
柴田はハンカチで鼻を押さえると言った。柴田の敏感な鼻には、塗料やオイルの臭いは刺激が強すぎるようだ。
「ああ。みてぇだな」
店の後ろに建てられたトタン屋根のガレージに入ると、修理工は、ちょっと待ってて下さいとパーツの山に駆け寄り、黒光りするバンパーを抱えて戻ってきた。
「これです。ここに――」
言ってバンパーの底部分を指さすと続けた。
「削られたような傷がありますんで、何かに引っ掛かけた拍子にガツンとやっちゃったんでしょうね」
「例えばどんな?」
「う~ん。そこまではちょっと。段差を降りる時にバンパーやっちゃう事もありますけど、それとも違うし」
「だな」
高瀬は頷いた。
傷は、ほぼ左のタイヤの位置から外側にかけて、凹みと、引っ掻くように削った後があった。
横向きの傷なのである。
「あんまり見ない傷ではありますけど、ウチは口コミでなんとかやってる修理とカスタマイズの店なんで、あれこれ詮索する訳にも」
「わかるよ」
そう言って、高瀬が申し訳なさげに眉を下げる修理工の肩を叩いた時だった。
「わっ。来たっ」
戦隊モノの着信メロディが鳴り響き、柴田が携帯を開いた。
「どうした?」
「へへ。さっきニュース配信を申し込んでみたんです。メールも来ないし寂しいなーと」
「バッカじゃねぇのか」
何事かと思えばそんなことか。高瀬は馬鹿らしいと肩をすくめた。
「いいじないですか。……あ。高瀬さん、ニュース、ニュース!」
「いいよ」
「よかないですよ。ほら!『ミナミ建設、談合発覚』」
ミナミ建設。
そのひと言で高瀬の反応は一変した。
柴田から携帯をむしり取り、ニュース概要に目を通す。極短いものだったが、議員とミナミ建設の談合が発覚したと報じられていた。
よくある話だ。天下りを条件に受注する。大方これもそんなところだろう。
「これ、明日の朝刊のトップですね」
「……なんで明日なんだ。夕刊がまだだろ」
「だってホラ。夕刊の記事の締め切りは1時半じゃないですか。それを過ぎると翌日の朝刊になるんです。さっき間宮にそんなそぶりもなかったですし、あの時点ではニュースになってなかったって事でしょ?」
高瀬は時計を見た。午後3時になろうとしている。
確かにあの時点でニュースになっていれば、間宮ものんびり休みを取ってはいられなかった筈だ。
「だから、明日の朝刊なんですよ」
「……でも、ブン屋のケータイニュースには直ぐ流れるのか」
「やっぱ便利ですねぇ。そう思いません?」
柴田は嬉々として聞いてきたが、高瀬はそれに答えず思考を巡らせていた。
間宮は、新聞社のニュース配信を掻き集めるかのように受信してた。ひょっとして、あの記事も前日に配信されていたのではないか。
「おい。あのスッパ抜きが、昨日のうちにケータイに配信されてなかったか調べろ」
「あ、はい」
西川小春の死と間宮のバンパー。
これらは点だ。だが、これを繋ぐ糸がきっとある。
「このバンパー、預かっても構わねぇかな」
「いいですよ。でも、あのスカイラインに積むんですか?」
「いや」
後で取りに来る。そう続けようとした時、今度は高瀬の携帯が鳴った。
「もしも――。ああ、栞ちゃん?」
高瀬は二言三言交わすと通話を終了した。否応なしに期待が膨らみ、笑みがこぼれる。
月見里は何か見付けたに違いない。長年の付き合いから、高瀬の勘がそう言っていた。
「柴田。月見里ンとこ行くぞ」
「え? どうしたんですか?」
「多分、月見里センセーの法医学推理ショーが見れるぜ」
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