第3話

「うぅーん。そらまた厄介やなあ」

 一通り高瀬から事情を聞いた竹山は、鑑識の青いつなぎの腕を組むと唸った。

「ほんでも、西川さんは自殺とちゃうと、確信してはるんですな?」

「はい」

「で、その根拠は?」

「えっ?」

 竹山に問われ、西川は言葉に詰まった。

「それは……」

「それは?」

「私の……。親の……」

 勘──。

 西川がそう言おうとするのを、竹山は笑顔で「分かりました」と遮った。

 竹山も人の子の親だ。西川の気持ちはよく分かった。

 しかし、やはり勘では何も覆せない。自殺ではないと言う証拠にはならないのだ。

「高ちゃん。ちょ、もっかいそれ、見せてんか? あと、坊。すまんけど、熱い茶を一杯貰えへんかな」

「あ。すみません、気がつかなくて。直ぐ淹れます」

「うん。頼むわ」

 立ち上がった柴田にそう言うと、竹山はバスタオルが掛けられた木箱の上で捜査資料を広げた。

 だが、それは『自殺ではない証拠』を探す為ではない。そもそもそれがなかったからこそ、自殺と断定されたのだ。

 突然娘を失った父親には同情するが、どれ程の愛情を以っても、真実は曲げられないのである。

 ここは一旦話を聞いた上で、再度『自殺であると言う根拠』を挙げて西川に納得させ、異議を取り下げさせるのが一番だ。

 また、こうすることで、息子のように可愛がっている高瀬の面子も保たれるだろう。そう竹山は考えたのだった。

「お待たせしました」

茶は程なく運ばれた。

「おおきに、おおきに」

 湯のみ茶碗を受け取った竹山は、自ら持って来た高瀬達への土産の包みをバリバリと開けると、唖然とする面々を尻目に、饅頭をひとつ自分の口に運び、もぐもぐと租借しながら、箱を西川に差し出した。

