第4話

「あのう……。こんな事言っちゃなんなんですけど……」

 今日はこのくらいにしましょうと竹山が西川を帰し、対策室に3人だけになったところで、柴田がポツポツと口を開いた。

 西川の笑顔を見たばかりに、あの場では言えなかった事だ。

「あの、泳げないからこそ、死に場所に水場を選んだじゃないでしょうか。結び方も、自殺サイトを見た、とか……、その為に雑誌を、とか……」

「いや、サイトのセンはないな」

 柴田にしてはまともな意見であったが、それは高瀬によって、あっさりと退けられた。

「最近はネット上に自殺を仄めかす文章を残すやつがいるからな。そのあたりは調査済みらしい。けど、西川小春はパソコンを持ってなかったとなってるし、職場からアクセスしたWEBサイトやファイルは仕事関係のものだけだったそうだ。会社自体、社員のネット使用にうるさかったそうだしな。それと、当然ながらケータイのネット利用についても調査済み。ついでに、ネカフェへの出入りもなかったとある。だから、可能性で言うなら、雑誌の方なんだが……」

 そこまで言って、高瀬は苦笑した。

 自分が探さねばならないのは、西川小春が自殺ではないと言う確証だったはずだ。

 なのに、いつの間にか自殺を前提として、事案をおさらいしている自分がいた。

「ダメだ。頭回んね~」

 手にしていた資料を柴田の膝の上に放り投げると、高瀬は煙草をくわえた。

 火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込む。肺が重くなると、先ほど室内を覆った重い空気が思い出され、耳に、あの時の西川の悲痛な声が響いた。


「あの子は……。小春は泳げません。水が怖いのです。ですから、海はおろか、プールにすら近寄らなかったんです。そんな娘が釣りなんか! それに、あの子が、あんな重石──」


「あれ……。そういや、ムリがあるような」

「どないした?」

 煙草をくわえたまま、目をしばたかせる高瀬に竹山が聞いた。

「や、重石になっていたのは鉄なんスよ。重機なんかをトラックに載せる時に使う」

「ブリッジやな」

「ええ。しかも、長さが3メートル、30キロと書いてあった。野郎ならともかく、そんな物をどうやって抱えるんだ?」

「そう言えばそうですよね。とてもそんな力持ちには見えないし」

 柴田も同意した。

「いや、全く持ち上げる事無く、重石に使う事は可能やで?」

「えっ?」

「現場写真があったやろ」

「あ、はい」

「これ、この写真や」

 柴田が慌てて広げた現場写真のうち、竹山は1枚の写真を指さした。

 現場は陸に対して平行に作られた、今は使われていない小さな埠頭で、車や重機を入れられるようコンクリート舗装されていた。

 そして海と接する、西川小春が飛び込んだとされる場所の写真には30センチ間隔で2カ所、コンクリートが削られた痕があったのだ。

「これ、なんやと思う?」

「多分、ブリッジがこすれた痕ッスね。ブリッジの幅が30センチだ」

「そう言うことや。重石となったブリッジにも、コンクリートでこすれたらしい痕がついとる。ほんで、このブリッジに関して、付近の住民が、随分前から、少し海に突き出すような形で放置されていたと証言しとるやろ。ここがポイントなんや。この資料じゃ、てこの要領か何かじゃないかと言う事になっとるけど、ワシはそうは思わん。ロープの長さにも無理があるし、足を縛った状態じゃ、てこの原理を使うには踏ん張りがきかんやろ? それに、ホトケは睡眠薬を服用しとるとある。このドラールってヤツは多少やけどふらつきが出ることがあんねん。力むような作業は無理や」

「確かに」

「これはあくまで推測やけどな」

 そう前置きしてから竹山は言った。

「ブリッジは、いくらか海に突き出すようになっとった。つまりシーソーのようになっとった訳や。陸側の方が接地面積が大きかった訳やし、支点に何かあった訳ちゃうから、ぐらつく事はなかったやろうけどな。で、これにロープを括り付けた後、ブリッジの上を海の方へと移動する。足も縛っとるから、座った格好やったんかもしれん。なにせ、そうする事によって重心が移動する訳や。結果、ブリッジはコンクリートを削りながら海へ」

「ドボン……」

 柴田が言葉を繋ぐと、竹山は肩をすくめた。

「そう言うこっちゃ。せやから、重石を持たれへんから自殺やないとは言い切られへん」

「発見だと思ったんだけどな」

「残念やったな、高ちゃん。発見と言えば、西川小春の部屋から釣り雑誌が出た言うてたな。何を読んでたんや?」

「ええっと……? 発見されたのは……フィッシングマガジン6月号、フィッシングジャーナル6月号、釣り紀行……。これも6月号……。あ、全部6月号だ」

「チョイ待った。6月号?」

 柴田が部屋から発見されたと言う雑誌名を読み上げると、竹山は驚いた顔をした。

「はい。でも、死亡推定は確かに5月ですけど、雑誌類は5月発売のものを6月号、6月発売のものを7月号としますから──」

「いや、そうやなくて。その、部屋から出てきた言う雑誌、最新刊やったんか?」

「え……? ああ、そうッスね。いずれも西川小春が最後に目撃された5月12日直前に発売されたものです」

「そりゃ問題や」

「え? なんで……?」

 生前に発売された物であれば、なんら問題はないと思える。

 しかし、竹山は「大問題や」と繰り返した。

「ずっと引っ掛かっとったんや。最初は何が気になっとっとるんか、自分でも分かれへんかってんけどな」

 そう言いながら、柴田が手にしている捜査資料のページ捲ると、再びあのロープが掛けられた写真を「これや」と指し示した。

「上手過ぎるんや。やから、よっぽど練習したとか、この娘が釣りの経験者か、そうじゃなけりゃ、えらい事器用やったからなんやろうと思い込んでてん」

「あれ? でも、さっき西川さんが、娘さんは釣りはしなかったし、不器用だったって……」

「それや、坊。あれで可能性の1つ、いや、2つが消えた。つー事は、考えられるのは練習や。けど、雑誌が最新刊やったっちゅうことになると、それも怪しい。ろくに練習が出来ひんかった筈やからな。それに、雑誌を見たのが器用な人物やったとしても、ハッキリ言うて、焼き刃じゃあ、こうはいかんで? ワシも釣りに関しちゃ覚えがある方やけど、あれを結わえた人間は、相当やってるはずや」

 竹山は見解を一気に述べると、見えない釣り竿を上下した。

「竹さん、それって」

 高瀬は目を剥いた。柴田も興奮している。

 なぜなら、竹山のそれは、明らかに第二の人物の存在を示唆するものだったからだ。

 勿論、自殺でないと言う確証には至らない。だが、誰かが西川小春の死に関わったのだ。

 この事件は化けるかもしれない。高瀬は思った。

 現金なもので、そう思うと視界がクリアになった気さえした。

 だが竹山はまだスッキリしないらしく、椅子から立ち上がると、灰色の頭を掻きながら、狭い対策室内を、折の中の熊さながらに行ったり来たりし出した。

「他にもなんか……、引っ掛かってんやけどなぁ」

「まだ何か?」

「いやー……、モヤモヤすんねん。ここまで出掛かってる気もすんねん」

 言いながら、竹山は中指で喉元を何度か軽く突付き、「けど、分かれへん」と肩を落とした。

 最近はこう言う事が多い。その度に、クイズ番組の回答者のような言い訳をしている。

「トシの所為かな」

「ンなこたぁないでしょう。俺だってタマにありますよ」

「高瀬さんはタマにじゃなくてしょっちゅうでしょ」

 高瀬に睨まれ、柴田が首を竦めた時だった。

 コンコンと二度のノックの後、「竹さん」と言う声とともに、再び対策室のドアが開かれ、次の瞬間、振り返った全員が姿勢を正した。

 戸口に立っていたのは、紺色の制服に身を包んだ、背の高い細身の男。現警視庁副総監、安藤修一郎である。

 気難しく、いかつい印象から警察官僚と言うより、軍人の様相を呈した警視総監とは対照的に、副総監はソフトで端正な容姿同様、穏やかで柔軟。更に、キャリアには珍しく現場第一主義で、一課長時代から捜査員に人気があった。