「さ。西川さんもおひとつ」

「いや、私は……」

「まあまあ、そないな事言わんと」

 竹山は遠慮する西川の手を取って饅頭を乗せると、今度は高瀬と柴田に饅頭の箱を差し出した。

「ほら、自分らも食べ? 糖分はな、ここの──」

 言いながら竹山はニヤッと笑って自分の頭を指差し、続けた。

「栄養になんねんで?」

「いただきますッ」

 争って饅頭を口にする高瀬と柴田に目を細めると、もうひとつ饅頭をほおばり、もう一方の手で懐から老眼鏡を取り出した。

 軽くページを捲ると、そこからは写真も貼り付けてある。それに気付いた竹山は、資料を膝に乗せ、さりげなく体の向きを変えた。

 自分の体で、隣に腰掛けた西川の視線を遮ったのである。

 娘の変わり果てた姿を収めた写真など見たくないであろうと云う、竹山の配慮であった。

 そして数枚の写真を確認し、また1ページと捲った時だった。

「ほう……」

 竹山は一枚の写真に注目した。眉根を寄せ、まじまじとそれを眺めている。

 その表情に柴田は饅頭を戻し、高瀬は慌てて飲み下して聞いた。

「どうしたんスか」

「これ。ちょっとこれ見てみ」

 資料を向けられ、柴田も高瀬の横から覗き込む。そこには、西川の娘、小春の足元がアップになって写っている写真が貼り付けられていた。

 灰白い足首に、ロープが括り付けてある。

「あのぅ、ロープ……ですか?」

「うん。けど、見て欲しいのは結び方のほうやな」

「結び方……」

「せや」

 自分の言葉を繰り返す柴田に頷いてみせると、竹山はそれが何に見えるか聞いた。

「ええっと……、そうですね。西部劇で、絞首刑……? なんかする……時の……縄……」

 教師に当てられた学生の如く、柴田がおずおずと答えると、竹山は「そうや」と言って、柴田の頭をかき混ぜるようにして撫でた。

「だからこれをハングマンズノット言うんや。絞首刑執行人の結び方って意味なんやけど──」

「ヤングマン・のっぽ?」

「高瀬さん!」

「なんだよ」

「なんだよじゃありませんよ。大体、のっぽさんはもうヤングマンじゃないでしょ? それに、竹さんはヤングマン・のっぽじゃなくて、ハンバーグ6個って言っ──」

「言うてへん、言うてへん」

 竹山は、顔の前で手刀を左右にパタパタ振った。

「ヤングマン・のっぽとも、ハンバーグ6個ともちゃう。ハングマンズノットや。ハ、ン、グ、マ、ン、ズ、ノット。高ちゃんは、釣りせぇへんのか?」

「釣り?」

「うん。釣りや」

「釣りはぁ……。春先に1~2回、堤防でアジ釣りするくらい……ッスね」

 高瀬が頬を掻きながら答える。

 それに竹山は「サビキやな」と、一人納得し、次いで柴田と西川にも同様に聞いたが、どちらも釣りは全くしないと言うことだった。

「さよかぁ」

 ここにいる4人の中で、釣りキチは自分だけだと理解した竹山は、眉尻を下げると、残念そうに「おもろいのに」と呟いた。

「それで、釣りと死刑執行人の結び方が、何か関係あるんスか?」

「大ありや」

 高瀬の問いに、竹山は「よくぞ聞いてくれました」とばかりに身を乗り出すと言った。

「実はな、こいつが一般的に良く使われるのが、他でもない、釣りなんや」

「釣りで?」

 柴田が聞き返した。釣りを全くやらないだけに、ピンと来ないようだ。

「ルアーっちゅう疑似餌を知ってるか?」

「あ……。それなら知ってます。餌の小魚なんかの形をした針……でいいんですよね?」

「そうや。ハングマンズノットは、それをぶら下げるようにして結ぶラインノットやねん。糸の結び方やな。しかもこれはダブルハングマンズノット。ちょっとの違いやけど、こいつの結束強度は100%やで」

「つまり、外れないって事か」

「そう言う事や」

 そして、それが西川小春の死を確実なものにした要因のひとつだと言う事であり、その為に選んだ可能性があるとも言える。

 竹山はこのノットに、「冷静さ」と、何かしらの「決意」のようなものを見た気がした。

「因みに、お嬢さんは釣りを?」

「小春は……小春は、釣りなどしません」

 竹山の質問に、西川は膝の上の手を強く握り締め言った。「しない」と現在形で言い切っている辺りに、いまだ娘の死を受け入れられていないということが伺える。

「だけど西川さん」

 高瀬は捜査資料を指でなぞると言った。

「当時の家宅捜索で、娘さんのマンションの部屋から釣り雑誌が幾つか出たとあるん──」

「何かの間違いです!」

 西川は腰を上げ、高瀬の指摘に強く反論すると唇を噛み、絞りだすように言った。

「あの子は……。小春は泳げません。水が怖いのです。ですから、海はおろか、プールにすら近寄らなかったんです。そんな娘が釣りなんか! それに、あの子が、あんな重石──」

「西川さん落ち着いて。お座りになって下さい」

「……すみません」

 竹山に手を添えられ我に返ったのか、西川はそう言うとストンと腰を下ろし、それと同時に、室内に何とも言えぬ空気が漂った。

「一服されますか?」

 竹山がポケットから煙草とマッチを差し出すと、西川は再び、すみませんと言って煙草を咥えた。

 しかし、1本、2本と擦るも、なかなかマッチに火がつかない。

「あれ。つきまへんか? ひょっとして湿気て……」

「いえ、私が不器用なんです」

 そんな自嘲気味とも言える西川の言葉を聞き、竹山は空中を見つめたまま、声に出さずに「不器用」と繰り返した。

「あの……何か?」

「いや。お嬢さんはどうです? 器用な方でしたか?」

「いいえ。全くです」

「ほう」

 竹山は目を見張った。

「では、どちらかと言うと不器用だったと?」

「ええ。恥ずかしながら、私に負けず劣らずの不器用で。……こう言うものも遺伝するんでしょうかね」

 そう言うと、西川は小さく笑った。

 この日初めてみる表情だった。

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