 勿論それは衰えることはなく、副総監となった今も、その気さくな人柄も手伝って、絶大な支持を受け続けている。

 そして、ラジカルで無茶苦茶だと敬遠される高瀬を理解し、信頼してくれる、数少ないキャリアでもあった。

 捜査一課を追い出された高瀬に、現在のポストを与えたのも、他でもない、安藤なのである。

「鑑識に行ったら、こっちだって聞いてね。入ってもいいかい?」

 安藤は戸口に立ったまま、眼鏡の奥の目を細め、この部屋の責任者である高瀬の了承を待っている。自分の地位を傘に着ない、安藤ならではの行動だ。

「勿論です」

 高瀬は柴田の事務椅子を引き寄せてはたいた。副総監に勧めるにはあまりに質素だが、この部屋で一番汚れが少ないものだ。

 とんかつソースが染み込んでいるが。

「自殺体を洗い直すそうだね」

 安藤は礼を言って、全く汚れを気をすることなく腰掛けると、そう言ってにやりと笑った。

「ご存じで……」

「さっき聞いてね。相当激しかったそうだね」

「大人げなかったとは……思ってます」

 高瀬はばつが悪そうに頭を掻いた。

 そんな高瀬を見て、安藤はくすくすと笑うと言った。

「それは君の長所でもあるよ。で、何か見つけたのかな」

「はい」

「ほう」

 安藤は軽く眉を上げた。驚いていると言うより、感心していると言う風だ。高瀬は続けた。

「誰かが、あの女性の死に関わった。女性の父親の聴取と捜査資料から、それを窺えるものを見つけました」

「竹さんが。が、抜けてます。高瀬さん」

「……竹さん、が」

 高瀬は下唇を突きだすと、ジロリと柴田を睨み付け足した。

「それは、他殺の可能性があると言う事かい?」

「いえ。正直な所、我々の推理では、まだ自殺幇助の域を出ていません。でも、第三者の関与の可能性か出てきた以上、徹底的に洗い直す必要があると思います」

「そうか」

 言うと、安藤は立ち上がった。

「申請の必要な書類があれば、私に回してくれればいい」

「え……」

 それは思ってもみないひとことだった。

 再捜査をするとなれば、今後様々な手続きが発生する。幾ら破天荒な高瀬でも、警察官である以上、書類抜きでことを推し進めることは出来ない。

 かと言って、好きなだけ掘り返せばいいと言っておきながら、許可や承認を願い出れば、あの因幡の事だ。眉を吊り上げて撥ね付けるに決まっている。そう思っていただけに、安藤の申し入れは有難く、心強かった。

「因幡君もなかなかにガンコだからなぁ」

 実際は頑固と云うより我儘なのだが、高瀬は苦笑するに留めておいた。

「報告を楽しみにしてるよ」

「有難うございます!」

 そう言う高瀬の肩を軽く叩いて脇を通り過ぎていく安藤に、高瀬は深く頭を下げた。

「あ、そうだ、竹さん」

「あ、はい」

 不意に安藤が振り返ったので、竹山はピッと背筋を伸ばした。

「忘れてたよ。さっきそこで庶務の梅本さんに……」

「あっ、領収書……」

 思い当たることがあったらしい。竹山はしまったという顔をした。

 梅本は庶務係で最も恐れられているオールドミスだ。高瀬と柴田も、梅本の名を聞いただけで、頬の肉を強張らせている。

「後で顔を出して欲しいそうだよ」

「わかりました」

「うん。それじゃ」

「あの、副総監」

 再び踵を返した安藤に、今度は高瀬が声を掛けた。

「うん?」

「副総監も、何か竹さんに用があったんじゃないですか?」

「あー……いや」

 三人の視線を一身に受け、安藤は小鼻の脇を掻くと、照れ臭そうに笑った。

「もういいんだ」

「……有難うございます」

 高瀬は、膝に頭がつきそうなほどに腰を折った。安藤の訪問の真意に気付いたからだ。

 捜査一課での一件を聞きいた安藤は、恐らく、竹山にこう言うつもりでいたのだろう。


──力になってやってくれないか。


 高瀬は安藤が出て行ってからも、暫くそうやって頭を下げていた。

 竹山はともかく、柴田に今の自分の顔を見られたくなかった。それ程に感動していた。

しかし。

「高瀬さん」

「……なんだ」

「泣いてるんですか?」

「絞め殺すぞ、テメェ……」

 次の瞬間には鬼の顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る